シルクさんの闘病日記

2004年3月25日入院

2004年4月30日退院

2004年5月 6日再入院

2004年5月17日手術

2004年5月27日退院

アイの母シルクさんは2004年4月20日で70歳になります。(とてもその年には見えないのですが(^_^.))彼女は、2003年の年末に腹痛を覚え、かかりつけのお医者さんに受診してもらうと胆嚢が腫れているとのこと。腫れが治まってから腹腔鏡での摘出手術となったのですが、いざ手術前の検査で肺のレントゲンで影が見つかり非定形抗酸菌の疑いが強くなり、急遽国立病院への入院となりました。これは入院中に書いた日記を綴ったものです。文面は原文のままにしています。

入院:福岡東医療センター(2004.4.1より国立から法人へ)3/25(木)入院
胸のレントゲン検査。夕方先生が見えて以前より影大きいのでいろいろな検査をしますので3週間位の予定と言われた。

3/26(金)
便検(3)、尿検、体温36 朝9:00ラジオ体操
食事はおいしく出来ています。
家にいる時いろいろな出てカローリオーバで今まで1,500-1,600カロリー病院のを見たら1,800-1,900ですからきっと肥って帰ると思います。
病院の入院の時は51.5kgでした。今日は40間のローカがありますが10回歩きました。
夕食が美味しく食べれた。腹いっぱいです。おやつはなんにもいらない。やっぱり国立かな。
熱い湯はどんどん出るし。お茶はまずい。
同室の人若い人ばかり3人。20代〜30代ね。1人は子供さんがいるみたい。
ラジオを聞いています。消灯が9:30-朝は6:30でした。

3/27(土)
長く寝ていたので腰が痛いのでシップをもらってすぐ貼ると治った。
昨夜は早く寝て11:30頃又目が覚める。
その頃から若い3人はテレビを消して休んだ。
私はそれからイヤホンでラジオを聞く。深夜が熊本からの放送だった。
アイは知らないと思うけれどS本すみ子と言う歌手が出られた(クリスチャン)
お話でした。ご主人は東京で医者だってよ。
午後は長かった。前のRちゃんと話した。貴女28歳。香椎の人である。
医療事務をしていた人。病院でうつったと言って話しました。
3ケ月入院の予定である。2月の末に入院している。
夕食後は廊下を続けては6往復する。腰もだいぶん良くなった。

3/28(日)
昨夜遅くまで10時過ぎまで床上で座ったりしてラジオ聞いていたので朝は思ったより腰の痛みはなかった。夜中4時過ぎにトイレにも行った。
食事も美味しく牛乳も毎日1本飲んでしまう。
ベットの上で本を読んでいると又腰が痛くなるので散歩ばかりです。
日課にしていないと足が弱っていたら退院しても困るよとお友達から言われたので
暇さえあれば歩き回っています。
夕方F夫婦とS子さん3人が御見舞いに見えた。
腰は大分良くなる。

日曜日だから静かなもの。あまり御見舞いの人もみえない。アイからTELあり宅急便にてパジャマとPHSやいろいろと入れて送るからと連絡あり、やっぱり女の子供だなと感じる。ありがとう。

夕方F御兄さんが妹も一緒に御見舞いに来てくれた。やっぱり身内が御見舞いに来てくれると心が落ち着く。黄色八重の水仙とフリージヤを持参してくれた。


3/29(月)
朝食前に痰を取る様に言われたけれど出ないのでナースに取ってもらった。
チョット苦しいけれど又、明日痰を取る様に言われている。
3日間続けて取るそうです。痰の検査が3ケ日続くのネ。
午後にツベルクリンの注射をしましたが現在4,30分だけと直径0.5cm位です。

元気な人(自分)を隔離病棟に入れて病室ではマスクを外していいけれど廊下に出る時は、マスクを付けないといけないの。私は病院内はどこに行ってもいいので散歩しますが同室の若い人は病棟内だけだそうです。
もう1冊の本を読んで次の2冊目を読んでいます。
桜がここのは4分咲きです。
PHS大変でしたでしょうが大助かります。ありがとう。
P.M..2:00頃、主治医が見えてツベルクリン注射に来られた

P.M.7:30 アイよりTELあり、明日宅急便が着くことの知らせ。

 

3/30(火)

今朝、痰採取。又長い管を突っ込まれた。今日は昨日より痛いよ。ツベルクリン反応が0.3mmであった。

宅急便を婦長さんヨイショと抱いて部屋に持ってきてくれました、感謝、感謝です。早速荷物解きであるが頑丈にしてあるのでさっとは解けない。

春らしい柄のパジャマとかお菓子、あの菊屋のラクガン美味しかった。パジャマの柄色が派手だけれど春らしくていいよと人々が言ってくれた。気ごこち満点です。

 

3/31(水)

今日は何の検査もなく終わる

PHSはこの田舎では電波があまり通っていないのか部屋の中心にいたら通っていない。外に出れば何とか。

 

4/1(木)

A.M.6:00頃 胃痛が5-6分あり後は静かにしていたら治る。朝食 40gのバターロール2ケ、サラダ、牛乳

10:00頃風呂に入ったが洗髪しない。

10:30頃MナースがSさんに退院後結核菌に対してよく説明してあったので私も耳を傾けて聞いている。

夕食のお赤飯が味付けが少し濃いねと言って食べる。

アイの携帯からひとつもかからないTELあり(呼び出し)

夜、姉さんにTELしてみると外でかけるとかかる。

 

4/2(金)

