「選択の自由は患者の自由を保障しない」―ALS患者、自己決定による呼吸器の停止?―


◆ 動向・動揺

平成15年に始まった支援費制度は16年には早々に財源不足による制度の破綻が懸念され、社会援護局に設置された「障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会検討会」や「社会保障審議会障害者部会」等において介護保険との統合や新たな改革のデザイン等も検討されてきた。また同時期、厚生労働省医政局では平成14年10月にスタートした「終末期医療に関する調査検討会」が平成16年6月までに7回の検討会を終え、いったん幕を閉じていた。そして平成17年早々には、超党派議員団による「尊厳死法案」立法化の動きが東京新聞3日付の新聞記事で報じられた。

このように平成16年以降、日本のALS患者や人工呼吸器に縁ある者たちの生存を左右するさまざまな動きが表面化しつつある。

 

◆ ALSの生存

欧米諸国ではALS患者の多くは呼吸筋麻痺による呼吸困難や誤嚥などで亡くなるのだが、日本においては、気管に直接人工呼吸器をつなげて生き続ける独自のALS観が、90年代に少数の神経内科医らにより提唱され、医戒やSOL(生命の尊厳)を基本にした生命倫理観に支えられて広がり、呼吸筋麻痺をターミナルとする従来のALS観は塗り替えられてきた。そして、保健医療制度の変遷に従って病院から在宅へ療養場所を移したALS患者らは、住み慣れた自宅で呼吸器を使用する(それは非常にチャレンジだったのだが)障害者としての生を選び取ってきたといえる。

それらの人々の療養には呼吸器の管理や吸引行為などが伴うため、不眠不休に近い24時間介護が必要とされる。しかし、在宅医療の不毛は医事法第17条による法縛と共に家族だけにその荷を負わせてきた。 やがて介護のために就労もできず所得保障もない一家の家計は困窮を極め、家族もまた患者と共に果てしない療養生活を耐えてきたのである。 

このような在宅療養の現実は呼吸器装着当初の希望さえ暗く湿潤していった。疲弊しきった家族による単純なミスで患者が亡くなることも周囲からは仕方ないこととされたが、家族介護の現実はさして問題にもされず研究や調査はされても政策としての抜本的な救済策がはかられることがなかった。また、遷延性意識障害の人たちにまで話の範囲を広げれば、不慮の事故や何かで突然、呼吸器を装着した者たちの療養環境はALS患者以上に未整備のまま取り残されたままである。臓器移植法は多くの疑義を生み出しているが、これらの意思決定のできない患者の生存は実質的には家族が握っていることになっている。

また、ALSの場合は病名告知の際に療養に関する社会資源やその背景も説明するとされているが[1]、実際には介護保障がほとんどないという厳しい社会的現実を伝えるしかなく、患者も家族も聞いて嬉しい話は何一つない。

だから、治らないからというだけでなく、事前に家族の自己犠牲の契約なくして、患者は生き続ける手段もないから呼吸器を諦めるしかないというのもこれらの疾病の残忍さである。

そしてまた、呼吸器を選んで生き残った3割の患者もやがて呼吸器を着けたことを後悔するようになる。家族の介護だけでは自分の望むような療養環境がとうてい叶わないことを悟り、疲弊した家族をベッドの上から見続けたまま何もできない非力に自分を責めつづけるのだ。

患者が呼吸器を外して死にたくなるのは多くはこのような理想と現実のギャップによるし、便利なことに、透明文字盤の字列ではサ行の「し」とナ行の「に」とタ行の「た」は隣接し並んでいる。眼球運動が侵されてかなり動きにくくなっていたとしても、この文字列ならばわずかに動く視線で指し示すことが出来るし、介護者も何とか読み取ることが出来るだろう。

