既成のマンガ・ドラマ・映画作品のパロディというものを作ったことがある人、それもできるだけ原作の設定に沿ったパロディ作品だった場合、多分わかるんじゃないか、または無意識にやっているんじゃないかと思われることがあります。
それは何かというと、キャラ設定の「ダイジェスト化」、別の言い方をするなら「大胆な省略化」です。
特に同人誌などに載っているような短めのお笑いパロディは、原作の様々な設定のほんの一部分を切り取って作られるのがフツウです。※ 尚、原作の設定を根底から無視したタイプの作品(原作がノーマルなのにやおいになってるとか、とにかく原作の性格設定や相関関係を完全に無視してるような作品)については、今回の話からはとりあえず除外させていただきます。
一般に、あるキャラをそのキャラらしく見せつつ大胆な省略をするためには、どうすれば良いのでしょうか? ……大体おわかりかと思いますが、それは
「もっともそのキャラらしい“核(コア)な部分”を、まずしっかり押さえる」
ということですね。その“核”になる部分というのは、逆に言えば「それがなければ、そのキャラらしさが出てこない部分ということになります。
パロディの中で、そのキャラにまつわるたくさんの背景設定を全て網羅することは普通はできないワケですから、キャラをよく知っている人たちに楽しんでもらおうと思ったら、手っ取り早く「ここを押さえとけばこのキャラっぽくなる!」という部分を絞ることが必要です。そしてそれは同時に、
「描かなくてもこのキャラらしさがなくなることはない」というような部分を、省いたり削ったりする
ことでもあります。このため私は、特に原作者自身が描くパロディの場合、
「そのキャラの主旋律とも言うべき設定が、必然的に残され且つクローズアップされるのではないか?」
と考えてみました。私のようなファンが描く場合は、いくら原作に忠実なつもりでもやはり好みによる色眼鏡が発動する可能性は高いと思うのですが(笑)、原作者自身が描く場合、それも原作とは異なる設定の場合は、上記の傾向がよりハッキリ見てとれるんじゃないかなあ、と。何故なら、
原作と異なる状況設定にしているという時点で、キャラの持ち味を活かすために最低限必要な要素=主旋律の部分というのは、自動的に限られてくる
と考えられるからです。
そう考えた上で、タム先生自身が描かれた「BASARA」のいくつかのパロディを見てみると、なかなか興味深い事実に気づくんですね。
まず、朱理と更紗。
この2人はある程度のP数のあるパロディでも、ほんの1P程度のささやかなパロディでも、2人同時に出てくるときは、ほぼ大体らぶらぶに描かれます。(27巻に載ってた4コマはスルーして下さい(笑)。いや、あれも見ようによってはらぶらぶの延長ですけども。夫婦になって子供まで作った後の光景ですし(^^;))
これはつまり、2人の中核となる設定、“これあってこその2人”とも言うべき設定が「らぶらぶのカップルである」、ということの証でしょう♪ まあ、主役2人のラブストーリーは「BASARA」の物語の骨幹の1つでしたから、これは当然と言えば当然なのですが。。。それでも、こういう風に改めて分析できると、嬉しかったり(笑)。
しかも更紗は、ボケボケなおっとりムスメに描かれることが多く、特に朱理の前だとドキドキして頬を赤らめちゃうような、かな〜り可愛い女のコモードになってます。(この場合も、27巻のあの4コマはスルーして下さい。←しつこい(笑)) 朱理のアプローチに対しても特に抵抗するでもなく、素直にトキメイてくれてます。これが真に彼女の「主旋律」であるなら、朱理ファンとしては、本当に、ヒジョ〜に!!喜ばしいことなんですけども(笑)。
