レッド・ドラゴン
監督:ブレット・ラトナー
格調高い堂々たる作品。これぞA級スリラーの傑作。
今までB級ばかり撮ってきた人間がいきなりこんなクラシカルな、と言ってもいい作品を撮ってしまえるんだなあということにまず、驚嘆というか感嘆。才能のあるヤツは違う。
A級B級は一流二流ではなく、バジェットの区別。予算が少なければキャスティングでも主演級にスターを使えばあとは抑えなきゃ仕方ないし、撮影期間は限定されるしロケ場所もセットの数もナイトシーンの数も限定されてくる。スタッフはその条件の中で戦うが、だいたいの場合はテンポの良さで見せるアクション系コメディ系の映画が多くなる。しかし同じ低予算と言ってもアートフィルムもある(これはスターがギャラを安くしてでも出たくなる作品)が、この場合は「低予算A級」としてまた別のカテゴリーになる。
で、「ラッシュアワー」は典型的ハリウッドB級アクション。テンポとノリで見せる。まあ、どんな監督も最初からA級を撮れるわけがない。キューブリックだってB級ギャング映画をほとんど自主制作したんだから。
が。才能ある人間は、条件を与えられればキッチリ結果を出す。そこが凄い。パンフを読んでもラトナーは、凄い脚本と凄いキャストで毎日緊張の連続だったと語っているが、この仕上がりの見事さはどうだ。
原作と脚本を読み比べていないから、脚色の素晴らしさについては言及出来ない。しかし、各キャラクター(記者を除く)は素晴らしく書き込まれているし、展開もスリル満点だ。これにクセはあるし実力派揃いの豪華なキャストを得れば、どんな監督でも、と思いかけるが……この映画はかなり重いくせにまったくダレるところがない。最後まで疾走する。それはB級アクションで腕を磨いた成果だろう。
それは、場面転換が鮮やかでテンポがいいからだ。余計なカットがない。捜査官の妻が寝ていると……というシーンでも、窓外が明るくなったと思ったらヘリが飛んできて、次のカットではヘリの着陸。間に捜査官のナンタラといったテンションを下げてしまいかねないものは挟まっていない。この呼吸は編集の腕でもあるが、息を呑む。B級からA級になったドン・シーゲルを彷彿とさせる見事な展開で、映像が呼吸していた。実に見事。こういう感覚があるから、ラトナーは第一級の監督に化ける(脱皮する)ことが出来たのだ。
ムード作りには音楽が重要な役割を果たすが、ダニー・エルフマンの音楽も、重厚で渋い。ラトナーの手腕と並んでエルフマンのスコアにもプロの凄みを感じた。
で。出演者の顔ぶれ。レクターが変わってしまうとこのシリーズは意味がなくなるほどに、アンソニー・ホプキンスは存在感たっぷり。実は僕は、彼の芝居のどこがそんなに魅力的なのか(他の作品、たとえば「アトランティスのこころ」でのホプキンスの地味溢れる芝居は今思い出しても涙が出るほどだが)よく判らない。ただ憎ったらしい人食いオヤジにしか見えないのだが、その憎ったらしさが余人には代え難いのだろう。
素晴らしいのは、エドワード・ノートン! ため息が出ましたね。この人もカメレオン役者で、役によってまるでイメージが違う。その不気味なところで犯人のほうが似合ったような気もするが……あ。だからこそのこの捜査官なのだ。レクターに「君と私は似ている」と言われるキャラクターなのだから、エドワード・ノートンでなければならなかったのだ。彼は颯爽としているがマッチョなスーパーヒーローではなく、頭は切れるが行動派でもあり、なにより家族を愛し犯人の身の上を思いやれる心を持っている。この役は、たとえばケヴィン・スペイシーがやったら(別のアプローチを当然取るにしろ)なんだかリアリティを感じないが、エドワード・ノートンだから、凄くリアルに感じるのだ。
リアルと言えば、ハーヴェイ・カイテル。このクセのある役者は好きになるとコアなファンになるが、この人は今回、静の側に廻っている。
そして……今やもう親戚のように思えてしまうフィリップ・シーモア・ホフマン。彼が演じるにしては、今回の『シカゴの東スポ』の記者役は、フラットで食い足りなかった。バランスを考えるとこういうキャラでなければいけない役回りなのだが、あくどい取材でひどい記事を書く嫌な記者を、汗くさそうに演じている。でも、この役なら別に彼じゃなくても、と思ってしまう。しかし、車椅子に接着されて火だるまにされて坂道を走ってくるあの壮絶なシーンには度肝を抜かれた。合掌。しかしホフマン、また太ったね。
そして……レイフ・ファインズ。どこかで見た人だと思ったら、ファインズだったのね。憎むべき凶悪犯でしかも狂喜の犯罪者だが、重度の幼児虐待の被害者。その結果、ウィリアム・ブレイクの詩と絵に魅せられて、それを体現しようとする男を、哀切極まりなく表現していて、素晴らしい。この犯人を、ただのキチガイにせず、陰影深く描いたところに、この作品の感銘がある。
そんな犯人の人間像を浮かび上がらせる存在の盲目の女性。エミリー・ワトソンも、けなげだけれども大人の女を、これまた豊かに演じている。助演女優賞ものの名演だと思う。ラスト近くの大火災から助かる彼女のシーンでこの映画は終わっても充分だと思わせるカタルシスがあった。
だけど、本当のラストシーンがあって、これがまた、圧巻。エドワード・ノートンは死なないのだ。
この作品はリメイクだが、前作に当たるB級作品も是非見てみたい。前作だって、マイケル・マンが監督で、同じキャメラマンが撮影したんだから下手な作品ではなかろう。
第一級のスリラーを見て、実に満腹。幸せである。