晴れ。昨夜の雨も止んで朝から晴れている。

昼から一番の風呂入る。洗髪する。

P.M.同室のSさん、2歳4ケ月の子供がいらっしゃるとか。熊本の実家で見ていてくれているそう。Sさんより「はかた通りもん」を6ケ頂く。

昼過ぎてすぐアイよりTELあり。

今日何の検査もなく過ぎる。

北九州のお友達にTELするけれど3人共長々と話中で誰とも話出来ず終わる。

ゆっくりと時間があり、本を読むのに最高です。

【人生の四季に生きる】(日野原重明)

 

4/2(金)

3時過ぎに婦長さんが「みんな写真写りませう」と言われて写った。

桜の花が今日明日が満開、こんなに自分の部屋から次々と咲くのを生まれて初めて見た。大きな大木でアイ達がおじいちゃんを病院にお昼ですよと呼びに行っていた時はこの桜の木も小さな木だったろうなと思います。

 

4/3(土)

晴れ。窓辺は桜の花満開なり。爽やかな日。

朝食後快便あり。洗濯する。30分で終わる。

朝、姉さんにTELする。

かつを菜(自宅の庭に生えている)を取りに行って食べてと。

食パンを2枚も食べる。卵とじと牛乳、家ではあまり飲んでいないが病院では平気に飲んでいる。

携帯がブルブル、着信番号確認しなく brotherさんにTELした。夜8:20頃から1人で廊下を7往復する。

Mナースが昼間に結核菌について同室のEさんに詳しく説明してあった。

 

4/4(日)

昨夜からの雨も上がって好天気になる。

ちょっと肌寒い感じ。今が桜満開である。

朝食後、快便でさっぱりする。

音楽のテープを聞いたり、読書したり、体に異常がないおで病院生活も楽しい。

夕方Fさん方からお見舞いに来てくれてプリンやお花を持参してくれた。

夜、寝る前に廊下を7回歩く。お兄さんからストレッチもするように言われたので、寝たまま自転車漕ぎと片足ずつ上に上げたりしています。

 

4/5(月)

朝からカラリと晴れ。

満開の桜からチラリ花びらが散ったりしている。

9時から廊下でラジオ体操が始まります。

フリージヤのいい香りのする部屋。

ここまで書いてポストに行きます。4/4(日)
昨夜からの雨も上がって好天気になる。今が桜満開である。
朝食後、便が出てさっぱりする。
音楽のテープを聞いたり、読書したり、体に異常がないので病院生活も楽しい。
夕方Fさん(実姉)方からお見舞いに来てくれてプリンやお花を持参してくれた。
お休み前に廊下往復7回する。

午前中に手紙をポストに入れに行くと玄関の所で大正琴の友人Hさんにバッタリ。
ご主人様が診察にきておられて30分位お話をする。
部屋に帰ったら同日のRちゃんがお風呂に入ってくれていた。
私は10:10より約20分ニューヨークタイム。
2日間御風呂に入らなかったので洗髪、さっぱりする。
お洗濯も済ませる。昼食を待つばかり。
12:00丁度に食事が来る。この病院は朝食と夕食が選択メニューになっている。
夕食は6時。夜が長い。16:00主治医が来られて明日レントゲンを撮ります。
痰を大学病院に出しているので結果は1週間後とのこと。
先週の火曜日が最後だった。
痰の結果が来てから気管支鏡の検査をするとのこと。
夜休む前に廊下7往復する。

4/6(火)

<昼記す>
太陽の光で桜の花が白く見える。
風が強く吹くと花びらがぱらぱらと散って行く。
この病棟に入院させてもらって一日中眺められる綺麗な景色。
この年まで初めての出来事。
急に部屋内の移動で窓際になって明るい。
電波(携帯)はよし。
2人だったのが4人になる。Tさん、Nさんが来られた。
午後から胸のレントゲン撮影がある。
痰の検査の結果、ガン、(結核)菌も出現なし。
嬉しいばかり。バンザイ。
夕方先生が見えた。気管支鏡を受ける心得をお話してもらった。
4/12(火)に検査が決定。アイとお姉さん、妹に連絡する。
4/20(火)迄は様子を見るために入院とのこと。
足首とかかとが少し痛いので休む前の廊下歩きは止めにする。

<夜記す>
4/12気管支鏡の検査、予約をして、日・木曜日だけの検査だそうです。次の火曜日20日、結果の様子を見る。どうとないようだったら退院します。
大学病院からの痰の結果は結核菌もなし、ガンの疑いもなしでした。
「それなのに又気管支鏡をするのですか」と質問したら以前よりも肺のレントゲンの影が広がっているので痰だけの検査ではやはりダメだからしますとの答えでした。
これをして何にもなかったらしめたものだけれど、何かちょっとでも出てきたら結核の薬を飲まなくてはいけない。その為には薬の副作用があったりするので1ケ月入院してもらいます。とのことでした。一応退院して胆嚢の手術を済ませて来られて結構ですとの事です。
私の考えでは又入院しないといけないのなら7月頃にしようかと思っています。
と、言うのは6/6大正琴の発表会には出演したいので済んだらすぐにO岩外科にお願いして胆嚢の手術をしてもらってと思っています。
brotherさんにはメールしておいてね。心配ばかりかけます。
ママより。

_____________________________________
気管支鏡を受けられる方へ

現在の症状や胸部X線で陰影がある場合に経口的に直径5mm程度の気管支ファイバーを挿入して気管支内の病変や肺抹消の組織や細胞の採取、洗浄液の回収などを行います。
採取された組織などの検体により細菌、結核菌、がん細胞などの検査を行います。
また治療的に行う場合もあります。(異物除去・気管支洗浄)
検査を安全に行う為に前処置が必要です。

