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グッバイ・過多月経 |

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このコンテンツには、女性ならではの悩みや苦しみを出来るだけ抽象的な言葉ではなく、具体的に記述しました。その為にお食事中の方が読むのには不適切な表現もあえて致しました。どうぞご理解頂ければと思います。又同じような症状で苦しんでいる女性の皆様への情報の一端ともなれば、サイト開設者冥利に尽きると思います。
このコンテンツが役に立ちそうな皆様 ・過多月経に悩む女性で子供がこれ以上欲しくない方 ・パートナーが上記の女性に該当する男性の皆様 その他の皆様には無用のコンテンツになるかもしれません。(^_^;)
このマイクロ波子宮内膜焼灼術(MEA)は、全国でもまだ30数名しか施術された実績がありません。(2004年9月現在)患者の立場から体験談を記載されたサイトは皆無です。過多月経に苦しむ女性の目に留まり、この手術を受けて少しでも多くの女性の体が1日も早く楽になることを願ってやみません。 尚、医学上の正式名は月経ですが、こちらでは生理と記述しています。
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初潮から30代中頃まで: 初潮は小学校6年の夏だった。既に同じクラスで2,3人が初潮を迎えていたが比較的早い方だった。中学生〜高校生の頃は、生理痛に悩まされた。特に始まる1週間位前から不快感、イライラが募り、爆発しそうだった。言い訳にしたらいけないとは思うのだが、テストの成績が悪い時はいつも生理中だった。生理がない男子生徒がとても羨ましかった。
20歳前後になると、ホルモンのバランスが落ち着いて来たのかとても楽になった。おかげで大学4年間は生理に苦しむ事がなく楽しい学生生活を送る事が出来た。今振り返れば人生で一番花開いていた時期だったと思う。 卒業してから勤めを始めたが、僅か1年4ケ月で結婚の為に退職し夫の赴任先である米国へ渡米した。この頃まではまだ生理中でも体調が良い日々が続いた。
結婚して2,3年経過した頃、子供が出来ない事に焦りを感じた。その頃は物凄い生理痛に悩まされる日々が続いた。どれ位凄いかと言えば、ショッピングセンターのカートを手で押していて体を支えきれないので体が崩れ落ちそうな位の痛さだった。表現すればお腹の中をボクシングのパンチでアッパーカットをくらったようだった。立っていられなくてうずくまる私の姿を見て夫は「恥ずかしい」とのたもうた。我慢出来ない程の生理痛は、一般の男性には想像も出来ない痛さだったと思う。
婦人科を受診したら子宮内膜症との診断だった。子供も欲しかったし、医療費も会社持ちだったので腹腔鏡による内膜症部分の除去手術を受けた。全身麻酔だったが日帰りだった。おへそのあたりに1cm程の切開の傷跡が残った。しかしこの腹腔鏡手術では内膜症部分が全て取り除けなかったので、日を改めて再度開腹手術をすることになった。
開腹手術はかなり時間を要した。予定した時刻を過ぎてもなかなか手術室から出て来ないので夫は「死んだかと思った」そうだ。下腹部には真横に10cm程の大きな傷が残った。アメリカの医療費は高いので3泊4日で100万円近くがかかった(そうだ)手術跡は数年間ケロイド状に残ったが現在は殆どわからない位になっている。綺麗に縫って頂いた当時のお医者様(日系人だった)にはとても感謝している。帰国前に「赤ちゃんが出来たら知らせてね」と笑顔で送られたがそれもとうとう出来ないままになってしまった。 この開腹手術により、ウソのように生理痛が改善された。人生がバラ色に変わったようだった。30代前半〜中頃までは穏やかな日々が続いた。 |
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<症状> 30代後半〜
血の塊は醜い時は手の平の半分位もあり、私は出産を経験していないが「いきむと出て来る」感じでボコボコと生まれた。このような状態で仕事をするのは本当に辛く大変なものだった。醜い時は15分に1回トイレに行かないともたないので、仕事どころではなかった。でも生理は病気ではないと言う自分の固定概念から、決して仕事を休む事はしなかった。離席しがちになるので、職場の女性には事情を話して協力を仰いだ。大出血の為に制服のスカートを何度も真っ赤に汚した。制服の色がグレーなので当然職場の男性にも見られた事だろう。涙を流しながら会社のトイレの洗面所でスカートを脱ぎ、洗った回数は数知れなかった。そんな姿を同僚に見られて本当に恥ずかしかったのを変な意味で今でも懐かしく思い出すのだ。