また、疾患の進行によってその障害が最終段階に達したALS患者の生が想像を超えて残忍であるからという意見もある。これは「ただ生きているだけ」の生と評されたりもし、重症患児の出産前後の倫理で論じあわれるような事柄に近くもある。つまり、すべてのコミュニケーション方法が断たれた/初めからない患者の生の存続について[2]、こうだと断言できるような真理はなく、ただ患者のそばにいる者の主観によってのみ価値づけがなされることに誰も異議は唱えないとしても、やはりその苦痛が耐え難いであろう場合にはその人の事前の意思あるいは家族の意思代理決定によって、死の幇助つまり安楽死も許されるのではないかというのである。そして、そこまで不自然な苦痛や思考の迷走を患者に与えてしまう医療に対してさまざまな忌避が言われる。それはまるでアレルギーのような過剰反応だったりもする。また、ほどほどがない徹底した生を獲得してしまった人類に対する悲嘆のようなものでもある。

 

◆ 事前指示書と医療職

以上のような状況が今日患者の居る場所いたるところにあるので、これまで人工呼吸器に関する情報は何もかもがネガティブであった。 そして、そのようなALS患者と深く関わってきた医療プロフェッションは患者や家族の不幸を見すぎたようだ。

去年、平成16年は過去になく重症疾患の診療倫理指針に関する研究が相次いだ。特に事前指示書や人工呼吸器の停止の倫理規定についての発表も多くなってきた。そして患者の自己決定権といいつつ内実は病院経済と合致した功利的な理由[3]による患者の選別が数名の倫理学者や神経内科医によって論じられたし、最重度のALS患者の生は公共的に生存の理由は証明できないから、そのような患者の生存を維持するために社会資源を分配する意味はないとも述べられている。このような研究は現場の要請によって行われたものだ。

熱心だが過剰な悲壮的経験や戸惑い、空しい闘病の観察に疲れた医療者は考えることと感じることを時にやめたくなることもある。 そしてやがて彼らは困惑する患者の面前に事前指示書をもって呼吸器がいやになった時に備えて自死の「自己決定」の契約を事前に迫るようになるのだろうか。

しかし、これもまた私の皮相的観測に違いない。以上のことは冷静に考察すればいくつもおかしな点はあるのだから。ひとつに人工呼吸器を着けている者だけに単純に自死が許されていいわけなどないのであり、またひとつは人工呼吸器を装着した患者に対する周囲の者たちのケアの倫理についてはまったく考慮されていないのも不自然であろう。

ALS患者は幾度となく死の絶望と生存の喜びを繰り返し語るし、その度に必ず死にたいと口にする。だが、公的に死なせる法がなければ周囲も社会も何とか生かすための努力を続けるものである。そのような医療に携わる者たちの自然で人間的な情念に対して、提案された事前指示書の内容は明らかに正反対のベクトルを持って語られる。それは患者を原子化し医療者の余分な手間や動揺を省いてくれるだろうが、現場の戸惑いを根本的に解決する道具にはならないだろう。また、そのような事前指示が患者の「最善の利益」を尽くすためだといい、他者危害の原則によって本人の決定が他者の迷惑にならなければそれは容認されるという。だが、真実はどうだろう。患者の存在が家族や医療者や社会にとって迷惑な存在でしかなくなってしまった場合、患者の死によって得をするのはその者たちなのだ。患者の「最善の利益」どころか周囲の者たちの利益のため、あるいは闘病からの逃避の道具になりえる事前指示書はこれらの人たちの免罪符ともなりえる道具や装置であり、それゆえに、何も知らない患者の事前指示など簡単には受け入れがたいものであることは患者の「最善の利益」を尽くそうとしている医療者であればまっすぐに見抜いているはずであろう。

だから、他の疾病でどうしても治療停止が必要な人がいることは認めても、ALSに関しては病院の専門医たちさえ、在宅療養の実態をよく周知していない現実がある以上、施される医療がその患者にとって真に害になっていることを証明する手立てや、潜在的な患者の意志を確かめる方法を確立することが先決である。

