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羽田=(飛行機)=稚内空港−宗谷岬−稚内 50km |
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稚内−遠別−苫前 150km |
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苫前−留萌−当別 146km |
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当別−札幌−小樽−ニセコ 152km |
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ニセコ−長万部−大沼 152km |
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大沼−函館=(フェリー)=青森−弘前 65km |
【8月11日 晴れ】
羽田での別れ
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現在、羽田発稚内行きの飛行機に搭乗したところだ。羽田空港まで父がわざわざ休みをとって車で送ってくれた。手続きまで少し時間があったので、二人で滑走路の見えるテラスまで行って、大空へ行き交う飛行機を見ていた。男二人何も話さず、ただジャンボの轟音と飛行機を見てはしゃぐ子供たちの声が時間を埋めていく。ようやく予定の時間が来て、恥ずかしながら、 「俺頑張ってみるよ、お父さんも元気で…。今日はわざわざ悪かったね。帰り気をつけて」 「まあ、お前のことだからどっか新潟あたりで疲れたと言って戻ってくるだろ」 「出発するときにそんなこと言うなよ。一応、やるだけやってみるよ。ちゃんと計画立てているから、あとは俺の根性だけだよ。」 「ふむ、事故だけには気をつけろ。頑張ってこい。」 など話しながら、パンパンのザックを肩に背負い、短パンと半そで姿の僕は搭乗口へと向かった。 お盆とあってか、JAL895便の客は里帰りの人ばかりだ。そんな中で、どうしてもヒッピーな格好をしている僕は目立ってしまっていた。チケットを自動改札口に入れていよいよ搭乗。10分遅れの12:00発。入り口で愛想のいいスチュワーデスさんがぎこちない僕に席をわざわざ案内してくれる。こんな些細な気遣いに恋心すら抱くくらい、その当時の僕は純情だった。いよいよ離陸、窓からもどんどん加速していくのが分かる。とその瞬間、機体がフンヮーと浮き上がり、見る見る高度上昇。いよいよ『これから始まるな』という実感が湧いてきた。 |
自転車がない…
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「稚内はもう秋の気配が感じられます」 飛行機が無事着陸すると、僕のお気に入りのスチュワーデスさんがアナウンスした。8月なのに秋とは…、と半そで短パンの僕には瞬間的に嫌な感じがした。そう、乗っている客はなぜか長袖を着ているのである。『アレッ、だから俺浮いているんだな』と思った頃にはドア−が開いてフロア−まで行くと『まじかよー』と言うくらい涼しい。 里帰りの人を迎える地元の人も、心なしか自分を見る眼が冷ややかである。そんな折、荷物もなかなか回ってこない。唯一長袖のシャツが入っている荷物が来ないとどんどん寒くなっていく。いてもたってもいられず、その場で乾布摩擦など季節はずれな仕草をしながら、30分経過。 『いくら何でも、こりゃないだろ。もしかして自転車積むの忘れたんじゃ?』 いやな予感がして事務員の人に話してみると、そそくさと事務室へ走っていった。しばらくして、 「お客さん、自転車でしたっけ? あります。あります。こっちこっち」 なぜか事務室の前に僕のクロスロードちゃん(My自転車)はいたのであった。事務員が言うには、自転車は要注意品として大事に扱われたらしく、あの回る機械には乗せていなかったとのこと。なかなか持ち主があらわれなかったので、事務室へ保管という運びになったらしい。 『それならそれと早く言ってちょうだいよ。こっちは寒い思いしてるんだから…』 とは思ったものの、気が弱い僕ははにかんだ笑顔で乾布摩擦を繰り返していた。 |
