過去の雑感(ハッとした言葉の過去ログ)2006年12月11日〜2007年12月21日

今週のハッとした言葉15 投稿日:2007/12/21(Fri) 荻野 敏(国府病院)
「宿命の敵=おとなの自分」(絵本作家 荒井良二)

NHK総合 プロフェッショナル仕事の流儀 2007年12月11日(火)PM10時放送

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絵本作家の荒井さんの生活は、どことなくボーダー(境界)の香りが漂う日常だ。朝、起きてきてすることは、台所などに置かれているポットや冷蔵庫に挨拶をすること。時々話しかけてくるそうだ。そのポットや冷蔵庫には目や口が描かれている。確かにそういわれてみると、人格を持っていそうな「もの」たちだ。
そんな荒井さんの描く絵本は、番組でも紹介されていたが、とてもおとなが描く絵とは思えない。どうみても、幼稚園の子供が描くような絵。おとなが描こうとしても無理ではないかと思われる、ほぼ落書きの絵である。荒井さんの原点は、初めて絵本を描いたときの挫折だそうだ。描こうとしてもどうしても見たことあるような絵本にしかならない。「人を喜ばす絵ではなく子供のときの自分を喜ばす絵を描こう、それなら描ける」と思ったそうだ。

確かに子供のころは、いろいろなものがいろいろなものに見えた。そんな経験ありませんか?壁のしみが人の顔に見えるというパレイドリア。そんなものの連続だった。僕は箪笥の木目が人に見えたり、トイレのタイルが人に見えたりしていた。そういえば、思い返せばそんなことたくさんあった。確かに僕の娘も、石を見つけて突然名前をつけたり、雲を見て○○に見えると喜んだりしている。僕にはそう見えないけど、子供にはそう見える。名前をつけるときなどはまったく意味不明の音韻の羅列をして「この石は#%△&!○?@+って言う名前だよ」。不思議。

川原の拾った石が動物や人ではなく単なる石になったのはいつのころだろうか。それが、おとななんだろう。「これは石」という強烈な知識・概念が「これは○○」ということを妨害する。「そんなことを言っては恥ずかしい」「笑われる」「そんなものに見えるわけない」さまざまなおとなの自分が妨害するのだ。一つの現象を、まったく違う感覚モダリティで表現すること。これが現象学的な意識であるとするならば、荒井さんの取り組んでいる手法はまさに現象学的絵本作画法。何かを描こうとするのではなく、なんとなく筆を走らせる。指も使うし、直接絵の具のチューブを塗りたくる。なんとなくあるものに見え始めたら、そんなわけがないと、さらに上から塗りかさねる。何かを描こうとするとおとなの自分が出てくるそうだ。出来上がった絵は、おとなでは理解不能でもそこには子供の内面の世界が広がる、まったく奇想天外な登場人物たち。子供は荒井さんの絵本を食い入るようにみる。大声で笑う、これは○○だよと突っ込みを入れる。こどものころ、絵を描くのは好きだった。体育の授業で座っていても地面に絵を描いていた。別段絵がうまいわけではないが、そういえば、絵は好きだった。なぜなんだろう、なぜ子供は絵が好きなのだろう、なぜ子供は絵を描くことが楽しいのだろう。そしてなぜ絵を描かなくなったのだろう。

現象学的言語を引き出すことの難しさ。そこにはおとなの自分が存在するという難しさがある。患者もおとな。当然、「そんなことを言っては恥ずかしい」「笑われる」「そんなものに見えるわけない」とおとなの自分が拒否をする。すると視覚的に見える部分つまり視覚的イメージの表現をする、それが無難だから。それは「世界知」だからよほどその視覚的イメージをはずすことはなく、セラピストから「そんなことを言っては恥ずかしい」「笑われる」「そんなものに見えるわけない」といわれることはない、と患者は思うからなのかもしれない。でも僕らは視覚的イメージではなく現象学的なイメージを引き出したい。引き出すためには子供のころの感性を引き出さないといけないのかもしれない。

なるほど、「宿命の敵=おとなの自分」か。これは深い。
年末年始の休暇で、ひとつ荒井さんの絵本でも買ってみようか。
今週のハッとした言葉14 投稿日:2007/12/08(Sat) 荻野 敏(国府病院)
ネヴィル・マリナー(指揮者)

