親と子のいい関係作り -姫路親子体操教室'05.3-
あかりの家 三原 憲二
親と子の「いい関係」は、成長と発達の基礎で、学ぶ基です。自閉症の子ども達は共感的な関係を築くことが苦手で、積極的に近づいてくる子どもでも、いざやり取りとなると中々上手くいきません。幼い時から、お母さんとの関係は、ここで言う「いい関係」が成立しづらいところに大きな問題があるのです。お母さんの示した関心に自分も関心を向けるなどの三項関係が成立しづらく、模倣などの学ぶための関係や心の構えが上手くいかないところに問題があるのです。
親の性格や育て方によって自閉症になるのではないことは明快に否定されています。しかし、行動上の障害は成長の過程で強められたり弱められたりすることも事実です。そこから展開される療育的な考え方や知見・技法も様々です。環境と個人の相互作用としての行動に着目したり、言語認知発達的な方向からアプローチしたり、環境をわかりやすく整えていくやり方もあります。人と人との関係障害に焦点を当てる考え方も、受容的な交流から接近する療法も、こころの中に積極的に入り込む必要を説く技法もあります。また、反射的な行動に着目した技法や、内面のゆがみから来る緊張に対して身体に働きかける技法もあります。
ただ、それらに共通する点も明らかになってきています。伸び伸びや自主性に大きな意味は持たせない、構造化されたわかりやすさが重要、一人ずつ丁寧に細かく付き合う必要があるといった点などです。
そういった中で、この親子体操教室は、親と子の関係に焦点を当てながら、身体への働きかけや動作模倣や運動等を通して、いくらかでも「いい関係」作りに接近しようというものです。

他動的なストレッチ運動、首・肩周りへの働きかけ
姫路親子体操教室は、高砂親子体操教室(’90.6~)を見学に来られた(社団)日本自閉症協会兵庫県支部姫路ブロックの年少グループのお母さん方から依頼を受け、’95年7月から10年近く、300回以上実施しています。幼稚園児を含め小学校低学年中心で出発しましたが、現在、メンバーも半数近く交代しながら小学低学年から中学生まで9名がメンバーです。土曜日を中心に1時間半程度月3回、そのうち2回程度を、あかりの家の職員2名が中心になって応援しています。会場は、姫路市内のテニスクラブの会議室で、適当な広さと余計な刺激が最小限で、集中するに適当な場所です。
メニュー(課題)は、
開始当初は1の他動的なストッレチ・動作だけでしたが、2模倣的な動作、6.7協応的な運動、5頑張りを要求する課題、4張り合いを高めた課題などを加えて、順次難易度の高いメニューを増やしていきました。
そういった課題に、正座や椅子で待つことや、お手伝いなどの課題を散りばめています

