台湾(台南)旅行記
- 父と祖父のルーツを訪ねて-

 


【きっかけ】
今年のGWに実家の福岡に帰省した折りに伯母(父の双子の姉)宅を訪れた。
その時に「一緒に台湾に行かない?ちょうど学校の同窓会があるのだけれど」と誘われた。
詳しく伺うと日本各地(沖縄・福岡・関西・名古屋・東京)から台湾への「同窓会参加ツアー」が計画されていると言う。
伯母さんの同窓会に参加するのは場違いではないのかしら?と一瞬思ったのだが、父の生まれ育った街(台南)を一度見てみたいと言う思いから有り難く参加させて頂く事にした。
参加予定日までまだ5ケ月もあると思っていたのだが、月日が経つのは本当に早い。
十分な下準備もないまま、あっと言う間に出発の運びとなった。


【この旅行記に登場する人】
赤文字は故人
祖父
(台湾の州庁で働いていた。戦後日本へ引き揚げて帰国)

伯母さん(父の双子の姉。今回の旅行に同行。)
↑    夫:
伯父さん(父とは家が隣同士、幼馴染)=同級生:Kさんご夫妻(台南在住:7日に阿霞飯店でお昼をご一緒)



2009年10月5日(月)

【集合時間遅刻?!】

今迄数々の海外旅行には行ったけれど「添乗員付きのツアー」は殆ど経験がなかった。
旅行案内のパンフレットには「関空に9:20集合」と記載されていたので、関空快速に乗車して9:17に関西空港到着予定だと丁度間に合うとのんびり構えていた。
ところが出発場所まであと100mと言う時に添乗員から電話が鳴った。
「すいません、今4Fへのエスカレーターを上がっています」
集合時間きっかりに集合場所へ到着すると、既に参加者全員が出揃っていた。
辺りを見回すと当たり前だがご年配の方々ばかり。
きっと朝早いのは得意なんだろうなぁ。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんと謝っておいた。
個人旅行ではなく団体行動なので、これから先も時間は守らなければと思った。

【機上の人へ】
ご年配の方々が多くて広い関西空港を移動するにしても、とってもスローペースなので歩きにくかった。
添乗員さんが気を使って、「(旅慣れていらっしゃるのでしょう?)お1人で搭乗されても結構ですよ」と言って下さった。
良かった〜。少し気が楽になりテクテクと歩きだした。
出国手続きを終えてシャトルに乗り、搭乗口の方へ向かった。
搭乗口の近くにはカード会社のラウンジがあったので少し休む事にした。
朝からバタバタとしていて、少し疲れたなぁ。暖かいコーヒーを飲むと心がほっとした。
程なくしてアナウンスがあり、私は機上の人となった。

【到着】
3時間弱のフライトで予定通り台湾桃園国際空港へ到着した。
飛行機を出てから辺りをキョロキョロする羽目になった。
添乗員さんから「飛行機を出た所で旗を挙げて待っています」と事前にお知らせがあったからだ。
旗、旗、旗〜アレ?旗なんて見当たらないなぁと思いながら人の流れに沿って歩いていると、入国審査の列に当たった。
もしかするとこれ(入国審査)が終わって出ていた所かもしれないと思い、並んでいた。
すると突然携帯が鳴りだした!相手の番号表示は海外の為非表示になっていた。
(゜o゜)ゲッもしかして。。。予想通り添乗員さんからの電話だった。
「今どちらにいらっしゃいますか?」
「すいません。出国審査の前です」
「それでしたら、荷物受取のターンテーブルの所でお待ち下さい」
(^_^.)しまった〜このような場合は、飛行機の出口すぐの所で(旗がなくても)待っていなければならなかったようだ。
添乗員さんよりも早く出てしまったので行き違いがあったのだろう。
ともあれ、集合時間といい、飛行機を出てからといい、団体行動の問題児(!)となりそうな気配だ。気をつけなくては。

【新幹線で台南へ】
台湾桃園国際空港から新幹線の桃園駅まではバスで30分位所要時間がかかった。
台湾の新幹線の駅はどこも市の中心部から離れている。
のどかな田園風景を過ぎて見えた桃園駅。
2007年に完成したので通過するどの駅も新しかった。
車両などは日本の新幹線技術を投入したので、乗り心地は日本の700系のぞみとあまり変わらなかった。
この新幹線が出来てからは台北から台南まで国内線の飛行機が殆どなくなってしまったと言う。
その理由は、新幹線で台北から台南までの所要時間は1時間と少しだが、飛行機だとそれよりもやや早い位の違いしかない。
飛行機に搭乗するには早目に空港に到着しないといけないので結構煩わしいからだと言う。
それでもこの新幹線自体は赤字だと言うので少し驚いた。
確かに日本の新幹線のように「物凄く混んでいる」と言った気配はなかった。


