隠遁生活 若い介護者のこと 難病と魔法 ALS相談状況 帰国妻の私には
隠遁生活
在宅に切り替えて半年。
母を自宅に連れ帰る事ができて一つ難問突破した安堵感はあった。高元先生は頻繁にお見舞いにきてくださり、丹念に診察してくださったし、中村先生は普段着でふらっと往診に見えては情緒不安定な母を慰めてくださるので充分だった。医療関係者、母の友人、中野区の保健婦さんにヘルパーさん。そういった母の関係者だけと会って毎日過ごすのが楽だった。主人は、ロンドン郊外の一軒家を出て、ケンジントン、チェルシーの大きなフラットに移り住んだ。その方が会社に近いし、思い出の多いあの大きな家で独りの時間を過ごすのは残酷だった。会社がひけてから、何をしているのだろう、といぶかったこともあったが何を注文できる立場ではないし、彼が誰とどう過ごそうと何も文句の言える立場ではない。
そうは思っても気にはなったが。でも、夫がいなくて都合がいいと言えばそうだった。もし近くにいても夫に関わる時間が取れない毎日だった。ローテーションの都合では、夜も母に付き添わねばならず、もし、ここに夫がいてもかまってあげる事ができない。母と子供達に私の時間は全て使ってしまっていて自分の時間は一分もなかった。
わたしが帰国しているということは誰にも知らせてはいなかった。渡英の時に送り出してくださったたくさんの友人たちにも内緒にしていた。この事態を説明するのが面倒だったし、どこかでいじけていたといえばそうだった。普通の家族が羨ましかった。デパートなどですれ違う、同じ年頃の娘と母親と孫。悔しくて、目を背けた。今、たとえ、友人と再会しても何になるのだろう、と思った。多分、たわいもない会話でこぼれ出る日常の愚痴に厳しく当たってしまうのが関の山だ。わたしの人生は特別で誰にもわかるものか、とひねくれていて2年が過ぎた
そんなある日、いただいた年賀状を整理していた中に偶然、懐かしい字で、私に相談したい事があります。そのうちに電話させてね。と書いてあるのを見つけた。大昔の友人からだった。そう言っているのに音沙汰なしだ。何か予感がしてこちらから電話して、彼女の話を聞いた。
友人と話すのも久しぶりだったが、彼女の話は私の予想を遥かにくつがえし私は電話を切ってから、涙が止まらなかった。なんで、と思うと悔しくてたまらなかった。その友人の幸せだけは不動のものと信じていたのに。
丁度、クリスチャンのおばが来ていて、私の様子が変なのを見ていた。”どうしたの?”と聞いてきた。そうだ、おばは彼女と同じ大学の卒業生。すぐさま相談した。こういう話は年長者の意見を聞こう。叔母は親身に相談に乗ってくれて、身動きのとれない私のかわりに会いに行ってくださるという。高校の頃には思っても見なかった現実に直面しているのは私だけではないのだ、と悟った。私は自分にこもって、人に頼るという方法を何か卑屈なような気がしていたがそれは、間違っていたのかもしれない。もし、癒しを求めるのであれば、まずは友人に話してみる事からかもしれない。どうせ、わかるまい、と諦めてしまう前に。。
この歳になるとみんな何かしら抱え込んでいるものだ。私にはわたしの、あの人にはあの人の。体験は共有できないが、確かに悩みの全容を同じようにはわかってあげられないが、力にさえもなれないが、不思議なもので、友人というのは居てくれるだけでもありがたい。聞いてくれるだけでもいい。聞いてあげられるだけでもいい。隠遁生活を止めて、自分も社会復帰しようと心に誓った出来事だった。
若い介護者のこと
介護に明け暮れて、自分の生活も夢も全てALSの親にささげるように暮らしている若い子供たちがいる。(その多くが10代後半から40代前半くらいまで)私が問題として提起したいのは、こう言ったいわゆる孝行息子や娘の行く末のことだ。親が必死に病気と闘っている時に、介護に身を費やすのは決して悪い事ではない。そこから、学ぶことは、命の本当の尊さとこの世がいかに愛すべきところであるか、という真理だし、親とのつながりの深さをしみじみと感じるその期間は、何にも増して尊いといえる。
人生の,多分、これは最大の山場である。これは間違いない事で,これ以上の困難は考えられない。
(自分の死くらいなものか?)