ある日洗った制服のスカートがグショグショに濡れてしまい、どうしても私服で仕事をせざるを得なかった時があった。その日の通勤服はジーンズだったが仕方なく着用して仕事をしていると上司の上司(いわゆるお偉いさん)が来られて「理由はわからんが、あまりよろしくない」と叱られた。理由を聞かれたが「言えません」としか答えられなかった。この時ほど「女性の上司だったら」と思った事はなかったし、悔し涙に溢れて仕事どころではなくなった。
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平日は仕事をしているので、お昼は当然病院には行けない。夜も診療が行われているが、仕事が終わってから京都まで通院するのは肉体的にしんどい。必然的に土曜日しか診療に行けなかった。9/4(土)の早朝に初診に行く事にした。9:00前には病院へ到着。大きな病院で初めてで受診システムがわからないので受付で尋ねた。「こちらでお待ち下さい」と案内されたのを「受付の前で」と勘違いしていた。本当は「産婦人科の診察室廊下前」だったのだが、早とちりしたようだ。1時間以上待っても名前を呼ばれないので「おかしいな」と思い、産婦人科の診療室へ入って初めて待つところを間違えた事に気がつく。
初診にはお決まりの質問用紙が渡された。自分の病歴や妊娠、出産、結婚歴などを詳しく書かなくてはならないのは非常に辛い。妊娠歴なし、出産歴なし、簡単だ。病歴は子宮内膜症で手術歴2回。子宮筋腫、子宮腺筋症。子宮内膜増殖症。書き込みをしながら、「ガン以外の子宮の病気のオンパレードだわ」と我ながら苦笑した。 診察は女医さんだった。MEAを執刀するお医者さんは部長先生だけなのでと言う事で今回は「話を聞きましょう」と言った感じだった。簡単な説明と費用を提示してもらった。この手術は保険が効かない事。費用は診察代が5万円、手術代が30万円かかると言う事。日帰りが出来るが入院も可能な事を説明された 。 今年4月に受けた子宮頚ガン検診の診断結果と、基礎体温表、それに10ケ月前に他の病院で受けたMRIの画像フィルムを先生にお見せした。はっきりとは断言出来ないが「おそらく手術の適用にはなるでしょう」との言葉にホッとする。内診の時に「子宮体ガンの検診はされていないので、今日しておきますね」と言われて内膜の細胞まで摂取された。体を引きちぎられるような痛みが走る。「痛い〜」「もうちょっと我慢してね」あぁ、やっと終わった。 とりあえず出血を抑える為にドオルトン(女性ホルモン剤)を今日から飲むように指示された。 そのあとに貧血の程度を調べる為に血液検査をされた。注射針で血を抜かれた。 担当の先生が1週間後に診察担当なので、11日(土)に再診察をすることになった。 体ガンの検診後は頚ガンの検診よりもずっと痛い。夜まで痛みが続き、その日はフィットネスどころではなかった。 |
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<MEAについて> 病院が患者に配っているパンフレットから抜粋
子宮内膜焼灼術を受けられる患者様へ
医仁会武田総合病院産婦人科 2001.8.21
(治療の対象となる方) 子宮筋腫や子宮内膜症などの子宮の病気は、月経時の出血量が多くなり貧血を起こした り、月経以外の出血を起こします。また生理痛で困っている人も多く見られます。このような病気に対して造血剤、ホルモン剤、女性ホルモンを止める薬、鎮痛剤などが使われますが薬による治療は閉経(48〜56才頃)まで繰り返して行わねばならず、症状が強い場合や、閉経までに長い期間がある場合には子宮摘出手術を行うのが普通でした。子宮内膜焼灼術は、薬物療法の副作用や長期投与が予測される人、症状が重いが子宮摘出手術を受けたくない人、合併症のために通常の手術が危険な人、更年期でホルモン補充療法を受けていて不正出血を繰り返す人などが治療の対象になります。
(マイクロ波子宮内膜焼灼術とは) 子宮の内側の粘膜(子宮内膜)が、毎月新しく生えては剥がれ落ちますが、これが生理 です。この内膜を全部熱で焼くと、次月からは内膜は生えず生理の量は激減します。ただし、術後は絶対に妊娠を望めません。この治療法は約20年前から始められ、すでに数万人の手術実績がありますが、マイクロ波を利用する方法は1994年からカナダや英国で非常に安全な方法として開始されました。すでにマイクロ波による方法で5000人以上が治療を受け、すばらしい治療成績が報告されると同時に、その安全性、簡便さが確認されました。またこれまでの方法と違い、生理痛も軽くなると言う効果まで見られるので 急速に普及しています。
