吉丸慶雪合気談
合気錬体会
初代総師範 吉丸 慶雪
合気には、勝負の合気と力抜きの合気がある。 勝負の合気が分からないと、力抜きの合気は 実戦的には役に立たない。 「勝負の合気」こそ武田惣角先生の秘密であった。 なお『合気道 最後の秘密』は本書の一部に過ぎないため、 『合気之術の科学』を発売すると同時に絶版とすることにした。 |
| 『合気之術の科学』解説 第4回 23.5.19 吉丸慶雪 1.気を合わせること、つまり合気 気が合うということは、広辞苑によれば以下の通りです。 【気が合う】感じ方や考え方が以通っていて、親しみがもてる。 気が合う、つまり合気です。 たとえば、握手では互いに適当な力で掴みますが、これが合気の状態です。たまにはグッと掴んでくることもあります。そのときは自分もグッと掴みます。これが合気の状態です。相手がグッと掴んだときに,痛いと力を抜くと合気ではありません。 体術において「気が合う」、あるいは「気を合わせる」ということは何かというと、たとえば小手を掴んできたときに自分は小手を張るとこれは合気の状態になります。たとえば腕を掴んできたときは自分の腕を張るとこれは合気です。相手が強く掴んできたとき自分が頑張るとこれが合気です。 私が佐川道場に入門したとき空手二段ということにしていましたが、コバ返し(甲返し)が痛くて空手をしているから苛めているのではないかと思うくらいでした。ところが3ヶ月もすると痛くなくなってました。つまり痛いときは合気の状態にはなく、頑張ることができるときは、合気の状態になるのです。 道場では逆手が掛かりますが、外では逆手は掛かりません。昔二ヶ条を習ったとき、これは良いと思っていましたが、寮の外で酔っ払いが騒がしいので、手首を掴んで二ヶ条を掛けようとしましたが、必死になって抵抗し逃げてしまいました。つまり素人でも、必死になって抵抗すると、合気の状態になるのです。道場では、必死に抵抗するということは出来ませんから、結構逆手が掛かります。合気道の人は、逆手をあまり痛めないので、これも結構掛かりますが、本当に抵抗すれば逆手は掛かりません。 人間は合気になる性質があるのです。つまり本能的に頑張るのです。したがって逆手は掛かりません。ではどうすれば良いかというと、真の力抜きを習うしかありません。真の力抜きは出来るか出来ないか、の二つなのです。 2.体の一体化 『合気道の奥義』を脱稿した直後に不思議な体験をしました。自分が動くと相手が自然に倒れるのです。考えてみると、一体化すると自分の動きが相手の動きになるのです。 体の一体化とは、気を合わせること、つまり合気の状態であり,合気の状態であれば体之合気になるのです。 人間には合気になる性質があると書きましたが、では誰でも体之合気になるのではないかと思われますが、これは出来ません。 名人が,気を合わせるだけで相手を制御する(ように見える)のですが、我々が気を合わせても相手を制御することが出来ません。体の一体化が出来ていないからでしょうか。 体術において「気を合わせること」とは,相手が掴んできたとき自分はこの部分を張ることです。つまり筋肉を張ること、つまり伸筋を張ることです。 合気とは、弛緩力を使って気を合わせること。 合気とは、呼吸力を使って気を合わせること。 合気とは、勁力を使って気を合わせること。 勁力(呼吸力・弛緩力)とは力の変化のことです。つまり剛から柔へ,柔から剛への変化のことです。つまり力の波動なのです。だから気が合わせるとつまり合気の状態になると、つまり一体化されると、自分が動けば相手も動く筈です。これが自分の体験でした。 ところがこれを他の人に教えても出来ません。 体の一体化というのはくっ付けるということです。しかし単にくっ付けでも、一体化にはなりません。それには「外側へ張り出す力」を使って相手にくっ付けるのです。 外側へ張り出す力とは太極拳でいうポン勁のことですが、これは勁力の一つの性質であり、つまり勁力なのです。外側へ張りだす力は,呼吸力でも弛緩力でも持っています。だから呼吸力でくっ付けることも出来るし、弛緩力でくっ付けることも出来ます。 弛緩力(呼吸力・勁力)で相手にくっ付けると、相手と一体化することが出来ます。すると自分が動くと相手も一緒に動くのです。 これが体之合気です。 3.力抜きと小手之合気 弛緩力で一体化していると、自分の力を抜くと相手も力が無くなる理屈ですが、これは結構難しいのです。自分の力を抜くときに外側へ張る力も無くなりますから、相手の力は無くなりません。これが出来れば名人芸です。普通にはこれは出来ません。 ではどうすれば良いかというと、「弛緩力で気を合わせ」でこれから突然自分の力を抜きます。これで相手の力が無くなるのです。これで誰でも相手の力を抜くことができます。 理論では、気を合わせ、合気を外すことになります。 力抜きは 気を合わせ、、合気を外す 武田惣角先生の「頑張らせ頑張らせてこれを潰す」という合気の口伝は、頑張らせ頑張らせて突然に自分の力を抜くことです。そして潰す。 小手之合気 気を合わせ(合気)+合気を外し+力を出して崩し+潰す つまり、気を合わせ(合気)合気を外し力を抜きますが、その瞬間に自分の力を出し相手を崩し、これから制御するのです。これが小手之合気です。 小手之合気の目的は、小手を掴んでもらい、相手の小手の力を抜く訓練である、と私は思っています。しかし、たとえば「上げ手」は、持ち上げる訓練と考えると,合気之術は会得できません。 特に惣角先生が最初に教えるのが「上げ手」ですから、殆どの人は下手になります。素人に最初に「上げ手」を教えると、リキムのは当たり前で、惣角先生とわざと上手にならないようにしているのではないかと考えたこともあります。 剛柔流の三戦は、これも勁力(弛緩力)の訓練ですが、先生が体を叩いて感覚を教えます。これでリキミが無くなります。だから大東流の「上げ手」でも、先輩が手を取って感覚を教える必要があるのです。 力抜きは自分の力を抜くのですが、脱力ではありません。気を合わせたときは伸筋を張るのですが、合気を外すときは伸筋を緩めます。つまり脱力ではなく弛緩するのです。 これにより相手の力が無くなります。脱力と弛緩の違いは,丹田の使い方にあります。 小手之合気は、まず気を合わせ(合気)上に(自分の)力を抜く、まず気を合わせ、横に力を抜く、まず気を合わせ、下に力を抜く、、、6方向に力を抜きます。小手の筋肉は一番器用なので、まず小手の筋肉を使って力抜きを習うのです。これが出来ると、次は体之合気を習います。 たとえば腕の力を抜く、胸倉の力を抜くのです。胸倉の筋肉、というものは無いので、背中の筋肉を緩めるのです。そうして色々の筋肉を自在に変化させ、力抜きを習うのです。 これが伸筋制御運動なのです。 小手之合気も体之合気も、実用ではありません。 何故かというと、小手を掴め、、、袖を掴め、、、、胸倉を掴め、、と指定するときは、いくら技が巧くでも、自由に攻撃するときは、これは別の問題になります。 では自由に攻撃してきたときは如何にというと、これが「付け」の理論です。 合気之術は自由に攻撃したとき、ただ「付ける」だけです。 |
| 『合気之術の科学』解説 第3回 23.3.5 吉丸慶雪 1.合気之術の全面的認識 「合気」を体得するには「合気とは何か」という認識が必要であり、そのため以下のように「合気」を定義しました。 『合気道の奥義』→合気とは弛緩力を使う力抜きの技術である。 『合気道極意の秘密』→合気とは弛緩力を使って気を合わせることである。 ところが平成21年になって分かったことは、上記の定義は合気之術の一面に過ぎず、他の一面である「勝負の合気」が存在していたことです。これは佐川幸義先生は分かっていて、空間の崩し、合気の制位と名付けていますが、これらを一括して「合気」を認識するために混乱しているのです。 佐川幸義先生の分類
吉丸慶雪の分類
合気之術には二つの技術があります。 合気之術の一つは、漢代に成立した荘子の説剣篇、あるいは孫子の兵法「迂直の計」に基づいた剣術の必勝法であり、日本には持統天皇の朝に伝来し、あとに源氏の武術として伝承されたものです。日本ではこれを「 先」として認識されているものです。 合気之術の二つは、柔術技での応用です。武田惣角先生は、西郷賴母に習った大東流柔術に剣術の奥義を使って新しい柔術を創始しました。これが大東流合気柔術てす。つまり大東流合気柔術は新しい武術ですが、合気之術は古来の武術である、ということになります。我々は、合気之術を全面的に認識することにより、始めて合気(之術)の体得が可能になります。 【合気之術の全面的な認識】 1.合気之術の目的 = 気を制御すること 2.合気之術の理論 = 気を合わせ、合気を外すこと 3.合気之術の実際 合気之術→→→→→ 1.力抜きの合気、柔術技の無力化、接触した体の無力化 ↓↓ →→→→ 2.勝負の合気、剣術技の無力化、非接触した体の無力化 4.合気之術の実際は伸筋制御運動によります。 伸筋には(当たり前ですが)合気とか発勁などの働きはありません。ただ伸筋制御により合気とか発勁を使うことができます。伸筋制御によりゴルフが巧くなるのと同じです。 2.『合気之術の科学』の概要 23.3.5 吉丸慶雪 合気之術には勝負の合気と力抜きの合気があります。しかし今までは、「力抜きの合気」が即「合気」であると考えてきました。 拙書『合気道の奥義』2001年も、第2部マイナスの力で、伸筋制御運動で力抜きができる、伸筋制御運動で「体之合気」ができるという趣旨で書いてきました。 しかし体之合気ができても、勝負には関係が無いという疑問がありました。たとえば手首を掴めと指定して、見事に投げたとしても、自由に攻撃したときには、役に立たないのではないか? ところが2009年になって、始めて合気の真相が分かったのです。これが昭和39年5月13日の日記に、佐川先生が真剣白刃捕について重大な話を語ったのです。 1.合気を掛けるとはなにか。 2.合気を掛ける方法とは。 そして分かったことは、合気之術は、きわめて実用的な技術であるということでした。 武田惣角先生も佐川幸義先生も、力抜きの合気だけを教えてきましたが、実は実用になる勝負の合気を隠していたのです。何故かというと、力抜きの合気では、十年習っても二十年習っても殆どの人は巧くなりませんが、勝負の合気を教えると、ある程度の訓練で強くなるのです。だから勝負の合気は、徹底的に隠してきたのです。 武術の必勝の理は、古代から現在まで一貫して同じです。そして必勝の理が、即ち合気之術である、ということが分かったのです。そして必勝の理を使って、大東流合気柔術が創案されたのです。 武術の必勝の理は、漢代に成立した荘子の説剣篇にあり、この理は、後之以発、先之以至です。戦争の場合の必勝の理は、孫子の兵法「迂直の計」にありますが、この理は同じく、後人発、先人至です。武禹襄の『太極拳解』にも「彼不動 己不動 彼微動 己先動」と同じことを言っています。 ところが2010年2月4日に、時事通信社が、3日付の英紙「タイムズ」に「先に銃を抜くのは不利=荒野の決闘、科学実験が証明-英」と報じました。 先に銃を抜くのは不利=荒野の決闘、科学実験が証明-英 時事通信社 2010年2月4日 【ロンドン時事】 荒野の決闘で、ジョン・ウェインやクリント・イーストウッド扮する「正義のガンマン」が、先に銃に手を掛けた悪漢を電光石火の早業で撃ち倒すシーンは西部劇でおなじみだが、先に手を抜こうとするのは不利になることが、英研究チームの行った人間の反応速度に関する実験で分かった。3日付の英紙「タイムズ」などが報じた。「決闘」のシミュレーション実験を行ったのは、英バーミンガム大学のアンドルー・ウェルチマン博士のチーム。拳銃を相手より先に抜こうとする意識的な行動よりも、相手の行動を見て本能的に反応する方が速いことが判明した。 実験には54人が参加。拳銃の代わりに押しボタンを使い、相手より速くボタンを押そうとする時間を計測した。自らの意志で最初にボタンを押す場合と、相手の手の動きに反応して押す場合の時間を計ったところ、後者のほうが平均0.02秒速かったという。同博士は「意識的に行動する場合と本能的に外部の動きに反応する場合の二つの速度を計測したのは初めて」としている。引用。国際時事通信社 つまり「拳銃を相手より抜こうとする意識的な行動よりも、相手の行動を見て本能的に反応する方が速いことが判明した」「後者の場合のほうが平均0.02秒速かった」のです。 つまり、英紙「タイムズ」に報じたのは、後人発、先人至を科学的に証明したわけです。 かつて、北京人民大学教授である李徳印老師の講演が日中太極拳交流協会で行われたとき、その中で興味深い話がありました。曰く、「中国政府の近年の調査によれば、中国には260種類の拳法があり、それぞれの特徴は大きく異なっている。例えばある拳法では手技の速さが特徴であり、ある拳法では脚技の速さ、ある拳法では敏速な体の動きが極意である。