だから、それぞれの疾患に特化した個別の「治療停止に関するガイドライン」の作成は真摯に求められているのである。疾患ごとの線引きがなされれば、癌患者とALS患者の呼吸器に対するニーズの差異も明らかにされるであろう。だが時間をかけて様々な立場の人で練り上げる必要があるそのような「公共的合意」の形成努力も、法が先んじて出来てしまえば空しいばかりである。法律とは多数決の原理であり多数決で人の生死が決定されるのであれば倫理などいらないのだ。そして、法とガイドラインの整合性でもめている脳死移植法の現状を鑑みれば、今回の尊厳死法案は一挙に脳死を人の死へと押し流す法なのである(本論では脳死や臓器移植についてまでは言及しない)。そして、その点において巻き込まれるのがTLSの人の生である。

◆ 医療者のペシミズム [4]

医師のペシミズムと優生思想によって障害者の命が大量に消し去られたのは、ナチス政権下のドイツであったが[5]、財政縮小と少子高齢化が案じられている昨今の日本においても同様の思想が日本尊厳死協会等の巧みな宣伝によって頭をもたげ始めている。映画『楢山節考』は83年の公開当時これもまた人間の本性の一面を語るものと評されたが、最近では家族愛や自己犠牲の寓話のごとく話題に登ることが多い。自分が病になったら山へ入って死ぬと公言する人類学者や生命倫理学者も少なからずいるのである。また、過剰医療による無駄な延命というステレオタイプに、多くの人々は管だらけにされた終末期の自分のみじめな姿を想像してうつになっているのだ。しかし本来、長期療養を必要とする人びとに対処すべき現実的な方策としての緩和ケアの研究と普及は一般病棟や在宅において随分遅れている。

また、インスタントに自然な死を契約することができるリヴィング・ウィルは、単に書面でよく知らない誰かさんや意見団体に預託しておけば済むというようなものでもない。むしろ病院や在宅において医療とケアが十分に享受できる制度としての保障が確立された上で、さらに安心して身を任せられるような医師個人との信頼関係があり、無言に近い医療代理なされるようでなければ、ただの紙をお守りのように持ち歩いたとしても仏壇に預けていたとしても空しいだけなのである。医療と介護の社会的保障や長期療養者の所得保障の仕組みのみが将来の死を安穏なものにしてくれる。だから、法ではなく制度によってすべての人に尊厳ある生が約束されれば、やっとその先に安穏とした生の終末が存在する。私はただ、それだけのことを言いたいのだ。

この先、どのように医療や介護保障制度の改定が行われたとしても、当面は少子高齢化や他国の生命倫理の影響を受けて医療までもできるだけ切り詰めねば気がすまないという風潮は続くだろう。そして、人様、特に身内には決して迷惑をかけたくないとする道徳的で愛すべきまじめな国民性が、高齢者さえも出来る限り健康でなければならないとする国民的健康ブームに駆り立てている。しかし、実はそのような周到な準備が、重症疾患や重度障害さえも適応さえすれば実はたいしたこともなくのほほんと生きられるという人間性のもつ別の強さを覆い隠してしまっている。

 

◆ 自由な、選択にある苦痛

「選択の自由が大きくなることは、人を混乱させたり、困惑させたりするし、人生をもっと惨めなものにしてしまうことがある。」(セン[1992])という言葉が表象するように、社会的にあるいは身体的にもっとも弱くある人の生存の意味は問い詰めれば本人にとっても苦痛でしかない場合もあり、その価値も本人にさえわからない時はある。だからそのような生存を本人の選択可能なものにしてしまえば、ただ単に苦痛は増すばかりなのだ。人はむしろ他者の主観による価値贈与によって生きることを許されるなら、それならば生きていたいと思う生物でもあり、また他者もそのような人に死を真剣に考えさせないことによって死の恐怖から解放させてあげる術はいくらでも持ち合わせている。先日死去したソンタグの残した言葉によれば「病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには――最も健康になるには――隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗すること」[1982][6]。つまり、病気を病気として苦痛を苦痛として意識しないこと、「一種の懲罰的な色彩」から病と生を同時に解放することである。だから、私は生きてもよいか否かで迷っていたり決めかねていたりする人々に対して、ただ「生」のみを当たり前のように与える社会に、暢気にのほほんと生きていたいと願うのだ。