宗谷岬で友と再開
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さて、そんなこんなでようやく自分の愛車(自転車だけどね)が戻ってきて、長ズボンにはきかえて自転車を組み立てる。羽田空港で『自転車が機内で損壊しても当社では責任はとらない』と念書をかかされていただけに、クロスロードが入っている梱包袋を開けるのが不安だ。おそるおそる開けてみると、着け外し式のライトのプラスチックが少し欠けていただけで、走行には問題なさそうなので安心した。 いよいよ北海道の大地にタイヤを滑らせる瞬間である。『いっちょやったるでー』の気分で軽快にペダルを回す。今日の目標は宗谷岬まで行って、日本最北の地に足跡を残すことである。オホーツク海からの潮風にあたりながら、宗谷岬まで20kmちょっと。『北海道はセイコマートが多いな』と時たま感じながら、ノンストップで飛ばした。 1時間30分くらいだったろうか、大きくカーブを曲がるとなにやら人の群れができている場所が見えてきた。宗谷岬と確信した僕は最後のスパートで自分に気合を入れる。いよいよ日本最北端だ。群れる人が何人か僕のほうを見ていた。 「おーい田方、田方じゃないか。俺もさっき宗谷に着いたとこなんだよ」 息つく間もなく、こっちへ駆け寄って声を掛けてきた人がいた。大学時代に自転車野郎仲間として出会った難波君である。 「俺は網走のほうから走ってきたんだよ。ちょうどいいタイミングだったね。田方が飛行機で来ると言っていたから、時間合わせて待ってたんだよ」 いい友人をもったなぁと嬉しくなった。二人で宗谷岬の石碑の前で肩を組んで写真をとった。僕にはその時宗谷にいた人たちが、みんな一様に目を輝かせて希望にみちていた様子を忘れられない。そして、この感動の出会いから、僕の日本縦断は始まった。
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稚内市ドーム前公園にて
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宗谷岬からは難波君と稚内までいっしょに走った。難波君は北海道一周を目指してこの最果ての地までやってきた。その晩は有名な稚内ドームの前の公園にてテントを張った。途中でビールと夕飯を買ってきて、その晩は旅について多いに語った。これからの旅の予定のこと、自転車のこと、将来の人生のこと、など飽くなき話は遅くまで続き、空にはもうぺガスス座が大きく羽ばたいていた。 |
サロベツ原野
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4:00に起床して、朝飯を食べる。難波君も眠そうだ。朝は昨日の昼よりグッと冷える。関東だと11月くらいの気温ではないだろうか。テントを撤収して出発。両名ともアウトドア−経験は長いので、テントの撤収は早い。起きてから20分で出発することができる。難波君はこれから船で利尻島に渡るとのこと。近くのノシャップ岬でお別れとなった。9月に大学で会うことを約束して、ここからは自分独りの旅となる。 稚内を出てからしばらくして、一直線の道が続くようになった。そして僕の東側には原生林がどこまでも広がっている。『これがあのサロベツ原野か』と感心しながら、自転車を漕ぐ。後ろから来るバイカーにピースサインをされて追い越されると照れる。まだ僕はピースサイン初心者なので、ぎこちない手つきで返すのがやっとだ。ピースサインはじゃんけんのチョキのポーズを人差し指と中指を閉じた状態で、ツーリングをしている人たちの間で行う一種の意思疎通方法だ。『私たちも仲間ですよ、一緒に頑張りましょう』という意味なのだが、発祥の経緯は僕は知らない。一説には明治の屯田兵時代にできたものという説があるが、定かではない。 サロベツ原野を走っていると、キタキツネが車に轢かれてしまったのをよく見る。あの直線を車はゆうに時速100km以上で走っているのだから、キタキツネにとってみればうかつに渡れないだろう。また一部の心無い人たちが餌付けをしてしまうために、キタキツネが道路に近づいてきてしまうとのことでもある。無責任な餌付けはやはりやめた方がいい。一時のかわいいという感情が、実は大きな生態系に悪影響を及ぼすのかもしれない。 |
