トゥルーマン・ショー

監督:ピーター・ウィアー

 この作品は、異形の、途方もない傑作である。
 『彼のすべてをお届けする24時間ノンストップ・ショー』が、現代の高度管理社会の寓話である、と言ってしまうとそれはそれで話は終わってしまうのだが、作り方があまりに見事だ。
 こういうテーマは、下手をすると実にくだらない茶番になってしまう。同様のモノはすでに発表済みだし。妄想の権化たる筒井康隆で育った僕は、このテーマの短編・ショートショートをいくつも読んでいる。「俺に関する噂」がそうだし、老人が今際の際に自分の病室のセットがバラされ血縁者が「お疲れさま」といいながら帰っていくショートショート。不細工な子供が美女として育てられスターになったところで、みんなで真実を暴露して虐めてやろうとしたら、という残酷な話も。
 だから、この『擬似イベント』テーマを持つものは、多少の事では傑作だとは思えないのだ。
 しかし。
 この作品は、なんという素晴らしさだろう!
 
 ジム・キャリーがいい。もちろん、いつもの顔面ギャグは押さえて、笑顔が似合う好青年にハマっている。この笑顔が良ければ良いほど、後半に効いて来るのだ。
 「これは、『作り物』だ。逃げだしたい」
 主人公トゥルーマンがそう決意してからは、その笑顔が切なく、いじらしく見えてくる。学生時代に一瞬交差した女性が忘れられず、「彼女こそ『本物の存在』で、自分に対して本気だった」と思った主人公が、モード雑誌から切り抜いた写真でモンタージュを作っているところなど、実に切ない。「仕立て屋の恋」で主人公が窓越しに見ているあのシーンに匹敵する。
 その一方で、この『架空人生ドラマ』を守るための、大ドタバタも大笑い出来るのだ。不意に入ったビルのエレベーターはセットだったり、上からライトが落ちてきたり、スタッフ用の無線がラジオに混信したり、脱出しようと橋を渡ると、原発事故が発生していたり。
 この辺は、ドラマづくりのカリカチュアになっていて、一種の楽屋落ちだが、大いに笑える。連続ドラマでこういう突発事故が起こった時は、製作状況に何かあった場合なのだし。
 また、ドラマ中CMのギャグもうまい。主人公の妻が突然「〇〇社のココアはどう? このココアはおいしいのよ」と生CM嬢の笑顔で喋りだし、主人公が「誰に喋ってるんだ? どこに向かって喋ってるんだ?」と混乱するギャグ。これはおかしいと同時に、主人公の心情をより深く描くエピソードにもなっていて、うまいというより、凄味がある。
 
 『外に出たい』と主人公に思わせ、その気持ちを切実にさせ、なおかつ観客にも感情移入させて納得させるために、『女』を設定したのは、うまい。
 また、原案にあったそうな『ウソのニューヨーク』を『島』にしたのもいい。海に囲まれて、行けそうで行けない外の世界、というものを上手に象徴している。主人公のもどかしさを強調する事にもなっていて……。
 
 この作品の構造は重層的で、それを思い出して味わえば味わうほどに、感動は深まっていく。見終った直後は、ちょっとしたショック状態で、街を歩き回るほどに映画の場面が浮かんできて感動し、チャーハンを食いながら涙ぐんでしまった。
 
 帰りの電車の窓から、沿線の家の中が見える。テレビを見ていたり食事をしていたりする。そこには無数の、その人が中心の世界があるだなあと思っていると……もしや『神』は、ツゥルーマン・ショーのようなことをすべての生き物に対してやってるんじゃないか、と思えてきたりした。つまらない人生だったら飽きちゃうから、早々に交通事故とか重病にして退場してもらったり、面白い場合は長寿にして引っ張る。そう考えなきゃ、神がいるのにどうして「神も仏もあるものか」と叫びたいほどの悲惨な状況が昔から絶えないのか説明がつかないではないか、と思ってしまう。
 
 「全能の神」たる、芸術家クリストフに扮したエド・ハリスも素晴らしい。似たような名前の、やたら布で覆いたがったり傘を差したがる妙な芸術家がいるが、ああいう感じの危なさと胡散臭さを漂わせ、演出する時、オーケストラを指揮するよう(テレビの大がかりな生放送の時のディレクターはみんなこうだろう)に神の如くすべてを操る男。黒ずくめの躰にぴったりの服、ベレー帽という衣裳もいい。
 この人物なら、こんな無茶なプロジェクトを発案して実現させてしまうんじゃないかと思わせる、説得力ある描写だ。
 
 ラストの、主人公退場、のように一礼して出口に入っていく主人公の姿が目に焼きついて離れない。ジム・キャリーの笑顔がイイ分、主人公のいじらしさが強く伝わってくるからだ。
 
 僕は、今の生活に満足している(より向上しようとしているが)けれども、数年前は八方塞がりでやり切れない日々を過ごしていたし、今のこの状況下で、逃げ出したい自由になりたい別天地に行きたいすべてのしがらみから解き放たれたい、と願う人も多かろう。この作品を観て、このラストを見て身につまされた人も多かったんではないかと思う。
 管理社会の寓話と構える前に、もっと身近な実感というものがこのラストにある。その意味でも、お伽話にしないで現実と連綿たる繋がりを持たせた作り方は重層的で、凄い。
 
 今現在は、こういう番組が登場するとは思えないし、地球上のみんなが夢中になるとも思えないが、近い将来だとどうだろう、と考えると……個社会が徹底して孤独な人間が増えてくると、『いろいろあるけど昔懐かしい人間関係のドラマ』が受けるんじゃないか、とも思う。
 
 この作品の凄味は、ピーター・ウィアーだけの功績ではなく、脚本のアンドリュー・ニコルのものでもある。
 この作品で、ジム・キャリーは間違いなくアクターになった。「マスク」の時から、怪演しない普通のシーンの彼に魅力を感じていた僕としては、彼の新たなる出発を祝福したい。いろんな芸が封じられるのは寂しいが。
 この主人公は、彼しか演じられないんじゃないか、とすら思える。たとえば、ロビン・ウィリアムズだったら……映画は大きくニュアンスを変えるだろうし……。図体がデカいと、なんか、見ていて安心してしまう。しかし、華奢なジム・キャリーだと、懸命さがより強く伝わって、より切なくなる。
 
 映画というものは、限りなく傑作を生んでいくものだなあという思いを強くする。