ブラームスの交響曲は本当に難しいですね。モントゥーが死の直前に息子にこう言ったそうです。「天国に行ったらブラームスの交響曲の演奏についてブラームスに謝らなければならない」。指揮者であれば皆同じように感じています。作曲家の意図に忠実であろうとしてもそれがどれだけ正しいのか、絶対的な自信を持つ指揮者はいないでしょう。音楽家なら平凡な人生は送れません。演奏しているときは激しい感情の起伏を味わい、演奏を離れると「グレーゾーン」で音楽のことを考え続けます。音楽家は必ず結果を得ることが出来ます。演奏の良し悪しとは別に自己を表現し、最善を尽くして演奏することで「このために生まれてきたのだ」と実感できるのです。

2007年12月2日NHK放送N響アワーより
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先週のN響アワーはネヴィル・マリナーという指揮者が登場。ブラームスの交響曲第4番ホ短調を演奏した。激しい旋律と美しいメロディーにしばし気を取られ、第1楽章から第4楽章まで、まるで耳からオーケストラがゆっくりと心地よく流れていくような時を過ごした。夏の日差しの中で流れる小川のせせらぎと激しい滝の様だった。そして番組中にそのネヴィル・マリナーのインタビューも放送された。上記の言葉はそのインタビューの一部。ブラームス・モントゥー・マリナーという指揮者というか師弟の系譜があるようで、そのことを紹介をしていた。

この言葉には2つのハッとさせられた部分があった。一つは、果たして自分がペルフェッティ先生の前で自信を持って「認知運動療法をしています」といえるのだろうかという疑問。モントゥー同様、絶対的な自信を持っている人は少ないだろうし、意図に忠実であるとは決していえないと思う。
もう一つは、演奏しているときは激しく、離れるとグレーゾーンとなり音楽のことを考え続けるということ。これは、認知運動療法をしているときは全身全霊で立ち向かい(仮説反証です、単に気持ちだけではなく常に仮説反証と贋作者的態度を貫くということです)、仕事から離れていても常に認知運動療法を考えることをわすれない、ということにも当てはまると思う。もちろん、趣味の時間もあってもいい。でも常に認知運動療法を忘れないこと。これは必要でしょう。すると、例えば新聞や小説やテレビやもっといえば雑誌にだって、ハッとさせられることは多くある。常にアンテナを立てて考え続ける、自分は認知理論という立場に立脚しているということを忘れない、理論負荷性をメタ認知していることが大切。そう思うと、明らかにセラピストになりたての頃と今では世界の見え方が違うことを実感している。ワクワクしますね。
今週のハッとした言葉13 投稿日:2007/11/30(Fri) 荻野 敏(国府病院)
「佐助は今こそ外界の眼を失った代りに内界の眼が開けたのを知り嗚呼此れが本当にお師匠様の住んでいらっしゃる世界なのだ此れで漸うお師匠様と同じ世界に住むことが出来たと思った」

春琴抄(谷崎潤一郎)p71新潮文庫
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先日の火曜日にNHK「爆笑問題の日本の教養」という番組で錯視の北岡明佳先生が取り上げられていました。結構この先生の作る錯視は面白いです。普通に面白いんです。で、その番組を見ていたんですね。毎週見ていますけど。そしたらその週は爆笑問題の太田さんがえらく飛ばしていまして、北岡先生に殆どしゃべらさないような勢いでした。そのとき、太田さんが谷崎潤一郎の春琴抄という小説の話を出してきたのです。簡単なあらすじが番組の中で紹介されました。盲目の美女である春琴とその弟子佐助は師弟であり主従であり相弟子であり事実上の夫婦であるという関係であった。あるとき春琴は何者かに熱湯をかけられて顔に大やけどを負う。春琴はその醜くなった顔を佐助に見られたくない。そこで佐助は女中の持っている針で自らの目を突き、白内障となって盲目となる。もう眼が見えないのだから私の中のあなた(春琴のイメージ)はもう一切変わりません、と言うのです。というのが大まかなあらすじ。