その中で太極拳は『敵の攻撃を待つタイプの武術』という特徴がある。そうした武術は260種類の中でもきわめて少数である。」1996年11月。 「敵の攻撃を待つタイプの武術」とは何かというと、「後之以発、先之以至」の武術です。では日本の武術に「後之以発、先之以至」があるかというと、日本の武術は全て「後之以発、先之以至」です。つまり中国拳法では「後之以発、先之以至」はきわめて少数であるが、これに対して日本の武術は、殆どが「後之以発、先之以至」を極意としています。これを「先」とかあるいは「三つの先」と云っています。 武術の戦い方としては自分から攻撃を仕掛けていくものと、相手の攻撃を待つタイプがあります。世界的には自分から攻撃を仕掛けていくものが主体ですが、日本剣道の場合は殆ど「相手の攻撃を待つ」タイプであり、そのため影流、新蔭流、など多くが「影の流れ」を名乗っていて、陽流を名乗る流派はないことにも現われています。影は陰陽の陰です。つまり攻撃を主体ものが陽の剣(正流)であり、攻撃を待つのが影の剣になります。 かつて佐川幸義先生から、「小野派一刀流の極意は後の先である」習いましたが、この「後の先」が即ち後之以発、先之以至です。 尾張天真古流拳法の伝承によれば、大伴古麻呂は副使船にて鑑真和上ら8人を伴い帰国(753)したが、鑑真の弟子思託鑑禎と云う僧が日本人僧に拳杖術を教えました。その後思託は鞍馬寺を創建し、平安時代には武力集団として有名となりました。その武術は僧兵から武士へと伝わり、鞍馬山拳法、陰陽流、判官義経流、鞍馬揚心流などが成立したという研究もあります。 しかし、思託が教えた時より約90年前に、天皇家は唐式武術を正式に輸入したのです。日本に唐式武術が伝わったのは、持統天皇のときです。『日本書記』によれば、持統天皇3年(689)11月8日の条に、高田石成は3種類の武器(弓、刀、槍)に習熟されたことにより褒賞されています。ウィキペディアには、特定個人の褒賞は記事は珍しいと書いています。なぜ国史(日本書記)に個人の褒賞を特筆しているかというと、これは、唐式武術の養成は、国家事業であったのです。 663年8月に、倭国(九州)は白村江の戦いで敗戦して、後営の位置に居た近畿天皇家は唐国と和解しました。671年に唐国の使者である郭務ソウなどが約六百人(総合二千人)来ているが、そのとき武器庫にしたのが多武峰、つまり唐(トウ)の峰でした。現在は多武峰談山神社であり、祭神は藤原鎌足公であるが、藤原鎌足公と郭務ソウとの関係には謎が多く分かりません。ただ郭務ソウがきてから8年、つまり8年掛けて唐式武術の軍隊を養成し、そして唐式武術の達人が出来たのです。だから8年の間、唐式の武術を習っているので、当然荘子、孫子、六韜を読んでいます。 説剣編 第三十 荘子曰、夫為剣者、示之以虚、開之以利、後之以発、先之以至、(略) 荘子曰わく、夫れ剣を為むる者は、これに示すに虚を以てし、これを開くに利を以てし、これに後れて以て発し、これに先んじて以て至る。 後之以発、先之以至 では、この後之以発、先之以至と合気之術となぜ関係があるかというと、後之以発、先之以至することが「合気を掛けること」になるのです。 合気之術には二つの方法があります。 一は力抜きの方法で、気を合わせ(=合気)、合気を外すこと。 二つには合気を掛けることであり、この方法は後之以発、先之以至です。 つまり力抜きの合気と勝負之合気の二つの方法になるのです。 【1】力抜きの合気の要点 気を合わせることとは、相手の力と自分の伸筋を大きさを合わせることであり、合気を外すこととは自分の伸筋を減らすことです。つまり合気を外すには伸筋制御運動が必要になります。 【2】勝負の合気の要点 相手の先手に対して機先で出ることです。これを「合気を掛ける」と云います。つまり後之以発、先之以至です。後之以発、先之以至により相手の力は無力化されます。これが佐川先生の云う合気の制位です。 なぜに日本武術は影の剣になったかというと、日本刀の特質によります。公家は諸刃の剣であり、武家は片刃のカタナです。これには日本列島には鉄石が無いと言う事実と、庶人には利刀を禁じた歴史があり、武士は日本刀になったのです。そのため日本刀の欠点をカバーして、特別な技法つまり「先」を発達したのです。 つまり合気之術は,きわめて日本的な武術なのです。 |
| 合気之術の科学解説 第二回 50年掛けて、結局私が分かったことは、完全に力抜きを体得していないと、技は掛からないということです。たとえば「上げ手」でも、完全に力抜きができないと、上げることはできません。たとえば、素人では上げることができるが、初段の人は上げることができない、などはありません。本当に頑張ると素人でも上げることはできません。 結局、達人クラスになって始めて上げることができるのです。つまり達人か達人でないか、ということです。だから道場の先輩後輩の関係で出来ることができるのですが、真剣に頑張ると、絶対に上げることはできません。結局、力の技になってしまうのです。 では完全な力抜きを習うことが出来るかというと、力抜きを習うことは殆どできません。この理由は以下の通りです。
つまり、ゴルフのプロでも、技の神髄は教えません。まして命を賭けた武術において、技の神髄など教えるわけはありません。だから技の神髄は、師から盗むのです。 しかし時代が変わりました。情報時代である現在、秘伝も隠している意味はありません。多くの人に役に立つ武術を習って貰いたいと思います。 実は、力抜きの秘伝は、塩田剛三先生の『合気道修行』の中に書いています。 極意は力を抜くこと!
「こちらがしゃがめば相手もしゃがむし、こちらが手を動かせば、相手はそれについて来ます」というのが「真の体之合気」です。ではまず、気を合わせることについて解説します。 解説 力抜きの原理は、「気を合わせ、合気を外すこと」です。 では気を合わせるとは何かというと、以下のとうりです。
「気が合う」というのは自然に気が合うことであり、「気を合わせる」というのは積極的に気を合わせることですが、何れも「合気」です。つまり「気が合う」のも合気、「気を合わせる」のも合気です。 そのように「気を合わせる」、つまり合気は別に武術の技とは関係はありません。 気を合わせる=合気 感じ方や考え方が似通って親しみがもてるのが合気、お互いに好意を持っているのが合気です。そのようにプラスな合気もありますが、マイナスな合気もあります。 たとえば、電車の中で靴を踏んで来て、口喧嘩になった場合は合気の状態になります。殴り合いになった場合は、強い合気の状態です。 手を出して握手したときも合気の状態です。手を掴んで引いてきたとき、これに抵抗するのは合気の状態です。胸倉を掴んできたとき、これを抵抗するもの合気の状態です。強く胸倉を掴んできたとき、頑張るのは強い合気の状態です。 相手が軽くつかんできたとき、自分が強く力を入れるとこれは合気の状態ではありません。相手が強くつかんできたとき、自分は力を抜くと合気ではなくなってしまいます。 以上のように「気を合う」あるいは「気を合わせる」ということを、まず理解することが大事です。 少し稽古すると、誰にでも合気の状態になることができます。 では、気を合わせると、武術では役に立つかというと、これだけでは役に立ちません。 必要なのは 気を合わせ(=合気)-合気を外す事 であり、これで始めて力抜きができることになります。 23.2.3 続く |
| 合気之術の科学解説 第一回 合気は、実戦には役に立たない!
小手之合気も体之合気も、実戦には役に立たない。
いくら巧みな技であっても、顔面を突け、胸を掴め、手首を掴めと指定する以上、実戦には役に立たない。(ただしそうした稽古は必要) なぜかというと、勝負の合気を知らない場合は、「力抜き」が出来ても相手に勝つことは出来ないのである。そして勝負の合気は、絶対に習うことが出来なかったのである。 これが 武田惣角先生の秘密 であった。 では「力抜きの合気」とは何かというと、 気を合わせ、合気を外すこと
である。 では「勝負の合気」とは、これも 気を合わせ、合気を外すこと
である。 ただしこれは理論であり、その方法は 合気を掛けること
である。 具体的には、合気を掛けるとは、○○○○○ことである。 武術の必勝法は、古代から現代まで、一貫して
合気を合わせ、合気を外すこと
である。 つまり荘子の説剣篇、あるいは孫子の迂直の計も「合気を合わせ、合気を外すこと」であった。 武術の必勝法は、荘子の説剣篇・孫子の迂直の計
この荘子の説剣篇あるいは孫子の迂直の計を、具体的に述べたのが宮本武藏の五輪書であり、これを実行したのが武田惣角先生の剣であった。
惣角先生の言葉は、 「出よ」 である。 つまり、 後○○○、先○○○ である。 これがすべて合気之術であった。 平成23年1月8日 吉丸慶雪 |
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| 合気之術の科学 ◎目次 第1部 勝負の合気 第1章 合気を外す 第1節 相手の心を読む 第2節 気とはなにか 第3節 宇宙の気「正気」 第4節 神域にて荘厳な気と共鳴する 第5節 合気は気を合わせること 第6節 文献の合気 第7節 気と気が合う 第8節 なぜ気が合うのか 第9節 マイナスな合気もある 第10節 宮本武蔵の合気 第11節 合気を外す 第2章 剣術名人位 第1節 早業 第2節 惣角の剣 第3節 音無の剣 第4節 中村一刀斉 第5節 真剣白刃捕り 第6節 ○○と出る 第7節「今武藏」國井善也 第3章 必勝の理 第1節 攻撃と防禦 第2節 懸待一致 第3節 迂直の計 第4節 荒野の決闘 第5節 先手と機先 第6節 合気をかける 第7節 武田惣角先生「出よ」 第8節 「先」の体得 第9節 前ぶれ 第10節 合気之術 第11章 錬気養心の事 第12節 変性意識 第13節 合気武術の入戦法 第2部 「力抜きの合気」 第1章 力抜きの理 第1節 抵抗力 第2節 力抜きの原理 第3節 空間の崩し 第4節 空間の力抜きの実際 第5節 小手之合気 第6節 小手之合気の方法 第7節 体之合気と真之合気 第8節 伸筋制御 第2章 手解きと振り解き 第1節 実戦必勝歌 第2節 貫く力と合気 第3節 佐川先生の手解き 第4節 とぼその教え 第5節 武芸の歩き方 第6節 体捌きの本質 第7節 大東流奥義「うねり」 第8節 膛勁の転換 第3章 小手之合気演習 1-01 小手の合気の呼吸法 2-01 小手の合気演習1~30本 第4章 体之合気演習 1.体之合気演習1~25本 第5章 護身技合気無想拳 1.「うねり」1~12本 2.「つかみ手」1~12本 3.「○○」1~12本 第3部 護身技再提唱 第1章 日本刀と○○ 第1節 合気拳法無想拳の意義 第2節 荘子 説剣編 第3節 正流と蔭流 第4節 南蛮賊の寇(刀伊の入寇) 第5節 剣と盾 第6節 ツルギとカタナ 第7節 「三つの先」と○○ 第8節 日本刀の技術 第2章 参考資料 資料1 日本要録 資料2 徳川幕府創業 資料3 36人切り 資料4 抜刀隊 資料5 実際の日本刀 資料6 幻の日本刀 |
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| はじめに 2005年『合気道 極意の秘密』(ベースポール・マガジン社・刊)において、「合気とは何か」という疑問に対しては「気を合わせること」とし、これにより「体之合気」を実現することができた。しかし健康上の問題で最後の著書とした。その後病気が悪化2008年正月には危篤状態となりも辛くも生還、6ヶ月のベッド生活のあとに退院、その後療養生活になったが「合気とは何か」という疑問が解けたのである。 力抜きは「気を合わせ、合気を外すこと」であり、「合気を掛ける」とは「○○○○○こと」である。 本書は「合気とは何か」という疑問を解くものである。そして一番大事なことは「勝負の合気」であり、「力抜きの合気」は従属的なものであった。 「勝負の合気」こそ武田惣角先生の秘密であった。 これは重大である。一般的に「力抜きの合気」を会得する目的としているが、実戦的には役に立たないのである。是非これを考えて貰いたい。 本書の特徴は「合気の会得」である。理論は省き演習を載せた。小手之合気、体之合気、うねり、つかみ手、○○を演習することにより合気を体得できるように企図したものである。 一つに『合気道の奥義』に「護身技心技護身拳」を提唱したが、合気之術の理論に基づき「護身技合気無想拳」を再提唱する。これは心技護身拳の改良形である。格闘技をベースとする護身術は、体技の才能の無い人には役に立たない。しかし合気無想拳は心技なので、誰にでも体得できる。なお『合気道 極意の秘密』は、本書の一部に過ぎないため、絶版とすることにした。 『合気道の科学』から本書『合気之術の科学』に至る合気の研究には、ベースポール・マガジン社の御理解がなければ世に出ることはできなかった。ここに深く感謝するものである。 2011年3月吉日 80歳 吉丸貞雄(慶雪) |