以上に述べたことから、治療停止すなわち人工呼吸器の停止が法的根拠を得て可能になったとしても、それがすべての患者の自己決定権や患者の最善の利益を保障するとは言いがたい。

少しでも疑わしければ賛同するわけにはいかないという倫理上の原則によって私は、全てのステージにおける患者や障害者の生存権を擁護する立場から、彼らの療養や生活環境の安定と生存手段の用意、医療や福祉を受ける機会の平等がどのような場所に住む人にも格差なく実現しない限りは、どのような理由によっても患者の治療停止も重度障害者の尊厳死も認めることはできない、と言おう。

 

平成17年1月10日

 

特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会

川口有美子(文責)



[1]ALS治療ガイドラインhttp://www.neurology-jp.org/guideline/ALS/index.htmlによれば「在宅療養の場合は,介護者(多くは家族)が常に必要なこと」「人工呼吸器を装着する意味については,人工呼吸器を装着すれば延命可能であるが,単に延命という効果のみでなく,人工呼吸器装着後の病気の進行から予想される病態や一旦装着した人工呼吸器をはずすことは困難なことも併せて説明する必要がある.人工呼吸器を使って社会参加を積極的に行っている患者も増えていると同時に,病院の一角で天井だけを見て生活したり,患者が人工呼吸器を装着したことを後悔してはずしたくてもはずせない状況に陥る場合など,メリットとデメリットの両面から情報を提供し,医師の価値観をできるだけいれずに説明する.」とあるが、社会的サポート体制が十分に構築しえてない現在、患者の心の救いになるような明るい情報提供は難しい。ペシミズムに陥った医師によって不幸な側面ばかりが強調される傾向はある。

[2] 「生かすべきか死なすべきか(殺すべきか)を理性的かつ暴力的に討議する連中のその向こう側で、現に生存している弱者に突き刺されるのだ。生かすべきか死なせるべきか(=殺すべきか)は決定不可能だが決定しなければならないと騒ぎ立てるその現場の片隅で、いかに弱っていても生きている人間に突き刺されるのだ。」(小泉[2003:53])

[3]急性期の特定機能病院の包括評価制度は病院の経営を圧迫し時期尚早とされている。平成15年4月より入院基本料のほか、検査、画像診断、投薬、注射、薬剤などの費用が包括され、入院期間が長くなれば入院費の逓減。特定機能病院は大学付属病院であり大学の経営にも直結することから医師の教育機関でもある大学病院の本来の機能が果たして満たされるのか不安である。また治療法の選択によっては包括されない区分もあり、功利的な医療に拍車をかけることも考えられる。医療機関別係数などという指数を用いた優遇政策もとられていたが今後どうなるのかはわからない。

 

[4]医学生のペシミズム形成について伊藤[2004]がある。それによると、工学系の学生に比して医療系学生の方が積極的安楽死に肯定的であることが分かった。つまり、医療職の終末期医療に対するイメージ形成期において、すでに何らかの否定的な影響が盛られていることが指摘できる。知れば知るほど早々に死んだほうがまし、死なせたほうが楽と思うような環境しか用意されていないということか。周囲のペシミズムは容易に殺意に変換される。病院では家族不在の、在宅では医療不在のそれぞれの脅威が患者を囲んでいる。

 

[5] ドイツの精神科医、クラウス・ドゥルナーはそれを「死に至る憐れみ」という。Dorner, Klaus 1988=19960901 市野川容孝訳,「精神病院の日常とナチズム期の安楽死」『imago』7-10:216-232.「もはや生きる価値がないと思われる精神病者などに対して、「情けの死」を与えることを許したのである。その結果、精神病者や不具者など約27万5000人が殺されたといわれている」(平野隆一[1966])