これは、この小説は読まねばと思い、翌日何件かの本屋を回ってようやく小説を手に入れました。さっそくその日から読みはじめました。感動とも悲惨ともなんともいえない感情が僕の中を駆け巡りました。眼で見た視覚イメージの普遍性、障害を受けた後はもう後戻りできない、自らの眼に針を入れるという覚悟・・・。もちろんこれがすばらしい行動だとは思いませんが、様々な感情を掻き立てられる文学作品の名作です。80ページ弱の作品です。僕も最近は「臨界期」や「意識」などの本を立て続けに読んでいたので、脳のリラックスと言う意味もこめてこの本を読み始めました。皆さんも、たまには文学作品を読んでみてはいかがでしょうか。意外なヒントが隠されているかもしれません。認知運動療法を勉強しているという姿勢を崩さないのならばちょっとした寄り道は意外にヒントがあるのかもしれません。僕はこの作品で人間の感情(とその激しさ)、イメージを固定するということの激しさ怖さ、そして美しさを知れたような気がしました。

さて今日は病院の居残り当番の日です。今は病院のPCから投稿しています。先日僕は誕生日を迎えたのですがそのときに女房と子どもから誕生日プレゼントとして「DS文学全集」を貰いました。最近は何時も夜寝ながらそれを読んでいます。さあ帰ったらさっそく「DS文学全集」を読もおっと。
今週のハッとした言葉12 投稿日:2007/11/22(Thu) 荻野 敏(国府病院)
NHKの「SONGS」、今週はCHEMISTRYでしたね。とても歌唱力のある二人の音楽は聴く人を魅了してやみません。さて今日流れた歌の中で僕がハッとしたのは、「約束の場所」という曲の一節。この曲は槇原敬之さんの作詞作曲ですが、漫画家松本零次さんとの盗作疑惑騒動で有名になっちゃいましたね。でもハッとしたのはその部分ではなく、以下の一節。
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どうか君の夢を諦めないで途方もない夢としても
叶う未来には途方もない数の笑顔があるはず
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マッキーの歌には結構ドキッとする歌詞がちょこちょこあります。僕は好きです。この歌詞の中の「夢」は皆さん何に重ねましたか?僕は真っ先に今年の学術集会のサブテーマが浮き上がりました。

脳の中の訓練室 −臨床の夢に架ける橋−

夢には確かに悪夢もあるけど僕らが悪夢を作り出しては決していいはずはない。僕らは患者の夢である「治すこと」を夢見ないといけない。そのためには何をするべきなのかを肝に銘じないと。患者のために行われる誠実な行為がリハビリとして有効であるという幻想から脱却しないといけない。

だから僕らの夢、患者を治すという夢を諦めてはいけない。それが途方もない夢だとしても。もしその夢が叶っている未来には途方もない数の患者の笑顔があるはずだから。一歩一歩の歩みはとてつもなく小さいよね。でもその歩みを止めてはいけない。小さいからっていってもそれは前進。2027年のリハビリテーション訓練室に僕らの思い描く「夢」が当たり前のようにあるために、進んでいきましょう。2027年の日本認知運動療法研究会学術集会は絶対愛知県で開催しよう!そのための、一歩、そんな一歩があさってからはじまるアドバンスコースにもあると思う。東京で今年のアドバンスコースが開催されます。明日から僕は東京に行ってきます。理事会とアドバンスに参加します。そして来年の2月初旬にはマスターコースがあります。春にはアカデミアが、7月には東京で学術集会が開催されます。一歩一歩、確実に歩んでいきましょう。「臨床の夢」に向かって。
今週のハッとした言葉11 投稿日:2007/09/18(Tue) 荻野 敏(国府病院)
Rosso come il cielo「ミルコのひかり」

盲目の音響編集者Mirco Mencacci、彼の少年時代を描いた映画作品。映画を愛するミルコ少年は事故で両目の視力を失ってしまう。しかし、偶然見つけたテープレコーダーの“音”との出会いが彼に新しい世界をもたらす。監督Cristiano Bortoneは、盲目の二人の少年が木に登り、色について語るシーンはとても詩的であると言っています。
「君の好きな色は?」
「青かな」
「どんな色?」
「自転車を飛ばした時に顔にあたる風の色さ。
 それから海も青い。
 茶色は、たとえば、このざらざらした木の皮」
「ざらざらだ。じゃあ赤は?」
「赤は火の色だ。それから、夕焼けの空も」
盲目の二人の少年の会話。Cristiano Bortoneはさらに、後半で仲良くなった女の子と初めてのラブシーンのような場面で、女の子が好奇心で「人の顔に触れるだけで誰だか分かるのか」と尋ねるのに対して、ミルコは「声も聞かなきゃダメだよ」と答えたことに触れ、「これはとても深い」と述べています。「私たちはつい見た目を重視してしまい他の感覚を忘れがちです。嗅覚や感触からも思いがけない発見がたくさんのあるのです」と付け加えて。
今週のハッとした言葉10 投稿日:2007/09/06(Thu) 荻野 敏(国府病院)
島人ぬ宝(作詞BEGIN 作曲BEGIN)