前投薬:副交感神経抑制剤(アトピロン)
抗不安薬(ヒドロキシジン)
ペタゾシン、ジアゼパムなど筋肉注射
局所麻酔 キシロカインの吸入

ごく稀に合併症が生じる可能性があります。
呼吸抑制、低血圧、咽頭痙攣、ショック症状

・ショック状態
1万人に1人程、前処置、検査が原因でショック状態になり危篤化する可能性があります。
(当院呼吸器科では一例もありません)
・出血
組織を採取すれば多少出血しますが一般に1-2日で止まります。
・気胸
末梢の組織を採取する時に1-2%に生じますが一般に安静のみで回復します。
ごく稀に胸部に管を数日間留置する場合があります。

平成16年4月7日 福岡東病院

説明医師署名 呼吸器科 ○○○○

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同意書

気管支鏡について検査の必要性及びその危険性について説明を受け同検査をすることに同意致します。

患者名
近親者名
患者様との続柄

_____________________________________
となっています。

4/7(水)
朝はとっても綺麗に晴れていたがP.M.2:00頃から桜の花散らしの雨になる。
アイとも1日に1回声を聞くと両方から安心する。
明日は胸部のCT検査です。
夕方Cさんに検査結果報告をする。
何にもなくてよかったですねえと言って喜んでくれた。
大正琴の先輩のKさんに長期の休みと検査の決定の報告をする。
休む前の廊下歩きは止めて、早朝ベットの上でストレッチする。

4/8(木)
今日新人さんが私の担当になる。
Nさん、やはり初々しい。
やっと2週間過ぎた。
何にもすることなく朝食後9:00ラジオ体操してお風呂に入って洗濯する。
お兄さんからの本を読んで暇つぶし。
でも毎日ゆっくり読書した事がなかったので神様がゆっくり体を休ませて本でも読みなさいと時間を与えられたのだと思います。
「人生の四季に生きる」(本のタイトル)
病気になってもプラス思考で生きて行こう。
夕方病院の病棟外の廊下を30分散歩する。

4/9(金)
主治医が来られた。検査に同意書を出していないので心配して近親者の署名がいるのでまだ提出していないので今度の日曜日に来て書いてくれますと答える。
心配な事があったら何でも言って下さいとの事。
優しい先生、ナースも皆さんいい人ばかり。
又、入院する時は10病棟に入院させてもらおう。
午後からNさんが退院された16:30過ぎて散歩に出る。
リハビリの屋外訓練場、汽缶棟と廻って帰って来る。

4/10(土)
アイからパナスさんの名前でお見舞いのお花が来た。
とっても嬉しい。
今日は朝からびっくりする。アイから花が御見舞いにと、大正琴のF先生からは果物が送ってくる。
先生から個人名で送って来るとは思いがけない。
びっくりした。
400名の生徒がいるのに大変な事なのによく心えていらっしゃる。
今日4:00コンビニに行ってコピーしてアイに日記を送る。
玄関から約500mはある。
帰りは昔、福寮の正門所から入って帰る。
重心病棟の所を通ってベットの上に横に寝たきりの様でした。
子供の時からあんなに自分の想うままに動けない。
私なんかこの年まで生かしてもらったからありがたい。
親に感謝しています。

4/11(日)
午前中にK本さんがお見舞いに来てくれた。
帰りに張り切ってテキ(ビーフステーキ)でも食べるかと言って帰ったそうだけれど疲れたらしい。
鹿児島の兄が肺ガンで胸腔鏡の手術をして11日位で退院していた。
毎日通院していたが又入院されたとか。水がたまっているとのこと。
F永の兄さん達もP.M.2:00頃来てくれて帰ってから私の家に行って花に水やりに行ってくれたとのこと

4/12(月)
いよいよ今日は気管支鏡検査
いろいろと注意、状態を書いてある。
朝食抜きで9:50に病室を出る。
前投薬、筋肉注射が痛かった。
新人さんがしようとしていたが、やっぱり代わってベテランさんがしてくれた。
針は何時刺したかわからないが、薬の入った時の痛さは何とも言えない。
いよいよだと思うと血圧も上がっている。
気管に管を入れるのだから苦しかった。
入れた途中でせき止めとか何か薬を入れると何ともしれない感じ。
もう二度とあんな検査はしたくない。
胃カメラどころではない。
時間は20-25分だった。
4-5人の先生方がいろいろ話をしながらの検査でした。
すんで病室に戻るとベットに横になりP.M.12:30頃ナースが昼食しましようと言ってくれて
何でも程よく暖めてくれていた。
とっても美味しかった。
昼食後は次第に回復してアイにもTEL出来るようになる。
咳も出ない。

4/13(火)
早朝にbrotherさんからTELあり。
「元気だよ」検査後の話をする。
主治医が昼になっても来ないと言うことは結果が良いから来ないでしょうとアイと話す。
夕方4:30頃、M脇主治医がみえて、結果は16日金曜日にわかりますからそれから
非定形抗酸菌の薬をどれにするか調べましょう。
又金曜日まで待たなければならない。
厳しい顔でなかったからいい感じと思う。
来週まで待たずに退院出来そうな感じがした。
私の状態がいいからそんな感じがした。

4/14(水)晴れ
朝9:00前後に元気な人はラジオ体操です。
済んだら自分の身の回りの拭き掃除です。
きれいさっぱりする。
朝から考えていたがこのまま入院しておいた方がいいようなので明日にでも主治医と会えたら話そう。
婦長さんも「先生、治療の法はどうですか」と聞きに来られた。
今日昼まで個室が空いていたので先生がそのまま続けて入院でも良いと言われたら
個室にお願いしようと思ったら夕方にはもう満室になっていた。
残念でした。でもここも若い人2人いるがおとなしい静かな人だから1013号が好き。
隣室はおばさん3人と若い人でいつも声高と話している。
あんな部屋にいると私は頭痛がする。
ロリエ(京都)通販の注文を書きポストに入れる。