ここで1つ、上の件について参考になるかもしれないお話をいたしませう。かつて「KANATA」前編が別コミ(当時)に掲載されたとき、タム先生はまだ稼働中だったご自身のサイト『たむたむこむ』の中で、同作品について、
「更紗がとっても女のコしてる(いつもそうだけど)」
といった意味のコメントをされてらっしゃいました。このとき私は「ああ、わかる、わかる」って、すごく納得して頷いてたのを憶えています。
上のコメントから、タム先生の中では「朱理の前でいじらしい女のコしてる更紗」というのは「更紗のデフォルト(初期設定)の姿」としてある程度意識されてるらしい、ということが伺えました。ちなみに私がこのとき「すごくわかる」って思ったのは、当時まだ「BASARA」のパロディには全く手を着けていなかったものの、もし私が更紗を主旋律に沿って描くとしたらやっぱりそういう風になるだろう、って直感的に感じたからです。まあ、そんな大仰な言い方をしなくても、私と同様のイメージを抱いて見ていた読者はたくさんいると思いますけどね(笑)。
この記憶が貴重だと思うのは、外伝「SARADA」辺りでは、更紗ってば正直言って朱理よりもずっと勇ましい表情してたりするからなんですよね〜(--;)。後の方になるにつれ、更紗というとその手の印象ばかり見せつけられた感があるので、「更紗の主旋律はこれでいいんだよね?だよね?(><)」という再確認をせずにはいられなくなるのです。もうそれこそ、藁をもつかむ思いで(苦笑)。
別に必ずしもいじらしくなくてもいいんですけどね。「KANATA」で「朱理 朱理(*^^*)」と甘ったれながらしがみついたときのような、ちょっと艶のある♪モードが主旋律になってくれても、それは違う意味ですごーーーく有り難いのですが。タム先生、そっち方向に成長させてくれる予定はなかったのかしら。。。( ̄・ ̄)願望
一方の朱理は、更紗とのらぶらぶ以外の部分では……何というかミもフタもない言い方をすれば、ハッキリ言っていかにも「単純バカ」っぽく描かれてますよね(苦笑)。とても前向きな表現で言い換えるなら「奔放で楽天的」……とでも言いましょうか(^^;)。あと「女のコに手が早い」というところかな。実は思ったほど、自信家とか傲慢とかいった部分は強調されてないような気が。
となると、朱理の性格上の主旋律っていうのは、さしづめ「どんなときにも前向きなエネルギー」「スケベ」といったところになるのかな?(^^) ……すみません、こう並べると何か、前向きなエネルギーが全てスケベな方向に注入されてるような印象が(汗)。気をつけます(--;)ゞ。
さて、朱理と更紗の話題でここまで引っ張ってきたので、いつも通り(笑)この2人のネタに終始したまま終わると思ったそこのあなた! 甘いです(笑)。今回は実に珍しいことに(笑)、メインに語りたいのはあの2人の話題ではないんですね。だから『蘇芳通信』なんです。(あの2人のみの話題だったら、『東雲離宮の夜』で語ってたと思います)
私が【パロディに見る主旋律】と題して最も語りたかったのは……浅葱と揚羽のことです。特に浅葱。
浅葱と揚羽といえば、朱理を含む「BASARA」男性キャラ主要御三家として、更紗をぐるっと取り巻いてたお2人。恋愛感情として相思相愛だったのは朱理と更紗ですが、この4人は基本的になかなか複雑な四角関係を構成してた感がありますよね。浅葱は、更紗ではなくタタラという条件がつくものの、一応本気で彼女に惚れてたワケですし。
しかーーーし!!!