僕が生まれたこの島の空を
僕はどれくらい知ってるんだろう
輝く星も 流れる雲も
名前を聞かれてもわからない
でも誰より 誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていたこの空を

 教科書に書いてある
 事だけじゃわからない
 大切な物がきっと
 ここにあるはずさ
 それが島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)

(・・・以下略)
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今日の夜、NHK総合を見ていたらBIGINが出ていてこの曲を歌っていました。皆さん知っていますよねこの曲。改めて、曲とともに流れ出るテロップの歌詞を読み、鳥肌が立ちそうになりました。いい曲は、どんな人間にも、いろいろな捉え方が出来る、つまり多角的に多義的に解釈できるのですね。歌詞の冒頭に出てくる「空」でぼくは昨年の学術集会のテーマである「脳は空より広い」を思い出し、その解釈の上で曲を聞き入りました。そうすると、「名前を聞かれてもわからない でも誰より 誰よりも知っている」とか「教科書に書いてある 事だけじゃわからない  大切な物がきっと ここにあるはずさ」とか結びつくものがたくさんありますね。
今週のハッとした言葉09 投稿日:2007/08/18(Sat) 荻野 敏(国府病院)

「アイ・シャル・ビー・リリースト」RCサクセション

頭の悪い奴らが 圧力をかけてくる
あきれてもものが言えない
またしてもものが言えない
権力を振り回す奴らが またわがままを言う
俺を黙らせようとしたが
かえって宣伝になってしまったとさ
日はまた昇るだろう このさびれた国にも
いつの日にか いつの日にか
自由に歌えるさ

はめられて消されたくない
好きな歌をうたって
いろんな所にいって
見てきたものをうたうだけさ

日はまた昇るだろう このさびれた国にも
でたらめな国にも
いつの日にか いつの日にか
自由に歌えるさ

頭のいかれた奴らが 世の中を動かして
この俺の見る夢を力で押さえ付ける

日はまた昇るだろう 東の島にも
いつの日にか いつの日にか
自由に歌えるさ

日はまた昇るだろう このさびれた国にも
この貧しい国に
いつの日にか いつの日にか
自由に歌えるさ

日はまた昇るだろう このさびれた国にも
いつの日にか いつの日にか
自由を・・・・


忌野清志郎さんの怒りのロック。言論の自由を奪われて歌うこと、発売することを禁じられた歌の仕返しソングだそうです。僕らは、決して特定の集団や手技に対して攻撃をするつもりはありません。そんな意味を込めてアップしたつもりはありません。そうではなく、今の医療制度やリハビリテーションの考え方に何らかの圧力を感じるし、その圧力がとてつもなく気持ち悪く感じています。

日はまた昇るだろう、リハビリテーションにもそして算定上限日を越えた患者にも、そう信じて、臨床に対峙したいですね。山田きくこ先生も「それでも脳は学習する」の中で脳卒中でも5年は回復すると書いています。医者が、脳卒中になって書いている本です。これ以上の根拠(エビデンス)はないように思えるのですが・・・。
今週のハッとした言葉08 投稿日:2007/03/19(Mon) 荻野 敏(国府病院)
"apprivoiser"
"cre'er des liens"

先月のNHKで放送されたETV「”星の王子さま”と私」にでてきたフランス語です。僕もこの番組を見ていたのですが、残念ながらビデオに撮るのを忘れてしまいました。「星の王子さま」で有名なセリフは「“心で見なくては、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えない。”」でしょうね。これは不屈の名言。認知運動療法研究会のホームページにアップされていた宮本会長のメッセージにも書かれていました。もちろんこの言葉にもそうとう教えられることはあるのですが、今回はこの"apprivoiser"と"cre'er des liens"に注目してみたい。

