尾形亀之助 ホリー・ガーデン 江國香織


尾形亀之助の詩が引用されているページ[カステーラの夜」より

篠原の愛車で井の頭通りをまっずぐに帰る。ラジオのジャズが怠かったので、

果歩はチュウーナをくるぐるまわし,結局聴きたいものがみつかからまま、つ

まらなくてスイッチを切った。窓の外を灯りの消えた商店街が流れていく。

「一人一人がまったく造花のようで。手は柔らかくふくらんでゐて,しなやかに夜気が蒸れる」

「””””なんだい、それ」

「でたしのとこ」

「””””へえ」

興味がなさそうに相槌をうった篠原の、ハンドルを握る長い指。果歩は、きょう、中野は

どんな格好しているのだろうと考えてみる。何色のシャツ、何色の上着を着ているだろう。

そしてその格好をした人物が、部屋の前に立っているところを思い描く。立っているところを、

しゃがんでいるところを、ドアに凭れているところを

「この詩のおしまいは、これは、カステーラのように、つて」

果歩はサイドミラーにうった自分の顔を見ながら言った


「日一日とはなんであるのか」より

お盆を持つまま再び女友達をまたぎ、またいた格好で仁王たちになったまま果歩は下を見おろして言う。

「一日、っていう詩を知っている?」

オーデコロンエルメスは背筋力のテストみたいに上半身をおこしてねじり、不審そうに果歩を見上げると、

知らない、とこたえてまた雑誌に眼をとおす。

「頭に紅茶をこぼさないでね」

そのままの姿勢で、うつぶせの背中でそれを聞く.暗誦が済んでも口にすべき感想の持ちあわせがなかっ

たが、少なくともむそのあいだ、雑誌のページを繰る手をとめていた。

君は何が用が出来て来なかったのか

俺は一日中待ってゐた

そして

夕方になったが

それでも暗くなっても来るかも知れないとおもい待ってゐた

待ってゐても

とうとう君は来なかった

君とむ一緒に話ながら食はあとおもった葡萄や梨は

妻と二人で君のことを話ながら食べてしまった。

「おもしろいでしょう」

ほんと、と、オーデコロンエルメスはいった。

「同じ詩人の詩ににね、日一日とはなんであるのか、っていうものもあるのよ」

果歩は言い.起き上がった女友達と向きあがって、なめらかなインド風紅茶をのんだ。

「果歩,ほんとに詩が好きなのね」

にっこり笑ったオーデコロンエルメスの,屈託ない笑顔は果歩を満足させる。

詩は普通の会話より簡単だものと、と思った


あとがきより

小説のなかで引用について書いておきます「愛の桃」のなかで果歩が゜読んでいるのは,

ジェイ・マキナニーの[ストリート・オブ・マイ・ライフ」、果歩が始終暗誦する詩は尾形亀之助さんの詩です

尾形亀之助さんは昭和のはじめのころの詩人で,たとえばこんな詩を書いた人です。

愚かしき月日

夕方になってみても

自分は一度召しに立つたきりでそのまま机によりかかって煙草をのんでゐたのだ。

そして 今

机の下の蚊やりにうつっかり足を触れて

しんから腹を立てて夜飯を食べず寝床に入ってしまった

何もそんなに腹を立てるわけもないのに

こらえきえない腹立しさはどうだ

まだくれ暮れきらない外のうす明かりを睨んで

ご飯ですーーーと妻がよぶのにも返事をしないで自分を投げだしてゐる態は...

俺は

「こんな男がいやになった」と云って自分から離れてしまいたい

 

果歩同様。私もこの人の詩が好きです                   

一九九四年 夏の終わり       江國香織              .

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