4/15(木)晴れ
いつもの様に掃除が済んだら10:00前にお風呂に入る。
庭にいつもの猪ちゃんが遊びに来ている。
腹に赤ちゃんがいる。何日に誕生するのだろうか。
大きいお腹(おなか)
O西ナースに主治医が来られたら私がお話があると言っていたのに今日はみえなかったらしい。
夜勤のM川さんがみえたので話したら、自分の思っている事を先に先生に言いなさいと言ってくれた。
薬の調節を取るのに通院では出来ませんかとはっきりねと教えてくれた。
夕食時にT早さんよりTELあり。
夕食後、brotherさんより携帯にTELあり。

 

4/16(金)晴れ
朝から落ち着かない。12日の気管支鏡の結果が先生からの話があるはずだが
途中で婦長さんが見えてすぐ連絡して下さった。
16:30頃見えて「ガンも(結核)菌も出現していません」とのことでホッとした。
これからの(治療の)薬の説明があった。
3種類服用すること。
強い薬なのだ。下痢しやすくなる。
肝機能が悪くなる。視力障害の恐れがある。
朝食に3カプセルと4錠服用。別に胃薬。

4/17(土)晴れ
昼近くには尿が赤く、又はだいだい色のが出る。
びっくりはしなかった。
インターネットより患者さんの日誌を読んでいたので参考になった。
今度外泊したら車を持って来ようと思って駐車場を捜しに夕食後散歩する。
いい場所を見つけて帰って来る。
ナースに投薬チェックを受けて私は朝食後サインしてもらう。
朝から晴れていい天気。
10:00頃brotherさんより「どうだった?」とのTELあり。
昨日のことを話す。
11:00にT早さんからTELあり。
長話する。鹿児島の兄弟のことなど、詳しく話してくれた。
P.M.1:30頃アイより昨日のことを聞いて来る。
T早さんの話ではやはり副作用があるので最低2週間は入院した方がいいからとのことだった。
私は先生が言われる様にしようと思っている。

4/18(日)晴れ
土・日はラジオ体操が休み。
風呂もないし1日の長い事。
早く家に帰ってお琴を弾きたい。
テープを聞いていると尚更帰りたい。
F永さんの所が2人で来てくれた。
又本を3冊も持ってきてくれた。
薬を飲み始めてまだ何の副作用もない。
ナースに聞いたら2週間〜1ケ月位かかるということ。
(副作用が)何にもない人はいないのだからと言われた。

4/19(月)雨
昨夜から久しぶりに地雨になった。
木々がきれいになり、薄緑がきれい。
桜も葉っぱが日々に大きくなる。
今日9:10頃ラジオ体操をする。
日野原重明著 ボランティアを生きる 老いを創める
いのちの言葉 ひとはどう生きどう死ぬのか 等次々と
本を読む。
自分の練習した大正琴のテープを聞いていると、早く家に帰って練習したい、
お友達とも逢いたいと心は焦るばかり。
副作用がひどくなければ30日には退院してもいいとのことで
もう少しだけがんばろう。
夜アイよりTELあり。贈り物をしたとのこと。

4/20(火)
27日目になる。
もう1ケ月もここにいるような気がする。
お昼過ぎにパナスさんとアイから古稀の誕生祝いにアレンジの花かごが送って来た。
びっくりした。
婦長さんが「お待ちだったでしょう」と言われたが誰からだろうとびっくりするばかり。
又びっくり。メール友、男性からお見舞いの便りがあって何より嬉しかった。
お見舞いの品を送ったので納めて下さいとのこと。
15:00過ぎにアイより誕生祝を頂いた。
淡色の室内着。七分袖と半袖。これから着るのに丁度いい。
ワコールの品物だから肌触りがいい。
嬉しくて涙が出てくる。
私だけでなくパナスさんのお母さんにも心配ってくれればいいなあと思う。
夕食後brotherさんより誕生日のお祝いのTELあり。

4/21(水)晴れ
今日はラジオ体操が終わったら、すぐシーツ交換になる。
午前中のお風呂でさっぱりして、洗濯も済ませる。
今日はアイからの誕生祝に送ってもらったパジャマを着用してみる。
肌触りのいいことこの上もない。
今日は七分袖だけで丁度いい。
寸法もM寸で丁度色合いもよし。
ナースの方(M上)もお花がきれいねえ、カードがこれ、ケーキがねと
言って私の話をよく聞いてもらった。嬉しい限り。

 

<これよりアイが記述>

4/24(金)

アイが福岡に帰省。シルクさん一時帰宅許可をもらう。

 

4/25(土)

二人で外食を楽しむ。洋食のレストランでコース料理を楽しむ。

 

4/26(日)

アイが大阪に戻る。シルクさんも夕方病院へ戻る

 

4/30(金)

シルクさん退院。めでたし、めでたし

 

5/6(木)

腹痛を訴えて再入院となる

 

5/8(土)

アイはシルクさんが入院した事を初めて知る。子供に心配かけまいと話していなかったそう。腹痛が続き、点滴のみなので声がとても弱々しい。かなりショックを覚える。

 

5/9(日)母の日

朝、電話したら今にも死にそうな消え入りそうな声で一言

「もう、電話せんといて・・・」

かなり苦しそう。何と言って声を掛けて良いのか、とても迷ってしまう。

夜、伯母宅に電話する。

痛み止めの薬も効かないらしい。

病室で隣の女性から「昨夜もかなりうなされていました」と聞いたそう。

想像しただけで可哀想になり、涙が溢れて来る。

 

5/10(月)

夜、シルクさんからアイの携帯に留守電が入る。

全く気が付かなかった。

 

5/11(火)

