かつてはそうしたジャリのみが音楽を演奏し、歌を歌っていた。ほかの家系のものが演奏したりすることは「卑しいこと」とされ、結婚も同じ家系のもの同士しかしなかった。ちょっと「差別」された存在なのだが、彼らの機嫌を損ねると、先祖の恥とかを人前で歌われてしまったり、極端なときには呪いの歌を歌われることもあった。彼らの言葉には「力」(あるいは呪術)があるとされているので、機嫌を損ねるわけにはいかない。そればかりか、王の代理として交渉にのぞむこともあり、中には敵方の気を損ね殺されてしまうものもいたという。そこまでいくと「影武者」のような存在でもある。
「王」に限らず、そこそこの家系のものにはそれぞれ専属のグリオの家系があって、歴代たたえられ、たたえる関係なのだそうだ。
かつては彼らだけが演奏し歌っていた。戦後(=独立後)はそうした「壁」もなくなり、かつての王家のものでも、歌っていたりすることもある。それもまた時代の波。そして「歩く図書館」のようなジャリも少なくなっているようだ。
そのジャリと現在の音楽シーンについて、僕たちがアフリカに行ったり、日本で演奏や歌を習ったり、本を読んだりする中から見聞きしたことを書いたのが、この連載です。
以下の文は、97年5月から8月まで、月刊ラティーナに連載されました。
画像つき(ちょっと重いかもしれません)
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その同じ日に、ライブスペース”オゴン”ではコラフォラ(コラ演奏の達人)トゥマニ・ジャバテのライブがあった。大晦日のこの日は、最近各国でのコンサートで共演している歌手のカッセ・マディ・ジャバテや、最新CDで共演しているバラフォンのケレティギ・ジャバテを始めとする客演も交えた、いかにも彼らしい多様なメンバー構成であった。これら総勢10名ほどによる息のあったアンサンブルがこの日の聴き所だった。
クラブという場所柄、演奏はハウスバンド的な色彩が強いが、演奏された曲目は彼のオリジナルを中心に、古い伝統曲、他の人のヒット曲などバラエティに富んでいる。トゥマニはケレティギのバラフォンや若いンゴニ奏者の音を前面に出したり、デンマーク人のベースとからんだり、カッセ・マディに思う存分歌わせたりと、他の演奏者との共演を楽しんでいる様子がうかがえた。そのかわり、いざ自分がリードをとる場面ともなれば、切れ味の鋭いソロを延々と弾いて止まらない。
たまに、カッセ・マディたち歌手が客席の誰かのことを歌い出し、お定まりのグリオの伝統である誉め歌が始まる。慣習として歌われた相手はいくらかの金を渡さなければならず、誉められた本人にとっては半分うれしく半分迷惑という感じ。そして、よくあるのが恋人のことを誉めてもらうために、男性が金を出して彼女の誉め歌を歌ってもらうパターン。バマコの男性も大変である。
その誉め歌の中に突然ウム・サンガレの名がでてきて驚いた。彼女はマリで今はやりのワスルー音楽の歌手の第一人者だ。それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いのこの人もトゥマニの演奏を聴きに来ていたのだった。
こうして4時間以上、期待に違わない熱演を繰り広げてくれたライブが終わった。すでに夜中の3時過ぎ。踊り疲れ、耳も心地よく疲れ果て、年越しライブの余韻をかみしめながら、宿に向かって元旦の一歩を踏み出したのだった。
風のように去っていった男
グリオの祭りの地、カンガバ
一番古くて新しいバンド
独立の熱狂の時代
再びコンサートで