 

[6] スーザン・ソンタグ、1982『隠喩としての病い』みすず書房

 

 

資料


 

◆リヴィングウィル  一定の条件下で署名者を生存させるために特定の医療処置を用いてはならないことを指示する当該署名者作成の文章

◆「医療代理」  署名者が生死の決定を出来ない場合に当該署名者のかわりに生死を決定する第三者を指名する当該署名者作成の文章のこと

(リヴィングウィルの署名をしている人はわずか。正しい書式を知り克実行する方法を知らないか、あまりにも迷信部ぶかいか真面目すぎて死を要求する文章に署名しないかだ)

アメリカでは全ての州でなんらかの形の事前支持(advanced directive」)、living willか医療代理(health care directive)決定しいておくことの重要性を自覚している。

今日ヨーロッパ諸国では、リヴィングウィルや医療代理を法的に有効とすることを規定した法律は存在しない。1992年、イギリス議会に上程された法案は、一定の大胆な医療処置の拒絶を事前に人々に許可するというものであった。

しかし、オランダでは、検察官や裁判官も含む非公式な社会的合意が形成されており、それによると、医者は法的慣行による指針(guidelines)に従うかぎり、このような患者を殺すことが許されてきた。1993年に、オランダ議会は尊厳死の法的慣行を合法として承認するまでには至らなかったものの、医者が法律で規定された手続きと制約に従う限り追訴されない旨宣言した。

 


W 提言

 

提言1 法的整備の提言

医師は常に法的追訴の不安におびえている。延命治療における差し控えと中止とが自殺幇助と同意殺人と境界を接しているためである。 多くの国では裁判所の関与を求め得る制度がある。ドイツでは健康事務代理人制度、その活動を監督しあるいは許可する権限を有する後見裁判所的な機能を家庭裁判所に付与。→広義の終末医療、延命医療の差し控え、中止など裁判所が審理するための法的整備が可及的問題。

 

提言2 施設ガイドライン、地域医師会ガイドライン作成の提言

医療施設、地域医師会各種医療団体は、地域の特性や医療施設の状況に応じ終末医療について、ガイドラインを作成し、これを公表する。

 

提言3 専門学会による代表的な疾病ごとのガイドラインの作成

末期医療における治療の差し控え、中止が特に問題となるALS、PVSなどの疾患については、関連する専門学会がガイドラインを作る。

 

提言4 倫理委員会の設置・充実

医師、科学者、法律家、学識経験者などで構成される倫理委員会が医療施設、都道府県医師会などに設置されることが望ましい。

 

提言5 終末期のあり方に対する国民的共通認識の醸成

国民的議論を深めることが必要であり国を挙げて取り組むことが望まれる。

 

◆用語の定義

 

◆終末期医療(末期医療)

「死が不可避で、死を迎えるまでの期間が半年程度、とする。」(日本医師会第V次生命倫理懇談会答申「末期医療に臨む医師の在り方について」1002年)

 

「長くて一ヶ月以内」(塚本泰司 2000年)

「この検討会では末期状態を『痛みを伴い治る見込みがなく死期が迫っている場合』に限定して〜議論した。」(厚生省平成5年「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」報告書)

「末期状態とは生命維持装置の適用にもかかわらず、合理的な医的判断では、死を招かざるを得ないような傷病によって引き起こされる不治の病でそして生命維持装置の適用は患者の死の瞬間を延期することだけに役立つ状態」アメリカ、カリフォルニア州「自然死法」

 

本報告では 以下のふたつをとりあえず定義しておく。

「狭義の終末期」2週間以内。

「広義の終末期」生命維持装置の適用にもかかわらず、合理的な医的判断の範囲内では、死を招かざるを得ないような疾病・傷害によって引き起こされる不治の状態で、そして生命維持装置の適用は患者の死の瞬間を延期することだけに役立つ状態で生存している期間」

 

 

