第3回 グリオ達の現在
歌うグリオたち
グリオの祭りの地、カンガバ
人生の節目の行事には欠かせないグリオだけに、その数は多く、国中に住んでいると言ってもいい。しかし、その中でもミュージシャンとしても認められ活躍する人たちは、たくさんいるわけではない。そうした世に知られるグリオを多く生み出した地としては、前回紹介したギニアのカンカンも有名だが、マリの中ではカンガバ、及びその近郊にあるケラが代表的だ。
マリ、ギニア国境の一帯は遠い昔にマリ帝国の中心地として栄えた場所で、マリンケ(サリフ・ケイタと同じ民族)のグリオのメッカである。そのなかでもカンガバは、マリとギニアを結ぶ街道筋にある歴史のある町だ。バマコからの乗合タクシーが町にさしかかると、それまでの乾いて赤茶けた道路が続いた風景が、大木が林立する気持ちのよい町並みに変わる。極端に大きな建物もなく、家々はゆったりと建っていて、人々の姿もまばら、長い歴史を生きてきた町独特の優雅なたたずまいである。
この町は、数年に一度だけ開かれるグリオの祭りが行われる地としても名高い。高名なグリオも多く集まり、この祭りでなければ聴くことのできない歌もある。グリオの語りには欠かせないマリ帝国建国の物語である、「スンジャータ物語」の完全版が演じられると言うのだ。現在ではそれを知るグリオも、そう多くはいないはずである。ちょうど今年の6月がその年にあたり、きっと多くの研究者が訪れたことと思う。もっとも、祭りそのものは部外者が伺い知ることはできず、ただ、練習風景を眺めることができるだけ、という話だ。
ここはまた、伝説のグリオ、シラモリ・ジャバテの故郷としても有名である。盲目の女性グリオであったシラモリの歌声は、現在、ただ1本のカセットでしか聴くことができない。昨年出されたマリ音楽のコンピュレーションのタイトルに、その名前が使われていたように、彼女はマリを代表するグリオであった。録音技術の普及により、グリオが伝統を継承する存在であるとともに、マリの大衆音楽の「ミュージシャン」となった第一世代の代表といえるだろう。彼女のような古きよき時代のグリオたちの歌声が、復刻盤としてどんどん聴けたらよいのだが・・・。80年代に亡くなった彼女は、現在カンガバの地にひっそりと眠っている。
グリオたちの生活
近郊のケラは、カッセ・マディ・ジャバテら多くのグリオの出身地として有名だ。一見したところ、マリの中にどこでもあるふつうの村で、村人の中のグリオの家の人々も普段は畑を耕し、牛を飼い、日々の生活を営んでいる。行事やコンサートがあると歌を歌い、楽器を演奏する以外は、他の農民と変わるところはない。とは言っても、朝の食事の支度などしながら、突如誰かが歌い出したり、踊りだしたりと、さすがグリオと思わせる瞬間があるのは確かだ。この村に住むグリオたちの奏でる音は「AN BE KELEN」というCDによって、私たちも耳にすることができる。
カッセ・マディは、CDを2枚リリースしており、日本でも名の知れたマリのグリオの一人だが、現在、その活動の中心はパリであり、バマコや故郷のケラに戻るのは年に数度のようである。
彼のようにミュージシャンとして成功したいと願うものは皆、バマコ、そしてパリへと、村を後に旅だっていくのだろうか。パリを拠点に活躍するグリオたちは多いが、一部のスターを除いて、彼らの主な活動の場所は小さなライブハウスや、アフリカ人の主催する週末ごとのローカルなライブというのが現状のようだ。実状は結構厳しいようだ。
さて、バマコでカッセ・マディーが住みかとしている地区には、そのほかにも多くのミュージシャンが住んでいる。その中の一人に、サリフ・ケイタのプロデュースでCDを出したこともある、サヌゲ・クヤテがいる。彼女はミュージシャンとしての活動だけでなく、こわれればグリオとして、今でも結婚式などで歌っている。地位の高いパトロンもいるようで、バマコの町を車で駆け回り、羽振りもいい。ということは当然周りに群がる人も多いと言うことで、夕食時に訪れると、20名ほどの客人が食事前のお祈りをしていたりして、びっくりするときもある。
彼らの歌は基本的にほめ歌だということは、前回紹介したとおりである。歴史上の偉人を誉め称える伝統を少し変え、社会的に成功した人を誉めたり、時の人を歌い上げたりというパターンが多い。グリオの場合、いくつかの定番となった誉め歌のフレーズというものがあるので、途中で耳慣れたフレーズが出てくると、またやっているなとすぐに気づくくらいだ。僕らのような外国人でさえそうなので、地元の人も、こうした誉め歌の連続には閉口する人もいるようだ。
現地でも、若い人の趣味は少しずつ変わってきているようで、現在、最も流行っている歌手のウム・サンガレは、マリの西南部のワスルー地方出身だが、その音楽はグリオの伝統とは違う地平から始まっている。
失われつつある伝統
かつて、人前で音楽を演奏するのはグリオしか考えられなかった。もちろん、そのような状況の中でグリオ以外の人々が音楽の勉強をする機会もなかった訳だ。しかし、アフリカ諸国は独立後に、各国とも民族主義を鼓舞するために、伝統技能、とりわけ音楽の振興に力を入れた。詳しくは次回紹介する予定だが、ギニアは国を挙げてそうした芸能教育を徹底的に行った。その様子は、まるで軍隊のようだったという。
マリでは国が主催した「青少年芸術文化ビエンナーレ(音楽コンクール)」などの音楽イベントが行われた。こうした国策の成果で、ポピュラーミュージックも台頭し、ミュージシャン=成功者という図式も現れてきた。今でも国立放送局は、若手のミュージシャンを発掘しようと各種コンテストを催しているし、国立芸術学校のような音楽を教える機関も整いつつある。
こうした中、現在の若者の音楽演奏に対する抵抗感はかなり薄れたように見える。勿論、中には根強い偏見が残ってはいるのだろうが、徐々に音楽はグリオだけのものから離れつつあるようだ。そして、同時にグリオにも変化が起きている。帝国の昔から脈々と受け継がれてきた歴史を自在に語ることができる「語り」のグリオは減り、流行歌手としてのグリオが増えている。グリオの中でも本格的な語りができるグリオはごくわずかだという。今生きている「語り」ができるグリオ達が亡くなってしまったら、彼らの持っている膨大な歴史の蓄積は消えてしまうのだろうか。これが、時代の流れとはいえ、どうにかして後世に残していただきたいと思う。冒頭に書いたカンガバのお祭りとは、このような「歴史語り」のグリオが集まり、その伝統の集大成に触れられる貴重な機会だったのだ。
数年後再び行われる祭りの時には、なにが変わり、なにが残されているか、是非自分の目と耳で確かめたいと思っている。