 駅名が縦書き  券売機


 発車時刻表示LED  駅構内のコンビニ


【バスで観光】
程なくして新幹線の台南駅に到着して、ここから用意された観光バスに乗った。
殆どのツアー客がおご夫婦などの「お二人連れ」なのだが、私はひとりで乗車した。
伯母さんと再会するのは、今夜の「結団式」パーティ前になる予定である。
空を見上げたらお天気が少々心配になって来た。
今朝のニュースによると台風が近づいているらしい。
大丈夫かしら・・・?
バスの窓から見る台南の風景は初めてであったが、ひどく懐かしい感じがした。
初めて訪れる場所のはずなのにそうではないような一種のデジャブ(既視感)な感覚だった。
台湾は7年前に台北を訪れているので全く初めてではなかったのだが、それ以上の懐かしさだった。
気分的に外国に来ているのではなく、故郷に戻った感覚と言えば少し言い過ぎになるだろうか。
台南は台北と違って古い建物が多く、日本で言えば京都や奈良に近い感じがした。
そのせいできっと気持ちや心が落ち着いたのであろう。


 小雨の中の観光  安平(アンピン)の風景 伯父が昔釣りに行った川 


【億載金城】
小雨のぱらつく中、最初に訪れたのが億載金城だった。
ここは台湾の海防を固める為に建てられた海に面した砲台跡である。
現在の砲台は1975年に作られたアームストロング砲の模型だそうだ。
清代末期に進められた洋化運動が生んだ台湾最初の洋式砲台で、フランス人技術者が設計施工したもので、今は埋め立てられているがかつては水をたたえた外堀があって方形の要塞を守っていた所らしい。
1976年に台南政府により市の100周年を記念して荒れ果てていたこの億載金城をリニューアルしたそうだ。
現在は台南を代表する観光地となっている所らしく、辺りには観光バスが何台か来ていた。

「 跡」だけなので(^_^.)  安平(アンピン)概略図 50元=約150円 


【安平古堡】
台湾の歴史を辿ろうとすると台南の安平(アンピン)区から出発しないと行けないと言われている。
17世紀半ばにオランダ人が建てた台湾最古の城で紅毛城とも呼ばれているそうだ。
現存する建物はのちに建て直されたものだが、一部残された赤レンガの城壁にはガジュマルの根が縦横に張っていて歴史の重みを感じる事が出来る。
ここを訪れたら、ぜひ夕刻に展望台に上って下さいとアドバイスされた。
台湾海峡に点々とする漁船の様子を間近に望む事が出来るそうだ。
ここから見渡す夕焼けは「安平晩渡」と呼ばれ、台湾八景のひとつになっているそうだ。
今度行く時があればぜひ夕刻を狙いたいものだと思った。

 入口の風景 見取り図です チケット売り場 


 閉まっていました 美しい神社  鳥居も凝っています


【台南大飯店へ】
2ケ所の観光を終えて、やっとホテルに到着した。
このホテルは日本からのツアー客によく利用されているらしく、日本人の宿泊客が多い。
台南駅や繁華街へも徒歩で行けるので便利なのが理由のひとつのようだ。
ホテルに到着して部屋にチェックインすると既に伯母が部屋にいた。
何と!同級生(?)の男性を部屋に招き入れておしゃべりの真っ最中だった。
(゜o゜)
同級生とは言え、異性をホテルのお部屋にお招きするなんて、77歳だからOKなのね〜と勝手に解釈して一瞬驚いた自分の心を落ち着けた。
その夜は午後7時から、同窓会の「結団式」と「懇親会」が行われた。

 エビ料理〜♪  伯母と久しぶりの再会  左は伯母の姉の同級生


今日一日朝早くから移動続きだったし、お昼は質素な機内食のみだったので随分お腹が空いていた。
夕食は予想通り中華のフルコースだったが、どれも美味しく頂いた。
お腹がペコペコだったので当然だったかもしれない。
随分と食欲が満たされたお腹をさすりながら眠りについた。
この日の晩は記憶にない位爆睡したような気がする。