社会人の方と出会って
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サロベツ原野を越えて天塩までやってきた。ずっと日本海を眺めながら走れる。残念なことに対岸の利尻富士は見えなかったが、昼前にここまで来ることができた。また直線に入ると、前に僕と同じように後ろに荷物を積んで、軽やかに自転車を漕いでいる人がいるではないか。だんだんと距離が近くなって、前の人も僕に気づいたらしく、自転車を降りて待っていてくれた。 「こんにちは。きょうはどこまで行くんです?」 「あーっ、近くに温泉があるって言うんで、そこまで行くんだよ」 僕より年にして5つくらい上だろうか、真面目そうな人だ。名前を伊藤さんといって、千葉県からやってきたということだ。 「いつ頃北海道の方へ来たんですか」 「昨日の昼過ぎだよ。飛行機でね」 「あれっ、もしかして昨日羽田発10分遅れた飛行機ですか?」 「そうだよ」 間違いない、僕と一緒の飛行機に乗っていたのである。多分伊藤さんもお盆で地元に帰る人の中で、浮いてしまった一人なのだろう。 そして、やはり伊藤さんも荷物(自転車)が回る機械で運ばれてこなく困っていた、と言うのである。そんな話をしていたら、二人で気があってきて、しばらくいっしょに走ろうということになった。北海道の広い道に車もほとんど通らないので並んで走る。色んな話をした。伊藤さんの仕事がソーシャルワーカーで、都内の区役所に勤めていること、仕事の厳しさ、縦割り行政の欠点、自転車旅行は年一回必ず行っていること、今回は函館が目標だと言うこと、などなど走っているのを忘れているくらい学生の僕にとって勉強になり、興味のある話ばかりであった。 そんな時間もすぐに過ぎ、伊藤さんとは初山別で別れた。お互いに住所を交換して、僕も佐多岬に着いたら手紙をかくことを約束した。 |
野 営
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17:00を過ぎて、そろそろお腹も減って足もパンパンになってきたので、どこかでテントを張ることにした。苫前というところまでやってきた。どこか人に迷惑にならずにテントを張りたいのだが…。そう思いながらしばらく走ってみると、ちょうどいい海岸があったので、ここに決めた。房総半島では砂浜に幕営してエラい目にあったが、ここは海まで遠いし、高さもかなりあるので大丈夫。すぐに一人用テントの設営にかかる。 運が悪いことに幕営中に雨が降ってきた。それも加速度的に雨粒が大きくなり、急いで自転車にくくりつけてあった荷物を中へ入れる。ようやくテントの中で寝転んだ時には雷雨となっていた。雨粒がテントに弾く音を聞きながら、今日もコンビニのおにぎりを食べる。自炊用のガスとバーナーも持ってきているが、疲れているのだろうか、どうも飯を作る気がしない。結局新潟までずっとこんな調子で自炊はやらなかった。 北海道は日の入りが早い。飯を食べているうちに外は真っ暗となってしまった。波音だけが聞こえる。その心地よいメロディーのためか、日記を書くとすぐに寝袋にくるまり、眠りにはいってしまった。 |
一日中雨
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結局、昨日からの雨は朝になっても止まない。時計のアラームで起きた瞬間にテントを叩く雨の音が聞こえるので、まいってしまった。とはいえ、ここで停滞というわけにもいかず、嫌々ながら外に出てテントを撤収することになった。この時点では万全な防水対策ができていなく、ありあわせのビニール袋で荷物をくるみ、登山用のゴアテックス雨具を着て出発した。 7:00ころに小平町の鬼浜というところに着き、道沿いの地元のおばさんの店でポカリを買って飲んだ。おばさんも早起きで、なぜかもう店もやっている。早朝とあって来る客はさすがに少ないらしく、僕もおばさんの好意に甘えて少し雨宿りをさせてもらうことにした。しばらくとりとめも無い会話をして、快く見送ってくれたおばさんがだんだん小さくなって、また雨に打たれる。