昼休みにbrotherさんから電話が入る。

彼も気になっているようだ。

まだ状況がわからないし、いつ手術になるのかもわからないと伝える。

電話を切ったあとに昨日の留守電に会社で気が付き、聞く。

痛みがかなり取れたそう。声も少しだけ元気になったようだ。

よかった。ホッと胸をなでおろす。

シルクさんに電話してみる。

少しだけ元気そうだ。本当に良かった。

それにしても毎日800kcalの点滴だけなので口が渇いて仕方がないのだとか。ポカリスェットを飲んで良いか聞いたら、一口飲んでどうもなかったらどうぞとの事だったので500mlを買って少しだけ残したらしい。

 

5/12(水)

珍しくシルクさんの方から電話が入る。

やっと手術の日取りが決まったとのこと。

手術日は来週の月曜日。

話し合って、土曜日から帰ることにした。

月曜日の手術は午後からになるとのこと。

手術が無事に終了しているのを見届けて月曜日の最終の「のぞみ」で大阪に帰ろうと思う。

シルクさんの声が日に日に元気になっているようで安心する。

brotherさんへ電話をするが、会議中なのか通じないのでメールで手術の事を知らせる。

5/14(金)

手術の日程の連絡を受ける。

5/17(月)午後14:30執刀。終了予定時間は早ければ2時間程、遅ければ4時間半、午後19:00以降になるとのこと。かなり難しいやっかいな手術みたいだ。胆嚢が腫れていて、癒着がひどいらしい、どこまで癒着しているのかは開腹してみないとわからないとのこと。

又、ガン細胞が見つかるかもしれないので、採取した細胞を病理検査に出すとのこと。

「ガン」という言葉に一瞬凍りつく。

思ったよりも難しい手術だと言う事で心の中に緊張が走る。

手術の同意書もシルクさんの姉夫婦が記載したらしい。子供が記載出来なかった事に多少の後悔が残る。あぁ、近くに住んでいればなあ。

飛行機と新幹線どちらにしようか迷ったが、新幹線で帰ろうと思う。理由はゆっくり車内で寝たいから。新大阪発博多行きに乗れば、ぐっすり寝ることが出来る。

brotherさんと共に、月・火の2日間有休を取ることにした。

やはり術後の事が心配だし、手術翌日の無事を確認してから帰ろうと思う。

次回この日記をアップする時には良い報告が書ければと切に願っている。

 

5/15(土)
お昼から大阪の自宅を出て実家に到着は午後5時過ぎ。シルクさんから言われた細々とした物を揃えていると病院到着は午後6時過ぎになった。実家近くとは言え走り慣れない夜道を運転するのは心もとない。結構元気そうな様子をひと目見てホッとする。あまり心配した顔をしていると不安な気持ちにさせると思って努めて明るく振る舞う。1週間以上も点滴ばかりだったので2kg以上痩せて結婚以来初めて50kgを切ったと少し喜んでいた。幾つになっても女性は自分の体重が気になるものなんだなあと改めて思う。夜8時過ぎまで病院に滞在して帰りにスーパーに寄って(ABCストア)お惣菜を購入して実家で食べる。実家にひとりで泊まるというのは、独身の頃でもなかった事なので妙に不思議な気持ちがする。広い平家がますます広く感じられた。

5/16(日) <手術前日>
brotherさんが早朝便で東京から福岡へ到着。午前11時頃二人で病院へ行く。brotherさんが運転してアイが助手席に乗る。病院へ行く途中の道すがら、アイが尋ねる
「ねぇ、ママがもしガンだったら告知するの?した方がいいのかなあ?」
brotherさん「う〜ん・・・」
アイ「おねえちゃんは、しない方がいいと思うけれどなあ」
brotherさん「何故?」
アイ「だって今70歳で残り平均寿命だったら、あと20年弱でしょう?その間ガンの(再発の)恐怖を味わうのと何にも知らないで死ぬのとどっちが幸せだと思う?」
brotherさん「でもさ、(寿命が)わかっているからこそしたい事もあるんじゃないの?」
アイ「そうかなあ・・・」

二人の間に長い沈黙が続いた。解決の糸口が見つからないまま病院に到着した。

子供二人が病院にお見舞いに来たのでシルクさんはとても嬉しそうな顔をした。

 

午後からシルクさんと病院のお風呂に一緒に入った。左手が点滴の針を入れたままなので思うように自分の体が洗えなくなっているからである。背中を流してあげながら、この体に生まれて初めてメスが入るんだと思うと涙ぐみそうになった。でも手術前には絶対に涙は見せまいと思った。

二人がお風呂に入っている間に、brotherさんは病院からすぐ近くにある元住んでいた家(昭和34年9月〜42年9月)をデジカメで撮影に行った。あの頃両親が新築で新婚で入居していた平屋の長屋はまだ残っていたのである。長屋の横には井戸も残っていてただただ懐かしいばかりだった。デジカメの写真をパソコンに落としてスライドショーにしてもらって3人で「懐かしいねえ」と昔話に花が咲いた。お互いに意識した訳ではないが、手術の話はあまりしない一日だった。

 

夕方8時前まで病院に滞在して、帰りにスーパーのお惣菜を買って帰った。その夜のビールはいつになくほろ苦い味がした。

 

5/17(月) <手術日>
手術当日。「出来るだけ早く行ってあげないと」と、早々に朝食を済ませ、朝9時半頃には病院へ到着する。
今日はなるべく暗い顔はしないでおこうと何度も自分に言い聞かせる。手術が終わったら4病棟から2病棟へ部屋を変わるので、荷物を紙袋にまとめる。紙袋の外側には何が入っているのかよく解るようにマジックペンで内容物を書く。私達がバタバタしているのでお隣の年配の女性が「お部屋を移動されるのですか?」と尋ねられた。母が親しげに話をしている。「実は今日午後から手術でそのあと部屋を変わるんです」詳しく話しているうちにその女性は83歳でこの3月まで自動車の運転をしていたとか。通った自動車学校も母と同じで母よりも2年先に免許を取った女性だった。「あの頃は女性で運転免許を取っている人は少なかったものですね」と母とその女性は話が弾んだ。