「私は、親の看病をするために生まれてきたのだ、」と皆,声をそろえるようにして言う。これは時折、ALSの会合などで、知り合う若い者同士の共通した認識である。愚痴とも言える。そうやって、小1時間ばかり自分たちの苦労話や介護の工夫やたまには病人の悪口さえも出て、そして、別れ散っていく。遊ぶ時間の許されない介護者たちは、同じ境遇の者同士がたまたま顔を寄せ合う機会には思いっきりしゃべってうっぷんををはらし、また、そそくさと病人の元に帰っていく(心配だから)そして、いつもの規則正しいローテーションに戻る。
しかしながら、その濃密な期間は、ある日突然ぷつんと途切れ、後に残された若い子供たちは報われぬ空しさ、虚脱感といったものから、しばらく抜けきれず立ちすくむ。全くなんと残酷な病だ。
大事に、精魂傾けて、人生を費やして守ってきた親は、必ずいつかはあの世に旅立ち、残された子供たちはもう既に若くはない。結婚や就職といったもの、若気の至りや冒険心さえもかなぐり捨ててきた成果というものはいったい、なんなのだろうか?
在宅医療に携わる専門家の間では、こういった介護の後に残された者の生きがいの問題が取り上げられてきている。さらに言えば、死の教育は、ほとんどが無宗教論者の日本人の間では未だに話題にも上らないが、そろそろ必要な時期なのではないだろうか。
上智大学で死生学を教えていらっしゃるデーケン先生とは一度お会いした事があるが、在宅で療養し亡くなる人が増えていくであろう(そう、あるべきでもある)傾向にあって、在宅医療を成功に導くには医学,福祉、のほかに哲学、宗教学といった精神面でのバックアップの必要性は無視できない。
難病と魔法
一昔が5年だという。
5年前、インターネットなどなかったあの頃、情報を集める方法は本を読み漁るしかなく、ALSについての記述は、医学書でもほんの数行で、あとはALS協会の当時事務局長をしておられた松岡さんに電話で逐一お聞きするしかなかった。松岡さん。東京の小さな出版社,静山社の社長をしておられた。ある時、ALS患者さんの自費出版をお手伝いすることになり、その仕事のご縁で、すっかりこの難病の世界にはまってしまった。家族でもなくもちろん患者でもない松岡さんを捕らえてしまったALSの残忍さである。
松岡さんはやがて私財を投げうって日本中の患者さんを見舞うようになった。じきに会社は倒産ぎりぎりになり、ご自分が癌に倒れてもその入院費用が賄えないほどになっておられた。
私たち会員は、その事実に仰天した。自費で全国の患者をみまわっておられたのは知っていたがここまで、とは思わなかった。すぐにカンパが行なわれたが、松岡さんの容態は快方に向わず、励まされていた患者たちをこの世に残したまま、さっさと天国に逝ってしまわれた。
ご家族はそんな松岡さんをどう思っておられたんだろう?