(実際の方法) 子宮内膜を薄くしておくために、術前1ケ月前から薬を使って女性ホルモンを止めます。麻酔をした後、子宮の入り口を少し広げ、マイクロ波の発生装置がついた細いプローブ(棒状の器具)を子宮内に挿入し、順次子宮内膜を焼いていきます。下腹部に暖かみを感じますが、特に熱いと感じたり強い痛みはありませんし、この操作は約3〜5分で終了します。通常、術後に子宮鏡検査を行い十分に焼灼できたか確認します。麻酔が覚めたら帰宅できますし、通常翌日から仕事ができます。術後の痛みもほどんどなく、水っぽい下り物が3〜4週間あります。健康保険の対象にはなりませんので、治療費は全額自己負担になります。生命保険会社の疾病特約に加入されている方は、保険の種類により給付が受けられる場合がありますので、各生命保険会社におたずねください。
(成績、副作用) ほとんどの人は術後すぐに生理の量が激減します。英国の成績では、術後2年以内に約4 0%の人は出血が無くなります。また40%以上の人は生理痛が弱くなり、80%以上の人がその後の月経の状態に満足しています。しかしごく一部の人は生理中時に出血が少量あることや生理痛が持続するために満足できず、再度焼灼術を行ったり、子宮摘出術を必要とします。術後は妊娠を望まれても不可能ですので、事前に良くご確認ください。
(まとめ) 半永久的な治療法であり、一番の特徴は安全性です。また子宮が残っているという安心感があり、卵巣の状態は変化せず更年期症状も発生しませんし、避妊は必要なくなります。将来本当の閉経(卵巣の働きが終了する)時期を迎え、更年期障害のために女性ホルモンによる治療を必要とする場合でも閉経後の不正出血を防げるという利点もあります。卵巣の病気や子宮癌になる率は変化しませんので、一般の人と同様に、毎年子宮癌検診を受けられることをおすすめします。
<日帰り手術を受けられる方へ> 私達は、貴方の手術が安全・安楽に行われるよう、医療チーム全員で最善の医療に努め てまいります。手術前後の一般的な経過を説明させていただきますが質問や心配事などございましたら、ご遠慮なくお申し出下さい。 産婦人科3W病棟
<子宮内膜焼灼術・子宮鏡検査及び子宮内膜掻爬術を受ける方に> 1)10月8日(金)10時に入退院で受付をすませ、産婦人科外来においでください。 2)当日は何も飲んだり食べたりしないで下さい。(注:私の場合は朝食はOKだった) 3)当日は楽な服装でおいで下さい。 病衣については、病院でご用意させていただきます。 4)前夜は入浴して清潔にし、睡眠を十分とりましょう。 5)口紅、マニュキュアはとって、化粧はしないで麻酔中に顔色がわかるようにしておき ましょう。 6)持ってきていただくもの ・誓約書(捺印署名) 署名は必ずその本人が書き、捺印して下さい。 ・生理用ショーツ、ナイト用ナプキン(3枚以上) ・貴重品はお持ちにならないで下さい 7)翌日から軽い家事ができますが、それまでは安静が必要なので、都合をつけるように しておきましょう。 8)当日は自分で自転車、バイクや自動車を運転して来ないで下さい。 9)当日はお子様をつれて来ないで下さい。
↓赤文字の部分は私の感想をつけ加えました
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<診療2回目> 2004年9月11日(土)
前回の診療が手術担当の先生ではなかったので、今日こそはと張り切って病院まで出掛ける。 予約もバッチリした。ところが病院の診察室へ到着してみると「今日は○○先生は休診で代診」との張り紙があった。「エッ、折角大阪から来たのに」と気持ちがブルーになる。しまった。代診と言う事態も考えられるので、事前に電話確認をすればよかったと後悔をした。 担当の看護婦さんも事情を知って気の毒に思われたのか、先生と電話連絡を取ってくれた。「MEAを希望の患者さんが来られていて・・・」と話をされている。只今先生は処置中なので暫く待って下さいと言われた。 結局予約した時間が9:00だったが、先生に逢えたのは11:00過ぎの事だった。
穏やかな中年の男性医師が椅子に座っていらした。少し眠そうだった。 閉口一番私が「先生、生理の量がハンパじゃないんです」と話した。 先生が「大丈夫です。そんな患者さんばかり診てきていますから。生理の出血で死にかけた人もいるんです」 えっと驚いた。 私はまだ死にかけてはいない。しかし前回の診療での血液検査の結果でヘモグロビンが6.5だったので、とても驚かれた「これは・・・かなり(貧血が)来ていますね。しんどくないですか?」と尋ねられた。「いえ、ただエアロビクスをすると後半いつもよりも息切れが激しいのでおかしいなあと思っていました」と答えた。