手術予定時間の14:30を過ぎてもお医者さんも看護士さんも病室に来られないので、シルクさんはソワソワ・・・
シルクさんが「先生は手術を忘れとーとっちゃなかろうか?(注:忘れているんじゃないの?)」と言っていたところ、病室の廊下を執刀する先生がスタスタと歩いて他の病室の患者さんに話しかけている。シルクさん「先生っ!手術まだですかー?」
先生「ごめんねー。前の手術が長引いとーっちゃけん、もすこし待っとって。なあに、手術はすぐ終わるけん」

何だ〜と思いながら、時が過ぎるのをじっと待つ。時間が長く感じられる。

手術直前にピース 手術前の処置中 看護士さんは忙しそう

 

15:30前にやっと看護士さんが来られて「大変お待たせしました」前処置をする。めがねも、そして電気メスを使うので指輪も外すように言われた。母が片時も外さない結婚指輪を外して、大切に自分のバックにしまった。手術室に入ったのが15:40頃。入る時はまだ全身麻酔もかけていなかったで、執刀が始まったのが16:00過ぎだと推測される。

ストレッチャーに乗せられて、点滴を受けながらシルクさんを手術室まで見送ってから家族控え室に入る。テレビが放映されているが見る気がしない。一昨日からずっと痛んでいるお腹の痛みがピークに達している。(これは絶対に精神的な腹痛だな)と感じる。お腹が空いたのでbrotherさんがモスバーガーを買って来てくれた。彼はハンバーガーを食べたと思ったらソファーに横になった。ゲンキンな奴だなあ。私は手術の結果の不安と恐怖と自分の腹痛から逃れたい為に持ってきた手芸のキットでひたすらビーズでネックレスを作成する。

手術専門の看護士さん 手術室の入り口は鉄の扉 終了して出て来た様子


18:00を過ぎると何人からか電話が入る。「どない?」。オフ会の幹事さんをして頂いた方や実際にお逢いした方の一部には携帯電話を知らせているので、連絡が入ったのだった。スタートが遅れているので、まだ何とも言えない事を伝えた。


18:20頃、待合室に備え付けの電話が鳴る。心の中に一瞬緊張が走る。「ご家族は手術室前においで下さい」執刀した先生が出て来られた。タッパーに入れた摘出した胆嚢を見せられた。赤黒くてグロテスクで辛子明太子のような大きさだった。「胆嚢が普通の人の3倍位腫れていました。厚みも普通の人は紙みたいにぺらぺらなのに、1cmはありました」そう言ってピンセットで摘んで見せられた。成る程かなり分厚い。所見では、ガンと思われる細胞は検出されなかったが組織を採取して病理検査に出すらしい。胆嚢に入っていた直径1.5cm大の黒い胆石が2個と小さな胆石が少々検出された。「これはあとで差し上げますね」とおっしゃった。他の臓器に癒着していた部分は全て取り除いたとの事。ホッと一安心で胸を撫で下ろす。本人の意識が回復するまであと30分位かかるので暫く控え室でお待ち下さいとのこと。この話のあと不思議なことにそれまで痛かったお腹の痛みがすーっと引いていた。やはり神経性の痛みだったらしい。19:00少し前に再び電話で呼ばれて手術室前に待機する。

ICUにて 翌朝のレントゲン検査 点滴をしながら歩く


「ママ、終わったよ〜」と呼びかけると「う〜ん」と頷いている。シルクさんは私達に話しかけているが理解が出来ない。酸素マスクはしているし無理からぬ事だ。
手術室からナースセンター横のICUに移動した。看護士さんが約15分に1回は様子を見に来て体温や血圧や脈拍を測定している。最初は泊まりこもうかと思っていたがとても泊まれる雰囲気ではない。
看護士さんが置いて行かれたカルテをbrotherさんと二人でこっそり覗き込む。出血量200cc。献血と同じ位だねと話す。輸血量3000ccと記載されていたので「輸血したの!」と二人で驚いていたら、何と「輸液量」の読み間違えだった。20:30頃まで付き添っていたが、症状が落ち着いているようなので安心して自宅に戻る。


帰宅途中に自宅近くのうどん屋さんに寄って定食を食べる。大阪や東京では考えられない安い値段と美味しさだった。お祝いに一杯飲みたかったのでコンビニでビールを買って帰った。

5/18(火) <手術翌日>
今朝は待っているだろうと思い、冷凍してあった551の肉まんで早々に朝食を済ませて車を走らせる。
病院へ行く途中に「ガンでなくてよかったねー」とbrotherさんと話をする。
1ケ月後の病理検査の結果も待たずにガンではないと勝手に決めているのがおかしい。


病棟に到着して、まだICUにいるのかと思ったら、一般の病室に変わっていた。2人部屋の入り口の方である。
「アレ?もう変わったの」と驚いた。今朝病室を変わったらしい。体には導尿管が繋がれ、点滴は抗生物質と痛み止めの2種類がつけられている。まだ熱が出たり引いたりしているらしい。酸素の値が低いので酸素チューブが鼻にあてがわれた。
今日のお昼から普通の食事(ご飯だけおかゆ)をしてもいいらしい。6日に入院してから12日ぶりの食事だ。まずお茶をすすってからスプーンでおかゆを食べる。「おいしい」よかった。あれよあれよと言う間に1/3〜1/2の量を食べてしまった。手術終了からまだ24時間も経過していないのにスゴイ食欲だ。