私が上で語った理屈に照らしてパロディ作品を見てみると、極めて明解な事実が浮上してきます。それは何かと言うと。
もし、原作者自身によるパロディ作品の中で描かれるのが、そのキャラがそのキャラであるために必要不可欠な主旋律部分であるとするならば。そしてその前提に立って、「BASARAN」2,3に収録された『私立ばさら学園の夕暮れ』『みんなでゲームをやったなら』と『納涼紅白歌合戦』という、比較的長めの異世界設定パロを見てみたならば。。。いずれの作品においても、
揚羽と浅葱は、更紗とは直接関係を持っていない
のです。
揚羽の場合、保健室の先生みたいな傍観者だったり、直接関係を持たないグループの一員だったりして、他の年増系キャラ(笑)とツルんでいます。学園物ではナギ先生と一緒にいましたが、他2作品では四道ちゃんと一緒ですよね。しかもいずれにおいても、更紗とはさほど直には絡んでこない。
そしてもっと面白いのが浅葱です。朱理との絡みはあるのに、更紗との絡みがない。那智との絡みだってあったのに。そして何より、必ず一緒にいるのが、言わずとしれた群竹さんなのです。
それってつまり、
「異世界設定でパロを作るとき、揚羽と浅葱、彼ら2人の主旋律には必ずしも更紗は必要ない」
ということになるんじゃないかな?と(笑)。
勿論、パロにする時点で、大事であっても省かなければならない設定というのも少なくないと思います。あの2人にとって、更紗との関係が一言では語りきれないほどウェイトの高いものであったことは、疑う余地はありません。でも、それでも。「そのキャラを描くために、どうあってもなくてはならない部分」だったら、それはやっぱり残されると思うんですよ。
物語における彼らの役割を忠実に表現しなければならない場合は、更紗との関係への言及は不可欠だと思います。でも「BASARA」本編のドラマにおける立場や役割に縛られることのない異世界パロの場合、最も必要になるのは、
【そのキャラのアイデンティティに関わる部分】
だと思うんです。
異世界設定のパロを描くとき、浅葱のアイデンティティを表現するのになくてはならないのは、「更紗(タタラ)との関係」よりも
「朱理との確執」や「群竹との主従関係」
であり、また揚羽のアイデンティティを表現する上で最も基本になった事柄は、
「四道との関係」そして「更紗から見た場合“周縁”に当たる場を往来し、そこで独自のネットワークを築くこと」
だったのではないでしょうか。
これはあくまで、上記の前提条件が妥当と仮定した上での、私の個人的見解です。色々反論も出るかもしれませんし、「浅葱はどう考えても朱理との確執より、白の王との関わりの方が強いのだからこの前提条件は必ずしも当てはまらない」という考え方もあるんじゃないかと思います。
でも例えば、1人1人の個性に合わせて各キャラが好きそうなゲームの種類をあてがってみたパロ作品『みんなでゲームをやったなら』を見ても、朱理と更紗ですら絡んでいないというのに、浅葱と群竹は絡んでたりするワケです(^^;)。これはもう、彼のアイデンティティの表現においては、「群竹の存在」は何をどうしようが必要不可欠、といってヨイのではないかと(笑)。
「BASARA」のDVDの付録の小冊子には、
『出張たむたむたいむ アニメ終了記念座談会?』というミニ漫画が載っているそうです。これは元はLDのライナーノーツに載っていた漫画がDVD化に当たって再録されたもので、「BASARA」のアニメが終了して、キャラが感想を言っているという設定です。
あかねはこの漫画を、当サイトのご常連である浅葱ファンの
はにーびぃさまから見せていただきました(^^)。以下、内容をちょろっとご紹介いたします。絵は基本的にパロディ調です。
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まずしょっぱなから不服そうな浅葱が登場。自分の出番が少ないことに不満を漏らしているのですが、これまた不服そうな朱理に「出すぎなくらいだ ふん」と文句を言われ、「なんだよ ハゲ」と応戦。挙げ句の果てに
「もっとおまえを
いたぶったりいたぶったりいたぶったり
したかったのに 残念だなあ」
と言う始末(ここだけ美しい8頭身ヴァージョンのアップでしたよ(笑))。
一方、オレはかなりいたぶられたと言う揚羽に「喜んでたくせに」と突っ込む四道ちゃん。ちなみにアニメを見た方なら誰しもが四道ちゃん1人が異様に特別扱いされてたのをご記憶だと思いますが、それに対して彼は一言
「人徳(^▽^)」と。。。(おいおい)
それから「もっと出たかったみなさん」として脇役の方々がずらっと並ぶのですが、「いえ わたしはべつに…(^^)」と1人余裕をかましてるのがナギでした。(黒幕は表に出ないってか?)
