The woods are lovely, dark and deep    トータル・ロックトインした母との日常
「トータル・ロックトインした母との日常」,『難病と在宅ケア』10-03(2004-06):17-21 の草稿



The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

  これはアメリカの国民的詩人、ロバート・フロストの「雪のゆうべ森のそばにたたずんで」の最終スタンザですが、今の母の状態を思うとなぜかこの詩が思い浮かばれるのです。深い雪に閉ざされた暗い森は平穏と静けさが約束された安住の場所なので、疲れてしまった私は思わずそこに留まりたくなるのですが、まだ許されません。苛酷な生でもそれは約束の仕事なのだからと、この詩は生き尽くすことの尊さと美しさを逆に囁いてくるのです。

森はやさしく 暗くて深い。
でも 約束のしごとがある。さあ、行こう、
眠るまでにまだ何マイル、
眠るまでにまだ何マイル。

◆ 告知のころ

母は私の息子が3歳になったばかりの1995年8月に都立神経病院でALSの告知を受けています。59歳でした。告知の後、帰りのタクシーの中で母だけなぜか賑やかでした。それは父や私の愕然とした様子を見てどうしようと思ったからなのでしょうが、恐ろしい病気を認めたくなかったからとも言えます。それからの病気の進行の速さは驚くほどでした。毎日、少しずつ何かができなくなっていきました。鍋を持ち上げられない、寝ている間に病を忘れ飛び起きようとして倒れこんだり、風呂場のタイルの目地につまずいたり、ありふれた些細な物たちが障害となって母に挑んでくるような日々でした。

その反面、世界の全てが突然きらきらと輝きだしました。娘の私は母の死の予感を疑似体験したのだろうと思うのですが、こんなに美しい場所からは立ち去れないだろう?と試されているようなものでした。母は五十の手習いの油絵も市民展覧会で賞をいただくほどになっていましたが、とうとう腕が持ち上げられなくなるまで、最後は腕を天井からゴム紐で吊って絵筆を手に縛り、時間を惜しんでおびただしい数、作品の処理に困ってしまうほど描き残しました。今思えばそれは精一杯の生存の証だったのです。きっと死の恐怖を払いのけようと満身で拒んでいた時期だったのでしょう。

でも、現実はとめどなく惨く、母のALSは重篤な方だと主治医から告げられました。脳のMRI撮影後、主治医は厳しい顔になり長女の私だけを呼び出してTLSの可能性をいいました。トータル・ロックトインと言って、いつか目玉までも止まるかもしれないということでした。だから呼吸器を装着しても進行は止まらないから、いつの日かお母さんは死より耐え難い苦痛と孤独の中に暮らすようになるかもしれないよと、もしかしたら主治医は呼吸器装着を諦めるように言いたかったのかもしれないのです。

でも、苛酷すぎる告知に人は耳を閉じるものです。1%でもTLSしない望みがあるのなら、と私は祈りました。母には到底知らせることなどできず、父と妹にだけはTLSになる恐れについて話しましたが、父はまったく信じようとせず顔が赤くなったり青くなったりするばかりでした。そして覚悟のないことばかり言って、やっと入手したALSケアブックも悪魔の本だと捨ててしまいました。家族の中では父だけが母のALSを受け入れられず、在宅療養の準備の邪魔ばかりするので妹と私はずいぶん手こずりました。

 

◆ 備える  1996年〜98年 

 

1995年の夏の告知後、いったんロンドンの自宅に戻った私は身辺整理をして、再び実家に戻ってきたのが12月初旬でした。段ボール箱4つに母子3人分の当座の生活用品を詰め込んでの帰国でした。夫を駐在先のロンドンに残して私と娘(7歳)と息子(3歳)だけが東京の実家に戻り、介護していく覚悟でした。そして時差ぼけがまだ残る帰国後3日目の午後、母は呼吸困難を起こし、都立神経病院に緊急入院しました。