午後から執刀した先生が様子を見に来られた。朝から何度も様子を見に来られているらしい。
先生「食事のあと吐き気などないですか?」
シルクさん「いいえ」
アイ「先生、まだ熱があるのですけれど」
先生「手術後は多少ありますので心配は要りませんよ」
シルクさん「体は動かした方がいいんですか?」
先生「切った所はちゃんと縫っているから破裂することはないから体は動かした方がいいよ」
シルクさん「へえ〜そうなんですか」
先生との会話のあと、ベットから座ってみたいと挑戦したあと自分の力で立ち上がった。我が親ながら凄い回復力だと思った。術後20時間も経過していないのに導尿管や点滴をしたまま立ち上がっているのだ。


brotherさんも私も最終に近い飛行機と新幹線でそれぞれ東京と大阪に帰らなくてはならない。車を実家に一旦戻さないといけないので病院を18:00前に出た。
「じゃあ帰るからね」と言った時、シルクさんは少し涙ぐんでいるように見えた。
「又来週来るから」と言い残して病室を立ち去った。

5/20(木)
病院へは、brotherさんとアイの携帯番号を知らせておいて何かあったら連絡をくれるように頼んでいる。連絡がないのは良くなっている証拠だと思いながら、気になって病院へ電話をする。ナースセンターからコードレス電話を病室まで持ってきてくれた。
アイ「どうしているかと思って」
シルクさん「ごめんね〜電話しないで。もう点滴もさっき取ってもらって、自分でお手洗いも行けるよ」
なんだそうだったのか。よかった。

5/21(金)
17:00まで仕事をして新幹線に飛び乗る。
何が欲しいか電話で聞いたら「(あっさりとした)パンが欲しい」と言う
途中でパン屋さんで焼きたてのメロンパンと母の好きな京都の落雁(らくがん)を購入する。
小さな箱に少しずつ入った上品そうな落雁である。
実家に到着するのはそれでも22:00頃なので21:30消灯の病院へ行くのは無理だ。
明日の朝は早めに行くことにしよう。

5/22(土)
朝9時過ぎには病院に到着した。
手術後2人部屋だと思っていたら昨日6人部屋に移動させられたとのことで、大部屋に変わっていた。一番入り口付近なので少しだけ広い。3人並んだベットの真ん中だとお見舞いに行っても居心地が悪いから端っこの方でよかったと思う。
今週の火曜日に術後の会話ももどかしい中での別れだったので、回復ぶりに目を見張るものがある。
体にチューブがついていなくて、自分の力でスタスタ歩いている。
あぁ良かった。時々体温が37度を越す事があるらしいが術後の許容範囲内の体温の上昇みたいだ。
何か食べたい物があるか聞いたらフルーツが欲しいとの事。
早速病院から車を走らせて大きなスーパーでカットフルーツを購入する。


午後から母の大正琴のお稽古のお友達が2人お見舞いに来られる。
朝ちぎってきたばかりのいちごを洗ってヘタを取って持ってきて頂いた。
丁度フルーツを欲しがっていたのでタイミングが良かった。
ちぎりたてのいちごはみずみずしい香りに満ちていた。
心も舌も大満足だったようだ。


続いて亡き父の弟の奥様(アイの叔母)がお嬢さん(従姉妹)を連れてお見舞いに来られた。
シルクさんが術後、ピンピンしているので二人ともとても驚かれた。
一方シルクさんは随分長い間座って話をしていたので、少し疲れたようだった。
「あ〜いたたたた」と座る大勢から横になるとひきつれるような痛みがあると言う。
「動かすと痛い場合は痛い所に枕を当てて動かすといいよ」
手術経験が2回あるアイの方が母にアドバイスする
「ホントだ。うん、痛くない」
それにしても心配された肺炎の併発がないようなのでよかった。
もう1つの心配は、術後に他の持病である非定形抗酸菌が悪くなることもあるという事なのだがそれは今後どうなるのかはまだわからない。
又、固い地面に裸足で直立した時に左足のかかとが痛いと言う事だ。手術前は何ともなかったようなので、月曜日に整形外科で観てもらう事になりそうだ。

5/23(日)
昨日と変わらない程元気な様子にホッとする。
手術前は51kgの体重が47kg台まで落ちたと喜んでいたらもう50kgに体重が戻ったらしい。
病院での食事の摂取カロリーは1日で1,800-1,900kcalである。普通の人並みに残さず食べている。
しかもその他にフルーツやパンの間食をしているので、完全にカロリーオーバー。太るはずである。元来痩せ気味なのでこれ位が丁度いいのかもしれない。

 

午後シルクさんと世間話をしていたら、花の話になって(彼女は花が大好きなのである)ナースセンターに置いてある胡蝶蘭が綺麗ねと言う話になった。午後お昼ご飯を買いに行く為に近くの大きなスーパーへ車を走らせた。そうそう、手術の時に贈った花もしおれかけているし、フラワーアレンジメントを買わなくては。花屋さんに行くとディスプレイには20鉢以上の胡蝶蘭が飾ってあった。花屋さんの話では、これからは胡蝶蘭の季節で1ケ月以上も持つと言う。病人に鉢物を送るのは「寝付く=根付く」と忌み嫌われるものだが、親子の関係だし、母は花が好きだからいいかなーと思って、さんざん迷ってピンクのやや大振りの3本花が咲いた胡蝶蘭を求めた。フラワーアレンジメントもお願いした。前回が黄色を基調としたものだったので今回のアレンジはピンクと赤を基調に作製してもらった。早速胡蝶蘭とアレンジメントを病室に持っていったら顔をほころばせてとても喜んでくれた。胡蝶蘭の方は退院する時に持って帰るのが大変なので一旦アイが自宅に持ち帰ることにした。