慣れない最初頃、開始から終了まで、泣いたりわめいたりというお先真っ暗は、高砂の時と同じスタートです。それが、月2回実施から3回になり、メンバーが固定的となり、更に熱心なボランティアさんに恵まれたことが転機となって、私だけではどうしようもなかったお母さんの応援に手が届くようになりました。相手(子ども)が変れば自分(お母さん)も変り、自分も変れば相手も変る。その辺りからいい循環が生まれ、少しずつ歯車がかみ合い始めたのです。
そして熱心なお母さん(時々、お父さん)。家に帰って模倣動作やアスレチックの練習をする。重要なことは、出来るようになったことそのものよりも、お母さんの力(主導的な力)によって具体的な成果が出たという関係と、お母さんの前向きな体操教室への意欲です。変化した親子関係と私の歯車がかみ合い始めたのです。やられっ放しではなく、無理矢理やらせるのではなく、からんでいる実感・一緒にやってる実感です。
他動的なストレッチで、働きかけを嫌がったら励まして、一寸無理だったら身体を保持したまま一時的に中断して、そしてあきらめず・ひるまずに働きかけを続けていくのです。緊張が強ければその位置で中断してゆるんでから続ける。そういった筋肉系でのやりとりの感度も重要になってきます。抵抗が強かったり、やりとりの感じがつかめない初期の段階では、私たちが代わり、出来てからお母さんに返していきます。不思議なことに、そういった嫌がる場面で張り合っても、励ましたり承認しながら最後まできっちりやり通すと、子ども達は私たちの膝の上にチョコンと座りに来たりもするのです。
また、お母さんが働きかけている最中の無用な動き、例えば、腕上げコントロール法の最中に片方の手がゴソゴソしていたり、足の指先が反っていたりする時は、回避的か反射的な動きとして捉えて、私たちが手を添えたり保持したりして止めさせて、自分の身体を自分でコントロールする力をつけることを狙います。ケッケラケッケラの笑いや独語も同様です。そんなチェックは、取締官のようで嫌なものです。事実、一昔前の私自身が、そういった対症療法的で横柄な印象を持つ働きかけには批判的であっただけに、お母さん方にもその意味をしっかり説明しながらやっていきます。
また、つま先歩きの子どもには前屈、前かがみで肩などの緊張が強い子どもにはオットセイ動作などを意識して取り組みます。
そのようにして、子どももお母さんも、どちらも一寸ずつ頑張ってもらって、張り合う感じをつかんでもらう。時には、せめぎ合うといった表現がふさわしいような場面もあります。それらは、無理やり力ずくで屈服させるのではなく、抱っこ法の阿部先生の表現を借りれば「受容と主導のバランス」を持ったクッションあるやりとりです。
そういったところで、子どもの気持ちを読み取ったり受け止めたり(受容)する一方で、こちらの頑張って欲しいなどの気持ちも伝えていく(主導)訳です。yourpeaceの力(相手にあわす力)をつけるとも言ったりします。
別の表現をすると、親子関係作りには、愛着をねらった関係作りの方向と、方向性を示唆する関係作りの方向がありますが、その両方向を育てていこうとするものです。
目指す方向のイメージは、そのやりとりの中で無駄な動きをせず緊張を解きゆったり弛緩(しかん)してお母さんに身も心も委ねる関係です。やや大げさな表現をすると、一緒に頑張りながら生きていこうというメッセージの場です。
今だから出来るのです。その方法ややりとりの感触を、成長や状況に合わせながらバージョンアップしながら継続していく。70kgや80kgの身体になって何とかしようと思っても、体力的にも気力的にもとうていかないません。もちろん早期療育的な視点もあります。
親子体操教室は、親と子で取り組むことに意味を持たせ、「抱っこ法」にヒントをもらい、「動作法」や「ムーブメント教育」や片倉信夫先生のアドバイスを手がかりに行っています。「TEACCHプログラム」で言う構造化の手法も散りばめています。その最大のねらいが【親と子のいい関係作り】です。子どもたちの成長の過程で迎える様々な山や谷を、関係の中で乗り切るための力を、今のうちに培っていこうというものです。
いい関係は、いい二者関係です。二者関係は人と人との関係の基地で、成長発達の過程で非常に重要な意味を持っています。そこには安心や信頼や安定があって、対人的な広がりの基地となります。一般的には母親との関係です。これが育っていないと受け止める人が居なくていつも不安状態でいることになります。自閉症の子どもの場合、環境を認知したり統合したりすることや自分の気持ちの表現が上手くいかず、自己と他者との関係が育ちづらく、感覚過敏があったりして、そこに不安や混乱が生じて行動上の問題が生じるようです。その不安を少しでも解消するのが、母親との安定した二者関係です。母親がいればパニックを起こさなくてすむ、ということです。
不安な状態に陥っても、母親がいい方向にオリエンテーションしていけるなら、母親を通して周りの世界を意味付けていくことが出来るというのです。「母親参照」と呼ぶ人もいます。『自閉症だったわたしへ』(ドナ・ウイリアムズ著)では「世の中が見えてくるにつれて、わたしはますます周りが怖くなっていった」と言いながらも「メアリー(精神科医)が受け入れてくれることこそがやる気をかきたててくれた」と書き、「信頼を通して、その子は外の『世の中』に対する興味を持ち始めるだろう」とも書いています。
もっとも、べたべたした関係は感情と関係の間にクッションが無く、自己抑制の気持ちが育ちづらく後に大きな問題を抱えていくような気がします。体操教室では、幼少期の抵抗前進では、ゴールであるお母さんに手を差し伸べて待ってもらい、抱きかかえて頑張ったことをほめてもらいます。しかしその一方で、ストレッチ等の待ち時間等では母親の横で正座をし、アスレチックの順番待ちでは椅子で待ちます。待ちを利用して、精神的・空間的な適度の距離のとり方・感情のコントロールを育みます。待つことができることや、(正座や椅子で)待つ形・落ち着く型・ふるまい方、を覚えることは社会生活上の大切なスキルとなります。
また、軸になるお母さんに一貫性がなかったり、オドオドしたり、なげやりの気持ちで関わっていると、それがそのまま子どもに映し出されるということもよく経験することです。つつきまわすのではなく、迷いや逃げでなく、暗くもならず、応援をけちらず、「ヨーシ」「見ているよ」「大丈夫だよ」と、どっしり受け止める安定感です。“気持ちと身体を一歩前に出して”と説明したりしています。
一貫性がないということは、よりどころが一定せずどうふるまえばいいか解りづらいことになります。不安だからパニックや一見した周囲に無関心を装うことにつながり易いし、パニックによって母親が振り向いてくれるかどうか試したりもします。そのうち、それが人を操る道具としてのパニックを覚えることにつながると考えられます。
従って、親子体操教室では、安心や安定や受け止める力、一貫性と確固とした姿勢を貫くことなどの関係や力を、身体に働きかけながら身につけようということです。
(自傷などの)抵抗には(しっかりブロック等して)抵抗で返していく。しっかり受け止める。愚痴っぽい叱り方や、キンコンカンコン口うるさいだけの叱り方は、否定的な雰囲気だけが伝わって、そのうち関わらずにすますことを覚えます。そうなると、効果が無いばかりかむしろ悪い関係を固定してしまいます。
何を伝えたいか、それをどんな方法で伝えるか、そのためにはどんな関係を作っていくか。この伝えるということは、例えば「そんな時に言っても伝わらない」「そんな言い方では伝わらない」「私では伝わらないがあの人ならうまく伝わる」というようなことです。「入っていく」と表現する人もいます。例えば、歯医者に行く時にどう伝えていくか。伝える技術や配慮と同時に、伝え方の関係・スタイル(だまして連れていかない、後ろ向きの取り引きはしない等)も重要になってきます。
「厳しいのがいいのか優しいのがいいのか」という二者択一論ではなく、子どもの気持ちを受け止めながら見抜きながらどのように伝えていくか、親子体操教室は身体への働きかけややりとりを通して、その伝え方を学ぶ場とも言えます。
きっちり伝える、最後まで伝え切る、出来たところで終わる。(体操教室では10カウント等で)見通しを持たせてわかりやすく伝える。終りをたくさん作る。(「そうだよ」等の)承認のサインをしっかり伝え、出来ることを積み重ねていく。成功をさせて信頼関係を積み上げていく。失敗を繰り返していくと信頼関係が後退する。いくらやっても出来ないことはしない。繰り返していればいずれ出来るようになるだろうというやり方は、いいかげんに過ごすことを覚えるだけで、達成感が無い。一緒にやっているという実感、絡んでいるという実感が大切となります。

