生きがいについて                           神谷美恵子


ひとは死が無理に断ち切るであろうもろもろの絆を、あらかじめみずからの心の中で断ち切ることを学ぶ。それができれば、その瞬間に身もかるがるとする。そしてひとびととの残るわずかの共存期間は、その覚悟ゆえにいっそうその豊かさを増す。                                              
               引用「死との融和」より


ルソーは「エミール」の初めのほうでいっている。
「もっとも多く生きたひととは、もっとも長生きをした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」と。
    引用「感情としての生きがい感」


プラトンの「国家論」の中で「不幸な時にはできるだけしずかにしているのがいい。そして不満の感情はすべて抑えるほうがいい。というのは、こうした出来事の中にどれだけのいいものと悪いものが含まれているか、われわれには評価できないからである。
また同時に、短気をおこしても何の助けにもならないからである。

避けられない苦しみや悲しみを安易にごまかしてしまわずに、耐えがたい生を何とか持ちこたえるためには、結局はストア的な抑制と忍苦の力がいる。・・・・・「現世的な諸価値の肯定が決然たる否定によって断ちきられる時期がある。
そういう時期にはすべての生命エネルギーは内面へと向けられ、破壊された世界をよりみごとに、より美しく築きあげる。この難行苦行の時期は荒野における試練のごときものである。大きな力に蓄積され、やがて突然再び解放されて地上の世界に流れ出し、
新しい意味でこれを所有するに至るのである。」  

              シュプランガーからの引用

              「運命への反抗から受容へ」

重い病の床にあって毎日を耐え忍ぶのがやっとというひとでも、積極的ないきがい感を持ちうる人がいる。多くの場合、宗教的または哲学的な人生の受け取り方をする人で自分のこの苦しい生も、ただ無意味にあたえられているのではない。
自分にはよくわからないけれど、これはなんらかの大きな摂理によっ与えられたのだ。
自分はこれをすなおに耐え忍ぶことによってその摂理に参加し、ある意義を実現することができるのだ、という意味感に支えられている。  
           引用「感情としての生きがい感」



 
「一粒の砂のうちにも一つの世界を見、
一輪の野草のうちにも一つの天国を見、
手のひらに無限をつかみ 
1時間のなかに永遠を持つ。」
                
ブレイク 

      

英国の作家 キャサリン・マンスフィールドは肺病のため孤独な転地療養をつづけ、健康にあこがれ、夫とともに明るい家庭を築ける日々を夢見つつ、ついにかなわなかったが、その苦悩ゆえあの水晶のような短編の数々を生み出した。彼女の死の2年前の日記から引用してみよう。

「人間の苦しみには際限がない。
『もうこれで、海の底にとどいた____これ以上深みに落ちることはない。』と考えていると、また深みに落ちていく。こうして永遠に続くのだ。・・・苦しみも克服できるものだという私の信条の記録を残さないで私は死にたくない。私はそれを確信しているのだから。・・・・・・生はひとつの神秘だ。恐ろしい苦痛もやがて衰える。私は仕事に向わねばならない。私は自分の苦悶をなにものかに投げ込まねばならない。それを変化せしめねばならぬ。
『悲しみも喜びに変えるべし。』    
 ___1920.12.19____


いずれにしても、ひとたびこの世からはじけだされ、虚無と絶望の中で自己と対面したことのある人は、ふたたび生きがいをみいだし得た時、それがどこであろうとも自己の存在がゆるされ、受け入れられていることに対する感謝の思いがあふれているに違いない。

もっともささやかな日常のよろこびも、あの虚無の闇を背景にその光と色のかがやきを増すであろう。陽の光も、木の葉のさやぎもすべて自己の生を励ますものとして感ぜられるであろう。

そしてたとえもし現世のなにごとにも、なん人にも自分が役に立ち得ないとしても、言い表し難いあの「瞬間」に、至高の力に支えられているのを感じたならばその力の中でただ生かされているというだけで、しみじみと生きがいを覚えその大いなるものの前に自己の生命を最期まで忠実に生き抜く責任を感じるであろう。

たとえもし、自分で自分の生命の意味がわからなくても、その意味づけすらも大いなる他者の手にゆだねて「野のすみれのように」ただ大地にすなおに咲いていることにやすらぎとよろこびをおぼえるであろう。

                          
             引用 「現世へのもどり方」


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