2009年10月6日(火)
この日はホテルで朝食を摂ってから、バスの中へ。
今日と木曜日は伯母さんと同じバスで周遊する予定になっていた。

【母校訪問・同窓会・懇親会】
今回のツアーのメインイベントである1日がいよいよ始まった。
ホテルから母校までは歩いて行こうと思えば行ける距離なのだが、何しろご年配の方々のツアーなのでちょっとした距離もバスで移動となった。
傍から見れば徒歩も大変だが、バスを乗り降りする際の急な傾斜の階段を使う方もかなりご年配の方々にとっては大変な事だなと思った。
母校にバスが到着すると、在校生のブラスバンドが校門前で歓迎の音楽の演奏を開始した。
私達はその音楽に包まれて校舎の中を進んで行った。
校舎の中庭に進むと怒涛の様な大歓声がこだましていた。
どうしたのだろう?この歓声は!
丁度休憩時間だったのだろうか?それとも授業中を割いてわざわざ出迎えたのだろうか?
ほぼ全校生徒が教室の窓から顔を出し、大歓迎の言葉を並べているのだ。
もちろん、私にはその言葉の意味はわからない。
だけど笑顔で私達に大声をあげて手を振ってくれるその姿に息をのみ、感動してしまった。
もしもこれが日本の学校での出来事だとすれば、こんな歓迎の仕方をされるのだろうかと思った。
既に戦後60年以上を経過している。
母校を60年以上前に卒業している先輩方が外国から訪問したとして、こんな大歓迎をするのだろうか。
先輩、後輩に国境はない。
今迄、中国や韓国を度々訪れていて強く心に感じるのは、年配の方々に対する敬愛・尊敬の念が強いと言うことだ。
これはきっと儒教の影響を強く受けている国ならではと思う。
大歓迎を受けてのち、校庭の方へと進んだ。
この校庭で伯父や父(どちらも故人)も走ったり、遊んだりしたのかと思うと感慨深いものがあった。

 校内の入口  歓迎のメッセージ  建物構内


全員集まっての写真撮影の後、小グループに分かれて母校構内の見学をした。
説明員の方々の心のこもった日本語にとても感心をした。
校庭内では体育の授業が分かれて行われていた。
それがなかなか終わらないのが不思議だった。
私は通り過ぎる学生に英語で聞いてみようと思った。
英語が話せるのか?と聞くと殆どの学生が「イエス」と答えた。
すると、体育の授業は週に2回それぞれ90分ずつ行われているらしい。
はきはきと答えてくれた学生らがとても印象的だった。
どこかの国の学生とはえらい違いである。

 伯母の姉の同級生  構内を散策中  感慨深げな伯母


 三脚で撮りました 贈呈 日本人卒業生一同 講堂前 


見学後、旧講堂で同窓会総会(会計報告、母校校歌斉唱など)が厳粛に執り行われた。
総会に引き続いて懇親会が行われた。
昨夜の結団式は日本からのツアー客のパーティだったが、この日は台湾在住の卒業生も加わって賑やかな懇親会となった。
父、そして伯母(伯父を含む)の通っていたこの母校は今年創立95周年を迎えたそうだ。
現在、戦前の在学生、卒業生のうち一番若いのが伯母の年代(今年77歳)だ。
次回は創立100周年を大々的に祝うそうだが、そうなると参加者のうち一番若くても82歳と言う事になる。
男性にとっては既に平均寿命を過ぎているので、参加者を募るだけでも大変な事だなぁと思った。
総会に続いて同じ場所で懇親会が行われた。
きちんと円卓のテーブルが用意され、ケータリングの会社が暖かい出来たての料理を次々と運んで来たのだ。
学校で本格的な中華のフルコースを味わえるとは思わなかったのでこれにはとても驚いた。
食欲も全開でお腹一杯美味しく頂いた。
もちろん、ビールと紹興酒もね。
(^_^メ)

 建物はレンガ色  校庭は芝生  同窓会総会


母校訪問が終了したら、バスで台南市内の観光へと移動した。

【国立成功大学】National Cheng Kung University
元々は日本の統治下に設立された台南高等工業学校が母体となっている総合国立大学である。
「成功」と言う文字に日本語の「成功」を思い浮かべる人も多いと思うが、台南で活躍した鄭成功にちなんで名づけられたと言う。
この鄭成功は前日に訪れた【安平古堡】に銅像が納められている。
大学の規模としてはかなり大きく、9学院、38学系、29研究所を有す総合大学である。
キャンパスは誰もが自由に入れるようになっているので、私達はバスから降りて学内を散策した。
緑溢れる良環境の中、施設も充実しているようである。
国立大学と言う響きのせいか、辺りを行き来する学生全てがとても頭が賢いように感じられた。
自宅周辺のチャラチャラとした遊び優先の学生ばかり見ているせいかもしれない。

 成功大学にて  蒋介石の銅像


【国立台湾文学館(旧台南州庁】National Museum of Taiwan Literature
1916年(大正5年)に日本統治下の台南州庁として落成された建物。
1997年から2003年にかけて「文化遺産修復再利用」の大規模な修復作業が行われ、現在は国立台湾文学館として国定文化遺産となっている。
台湾文学の発展を記録し、文学資料の収集、整理、展示事業、後援会などの企画普及に努め、文学閲覧室や自動図書室などの空間を提供している。
入口では何と新型インフルエンザ対策の為なのか、1人1人の熱を測っていた。微熱を含めて熱がある人は入れないらしい。
いかにもお役所のやりそうな事だと思った。
検査がOKだった人は右肩に緑色の丸いシールを貼られた。
この旧台南州庁は祖父がかつて勤めていた役所である。