とりあえず内膜の状態を見たいので内診しましょうという事になった。ドオルトンを飲んでいる為に内膜の厚さは5mm程度。そんなに厚くはなっていないらしい。前回の検診で子宮体ガンの検診は行ったが、子宮頚ガンの検診ももう一度やっておいた方が良いとの事で子宮の細胞を摂取された。更に超音波で筋腫の状態、位置を確認してもらった。
内診後、先生は私が持って来た別の病院で10ケ月前に撮ったMRIのフィルムをご覧になり説明をして下さった。筋腫は直径5-7cm前後が3つ。お腹の前面と後ろの面とに対になるように付いている。MRIの画像で子宮本体に白く霜降り部分=子宮腺筋症の部分があり、それが大量出血の原因になっているだろうと言う診断。 私は、10ケ月前にFUS(保険対象外の治療)を受けたくて医誠会病院で診断を仰いだが治療の対象にならなかった事を話した。先生は子宮筋腫並びに過多月経を治す方法を幾例か話して下さった。 ホルモン療法、子宮全摘療法(開腹と膣式があること)、UAE(子宮筋腫塞栓療法:保険対象外の治療)についても説明を受けた。
次に、「(武田総合病院の)ホームページをご覧になっているのでご存知でしょうけれど」とおっしゃりながら私が希望するマイクロ波による子宮内膜焼灼術の説明を受けた。 内診の結果、私の子宮はこの術式の治療対象となり得るらしい。やった! 先生から「但しこの手術をすれば一生妊娠する事は出来ません。その事はご主人にも理解して頂いて下さいね」と念を押された。 最後に私の場合はMEAを受けると生理の量は全くなくなるか激減するが、生理痛は40%位の確率で治らないかもしれないと念を押された。 子宮内膜を薄くする為に、今日からドオルトン服用を辞めてボンゾール(男性ホルモン誘導体)にしますとの事。副作用で太ったりニキビが出るかもしれないとの事だった。ニキビなんて嫌だなあ。
手術は10月8日(金)で1泊2日の入院となった。本来は日帰りでも可能なのだが、遠くから来ていると言う事と自宅に戻っても1人暮らしなので大変だからという理由で1泊させてもらうことになった。手術の1週間前に術前の検診が必要と言う事で次回の検診は10月1日(金)となった。 先生は別れ際に「(子宮)摘出と言う選択もあるんですよ」ともう一度念を押された。でも自分の気持ちはもう決まっている。「いえ、MEAでお願いします」と即答した。
この日の診療時間は約1時間弱だったのだが、自費負担の保険外治療で5万円ポッキリ取られた。さすがに消費税がなかったのでホッとしたが、現金は財布に3万円しか用意していなくて焦った。カードが使用出来る事に気が付き事なきを得た。ほっ。
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<診療3回目> 2004年10月1日(金)
この日も診療は混んでいた。予約は18:20にしていたのに1時間弱は待たされた。先生が「やあこんにちは」とにこやかに微笑んでおられた。「いかがですか?」と尋ねられ「少し太ったみたいですが。あっでもニキビは出ませんでした」と笑って答えた。 内診の結果、内膜は5mm位だがこのままあと1週間ボンゾールを飲み続けたらもう少しは薄くなるでしょう。「手術は決行しましょう」と言う事になった。ボンゾールと鉄剤は手術の朝まで飲み続けるように指示された。 入院の手続きなどの説明を看護師さんから受けて診療を終えた。
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<副作用> 手術5日前から発覚
10月3日(日)頃から服用しているボンゾールの副作用で出血が始まった。「又出血か・・・」いいかげんにして欲しい自分の体。せっかく貧血が治りかけているのにこれでまた元の体に戻ってしまうのか。副作用の出血なので疼痛はないが、いかんせん気持ちが悪い。手術後1週間はお風呂に入れないので、今週はゆっくりと湯船に浸かろうと思ったのにそれも出来なくなった。何てついていないんだろう。
もう1つの副作用は体重増加だった。夏の間からずっと50kgを保っていた体重は54kgまで増えていた。 私は普段から殆ど体重の変動がない。食べなくても減らない代わりに、食べてもあまり太らない。だからこの4kg増はかなり自分にとっては凄い事になった。何しろ副作用なので、普段よりも小食にしていても太ってしまう。体脂肪は16-18%前後と少し増えた位だった。女性としてはこれ位の方が良いので(以前はIn Bodyでは13.5%)体脂肪の増加については気にならなかった。