サンダルは濡れても大丈夫だが、足が本当に冷たい。 留萌に着いたのが9:00ころ。ここからしばらく海岸ともお別れだ。留萌本線に沿いながら、内陸へはいる。この道はアップダウンがあって、大型車もたくさん通る。土砂を積んだダンプが通る度に顔にまで泥が飛んで、本当に惨めで辛かった。下り坂も晴れていれば楽なのだが、雨だと滑る危険があるのでうかつにスピードを出せない。こんな天気なので、やはり今日はチャリダ−にひとりも会わない。 碧水という交差点までやってきてセブンイレブンで弁当を買って昼食とした。ここでは中学生らしきチャリダー2人組に会い、色々と質問された。素直そうな中学生で、丁寧にお礼の挨拶までされたものだからこっちが緊張してしまった。地図を真剣に見る二人に、雨ごときで嫌気がさしている自分が恥ずかしくなり、またペダルを回し始めた。 一日中降りしきる雨もとうとう夕方になって止み、また今日も幕営地を探すことになる。今日は無人駅の前にした。札沼線の月形駅の前にテントを張って、近くのコンビニで食料を買ってきた。北海道では、無人駅の前にテントを張っても誰も何も言わない。ツーリングをする人には一種の善良説があるみたいで、コンビニの店員さんも笑顔で僕に水をくれたりした。 今日も距離にして146km。毎日150kmペースが続いている。いつか台風が来て予定が狂ってしまうだろうから、今のうちに距離を稼いでおこうとおもいつつ、横になるとすぐに熟睡した。 |
札幌から小樽へ
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昨日の雨が嘘のように、今日はいい天気だ。朝のうちに距離を稼いで、石狩川を越えて札幌に入ってきた。やはり札幌は大きな街だ。早朝なのに行き交うビジネスマンの数も多い。道路の案内にしたがって駅まで行ってみることにした。ここは去年、ハイキングクラブの夏合宿で大雪山に行った帰りに寄ったところだったので、懐かしく感じた。仕事を終えて朝帰りの若い女も多く、いつもとは違った大都市の一風景を見ることができた。休憩もそこそこ、国道5号線をいざ小樽へ。 札幌から小樽へは一度坂を登って峠みたいなところを越す。この坂がなかなか嫌らしく、なだらかながら長い。たが、この長い長い坂を越えると パッ−と海が開けてくる。そして海岸線の向こうには小樽のまちが風景画のようにみることができるのだ。ここからのダウンヒルは最高。隣に走る自動車に負けじ劣らじ、時速60kmでどんどん飛ばす。人が増えてにぎやかになってきたら小樽の中心街だ。 小樽も以前訪れたことがあったので、なつかしい。自転車を押して繁華街を歩いていると、おいしそうなメロンが売っていたので立ち止った。そしたら直ぐにおばさんが声を掛けきて、うまく商いをされて結局5000円のメロンを買って実家に送った。 |
思わぬ出会い
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小樽に別れを告げて、海岸線を順調に走る。あたりではまだ海水浴をやっている人がいて、僕も水を浴びたくなった。そう言えば、ここ3日間風呂に入っていない。とても不潔な生活を送っている。そんな異臭を漂わせているかもしれないのに、昼はサティーの食事コーナーでとることにした。
昼飯を食べながら地図を見て今後の戦略を考えていると、隣の初老の夫婦が「旅をしているんですか?」 あまりの異臭に何か言われるのかな、やばいやばいと思って 「そ、そうです」 「バイクで旅をしているのですか?」 「いえ、自転車です…」 「自転車でどちらまでいかれる予定なのですか?」 「一応、九州の方まで…」 「わぁ、素晴らしい。すごいですね、九州までですか、素敵!」 「そ、そうですか」 と予想外の展開はまだ続く。 「国道5号線を行くのならば、私のところに寄って下さい。お茶でも飲みましょう。」 「えっ、あっ、まぁ、それでは寄らせていただきます」 そんな思いもかけぬところで声をかけられて、とまどっている僕にご主人が名刺を渡してくださり、後で伺うこととなった。 さて、サティーを出て海岸沿いを走っているとアスファルトの照り返しがきつい。おまけに倶知安峠は本当にきつい。ギアを一番軽くして、なるべく同じペースで漕ぐようにした。