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第1部 勝負の合気 第1章 合気を外す 第1節 相手の心を読む 人間には古来から、人を思い通りに動かしたいという願望があった。そのため人を思いのままに操縦する方法を求め続いてきた。 その一つは兵法であり、そして一つは合気之術である。 戦争でも個人の争いでも、まず相手の心を読みたいという切望がある。 国と国との外交でも、相手の本心を読みたいと思っている。 合気之術は、相手の心を読み、そして相手を操りたいとして考案されたものである。しかしそれは完成されたものではないと言える。 父の蔵書に立川文庫『宮本武藏』明治44年発行があった。その中に次の文章がある。 「、、、、正当の矢ならば何千射られるとも受け損じる拙者(せっしゃ)ではござらぬ。しかるに卑怯にも合気の法をもって某(なにがし)の自由をとどめ、その上にて矢を向けられるは死物を射るも同然の仕儀、、、」(この合気の法は合気遠当ての術ともいう)引用拙著『合気道の科学』 そのように合気の法は夢であった。同じく父の蔵書に『秘密宝鑑 全』健斎居士、大正6年12月発行があった。これは青少年のための文庫並の本で、たとえば柔道護身術とか催眠術などがあり、その中に気合いで倒す合気之術がある。 これに対して、武田惣角の合気とは関係がないと私は考えていたが、実はこれらと関係があることが分かった。したがって拙書『合気道の科学』の記述は間違いであった。 「巷間、各種文献に「合気」の語を求め、はなはだしいのは中国の文献に合気の語を発見してこれらと関連づけて解釈しようとする試みもあるが、もし大東流の合気が武田惣角の創作であるならば、それらの試みは徒労に終わるであろう。」これは間違いである。 「合気遠当ての術」とか「気合い術」はある条件があれば確かにできる。 では武術としての合気之術とはどんなものであるかを考えてみる。 理論としては、合気之術は、まず相手の心を読み、次に相手の体をコントロールする。相手の心(気)をコントロールするには、まず自分の心(気)を制御する必要がある。 1.合気之術の目的は、相手の気(心身)をコントロールすることである。 2.そのためには己の気(心身)をコントロールする技術が必要である。 しかしこれは「合気遠当ての術」も同じである。では武術の合気之術の特徴はというと、これが「合気を掛けること」である。 3.武術では合気を掛けること。 今、「合気を掛けること」についての私の記述は間違っていたと述べた。というよりそこから書き出して本書では、大東流合気柔術の世界の常識を破る新説を今から述べようとするものである。 新説 「合気を掛けること」 これを理解するには、「気」とはなにかを認識する必要がある。 では気とはなにかを考えてみる。 第2節 気とはなにか |
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| 第1部 勝負の合気 第1章の要点 【気】 1.人間は雰囲気として気を感じている。 2.人間は宇宙森羅万象に気があると感じている。 【合気】 1.自然に気と気は合うという性質がある。これは合気である。 類は友を呼ぶ 類を以て集まる 朱に交われば赤くなる 2.能動的に気を合わせることができる。これも合気である。 hug 合気 同調 共鳴 祈り 瞑想 観想 3.宮本武蔵の「移らかすという事」これも能動的な合気である。 【合気を外すこと】 1.社会的雑音とか人為的雑音から合気を外す。 第2章の要点 1.武田惣角先生の早業、音無の剣・高柳又四郎の剣、不二浅間流中村一心斉の剣、「今武藏」國井善也先生の剣は合気之術である。 2.昭和39年5月13日、佐川幸義先生のお話は、以下の通りであった。 ①.合気を掛けるとはなにか。 ②.合気を掛ける方法とは。 ③.合気(の柔術)は武田惣角先生の創案である。 3.新説「合気を掛けること」 ○○○○○ことが合気を掛けることである。 第3章の要点 1.○○も○○○も「○○と出る」をすべて同じ。 2.無念無想は前ぶれに対する条件反射である。 3.「合気をかける」とは、○○○○○○ことである。 |
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| 第2部 力抜きの合気 第1章 力抜きの理 第2章 手解きと振り解き 第3章 小手之合気の演習 1.小手之合気の基本形 6本 2.小手之合気の演習 30本 第4章 体之合気の演習 1.体之合気の演習 25本 第5章 合気無想拳演習 1.「うねり」演習 12本 2.「つかみ手」演習 12本 3.「○○」演習 12本 |
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| 第3部 護身技再提唱 第1章 日本刀と○○ 第2章 参考資料 |
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| 【解説】 合気には「力抜きの合気」と「勝負の合気」があります。 しかし一般には、合気とは「力抜き」を思っています。ですから「力抜き」を説明します。私はいわゆる伸筋理論、つまり「伸筋制御運動」により「力抜きの合気」は出来るのですが、分からないという人が多いので、端的に言うと、相手の力を抜くには、相手の力を抜くのではなく、自分の力を抜くということです。つまり自分の力を抜くと、相手の力が無くなる。 これは秘伝なので、理解できないように説明をしているのですが、実際は簡単なことで、「自分の力を抜く」ということです。 『合気之術の科学』では、「力抜きの合気」および「勝負の合気」を、演習により理解できるように企画しました。合気道・合気柔術の実戦のために、ぜひ「勝負の合気」を会得してください。 |
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![]() 本書のモデルの護身技研究会メンバー 内田智春 大東流7段 市川公洋 大東流6段 小林太郎 大東流5段 北原立朗 大東流5段 三木正彦 大東流5段 堤 信夫 大東流4段 飯塚大貴 空手道2段、大東流2段 護身技研究会の顧問 日本兵法大和道 佐藤柔心斎宗家 日本武道傳骨法会 堀辺正史創始師範 日本健康太極拳協会 楊 進会長 自然身法研究会 出口衆太郎代表 剛柔流空手道泉武会 泉川勝也宗家 日本武術太極拳連盟 大塚忠彦理事長 渋谷区太極拳連盟 立石朝士代表 合気錬体会 有満庄司総師範 |
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| あとがき 縁というものは不思議なもので、沖縄伝剛柔流空手道泉川寛喜先生の入門したことから合気之術の解明になった。たまたま国分寺に赴任した時、旧師佐川幸義先生に逢い、16年間の指導を頂いたが、感ずることがあり辞去し、現日本武道伝骨法堀辺正史師範に論理学を整体を習った。これが合気之術を解明するための武器になった。 泉武館の同門大塚忠彦現東京都武術太極拳連盟理事長に日中太極拳交流協会を紹介され、以後日中太極拳交流協会に属し、後十数年中国の一流太極拳の老師の講習に参加、とくに陳式太極拳馮志強老師、陳式太極拳丁金友老師に習った。後に日本兵法大和道佐藤金兵衛宗家に、山本派大東流合気柔術の奥義技を習い、大東流合気柔術秘伝奥義の免許を得た。これは全て縁であり、この輪が一つでも欠けていれば合気之術を解明することは出来なかった。 またこれも不思議な縁であるが、西郷派大東流合気柔術曽川和翁宗家がビデオに出演したのを、昭和39年5月13日の夜に佐川先生と話し合ったことである。この話には重大な意味があった。つまり「合気を掛けるとはなにか」そして「合気を掛ける方法とは」を、佐川先生が話していたのである。 古来伝える武術の必勝法は荘子の説剣篇であるが、これが「気を合わせ、合気を外すこと」である。これは理論であり、方法は「後○○○、先○○○」である。つまり説剣篇も武田惣角先生の大東流合気柔術も、方法は「後○○○、先○○○」であった。 さて私は、佐川先生の話で「出る勘は天性のものらしく」という言葉を感じ、以来誰にでも出る勘を養成する方法について考え、護身技の発想を得た。格闘技は才能や素質を必要とするが、護身技では心技なので誰にでもできる。護身技は日本武術の特徴と考えている。ぜひ護身技を体得して貰いたい。 今生の縁を深謝したい。 平成23年3月吉日 吉丸貞雄(慶雪) |
| 【吉丸慶雪合気談】No.9 20.8.15 大東流合気柔術の後継者についての話です。 大東流合気柔術の宗家については、先ず最初に佐川幸義先生が宗家を継いだのに間違いはありません。『合気之術』という戦後に出た武田流の宣伝本ですが、写真の左頁の上から ①大東流合気術36代目宗範佐川幸義先生 ②植芝盛平先生 ③山本角義先生 ④井上方軒先生 ⑤塩田剛三先生、右頁には①武田流合気術43代目宗家大庭一翁先生 ②佐藤柔心斉(金兵衛)先生 ③細野恒次郎先生 ④星たか子先生 となっています。 【佐川幸義先聞き書き】宗家関係 警察学校で大東流合気術宗家として講習会をしたことがある。このとき時宗は警察学校の生徒であったが、時宗を助手にして講習した。 私が大東流の宗家を継いだとき、何代目とか称するのがよいと考え、源家の系図を調べて適当に第36代目とした。 大東流は総角先生の創作ではないのか。背の低い人に有利な技が多い。 時宗が宗家を継ぎたいというので覚え書きを交わして宗家を譲った。その覚え書きは金庫にしまってある。 【佐川幸義先生聞き書き】山本角義関係 私(吉丸)が「総角先生は合気を誰にも教えなかったのですか」と質問した時の答え。 「惣角先生は私にも息子の時宗にも、誰にも教えていない。しかしただ一人教えた可能性がある。それは山本角義だ。山本は昭和16年に入門したばかりの一番新しい弟子で、先生が倒れてから自宅に先生を引き取りずっとお世話をして最後まで看取ったが、先生に大変気に入られていたから山本には教えたのではないか」 【佐藤金兵衛先生聞き書き】山本角義関係 佐川幸義先生と武田時宗先生が後継者の問題で尋ねて来たので、山本先生は「夜の稽古がありますから、先ずそれを見てください」と言って、夜の稽古で見たこともない技を次から次へとやって見せた。その翌朝、二人とも何も言わずに帰ってしまった。 山本先生から、会津の殿様から拝領した羽織の紐と総角先生の刀を×××ほしいと(佐藤先生が)頼まれたのだが、羽織の紐は×××できず、刀は鑑定としてもらったところ鍔が碗鍔であまり良いものではないと言われたので、それも××なかった。 山本先生の門人の伝承によると、武田先生の遺品の刀が山本先生宅に残存する件について、武田時宗先生と佐川幸義先生とがそれらの品を返還して貰いに来たことがあった。 上記3種の情報を総合してみると、始めて真相が分かります。 1.佐川先生は山本先生に会って技を見たことがあるが、私には話さなかった。 2.佐藤先生の情報とを総合すると、佐川幸義先生と武田時宗先生二人で山本宅に訪れて総角先生の遺品返却を求めたが、山本先生の技を見て何も言わずに帰ってしまった。 3.山本先生は会津公の羽織の紐と総角先生の刀を所持していたが、佐藤金兵衛先生に×××つもりであった。佐藤先生は羽織の紐は××つもりは無かったが、刀については一応鑑定してもらった。その結果刀は碗鍔であり上士の持つものではないと鑑定されたので××なかった。 4.山本先生は昭和16年の入門であり総角先生は昭和18年没なので、約2年で合気が使えるようになった。 |
平成15年2月、出血性脳梗塞で2日間昏睡の後生還したものの心不全で2ヶ月入院、さらに8月には自治医大に緊急入院して辛くも命を取り留めました。幸いに死を免れて小康を得たので、合気その他について書きとどめることにしました。それが最後になるやも知れず勝手なことを記すことを許してください。なお脳梗塞の後遺症で適切な語彙を使うことが困難なので、お詫びしておきます。
3月末に『合気道極意の秘密』が発売になりました。読んでいただければ分かると思いますが、佐川幸義先生の「合気極意」について分析できた結果、大東流および祖より派生した合気系武道の代表として「合気道」という言葉を使わせて頂きました。ただし植芝盛平翁が合気道を創始した理念とは関係なく、純粋に合気技法の問題として取り上げています。
【合気とは何か】 No.1-1
日本武術最後の神秘・秘技である、などと言われています。しかし「合気とは何か」が分からなかったために各人多様ないろいろの捉え方をしていて、一面的にはそれぞれ正しいのですが、全面的な認識がなされていなかったといえます。
「合気」という言葉には三つの意味があります。
① 合気とは弛緩力のことである。
弛緩力は力まない伸張力のことであり、呼吸力・勁力・内勁・伸筋力などのことである。