そして、座木に腕をもませながら茶々が「おや ところであの2人は?」。
あの2人とは、「BASARA」主役の2人のこと。何をしてるのかと思いきや、新橋や朱鷺と一緒に温泉に入り、ハートマークを飛ばしまくって
いちゃ いちゃ (←ほんとにそう書いてあった)
と。。。
菱形お口の朱理は何気に更紗に手を伸ばし、更紗は更紗で頬を赤らめながら、手で胸を隠してるクセにヤケに嬉しそうな顔して
「いや〜〜ん 見ないで(*^^*)」
…………物語の方では、そんな楽しげな顔してなかったぞおおおぉぉぉぉぉ!!!
衆人環視の中でいちゃいちゃする2人を眺めながら、外野のセリフ。
「また 入ってるよ」
「赤の王なんて 船を沈めた以外は
風呂に入ってただけだったよな」
そして次のコマ、テロップのように文字が入る。
風呂アニメ バサラ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あかね:
はにーびぃさま、ありがとうございましたぁ!!! やーん、今ごろになってまたあの当時の絵柄が見れるなんて感激ですうvvv(←実はこれに一番感動した)
はにーびぃ:
あれは私にとっても、かなりうれしいおまけでしたねー♪ 自分が知らないだけで、ああいうおいしいものが、まだまだあるといいんですけど。。。(もう無理か) 昔の絵柄でなくてもいいので、文庫本に「たむたむたいむ」をやってくれないかな、と密かに期待をしてたりして(笑)
ああーもう一度、朱理を、浅葱を見たい−ーー★
あかね:
そうですね。
ではそのヨロコビのお裾分けを下さったはにーびぃさまにあらためて感謝のことばを。
感謝感激雨あさぎっ(^^)!!!(以前
某SOさんという、熱烈な浅葱ファンの方からお聞きした感謝の言葉ですm(_ _)m)
はにーびぃ:
大好きです、この言葉↑(笑)
使いたいんだけど、BASARAファンにしか使えない秘密言葉ですね。。。
あかね:
いや〜〜浅葱くんがいいですね。
「もっとおまえを いたぶったりいたぶったりいたぶったり したかったのに」
……そんな浅葱……やおい好きが聞いたら喜びそうなセリフを。。。。。
そんなにまでして朱理と遊びたいのね! わかるわ、わかるわ、その気持ちvvv(><) (違うって?(笑))
思わず、
「ああっ、浅葱、ズルいわーーー!
私だって私だって朱理とぉぉぉぉぉーーー!(><)」(←朱理と何を?)
と心の中で叫んでしまいましたっ(バカ?)