峠を越えるときれいな円錐形をした後方羊蹄山が見えてくる。峠は登りきるとダウンヒルの楽しみが待っている。しばしダウンヒルを下ると、もう倶知安の町へ入ってきた。先ほどもらった名刺の住所を訪ねて、それらしき家に着いた。酒屋さんだ。 「こんにちは、先ほど余市のサティーでお声を掛けていただいたものですが。」 と言うやいなや、奥の方から先ほどの夫婦が飛んできて 「ようこそようこそ、峠はきつかったでしょう。どうぞゆっくり休んでいってくださいね。」 と親切にお茶とお菓子を出してくれた。その方のお名前は本間さんとおっしゃって、倶知安町の町会議員でいらっしゃるのだ。そんなこととは露知らず、臭いイデタチで長い時間お世話になった。本間さんが僕と同じように大学時代に色々な経験をして、それが現在とても役にたっていること、僕の母校にも知り合いがいること、日本縦断をしている僕に大変興味があること、など話は尽きない。そして最後には同居されている息子さん夫婦とお孫さんまで出てきてくれて、僕の旅の成功を祈ってくれた。 本間さん一家から『途中でお腹がすいたら食べてください』ということで美味しいカマボコをいただき、それを自転車の荷台にくくりつけて出発することとなった。僕が見えなくなるまで手を振ってくださったご家族に本当にお礼申し上げます。 (ちなみに、本間さんはご丁寧に年賀状まで下さり、その旅人を大切にする人情にはただただ感謝するばかりです。) |
ニセコ高校の裏にて
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温かいおもてなしで気分も軽く、羊蹄山を見ながら走ってゆく。日本でも2つしかないカタカナの町ニセコに入ると、お腹も減ってきたので今日の幕営地を探した。その前にコープみたいなところで食料を買って、適当な場所を探す。といっても大きな川とかがあるわけでもなく、町の中を探すがなかなか見つからない。と困り果てた僕に 『そういえば今は学校が休みだな。学校の敷地にテントを張れば水もあるし、トイレもあるのでいいな』 と悪巧みが働き、気づくと学校を探している自分があった。 で見つかったのが道立ニセコ高校。今になっては大変失礼なことをしたが、体育館の裏にてテントを張らせてもらった。ありがとうございました。 |
4日ぶりのお風呂
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ニセコから黒松内の道は結構アップダウンがある。峠を越える度に昨日いただいたカマボコを食べて、精をつける。黒松内からは緩やかなダウンでまた海が見えてきた。こんどは太平洋だ。うれしくてペダルを漕ぐ足も活性化する。そして念願のお風呂にありつけた。国道沿いに温泉があったので迷わず駆け込んだ。久しぶりのお風呂は本当に一皮向けたようだ。体重計に乗ってみると、なんと当初より6kg減。 すっきりして、また走り出すと長万部に出た。国道5号線は大渋滞。ここのあたりは抜け道がなく、片側一車線だからこむらしい。大きなドライブインを何件も見ながら順調に走る。途中、車道の一番端っこのくぼみに車輪をとられ、転んでしまいヒヤッとした場面もあったが、昼に八雲までやってきた。
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好青年川村さん
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八雲のダイエーで昼飯を食べていると、一人の青年が声をかけてきた。 「こんにちは。外に置いてあった自転車の方ですか?」 「あっ、ハイ、そうです」 「僕も自転車で旅しています。よければ一緒に昼飯食べませんか?」 と言って、爽やかに笑いながら僕の前に座ってきた。 色々話していくと、僕より年は2歳上で、N大学の法学部の学生である。名前を川村さんという。大学ではサイクリング部に所属していて、北海道で合宿をしてその帰りに独りで旅をしているということだった。卒業後は司法試験を受けて、弁護士を目指しているという、志高い青年だ。 僕も籍だけは法学部に置かせてもらっているので、話が合った。ということで大沼公園まで一緒に行くことにした。 八雲から森までは一本で行った。