② 合気とは弛緩力による崩しの事である。
③ 合気とは弛緩力を使う力抜きの技術である。
【①合気とは弛緩力のことである。】
合気という言葉を使うとき、その場合は何を指しているのかが分からないと困ります。
太極拳は勁力を使う拳法です。八卦掌も勁力を使う拳法です。その場合は勁力という認識を持っています。剛柔流空手道は勁力という認識はありませんが「剛柔」という言葉は勁力に当たります。空手でも達人は勁力を使ってはじめて威力のある拳法になります。
重量挙げでは「強い伸張力」を使うという認識は持ちませんが、強い伸張力(剛弛緩力)を使えないと重い重量は上げることはできません。
つまり強い力とか速い動きとかを使う体技においては「主として剛弛緩力」を使っています。
そこで合気柔術は合気(弛緩力)を使う柔術であるし、合気(弛緩力)を使う拳法ということになります。
【②合気とは弛緩力による崩しの事である。】
同じ合気という言葉を使っていても「合気を掛ける」という技法があります。この場合は「合気をかける」ということで誰でも理解できます。この技術は「主として弱伸張力」を使います。太極拳でも虚勁力(弱弛緩力)を使って「化勁」をします。しかし「化勁」と「合気を掛ける」のは技法的に同じではありません。
つまり合気系武道とは弛緩力を使う武道であり、柔術技では主として剛弛緩力を使い、「合気をかける」技法のときは主として弱弛緩力を使う、ということになります。
しかしこの①②の両方とも合気という言葉を使う必然性はありません。つまり合気柔術は弛緩力を使う柔術であると言えばよいし、「合気を掛ける」のは「弛緩力による崩し」と言い換えることができます。
では「合気」という言葉を使う必然性はないのでしょうか。
実は大東流合気柔術で「合気」という言葉は必然性である、ということが分かったのです。私は『合気道の奥義』を書きましたが、その直後本当の『合気の極意』が分かったのです。1990年『合気道の科学』において合気道の「呼吸力」とは何かという疑問から書き進めてゆきました。
その時点で私の持っていた「合気とは何か」という答えをそれなりに持っていたのですが、著書を発表するたびに次の問題点が浮き彫りになり、試行錯誤の末に『合気道の奥義』では弛緩力(呼吸力)を定義し、弛緩力による崩し技法であるとしても問題は解決されたと思ったのです。
このように始めから「合気とは何か」という正解を分かって書いたものなのではないので、多少矛盾する点もありますが、それらの著書を思考の発展過程として読んでいただけれは面白いと思います。
ということで『合気道の奥義』の原稿を出版社に渡したその直後「合気とは何か」という真相が分かったのです。合気を実現するには弛緩力・呼吸力が必要です。合気道では呼吸力を体得するのが最優先の問題とされていて、それは正しいのです。
大東流合気柔術では「合気」という言葉はまだ未分化のままであり、呼吸力という認識を持っている合気道の方が進歩している面があると思います。
ただし呼吸力の重要性は認識しつつも、呼吸力とはなにか、その修得法はどうするのかという疑問を多くの人がもっています。そこで書いたのが『合気道の奥義』でした。
【③ 合気とは弛緩力を使う力抜きの技術である。】
そこで最終的に「合気は気を合わせる事である」ということになります。それまでは「気を合わせる」という佐川幸義先生の言葉は精神的なものであるとか抽象的な言葉であると誤解されてきたのですが、それは弛緩力による力無効化の体技ということが分かったのです。
このように大東流合気柔術において「合気」という言葉は少なくとも三つの意味を持っているということになるのです。
【合気とは何か】 No.1-2
拙著『合気道極意の秘密』において、最終的に大東流合気柔術で「合気」という言葉には三つの意味があると述べました。それまでは「合気」という言葉は未分化であるため、各人それぞれの合気観を生んできました。
そこで拙著の範囲を超えて大東流合気柔術の全貌について説明したいと思います。
1.技芸上達の第1レベル
技芸一般について次のように言うことができます。それは普通の技芸において伸筋制御運動により技芸の質が変革できるのです。
| 技芸の入門段階 | 進化 | 技芸上達の第1レベル | |
| 人間動作による 下手な柔術 |
→→ | 伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 強く巧みな柔術 |
柔術の巧者・達人など ある名人は○○流柔術などと命名 |
| 人間動作による 下手な拳法 |
→→ | 伸筋制御運動(勁力・内勁)による 強く巧みな拳法 |
拳法の巧者・達人など ある名人は太極拳・八卦掌・形意拳などと命名 |
| 人間動作による 下手な日舞 |
→→ | 伸筋制御運動(技芸のコツ)による 優雅で巧みな日舞 |
技芸の巧者・名人など 花柳流日舞とか○○流日舞などと名乗る |
2.柔術上達の第2レベル
しかし武田惣角先生は弛緩力を使うだけでは大東流合気柔術と名乗ることはできません。それでは浅山一伝流の名人とか○○流柔術の名人になってしまうのです。
では何故に武田惣角先生は合気柔術と称したのでしょうか。
嘉納治五郎先生は「崩しの理」を乱取りにより実用化し、古流柔術を制して講道館柔道を創始しました。ただしこれは人間動作による「崩し」でした。
武田惣角先生は単に弛緩力(合気の力)を使う柔術ではなく「弛緩力による崩し」、つまり「合気を掛け」てから逆技、投技、極技に入る柔術を創始したのです。これで惣角先生ははじめて大東流合気柔術と称することができたのです。
『合気道の科学』では「合気」は武田惣角の小手透徹力(集中力)が柔術技に生かされて完成されたものと書きましたが、それ浅薄な理解でした。
なお呼吸力、勁力、内勁などは力まない伸張力のことであり、その伸張力の働きによって透徹力とか集中力とか伝達力と呼ばれると考えています。それは人間の身体運動は屈筋と伸筋という互いに拮抗する筋肉によって行われているので、「屈筋優位になるか伸筋優位になるかの2種類しかない」としか考えられないのです。
では透明な力とは何か、というのは伸張力のある働きを言うのではないでしょうか。その「ある働き」とは、私には分かりません。
| 大東流柔術 | 進化 | 大東流合気柔術 |
伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 強く巧みな柔術 |
→→ | 伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 崩しの柔術 |
| 柔術 第1レベル | →→ | 柔術 第2レベル |
ということで武田惣角先生は「合気を掛ける」という独自の崩し技法によって、大東流合気柔術と呼んだのです。この崩し技法とは言葉を換えれば「力の無効化技法」ということになります。
、、、、、と思っていたらそれはまだ浅はかでした。
【合気とは何か】 No.1-3
3.柔術上達の第3レベル-別の無効化技法-合気之術
いま反省すると『合気道の奥義』という題名だけでは誇大広告と言われても仕方ありません。しかし『合気道の奥義』で弛緩力を定義できたことにより初めて「合気」を実現することができるようになったので、それはもう一歩のところだったのです。
では「真の合気道奥義」とは何かということになります。(大東流およびそれより派生した合気系武道諸派の代表として「合気道」という言葉を使っています)
その答えは「気を合わせること」つまり「合気」そのものだったのです。そして合気とは、もう一つの力無効化技法だったのです。
弛緩力によって「合気を掛ける」という技法に習熟して弛緩力を自在に操ることができるようになると「気を合わせる」ことができるようになります。それがもう一つの力無効化技法なのです。そうすると合気を掛けて逆を取るとか、合気を掛けて投げるとかしなくても、そのまま力を無効化して極める、そのまま投げることができるようになる、つまり柔術技は使う必要がなくなるのです。
つまり「気を合わせる」と相手と接触するだけで相手の力を抜くことができるようになります。これは「気を合わせる術」ですから合気という言葉そのものです。ここで始めて合気柔術の全貌が見えてくるのです。
| 大東流柔術 | 進化 | 大東流合気柔術 | 進化 | 大東流合気柔術極意 |
伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 強く巧みな柔術 |
→→ | 伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 崩しの柔術 |
→→ | 伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 合気之術 |
| 柔術 第1レベル | →→ | 柔術 第2レベル | →→ | 柔術 第3レベル |
4.第4段階-すべて合気之術に変化する
そうすると合気柔術と言えるものかという疑問も出来てきて、これは合気柔術ではなく合気之術というほうが相応しいと私は考えるのです。
下図は「気を合わせる力無効化」に進化した、つまり合気之術ですが、これができると「崩しの柔術」と同じことが出来るので、見ている人はどちらの技を使っているのかが分からないのです。
| 伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力) による「合気(弛緩力)のある」 強く巧みな柔術
|
進化 →→ |
伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力) による 「合気をかける」 崩しの柔術
|
進化 →→ |
伸筋制御運動(弛緩力・呼吸力)による 「気を合わせる=合気させる」 合気之術 (崩し不要)
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| ↑ 見た目は同じ技のように見えるが、 使っている原理が違う ↓ |
↓ ↓ ↓応 ↓用 ↓ ←←←←←← |
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| 合気之術による 崩しの柔術
|
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だから合気之術ができれば「崩す」ことは全く必要が無いのですが、これを見せるとこの極意が分かるので、わざと「崩したところ」をみせている場合があるのです。
つまり見た目は同じ技のように見えるが、使っている原理が違うのです。
第1レベルの人でも(第1レベルに到達していない人はもちろん)、「崩しの柔術」も「合気の柔術」も「合気之術」も技の見分けはつきません。ですからいくら年月をかけ技法・テクニックを真似し、ビデオを見たり、研究してみても学習の目的を達成することはできません。
それにはまず第1レベルを学習し体得することが必要なのです。この第1レベルの訓練は、近所の日本武術太極拳協会などで相当レベルの練習ができますので、そういうところを探してみてください。
このように「合気には三つの意味がある」ということではなく、柔術から合気之術に至る発展段階であると理解することによって、初めて合気の学習を成功させることができるのです。
【合気とは何か】 No.1-4 補足
「合気とは何か」について、拙著『合気道極意の秘密』の読者で誤解ないし誤読をする人は少なくないので、合気というものをよく理解してもらいたいと考えて補足をしておきます。
前節は、大東流合気柔術において「合気」という言葉は、大別すると三つの意味があると述べました。そして大東流合気柔柔術の原理を図解すると
「大東流柔術 + 合気 = 大東流合気柔術」
という関係が成立します。
「合気」は、極端に言うと武術とは関係のない、一つの独立した「体の用法」に過ぎない(過ぎないというと少々問題はありますが)のです。
つまり「合気柔術」はありますが、「合気という武術」はないのです。だから「合気」という不思議な秘伝・極意さえ身につければ強くなることができる、というのが誤解なのです。
私が考えるのは、大東流柔術を鍛練に鍛錬を積んで達人にまで到達できた人が「合気」という「ある体の用法」を覚ったので、不思議な技を使う更なる名人になったのだとということです。だから「合気」が分かったら強くなれる、武術の名人になれる、ということでは無いと思うのです。
『合気道極意の秘密』は、希代の名人である佐川幸義先生が何故そういう技が出来るのか、ということを考え抜いてその「一つの答え」として今回公開したものです。
その理論の証明として、私が入院中に見舞いに来た入会3年目の有満庄司に1日(時間にして30分ほど)教えただけで「まあまあの合気」を体得させ、現在は合気錬体会の「上げ手講習会」は彼が独りで教えています。