計画通り万事がうまく運び母は呼吸器を着け、2月上旬には自宅に戻りました。気管切開後の精神不安定な時期を乗り越えると、母は突然短歌を習うと言い出しました。それで私たちも母を囲んで初歩から歌を詠むようになり、しばらくは歌詠みの会などがもたれて、“絵筆を文字盤に持ち替えたような“大変楽しい日々でした。また、そうこうしているうちに母はベッドの上から社会を見据えるようになり、ALSはたいてい自筆できないから選挙権があっても投票できないという不条理を世間に訴えだしました。娘たちはただでさえ疲れる介護に重ねて母の秘書のようなこともさせられ心身ともにクタクタになりましたが、嬉しかったのです。在りし日の活発な母が戻ってくるようでした。でも次第に母の身体はもっと動かなくなりました。呼吸器をつけても病態の進行は止まず、残酷なマーチのようにどんどん進んでいくのでした。

しかし、備えあれば憂いなしといいます。実は切開前から私たちはテレパシーの訓練を始めていました。何も知らない母は冗談めいたゲームと思って面白がっていましたが、私と妹は真剣でした。テレパシーだけでなく、瞬間空間移動やその他の非科学的な訓練も試してみました。  

短い昼寝の後、母はロンドンの私の家の前まで行ってきたとか、さっき練馬の貫井にいたなどと報告してくれました。都立神経病院でも母は瞬間空間移動の訓練を娘たちにさせられていましたが、期待に応えるように病院をあちこち回ってきたなどと言っていました。私は母の超能力の可能性を探りながらも、実はTLSになどならないという証拠や確信が欲しかったのですが、どうやって母を究極の孤独から救済しようかなどとその手段についても同時に備えていたわけで、いろんな考えが錯綜していた時期でもありました。

また、TLSになってもイエス・キリストとなら会話できるだろうと私は思いました。それで母にも信仰を持って欲しいと宣教師に訪問していただいたのですが、宣教師はあきらめることばかり諭すので、母は生きて闘うためにキリストが必要なのだと跳ねのけてしまいました。私とて信仰が必要な時期でしたが、病を受容できず信仰も持てないことを負担に思う母を見るにしのびず、それ以後は訪問をお願いしていません。ただ、敬虔なクリスチャンの叔母が、毎週金曜日にうちに来て慰めてくれたのが救いでした。身勝手ながらもALSの家族にとっての善ある行為とは、連続して行われることと確固たる信念のないこと、押しつけがましくないことなどです。こうしてあげようとか、あなたたちのために、とやってくる人には母は不機嫌をあらわにしましたが、家族も同様に外部の人に対して怯えていた時期でもありました。

 

◆ その後

 

母の生活史はTLSになった今も続いています。どうも母には人の心に直接訴えかける力が与えられたようです。それは逆らいがたい波動をしていますので、母のTLS後の方が私はむしろ母の言葉を聞いているくらいです。だから在宅ではTLSの人でも、ただ静かに今までどおり何も変わらずに居るということがごく普通になされていきます。

それはTLSの人が植物状態だと表現されたりする環境とは違い、家族や親しい人たちの中ではTLSの人も、かけがえの存在として以前からの役割を保ったまま共に暮らしていけることを証明しています。

 

ただし、そうなった人の介護は身内より他人の方が適任なのではと最近思うのです。家族は身内が生存しているという事実だけでけっこう満足してしまうので、十分に本人のニードをつかんだ介護がなされなくなる心配があるからです。家族という関係性の中では、コミュニケーションは副産物であっても不可欠なものではないのかもしれません。母の手を握って、たとえ一方通行でも話しかければそれでこちらは気が済むのです。母との会話を蘇らせようとして発売されたばかりのマクトスを購入し試しましたが、すぐに効果が出るわけもなく、母の額が冷たく汗ばんでいくのに耐え切れず、早々に諦めてしまった経緯があります。こういう時、娘とはある意味残酷です。もうかわいそうだからこのままでいいと思ってしまうのです。

このように家族の愛情は逆に患者の可能性を阻み、存在するだけでよい命に祀り上げてしまう場合があります。私は自分の悲しみを操縦するのに必死で、母の残存能力を磨くことを早く諦めすぎたかもしれません。しかし、言い訳ですが、どんな言葉も母の身体に吸い込まれてしまって戻ってこなかったのです。また、たくさんのイメージが母の頭上、宙に浮かんでいるようでもありました。母はそこで確かに私の声を聞いているはずなのに、私の言葉は宙を切り母の言葉はその身体に篭るばかりでした。しだいに諦めが多くなり、母を独り放置してしまったのでした。ロックトインに挑むなどその方法も術も味方も少ないのですから、娘の私はただベッドの傍らに佇むばかりで何もできなかったし、悲しくて次第にそばにいることすら出来なくなりました。

