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監督:フランク・オズ
犯罪映画の伝統に忠実な映画。新しい要素は何もない。しかし、近年には珍しい、とてもエレガントな映画だ。俳優の持味を充分に引き出して、かっちり作られたとてもうぇるめいどなこの作品は、今の世の中じゃあまり評価されずに損するかもしれない。
僕はタランティーノの作品が好きだし、その系統の「スナッチ」も新鮮な魅力を感じる。
しかし、コロモには新奇なものは一切なく、ていねいな演出にシャープなカッティングと撮影を心懸けたこの作品の良さのほうを、僕は愛する。タランティーノは「ジャッキー・ブラウン」できっとりした演出の作品も撮れることを実証したが、こういう作品こそ演出力がバレるのだ。
デ・ニーロとマーロン・ブランドの共演がすごい。やはり「ゴッド・ファーザー神話」が思い浮かぶから。ブランドは巨体の持ち主に変わり果て、少し歩くだけでも大儀そう(2セットだけの出演だ)だが、こうなるともう、ワンカットでも出てくると映画がまるで違ってくる、という神通力を感じる。
デ・ニーロは腕利きの金庫破り。ハイテクを駆使して慎重かつ芸術的な仕事ぶり。
ブランドはブツの橋渡し役。デ・ニーロとの約束を破ったことのない誠実な関係を続けている。
そこに現れたのが、エドワード・ノートン。やっぱりエドワード・ノートンですね。その登場の仕方から凝っている。ロングショットで妙に目立つエキストラがいるな、と思ったら……。
で、エドワード・ノートンは目下、アメリカ映画の本田博太郎である。絶対怪しい。絶対くさい。この映画でも、とても難度が高く、しかし飛び切りのネタを持ってくる。デ・ニーロは彼を臭いと思いつつ、そのネタの凄さに惹かれて仕事を受ける。
犯罪映画として、現場の状況とその打開策をきっちり描き、その上バックアップ軍団の意外な顔ぶれなども紹介していくそのテンポと手際が悪ければ、この手の映画はイモになる。往年のアメリカ犯罪映画が素晴らしいのは、ベテランの手練手管で、抜群にうまいからだ。「オーシャンと十一人の仲間」も「現金に体を張れ」もドン・シーゲルの諸作も、その他幾多の泥棒映画も、それがうまい。この作品も、うまい。フランク・オズがこんなにキビキビした演出を見せるとは思わなかった。実に嬉しくなるのだ。
エレガントなのは、この作品の舞台がアメリカ(のニューヨークやシカゴやロスといった大都市)ではなく、国境を越えたカナダ、それもフランス語圏のモントリオール、というのが大きい。一瞬パリかと思えるほど高層ビルがなく石造りの重厚なビルが並ぶ街並みが、とてもエレガントなのだ。
そしてデ・ニーロは拳銃を嫌う。たとえ「もしもの備え」であっても。完璧な作戦があればオレの手腕なら拳銃の出番などない、という強烈な自信の表現でもあり、彼のキャラクターの表現でもあり、映画のスタイルの決定でもある。
デ・ニーロは一貫して趣味のいい男として描かれている。彼が経営するジャズクラブのインテリアはいいし、住んでいる部屋もかっこいい。アイランド型のオープンキッチンが料理好きで味に拘る、というキャラクターの表現にもなっている。
エドワード・ノートンは目的を達するためなら何をしてもいいと考えている。
この人物配置は、昔からのスタンダードだ。宣材に載っていた川本三郎の文章は「地下室のメロディ」との類似を指摘していたが、アメリカ映画と並んで往年のフランス映画も犯罪映画の名産地であった。かの地の「フィルム・ノワール」はアメリカ映画にはない人生の機微さえ感じさせる秀作が多いから、この指摘はまったくその通りだ。ギャバンがデ・ニーロで、ドロンがノートンか。これが同格になると「さらば友よ」(鳴呼ブロンソン!)になるだろうが。
犯罪モノだから、ストレートに話が進行するはずがない。ターゲットのブツはますます盗み出し難くなる。デ・ニーロは最新装備でその問題を解決する(監視カメラを必要な時切る、という原始的な事をするのが解せないが。メモリーをかませて静止画を表示させ続ければ問題はなかったではないか)。ロック・クライミングのような登攀技を使い、滑車を使った移動システムを活用する。これらの手順を実にていねいに見せていくところが、こういう映画のミソなんですなあ。宍戸錠の傑作「拳銃は俺のパスポート」やあの名作「ジャッカルの日」でも、狙撃銃を組み立てる手順とそのメカニズムをマニアックにきっちり見せているから、妙なリアリズムを生み、サスペンスが盛り上がる。このあたり、犯罪映画が大好きなのだろう、オズの映画への愛情が溢れている。こういうところで手を抜いたらダメなのだ。そして、録音がいろんな部品が出す音をきちんと拾っていて雰囲気をいやがおうにも盛り上げる。ちょっとした金属が当たる音やスイッチが出す音というのが、とても大切なのだ。
この作品のプロット的なミソは、ノートンが独自の計画を持っていて、自分を子分もしくは若僧扱いするデ・ニーロに一泡吹かせてやろうとする。そこのところが、ノートンを起用した訳が判って、ナルホドね、やっぱりノートンだもんね、と思わせてられてニヤリとする。こういうキャスティング、昔のアメリカB級映画ではよくあったと思う。
しかし、デ・ニーロをキャスティングしてあるのだから、やっぱりデ・ニーロは最後までデ・ニーロだ。タランティーノ映画でのダメなバカですぐキレる男ではない。
きっと、彼は居心地のよかったモントリオールを捨てても、どこかの街でうまくやっていくんだろう。
実にていねいに作られたこの作品は、作中のデ・ニーロの金庫破りのように、エレガントで職人技を感じさせる。新奇なフィールングが横溢する作品もいいけど、こういう確かな技量が要求される作品をきっちり作り上げたフランク・オズの力は凄いと思う。もちろん、キャストにはめて書かれたようにしか思えない脚本の妙味と、撮影と編集のタイトな魅力。キビキビして小気味よい快感!
ハワード・ショアの音楽は、ジャズの名曲の影に隠れてしまって印象が薄くなっているのが残念。