注:私吉丸慶雪が佐川幸義宗範にご指導いただいたのは、先生が60歳で私が30才の時から14年間であり、技術というものは常に進化・発展していくものなのですから、それ以後の佐川幸義宗範の技について私には分かりません。
今時の若者たちは、私には考えられないような見事なダンスでも体操でもやすやすやっています。その体の素晴らしい運動能力は大変なものです。だから「合気の理論と実技」を2~3年でも訓練すれば【体の合気】は出来るのです。そして舞台の上で「力抜き」を実演することはできるようになるでしょう。しかしそれが何になるかというと疑問です。
あくまでも「合気による力抜きの実演」までは出来ても、相手と戦いながら実戦で合気を使うということとは全然違うことなのです。
つまり「合気が出来れば即名人である」と言うことはないので、初歩の「合気」を覚えた人もいるし、もっと高度な合気を使える人もいます。「合気」が出来る人が即名人である、そうではない人は「合気」が分かっていないのだ、と言うのは当たっていないのです。
たとえば牛を突き倒す(?)ことの出来る発勁の名人もいれば、相手を倒すことが出来ない発勁の初心者もいます。発勁でもレベルの上下があるのは当然なのです。しかし人間動作で相手を倒すのは「チカラ技」であって、それがいかに有効なパンチであっても発勁とは言えないと思います。(こんなことを言うと分かっている人には笑われてしまいますが)
そして世間にはとてつもない実戦合気の名人がいます。たとえば呉式太極拳のS老師(日本人)です。S老師の元弟子から稽古風景のビデオを見せて貰いましたが、まさに実戦に使える合気之柔術そのものなのです。
つまり太極拳での呉式でも陳式でも楊式でも、合気柔術でも合気道でも、技法・テクニックは違っているように見えても、体を使う根本原理は同じなのです。
また以前から交際させて頂いている岡本正剛先生も、やはり達人の域に到達しているのではないでしょうか。それはもう20年前にもなるでしょうか、私が護身拳法を研究していたころ、品川体育館の柔道場を半分に分けて岡本先生の六方会と私の護身拳法のクラスとで練習していました。
その頃、岡本先生は「私は3年で一通り、誰にでも教えています」と言っていましたので、私が「技を盗んで独立していく人をどうしますか」と質問すると「来るものは拒まず、去る者は追わずです」と言っていました。岡本先生は中年から堀川幸道先生に就いて十数年習ったそうですが、当時の私にとって比較もできない合気の達人でした。
しかし堀川先生の教え方は「合気」ばかり練習しているのに対し、私たちは「合気」の練習は全然しないという稽古法でしたから、それは当たり前でもありました。では「合気」だけを重点的に稽古する方法(上達法)が良いのかというと、それはまた別の問題点が生じることになるのです。
【伸筋制御運動の前説】 No.2 17.6.28
吉丸慶雪合気談では「合気とは何か」に続いて「伸筋制御運動について」を書いていくつもりでしたが、急遽予定を変更し、BABジャパンから今月発行された『月刊 秘伝』2005年7月号の特集記事「徳晋会
瀬戸敏雄師範が語る内功と勁力の養成」およびビデオ【勁力入門】を拝見させていただいた感想を交えて「伸筋制御運動について」の前説を述べていきます。。
それは5年ほど前、瀬戸師範の元弟子の方から乱取り稽古風景のビデオを見せてもらい、これこそ正に実戦に使える合気柔術であると驚いたことがありました。そこで瀬戸先生がどのようにして勁力を体得されたのか興味を持っていて、『秘伝』の特集を待っていたのです。
以前から大多数の日本武道には、稽古法に欠陥があると感じていました。私は日本武道が中国武術に劣るとは決して思いませんが、中国武術(特に内家拳)には稽古法が確立されていて、日本武道にはそれが無いということが痛感されるのです。
日本武道には途轍もない名人がいますが、その反面、残念ながら平均的なレベルはあまり高いものではありません。それは天才にして試行錯誤の末に到達したものであり、系統的な上達法はないので、名人の技を受け継ぐのは殆ど困難なのです。
中国武術は、武技と練功が大事であるという認識を持っているだけに、平均的なレベルが高いのです。
弛緩力(勁力)は、二人で技を効かせる、技を掛けるという目的で練習をしていると、会得することは出来ません。かつて日本古武術は「型稽古」が主体でした。そのために弛緩力を養成することができたのです。明治初年、講道館柔道は「乱取り」主体に稽古することにより古流柔術を破ったのですが、徹底的に型稽古を積んだ人(当時は型稽古は常識でした)が乱取りをすることにより達人・名人になったのです。
瀬戸先生は「一つに統一された身体」と表現されていますし、佐川幸義先生は「合気之錬体」と表現されていますが、原理的には同じものであると言うことができると思います。(我々の練功とはレベルが違いますから容易に同じであるとは言えないのですが、原理的には同じとしておきます)
ではどのようにして「一つに統一された身体」を作るのか、「合気之錬体」をどのようにして作るのかが問題になるのですが、瀬戸先生はズバリとその要領を教えていますので今月号『秘伝』特集第2部「気功体への道」を引用させていただきます。
「そこでまずもっとも重視されるのが形、すなわち姿勢であり、以下の練功も姿勢における細かい注意点を遵守しなければ(これは実際の指導による)、ほとんど意味をなさないという。」『秘伝』引用。
たとえば『発勁の科学』第11章で紹介した南京の東南大學夏勤先生は、(陳発科宗師-洪均生老師-)将家俊老師の弟子として陳家老架式を学ぶ他に著名な気功師・王瑞亭老師に少林内勁一指禅を学んでいて、武術の専門家では無いにも係わらず毎朝の錬功を1日も欠かしていないことを、合気錬体会では見習う必要があります。 (先月十数年ぶりに東京に訪れた先生から連絡があったのですが、私の病気のためお会いできなくて残念でした)
日本武道の修行者は、直ぐに肉体の鍛錬、技法の錬磨をやみくもに行う傾向がありますが、「姿勢における細かい注意点を意識して意識して功を練る」ということを理解できていないように思えます。
そのために『合気道極意の秘密』第2部◎合気の実践では、
第8節 型稽古の意味と実例
8-1 心技護身拳基本形
8-2 正面打ち腕抑え
を書いたのですが、どうもその意味を理解できているようには思えません。
『合気道極意の秘密』をせっかく書いたのですがこれでは理論倒れになってしまうので、私も何とか2.3年は生き伸びて型稽古の実際を確立したいと思うのです。(中国武術には優れた練功法が沢山ありますが、私は日本の合気系武道としての稽古法を作りたいと考えています。)
大東流合気柔術の「上げ手」は他流には無い非常によい弛緩力の体得法ですが、稽古法を誤るとこれは「諸刃の剣」であり、マイナスの効果を生じる恐れがあるのです。
「1964.9.21(月) 高杉、小野、長田、松田
夜の弟子が力む癖があるのは「上げ手」をやるからかもしれぬ。初めは「上げ手」をやらせない方がよいかも知れぬ。受けは強くなるが攻撃が下手になる。 佐川師評。」
弛緩力を養成するにはあくまでも形(弛緩力を発揮できる形、たとえば日本では円相水走りの構え)を精密に覚え、自分の体に向けて意識をし、意識して動かなければなりません。さらに精密な型を繰り返し繰り返し練習しなければ、人間動作を脱却することはできません。そのためには単独練習が重要になります。
小笠原礼法にしても日本舞踊にしても、伝統の技芸は全て同じような稽古法であることを改めて観察して、武道でも例外ではないことを認識する必要があると思います。
追加:佐川先生が誤った鍛錬をしていたことを話されています。
「1965.4.14(木)
若い頃、両肘に弟子を乗せて鍛えたりしたが、後で考えると肘の強さが問題ではないことが判った。」-吉丸記録
【佐川道場1964年の記録】 No.3 17.6.28
同好者のために昭和39年9月2日より9月30日までのメモ程度の日記ですが、公開します。上げ手についての佐川先生の注意がありますので参考にしてください。
夜のクラスの稽古は月曜・水曜・土曜。生徒は私と同じ日立中央研究所の所員が殆どで、熱心に来ている井上君は近所の大学生。昼のクラスの稽古は土曜・日曜。
1964.9.2(水) 高杉、小野、松田昌、長田、 松田入門
1.正面突足払い 足の鍛練、逆腕投の代わり。
逆腕投は突きを我が腕に抱きかかえて、突いてきた方向に投げる。
★外刈投(腰技)と腕の持ち方が違う。
1.コバ返し頑張り
回り込んだ時に引き、更に引く。二段に引く。
1964.9.5(土) 田口、山本、小川、細谷、見城、坂本
1.大東流
もと御式打という。大東久之助という人は居ない。
1.刀の切れるのは切先三寸、根本は切れないと思ってよい。前に出ること。
1964.9.6(日) 小野、内藤、細谷、見城
二元復習
1.掛け手
坂手に取り目つぶし、つづいて二元で極める。
1.中段突
頑張った場合、そのまま小手返し。
1964.9.7(月) 小野、松田昌、長田、関、松田、谷、 今井入門
1.胸巻捕
腕を伸ばさせる。下より打ち折る。上より崩す。小手を固める。
1.袖捕 二元で落す。
1.練習すべき技
一元二元いずれの技も巧くなろうとするので上手にならない。実戦的な技に集力する。一つ巧くなれば両方出来るようになる。
1.体捌き片手捕 下手を利用して練習する。
1.胸巻捕
軽く胸で当て返して引く。始め柔らかく次第に強く。今は掴んでいるので次の動作が出来ない。
1.腕抑え 腰で当てる位にして乗り込む。
1.四方投 右と同じく腰で当てるくらいにして入る。
1.技に段をつけることについて
先生が段をつける時は速い。遅くしては技にならぬ。頑張られる。
1.片手捕
二元で崩し、或いはその他で側面に入り、内膝に踵で前より当てる。
1964.9.9(水) 小野、松田昌、長田、関、谷
1.体捌き
下手を教えるチャンスに練習しなければならない。気を乗せれば速く出来る。今のは遅すぎる。
1.気を乗せて技を行うこと。
武術は円満ではいかぬ。私の若い頃は前に立つだけで恐ろしいと弟子が言った。他流試合では腕を折るくらいのつもりで技を掛ける。遠慮すれば自分がやられる。他流柔術では小手を捕りに来るが逆も何も掛らず、試合にならない。柔道は組んでくるので一気に極める。
スポーツなら技が巧くなればそれでよいが、武術というものは掛けるのであるから掛るか掛らぬか判らないと思ってやると、絶対に掛らない。必ず掛けると思って掛けること。
1.最後まで極めること。
気を乗せ、最後まで技を掛ける。私の稽古は皆そうしている。途中で止めると実戦の時に役に立たない。それが見てわからなければならぬ。
1.変化すること。
技が掛からぬときは他の技に変化して極めること。例えば入身腰投で叩きつける。
1.武術は気力
これらを気力という。武術書に説くのは皆この点である。
1.一元腕抑え極め
逆を取るのに手を持ち替えず滑らせ、そのまま極める。
1.上げ手
素早く出る。堅く掴まぬうちに上げる感じ。
1.受け身
初心者は後、横、前の順に教える。前倒は自然体より行う。受け身を毎日行い体を造りほぐすことが重要である。また受け身に習熟しなければ、投げられるのを恐れて頑張るために堅くなる。
師談
1964.9.12(土) 小野、高杉、谷、今井
1.初心者との練習が大切。今の体捌きでは打たれる。
1.技はのびのびとおおらかに使う。緊張したら体が動かぬ。
1.小手が不器用だ。
1.素人に対してはどんな技も掛る筈だ。気持ちの問題である。武術は精神面が重要な役割をする。
1.奥襟捕突張り二元
二段に効かす。図。
1964.9.14(月) 高杉、長田、松田、関、谷、今井
1964.9.16(水) 長田、松田昌、関、今井、松田
1.松田に対しては正面打・正面突の小手返しをよく覚えさせる。専門的に進まぬ者は実際に効く技に習熟させればよい。
1.胸捕 引く力のみ、膝を付いてはどうか。 師評。
1.正面突足掛け
手前に向かって掛ける。両袖捕にも応用。
1.突っ張り
相撲のと違う。両肘で突き落す。
1.正面突より小手返し
高い場合は落す力の(抑え受け)集力は難しいので、柔らかく落す練習をしてゆく方がよい。
1.落して次に相手が動いた瞬間に対応する。★相手の微動に対応する。
1.拳法 前後肘当、投げて更に肘当。
1964.9.19(土) 田口、細谷、見城、内藤、山本
1.練習(鍛練)方法は自分で考えねばならない。特に握力を強くする必要がある。(私に対して) ★足腰および握力の鍛練が必要。
私も三十前頃に握力が必要だということが判って工夫した。そして鍛練したから強くなった。一年やそこらやって強くならないといって止めるようでは駄目だ。道場の練習だけでは強くならぬ。
1.受身 受身反転法
受身は体をほぐし柔らかくするため必要な運動である。
1.気力 気を乗せて技を掛けること。