 ここよ〜おじいちゃんが 建物はクラシックです 


祖父はこの州庁で新聞のゲラ刷りのチェックをしていたそうだ。
戦前の日本統治下の中、もちろん言論の自由もない時代の事だ。
発行前の新聞の原稿の中に政府を批判したりする内容がないか調べるのが祖父の仕事だったそうだ。
朝刊のチェックの時は夜勤になり、夕刊の時は日勤だったそうだ。
今みたいに食堂やコンビニなどはないので、伯母はよく祖父に祖母の作ったお弁当を届けていたそうだ。
その記憶が今でも鮮明に残っているらしく、何と祖父の仕事をしていた部屋まで案内してくれた。
「正面の入口を入って、右側に沿って歩き、3番目のドアが仕事場の入口よ」
もう既に70年近く前の事を鮮明に覚えている伯母の記憶力にも驚かされたが、今は亡き祖父がここで働いていたかと思うと感慨深いものを感じた。
ドアの奥はリフォーム工事中で中に入る事は出来なかったが、私はしばし部屋の前に立ち尽くしていた。
祖父の霊がここに眠っているような気がしてならなかった。
「おじいちゃん、私ここに来たよ」
祖父が生きていたら、きっと吃驚しただろうなぁ。(^.^)

 全体見取り図  おじいちゃんの仕事場



2008年10月7日(水)


この日は自由行動の日。伯母がかつて住んでいた家に連れて行ってくれると言うので楽しみにしていた1日だ。


【再發號肉綜】
住所:民權路二段71號

ホテルで朝食後、伯母が「台南で一番美味しい肉綜(バーツァン)のお店に行きたいと言ったので徒歩で出掛ける事にした。
伯母は戦後既に台湾へ7度訪問しているが、その美味しいお店の記憶があまり定かではないらしい。
「確か北門路一段を下って、東門に行く前だったはず・・・」
途中で警察署が見えた。
「あっ、寿警察だ。ちょっとあそこで聞いて来てよ」
聞いて来てって、伯母さん、私中国語がしゃべれないってば。と言うと、
「英語でいいから」
あのね〜(^_^.)大丈夫かな。
と、思ったらアレ?通じた。
若いおまわりさんは、英語が流暢だった。
昨日の高校生と言い、台湾の方々は英語教育が行き届いているようだ。
一生懸命説明してくれて、何となく解ったのだが、台南の道路は格子状の中に斜めの道路が入り組んだりしてなかなか解りにくい。
本当に大丈夫かなと思って不安になり、地図をもう一度見返すべく立ち止まっていると、さっきの寿警察で見かけた暇そうなオジさんが自転車に乗ってやってきた。
今思えば、私達が道に迷わずに行けるかどうか心配なので後から自転車で付いて来たらしい。
迷っている私達に向かってしきりに指をさして何か言っている。
多分「こちらの方向だよ」と親切に教えてくれているのだろう。
うわ〜(*^_^*)親切だなあ。
きっと女性の2人連れであり、伯母さんが年配者であるので親切にされたのだろうなぁと思った。
ほどなくして肉綜(バーツァン)のお店「再發號肉綜」に到着した。
店の構えはお世辞にも綺麗とは言い難いものだったが、こういう感じのお店の方が美味しいんだよね。
肉綜(バーツァン)は、八寶肉粽(八宝肉ちまき)100元と特製海鮮八寶肉粽(特製海鮮八宝肉ちまき)150元の2種類があったが、迷わずデラックス版の150元の方にした。

【父の育った家へ】
伯母の記憶を頼りに歩き続け、東門圓環(East Gate traffic circle)に辿りついた。
ここを過ぎるとすぐ右手に入った路地に家の跡地があるらしい。

 台南駅を南下する  正面中央の筋を入る


以前伯母が訪れた時には父の実家は既に華南銀行になっていたらしいが、今回はアパートに変わっていた。
土地区画整理があり、地番も変わっているそうだ。
それでも道を挟んで向かい側の家の堅い鉄条門は70年前と全く変わらないので、ここに間違いないらしい。
そうなのだ。
ここに亡き父と祖父一家が暮らしていたのだと思うと暫しの間呆然と立ち尽くしていた。
ハッと我に返り、写真を撮らねば・・・と伯母の姿と一緒に父の実家跡の風景を撮った。

 筋を入った所  番地を確かめる  アパートになっていた!


