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アウグスト・ピノチェト軍事政権下の人権侵害に関するピノチェトの起訴は大きな進展をみせた。しかし、1974年の「失踪」事件に関与した元秘密情報部員5人を無罪とするために、1978年の恩赦法が利用された。劣悪最低な刑務所の設備をめぐる争いで、囚人たちが負傷した。
背景
12月の大統領選で勝利を収めた候補はいなかった。この選挙で最多得票を得た民主連合のミチェル・バシュレとチリ同盟のセバスチャン・ピニェーラの二人の候補が2006年初頭に第二回決戦投票に臨む。
軍事政権下(1973-90)に制定された1980年憲法をこの8月に議会が修正し、「指名」上院議員の任命と、他の上院議員に終身の任期を与える条項が撤廃された。また、この修正憲法により、チリが国際刑事裁判所規程を批准する道が開かれたが、2005年時点ではまだ批准に至っていない。6月、チリは拷問等禁止条約の選択議定書に署名した。
11月、アルベルト・フジモリ元ペルー大統領がサンティアゴで逮捕され、汚職と人権侵害の容疑によるペルーの引き渡し要求を控え、予防拘禁された。
刑務所での虐待
過密収容や医療の欠如、非衛生的環境、貧弱な基本設備などに依然として被拘禁者は苦しめられている。3月、サンティアゴ・スルの拘禁施設(元刑務所)で寝場所の確保をめぐり騒動となり、被拘禁者30人が負傷した。76人を収容するように設計された場所に400人もを詰め込む超過密状態で、被拘禁者のうち120人は屋外で眠らざるをえない状況だった。
過去の人権侵害
1月、最高裁判所は、2004年12月に行なわれたアウグスト・ピノチェトへの起訴と自宅拘禁を支持した。これは「コンドル作戦」の過程で起きた誘拐9件と殺人1件についての起訴だった。コンドル作戦は、1970年代から80年代にかけて反対勢力を一掃するために、南米の一部の軍事政権と共謀して展開した軍事行動である。しかし6月、ピノチェトは病気のため誘拐と殺人の審理に耐えられないとサンティアゴ控訴裁判所は裁定した。一方、同じ裁判所が、脱税その他の経済犯罪の嫌疑での起訴手続きは続行可能という裁定を下している。11月には、ピノチェトは起訴され自宅拘禁命令を受けた。このときの元大統領に対する訴因としては、「コロンボ作戦」における1975年の119人の謀殺と15人の「失踪」が挙げられる。他には殺人、拷問、誘拐、資金洗浄、脱税、文書偽造などが含まれている。すべての法的障害を乗り越えて、チリの検察がピノチェトの起訴に成功したのはこれが初めてである。
1月、最高裁は、軍事政権が行なった「失踪」、その他の人権侵害の司法調査に6カ月の期限を設けたが、5月、その決定を保留した。これによって、150件以上にのぼる人権侵害の調査が続行可能となった。
6月、1974年に起きたダイアナ・アロン・シヴィジルスキー「失踪」事件に関与した5人の元秘密情報部員が1978年恩赦法に基づいて無罪となった。国際法におけるチリの責務に反しているにもかかわらず、この恩赦法は軍令で導入されたままいまだに有効で、被告を免責するために利用された。
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