松岡さんの奥様は、同時通訳と翻訳をこなす才女で、ばりばりのキャリアウーマン。だからこそ、ALSなんて病気に生涯と資産をつぎ込んだクリスチャンの夫を理解し、最期まで支えきったのだろう。これは共働きのお手本ともいうべきカップルだと私は会うひとごとに自慢している。そして、神様はそんなお二人をきちんと見ていてくださった。
松岡さんが亡くなってほどなく奥様がイギリスの本屋で見初めた児童書が「ハリーポッターシリーズ」。魔法学校に入学したハリーの冒険物語で大長編。そして世界的な大ベストセラーでもある。奥様はその第1巻を徹夜で読み終え、すぐに作家に電話したそうだ。是非、和訳させて欲しいと。その晩から魔法が働き出した。童話の中のハリーと天国の松岡さんがしめしあわせたように。熱意に押されて作家はその翻訳,版権を松岡夫人に許し、奥様は今では押しも押されぬ大ベストセラー翻訳家である。静山社も押しも押されぬ一流出版社となった。
あるインタビューで奥様が言われたこと。「やはり,天国の夫の力が働いたように思える」と。
私たちもやはりそう思ってうなずいていた。
松岡前事務局長の夢は、日本で神経難病の世界大会を開催することだったが、その夢は着実に実現される方向へと動いている。夫の夢を引き継いだ松岡佑子さんも資金援助や通訳ボランティアなど、ALS患者への支援を続けておられる。
ALS相談状況
HP作って公開するようになってちょこちょこ相談が舞いこむようになって来ている。偉そうに、こうしたら、ああしたら、とアドバイスしながら、駈けつけてあげられるわけでもないから頭抱えてしまう。母の介護は楽になってきたものの、そうしたらそうしたで、今度は自分の家族を長い間ほったらかしにしていた罪がある。自分の生活のたて直しと社会復帰はわたしの今の課題だ。かと言って、この世のどこかで次から次に告知されていく患者さんや路頭に迷った家族のことを思うと眠れないのだ。
この病。生きていくのなら完全金縛り状態だよ。それがいやだったら死ぬしかないよ、っていう残酷な病気。家族だって告知で相当参っているのに、課せられた看病は過酷を極める。体力と神経を使い果たしてぼろぼろになってもすぐそこで患者が待っている。もう介護のトライアスロンと私は呼んでいるんだけど、どうにかならないものか。。
もし、告知を受けた段階で、すぐに介護ヘルパーさんが入ってくれて(もちろん優秀な)家族のすることは悲しくて泣くだけです、という余裕を与えてあげられたら。(実際は役所や病院、保健所と飛びまわり、雑多な手続きをしながら介護をすることとなる。これは悲惨。幼児がいたりするともうめちゃくちゃだ。)もし、患者さんは病気のことでだけ悲しめばいいという環境を作ってあげられたら。(家族に介護で迷惑をかけたくないからと言って、離婚する患者さん、自ら遠くの病院に入院して家族と縁きり状態になる患者さんもいる)もし、介護者の生活をきちんと保障してあげることができたら。(実際、介護生活に入ってしまうと働けないから、自分たちの生活さえも脅威にさらされることとなる。)そして、もし、呼吸器をつけることが眼鏡をかけるくらい簡単なことになったら。そしたら、表参道貸し切りで、ALS遠足か運動会をしたい。今現在、患者や家族の置かれた立場は、生きていくことがぎりぎりの状態だけど、社会の意識の変革、社会保障がもっと進んだら、きっと気軽に呼吸器つけて生きていく道選ぶ人増えるだろうって私は確信している。
イギリスではね、既にALSの仮装行列って聞いた事がある。
呼吸器装着が進んでいない海外でさえ、こういう事している。
そうやって楽しく過ごしているうちに特効薬が見つかり病気が治るようになる。
それが理想なんです。
帰国妻の私には
はっきり言って、自分には日本人としての大人の常識が欠けている。性格上の非常識ではなく、この場合は知識としての常識が欠けている。最近メールではっきり指摘されたので、はっとして深く反省したことがある。
安易に「水俣病」という言葉を使ってメールしてしまったのだ。が、これは偏見やジョークと捕らえられても仕方ない。いや、私は本当に無知だった。
難病に携わっていながら、公害訴訟を起こして偏見の渦を巻き起こした他の難病に対して、不感症になっていたのだ。例えば薬害エイズなら詳しく知っている。友達にゲイの人がいるし、妹は仕事でエイズ関連の出版に関わっていた。しかし、ちょっと前のいわゆる公害訴訟やその病気の実態「イタイイタイ病」とか「川崎病」とか「水俣病」とかは知っているようで実は知らないのだ。
知っているようでよく知らない、というのは帰国子女特有の困った一面で、自己主張しないと生きてこられなかった海外で、偉そうにする術を学んできたものの実はごっそり無知だったりして、そこのところを指摘されるとう〜んと唸ることになる。わたしゃ帰国子女じゃないけど、例えば帰国出身アナウンサーたちと同じくらい若い頃に海外で揉まれているのである意味では帰国子女なのだ。で、変なところでぼろが出る。しかしながら、今回は襟を正して反省した。難病をどうにかしたい,と思っている者が他の難病を知らなくてどうする。
神経難病については、詳しいし、国を相手取って勝負もしている,にもかかわらず他の難病の闘いの歴史には無知でいていいはずがない。
というわけで、さっそくお勉強開始。私が実はけっこう謙虚な人間だと言うことを誰も知らない。