 

帰る頃シルクさんが気を使って「予約した新幹線しか乗れないの?」と聞く

何故?と聞き返すと「早く帰った方がいいんじゃないかと思って」

私が疲れていると思って気を使っているのかなあと思った。

「でもこの間帰った新幹線の方が降りた後の電車の接続がいいから」と話をとぎらせる。

一旦実家に車を預けてから電車に乗り博多駅まで行くことになる。

「玄関まで見送るから」とシルクさんはカートに乗せた胡蝶蘭を押しながら歩いた

「あぁ、こうやって押しながら歩く方がラク」と楽しげに歩いていた。

そんな母の後姿を見ながら「良かったなあ」としみじみ思う。

「バイバイ」車で別れる時にバックミラー越しに見えたパジャマ姿の母が今迄よりも尚一層小さく見えた。

 

運転しながら実家に帰る途中にいろんな想いが走馬灯の様に頭の中をよぎった。

自分も病に倒れた。家族も倒れた。友人も、ジムの友達も、同僚も、知人も、サイトの友達も・・・

全てを経験した。

そう言ったさまざまな経験を経て、改めて人の心の痛みや弱さを感じ取ることが出来るような気がした。

ここ2,3週間でちょっぴり人間として一回り成長出来たかな?と思った。

 

5/24(月)

シルクさんに電話をする。

今日抜糸は無事に終了したとのこと。

「意外と赤く腫れていますねー」と言われたそうだ。何しろ皮膚がぬけるように白いので傷口が目立って仕方がないのだろう。私もそうだったのだ。私がかつて手術をしたのは28歳の時。やはり色が白い方なので手術の傷口は何年間かケロイド状に紫色に腫れていた。70歳の母親は傷口の治りは遅い事だろう。

気になっていた左のかかとの痛みは、ずっと寝てばっかりだったのに急に張り切って動き出したので痛みが出たらしくてよくある事なのだそうだ。

摘出した胆嚢の組織培養検査の結果は約1ケ月後。随分先の話に感じられる。

「退院はいつなの?」と聞いたが、昨日までの話だと今週中には退院の予定だったが、まだはっきりとはわからないらしい。それにしてもこれからは「日にち薬」だろう。少しずつ体力が回復するのを祈る毎日になりそうだ。

 

5/25(火)
退院が明後日木曜日に決まったらしい。
今日先生が検診に見えられた時に「もういつでも退院してもいいよ」と言われたそうだ。
手術後わずか1週間で退院許可が出るなんて、凄い回復力だ。
よかったねーと安心する。
退院の時について行ってあげられないのが残念だ。
いつも頼りにしている母の姉夫婦の所もご主人が出張中なので結局タクシーで帰ることになる。
母の性格からすると人のお世話になるよりも、自分で出来ることは自分でするタイプなので
かえって気を使わないので、タクシーで退院するのが気楽だと思う。
それにしても本当に良かった。
「おしゃべり掲示板」にリンクしている「写真UP掲示板」に母とのツーショットをアップロードした。
かなりのアクセスがあったのでとても驚いた。コメントを初めて書いて下さった方も多くてとても嬉しかった。

5/27(木) <退院>
お昼前に自宅に電話をしてみたら、すぐに母が出た。
「おかえり〜」とこちらの方から喜びの声を伝える。
「うん、やっぱり自宅がいいねー。好きな事が出来るし」
タクシーの運転手さんが荷物の上げ下ろしから何まで手伝ってくれたそうだ。
「タクシー代は1,950円だったけれどチップ50円あげちゃった」と嬉しそうに話してくれた。

夜久しぶりに母と音声チャット(Messenger)をした。
家に帰ってからもう早速運転を始めているらしい。
スーパーから海鮮巻を買って帰ったが、4切れしか食べられなかったとの事。
胃が少し小さくなっているみたいだ。
小食の方が大食よりも体にはいいのではないかなと思う。
久しぶりの車の運転やパソコン操作にも違和感がなかったらしい。
めでたし、めでたし。

<あとがき>

手術の傷跡は約20cm程あるらしい。
見かけは若いとは言え70歳という高齢での初めての手術なので家族全員が心配したのだが、こうやって無事に退院することが出来て本当によかった。
シルクさんが退院前に主治医(執刀医)にこう尋ねたらしい。
「先生、何故私は他の人よりも早く退院できたのですか?」
先生曰く
「それはね、貴女には基礎体力があったからですよ」
母はウォーキングなどは時々しているようだが、特に運動をしている訳ではない。
よく他人様から肌の美しさを誉められるようだが、娘の私から見ても本当に綺麗なのだ。
十分な睡眠を取る、好き嫌いなく食べる、特に野菜やフルーツを大量に摂取する、
お茶(緑茶)が大好き(緑茶の代金だけはお金を惜しまない)
普段からの生活習慣がいざとなった時の体力回復に役立っているのだろう。
私もフィットネスに励むだけではなく、普段の自分の生活習慣も今一度見直してみたいと改めて考えるようになった。

「闘病記」なんてフィットネスのコンテンツにそぐわないかなと思ったが、病気とフィットネスは常に紙一重だと思う。
闘病記を読むことで、普段の自分がいかに恵まれているのか、元気で毎日スポーツクラブに行けると言う事がいかにありがたい事なのかを改めて考え直す良い機会となって頂ければと思っています。

最後に今回の母の入院・手術に関して、沢山の掲示板への書き込み・メール(母にも)・お見舞い・励ましのお言葉などを頂き、本当にありがとうございました。掲示板に初めて書き込んで頂いた方も含めてお一人お一人にお礼を申し上げる時間もなかったので、この場をお借り致しまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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