はにーびぃ:
喜んだ1人です(笑)
やーん、朱理よりも私をををををを・・・(爆)
あかね:
浅葱の朱理に対する思い入れって、更紗のそれよりもある部分では朱理ファンのそれに近いんですよね。特に赤の王ファンの思い入れに似てるところがあります。単純に好きという意味での思い入れではなく、「朱理はこうでなくちゃダメなんだ!」という意味で。
はにーびぃ:
浅葱の朱理に対する気持ちは、憧れ的な部分は強いですよねー。
必ず這い上がってくる事がわかってるから、安心して(?)突き落とす(笑)。あ、それが彼なりの愛情表現か(笑)浅葱なりに遊んでるのね。
朱理に完璧を求めているゆえ、片手を失った時は悲しみでいっぱいで号泣してしまったんでしょうね。自分は奴隷にまで突き落としたくせに(笑)
あかね:
その辺りの話は、2002年の【朱理聖誕祭】でじっくり考察できたらいいなあと思ってるんですけどね。
(話を「座談会漫画」に戻して)四道ちゃんに添えられたタム先生のコメント
「30分かけて死んだ男」
には爆笑でした。タム先生も私ら同様、やっぱ色々と驚きを交えながら観てたんだろうなあ。。。と様子が忍ばれましたね。
はにーびぃ:
タム先生が何かで「四道やハヤトは可愛く書いてもらってた、朱理は難しかったらしい」って言ってるのを読んだけど私には
「朱理がへたすぎ」って取れました(笑)。はっきりとは言えないけど、色々複雑な心境もあったんでしょうね。。。
あかね:
タム先生は立場上あまりアレコレ言えないんでしょう。ファンがしょーじきに言わなきゃ、誰も言う人がいない。
アニメになったこと自体は確かに嬉しいだろうと思うんだけど(声優さんもある程度希望通りだったらしいし)、タム先生きっとものすごくショック受けたと思うよー、あの朱理の作画には。だって朱理の顔って、要するにタム先生の絵柄では主役顔なワケでしょ。もし私がタム先生の立場だったら、浮上できないかも(^^;)。(以前掲示板でも語りましたが、モノクロで描かれたアニメのキャラ設定画の朱理の絵を最初に見た時、それが誰なのかあかねは本気でわかりませんでしたよ…)
話を戻して、温泉。
更紗……嬉しそうだ。羨ましすぎるぞちくしょう……
そんなにそんなにそんなに朱理と風呂に入るのが楽しいか〜〜!!!
はにーびぃ:
他のパロ同様、
どうして更紗は原作外ではあんなに素直なんでしょう。あんなうれしそうな顔して一緒に温泉に入ってるシーンは原作では見られなかったぞ!!!
あかね:
その通りです!!!
……そうだよね、楽しい&嬉しいに決まってるよね(;;)>朱理と混浴 くおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!V(><)V
というのはウソで、私が思ったのは。
はにーびぃ:
ウソっつーことはないでしょう、あかねさん(笑) くやしぃぃ〜〜〜羨ましいぞぉ〜〜〜と思うのは朱理ファンなら当然の心理ですわん。浅葱ファンでさえ羨ましいもん(笑)
あかね:
その通り(^^)ゞ、いや、私がここで思ったことはですね。
いちゃいちゃするならくっつけえええええええええ!!!
一緒の風呂に入って「いちゃいちゃ」って文字まで描かれてるのに、身体が離れすぎだよ君たちは!!!
でもまあ、更紗がヤケに嬉しそうなので許す。(おい)
ということで、朱理そのものよりも浅葱と更紗の朱理に対するリアクションが気に入ってしまったあかねなのでした(^^)。いや、多分朱理ファンとして感情移入できるものだったからだと
思うのですが。。(笑)
はにーびぃ:
あー、たしかに離れてますね。
でも、それもきっと一瞬のことですわ(爆)
それより、
私は朱理の微妙にのばされた両手が気になる。。。最初はお湯をかけてるのかとも思いましたが、そうじゃなさそげ。あのなんともいえない表情といい、あの手を次にはどうするのかどうなるのか、続きが見たかったぁ。。。
あかね:
そこから先は、オ・ト・ナの時間ですわ♪
はにーびぃ:
ギャラリーは一部始終を見てたのよね、きっと。っていうか、あんなに見物人がいるのに、風呂でいちゃいちゃするか? ふつー(笑)お互いしか見えてないって事か。。。
あかね:
わははは。朱理と更紗って、本編中はいつも人のいないところでいちゃいちゃしてたけど、本編ラストや「KANATA」を見ればわかるように、タイミングによっては人前でベッタリするくらい平気だもんね。もっとも朱理ファン的に考えると、朱理がそこにいる時点でもともと周りなんか目に入ってないと思いますが。。(笑)
まあ、終盤以降の更紗ってらぶらぶのときもイマイチ色気がなくなっちゃったから、それを何とかいい方に解釈するとしたら、やはり
「周囲を気にせず朱理と“2人の世界”を構築できる」
ということになるのかな?
以上、
【風呂アニメ バサラ】の感想でしたっ♪
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