【Kさんご夫妻】
伯母さんの亡きご主人(私にとっては伯父さん)の同級生、Kさんご夫妻とお会いした。
私達の宿泊するホテルまでわざわざご足労頂いたのだ。
ご主人は白内障が悪化して目が殆ど見えないらしい。
更に杖を付かないと立てない位健康が悪化されているのだ。
伯母さんは既に伯父さんも亡くなった事だし、関係がなくなったのでお会いする事をご遠慮していたのだが、先方がどうしてもと熱望されて今回の再会の運びとなった。

以下は伯母さんの話である。
昔、日本の統治下であった頃、台湾の学校に通っていた日本人は台湾人を差別していたそうだ。
それ故、台湾人のKさんは子供の頃いじめられていたらしい。
そんな時、体の大きな伯父さんが「台湾人も日本人と同じ人間じゃないか。何が違うんだ!」と体を張っていじめっこからKさんを守ってあげたそうだ。
Kさんは「あの時、差別しない日本人は伯父さんだけだった。その恩義は終生忘れない」と流暢な日本語で話されたそうだ。
Kさんご夫妻が日本に遊びに来られた時には、亡き伯父さん(北九州在住だった)の車で御2人が行きたいと熱望された湯布院までドライブに連れて行った事もあるそうだ。
そのような経緯から、伯父さんが亡くなってからも、ずっとKさんは伯母さんと連絡を取り続けているそうだ。

私はその話を聞いて、亡き伯父さんがそのような方だったのかと改めて知る事となった。
亡くなってからも心から慕われているなんて人徳のなせる業だなと思う。
私は少しでもあやかりたい気持ちになって来た。

 Kさんの奥さんと伯母 台南駅ツーリストセンター   左:阿霞(アーシャ)飯店


【阿霞(アーシャ)飯店】住所:忠義路2段84巷7號
この日のランチはKさんご夫妻が予約していた「阿霞飯店」で頂いた。
ホテルからは近距離だが、タクシーを利用した。
タクシー代は日本の半額〜1/3程度なので気軽に利用する事が出来る。
「阿霞飯店」は1940年創立の台南では老舗レストランだ。
この店は邱永漢氏が日本のマスコミで紹介したおかげで日本人の間ではとても有名になってしまったそうだ。
ちなみに邱永漢氏の弟である邱永南氏は父の友人であり、実家に住んでいた頃はしばしば国際電話をかけて来られた記憶がある。
「ここは蟹とエビがとても美味しいのよ」
伯母も何度か行った事があるらしい。
メニューは写真付きで中国語と英語と日本語でも記載されていたが、お勧めのお料理を頂きたいので内容はKご夫妻にお任せすることにした。
出されたお料理は全て上品な薄味で美味しく頂く事が出来た。
今迄3日間、中華料理漬けだったのだが、これこそまさに中華料理の神髄(!)と言っても決してオーバーではないと思った。
美味しかろう〜高かろうではなく、物凄く美味しい割には日本人にとってはそう高くないお値段のようだ。
もちろん、台湾現地の人にとってはかなり高い値段になることは間違いないのだけれど。

 綜合併盤(盛合わせ)  具沢山のスープ エビ美味しかった〜♪ 


美味しいお料理を前にして4人のおしゃべりは弾んだ。
Kさんご夫妻同士話す時は中国語。
Kさんが私達2人に話す時は日本語。
Kさんの奥さんは片言の日本語を話されるが、英語は流暢なので私には英語で話された。
私もKさんの奥さんには英語で、Kさんと伯母さんには日本語で話をした。
従って、4人の会話は中国語、日本語、英語が飛び交うと言うとんでもない会話になってしまった。
それぞれの言語が解らない人には通訳が付くと言ったおまけ付きである。
ひぇ〜(^_^.)このような状態でも楽しくお食事が出来るものだなと思った。
ところが、万国共通な出来ごとが。
唯一「蟹」の殻をむしっている時は無言になる事が・・・ぎゃっ。

 紅?米?(蟹おこわ)  デザート  お別れの写真(T_T)/~~


ご夫妻とは3時間程楽しいひと時を過ごしてお別れをする事になった。
伯母とKさんご夫妻が手を取り合って別れを惜しむ姿を見ながら、目頭が熱くなるのを感じた。
この年代ともなると、毎回の別れが今生の別れとなるかもしれないからだ。
私自身が涙ぐみそうになるのをこらえてお別れをしたのだった。