1.タイミングが一瞬遅れているとの師の御評あり。
1964.9.20
松坂屋へ忠吉(★吉丸家伝来肥前国初代忠吉)を持参、誠一より雲竜子を受け取り共に持ち帰る。道場到着は四時過ぎ。練習休む。
1964.9.21(月) 高杉、小野、長田、松田
1.上げ手
速くするという場合はこちらから迎える。
1.突き、足払い落し
手を引き下すと同時に足を刈る。
1.夜の弟子が力む癖があるのは上げ手をやるからかもしれぬ。初めは上げ手をやらせない方がよいかも知れぬ。受けは強くなるが攻撃が下手になる。 師評。
1964.9.23(水)休日 田口、小川善伸
3時より小川を帰して田口氏と二元復習
1.正面打二元 崩してから掛ける。
1.三元正面打・正面突 ★三元第一回
投げるのであるから手首はきつく締め付けない。
1.鍛練について
先師はどこが悪いから強くせよなど一言も言ったことがない。みんな自分で見て、やってみて始めて強くなった。今は足腰を強くせよとか握りを強くせよとか教えているのだから、強くなろうとすればそれを一生懸命やるべきだ。
1964.9.26(土) 誰も来ず休み
1964.9.27(日) 田口、井上、小野、細谷、見城
1964.9.28(月) 高杉、長田、小野、松田、今井
1.諸手捕
表に崩し、腰を抑えて投げる。
裏に崩し、腰を抑えて投げる。
1.横面打変化 腕に抱える。くぐって三元。
1.正面打・突き
手で補助受けをすること。今のタイミングでは打たれる、と。 師評。
1.合気について
遠軽で武田先師と修行中、二十才くらいの時、××が新聞に出た。写真を見て先師は「この手は合気ではない。百年やっても教えてないのだから合気は判るものではない」と言われた。当時は私も、開いている掌がどうして合気ではないというのか判らなかった。合気が判ったのは三十才くらい、それから合気が自在に使えるには更に数年の修行が要った。
合気が出来ているかどうか、手の開きぐあいを見ればすぐ判る。
1.合気道は開掌を多く使っている様だが、大東流は掴む。
1.くぐるのは二元の特徴、しかしくぐって三元で取ってもよい。
1964.9.30(水) 松田、小野、高杉、谷
1.気力について御注意あり
将来先生になろうとするくらいの者は、先ず相手に恐れをいだかせる位でなければならぬ。その点体格的には恵まれているのでもっと精神力を強くしなければならぬ。円満なのも結構だが、事武術となると違う。
武田先生など法事の席で坊さんが上席に着いたのを怒って、自分が上座に着かねば承知しなかった。また相手が海軍大将であろうと自分が上座に着いた。それくらいの見識を持つべきだ。
またやせ我慢でもよいから気力を養う。職人は高い屋根で仕事を平気でするが、我々は恐ろしい。しかし私は日本刀で切り掛けられても恐ろしくない。これは慣れである。最初恐ろしいと思えば、いつまでも恐ろしい。が、やせ我慢でも俺は刀など恐ろしくないといつも思っておれば、いつか恐ろしくなくなる。
このようなことは先生を見て分かったことで、教わったものではない。 師談。
【伸筋制御運動について】 No.4 17.8.15
「伸筋制御運動で働く力」を便宜的に「弛緩力」と名付けてみましたが、これは合気道の呼吸力、中国拳法の勁力と同じものであって実は「伸張力」というのが一番分かり易いと思うのですが、それでもやはり理解することは困難です。『合気道の科学』では「透徹する働き」を示すために透徹力という言葉を使いましたが、これも「透徹するチカラ」と誤解されてしまったようです。
なぜかというと人間動作しか出来ない(殆どの)人が弛緩力という言葉を聞くと「弛緩リョク」という力をイメージしてしまうのです。同じく「呼吸リョク」「勁リョク」「伸張リョク」という一種のチカラをイメージしてしまうのですが、それは全く違うのです。しかし人間としての「力感覚」を持っている人が「全く他の感覚」を理解せよ、というのがどだい無理なのです。
だから『太極拳真傳』では勁力を何とか理解させようとして次のように述べるのですが、表面に現れた現象を並べるだけでは、人間感覚を持っている人(つまり人間そのもの)には理解できないのです。『合気道の科学-小手透徹力』参照。
「力は滞り 勁はひろびろ、力は遅く 勁は速い、力は散じ 勁は集まる、力は浮き 勁は沈む、力は鈍く 勁は鋭い」
あるいは『合気道極意の秘密』では天真真楊流伝書を引用しましたが、これも表面に現れた現象の説明であり、それがどうしてそうなるのかの本質は分かっていません。ここでは「この状態を相気という」と言っていますが、これを「勁」といっても同じことになります。
「水に浮いた瓢を指先に押すと、瓢は沈まずにくるりと反転し、指先に離れず纏いつく。この状態を相気という。」
呉式太極拳の瀬戸老師もはっきりと「勁が合気」と言われています。人間が生まれつきの動作で動くか、何らかの「腕を使う技術」を修行して到達した「動き」に進化しているのか、その2種類しかあり得ないのです。(気功の名人は周りの弟子を吹っ飛ばしてしまいますが、これは気が感応したものと考えられています。)
私は弛緩力・勁力の本質、つまり伸張力が分かれば誰にでも体得出来ると考えていたのですが、『合気道の奥義』に至っても体感的には理解されていないのです。なぜそれが理解できないのかを考えてみると、それは「武術の稽古」に問題があったのです。
NHK3チャンネルを見ると伝統芸能の時間があります。日本舞踊を見てみるとたとえば花柳流では10種の型があり、最初の基礎から時間を掛けて習ってゆきます。ここで伸筋制御運動などといっても日本舞踊が上達できるわけではありません。したがってお師匠さんの教えるとおりに稽古を積むしかありません。だから日本舞踊では○○力などという認識は必要が無いのです。
日本舞踊の上手な人の動きを分析してみれば、伸筋制御運動になっているというだけのことであって、その理論が分かったから上達できるというものではないのです。しかしあまりにも下手くそな素人を、少しは上達させることはできるかもしれません。
そこで武術の話になります。
武術とか格闘技の目的は戦士として戦闘するために発達したものです。そのため若い者・肉体的素質が優れている者・精神的強靱な者を選抜して訓練します。訓練は各種の道具を操り、力を鍛え、さらに模擬実戦(乱捕り)をすることが大事です。また素質も力なので、圧倒的に力が強い者が勝つのが当たり前であり、同じくらいの力の場合はテクニックの勝る方が勝ち、ということになります。
しかし筋肉の発達している方が力が強い、というわけではありません。各種の道具を操っているうちに、さらに強い力を発揮することができるようになったのです。
伝統的な武術は、筋肉的には劣っていても、強い力を発揮する方法を発達させてきました。嵩山少林寺に始まる少林拳では明らかに勁力養成の訓練法を伝承しています。ただこの時代には「勁」の認識はないようですが、少林拳から分かれた武当山の張三峰は「柔かい力」を使う拳法を伝えているので(太極拳になったという説もあります)その辺から「勁」を意識するようになったのではないでしょうか。
私は、古来の武術が「強い力を発揮する訓練」で留まっているときには「勁」という認識は無かったと思います。しかし張三峰が「柔かい拳法」を使うように発展させ、柔と剛の力を対比するようになって始めて「勁」を認識するようになってのではないかと思います。
勁力を体得するには、①勁力を体得した師匠が居る、②単独稽古をする、という条件が必要です。たとえば日本舞踊なら師匠に習い、一人でおさらいしなければなりません。小笠原流礼法でも太極拳でも皆同じ稽古法なのです。(柔かい力を使うだけなので勁の認識は生じなかったのではないか)ただ太極拳は武術ですから、勁力を体得してからさらに戦い方の訓練に入ることになります。(つまり剛柔の認識により勁力の認識が生じたのではないか。)
単独訓練でなければ勁力は体得できません。「用意 不用力」と教えているように、自分の体に意識を向けて「意識をし、意識をして」体を動かす必要があるからです。
というより、勁力を体得するのではなくて、自分の動き方を変えてしまうのです。だから人間が使っている「力」と別に「勁力」というものを会得する、のではなくて、自分の体そのものの動きを変化させてしまうので、訓練には時間が掛かってしまうのです。
だから合気錬体会の「上げ手」講習会で教えても「ハイ、分かりました」というわけにはいかないのです。合気錬体会の上げ手講習会の目的は、弛緩力・勁力の感覚と「力の感覚」とは違っていることが理解できれば良いのであって、それから単独訓練によって弛緩力を訓練することになるのです。
佐川幸義先生が言われた「合気之錬体」は、人間動作ではなく、自分の自然な動きそのものが「弛緩力・呼吸力・勁力・内勁」を表現している錬体(訓練によって作られた体)であると私は考えています。
そして多分昭和30年(1955年)頃に既に、「合気之錬体」がポイントであると喝破されているのは、これこそ天才であったという証明ではないのでしょうか。
ということで格闘技と武術の訓練法は違うのです。
明治初年、講道館柔道は「乱取り」主体に稽古することにより柔道の達人・名人が現れて古流柔術を破ったのですが、徹底的に型稽古を積んだ人が乱取りをすることにより達人・名人になったのです。
しかしその後、講道館柔道が体育を目的として発展したため剣道もそれに倣い、体育として発展することになりました。その結果日本武術は格闘技になってしまったのです。沖縄空手の拳聖・糸洲安恒先生も沖縄県立師範となり、体育としての道を選びました。それ以後沖縄全県の小学校・中学校などにそれぞれ空手師範を置き、体育として教えました。富名越義珍先生も沖縄県寮の舎監として上京したのですが、嘉納治五郎先生の目にとまって空手が広まる機縁になったのです。
しかし伝統空手は「型」を重んじていたので(たとえば型3年と言います)、勁力を体得できる余地があったのですが、格闘技になると勁力は体得できないようになります。何故かというと、意識を相手に向けて相手に技を掛けるいう練習をしているからなのです。
合気系武道は弛緩力を使う武道なので、まず弛緩力を会得しなければなりません。太極拳も同じく、まず勁力を会得しなければ武技は使えません。
だから大東流合気柔術でも合気道でも、まず実戦(あるいは実用)を意識して研究していると、弛緩力の会得を妨げます。それなら最初から体力を使って大東流の技法、合気道の技法を使う格闘技をすればよいのです。しかしそれは合気柔術でも合気道でもありません。
また大東流の「上げ手」は他流に比して優れた訓練法ですが(たとえば太極拳推手のように)、その稽古法を誤ると「チカラの訓練」にしかならず、諸刃の剣になってしまいます。相手をどのようにして上げるのかと意識を相手に向けて稽古していると、弛緩力・勁力を会得とすることはできないのです。人間動作でいくら一生懸命に研究しても、何十年研究しても、人間動作は人間動作のままなのです。
だから弛緩力・勁力を体得するには、弛緩力を体得している指導者が居て、教えてくれる人が必要なのです。結論として「合気之錬体」にならない限り合気系武道は出来ないし、「合気之錬体」になるにはその感覚を教えて貰うのが一番効果的である、ということになります。
合気錬体会の「上げ手と合気体験講習会」はその感覚を知って貰うために行っています。
平成17年8月15日更新
【合気とは何か】No.5 改訂 17.9.20
「合気とは何か」についての記述は私の真意を伝えることが出来ていなかったので、これを改訂しておきます。
現在
「合気」という言葉には三つの意味があります。 ① 合気とは弛緩力のことである。 弛緩力は伸張力であり呼吸力・勁力・内勁・伸筋力などのことである。 ② 合気とは弛緩力による崩しの事である。 ③ 合気とは弛緩力を使う力抜きの技術である。 |
改訂
「合気」という言葉は三つの意味で使われていました。 ① 合気は弛緩力の意味で使われていた。 ② 合気とは弛緩力による崩しのことである。 ③ 合気とは弛緩力を使う力抜きの技術のことである。 |
【① 合気は弛緩力の意味で使われていた。】
合気という言葉は未分化であり、色々の意味で使われてきましたが、私はそれを三つの
意味で使われていたと分析しました。
① 合気=弛緩力という用法は不適切であり、弛緩力は弛緩力であると認識 しなければならない。。
② 合気を掛ける技法は「弛緩力による崩しのこと」であり、これを「合 気」と呼ぶのは許される範囲である。(一般的にはこれを合気と言っても よい。)
③ 真の合気は「気を合わせる技術」つまりアイキであるが、これは極秘伝 であって知る人は殆どいなかった。
佐川先生は「合気がある」「合気が備わっている」「合気の体」「合気之錬体」など言われていましたが、この場合の「合気」は弛緩力(呼吸力・勁力)という言葉に置き換えることができるので、合気と言わず弛緩力と言うべきであると思います。
