父の肺がん闘病記 |
〜身近で見た肺がんの恐ろしさ〜
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最初に |
私の父は、5年程前、肺がんで亡くなりました。58歳でした。 肺がんにもいろいろな種類があるそうですが、父は、「小細胞癌」という、非常に悪性の強い、タバコが主な原因とされている癌でした。 父はそれまで病気一つしたことのない丈夫な人でした。しかし、父の父(祖父)、母(祖母)、妹(叔母)と家族全員が、肺結核の病歴をもち、肺が弱い家系ではあったようです。 にもかかわらず、タバコはホープをチェーンで吸い、仕事は激務でストレス過多、ろくに睡眠もとらず、お酒も豪快にやりました。自分の丈夫さを過信していたと思います。 ですので、いろいろな要素が絡み合っていたのは事実ですが、やはりこの病気は、タバコと縁の深い病気であることは確かでした。 ここに、私の目で見た肺がんを記していきたいと思います。 |
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発病 |
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2月の終わり、まだ寒い季節でした。私は5月から始まる司法試験の勉強に追われる日々を送っていました。 そんな時、めったに風邪などひかぬ父が、高熱を出しました。 「なんだ、カゼひいちゃったよ」ということで、近くの町医者にかかりました。 レントゲンをとり、肺炎との診断でした。薬を飲んで、まぁ父のことだから、一日寝れば治るだろう、という雰囲気でした。 しかし、三日後の夜になっても、熱は全く下がらず、ついには血痰が出ました。右肩と首のちょうど真ん中あたりのリンパ節もぽっこり赤く腫れあがっています。痛い痛いと言っています。 さすがの父もいや〜な顔をして、お医者さんのところへ行き、そこから紹介状をもらいレントゲン写真を持って、総合病院へ。 私もさすがに血痰には驚きましたが、父のことだから大丈夫なんじゃないかとどこか高をくくっていました。 勉強から帰ってくると、父も病院から帰っていました。「検査入院だって」と父は言いました。とても不安そうに。父はとても気の弱い人でした。 「別にたいしたことないよ、熱も下がったんでしょ、大丈夫だよ、健康診断も受けてないんだからちょうどいいよ。」私もこう言いましたが、なんともいえない胸騒ぎがしたのを覚えています。あの時のことは本当にはっきりと覚えています。 これが、父の4ヶ月の入院生活の始まりとなったのです。 |
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告知 |
入院の際、本人を含め、家族にドクターから説明がありました。 レントゲンの写真をよーく見ると、右の気管支と肺との境目あたりが、ほんのちょっと腫れてみえる、ここに何かがあるかもしれないので、検査するということでした。本当によーくよーく見ないと、ただの肺炎にしか見えないところを、このドクターはよく気づいてくれました。 具体的には内視鏡検査をするということです。父はものすごく嫌がりました。過去、胃カメラ検査が必要な時でも、まさに胃カメラを入れようとする段階で、「やはりやめる」と言って帰ってきたことがあるのです。それを胃どころか、普段ものが入ってはいけない気管支に挿入するというのですから、とても怖がっていました。 内視鏡検査のあと、病院へ行くと、父が真っ赤な顔をしてうなされていました。肺を引っ掻き回されて、高熱が出ていました。とてもかわいそうでした。今思えばどうせ死んでしまうんだったら、こんな辛い検査受けさせなければよかったと思います。 3日間の検査入院最終日の前夜、病院に行ってきた母と妹が帰ってきました。「がんだって、がんだって!」翌日ドクターから結果を聞くことになっていましたが、母と妹が待ちきれずに、ドクターに聞いてきたらしいのです。とても悪性の癌の、しかも末期だということでした。 私と妹はたまらなくなり、また父のところへ駆けつけました。父は熱も下がり、「何二人そろって、こんな夜にまた来たの?」という感じでした。でも私は父の顔を見る時間はもうあまりないのかもしれない、という思いで父の顔を必死でのぞいていました。 母と妹と話し合った結果、治療のためには癌だということを本人に知らせる必要がある、でも父はとても気が弱いので、末期だと言うわけにはいかない、また、ドクターから始めに聞くのはショックが大きいから、長女である私から、軽く言っておこう、ということになりました。 次の日、退院の支度をしながら、私は父に言いました。「とうたん、がん細胞が発見されたらしいよ。」 父は黙って、しかし明らかに動揺しながら荷物の整理をし続けていました。とてもかわいそうでした。 ドクターからも(末期であることと、悪性の癌だという点を除いて)説明を受け、いったん退院して病院を探すことになりました。 退院したその病院のロビーで、真っ先に父がしたことは、国選弁護を辞退するための書類を書くことでした。正当理由無く国選弁護を懈怠すると、弁護士として処分されてしまうのです。それを何より心配していました。 |
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入院 |
いったん家に帰り、病院をどこにするのか、家族会議が始まった。 父の母校の大学病院か、国立がんセンターかで迷ったが、がんセンターの方が国立だし、いいのではないか、という結論に達した。ちょうど父の同級生が、がんセンターに勤めているという。早速父が電話をする。「小細胞癌」という病名を告げると、その医者は明日にでもすぐに来るように、と言った。 入院先を決めると、父は事務所に行きたがった。私の運転で事務所に向かった。事務所には誰もいなかったような、多分週末だったと思う。 父はとても機敏に事務所を走り回るようにして、仕事をした。私たちが止めても無駄だった。父はとても頭がくるくる回転し、機敏で、働き者だった。その父が、いつのまにか、隣の本屋から本を数冊買ってきた。小細胞癌について載っている本だ。 運悪く、事務所の隣は、医学書専門店だった。 父は病名は知っていたものの、それがどんなに悪性の癌かを知らなかった。この癌にかかったら一年だって生きられはしない。でもそんなこと気の弱い父が今知ったら、すぐにでも死んでしまいそうな気がして、絶対に知られてはいけなかった。 妹と一緒に、なんと言って丸め込んだか、とにかく父からその本を取り上げた。 次の日、がんセンターへ行った。最初に診察してくれた外来の先生はとても落ち着いた、いい先生だった。父は、入院の前に家族で旅行がしたいのだがダメだろうか、ときいた。この頃、父に目立った自覚症状がなかったようだ。しかし小細胞癌は進行が非常に早いのでそれはムリだ。先生はやんわりとダメだと言った。 それから入院の手続きをし、検査のために病院中を回った。父は全て自分で手続きをし、検査も小走りになりながら回った。そんな父の懸命さをみて、涙が止まらなかった。 |
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続き(父の肺がん闘病記) |
父の肺がん闘病記 |
上記、父の肺がん闘病記の続きです。 |
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