◆ 延命治療

アメリカ医師会倫理規定2.20によれば

「機械的人口換気、腎臓透析、化学療法、抗生物質の投与、人工栄養、水分補給」

 

平成5年厚労省報告書によれば

「単なる延命治療とは末期状態や植物状態にある患者に対して、『生存期間の延長のみを目的になされる医療』

 

1983年 「アメリカの生命倫理に関する大統領委員会」によれば

「患者の生存期間の延長に注がれるすべての人工腎臓、人工呼吸器、その他の現代医学の設備ばかりでなく、治療努力が患者の生存期間延長に向けられているならば、家庭における理学療法、日常生活行動の看護扶助、特殊な栄養補給も含む」(厚生省、日本医師会「末期医療のケア」169頁 中央法規、1989年)

 

本報告書では

「『延命処置』とは『生命維持装置』を施すことによって、それをしない場合には短期間で死亡することが必至の状態を防ぎ、生命の延長を図る処置・治療のことをいう」と定義する。(人工栄養・水分補給が問題となる場面では、言葉を選び議論が混乱しないように配慮した)

 

◆生命維持処置(生命維持治療)

 

本報告では「人工呼吸器装着」「中心静脈管、胃管などを通した人工栄養補給、水分補給、」「腎臓透析」「化学療法」「抗生物質投与」「輸血」なども入るとする。

 

◆緩和医療(Palliathive care)

「WHO」によれば

 全人的ケア。痛みや他の症状のコントロール、精神的、社会的、霊的な問題のケアを優先する。Palliative care の目標は患者と家族のQOLを高めることである。 書記の段階においてもがん治療の過程においても適応される。(柏木哲夫、「我が国におけるホスピス・緩和ケアの歴史」厚生省健康政策局総務課監修『21世紀の末期医療』114ページ

 

「イギリス保健省の提言」によれば 1995年 

終末期に限らずもっと早く、癌が発病した段階から行われるべきである。診断時がその患者さんにとっては非常に大きな危機的時期となることもある。がん治療では患者、家族、介護者にとって必要な時期に十分な情報とサポートが提供されなければならない。

緩和ケアチームは様々な癌医療のサービスを継ぎ目なく統合し、可能な限り患者と家族のQOLを高めることに貢献すべきである。」(志真泰夫 「ホスピス・緩和ケア:21世紀の医療システム・モデル」

 

◆事前指示(Advance Directives )

2003年世界医師会がヘルシンキ総会で採択した「Advance Directive」に関するWMA声明の全文第一文によると「事前指示とは、記載され署名された書面または証言された口頭による陳述であり、意識を喪失しまたは他の方法で自分の意思表明ができなくなった場合には、自分が受けることまたは受けないことを希求する、医療に関する希望を記録したもの」と定義。本報告もこれを用いる

 

◆生命維持装置の中止

アメリカ医師会倫理規定では「生命維持治療の中止と差し控えの間には倫理的差異はない」

 

◆PVS 

1989年世界医師会香港九龍総会 「植物的生存状態に関するWMA声明」

「意識の病理的喪失は種種の脳障害、とくに栄養不良、中毒、に続発するものである。。急激な意識が消失すると通常は昏睡と呼ばれる覚醒不能な急性の睡眠状態に陥るが、その後はさまざまな程度に回復する場合もあれば、重度の慢性的神経障害が残る場合もある。

大脳半球に著しい傷害が生じた患者は通常、植物状態と呼ばれる慢性無意識状態になり、このような状態では身体的には覚醒と睡眠のリズムが周期的に生じるが、行動や脳代謝の徴候は見られず、認知機能は消失しており、外部の事象や刺激に対して学習した方法で反応できない。こうした認知機能の完全消失という状態は、アルツハイマー病などの進行性の脳組織障害の最終結果として症状が悪化し、ついには大脳の精神機能が破壊される場合もある。この種の認知機能の消失が数週間以上も続いた場合、身体はなおも植物的生存を維持するのに必要な機能を保持しているという理由で、これを植物生存状態(PVS)と呼ぶ」)日医第V次生命倫理懇談会報告書資料3{植物的生存状態に関するWMA声明}と定義している。

 

◆患者の利益代表者

「両親や後見人などの法定代理人、患者の保護、世話にあたり患者の利益を擁護している然るべき家族(通常、患者の面倒をみている者)」ととりあえず定義しておく。


Reprinted below is the AMA’s official opinion regarding withholding orwithdrawing life-sustaining medical treatment as found in its Code ofEthics, 2002-2003 edition.