いまさらながら母の脳を緻密に調べて、それで何か分かることがあれば対処してみたいと思うのですが、母の救済をと呟きながらも、ではどうやってそれを行っていけばよいのかが分かりませんでした。TLSの人が昏睡しがちにならぬよう脳を常時刺激し続けるためには、それまで以上に誰かがそばにいなければならず、家族がそれを担えば、無償の労働をし続けることになり自分たちの生存権が脅かされます。また、患者がTLSになれば家族は体力的には格段に楽になりますが、精神的には追い込まれ、放心や脱力、PTSDのような精神状態も出てきます。だから、患者のためだけでなく家族や介護者のためにもTLSのための特別な介護論は必要で、それをきっちり遂行するためには長時間連続した他人介護力がどうしても必要なのです。

TLS後、母のケアは突然すごく単純になりました。時間通りに寝返り、吸引、胃ろうからの食事注入、おむつ交換などをすればよく、文字盤も通訳もいらなくなり、叱られたり絶望されたり泣かれたりすることもなく、平和すぎるほど静かな介護になりました。しかし、本人のためにはもっとすべき事があるはずです。介護者は必ず母の耳元で話しかけるようにしていますし、父も時々母に何か話しかけているのを見かけますが、双方の心境を思うと切なくなってしまいます。

 

◆ どう捉えるか

 

TLSから逃げられないと分かった頃、私は母の内面には到底触れられなくなるだろうと察して、どうしたらよいのかわからなくなり書物に答えを見つけようとしました。当然、生命倫理とか尊厳死などという言葉が目につくようになりました。そして、他国の様子なども分かってくると尊厳死が合理的で悲しみを事前に回避するよい方法のようにさえ思えてきたりもしました。母のTLSに先手を打つための思想を私は探していたのです。

『葉っぱのフレディ』や『モリー先生との火曜日』など、人の死が自然の営みとして描かれたものを読むと「うちの母はなんて度胸がないのだろう」などとも思えました。ただ、よく考えるうちにそれらのどこかが変だといえば変な気もしてきました。人の死と葉っぱが落ちることとが同じであるはずがないのです。人類の英知や努力は医療にこそ結集され実現されるべきはずなのに、なんで人が葉っぱのようにさっさと散らねばならないのか。また、モリーは覚悟ができた人のように描かれていますが、今幸せなのになぜ死なねばならないのだろう。妻や教え子や友人たちに囲まれ、ALSになっても十分に幸せなはずなのになぜモリーは死を選択するのだろう。そう疑問に思うようになりました。

人は都合よく考えたい生き物なので、人も自然の摂理の一部だとすれば迷うことなく後続に続く者たちに場所を空けられる、死を受容できるはずだと思いたいのでしょうか。でも、そう簡単に捨てられる命などはなく、死は誰にだって想像するだけでも怖いもののはずです。

そして童話の中で人が葉っぱに例えられたとしても、私の知る限りALSの人の命を左右するのはたいてい医師や家族のようです。呼吸器選択でさえ自分だけの意思や都合で決定できる人など少数です。ALSの人はどうしても周りを見回して決めたり、回りに決められたりするからです。

そのように、生きるにしろ死ぬにしろ、ALSの人の生死の査定がいまだに他人の仕事だったり、本人以外のものの影響を強く受けざるを得ない状況で、TLSの症状だけが広く社会に知られるようになれば、尊厳死の議論が未熟なまま放置されてきたのに突然偏った理屈だけが先行したり、安易に欧米の死生観に追従する医師が出てくるのではないかと心配が募ります。呼吸筋麻痺がターミナルとして認識されてきたALSで、その対処としての人工呼吸器装着でしたが、TLSの症状に対処できるテクノロジーがまだ完全な製品として手に入らないのですから、TLSの症状の流布はALSの人の呼吸器装着決断に影響を与えないでしょうか。TLSからの救済策を探ることのほうがもっとも必要な事なのですが、それは困難なので(と決める主体は本人ではないのですが)救済策の代替として「TLSよりは安楽な死」を勧める傾向が出てくるのではないか。この気持ちは、ALSの告知以来、医療倫理の曖昧さのために様々に翻弄させられてきた患者の娘の杞憂なのかもしれませんが。