この言葉は王子さまが旅の途中で出会うキツネとの会話で出てきます。王子さまがキツネと遊ぼうとして誘うとキツネはまだ"apprivoiser"していないから遊べないと言います。王子さまは聞きます、"apprivoiser"って何?。この"apprivoiser"に当てられた訳に少し問題があります。番組では初めにこの訳を「絆を作る」としていました。しかし、最近新訳が多く出ていますが、ほとんどの訳で「飼いならす」という訳が当てられていました。これは誤訳であると強く訴えている人もいるみたいです。僕もこの訳はあまり適切ではないと思います。このキツネは王子さまの教師役のような立場です。また、擬人化されているこのキツネやバラもやはり人生を教えてくれるある意味教師役です。どうしても家畜なので「飼いならす」という訳をあててしまったと思うのですが、少なくとも「仲良くなる」「なじみになる」などの訳のほうがしっくりしたと思います。「絆を作る」などの言葉は"cre'er des liens"というフランス語らしいのですが、いずれにしてもキツネは"cre'er des liens"していないと"apprivoiser"にならない、と言います。ここからがすばらしい。絆を作らないと、たくさんいるキツネのうちのたった1匹だけど、絆を作ると唯一のかけがえのない友達となると、諭してくれます。

これ、僕らの仕事にもオーバーラップしますよね。僕らは患者と"cre'er des liens"できているのだろうか。ぼくらにとって、患者はたくさんいるうちの一人かもしれない。でもかけがえのない一人の患者として接すること(もちろん倫理は必要ですよ!)ができているのだろうか。星の王子さまの話は簡単なストーリーとしてしか知りませんでした。恥ずかしながら本気で読んだことはありませんでした。女房に聞くと「子どものころ読んだけど難しくてわからなかった」と。確かに深い。たった一人の王様や地理学者など、さまざまな登場人物が出てくるこの作品。教えられることはたくさんあります。この番組の次の日、僕は本屋で新訳「星の王子さま」を購入していました。現在は家の寝室と僕の職場の本棚に1冊づつ置いてあります。
今週のハッとした言葉07 投稿日:2007/02/23(Fri) 荻野 敏(国府病院)
茂木健一郎「生きるとかね、死ぬってことについていろいろ考えることはできますよね。でも現場だけが持っている何かってありますよね。何なんですかね、その、病院っていう現場だけが持っている何かって言うのは?」
北村愛子「・・・・・・・・・・・・尊厳」
茂木健一郎「尊厳。人間の尊厳、命の尊厳」
北村愛子「厳かで。私たちが神でもなければなんでもないと。人間の命のことをしているのも人間なんだと。だから、救えないときもあるし、医学の限界もあるし、看護の限界もあるし、さまざまなことに限界がある。そういった中で精一杯のことをするのが、その人、その命に対する医療の重要なあり方なんだと思ったときに、その命のことを粗末に感じないというか、うん、厳かなものであるということですね」