一番心配された副作用である「ニキビ」は一切出来なかった。 主治医が「ニキビが出来やすくなるかも」と言われていたので顔中ニキビだらけになるかもと一番気になっていた。慌てて滅多に買わないニキビ用の化粧水と洗顔を用意して、念入りにお肌のお手入れをした。毎日鏡を見ながら「今日も出来なかった〜(*^。^*)」と一安心していた。 女性としてはニキビが出来て跡がシミになる位なら、多少の出血と体重増加は多少の我慢が出来ると言うものだ。物事は考えよう。自分に取って全てが良い方に向きますように。
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<入院&手術> 2004年10月8日(金)〜9日(土)
(入院手続きまで) 当日の朝は雨だった。台風22号も近づいていた。うっとうしいなあと思いながら電車に乗る。自宅を出たのが朝8時15分、病院へ到着したのがちょうど10時。やはり京都は遠いなあと改めて実感する。 病院の入退院窓口で入院手続きをする。用意していた入院宣誓書と手術承諾書と病衣申込書を提出する。窓口の女性は「前納で30万お願いします」と事務的に言われた。「カードでお願いします」と、VISAカードを差し出した。窓口の女性からは一括かどうかも尋ねられなかった。レシートを見たら当然のように一括になっていた。私のお給料だけだったら絶対に払えない。VISAカードの引き落とし口座はパナスさんの日本のお給料振込み口座になっている。改めてパナスさんに心から感謝をした。「ありがとう。今日は頑張るからね」 気になっていた入院のお部屋を尋ねると、2人部屋を用意されているらしい。但し同室の方が84歳の痴呆気味の女性なので差額ベット代(1日3,150円)は頂きませんとの事。ラッキーと思ったが「痴呆気味」と伝えられて「夜眠れるかな。大丈夫かな〜」と多少の不安が残った。
(外来受診) 入院手続きが終わると婦人科外来へ行った。主治医の先生は「やぁ〜こんにちは」と笑顔で迎えてくれた。 アイ:「先生、数日前から出血しているんです」 先生:「そうですか。内膜の状態を見たいから内診しましょう」 「もう殆ど内膜は剥がれかかっていますね。わからない位です」 「今から子宮口を開く為に子宮の入り口にスポンジみたいな物を入れますね」 アイ:「はい。イタタタタ・・・」 先生:「少し痛いかもしれませんよ」 ふぅ〜やっと終わった。やれやれ。
(病室へ) 外来受診が終わると病室へ案内された。2人部屋の窓側の方だった。入り口には例の痴呆気味の年配の女性がいらっしゃったがどうやら心配する程でもないようだった。用意された病衣(1日74円)に着替える。ゲ@@;Lサイズ。産婦人科なのでLサイズしか置いていないのかな?と不思議に思った。横になっていると、段々と気分が悪くなって来た。体の奥底が痛い感じだった。
しばらくすると看護師の方が来られて点滴をされた。
この点滴はお昼ご飯を食べていないのでブドウ糖が含まれているらしい。「お腹が重苦しいんですけれど」と看護師さんに伝えたら「子宮の入り口にスポンジみたいな物を入れて子宮からの分泌物で少しずつ大きくしているのですよ。この方法だと機械で無理やり広げるよりも楽な方法ですから」と丁寧に説明して頂いた。なるほどなあと思った。しかし妊娠・出産経験が1度もないので子宮口は固いのであろう、少しずつ広がってくると段々と痛みが増して来た。薬剤師の方が来られて術後の服薬指導をされた。1回分ずつ小さな袋に入れられている。ピンクの錠剤は細菌の感染を抑える抗生物質、白い錠剤は術後の傷の炎症を沈める為の物だった。 病室で横たわったのが午前11時、手術開始予定の午後2時まで待つ時間が一番長く感じられた。
不快感が続いたのだが、トイレには1人で行けた。病室のすぐ近くに新生児室があったので「見たいな〜」と思い見に行った。 付き添いの女性が、「大丈夫?涙出ない?」と尋ねてくれたが、「うん、平気」と点滴が付けられた装置を押しながらスタスタと数歩歩く。 可愛らしい寝顔に思わず笑みがこぼれてしまう。泣かないと決心して見に行ったが目がウルウルとなりそうだった。
たわいもないおしゃべりをしていたら、段々と喉が渇いて来た。「水が飲みたいなー」と思ったけれど術後まで飲めない。「痛いよ〜。でもお腹が空いたよ〜」 検温があったが、37.2℃もあった。起床時の体温は36.6℃だったのに。 血圧も普段なら110程度のはずが150以上に跳ね上がっていた。かなりビビっていたらしい。しかしお腹は空いていてグルグル鳴っていた。恐るべし、ブラックホール。(^_^.)午後1時45分にやっと病室のベットのスピーカーから「手術前処置をしますからナースステーション前に来て下さい」と連絡があった。