 

◆ 生存の価値

とにかくいろいろなことがありました。

そして、母の目はぴたりと止まりTLSと呼ばれる状態になって、もう4年も経ちました。しかし私は母の念と無言の意志に逆らえず、いまだに母に育てられている感が強いのですが、そんな母のような人たちに対して尊厳死だとか安楽死などが囁かれるのです。

尊厳死とは何か。哲学者の清水哲郎は次のように記しています。

尊厳ある死の定義 ------------------------------------------------------------------------

「尊厳ある死」(Death with Dignity −本来の意味での「尊厳死」) とは、人間としての尊厳を保って死に至ること、つまり、単に「生きた物」としてではなく、「人間として」遇されて、「人間として」死に到ること、ないしそのようにして達成された死を指す。

こう理解するなら、「尊厳死は倫理的に許されるか」と問う必要はなく、定義からいって尊厳死は目指されるべきこととなる。i.e. すべての死は尊厳死であるべきなのである。i.e.これは目標ないし理念をあらわす概念である。

これに対して、「尊厳死を実現するにはどのようにすればよいか・するべきか」が問題となる。ことに「死」以外に人間らしさを保つ方途がないと判断される場合に、意図的に死をもたらすことが「安楽死」と呼ばれる。(清水哲郎「哲学する諸現場」http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/index-j.htmlから引用)

この定義に従うのなら、「誰もが目指すべき尊厳死」のために、TLSの人は「どうすればよいか」という方法論の問題化がまずは必要なのだということになるのでしょうが、自宅で療養中の母は当然人間として遇されているし、「死」以外に人間らしさを保つ方途がないというような状況ではないので、尊厳死の議論自体が要らない、関係ないということになります。私はそのように言い切ってやり過ごすことを繰り返してきましたが、どうもすっきりせず論理的に母の命の価値証明ができたらどんなにいいかと思ってきました。そのように、QOLでは到底図りきれない母の命の質をどう理解すればよいのか考え続け、SOL(尊厳ある生)の言説を知ってもまだなお、私にはただぼんやりとしか見えてきませんでした。しかし他のご家庭では、たとえTLSの人がいても当たり前に明るく生活できていることもあるのです。たとえ、どうしてこうなってしまったのか腑に落ちないと思っていたとしても、多くのご家族は顔にも言葉にも出さない。それが私にはどうしても理解できず嘘っぽく見えた時期もありました。実はまだ当人の心の真実はどうなのだろうとグルグル考えています。そして、もし人間として遇されていないTLSの人がいるとしたら。そう思うと悲しくなってしまいます。 

社会学者の立岩真也は私たちのそんな困惑に答えるかのように、著書「私的所有論」(第5章4節P195~204)で生存の価値について考察を重ねていきます。生命倫理の幅の中で、母のような人と同じくその生存の価値について問われることの多い誕生時の命についても、「どこからどこまでを人の生とするのか」「奪ってはならない範囲とするのか」「その絶対的な基準の設定は無理だ」といい「私が違和感を感ずるのは「人間」を特徴づける属性の有無によって判断すること」という立岩は「そのものに委ねるしかないという判断自体が倫理的な判断なのだと思う」といいます。さらに「質において劣っているとされてしまうものが生存しなくてよいことを意味しない。ところが、そこにつながってしまう。とすればこれは、粗雑な議論であり粗雑な対立図式である。」と、母のような生き方が生存の資格がないように言われてしまうことを批判し、立岩はさらに所有と資格について丁寧な論考を行い、「論理的な必然性はない。」「論理で演繹されるものではないから現実を知る必要がある。」と進めていきます。「実際に社会に現れた実践から検証する必要がある。」というのです。

