チームの歴史について
平成2年4月に愛川町立田代小学校の児童を対象に当時田代小学校の教員でありました私がクラスの女子を対象に始めたのがスタートです。
初めの頃は、遊び同然でソフトバレーボールで平日の夕方だけやっていました。部員も1学年だけで20人ぐらいはいたと思います。その後「本格的にやりたい。」という子どもの声から休みの日にも練習をやるようになりました。最初の年はほとんど勝てませんでしたが、着々と実力をつけていき、平成3年には県央地区大会五冠、ライオンカップ県大会初出場を果たしました。
その年の最後から親の会が自然発足し、クラブとしてきちんと運営できるようになりました。次の年からは地区内(県央地区)の練習試合に行くようになり、次第に全県、県外へと交流を深めていきました。その結果、平成6年には秋季県大会ベスト8、続く平成7年には惜しくもフルセットでライオンカップ県大会準優勝でしたが、続くスポーツ少年団県大会では見事優勝し、スポ少関東大会出場し5位入賞を果たしました。
そして、平成8年には、前の年の屈辱を果たし、ライオンカップ県大会優勝並びに全国大会出場、全国大会でも滝山小(山形)、新潟アカシア、小禄南(沖縄)を連覇し、その年準優勝した淳平野(大阪)に破れたもののベスト16となりました。
さらに秋季県大会男女アベック準優勝並びに男女アベック関東大会出場を果たしました。そして関東大会では、女子Bブロック決勝ではその年一度も勝てなかった常陸太田(茨城)をフルセットの末破り見事優勝という輝かしい成績を残すこともできました。
次の年、監督の私の転勤にともない一時期、監督は教え子の大島法彦に変わりましたが、次の年もライオンカップ県大会3位など県内で活躍を続けました。
平成10年4月、チームの事情により私が監督に復帰し、練習場所を愛川町立中津第二小学校に移し、名称も愛川バレーボールスポーツ少年団と変え、再スタートを切りました。部員も田代小学校以外の小学校からも入部するようになりました。
半年間は、練習並びに経験不足のためほとんど勝てませんでしたが、その後は順調に成長し、次の年の平成11年ライオンカップ県大会では惜しくも3位、平成12年スポーツ少年団県大会優勝並びに関東大会出場、秋季県大会3位。さらに平成14年ペプシカップ県大会優勝並びに全国大会出場、秋の関東大会出場など現在も県内屈指の強豪チームとしていて活躍しています。
現在も子どもたちは、常に自分たちの夢を目指し、練習に励んでいます。