ALSケア理論の確立をめざして −治療開始と継続の自己決定権のために―     

平成18年9月18日 第二回研究集会<死の法> 於:グランキューブ大阪

NPO法人さくら会/立命館大学大学院先端総合学術研究科後期博士課程 川口有美子


リビングウィル、尊厳死、「脳死」臓器移植、etc。小泉義之先生風に言えば、死に淫する思想が構築されていく様を見ている。だが奪回すべき言葉もある。それらは自己決定/オートノミー/QOL/緩和ケア/ホスピスなどだ。もしこれらの言葉の使い手たちが本気で病人側に立ちさえすれば全く別様の社会が現れるだろう。ここのところ日本でも「緩和ケア」研究や「ホスピス」運動に医療現場の真摯な人びとが魅了されて集まっているが、代表的な論者の間でも両義的なそれらの言葉の解釈は揺れているようにみえる。だから今こそ実践と共感が求められるのである。
たとえば、ALSの母の介護体験から私の「人工呼吸器」に対するイメージはコペルニクス的転換をしたが、それは機械の利用価値に目覚めたからではなく、家計を共にした2年間の貧困体験に拠る。自分の時間やカネを重病人と分かち合い、家族全員の共存のためにあがいた実体験こそが、医療の、医療機器の、医療処置のあり方の本質を炙り出すと知ったのである。 さて、立命館大学大学院の先端研では歴史的史実や言説を辿り言葉の分析が進んでいる。私も上記の言葉は即刻取り戻す研究の重要性を強く感じる。だが私はどちらかといえば現実を変える活動の成果により「言葉」を取り戻すアクションリサーチを行っている。たとえば今年までに都内で400名を越す無資格者をALSヘルパーに養成して、違法行為とされる医療的ケアの安全性を実証し、この秋からの障害者自立支援法の政策立案の過程でそのデータを利用することができた。そして、重度訪問介護のヘルパー養成基礎研修に、医療的ケアのための追加研修10時間が加えられたのである。
 障害者の介護保障に関するこのような実践は、尊厳死法案に対する反対運動とは直接関連はないようだが、介護サービスを向上することにより介護の社会化を促進して、他人介護の成功事例を一つでも多く創出し世間に示すこと、当事者のエンパワメントを促進すること、家族を介護労働から解放することで、尊厳死の実態に対抗する戦略である。

ところで本題だが、実は当事者にとってもっとも深刻な問題となる介護/所得保障の側面から呼吸器装着時における自己決定権について少し述べてみたい。呼吸困難で一時的にでも意思決定が不可能になった者の医療判断は誰が行うべきか。これは昨年、厚生労働科学研究難治性疾患克服研究事業の各班でALSの事前指示書(リビングウィルとは異なる)の在り方を検討した時の中心的テーマでもあった。医療倫理に関心を持つ研究者が集まり東京八重洲で数回会議をもたれた。私も参加させていただいたが、事前指示書がALS患者のQOLを高めるというエビデンスはなく、かといって従来の成年後見人制度は財産処分には有効だが医療まではカバーせず、別途法的な「何か」が必要か否かの議論は尽くされなかった。現状ではとりあえず家族が意思決定代行者になっているが「家族は利害関係者だから、その決定から外すべきである。」(立岩[2004]ら)とも言う。では誰が?医療現場で働く者は自己決定困難な病人に対しても何らかの決断は必ず下さなければならない。だから処置をする/しないではなく、誰がそれを決めるのかが問われ続けるのである。

たとえば、ALSではおよそ7割の者が人工呼吸器を付ける前に亡くなっている。機能低下を理由に本人が医療を拒否することもあるが、在宅での家族介護以外に生きるための選択肢がないことが問題である。昔は結核療養所だったような国立病院以外は長期入院をなかなか認めない上、医療改革では神経難病でも在院日数はさらに短縮されることになる。以上の現実を踏まえたら家族と医師とが相談をして本人に病名告知をしないこともある。犠牲的献身をもって患者を支えるその家族を支える社会的義務も制度も皆無なのだから当然、家族にとってALSの介護は死活問題であり生存競争の勃発となるのである。だから、10年以上の長期に渡る24時間介護を前提にしても呼吸器を付けて欲しいと願う家族は、専門医が真っ先に救済すべき(尊厳死を勧めるのではない)対象と私は思うのだが、なぜか医療専門職からも在宅介護の問題は放置されてきたのである。でも、家族介護は患者や重度の障害者を死へ強制的に送り出す圧力にもなることに、そろそろ気がついてほしいと願う。