(手術) ストレッチャーに乗せられてから、看護師さんから左の肩に小さな注射を打たれた。「少し痛いですよ」少しどころかかなり痛かった。「これ、麻酔ですか?」と聞いたら「いえ、麻酔の前処置の注射です」と言われた。痛い注射はされたあとも痛みが残る。お腹は痛いし、注射も痛いし、もうどうにでもしてくれ〜と投げやりな感情。手術室までストレッチャーで運ばれた。手術室は婦人科外来横の特別診察室だった。 当たり前だが例の内診台がデーンと置かれている。しかし、普通の内診台ならあるはずのカーテンがない。この台に乗るのかーと思うと恥ずかしい思いで一杯だった。看護師さんが「下着を脱いで下さいね」と言われて「エッここで」と違和感を持ちながら脱ぐ。生理ショーツとナプキンの汚れ物を看護師さんに見られてとても恥ずかしかった。
そのあと手術台に自分で上がるように言われる。のろのろと左手の点滴を気にしながら上がった。病衣の胸をはだけられて、左の胸には心電計を付けられ右腕には血圧計が巻かれた。血圧は140前後に少し落ちていたが、緊張していたのは隠せなかった。「麻酔の時に動かれるかもしれないので軽く縛らせてもらいますね」と両手両足を軽く縛られてしまった。更に下半身に手術用のライトを当てられる。上半身は病衣を着せられたままだったし下半身は毛布を当ててもらったが、本当に情けない姿だった。まるでカエルの解剖される姿にそっくりだと思った。手術台横の時計を見たら午後2時過ぎだった。
ほどなくして先生が現われた。「先生、宜しくお願い致します。」と小さな声で言うのが精一杯だった。早く始めて欲しいと思った。「今から注射をしますからね。これはかなり痛いですよ」先生は小さな注射を点滴の中に入れた。注射のピストン部分を先生が押したと同時に左腕にグワン〜と感じる痛みが走った。「い、痛い・・・」先生は更に2本目の小さな注射器を手にしている。2本目が注入された。また痛みが襲った。と、同時にそれからの事は一切覚えていない。 手術中は3人のお医者さんがいたらしいが、全然記憶にない。麻酔がかけられているから、当たり前である。
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病室に戻ったのが午後3時前後らしい。覚醒時には眼の前が部分的にブルーだったり、ピンクだったり、色覚検査の時のような不規則な模様が現われた。不思議な光景だった。最初に覚醒したのは聴覚だった。「終わりましたよ」と言う看護師さんの声は覚えている。その後手術台からストレッチャーに乗せられ、下着をはかせられて病室まで移動したはずだがその時の聴覚の記憶も全くない。付添いの女性の話だと、かなり大きな声でずっと叫んでいたそうだ。
「もう赤ちゃんが出来ない体になった」 「赤ちゃん欲しかったよ〜」 「これで楽になれる」 「私にはホームページにいっぱい子供がいるもん」 「(この手術は)1回目は30万だけれど、2回目は5万だ、絶対治したる〜」
本人に記憶がないのだが、深層心理が全て言葉をついて出て来たらしい。「赤ちゃん欲しかった」と叫んで最初はお涙頂戴の悲劇のヒロインだったのに、最後は銭金(ぜにかね)勘定が出たので、回りの人はガクっとなった事だろう。私は麻酔がかかってもボケているらしい。 麻酔が覚めた時に叫びながらも目は最後まで開かなかった。目が開かないのに号泣していたらしく涙の出る所がないので目が開いた直後は思い切り腫れていた。
術後は体の痛みが続いた。点滴には痛み止めは含まれていないらしく、我慢が出来ずに看護師さんに「痛いんですけれど」と伝えたらボルタリン(座薬)を投与してもらった。すぐに楽になった。
喉が渇いて仕方がなかったのだが、水分の摂取を許可されたのは5時頃だった。「一気に飲まないで少しずつにしてね」と言われた。吐き気やむかつきがなければ夕食を食べる事が出来るとの事だった。「おいしい」少しのミネラルウォーターがとてもおいしく感じられた。
経過は順調で午後6時には夕食を食べる事が出来た。お昼抜きだったので絶対量が全然足りない。看護師さんがこそっと「もっと食べてもいいんですよ」と耳打ちされた。うひ、あとで売店にパンでも買いに行こうかな。でもまだ麻酔が完全に切れていなくて足元がおぼつかないみたいだけれど、とめどない食欲には勝てないかもしれないと思った。 夜8時前後になって、病室を抜け出し売店へ「買い食い」に行った。携帯をコッソリ持ち出して家族や友人やサイトのお客様にランダムに電話をかけた。何しろまだ麻酔が冷め切れないボーっとした頭でかけたのでボケた事を言ったかもしれない。あとから思い出せば恥ずかしい。