【エステティックSOCie】
Kさんご夫妻とお別れしてから、次に行ったのは三越百貨店内にあるエステティックサロン。
宿泊していたホテルから紹介されたので行ってみる事にした。
しかし、値段が高い!
日本系列のエステだが、日本並み、又はそれ以上に高いではないか。
私は「伯母さん、高いから止めましょう」と言ったのだが「何言うのよ〜。伯母さんが払うから一緒に行きましょう」とお誘いが。
伯母さんはお金持ちだなぁ〜と感心しながらも、折角のお誘いなので費用は有り難く出して頂くことにした。
ここで、問題が!
日本系列のエステなので、当然日本語の話せるエステティシャンがいるかと思ったら、話せる人はいなかった。
仕方がないので英語が話せるエステティシャンがいたので応対してもらう事にした。
ひぇ〜昨日の高校生よりは、中国語なまりの強い英語を話されるのでこちらも聞きとるのに一生懸命だった。
昔の職場では電話によく中国語なまりの英語がかかって来たので、よく受けていたのだがもう忘れてしまったよ。
それでも、どうにかこうにかこちらの意思を伝えて事なきを得た。ほっ。
伯母は60分のボティコース。私は75分のフェイシャルコースを選択し、まったりと夢の中へ暫しの間まどろんだ。
豪華な雰囲気の施設だったので、女王様気分だった。
あ〜あ、極楽や。
メイクをしてから三越で暫しの間、ウィンドウショッピング。
品物は日本に置いてあるものと変わりないし、値段はむしろ日本よりも少しお高いような気がする。
無印良品などは、日本の1割増し位なので現地の人にとっては無印とは言え「高級商品」であろう。
かなり歩き疲れたので、ホテルまでは近かったのだが、タクシーを利用した。

この日の晩ご飯は、はお昼に頂いた「阿霞飯店」で食べきれなかった食事をパック詰めにしてもらったのでそれを頂いた。
ホテルのお部屋で頂いたのだが、十分な量だった。
昼も夜も美味しいお食事で心もお腹もとても満足した1日となった。


2008年10月8日(木)
【新幹線で台北へ】
今日は台南から台北への移動日。
移動にはもちろん新幹線を利用する。
台湾の新幹線の駅は郊外に遠く離れているので、およそ便利とは言い難い。
どうしてメインの鉄道(台南駅)から車で20分〜30分も離れた所に作られたのだろう。
現地の人に聞いてみると、次の2つの理由によるものだと言う。
1.土地が安いので、広々としたスペースが確保出来る。
2.周辺地域が活性化する。
理由はごもっともだと思うのだが、日本でよく新幹線を利用する私に取っては(大阪、福岡)都市の中心部に近い新幹線を当たり前だと思っているので、「何とも不便だなぁ〜」と思わずにはいられなかった。
「行き」の初日10月5日に台北から台南へ移動した時は、桃園駅から台南駅まで乗車した。
「帰り」の今日は台南駅から桃園駅を通り越し、台北駅までの乗車となった。
新幹線の中では日本と同じように車内販売のワゴンが行き来していた。
ツアー客の中の幾人かのおじさん(おじいさん!)はお昼から缶ビールを買い求める人もいた。
改めて思うに、この同窓会ツアーは最低77歳ですよ、77歳!
それなのに、お昼からビールを飲む元気があるなんて!
私が「お元気ですね〜」と声をかけると、「そうですね、私は82歳ですが今でも月に2度は(ゴルフの)コースを回っていますから」
(゜o゜)ひぇぇぇっ〜本当にお元気なんだ。
恐ろしやシニアパワー。
完全に脱帽状態の私でありました。

 2階建てのバス 台北駅舎表側  台北駅舎裏側 


【龍山寺】ロンサンスゥ
台北に到着すると、最初に訪れたのがこちらのお寺。
7年前に訪れているので、「あぁ、懐かしいなぁ〜」と記憶をたどり寄せる事しばし。
1738年に創建された台北では最も長い歴史を誇るお寺である。
およそ日本のお寺とは似ても似つかない、極彩色に彩られた豪華絢爛な廟建築で、精巧な彫刻が屋根や柱に施されている。
観音菩薩が主神であるようだが、文殊菩薩や普賢菩薩、媽祖や文昌帝君などの道教の神様も祭られていると言う。

 入口 煙は線香(お香)です  内部の様子 


実際中に入るといろいろな形の神様が祭られていた。
見ると、どの神様にも一礼をする参拝者が多い。
台湾の人も日本人同様、多信教者なのかしらと思った次第だ。
お寺の中央部分の広場には数々のカラフルな色のお供え物を見た。
この色使いにはどこかで見覚えがあるような記憶があった。
そうだ!バリ島に住んでいる方々が信興しているヒンズー教のお供え物のカラーにそっくりだったのだ。

 お供え物 美味しそうです(^_^.)   仏像は華やかです


【台湾民主紀念堂】
中華民国の初代総統であった蒋介石の顕彰施設である。
台北に観光に来たら、ここを訪れない人はいないとさえ言われる程有名な観光地でもある。
およそ25万平方メートルの敷地内には、本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁、公園広場、休息所や回廊、庭園、池(光華池・雲漢池)なども併設されている。