結論として弛緩力(呼吸力・勁力)の意味で合気という言葉を使うのは不適切で、「弛緩力は弛緩力である」と認識しなければなりません。
【② 合気は弛緩力による崩しのことである。】
合気柔術には「合気を掛ける」という技法があります。これは「弛緩力を使って相手を崩す技法」のことですが、これを「合気の崩し」と言うこともできます。そこで「合気の崩し」を使う柔術を合気柔術というのです。
合気を掛ける=合気の崩し=弛緩力(呼吸力)による崩し
ただし「合気を掛ける」のを単に「合気」と言うのはあまり適切ではありませんが、殆どの人は真の合気の存在を知りませんから、「合気を掛ける技法」を単に「合気」と言うのは仕方がないことなのです。
なお付記しておきますと、太極拳でも勁力を使って化勁して相手の重心を奪います。しかし「化勁」と「合気を掛ける」のは技法的に同じではありません。
また柔道でも崩しを使いますが、これは「力による崩し」であり「弛緩力による崩し」とは全く異なる技法です。
【③ 合気は弛緩力を使う力抜きの技術である。】
③については拙著『合気道極意の秘密』において史上初めて理論的に合気を解明したものです。私は古くから佐川道場にあった扁額にある「合気は気を合わせることである」という言葉を、単に文学的表現だと思っていました。しかし70才になって始めて合気が実現できたとき、その文章が肉体的な技術を示していたことに気がついたのです。
【合気の体得法】
合気という言葉は未分化であり何でも「これが合気だ」というだけでは、合気を修得することは不可能です。私は「合気とは三つの意味で使われていた」と解説しましたが、それは同時に「合気の修得法」になっているのです。つまり次の段階です。
第1段階 弛緩力の会得
第2段階 弛緩力の崩し(合気を掛ける技法)
最終段階 弛緩力による力抜き技法
こうして【合気】は実技も理論も解明されました。ある程度の身体能力を持っている人には誰にでも合気を修得できるようになりました。しかし
「合気」は、極端に言うと武術とは関係のない、一つの独立した「体の用法」に過ぎない(過ぎないというと少々問題はありますが)のです。
そうすると「合気」さえ体得すれば強くなれる、合気の極意で超人的に強くなれるというのは誤解なのです。佐川幸義先生が武術の名人であったから、自分でも合気さえ習えば強くなれると思うのは錯覚です。
ですから武術技法の訓練を一生懸命にやりながら第一段階の弛緩力を会得すること、それを出来てから第二段階の「合気を掛ける技法」に進むこと、これで始めて合気柔術になるのです。
合気+柔術 → 合気柔術
佐川先生は三十才のころ合気が分かったと言われていましたが、その前に既に先生は武術の達人と言われていました。先生は二十歳ころから弟子を取っていましたが、先生の武技がその弟子たちに恐れられていて、その積み重ねによって武術の達人と目されていたのです。
たとえば佐川先生は十七八才のころ「上げ手でどんなに掴まれても上げることができた」と言っていましたが、これは第一段階の剛弛緩力の会得にあたります。先生は三十才のころ合気が分かったと言われていましたが、この合気は最終段階の「弛緩力による力抜き」つまり「気を合わせる技法」の合気のことであり、「合気が分かってから使いこなすには2.3年かかった」と言われていました。このように合気の修得は過程を踏む事が大事なのです。
最終段階の「気を合わせる技術」は一見簡単な動きですから容易に真似が出来ると思ってしまいますが、第一段階から第二段階へと積み重ねた「合気之錬体」が出来ていない限り、その効果はないのです。最後に「合気の体得法」を次のように纏めておきます。
【合気の体得法】
第1段階 剛弛緩力の会得(◎武術技法訓練による)
第2段階 柔弛緩力の崩し(合気を掛ける技法)
最終段階 剛柔弛緩力による力抜き技法
【合気錬体会 合気の体得法】
第1段階 心技護身拳 剛弛緩力の体得
第2段階 一元合気錬体法 柔弛緩力の体得
大東流伝合気道 弛緩力の応用訓練
最終段階 秘伝非公開
平成17年9月25日更新
【佐川道場1964年の記録②】 No.6 18.1.8
同好の方のために昭和39年6月の日記を公開しますので参考にしてください。
夜のクラスの稽古は月曜・水曜・土曜。
生徒は日立中央研究所の所員が殆どで、熱心に来ていた井上君は○○高校生。昼のクラスの稽古は土曜・日曜。
(井上君および日立関係者は連絡されたし。小手之合気を伝法します。)
1964.6.1(月) 高杉、松田、小野、大川、高瀬
高杉十三ヶ月目 半座半立 片手捕四方投
小野五ヶ月目 奥襟捕
大川三ヶ月目 蹴り
1964.6.3(水) 高杉、長田、大川
1.袖捕
足の引きが足りないので効かぬ。左袖の場合、左足の引きが不足。(このようなことがあるので他の技も基本が崩れていないか注意すること)
1964.6.6(土) 井上一人
1964.6.7(日)
1.巻捕
イ、上腕の上部を押す。
ロ、下袖を持ち落す。
1.袖捕掛り
外し、迎えにゆく。肩に力を入れず手先はガッチリ掴む。
1.上げ手 手の内の技、手首を回す
1.腕抑え
イ、崩し、力を入れず。
ロ、抑えた後も前足を中心にして引き回す。
ハ、前に回る。(頭の方に)
ニ、肘真っ直ぐ持つ。(示指側が肩に向くの意か?)
1.合気 一動作で外す。(一動作で後に)後より肘当て、関節蹴り等。
1.額を押す。
1964.6.8(月) 小野、井上、松田、高瀬、長田
1964.6.9(水) 井上、高杉、長田、小野
1.崩した後握る必要は無い。直すこと。握るためタイミングが悪くなる。
1.武術の技は一足す一は二、五足す五は十というふうな理だけでは効くものではない。サッと出るところ、気が乗らねば効かない。
1964.6.13(土) 井上、大川、小野
1.合気は握らなくてよい。
1964.6.14(日) 井上定、小坂、坂本、 小雨
1964.6.15(月) 高杉、小野、井上、長田
1.体捌き(前称振解き)の重要性
ワンツーパンチに対しては一元型のように利き腕側に入る。したがって拳法では逆構えが有利か。この点不明確なところあり、機を見て質問。
1.すれ違いに入ることもある。
1.技は気で掛ける。
掛かるという信念で終わりまでやる。途中で捨てたりしない。
1.頑張れば引く。変化を考えれば掛かる。太った者は角度に弱い。これを握ろうとするから掛からない。 師評。
1.腕抑え
肘を裏から持ち踏み込むと腕が曲がる。このため前に出るのではないか。吉丸。
1.小野さんくらいのファイトでやればもっと掛かる筈だ。 師評。
1.井上は体力が無いのでまだ掛かりにくい。技と平行して体力を鍛えるならよい。体力のみを鍛えるとタイミングが悪くなる。 師評。
1964.6.17(水) 長田、小野
1.袖捕
崩し不足、引き付け不足。足を引き手を充分引き付け(体に密着させる)、足を出し肘を崩して入る。力はいらない。
1.巻捕
引き付けるときスーッと行う。力でグッと引くと反射的に
1964.6.19(金)
代々木、東恩納盛男君の練習を見る。型は巧い。
1964.6.20(土) 出場466回目
1964.6.21(日) 田口、細谷、小野、見城、山本
1964.6.22(月) 井上、小野、長田
1.袖捕掛り
はね上げて崩す事が大切。
1.合気の先位
どんなに早く切ってきても一歩で先に入る。
1.空間の崩し
一歩踏み込むだけで攻撃不能となる。死角に入る。
1964.6.25(木)
川崎に泉川先生を尋ね餞別を渡す。(ハワイに行かれる)
1964.6.27(土)大川一人 7-8時 大雨
1964.6.28(日)9時半 好天気
佐川師と国際大魔術団に行く。帰途国分寺で鰻重を御馳走になる。
1.足腰の鍛練が不足。
1.掴みをつよくしなければならない。技と極めの力は違う。つまり受けの態勢は変化自在の柔らかなものであって、攻めは一瞬に集力する。
1.先ずフワリと受け(入る)つよく攻める。
1.拳法の構え
受けようと考えるのが間違いで、攻めに対しては付くことを考える。先ず軽く受けながら入って付き、集力して攻める。
1.武田先師は保科の門弟で、現に保科門弟武田惣角と自筆の帖面を所有している。 佐川師
(★95年注:64年当時この事実は全く知られていない。)
1.竹刀は竹刀で別のもので、それはそれでやらねばならぬものだ。
1.相撲取は力が不足だ。もっと筋肉の鍛練が必要だ。
1.合気の剣は手首の使い方が違う。
1964.6.29(月) 井上、小野、長田、松田
1.受けた瞬間に力を入れるのが悪い癖だ。最初はフワッと受け攻めは集力する。佐川師もはじめは筋肉を相当鍛えた。武田先師も剣で鍛えたので握りが強かった。
1.練習は柔らかく緊張しない。勝負になると誰しも緊張するので普段柔らかくして丁度よい。
1.腕抑え
肘が上がった時は前に踏み込む。少し頑張ったときには引く。この呼吸を覚えること。
1.××× 肘の裏?
裏に掴んだだけで倒れる。
1.四方投 掴み方、小指で抑えること。
1.掴んだら動かさぬ。
【佐川幸義先生聞き書き】No.7 18.1.15
★は吉丸慶雪による解説
まともな芸事の稽古ではメモなどは出来ませんから、佐川幸義先生のお話は日立の独身寮に帰ってからメモしたものです。こうした話は佐川先生が体験した事実であっても、別人から見ればまた別人の体験した事実というものがあり、これが真実であるということは分からないものだと思っています。
昭和39.5.2(土) 夜、井上一人
速くてもゆっくりでも心を込めて応じなければならぬ。単に形のみやっているといざというときに使えない。
吉田幸太郎が院外団で武田先生に貰った鉄扇を持っていて、頭を打たれて笑い話になったことがある。吉田は三十五、六歳より内弟子のようにして習った。遠軽で×芝にすすめて習わせた。当時は長く習っても上の手を教えないので上達はしない。
心を込めてやっていると(手が)見えるようになる。
昭和39.11.15 【三元講習 第九回】
★(これは三元講習の後で以下のように話されたものです。日記には記録がありませんが、多分田口さんが立ち会って三元を直伝されたはずです。それで以下の話は田口さんと二人だけが聞いたものです。なお四元以後は先生と一対一の直伝になります。)
1.×芝と吉田幸太郎
大正五年北海道遠軽で、武田先師が講習会を開くため吉田幸太郎が会員を集めていたとき、吉田が買物に出てきた×芝にすすめて習わせた。
その後京都の大本教で一年間教えた事が先師の記録にある。
八光流の奥山は松田の弟子で、武田先師に九日間習った。この帳面は佐川師が宗家を返したときに武田先生の長男に返した。
★(武田惣角先生の講習は時宗先生にも立ち会いさせず、一対一の稽古でした。部屋から出たときに時宗先生が奥山龍峰先生に如何でしたかと聞くと、「痛いだけで何も分からなかった」と答えたそうで、これは佐川先生が時宗先生から聞いた話です。)
昭和の初年、武田先生が合気の記念碑を建てると言って寄付をつのったことがあった。(結局建たなかった)佐川先生は一千円寄付し、他には北海道の網元某氏が千円か二千円、これが筆頭であとは二三百円から百円が殆どだった。
この時×芝にも連絡があったが、×芝の娘から父は病気であまりやっていないからと断りの返事があって武田先生は怒り、破門するというようなことを言った。
その後吉田幸太郎が×松町の道場に×芝を訪ねたとき、門前で掃除をしていた弟子は居ると言ったのに、玄関で名詞を出すと細君が丁度留守ですと言って上にも上げず帰した。吉田は先のことで先生との間をとりなそうとして行ったのであったため大変怒り、以後×芝の悪口をひどく言っている。
★(当時の千円は現在の1千万円くらい。小樽網元の浜名甚五郎は3年間総角先生を独り占めにして習い、他の人を入れず個人教授であった。)
八光流は大東流を盗んでいるというので吉田が訴訟問題にしようとしたことがある。昭和十七年に八光流はけしからんから一緒に行ってくれと吉田に頼まれ、数日間家に行ったがいつも逃げて会えなかった。吉田も一人で行けなかった位で大したことはない。現在八十才くらい。
★(逃げて会えなかった、、というのは先生の感想による事実ではあるが、他の人にはまた違う事実があるはずである。)
佐川師が二十歳頃、吉田は既に師範免状を持っていた。武田先生が居ると出来ないが、先生は必ず風呂に入るので風呂に入るとその後、四方投を掛けてみろと両手で握ると掛けることが出来なかった。又、突いても受けることが出来なかった。この様なとき絶対に掛けさせるものではない。こういう気性が武術には必要だ。
★(武田惣角先生は稽古が終わると「先生は必ず風呂に入」りました。新聞社の講習会でも風呂に入れ、世話人がユックリ背中でも洗っている隙にカメラマンが撮ったと言われています。武田惣角先生はどうせ覚えることは出来ないと思って奥の手を見せたのですが、一人一人が一つの技だけを記憶し、風呂に入っている隙に直ぐに写真で撮ったのです。
そのために奥義技の写真が残ったのは斯道のためになった、と言うこともできます。)