確かに生命現象はすべてが哲学や倫理や法などで整理できる質のものばかりではなく、論理的に普遍化しようとすれば粗雑になっていくものがあるようです。ただ個々の事実は誰にでも見える現象としてそこにあるのだから、それが物語る真実だけは同等に共有し、それぞれがそれぞれの思惑や感情(それらはたまに合意を否定する)を持ちながらも同じ方向(対象の最善)を見つめることはできるはずです。だから、その個々に現れた事象について私たちはゆっくり検証していけばよいのだと思うようになりました。そのようにして、さまざまに在る人の生存の価値を問えば、その答えは現実の命の営みの中にのみ個別に見出されて、個別に価値が与えられていくしかないのではないか、と思うのです。

◆「あなたが病気になっただけで、病気はあなたじゃないので

病気はあなたの一部だけれど、けっして全部じゃないのだから」橋本操

 ALSになってからの母とは清里に一回、八ヶ岳原村のペンションに3回、そして近場では新宿御苑や新井薬師、哲学堂の桜並木などを見にいき思い出をたくさん作りました。そしてTLSに至った今も母の人生はそのまま一筋に続いています。母のライフスケールの中で起こったこれら一連の事がらは、母を規定し限定するような決定的な事件ではありませんでした。それだけは、確かにそうだと証言できます。ALS患者の橋本操が言うように人は本来の死を迎えるまでは、どんなにショッキングな出来事もその人の人生の一部でその人の全部で

はないようにできるのです。だから、母本人がどう思っているのか確かめる方法がない今、母本人の気持ちは密閉されていてどこからも見えませんが、必ずそこにあるはずですし、また、私自身のために私がそうだといえば、母は今TLSの人ですが、TLSそのものではないと言えるのです。そのようにいうことで、TLSの人の存在価値を証明できたと言えるかどうかはわかりませんが、TLSも現時点で捉えることのできる確かな生命現象のひとつの形であることに間違いありません。TLSだけでなくその存在の価値がわからなくなるほど弱々しい人も、他者から存在を承認されている間は存在し続けることができるはずの命そのものとして再生されています。そして、命そのものであるのだから、それは尊ばれ価値あるものとして単純に認識することができますから、その人の一部である病状が持ちだす悲痛さえ何とか切り離してしまえば、このような人の命についてそう複雑にいろいろ考え込まなくてもよくなっていくのです。私たちは病理が持ちこむ不幸な雰囲気に飲まれ惑わされてしまうのですが、ただ単純にそういう人たちと互いに存在することの喜びを分かち合えばよく、何もわざわざ命の価値や尊厳などを考える必要はないのだということにもなります。しかし、人は自分が接する事象や他者との関係性にとにかく何か理由が欲しいのです。わけもなく信じたり、わけもなく持続させたり、わけもなく接続させられていることは、気分的に難しくどうしても決着したり決定したり定義したりしたくなる類のことなのです。

その気難しさの原因は、たぶん他者の決定に従うほかないその弱々しい人の見えない自己決定を尊重したいがための迷いであり、他者の命へ深く介入してしまうことへの嫌悪、決めたいくせに決めてよいのだろうかという自らの身勝手さへの迷いです。その命を大事だと勝手に言える私は苦痛もなく、その人の存在の喜びや価値を享受する主体は本人ではなく他者である私なのですが、本人の密閉された意思はこちら側からは見えないのだと無意識にすまなく思って、心が咎められるのです。だから、胎児の思い、TLSの人の思い、脳死の人の思いについて、いろいろ想像をめぐらしてみても、私たちには本当の彼らの気持ちがどうやっても見えないのだから、仕方なしに、本人に確認することもできずに決めていかねばならない他者を演じ続けること、その苦悩がたぶん、「基準を設定したくなる」気持ちの根底にいつもあるのだろうと思います。

 

◆ 先取りする不幸

 

近未来の展望が予測よりもかなり暗い場合、人はなぜか今の明るさを忘れてしまうのです。今幸せならその幸せは当面は続くはずであるのに、暗い未来を予告された瞬間から突然不幸になってしまうのです。私はこの感情の発生を不思議に思いながら「先取りする不幸」と名づけて呼んでいました。

