「ALSの隠喩、TLS(Totally Locked-in State)を概観する:重篤なコミュニケーション障害をもつ人の在宅介護の体験から」

 

NPO法人さくら会、日本ALS協会 

川口有美子

 

「私の母は非常に早く進行するALS(筋萎縮性側索硬化症、以下ALS)を患い、1995年3月熱海の梅園で突然足が動きにくくなったのを発症とするのなら、翌年の1996年2月には、HMV(在宅人工呼吸療法)を開始したので、たった一年で私たち家族の人生は大きく変わったことになる。

そして、1999年秋には母は意思伝達が極めて困難な状態(ロックトイン状態)に至った。母の随意筋は四肢筋群はもちろん橋・延髄筋群、外眼筋群も含めてほとんど動かなくなってしまったが、しばらくするとバイタルは安定し、風邪をひくことも少ない頑健な身体で穏やかにその後の8年間を家族と自宅で過ごした。

ALSでは、長期療養患者の多くに何らかの眼球運動障害が発見されるが、それらはひどくなるとMinimal Communication State (MCS)と呼ばれる。しかし、かすかに眼球を動かせるのなら、介護者は何とか患者の意思を拾うことができる。たとえば、眼球が右を向けばyes,左ならnoとルールを決めて工夫すれば、意思疎通は保たれるのである。ただし、介護側が読み取る努力をしなければ、病人は身体の中にまるで完全に閉じ込められたように見えるので、Totally Locked-in State(TLS)とも呼ばれる。視覚、聴覚、感覚神経は原則的に阻害されず脳も正常、知能や感情は保たれるが、意思伝達の方法は絶たれてしまうので、生きていることさえ残酷とも言われ、家族にとっても患者と対話ができなくなることから、不安定な精神状態に陥ることもある。」これは、2003年2月に立命館大学大学院先端総合学術研究科に提出した研究計画書の一部である。タイトルは『「Totally Locked- in Stateという現実を越えて」どこも動かせぬ人の介護理論』であった。それ以後、私は母以外の重度コミュニケーション症状に生きる人々に会い、その周囲の人の話を聞いてきた。その結果、TLSはALSの隠喩となり、関係者に底知れぬ恐怖を与えていること、治療選択にも影響を及ぼしていることなどがわかってきた。

しかし、一方では民間技術者と当事者による意思伝達装置の開発や改良の努力は長期人工呼吸療法と共に、たゆまなく続けられてきたのである。重度のコミュニケーション障害を持つ者はALSに限らず、多くの神経性疾患、頚椎損傷、遷延性意識障害、重度の脳性まひ、知的障害、脳梗塞、認知症にも見られるが、彼ら/彼女らと親しい者との間には言語を介在しない多様なコミュニケーションが存在していることもわかってきた。報告では、意思表示が困難な者のコミュニケーションについて映像も交えて紹介する。そして、彼らの体験から、健康な者の脳に限定し集中的な能力強化を行えばエンハンスメントになりえるが、人体の苦痛や障害を緩和するために最終的に脳にアクセスすることは、リハビリや自律支援の領域でありエンハンスメントとは異なるのではないかと考え、仮説概念図を提示する。今後、脳科学研究は多方向に進むだろうが、「ケア」を基点にすれば、それぞれのブレインインターフェイスの維持にかかる人手やコストなどの効率性がそれぞれの社会でどのように評価されるかを監視するのも、脳神経倫理学の課題と私は考える。