僕はその時その時によっていろいろな音楽を聴く。一年を通して聴いているものもあれば、特定の時期にすごく集中して聴くもののある。特定の時期に聴いた音楽を聴くと、僕はその時の情景を鮮明に思いだすことが出来る。それがとても不思議でたまらない。
1998年は僕の人生の中で最も狂った年だった。あの夏のことを、僕はほとんど思いだすことすら出来ない。いろいろなことが僕に襲いかかった。あのときに自分が書いたメールを読み返す勇気すらない。その秋は、いろいろな人にメールを書いた。今ではとても書けないような文章を一杯書いて送った。普段、自分自身に心の障壁を作り出して、誰にも触れさせようとしなかった僕が、相手の核心にも触れない代わりに自分自身に絶対に触れさせることなく人生を送ってきた僕が、初めて自分自身を吐露したと言える。そう、あの秋僕は狂っていた。今まで経験したことが無いぐらいに。自分の未来なんて何もなかった。だけど死ぬ勇気なんかはもっと無かった。「覚悟の価値」も何もかも見失っていた。そして、揚げ句の果てにいろんな人に多大な迷惑を与えた。大迷惑だ。サイテーだった。が、他人に迷惑を与えなければならないほど僕の心は荒れていた。
サニーデイに出会ったのはそんなときだった。自分の心を象徴するかのような、重くて暗い曲に、僕は傾倒していった。今でもあの秋を思い出すたびに僕は懐かしくもとてつもなく恥ずかしく、かつおぞましく思う。
年も明けて1999年、僕はようやく自分自身を取り返すことが徐々に出来つつあった。自分を保護する壁を再び構築しつつあった。試験に合格するという目標を再び掲げ、僕の1999年はスタートした。
Bonnie pinkはそんな1999年の冬の寒い中、勉強をしながら聴いた。何度も何度も繰り返して聴いた。雪の降りしきる日にドライブに出かけたときに聴いた。僕にとって、Bonnie pinkはそういうイメージだ。二月の寒い日を思い出す。僕の未来は未だ全然未定だった。が、やらなければならないことは決まっていた。目標は定まっていたのだ。後はそれに向かって邁進するだけだった。
サニーデイの「MUGEN」は、99年の秋だった。将来が定まらず、精神的にとても不安定な時期だった。暮れ行く秋と共に、募る焦りと絶望感が、僕の中で思いだされる。ライブに行って以来、全く聴いていなかったMUGENをこの前聴くと、あの時の僕が思いだされる。今は、とても落ち着いた気持ちで、このアルバムを聴くことが出来た。あの時の僕は、1昨年ほどではないが、不安定だった。現在は、この「MUGEN」に流れる美しいメロディを素直に受け止めることが出来るが、当時の僕にとって、「MUGEN」の世界は痛々しいほど美しすぎたのかもしれない。
こうして僕は1900年代の終わりを過ごした。雌伏の時と呼ぶには、あまりにも暗く、重たいときであった。この時期の僕は、酷く混乱していた。自分が何をやっていたかを、思い出せない時期でもある。僕にとって、空白の時間だった。それが僕にとって貴重な経験となりうるか、それともそうでないかは、これからの僕にかかっていることだろう。