そして、親子体操教室のメインである他動的なストレッチ・動作に移ります。母親が子どもの身体を保持しながら、働きかけ・働きかけられるという関係で、働きかけを受け入れる力と働きかけをする力を育てます。他にも、様々な筋肉を動かしながら自己の「身体意識」を育てたり、不自由行動の一因ともなっている不当緊張をゆるめる(弛緩)練習をします。
こういった要素が、親子体操の背景にあります。
一昔前までの“嫌がることをそこまでしなくても”という理解の仕方ではありません。成長ややる気を待つとか、自由なプレイセラピーとかにも大きな意味を見出していません。
そして、働きかけの際出会う緊張や拒否に対しては、ひるまず、あきらめず、無理やり屈服させず、受容と主導のバランスを持った張り合いを心がけます。

また、指導者には動作を起こす際の手がかりについての観察が必要となります。手がかりとしているのは視覚かことばか、それも母親か、まわりの仲間か、指導者か、その観察です。ずっと指導者は、言葉と同時に動作を起こしてそれを模倣させていたのですが、半年程前から、「ハイ、次は『V字バランス』」と言葉だけの指示や、張り紙の絵図を指したりして、敢えて、パターン化(頭を経由しない)を崩したりしています。視覚のみを手がかりにすることに揺さぶりをかけたりしています。最初、一人として動作を起こしませんでした。
など
3分間の寝かせ 仰向けに寝転んで、弛緩状態で静止する動作の練習、別の形で言うと自分の身体を動かさないよう自分でコントロールする練習です。子どもたちにとって動かないという動作や、まわりの状況に反応しないことは、かなりの難易度です。多動の子どもたちはすぐ起き上がろうとするし、起き上がろうとしないまでも、手や足が動く、手足の指が動く、独語が出るということになります。3分という見通しの無い長さも難易度を高めています。



