いのちのよろこび

「社会的に認められる」とか「社会の役にたっている」ということにこだわりすぎているのではないでしょうか。
この場合、社会とは家庭の外にあるものと考えられているのだろうと思いますが、家庭もまた社会の一単位であり、身内や隣人の生に寄与することもまたりっぱな「生きているだけのねうち」ではないでしょうか。ことに家族の中に病人や老人など、手のかかる人をかかえている主婦が、人知れぬ努力と心づかいの生活を送るとき、彼女の存在はそれら弱者の生にとってかけがえのない意味となっています。この主婦の生活が他人によって、「社会」によって、たとえみとめられなくても、それ自体がこの上ない価値をもっていると思うのです。



そもそも人間は社会に役立たなければ生きている意味がないのだろうか。「自立」や生きがいを感じること、他人から人間として認められること、が人間の生きる意義に絶対に欠かせない条件なのだろうか。

もし人間を超えたものの配剤によって私たちが生まれてきたとするならば、私たちの生の意義は何よりも人間以上の次元で認められたのではなかろうか。その意義がなんであるかを一生かかって探求し、これと思われるものを実現しようと努めていくのが私たちの生きる意味の、少なくとも一部であると思う。

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