「今、現象として存在するALS患者」

ALSという病がなぜ人類に生息し、ほんの一握りの人たちに拷問のような苦しみを与え続けているのか。
それは潜むように存在する。発病するまではうまく隠れている。何が原因なのか本人さえ分からない。身に覚えのない病ほど気がめいるものはない。また多くの人はまだALSの存在さえ知らないでいるので、患者のさまざまな苦痛や悩みを理解する人は大変に少ない。

キリストの教えではこの世には必要なものだけが用意されているはずだから、この病の残酷さを肯定するための理由を探してみる。ALSとはいったい何なのか?考えながら今私の目の前にある現実を鳥瞰図のように上から眺めてみる。すると患者も介護する家族も動画の1コマようにみえる。
毎日、吸引だの胃ろうだのいい、会話が成立しないとかいい、介護者がいないと言っては嘆いている。しかしもし、何かひとたび人類の医療史に変化が起これば、私たちはあっという間に歴史になる。日めくりのようにくるっと変わる。そして時代とともに切り取られて過去に残る。ただそれだけのことだ。苦しいのは、今この地点に生きているからで、ALSが私たちに与える災難もまた未来永劫続くわけではない。この病も後には恐れるに足りないものとなるかもしれない。そしてさまざまに予防的な措置が講じられ薬の力で発病も進行も抑えられるようになり、患者は呼吸器と共に生きないでも済む様になるかもしれない。または、経済的でないという理由で生きること自体許されなくなるかもしれない。この場合も呼吸器など不必要になっていくだろう。

今はとにかく生存するための方法があり、それを選びとることができる時代で、だから辛いとか苦しいとかやってられないとか言いながらも、患者も家族もなんとか生きている。しかし時代はまだALSを理解し味方してくれていないし、社会は病気の存在は知っててもその本性を知らない。

だからこそ、あらゆる学問が近寄っては去っていく。
患者はデータ化され分類され分解され理論にまとめられ総括され紹介されていく。そしてやはりそこでも患者と私たちは時代と共に切り取られ過去に残されていく。患者の血液は採取されここでもデータ化され入力され、力ない筋肉には電極が埋め込まれ組織は標本となり死後は献体を予約されていく。そうやってさまざまな形で社会に還元されていく。だが見返りを受けとるのは今を生きる患者ではない。ここでも患者は前払いだ。料金を先に支払って後続のものたちが利を受けるのだが、患者はそのことを望みそのために生きる。

人類はそうやってここまで、どうにか到達したのだった。

その道筋が正しいのか正しくないのかわからない。だが人が人らしく生きるということはそういうことではないか。ALS患者という役割分担をせおっていく人がいて、確かに彼らのうちのいくらかの人はその責務を心得ているのが分かる。どんなに過酷で醜い病でも、人はいつの間にか寛大に受け入れてその役目を務めて先に駒を進めようとする。今ここにいるALS患者は足跡となりいつか現象として残される。そして人類はまだ先へ行く。

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