香港といえば「映画」というのが、今も以前も変わらぬイメージでしょうか。
地下鉄の窓越しに見えるのは映画のポスターです。今となっては結構レトロな感じがします。
おじさんが呼んでいる「東亜日報」は、かつて一番売れていた新聞ですが、今では一位の座は新らしく創刊された「林檎新聞」にとって代わられてしまいました。
ちなみに、地下鉄の座席はスチールのむき出しで、ひんやりとしているのは、暖かい香港ではまあいいのですが、加速、ブレーキの度に左右に滑るのが困ったもんです。
一説によると、座席の余分なスペースをなくして、一人でも多く腰掛けられるように、そうなっているそうです。
個人的な見解としては、掃除が楽だからでしょう。結構みんな汚しそうだから。 |
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次に歩いていて目立つのは、携帯電話でしょう。これは、今も昔も変わりません。この写真は6年ほど前の写真なので、携帯も結構でかい。今は日本と変わらず小型化されてます。
これだけ多くの人が持っているのに、町中ではまだまだ「携帯電話販売店」が多くて、どこも結構込んでます。どこまで増え続けるのでしょうか。
ふつうの電話は日本と違い、基本料金さえ払えば市内電話はかけ放題なので、昔かたぎのお店では店頭に電話を置いて、通りがかりの人に使わせてくれます。だから公衆電話を使う人はあまり見かけません。
今回は、10香港ドルを入れてかける、日本でいうところの「ピンク電話」(でも色は黄色)が店先に目立ちました。ちょっと世知辛くなったのかな。
携帯電話に話を戻すと、これが地下鉄の車内でも使えるのでびっくり。路線も少ないことだし、地下鉄会社のサービスかもしれません。日本では「車内では使用自粛」になっているのに、えらい違いです。香港人に「車内では使うな」といったら「ばかなこというな」と言うだろうな、きっと。 |
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この写真は、香港島の南側、海上レストランで有名な「香港仔(アバディーン)」です。 町中から屋台もへり、右の写真のように船に住む人たちも少なくなってきました。
昔入った「九龍城砦」もなくなってしまったし、だんだんと「きれい」になっていくようです。
そういえば「赤信号でもわたろうとしたら、香港人に制止された」とびっくりしていた現地駐在日本人もいました。以前なら考えられません。
「返還」ということとは関係なく、香港も「近代化」していくのでしょうか。
とはいえ、今回も、、、。
早朝、ビルの上から写真を撮ろうとして階段を上っていたら、使い捨ての注射器が落ちていてびっくり。ふと前を見ると踊り場で寝ている人がいた。起こしたらなにをされるかと考えたら怖くなって、シャッターも切らずに逃げてきてしまった。やっぱ、ディープな部分はそのままのようです。
ちなみに、その場所は「天廟街」です。
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以前、「深水歩」にあったベトナム難民キャンプへ行ったことがあります。まだ難民がたくさん押し寄せている頃で、とりあえず収容して、対応をまだ考えられない頃のことです。
でも、アメリカの親戚からの手紙や荷物なども結構届いていて、彼らのネットワークの広さを感じさせられました。その何年か後ベトナムに行くことがあって、彼らのしたたかさは改めて、身にしみて痛感させられました。
「収容所」と言っても悲壮感はなくて、あっけらかんとしていた。旅行の途中で大きな峠をとりあえず越えて、ちょっと一休み、ってなかんじでした。届けを出せば外出も自由だったと思う。
香港人も「難民」としてきた人も多いだろうし、「よそもの」として扱っていない気がしました。
現在は町中でベトナム料理屋もめだちます。根付く人は香港に根付き、アメリカを目指した人もあり、ベトナムへ再び帰っていった人もいるのでしょう。もちろん、この収容所は今はもうありません。 |
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