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| 足りなかった夕食 | 翌朝の朝食 |
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<退院> 2004年10月9日(土)
翌日は台風が近づいていた。外は凄い雨風だった。先生が「遠く大阪から来られている し、台風が近づいているから早目に帰宅させないと」とご配慮頂き、早目に診察して頂いた。入院室に併設されたナースステーション横の診察台での内診となった。 手術後の下り物は続いていて、内診はとても恥ずかしかった。早く終わって欲しいと思った。経過は良好らしい。ほっとした。次回の診察は1週間後又は2週間後の金曜日で良いからと言われた。感染症を防ぐ為の抗生物質は5日間ちゃんと飲むように指示された 。
看護師さんが「だれも迎えに来られないのですか?」と尋ねられたが「いえ、1人で帰ります」と答えた。退院だと言うのに迎えも来ない哀れな患者だと思われたかもしれな い。 帰りに退院手続きを済ませた。追加料金で差額ベット代や入院費用に食事費用、更に病衣代などもろもろ取られるのだろうなあと思っていた。実際に払ったのは保険会社に請求する為に必要な書類である「入院手術証明書」発行の事務手数料5,250円だけだった。これには拍子抜けをした。入院前に払った30万は一括込み込みの値段だったのだ。日帰りでもこの値段だとすると、1泊した方が随分と楽だった。あぁ良かった。
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<自宅静養> 2004年10月10日(日)〜11日(月)
翌日になっても鈍痛は続いた。2日間、寝たり起きたりして過ごした。 自宅の鏡の前でス トレッチを始めた。鏡に映った自分の姿。手術前の姿と何ら変わる事はない。そう、見かけは何も変わらないのだ。変わった事と言えば自分の体の内なる見えない部分だけ。 「もう、一生子供が出来ない体になってしまった・・・」 予想はしていたし、随分心の準備は 出来ていたけれど現実には物凄い喪失感が自分を襲っていた。 気が滅入って仕方がない 、このままでは鬱になってしまうと思い、知らない内にジムに行く準備をしていた。ヨガやストレッチだけしてしまった。本来は寝ていないといけないんだろうけれど、どう しても人と逢って話をしたかったのだ。
鈍痛は10日(日)夜まで続き、11日(月)にはなくなった。翌日12日(火)から普通に仕事が出来た。デスクワークだからこそ職場にすぐ復帰出来たのだと思う。会社が丁度4連休の時に入院&手術&静養となったので職場で私の体の事情を知っているのは親しい女性の同僚数人のみだった。
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<退院後検診> 2004年10月22日(金)
退院後の検診は術後1週間後又は2週間後でOKとのことだった。1週間後はまだ下りものが多かったし、何となく内診を受ける気分ではなかったので、2週間後に受診することにした。執刀医の先生で夜の診察が受けられるのは月曜日か金曜日のみ。大阪から京都は遠いので(片道1時間半以上)金曜日に診察を受けた。翌日が仕事が休みなので疲れが出ずに楽ちんだからである。 台風が近づいていたので慌てて退院したので、退院後の検診の予約を取るのをすっかり忘れていた。予約は病院内のみで電話では出来ない。当日予約なしで行ったので相当待たされる事を覚悟していたが、予約されていた患者さん数名がキャンセルされていたこともあり、すんなりと受診出来た。 先生が「やぁ、こんばんは」と笑顔で迎えられた。 「どうですか?(手術当日)相当痛がっていたようですが」と尋ねられた。 「退院後の翌日まで軽い鈍痛がしましたが、その翌日からは普通の生活が出来ました」と笑顔で答えた。
とりあえず内診してみましょうと言う事になった。超音波で検診すると内膜は薄く殆ど見えなくなる位になっているらしい。 私は「先生、内膜は綺麗に焼けているのでしょうか?」と尋ねた。 先生は「今の段階(普通の内診)ではわからないけれど、手術直後に子宮鏡で見たら綺麗に焼けていましたよ」と答えて下さった。 更に「感染症もおこしていないようですし、経過も順調ですので次回の診察は半年後で良いでしょう」と言われた。 エッ!半年後、そんなに遅くて良いのかと少し驚いた。
