ビビ会で、ゴロゴロツィッタ―ゲームをやりたい。
どんなゲームかというと・・・
1.「ビビ会」に出席の皆さん全員牛しに、受付でカードを引いてもらい、六組に
別れてもらう。ただし、親子、兄弟、姉妹、仲のいい友達同士など、別々に
なりたくない集団は同じ組になってもいいことにします。
2.「ビビ会」に出席の皆さん一人一人が、「ビビ会」に出席の皆さん全員を
フォローしているツィッタ―マニアと見なします。
3僕が創った.特製のサイコロと、普通のでかいサイコロを皆さんに披露します。
僕が創った特製のサイコロの六面にはそれぞれ「ソワソワ落ち着かない」「ウシシ
と笑う)『ブツブツつぶやく」「ワッヒ―と泣く」「フワフワ踊る」「ワラウナと怒る」と
書いてあります。
4.最初のみ僕が二個のサイコロを同時に投げます。
仮に@の目と「ソワソワと落ち着かない」の目が出たとします。そうしたら、1組の人達
全員が、「ソワソワ」とつぶやきながら、そわそわと1組の代表者のまわりを回ります。
会場の全員が、1組の人達に「今何してる?」と聞きます。この問いに1組の誰かが
ツィートします。
5.次に1組の一人が、2個のサイコロを投げます。仮にAの目と「ウシシと笑う」目が
出たら、2組全員が「ウシシ、ウシシ」と笑いだします。2組以外の皆が「今何をしてる?」
と、聞きます。2組の誰かがツィートします。
6.こうして、どの組が一番面白いツィートをしたかによって、「ビビ会ツィート大賞」を受け取ります。
7.ただハプニングとして、ある組がツィートした後、別の任意のグループに向かって、「リツィート!」といったら、いわれた組の人達が、いった組がやったことをもう一度やります。
と、こんなゲームです。皆さん、面白いツィートを考えて、いっぱい遊んでください。
私は2008年1月15日に七十余年住み慣れた東京から、ここ茨城県鉾田市上幡木に移住してきました。東京は、私が生まれ育った、俗にいう「古里」ですが、何年住んでも愛する事などできない、汚らしい、騒々しい、それに近頃は物騒な都会です。東京にはもうほとほとうんざりして、いうなれば、脱走してきた私です。
東京にいた時、私は移住先をあれこれと物色していました。しかし、千葉や静岡や伊豆は候補地になっても、茨城は、考えた事もありませんでした。それが、ひょんな事から、偶然こちらに参り、偶然アルカデイア・ランドハウスの土井さんと懇意になり、そして偶然今住んでいるウッデイハウスに巡り合い、即刻移住を決意したのです。
住み着いてから早くも八ヶ月経ちました。が、未だにここは天国と毎日恍惚としています。昔「恍惚の人」という、有名な小説がありましたが、正にそのまま僕は恍惚の人ですよ。とにかく、あらゆる物事がすべて、五感を洗われるように新しいのです。大気、水、風、日光、木々の色、鳥や虫の鳴き声、星のささやき、蚊の羽音、稲光と雷鳴、・・・私はここに来て、やっと充実した日々を送っています。血圧は下がり、喘息は完治しました。それどころか、東京にいた時にはどうしてもまとまらなかった童話の構想がするするとまとまり、会心の作品を仕上げる事もできました。
妻は、ここが「こわい」といい、セキュリテイを設け、犬まで飼いました。しかし、ここには人がいないので、私はどこよりも安全だと思っています。第一人間関係が無いので、呑気に、静かで、実に快適です。私はこう叫びたいのです。
「皆さん、そんな所で、あくせく、クヨクヨ、イライラ、モヤモヤ、スッタモンダしていないで、早くここにいらっしゃい!」って。
2008.11.17記
自殺者が年間3万人を超え続けています。この国には自殺を食い止めるための宗教らしい宗教が無く、それを煽り立てる環境ばかりが整備されているから、なお更に始末が悪いのです。
アドバイスですが、私はその「自殺したい」といわれる方の事情も、性格も、ご家族も全く知らないので、「ごくごく一般論しかいえませんが・・・」と、お断りした上で申し上げます。
上に書いたように、自殺者への最良の特効薬は、良い宗教です。私はキリスト教を信じていますから、もう自殺はやりません。しかし、宗教というものは、そう簡単に信じられる代物ではありませんから、薬局で販売される特効薬のようには、ひとにお勧めできません。(まして、宗教を信じていない人は、他人に宗教を信じさせられませんよね。)ただ、なぜ宗教が自殺者への特効薬かを説明しておきますと、自殺者は自分の体を自分の物のように思っていますが、良い宗教なら、体は自分の物ではなく、神からの授かり物だと考えるのです。昔の人は「子どもは天からの授かり物」といったでしょう? ごく自然に宗教を受け入れていたからです。自殺は、殺人と全く同じ悪事なのです。ですから、自殺者は殺人者と同様に、極度の利己主義者ー自己中の人で、他人はおろか、身内にさえ冷酷です。ですから、簡単に自殺できるのです。
さて、宗教以外で、自殺を食い止める手段ですが・・・
私も若い頃、自殺したかったことが随分ありました。「自殺のすすめ」とか、「自殺の方法」とか、「自殺の薬」とかの本を読んで、研究もかなりしました。 しかし、それでも結局自殺しなかった訳は、自殺中の痛みと苦しみ、自殺後の見苦しさを想像できたからです。私の臆病と見栄が私を救ったのですね。 私の好きな芥川龍之介は毒薬を煽って自殺しました。太宰治は入水しました。川端康成は、ガス缶をくわえて死にました。三島由紀夫は割腹しました。つい最近では、文芸評論家の江藤淳は、風呂の中で、血管を切りました。 こうした作家達の自殺を私は理解できません。作家は「想像力」が仕事の資本だからです。作家が「想像力が無い」では、笑われるだけです。しかし、自殺についてだけは、この作家たちは想像力が欠けていたとしか、いいようがありません。
自殺中の痛みと苦しみ・・・どの本にも、自殺は楽だとは書いてありません。一番楽な自殺は、首くくりですが、これだって、相当に苦しいはずです。嘘だと思われるなら、実験してみてください。
自殺後の見苦しさ・・・上の自殺法のどれをとっても、実に見苦しく、大変にみっともないと思いませんか? 例えば、三島由紀夫は胸を張って、割腹自殺しました。が、陸上自衛隊市谷駐屯地総監室には、彼の舌を噛んだ生首と、血液のあふれ出た、腸のはみ出した彼の首無し死体が、無残にもころがっていました。 三島は老衰の恐怖で自殺したといわれています。しかしかれが「永井荷風のようにおいぼれたいか」とあざわらった荷風のほうが、かれよりは美しい死に様であったのではありませんか? また、かれには切腹へのフェチシズムがあったともいわれています。自殺の見苦しさに対する嫌悪というものは無かったのでしょうか。
いずれにせよ、自殺をどう美化したところで、自殺死がみっともないことにかわりはありません。自殺しようとする人に、自殺がどんなに見苦しく、みっともなく、しかも自分のことしか考えられぬ、自己中の・愚かな行為かをいいきかせることが、第二の良い方法ではないでしょうか。
rinpenrappi.9
ノロケてもいいですか? アジサイは、可愛いと同時に、非常に逞しい女性ですね。僕の足が悪いので、この数日は、アジサイが風太郎(犬)を散歩に連れて行くのですが、その風体が変わっています。男物の大きな、黒い合羽を無造作にまとって行くのです。「これは、けっこう暖かいから」というのですが、普通の女ならためらうところでしょう。彼女は平気の平左です。 そういえば、クリーニング屋をしていた時、お客さんに預かった毛布をアジサイはなんと、体に巻きつけて戻ってきましたっけ。