たとえば治らない病を告知された途端、環境も体調も人間関係も何もかも外因的な変化はひとつもないのに、人は一瞬にして不幸になってしまうのです。それは絶望と呼ばれる感情の類型なのでしょうが、今の生活の明るさを見失い、まだ見えない将来の心配を始めてしまうのです。当たり前のことのようですが、つきつめて考えると仕組まれた本能のようにも思えてくるのです。そのようにして、先取りされた不幸は現在の幸福を湿潤していきます。

また、自分と他者との関係性においても、自分のためでなく他者のためにまで人は不幸を先取りしてそれに「備えよう」とさえしているのです。理由なくただ単に他者が存在することがどうしてこんなにも受け入れ難いのか、放っておけないのか、決着をつけてしまいたいのか。疑問はまだまだ沸いてきますが、これらのことは病弱な人や障害者やその家族の生活の中に日常的に発生しています。私が母の予後について知ってしまった時におこなったいくつかの予防的予備的措置、民間療法やリハビリやテレパシーの訓練や宗教的介入、母にさまざまな覚悟をさせることなどすべてがこれに当てはまります。その時はまだ母は言葉も発せましたし、何より元気でALSでも生きる希望を持つことで母なりに自律し「備えよう」としていたのです。しかし、私はほんのちょっとだけ病気について母よりも知っていたので、そのために今の状態に満足できず、母よりももっと備えねばいられなくなりました。

母は私でなく私の他者です。それなのに他者である私は母に対してそれだけの介入を行いました。そして、「備え」がうまくいかないと分かった時、思いついたのは平和に楽にしてあげるために母の生にもっと介入することでした。人はこのようにして、他者によって何かにつなげられてしまうことがあるのです。ちょっとだけ先を知っている者である他者が、先取りした不幸に「備えるため」に善意によって介入が行うことがあるということ、その事実についてそれが現れる場や現れ方、その接続先について調べる必要がありそうです。そして、その作業の過程で私もまた自分の介護を振り返り、無意識のうちに私が母のためにしたことと私のために母にしたこととをきちんと分離して整理していかねばなりません。

 

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◆参考資料

雪の夕べ森のそばにたたずんで             ロバート・フロスト


この森は誰のものか わたしにはわかっている。
でも その人の家は村にある。
おそらく彼は見ていまい、わたしがここにたたずんで
雪に埋まった森を あかず眺めているのを。

わたしの馬は けげんなようすだ。
一年じゅうでいちばん暗いこの夕べに
近くに農家のかげも見えない
凍った湖と森のあいだで止まるのが。

馬は鈴をひと振り鳴らし
まちがいではないの と聞いている。
そのほかに聞こえてくるのは
かすかな風に 雪ひらの舞う音ばかり。

森はやさしく 暗くて深い。
でも 約束のしごとがある。さあ、行こう、
眠るまでにまだ何マイル、
眠るまでにまだ何マイル。

 

 

◆参考文献未整理、追加あります

ロバート・フロスト『Stopping by Woods on a Snowy Evening 

レオ・バスカーリア19981022 『葉っぱのフレディ』 童話屋

ミッチ・アルボム19980925『モリー先生との火曜日』 NHK出版

神谷美恵子1982-8『生きがいについて』 みすず書房

清水哲郎 19970530『医療現場に望む哲学』 勁草書房

     20000801『医療現場に臨む哲学U』ことばに与る私たち 勁草書房

『哲学する諸現場』http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/index-j.html

『尊厳ある死・安楽死の概念と区分』

http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/euthanasia/euth-def.html

小泉義之 19970811『弔いの哲学』河出書房新社

     2003-3『レヴィナス なんのために生きるのか』日本放送出版協会

森岡正博 1989-3『脳死の人』 東京出版

現代思想 2003-11『争点としての生命』 青土社

立岩真也 20001023『弱くある自由へ』 青土社

     19970905『私的所有論』勁草書房

     『arsve.comhttp://www.arsvi.com/index.htm

宮坂道夫 『ALS医療についての倫理的試み』

http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/place/ALSpaper.html

橋本操  19990108『闘えALS』さくら会のHP http://www31.ocn.ne.jp/~sakurakai/

川口有美子『welcome to Aji’s room !http://homepage2.nifty.com/ajikun/

その他、ALS患者さんのHPなど