障子のある家

「障子のある家」 昭和5年8月

 

ひよつとこの面

 納豆と豆腐の味噌汁を食べ、いくども張りかへて

もやぶけてゐる障子に囲まれた部屋の中に一日机

によりかゝつたまゝ、自分も間もなく三十一になるこ

とが何のことなのかわからなくなつてしまひながら

「俺の楽隊は何処に行った」とは、俺は何を思い出し

たのだろう

此頃は何一つとまとまったことをかんがへず、空腹

でないのに飯を食べ。今朝などは親父をなぐった夢

を見て床を出た、雨が降ってゐた。そして、酔って

もぎ捕って来て鴨居につるしてゐた門くゝりのリン

に頭をぶっけた。勿論リンは鳴るのであった。この

リンには、そこへつるした日からうつかりしては二

度位ゐつづ頭をぶっつけてゐるのだ。火鉢、湯沸し、

坐ふとん、畳のやけこげ、少しかけてはいろが急須と茶

碗と茶ぶ台にのってゐる。しぶきが吹きこんで一日中縁

側は湿つけ、時より雨の中に電車がゐるのが聞こえた。

夕方近くには、自分が日本人であるのがいやになった

やうなやうな気持ちになって坐ってゐた。そして火鉢に

炭をついでは吹いてゐるのであった。

 
 
 
   

三月の日

昼頃寝床を出ると、空はいつもの太陽が出ていた。

何んといふわけもなく気やすい気持ちになって、私は顔を洗らはずにしまった。

陽あたりわるい庭の隅の椿がニ三日前から咲いてゐる。

机のひき出しには白銅が一枚残ってゐる。

障子陽ざしが斜になる頃は、この家では便所が一番に明るい

 

 

     

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