武田先生の講習は八日か九日間期間があるとすると、一日に二十手くらい目先を変えて出すのでとても覚えられるものではない。しかも先生に教わるのにそう頑張るわけにもいかないので、先生が違う足取りでごまかして掛けても掛かるので、そう全部を正確に覚えることは出来なかった。
武田先生の祖先は武田国継だというのは相当根拠があるらしい。武田先生が習ったのは保科近悳である。これは佐川先生が数え十五才の頃、東京の理髪師板橋林蔵(会津人)という人が来て、「ニシャ前にはそんな柔術は使わなかった筈だが」と問うたとき、実は保科に習った、その時相弟子が一人居たが死んだ、ということを言った。
佐川先生は側に居たが、子供で分からぬと思って話したのかも知れぬ。保科は武田先生の祖父に合気を習ったということだが、その点疑問なしとしない。大東流という名も武田先生の付けたもので、大東久之助は全く根拠が無い。大きい東、東洋というような意味と思われる。
★(当時私が西郷四郎ではないかと質問したとき佐川先生は別人だと思うと言っていました。)
武田先生の作ったと思われる技も多い。それは背の低い人に有利な技が多いからである。一元の逆手投、締め技、体捌き技は私の手だ。
★(佐川先生の体捌き技とは振り解き並びに当て技のこと)
大東流の中でもどうして崩れるのか合気の理が判っていて技を掛けている者は居ない。理は判るものではない。技は人間の骨格、力学から割り出した理に合ったものである。合気は必ず理で説明出来るものでなければならない。神秘的なものなど無い。
鍛えれば必ずそれが形になって現れるものだ。わしの手など鍛えてこの様になったものだ。
昭和二十七年頃×芝を訪ねた時、さすがに上げてご馳走してくれたが、その時でもわしのこの小指位の親指で、丁度小川君(宏、手が小さい)の様な手をしていたが、あれでは掴み手など出来るものではない。わしの父は×芝の先輩になるが、いつも×芝の大×螺吹きが×螺を吹き当てた、と言っていた。
遠軽の×芝の土地は小さなものだったが家と小屋があった。それを武田先生は×芝がくれたものだと言っていた。×芝を訪ねた時、×芝に言わせると、×芝が父の病気で内地に帰るとき、印と委任状を置いてゆけと先生に言われ、そのまま取られてしまったのだと言っていた。
★(佐川先生が×芝先生に訪ねたことについて、佐川先生は私に対して上記のように話しただけです。)
武田先生は話が好きで、話を始めるとキリがなかった。
武田流の大庭というのは八光流で習ったということだ。三元位までの手を混ぜて使っているようだが、死亡したらしい。
★(武田流宗家佐藤柔心斎先生によると武田流は拿穴が特徴で、柔術技法が少ないため八光流を取り入れたものである。)
普通は技を掛けられても本当に覚えることは出来ない。やっぱりこうするのだと教えられなければ駄目だ。よっぽど勘の良い者はそれで覚えるかもしれない。
昭和40.10.28(木)長田、小野
吉田幸太郎はそれ程やっていない。というのは講習で教えたので十日間で十円取った。吉田はあまり金が無かったので、講習会を作ってはそれについていって習った。勿論その時には吉田も十円払わなければならなかった。当時吉田は四十才くらいだったが、宗三郎を背負ってオムツの洗濯など良く尽くしていた。しかしその様な講習会では決して上の手は見せず、せいぜい三ヶ条までの繰り返しであった。
★(大正時代には十日間で十円、昭和になって一週間で十円であった。)
昭和41.2.10(木) 高杉、長田、小野
×芝が習ったのは大正四年で、吉田幸太郎と同じ歳だから数えで三十三歳だった。父が習ったのが大正二年だった。
昭和42.1.6 午後5時45分 恒例の新年ご挨拶 田口、井上定、若林
★(×芝先生についての話題だけ抜き出しました。)
1.遠軽の久田旅館で講習を開いていた武田先師についていた吉田幸太郎(×芝と同年)が×芝にすすめて講習に加えた。×芝が稽古着を着る時に肩を怒らせて生意気な態度であったので先師は三元で締め上げたそうで、先師によると×芝は「雁のような涙を出して」抑えられた、ということである。
1.×芝のやり方は、、、、、、、、というようなことを言っている。
しかしながら×芝の人相は立派で、やはり何かを成すだけの人相を持っている。×芝の指は細く短く女の手のようで、あれでは合気は出来ぬ。
先師は五尺に足らぬ背丈でありながら小指でも私の薬指くらい太く、小手は非常に太く発達していた。
(佐川師は昔人相学を研究されたことがある。君(吉丸)は口がもう少し大きいと良いのだが、と言われたことがある。
★(合気は出来ぬ、というのはあくまでも佐川先生の感想に過ぎません。)
昭和48.11.6
1.吉田幸太郎はオッチョコチョイで、×芝の道場に行った時、弟子の湯川というのに手を持たせて動けなかった。後で×芝が話していた。
★(×芝先生の道場に訪問したのは一度だけだと思います。そのときの話題は昭和39年.11.15に先生が私に話したものです。しかしその9年後、吉田幸太郎のことも話題になっていたことが分りました。また×芝先生の手を掴んだなどという失礼なことを佐川先生がするわけがありません。)
1.湯川は×芝の一番弟子だったが、後日大阪で短刀で刺されて死んだ。
★(『透明な力』に出てくる異常に力が強い弟子、柔道出身、湯川勉)
平成18年1月22日更新
【佐川道場1970年の記録③】 No.8 19.8.7
佐川幸義先生のお宅に年頭のご挨拶に行ったときの話です。
私の他には、田口さん(高校の先生)、井上さん(高校の校長)、若林さん(高校の先生)の3人。
若林さんは良い意味での変わり者で、「血液型の法則」を自費出版し、女性雑誌などもろもろの雑誌で取り上げられたのですが、まだ時代に合わなかったようです。
後にこの本をネタにした人が○○ブックで有名になり、現在では人気もありテレビでも血液型占いをしているようです。
もちろん私も変わり者で、小学4年生のとき学芸会で天邪鬼の役になったせいか、東中野の道場の問題が起きたとき、先生が慌てて道場に帰ってくるように井上さんと若林さんを使者として寄こしたのですが、それが天邪鬼で意地を張って離門したということ、でした。
離門後10年くらいして、先生の歳も考え心配して、一度先生に会って何も言わないで謝りたいと考えたのですが、今の弟子の立場も考えて内野さんに手紙を渡したのです。しかし道場に帰りたいと邪推されて、先生とは会うことは出来ませんでした。先生の方も分かっていたのですが、やはり弟子の立場も考えるしかなかったのです。
しかしもし私が離門せず道場に残っていたら、合気は絶対に解明することは出来ませんでした。
そして現在、私はなぜ皆が合気を体得できないのか、ということが分かってしまいました。つまり合気は本当に簡単なことなのです。これを説明すれば直ぐに頭で理解することが出来るのです。しかし余りにも簡単なので、却って人間動作の人では体で表現することが出来なくなるのです。つまり秘伝を教えると、却って体得が出来なくなるのです。
だから一足飛びに合気習得を目指すより、回り道を通って、たとえば先に「体の術一元の術理」を稽古するとか「合気拳法・心技護身拳」を稽古することで人間動作ではない弛緩力を使えるようにすることが大事なのです。すぐ実用、実用と考えることが、結局実用が出来なくなるのです。
そこで合気道技法を長年稽古している人が多いので、回り道として「合気拳法・心技護身拳教程・映像版」を提示したいと思います。
| 昭和45年1月9日 年頭のご挨拶に伺う。 田口、井上、若林 1.大東流が北海道に始めて伝わったこと。 大正二年、当時名寄までしか汽車が無く、名寄から馬に乗って三時間ばかりのオホーツク沿岸に湧別があった。そこで旅館をしていた堀川泰宗が札幌の警察部に指導に来ていた武田惣角先生とたまたま汽車で乗り合わせ、いろいろ話している内に大東流師範という名刺を貰い、手を掴まれるとしびれて動けなかったので驚いて、ついでがあればお寄り下さるようにと話して置いた。 その時は小さくて山高帽をかぶった異様な人物という印象だったという。それから四五ヶ月経ったときにヒョッコリ先生が尋ねてきたので村の有志を集め、わしの父にも話があり、いまさらやわらでもあるまいと言ったのだが、見るだけでも見たらよいというので参加した。 するとカンゼヨリを作ってその先を持たせ、持つと同時に肩に担がれてしまったので非常に驚いた。それから両手を後ろで縛ってどこからでも掛かって来いというので皆後ろから組み付いたりしたが投げ飛ばされてしまった。父はそれなら前から足をつかまえよう出て行くと、途端に背中を抑えられて這いつくばり、一番格好が悪かったと後々までも話していた。大正2年のことである。 1.わしは幼少のころ非常に身体が弱く、四歳(満三歳)のときに肋膜になり、札幌に船で三日三晩かかって行った。途中留萌に停泊したらしく、そのときの沢庵の匂い、丸い弁当箱など今でもまざまざと覚えている。 中学は札幌に出ていたがそのとき脚気にかかり、立ち上がることもできないほどになったことがある。 1.武田先生は柳津温泉に昭和十六年に行き、あまり温泉に浸かりすぎたために中気で倒れ、わしに直ぐ来いと電報が来た。 そのとき会津の長男と時宗が来た。静は最初から付き添いで来ていた。 寝ている武田先生は人が来れば宿屋の主人であっても誰でも手を掴め手を掴めと言うので、上からのしかかる様に持つと体が浮き上がってしまう。先生はこれでせめて上げ手のコツだけでも伝えようとされたのではないか。 しかし他の人は結局判らず、わしはなぜ上がるのか熱心に考え、遂に会得した。 1.武田惣角先生がうちの道場に来られたのは先生が五十五才父が五十才の時で、そこで武田先生は遠縁に当たる札幌女学校を出た十八才の娘と結婚し、長男がそこで生まれた。しかしこの子は引きつけを起こし、田舎の医者では何もできずここで亡くなった。 1.昔の人はあぐらなどかかなかった。わしの父もあぐらをかいているのは一度も見たことがなかった。武田先生もあぐらをかかれたのは一度も見たことがない。あぐらは横から膝を上げて喉を抑えれば簡単にひっくり返る。また横に押してもすぐ倒れる。 1.敵が右足前に構えれば我左足を引き、左手で払う、右手で払う。また右足を引き左手で払う、右手で払うと分解して考えてゆけば、実戦でどのようにすればよいか分かってくる。常に考えていなければならぬ。 1.先師は「も一つ(回せ)」と言われた。逆にひねったものをも一つ回す。ヤクザや香具師などが来た時も教えないとは言わず、辛抱できたらやりなさいと言っておいて痛めつける。国分寺でも顔に傷のある香具師が来たが二日で止めた。武田先生は「も一つ、も一つ」と教えられた。 1.棒をグルグル回しているのは素人である。その中心に切り込めばよい。 1.速いのは必要であるが堅くなってしまえば効力は三分の一になってしまう。実戦、とくに剣を持てばいままで習った技をただ出し切るように練習のつもりで出る。無心に出ることが必要である。勝たねばならぬ、どうしても勝とうと考えることが堅くなることになり、負けにつながる。 1.大小を差しているとき敵が近づきすぎれば小刀を抜いて切る。 1.槍には小刀で向かう。小刀なら上下に振るだけでよいが太刀は操作に時間がかかる。勿論足が大事である。 1.わしが剣を習ったのは佐々木亮吉という小野派一刀流の方で、当時郡一帯で一番強かった。土蔵で教えていたが鎖鎌と試合をしているのを見たことがある。 1.武田先師が居られたとき神社で奉納試合があった。佐々木先生は小太刀やそのほかの遣い手と試合をした。わしの家の道場に帰って武田先生が「佐々木さんなかなか強いが小野派一刀流の引き小手だけはやめれ(止めた方がよい)」と言われた。 佐々木先生が「いや引き小手もなかなか良い」と言うと、「では立ってみよ」と言って立つなり内小手をひねり込むようにして打ち、「今度は痛くないように」と言ってまた小手に極められ、籠手を取ると青いアザが出来ていた。 1.先師は中風で一旦倒れたがその後細紐を座敷に張り、そりに掴まって歩く練習をされ、とうとう歩けるようになった。 1.昭和十六年に一人で東京に出て来ようとされ、青森で亡くなった。 1.武田先生はいくらお金を貰っても決して家に送ったりしなかった。そのため清宗は働いて兄弟を養ってきた。 中風が良くなった後、幅広の短刀でいきなり息子(時宗)に切り付け左肩を怪我させたことがある。 1.合気でもっとも大事なことは足である。変更の練習で足腰など必要な所に筋肉を付けなくてはならない。 1.技を速く使う訓練が必要である。剣の訓練は速さを養うために必要である。 1.わしは幼時渋川流の柔術を健康のため習った。その先生は佐々木先生より若く二十代であった。渋川流では片足正座片足あぐらという座り方をする。 1.相撲でも横から攻めればよいと分かってはいても、ではどうすれば横に行けるかその方法が分かっていない。足と手の使い方が間違っている。 1.柔術は武術の母と言われ、その柔術の極意が合気である。しかし速さ、反射精神を養うには剣の練習が必要である。また剣のみでも片輪である。 |