NHKのプロフェッショナル。またまたこの番組からの言葉です。今回は専門看護師の北村愛子さん。その番組のトークの中の一場面です。専門看護師のハードルは高い。何十万人という看護師の中で専門看護師を持っているのは百数十名。大学院を経て確かな技術を持っている人たちだ。会話の中に「尊厳」という言葉が出てくる。さて、上のトークを読んでどういう感想を持ちますか?我々はセラピストだから命の現場に接することは少ない、とか、クリニカルケアの専門看護師の仕事は我々と質が違う、と思いますか?僕は決してそうは思わない。北村さんは確かに命の現場に接しているかもしれない。でもそこには患者と家族が存在している。確かに。患者は生きようとする。家族も生きてほしいと願う。命があればそれでいいというわけではない。番組中に紹介されていた方も、娘の結納というハレの席にでたいという思いがあった。誰だって健康でいたいはずです。もちろん北村さんの言うように医学の限界がある。だからこそ僕らも今、障害という怪物と闘っているでしょ。でも、北村さんのように、命の現場のように、我々のいる場所は果たして真剣勝負の場所になっていますか?真剣勝負の場所であると胸を張って言えますか?患者や家族からしてみたら障害の克服はそれこそ「願い」であり「思い」ですよね。そういった思いをどれだけ我々は本気で受け止めていますか?人間の尊厳、命の尊厳、そして身体という尊厳を考えてみましょう。僕の言いたいことは、ちょっと今のリハビリテーションの世界や現場がヌルイんじゃないかってことです。結局、障害が克服できないのは患者の学習能力や障害という怪物のせいにしてしまっていて、本気で取り組んでいないんじゃないかってことです。専門理学療法士だってそうです。僕も3つ持ってますけど、結構とるのは簡単。ペーパー1篇か全国レベルの学会発表1本でとれます。あとは申請料の1万円だけです。それで専門理学療法士ですよ。あとはほとんどノーチェック。ぬるすぎ。セラピストがあまりにも障害に対して鈍感になっている。ミラーニューロンを働かせましょう。その患者の身になってみましょう。家族の気持ちになってみましょう。そうすれば、「リハビリ難民」なんて言葉に憤りを感じ始めるでしょ。昨年のPT全国研修会の話、開会式で偉い人が、周りにいっぱい行政の偉い人がいたので緊張した、ハンカチをだして汗を拭いた、そのパフォーマンスは昨年の甲子園で人気があったハンカチ王子を真似たものだった、気づきましたか?と得意げに話をしていたとのこと。あほか!!本気でリハビリテーションを考える時期に来ているんじゃないの?
今週のハッとした言葉06 投稿日:2007/02/09(Fri) 荻野 敏(国府病院)
WHY?(なぜ)

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀にはいつもいつも気づかされる。今週はコンピュータ研究者の石井裕さん。あのMITの教授だ。ともに研究をする学生のアイデアを練り上げ、より良いものにしていくのが仕事だと言い切る。石井さんは学生とアイデアのディスカッションをするときに常に「WHY?」と問いかける。番組ホームページhttp://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070208/index.htmlの中にはこう書かれている。『ともに研究を行う学生たちと議論をする時、石井は「WHY?(なぜ)」と何度も問う。「なぜ?」という問いは、その研究の根本を問いかける質問だと考えているからだ。繰り返される問いかけにきちんと答えられなければ、まだそのアイデアは十分に練られていないと石井は判断する。アイデアを磨き、インパクトのある物にするために欠かせない、大切な問いかけだ。』なるほど。患者と対面して治療を行うとき、常に「なぜ?」と考えている(はずだ!)。(ちなみにイタリア語だとペルケ?(perche'?))なぜ?この患者は世界を・・と捉えているのだろう。なぜ?この訓練を選択したのだろう。この情報を知覚するには何を予測しなければならないか。なぜ?病態仮説・治療仮説・知覚仮説、かならず仮説を立てて検証をする、それが認知運動療法の訓練の組み立てかた。でも忙しさにかまけてあやふやになってしまっている、そんな自分の治療風景が目に浮かぶ。本当に考えているか?仮説を立てたのか?行き当たりばたりでは?闇雲に考えた仮説は確かに抽象的な仮説、それは仮説と呼ぶには恥ずかしい。仮説→検証→仮説→検証→仮説→・・・・・・・基本を忘れてセラピストの頭の中だけで考えていないか?患者の記述をどのように考察しているのか?「WHY?(なぜ)」あるべき治療者の姿がみえたような気がする。その問いかけは、まずは自分へ。「なぜこの訓練なの?」そして患者へ。「なぜそう思ったの?」そして同僚へ。「なぜこの訓練なの?」石井さんはこうも言っていた。「自分は凡人」だから石井さんは同僚の2倍働き、3倍の成果を出す事を自らに課しているそうだ。MITメディアラボで最も忙しく働く男は光り輝いていた。
今週のハッとした言葉05 投稿日:2007/02/01(Thu) 荻野 敏(国府病院)
子と話す高さに跼む冬日向(ことはなす たかさにかがむ ふゆひなた)
大和田富美(おおわだ ふみ)
<季語/冬日向・季節/冬>
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幼子(おさなご)と話をする時に、同じ目の高さになるようにかがんだのです。大人はつい忘れてしまいますが、子供の目線って低いんですよね。
子供が圧迫感を感じないように、心を開いて話してくれるようにとかがんだ優しさがしみじみと伝わってきます。ぽかぽかとあたたかい日向で、きっとおしゃべりも弾んだことでしょう。相手の目線に合わせる…子供に限らず、忘れてはならないことですね。
(黛まどか)