 入口から ずっと歩きます  憩いの公園 


公園などは誰でも利用出来るようになっており、市民の憩いの場所にもなっているようだ。
施設の中でもとりわけ圧巻だったのは巨大な「蒋介石の座像」だった。
高さは一体どれ位あるのだろうか?
日本の大仏像のようだった。
きっと台湾の人々にとっては、蒋介石=神様と同じ感覚なのかもしれないと思った。

 蒋介石の像  拡大してみました こちらは人形です 


【台北101展望台】タイペイイーリンイーザンワンタイ
高さ508m、地上101階、台北のランドマークとしてそびえ立つ世界に誇る最高層ビル(2009年10月現在)
高さ382m、地上89階に設けられた室内展望台へは5階の入り口から高速エレベーターに乗って僅か37秒で到達する。
更に、高さ390m、地上91階には屋外展望台も併設されている。(不定期開場)
この展望台のエレベーターがあまりにも高速な為、私は耳がキンキンとなってとても困った。
飛行機の離着陸の時もこのような状況になるのであまり好きではないのだが、耳の不快感はその時以上のようであった。
しかし、展望台から見下ろすあまりにも見事な光景にしばしの間、耳の事などはすっかりと忘れてしまっていた。

 展望台遠景(右) 下から見上げる  キャラクターマスコット 


何と言う高さ、眺めだろう。
夜だったら、きっと夜景が綺麗だろうなあと思った。
展望台には、英語や韓国語、日本語のパンフレットも設置されていた。
又、8ケ国(日本語も含まれる)の言語によるマルチメディアガイド機器が設置されていた。
その他にはギフトショップやドリンクコーナー、望遠鏡(有料)、郵便ポストなども併設されていた。
室内展望台から1階下って88階にはと「聚宝88トレジャースカイ」と言う名称で、宝飾芸術品が展示されていた。
高級珊瑚や台湾産玉や真珠、様々な宝石を用いた装飾品も飾られていて、もちろん買う事が出来るそうだ。
こんな高価な宝石をいったいどんな人が買われるのだろうか?

 展望台からの遠景  真下を撮ってみる  近くの眺め


【サヨナラパーティ】
今夜はこのツアー最後の夜なので宿泊するホテル三徳大飯店で「サヨナラパーティ」が開催された。
ツアーの主催者や幹事、旅行者のご挨拶の後、乾杯〜♪
ワイワイとこの4日間の楽しかった話で盛り上がり、最後はカラオケ大会よろしくハンドマイクが次々と使用された。
とは言っても音源はないので、全てアカペラである。
戦前の流行歌が次々と披露され、はたまた演歌やオペラまで披露する人もいらっしゃった。
私はお元気なご年配の方々を拝見して本当に感心するのだった。
良く食べ、良く笑い、良く寝て、良く運動なさるらしい。
それが長生きの秘訣なのだろうか。
67歳で亡くなった父も生きていれば、今頃は77歳。
きっとこのツアーに参加していただろうなぁ。
お元気な同級生と今は亡き父の姿を重ね合わせると、何とも言えない気持ちになった。

 おじ様方と  社交的な伯母さま お別れの前夜 


2008年10月9日(金)

今日はツアー最終日。伯母は福岡へ、私は関西へ帰国するので、それぞれ別々のバスに乗車した。

【忠烈祠】ツォンリエツゥー
辛亥革命や対日抗戦などで命を落とした約33万人の軍人の英霊お祀る1969年建造の祭祀場。英霊と建物を守る衛兵の交代式は必見の価値がある。何しろ、兵隊人形の様に手足の動きが一糸乱れないのだ。
しかも、一旦衛兵として見張り台に上ったら次の交代まで一切動かないので、一瞬人形と見間違ってしまう程である。
衛兵さんは若い軍人さんだった、頭も短髪に刈り上げてすっきりとしていた。
韓国しかり、台湾しかり、徴兵制がある国の男性は本当に大変だなと思った。

 入口を入った所  セルフタイマーで撮影 人形ではありません 


この「微動だにしない衛兵」と一緒のツーショット写真を撮ろうと多くの女性観光客がシャッターを切っていた。
衛兵さんは2人がお互いの顔を向かい合う形で建物を守っているので、2人共一緒に写真が撮れない。
必然的にどちらか1人を選ばなくてはならない。
「やっぱり男前の方かな?」そんな声も聞こえた。
女性観光客の趣味はきれいに二手に割れたようである。
どちらにしようか、最後まで散々迷っている女性もいた。
私もその中の一人であったが・・・(^_^.)

