百人一首
各歌の解釈は、田辺聖子の「小倉百人一首」をベースにしました。(少々書き加えしている個所もあります)
みちのくの しのぶもぢずり たれ故に
乱れそめにし われならなくに 河原左大臣
<陸奥の 信夫の里の名産品 信夫もじずり
もじずりの衣の模様は おどろに乱れていますが
私のこころも それに似て あやしく 乱れ初めました
たれゆえと 思います
あなたゆえではありませんか
あなたのために 自分が自分でなくなったかのように
心を乱した この私ではありませんか>
河原左大臣は名を源融と言い、嵯峨天皇の皇子であったが、臣籍に下って源姓を賜った。
血筋がいい上に才能もあり、左大臣まで出世した。当代一流の文化人でもあった。
そんな、一流のオトコが、翻弄されている姿は、正直、「カワイイ」のひとことと言える。
例えていうなら、「ガラスの仮面」における、速水真澄氏の北島マヤに対する思いであろうか?
「誰のせいでもなく、あなたのために、私の心は乱れに乱れてしまったんだよ」という想い。
分かる、分かるよ、その気持ち。
こういう気持ちは千年前でも今でも変わらないものらしい。
皆さんもないですか? こういう「自分が自分でなくなるぐらい心が乱れる」こと。
圧倒的に片想いで、なのに相手は全く、気付いてくれないこと。
考えようによっては、今はやりの歌の歌詞も、原点をたどればここから来るのかもしれない。
それだけの気持ちが、この31文字には詰まっていると思う。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ 崇徳院
<ほとばしる急流 滝の早瀬は岩にせかれ
しぶきをあげて二つにわかれる
その早瀬が またひとつに合流するように
ぼくときみも 今は裂かれて離ればなれになったとしても
必ず再会して この恋を貫くつもりだよ>
百人一首において、僕が最も好きな歌のひとつがこれです。
高校の授業で習ったときから、好きになりました。
昔高校でも習ったハズ。「瀬をはやみ」の「み」は、「〜だから」という意味を表す助詞だってね。
ロマンティスト・テイストをすごく刺激される歌です。特に下の句が。
離ればなれになる恋人達が、再会を約束しあったときに、
「われても末に、あはんとぞ思ふ」
なんてさっと出てきたら、さぞかし素敵でしょうね。
崇徳院は、どういうシチュエーションで、この歌を読んだんでしょうか。
果たして、院はこの恋を成就できたのでしょうか?
非常に気になりますが、残念なことに定かではありません。
後に保元の乱を起こしたものの、戦いに破れて讃岐で憤懣やる方なき生涯を終えた崇徳院。
波乱に満ちた生涯でありました。
そんな生涯において、こういう美しい恋をした時期もあったんですね。
そう思うと、人の運命ってなんて儚いんだろうって、思ってしまいます。
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする 式子内親王
<わが命よ
絶えるならいっそ絶えてしまえ
このまま生きながらえていたら
秘めた恋を押しかくす気持ちが
これ以上堪えきれずに弱まるかもしれないから>
百人一首の中でも一・二を争う人気のある歌。 他の人には絶対に漏らせない恋、それが一層、彼女を激情に駆り立たせる。式子内親王の、それこそ命を削った恋の歌である。
何故、ここまで「秘め」なければならない恋だったのだろうか。答えは彼女の身分にある。
今もそうかもしれないが、当時は、皇女が自由な恋愛をすることはおおよそ許されない時代だった。
彼女の恋の相手は、百人一首の選者として有名な藤原定家である。
定家の父、藤原俊成が、式子内親王の和歌の先生だったのだ。
お互いの歌の才能に対する敬意が、そのまま思慕に移行していったとしても全然不思議なことではない。
しかし、いくら互いに惹かれあっても、 皇女の恋が許されるはずもない。
あくまで、それは「忍ぶる恋」でなければならなかったのだ。その想いが、この歌に秘められている。
皆さんは、
命を削った恋をしたことがありますか?
身を切られるような切なさに全身をおおわれたことはありますか?
そんな激情の炎に身を任せたことはありますか?
この式子内親王の魂の叫びは、現代に通ずるものがあります。
情熱的な歌人として有名な与謝野晶子が、式子内親王に傾倒したというのも頷けますね。