昨年、国の調査(「在宅重度障害者に対する効果的な支援の在り方」研究班、主任研究員 川村佐和子)で、ALSの24時間タイムスタディをおこなった。患者5名に1分ごとのニーズを聞き依頼されるままに介護を行った結果、下図のようなデータを得た。一番多い者で2323分=1日96時間。2人体制がどうしても必要な移動、トイレ、入浴のみならず、寝返りや意思の読み取りなど個別性の高いケアでも、介護に慣れた家族でなければ対応できない場合が多い。そのため、ヘルパーがいても家族は外出できずに介護を手伝っており、ケアはほぼ一日中二人体制になっている者もいた。
この研究により家族介護者の負担感はヘルパーがいても「いつ呼ばれるかわからない」常時待機状態に起因することもわかる。ゆえにALSの治療選択には相応の覚悟が必要な家族の同意が必要という論も、在宅ケアをよく知る者の視点からは成り立つのである。そしてまた、ほとんどの患者に上記の図ほどの公費は支給されないから、多くは疲れきった家族の手抜きで低レベルのQOLのまま放置されていることも想像できる。これでは自力でQOLを高められないALSはいずれ絶望するだろう。だから、私たちは諦めずに全身性麻痺で意思伝達ができない者のための効果的なケアの方法を研究として推し進めるのである。低コストで合理的なケアを長時間、しかも当事者のニーズに的確に対応しうる理論の開発が求められている。そこに医療の専門性を生かすとすれば、肉体にのみ限定し苦痛を心理化せずに緩和する方法にあろう。外部からの「介入」も重要な課題である。本当に私たちはどのような方法で重症患者の心身を再び自立の名の下に解放することができるのだろう。だが、呼吸器装着後の肉体の細かなニーズを、あるがまま肯定する研究成果は過去乏しく、海外ではモラルに反する、医師による積極的な治療はパターナリズムなどと酷評されたりもする(船後)。しかし日本のTPPV(気管切開を伴う人工呼吸療法)の患者たちが声を揃えて「生きることは素晴らしい」と証言しているからには、私たちはその研究を日本発で始めなければならない。そしてそのエビデンスをもって治療の「不開始」や「停止」ではなく、「開始」や「継続」の自己決定権を制度化することである。何なら事前指示書がその役目を果たしてもよいと思われる。そして同時に呼吸器を付けて生きるために必要な資源配分の責任と法の所在について明確にしよう。QOL概念に新しい座標を築いて、人体の拡張性や治癒可能性に関する最低限の知識と道徳とを一般に浸透しよう。そうすれば、呼吸器を前に戸惑う者などいなくなるだろう。呼吸器や栄養チューブの取り外しなど不徳と一蹴されるであろう。

ただ、当事者の体験を理論化し社会を変革するための方法は、これまで障害者らが実践として積んできてはいても、学問的体系は為しえてないようだ。だが、ALSは本邦においては行政的に支援されてきたからこそ、生き延びてこられた背景があるだけに、国家の研究費が真に当事者の体験を社会に生かすために投入され続けることを、そして政策立案や立法にはその成果が生かされることを私は切望しているのである。



図1 在宅ALS療養者のタイムスタディより Cは呼吸器未装着者だが、介護にかかる時間や労力は呼吸器装着者と変わらないか、日によっては呼吸器装着者以上になる。


図2 「ALS患者の療養実態」  平成15年度川村主任研究員調査による



 図3: 同居家族の所得と就労保障のために必要なケアプラン (重度包括支援サービスを利用)


* 第二回研究集会<死の法>の資料集に寄せた文章。(図表1、3は平成17年度「厚生労働科学研究費補助金、障害保健福祉総合研究事業「在宅重度障害者に対する効果的な支援の在り方に関する研究」」において、ALS班(古和久幸、川口有美子)でおこなった研究調査のデータから作成)


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