| 先生の力をお借りしたいことがあります 私の日記にも書きましたが,自殺したいと言っている友人がいて,止めたいのですが私の言葉はなかなか響きません。 冬に大学の友人を自殺で亡くして,やっと立ち直ったのにまた同じ間違いを繰り返すのはいやなんです。 何かアドバイスをください |
自殺者が10年連続で年間3万人を越えた。10年でなんと30万人だ。この数字は、この国の政治・経済・教育などがどれだけ間違っているかをよく証明している。今躁を伴った、新しいウツ病がはやりと聞いた。ウツ病の人が実に多い。さもありなんと、僕は思う。
出口が無いのだ。今日本人は、出口の無い、狭い部屋に大勢の人々がひしめいている。これでは、ストレスがたまり、ウツ病になり、はては自暴自棄になり、自殺したくなるのが当然だ。
この部屋に出口を作るための何か良い策が無いものだろうか。 良い出口を作れる優秀な大工さんが現われないものだろうか。



2008.9.24記

2008.7.18記

2008.6.26記

ある方からのご質問です。

このHPを読んでくれる人達にだけ内緒で知らせます。
僕は今「歌えば魔女に食べられる」(仮)という童話を書いています。 非常にスムースに描き進んでいます。アイデアがどんどん浮かび、絶好調といっていいでしょう。もう童話は書けないと思っていたので、大変幸せです。今度こそ皆さんにいい物を提供できそうです。期待していてください。
ところで、僕は今まで童話におけるハッピーエンドに否定的でした。社会は、必ずアンハッピーで終わるのに、童話に限って、子ども達の未来を慮って、希望的な、ホンワカした結末を用意することが、実に不自然だし、欺瞞でもあると思ってきたからです。ですから、僕は童話の中で無理なハッピーエンドを創る気はありませんでした。今度の「歌えば魔女に食べられる」(仮)は、ごく自然に話がハッピーエンドに導かれます。しかも、超豪華といっても間違いない、丁度朝の日を浴びて、草の葉の露が一斉にキラキラと輝くような、華麗といってもいいエンドなのです。こんな結末を用意してくださった神に感謝したい気分です。、
08.6.15記
僕が何度「ここにいる方が、東京にいるよりどれだけ安全か分からないよ」といっても、アジサイはここでの特に夜の生活をこわがって、ピリピリしている。誰もいない森の中は、たしかにこわい。初めは僕だってこわかった。が、今は少しもこわくない。アジサイがこわがる訳は、人々の中にいることに慣れすぎたからだろう。しかし、本当は生きた人ほどこわいのだ。もう死んでしまった人などこわくはない。生きた人は、なにをするか全く分からないからこわいのだ。
最近、僕の家から四軒先に新しく夫婦が永住した。道路際にその家の街灯が、夜ポツンと点くようになった。僕の家の窓から見えるその光をアジサイがどんなに喜んだか! しかし、僕はアジサイにいった。
「僕達は森に守られているんだよ。」
この村の人達は、なぜか、ひとなつこい。皆さびしいからだ。


2008.7.2記
お答えします。
08.6.19記
08.6.17記