 奥の建物 奥行きはかなりあります  微動だにしません 


【故宮博物院】クーコンポォウーユェン
中華歴代の至宝を収蔵する世界四大博物館の1つである。
ルーブル美術館や大英博物館と並び称される、世界有数の文化の殿堂。
宋、元、明、清時代の宮廷における極めて豊かな至宝約65万4500点が収蔵されている。
とにかく敷地が広い、広すぎる。じっくり見ようと思うとゆうに3日位はかかりそうだ。
元々の国立故宮博物院は1925年に北京の紫禁城に創設され、1931年に戦禍を避ける為に故宮の文物は中国国内をあちこちと移動することを余儀なくされて、1949年に国内内戦により国民政府は総数約60万点の一品を台湾に運び、1965年に現在の台北士林外双渓に移された長い経緯がある。
2011年に嘉義県の太保の地に於いて国立故宮博物院南部院が竣工予定となっている。
あまりにも膨大な量の為、収蔵品の一部は新しい南部院へ移されるのかもしれない。

広大な博物館なので、観光客の数も半端ではない。
個人客には中国語、英語、韓国語、日本語の音声ガイドが100元(約300円)でレンタル出来る。
又、10人以上の団体客を大正に団体用音声ガイドを使用するのが義務となっている。
費用は1人分20元程。(約60円)これは団体のガイドさんがあちこちで大声を上げて説明をすると煩くて大変な事になるので、団体毎にガイドさんのマイクから発せられた説明の音声が、そのガイドさんが連れて来ている観光客のイヤホンだけに聞こえるように調整されているらしい。マイクの回線チャンネルはNo.1から9まで設定されているので混線する事は少なかったが、たまたま同じチャンネルを使用している別の国のガイドさんに近づくとそのガイドさんの声をすり替わる事があり、面白かった。
あまりにも広くて大きすぎるので、見どころだけを駆け足で回る観光となった。
7年前に来た時は建物も古かったが、今回は外壁が改装されていてとても鮮やかな色をしていたのが印象的だった。
内部は全て撮影厳禁なので、建物の外観のみの撮影しか出来ないのは少し残念だった。

あちこちで撮影が 建物が綺麗でした もちろん国旗掲揚


【帰国の途へ】
最終日の観光が終わると、飲茶のお昼ご飯を頂いた。
この5日間ずっと中華料理のお食事が続いていたのだが、飲茶は初めてだったのでとても新鮮だった。
蒸したギョーザやシューマイのもちもちとした皮が何とも言えない歯ごたえで、「これぞ中華料理!」と言える逸品揃いの飲茶だっ
た。
しかし、良く考えたら飲茶は炭水化物が多くて少し野菜不足かな〜とも思えた。
日常的に食べる物ではないので深く考えないようにしよう。(^_^.)

食事後、団体旅行につきものの「お土産店ご案内」があり、約1時間程を過ごした。
私は母に頼まれたウーロン茶と自分用にフカヒレを購入した。
カラスミも買いたかったのだが、あまりにも高いので買う事を断念した。

空港に到着すると、何故か日本の修学旅行の団体客が沢山いたのには驚いた。
搭乗案内アナウンスでは赤ちゃんや妊婦さん、ご年配の方々を優先搭乗されると言う事だ。
私のツアーでは年配の方々が殆どで優先搭乗されていた、「私は後からだなぁ〜」と修学旅行客の最後尾に並んでいた。
なかなか進まない列に少しイライラとした頃、添乗員さんが「Iさん、まだ乗っていられなかったのですか!」と驚いて来られた。
だって乗ろうとしたら、航空会社の地上職の方に英語で「お年寄りが優先で貴方は後から」と言われたんですと言うと、添乗員さん
が「一緒に乗って良かったんですよ」と説明された。
そうだったんだ。それにしても、集合時と最後の最後にご迷惑をおかけして申し訳なかったな。
本当にごめんなさい。

【終わりに】
今回は普通の旅と言うよりは、父と祖父が戦前住んでいた街へ私が代わりに里帰りしたと言った方が良いだろう。
父や伯父が過ごした母校、祖父が働いていた州庁、父と祖父が住んでいた家があった場所を訪問したのだが、何故か初めて訪れたと
は思えない程、懐かしい想いがしたのだ。
祖父が亡くなって20年、父が亡くなって10年が経過し、月日の経つのが本当に速く感じられる。
生きていたら、きっと今回の旅行の事を喜んでくれた事だろう。
天国に住んでいる父、伯父、祖父に改めて言ってみたいと思った。。
「(台南に)行って来たよ」と。


【漢字とカタカナ表記について】

台湾では中国語の北京語と台湾語が公用語となっています。中国本土では簡体文字が使用されていますが、台湾では繁体文字が使用されています。
旅行記では出来るだけ現地の言葉を再現しましたが、一部日本語では使用していない漢字もあり正確さには欠ける事をご承知下さい。
又、カタカナ表記についても、解っている所のみ日本語のカタカナ表記に近い形で表現しましたが、そのまま読んでもなかなか現地の人には通じないかもしれません。

 

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