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 黛まどかさんという俳人が行っている携帯メールマガジンに登録している。毎朝8時ごろ、僕の携帯が着信を教えてくれて、メールを開くとそこに一句書かれている。今日の俳句は上記の俳句だ。いつも病院に出勤する前にサッと読んで終わるのだが、今日はじっくりと読んでしまった。
 先日の研究会(ETCA)から話題になっている、言葉における「強い刺激」に重なるような気がした。この俳句にあるように、ついつい大人は自分の目線で話をしてしまい、子どもに対して圧力まがいの対応をしてしまう。自分の子どもでももちろん、ついつい上からいってしまうことってあるよね。それに、今いろいろ話題になっている教育やらなにやら、その周縁ではかなりいっぱい問題があるだろう。相手に目線に合わせて話をする、こんな簡単なことができなくなるぐらい、切羽詰っていて、虚勢を張って、見栄を張って生きている、僕らで言えば「治療していると思い込んでいる」状態、そんな危ういリハビリテーションという名の強い刺激があるかもしれない。相手がどのように思っているのか、もちろんこれは「心の理論」。そんな「心の理論」すら知らずにリハビリに従事している人もいると思う。なぜそんなことを思うのかというと、特別講義に行って『「心の理論」って知っている?』と聞くと、殆ど(全員)の学生が知らないと答えるから。人を相手にする仕事にもかかわらず、「心の理論」をしらない。そんな人が果たして、自分の行っていることを「メタ認知」できるのでしょうか。脳科学のいまや常識というか当たり前の用語になっている「メタ認知」も知らない学生が殆ど。
 他人のふり見て自分を直せ。もちろん僕自身もいっぱい反省しなければならないことはある。今日、治療したあの人のあの問いかけは果たして誘導になっていないか? 問い詰めるように聞いていないか?機能解離では正常なはずの関連する領域まで機能を停止する。強い刺激により、問い詰められる・怒られる、そして考えない・考えたくない、前頭葉の機能解離を引き起こしているかもしれない。
 自らの治療を振り返り、前進していきましょう。贋作者的態度を忘れないように。
今週のハッとした言葉04 投稿日:2007/01/12(Fri) 荻野 敏(国府病院)
NHK番組「プロフェッショナル」今日のプロフェッショナルは弁護士村松謙一さん。企業再生専門の弁護士ですが、やっぱり苦労もあったみたいでした。担当していた会社社長の自殺、その後長女が病気で亡くなり、失意のどん底に。ボーとしている毎日、ある日、参議院財政金融委員会から呼び出される。質問「企業の再生は大事だが、倒産寸前の会社を100%再生し続けなければいけないのか?」。村松さんの脳裏に自殺した社長の顔が浮かぶ。そして、その質問に村松さんはこう答える。「端的に言うと100%再建し続けていかなければならないと思います。なぜならばやはり命にかかわるのです。すべてについて」。企業の再生は、人の生死に関わるもの。それを自分が言わなければならないと思い、そして、やらなければならないことに気がついたそうです。
今回の話は涙が出そうになった。この話を聞いて、弁護士や企業再生のことなんて対岸の火事、と思う人もいると思う。でも、よーく考えて見ましょうよ。再建です、再生です、村松弁護士は企業の、僕らは?、そうです、人の再建であり再生なんです。それこそ生死に関わってくるのです。その人も、その家族も。だからリハビリ難民なんて言葉が、出てきているようなこの時代、本気で医療を人をリハビリテーションを考えていかないと。僕らはその一翼を担う療法士です。患者や家族の命を、生命を、輝きを再生させる。
運動麻痺の回復をあきらめいないこと。
「リハビリテーションに奇跡はない。しかし、進歩はある」
週間医学界新聞に掲載された日本認知運動療法研究会会長宮本省三先生の言葉が胸に突き刺さります。
今週のハッとした言葉03 投稿日:2007/01/05(Fri) 荻野 敏(国府病院)
今日は正月休みの最終日。お墓の菩提寺へお年賀を持って車で移動。無事にお参りを済まして帰りの運転をしているときにかけていたFMラジオ。
番組はFM東京の「ディアフレンズ」赤坂泰彦がDJしている番組だ。気にもとめていなかったゲスト、「髭」とかいうバンドだった。普段は殆ど気にもとめないでいるので、前半はぜんぜん覚えていない。番組の最後にDJが「では最後の質問です。音楽の神様が賞をくれるとしたら、どんな賞ですか?」
一瞬、運転している手が凍りつく。周囲の風景が少し硬くなるような感じ。まずは、この質問に感心。まさにこれは斉藤孝の「質問力」の「本質的且つ具体的」な質問ではないだろうか(久しぶりに斉藤孝の名前が挙がったよ!)。そして、そのバンドのメンバーは「参加賞でいいですよ。恐れ多いから」とコメントした。それにしても、この質問と答えは深いなぁと一人で感心してしまった。即座に自分に振り返ってみる。
「リハビリテーションの神様が賞をくれるとしたら、どんな賞ですか?」
答えに窮します・・・。皆さんはどうですか?
バンドのメンバーも僕としては単純に「グラミー」とか言って、バーンと打ち上げ花火でも挙げるような豪快な答えを出すと思っていたのに「参加賞」だし。
さて、果たして自分は今、賞をもらえるような存在なのか?? 
では、もし貰えるとしたらどんな賞なのか??
もちろんまだまだ賞なんてもらえない。参加賞でもすごいと思ってしまう。だって神様に認められたんだもの。まずは一歩一歩進むこと。目の前の事物を一つ一つ積み重ねていくこと。Pianpiano! それしかないよね。2007年が始まりました。僕にとっても、愛知etc研究会のメンバーにとっても、とてつもなく重要な一年の始まりです。駆け抜けましょう、そしてともに悩みましょう。最後にリハビリテーションの神様が何を言うのかは解りません。でも、少なくとも参加賞をもらえるように、認められるように!
今週のハッとした言葉02 投稿日:2006/12/20(Wed) 荻野 敏(国府病院)
俳人と脳科学者の対談。俳人が語った言葉、「うすもみじ」。さて皆さん何のことだかわかりますか?

