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 難病や呼吸器ユーザー 必携の書!  

不動の身体と息する機械

立岩真也

2004.11.15,医学書院,449p. ISBN:4-260-33377-1 2940円(税込)


川口論文における引用部分 

<障害受容>
「障害受容(ができなていない)」といった言葉が障害者本人たちにどんなに嫌われているか、知らないで、あるいは知っているが、「対人サービス」の職の人たちはこの言葉をよく使う。111
 
「受容」に収斂する図式のとおりではなく、そしてその要素すべてが一人の人に揃っているのでもない―のだが、そのいくつかに対応させることもできよう。 112
 
ひとつには、ALSであることを否定しようとする。診断を「誤診」だという。別の診断を受けようとする。
 
つまり、QOLの低い生よりも死が選ばれることは当然のこととされる。少なくとも選ばれた限りにおいて支持される。そして、QOLが低いという現状あるいは、将来の見込みは、その人について現実的に可能と想われる範囲に限定される。少なくとも固定されても仕方ないとされる。そしてQOLが高いとか低いという判断はしばしば観察者によって先取りされているように思われ、同時に他方では、その人の自らの人生の価値のなさについての判断をそのまま追認してしまうのである。138
 
<家族介護/家族の選択について>
 
家族の負担が前提とされるなら、家族は最大のそして深刻な利害関係者になる。
家族は不当にきびしい選択を迫られることになる。その人たちだけに委ねるのは、医療だけに委ねるのが危険なのと同様に―その理由は異なるにせよ―生きていくうえでは危険だということだ。ゆえに少なくともALSについて、本人の利益を理由とするなら、本人に知らせず、家族に知らせることをすべきではない。138−139
 
利害関係者だから、決定に参加させるべきである、のではなく、利害関係者だからこそ、そのことが当人に不利益をもたらすような場合には、その決定から外すべきである。139
 
<告知の問題>
少なくともALSの場合には本人が知ったほうがよい。しかしそれは、知った上で、家族に厳しい状況がもたらされることなく生きていける条件とともにでなければならない。この条件がない場合には、家族に知らされるにせよ、本人に知らされるにせよ、両方同時に知らされるにせよ、ただ死期が近いことが知らされるつらさとは別の質のつらさが知らされる側にかかってしまうことになる。142

家族に他の人たちより多くの責任を嫁すことは、現実の法律がどうなっているかと別に、できない。(立岩[1992])141

  


up:20060711