3秒たっても起き上がれない場合は、お母さんの応援をはさみ、しなくてもすむ練習にならないよう心がけています。また、ホイッスルを苦手とする子どもたちが目立つことも特記事項です。5.輪になっての手または足を前後に揺らしながら「ブーラン、ブーラン」と声を出す(ことば体操)、6.手をつないで駆け足などがあります。
ところで、1.や3.の運動は、子どもたちにとって不可思議な 動作なのでしょう、ケンケンしながら後方の足を見たり、歩行時膝に手を当てて1.様にして歩いたり、「寝転んでホイッスル」時片足ケンケンにこだわって前進したり、片足ケンケンが大好きだったり、と、他の課題には無い行動が何人かの子どもたちに見られました。
輪投げも、困難な課題です。技術的な問題もありますが、注視する力が非常に弱い人が多く、投げる行為に中々移れないも目立ちます。輪投げのラインが引けないため、フラフープの輪を準備します。子どもによっては、輪を前に移動したり、輪から前に出たり、「ルール理解」も困難な課題です。

エス棒渡りはお母さんの手で自分の子どもに応じたコースを作ってもらい、親心がつい欲張らせて難コースとなり、失敗が当たり前になってしまったため、最近では失敗させないコース作りをお願いしています。
アスレチックコースの準備と片付けのお手伝いも大切にしています。お手伝いは、親の主導性と受容性を発揮できる場面です。(ほめられて)意欲を育て、自立を促し、関係を育てることをねらっています。

最後は、仕上げの他動的なストレッチ・動作です。最初の他動的ストレッチ・動作を繰り返し、背中のマッサージで終了です。ほぼ確実に、開始時点よりは安定的に身を任せてくれます。この仕上げが上手くいかなかったら、“今日の体操教室には参加しなかった方が良かった”ということになります。仕上げのストレッチの最中バックミュージックの如く、お母さん方に、いい状態で終わることの必要性を繰り返してます。
そして、終りのあいさつです。最初のあいさつと同じく、互いに正座の姿勢一人ずつに握手しながら「さようなら」をします。「オー、今日はよく頑張ったなー」といったような声がけをします。このようOKサインでさようなら出来るよう、私自身の力量アップも課題です。

同位でお母さんがコース作りに参加しているアスレッチクコースの「エス棒渡り」、3位は「始めと終りのあいさつ」と続きます。「30カウントのスクワットなど」や「寝転んでホイッスル」や「正座で待つ」課題も上位に入っています。「あいさつ」や「正座」という 間接的な課題もしっかりお母さんの中に重要な位置を占めていることがわかります。
ちなみに、体操教室の印象は「優しくもあるし厳しくもある」ということで、長く続けているエネルギーの1位は「仲間と出会う機会」と「受容や主導の力をつける」ということでした。
また、家庭での影響については「待つことを大切し始めた」が1位で、「距離のとり方を工夫するようになった」と「今まで以上に『いい関係を』意識するようになった」と続き、「伝えきるようになった」と「一貫性を大切にするようになった」と「マアマア頑張ろう、我慢してみようと働きかけるようになった」と「受容や主導やメリハリを考えるようになった」と僅差で続いています。
「現在の課題や問題」では「言葉や文字関係」が多く、「将来の課題や不安」は「思春期」でした。
ちなみに、体操教室の直接的な力ではありませんが、小学校高学年を含め数人に言葉が出始めました。
その他、親子体操教室の大切な視点として、親では困難なことを他人の力を借りて関係を組み立て直したり、修復するという点です。親子は、過去のことや参加前のこと、あるいは終わった後の約束などの引きずった関係がいろいろあります。また、何年も積み重ねてきた“アカやサビやコケついた関係”は簡単には変わりません。ところが、例えば体操教室の三原との非常にシンプルで一方向的な関係では引きずるものがほとんど無くて、加えていくらか経験的な見通しを持って関われば、上手くいくことが少なからずあります。上手くいってお母さんに返すのです。
ただ、親子体操教室は設定された場面で非日常的な内容を繰り返しています。また、目指す方向である「いい関係」は、原点であり総論であり心構えです。それを集団でやる訳ですから、更に平均的でゆるやかになります。「いい関係」という口当たりの良さだけで解ったような気になっては、確実に安易に流れます。つまるところは、個別の一人ずつの各論ですから、その意味で、体操教室での特定の場面での関係を、日常の生活場面で一般化することや、成長の過程でアレンジしながら自分のものにする努力は、親御さんには欠かせません。
そして最後に、姫路親子体操教室は、長年積み重ねてきた信頼できる仲間の集まりで、ネットワークです。親御さんにとって今後も色んな広がりが期待できる大きな財産、最近の流行語で言えば「エンパワーメント」の源です。
(この小文は、’99.6.27(社団)日本自閉症協会兵庫県支部講演会の前座で、姫路親子体操教室の実演発表した際に会場に配った紹介文をベースに’05.3に加筆訂正したものです。)