“The social commitment of the physician is to sustain life and relieve suffering. Where the performance of one duty conflicts with the other,the preference of the patient should prevail. The principle of patient autonomy requires that physicians respect the decision to forego lifesustaining treatment of a patient who possesses decision-makingcapacity. Life-sustaining treatment is any treatment that serves to prolong life without reversing the underlying medical condition. Lifesustaining treatment may include, but is not limited to, mechanical ventilation, renal dialysis, chemotherapy, antibiotics, and artificial nutrition and hydration. There is no ethical distinction between withdrawing and withholding lifesustaining treatment. A competent, adult patient may, in advance,frmulate and provide a valid consent to the withholding or withdrawal of life-support systems in the event that injury or illness renders that individual incompetent to make such a decision. If the patient receiving life-sustaining treatment is incompetent, a surrogate decision-maker should be identified. Without an advance directive that designates a proxy, the patient’s family should become thesurrogate decision-maker. Family includes persons with whom the patient is closely associated. In the case when there is no person closely associated with the patient, but there are persons who both care aboutthe patient and have sufficient relevant knowledge of the patient, such persons may be appropriate surrogates. Physicians should provide all relevant medical information and explain to surrogate decision-makers that decisions regarding withholding or withdrawing life-sustaining treatment should be based on substituted judgment (what the patient would have decided) when there is evidence of the patient’s preferences and values. In making a substituted judgment, decision-makers may consider the patient’s advance directive (if any); the patient’s values about life and the way it should be lived; and the patient’s attitudes towards sickness, suffering, medical procedures, and death. If there is not adequate evidence of the incompetent patient’s preferences and values, the decision should be based on the best interests of the patient (what outcome would most likely promote the patient’s well-being). Though the surrogate’s decision for the incompetent patient should almost always be accepted by the physician, there are four situations that may require either institutional or judicial review and/or intervention in the decision-making process: (1) there is no available family member willing to be the patient’s surrogate decision-maker, (2) there is a dispute among family members and there is no decision-maker designated in an advance directive, (3) a health care provider believes that the family’s decision is clearly not what the patient would have decided if competent,and (4) a health care provider believes that the decision is not a decision that could reasonably be judged to be in the patient’s best interests. When there are disputes among family members or between family and health care providers, the use of ethics committees specifically designed to facilitate sound decision-making is recommended before resorting to the courts.
When a permanently unconscious patient was never competent or had not left any evidence of previous preferences or values, since there is no objective way to ascertain the best interests of the patient, the surrogate’s decision should not be challenged as long as the decision is based on the decision-maker’s true concern for what would be best for the patient.

Physicians have an obligation to relieve pain and suffering and to promote the dignity and autonomy of dying patients in their care. Thisincludes providing effective palliative treatment even though it may foreseeably hasten death. Even if the patient is not terminally ill or permanently unconscious, it isnot unethical to discontinue all means of life-sustaining medical

treatment in accordance with a proper substituted judgment or bestinterests analysis.” Code of Medical Ethics, Current Opinions, page40-41. (See American Medical Association, Principles of Medical Ethics[I, III, IV, V], in Appendix B.)

A DISCUSSION OF ETHICS AND
OTHER MEDICAL PRACTICE QUESTIONS
FREQUENTLY PRESENTED TO THE

RICHMOND ACADEMY OF MEDICINE

Guidelines the Medical Ethics  2004-2005