川村さんと先頭を交代しながら、うまく風の抵抗を避けていく。時速は平均30km。かなり早いスピードだ。 森まで行くと、僕の自転車の調子が思わしくなくなった。リムが曲がってしまったのだ。 「自転車屋があれば、俺が道具を借りて直せるよ」 とサイクリング部の川村さんが言ってくれ、二人で町の自転車屋を探す。と30分くらいでやっとみつかり、ご主人も気兼ねなく工具を貸してくれた。そこですぐに修理は終わり、クロスロードは元気になった。 ここから大沼公園まではもうすぐ。ふたりで休みながら坂を登り、広大な大沼公園に着いたのが18:00。もうあたりは暗い。温泉があるというのでテントを張って自転車で向かう。今日2回目の温泉だ。テントに戻ってきて、倒木に腰掛けてビールで乾杯した。話は尽きず、いつテントに帰って寝たのか覚えていない。二人で『青春してるんだ』という気分でまっ暗な中、ヘッドランプをつけて楽しい時間を過ごした。 |
チューブ交換
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親しくなった友と別れるのはいつも寂しい。川村さんとも大沼公園駅にて別れることになり、僕は辛い気持ちを振り切って後ろを振り向かずにスピードを上げた。坂を登って振り返ると、線路に列車がやってきた。 「さよなら、さよなら、また会いましょう」 と川村さんの乗っている列車に手を振ると、遠くの駒ケ岳が僕を励ましてくれるかのように晴れあがった。 函館へはひとつ峠をこえることになる。長い坂を登るうちに僕のクロスロード号がガタガタいいだした。『なんだろう、リムは昨日調整したし…』 と泊まって調べてみると、とうとうパンクしてしまっていた。『やばい!』と思いつつも、タイヤをはずしてパンク修理を始める。ところが、チューブの穴は異様に大きく、僕の持ち合わせの工具ではどうやら直らないだろという結論に達した。『こうなれば、チューブを交換しよう』と思い、自転車屋を探す。本当はチューブの予備くらいもってくるのがチャリダ−の常識なのだが、僕はこのとき持っていなかった。 峠の途中で自転車屋があったので、これで大丈夫と安心して店に入る。 「えっと、自転車の調子が悪くて、チューブを交換したいのですが…」 「あーい、で、自転車は何インチだい?」 「確か27.5インチだと思います。」 「うっつー、そのサイズはうちではないんだよ。最近出てきたやつだからなーっ、悪いねぇ。」 「えっ、ないんですか?まいったな。うーん、どうしよぅ」 「……そうだ、函館の明邦商店というところにはあると思うよ。あそこは在庫多いからね」 「あっ、そうなんですか、そこまではどんくらいですか」 「そうだな、1時間くらいかな。」 ということで、結局1時間あまり自転車を押すことになったのである。途中ではパンクしているのに自転車に乗って走ったりした。随分と乱暴な扱いをしたものだ。 さて、やっとのことで函館の街に入り、その明邦商店に着いた。店のご主人はとても親切な方で、すぐにチューブをだして修理をしてくれた。確か何かの表彰状に○○邦明殿と記されていたので、名前から店名をとったのだろう。店を出るときにご主人から、 「頑張ってね。頑張ってね。」 と笑顔で送られたのを忘れない。いつかまた訪ねてみたいと思う。 |
北海道脱出
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自転車も直り、いよいよフェリーに乗ることになった。チケットを買って、出航を待つ。女性一人でツーリングしていたJ大学サイクリング部の赤松さんという方と待合室で話をしたりしながら、すぐに予定時刻がやってきた。自転車はフェリーの中へは解体せずに入ることができる。自動車が列をなして格納されるのを待っている先頭で、まず自転車がフェリーに入る。緩やかな傾斜のある板をコトコト渡り、大きな船内に一番で入るのは気持ちいい。自転車はゴムチューブできつく固定され、僕は階段を伝い甲板に登った。ユラユラと一定のリズムでゆれる船内からは函館山が見え、手元にあった北海道の地図を見て、自信と達成感で一杯になった。そんな僕を後押しするかのように、真後ろで汽笛の轟音がなり、錨がはずされいざ出航。潮風が日焼けした肌に快くあたり、北海道に別れを告げた。 |