その俳人が、友人と山に出かけたそうです。季節は秋。まだもみじが赤くなる前の時期で、当然色は華やかではない。その時にその友人が「まだ、紅葉前だ」と言いました。俳人は「でももうすぐ紅葉だよ、ほらところどころに紅葉になる前の”うすもみじ”がある」と返しました。その友人は”うすもみじ”という言葉を知らなかった。でも、もうすぐ色づくその直前のもみじの状態をその時はじめて知り、次の年にその俳人に「”うすもみじ”がわかるようになった」と感激しながら話したそうです。

我々は知らないことを知ることはできない。知るという行為は概念が必要で、概念があってはじめて識別できるようになる。改めて思った。その俳人は日本語の「やや」ということも話していました。「やや○○」という微妙な表現が日本語には存在すると言い、その例で先ほどの”うすもみじ”を挙げていたのです。わずかに、微妙に、少し。そんな緩やかな表現が日本語にはたくさんあることに気づかせてくれます。色の表現なども日本語にはたくさんあるし、オノマトペも欧米諸国の数倍あるといわれている。日本は虹が7色だけど、他の国はもっと少ないということも、微妙な表現の違いや、それを知っていること感じることの差の基底になっているのだろう。日本のセラピストは、日本語の奥深さ・美しさ・繊細さを治療に活かさないわけにはいかないだろう。
今週のハッとした言葉01 投稿日:2006/12/11(Mon) 荻野 敏(国府病院)
先週のNHK「プロフェッショナル」りんご農家木村さんの言葉。

「技術は心が先に伴ってから後からついてくるものですよ。主人公はりんごの木なの」

リハビリテーションの現場には必ず「心」がある。脳がある。主体がある。この患者を良くしたいと思う「心」は絶対に必要だ。でもその「心」は患者の家族や友人だってあるはず。そこではじめて知識と技術を動員してリハビリテーションに携わる僕らの意義がある。気持ちや思想だけでは良くはならない。あたりまえ。僕らがすべきことは「特異的な治療」であり、それがリハビリテーション専門家たる所以だ。でも、「心」すらないリハビリテーション専門家がいるかもしれない。先日のベーシックコースで塚本先生が受講生に言っていた「実技が雑」、そう言っていた意味が、少し込められているような気がしてハッとした。