先生に「これで生理がなくなる確率はどれ位なんですか?」と伺った。 私がこの病院で30数番目の手術例らしい。(=日本全国でも) 20数例の段階でしか統計を取っていないが、手術後2,3回生理があってなくなる場合も含めて完全になくなる確率は約60%だとか。残りは生理の量が激減する人が殆どで2度目の手術が必要な人はまだいないと言う事だった。それを聞いてホッと安心した。 出来ればもうずっと生理がなければいいのになあと言う想いが、ぼんやりと頭をよぎった。
貧血は殆ど心配ない位に戻っているのだが、念の為にと自ら希望してあと20日分だけ鉄剤の処方箋を書いてもらった。 やはり長い間続いた貧血なので、念には念を入れた方が良いかもと思ったからだ。1日も早く改善して、4年前を最後に36回目でストップしてしまった献血を続けたいものだと思った。
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私の人生を変えて下さった病院と先生に感謝の意味をこめて・・・(*^。^*) 医仁会武田総合病院 (京都市伏見区) 執刀医 産婦人科部長 山本 嘉昭(やまもとよしあき)先生
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(支出の部)
(収入の部)
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<お礼> 2004年11月8日記 --- 手術後1ケ月を経て ---
「手術を受けます」 とサイトに公言してから、いろんな方々からメッセージを頂きました。お一人お一人にきちんとお礼を申し上げる余裕もなかったので、この場をお借りして皆様に感謝を申し上げます。 手術当日ずっと付き添って頂いた方、術後すぐにかけつけて頂いた方を始め、サイトの掲示板で数々のお見舞いの言葉の書き込みやメールや花束まで頂き本当にありがとうございました。
28歳の時にアメリカで子宮内膜症を患い、「赤ちゃんを授かる為に」と腹腔鏡手術と開腹手術を2回受けました。若かったとは言え、開腹手術後からエアロ復活まで約3ケ月、フィットネスに完全に復活するまでには6ケ月を要しました。 あれから16年後の今年、44歳で子宮筋腫、子宮腺筋症、(子宮内膜症もあったかもしれないと術後の検診で言われました。最終的な診断は開腹しないとわからないそうです)による過多月経で貧血となり、今回マイクロ波子宮内膜焼杓術を受けました。
生涯赤ちゃんを授かる事は出来なくなりましたが、今はとても清々しい気持ちで一杯です。 手術前にヘモグロビンが6.5だったのが11.5まで回復しました。(通常値は12以上) ボンゾール服用で54.5kgまで増加した体重は51.5kgまで自然に減りました。 生理による大出血の苦しみからサヨナラすることが出来ました。 (サブタイトルに「グッバイ・過多月経」と名前をつけたのも嬉しさのあまりからです) やっと普通の女性並みの健康な体を取り戻す事が出来ました。
改めて振り返って見ますと、自分の人生はずっと子宮に苦しめられて来たような気がします。今迄生きてきた時間の半分は具合が悪い、出血や痛みの激しい日々を過ごしていたのですから。その合間を縫うようにフィットネスを楽しんでいた自分がいました。体調が悪くて苦しんでいる時の自分とフィットネスを楽しんでいる自分とはまるで別人のようでした。 世の中には、ガンやもっと重症な病気で苦しんでいる方が沢山いらっしゃいます。その方達に比べたら、私の苦しみなんてちっぽけなものかもしれません。 ただ、人生の半分近くを痛い、不快な、気分が悪い日々を過ごして来た自分がいたのは事実です。
その苦しみから解き放たれた今、変形性膝関節症と言う新たな病名を宣告されました。一時気持ちが凹んでしまいましたが、「今迄の苦しみに比べたらこれ位何てことはない」と思い直しました。 これからも自分の体と向き合って、体を労わりながら細く長くフィットネスを楽しもうと思います。そして自分の運営するサイトが自分自身の原動力となればと言う想いで一杯です。
もしも、皆さんの周りで私と同じような病気で苦しんでいる女性の方がいらしたら、その解決方法のひとつとして情報提供の一端を担う事が出来ればサイト開設者としてこれ以上の喜びはございません。
私を包んでくれたすべての身近な皆様に感謝・・・m(__)m
最後になりましたが、長い文章を最後までお読み頂きありがとうございました。
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