現在では、テレビ・漫画・映画・プロスポーツ・宗教・ブランド品などなど実に多様な現実逃避の受け皿が用意されています。
もちろん、それらの物事の全てが現実逃避の受け皿になっている訳ではありません。
例えば、ブランド品なら「本当に実生活に必要な機能」の部分を除いた「付加価値の部分」に現実逃避の受け皿があります。
多くの人たちは、自らがブランド品を保有することでブランド品に「自己投影」を行っています。
簡単に言い換えれば、「保有しているブランド品は自分の一部のようなものだと思っている」ということです。
ブランド品の高級感や社会的認知などの要素と自己を同一視し、自己の安定を図っているのです。
もちろんブランド品を手に入れたところで、それが直ちに、自己の高級性や社会的認知度を向上させることに結びついている訳ではありません。
テレビ・映画・漫画などの情報も「実生活をより健康なものに導く為の知識を得たり、アイデアを鍛えることなど」は、実用部分ですが、それら以外の「現実から逃れることをサポートする情報など」は現実逃避の受け皿と言えるでしょう。
現実から逃れる情報を頭の中で繰り返すことにエネルギーを使うことで、不完全で不備だらけの現状の人間社会に平和適応している人たちはとても多いのです。
プロスポーツの世界では、優秀な選手や試合の応援を行うことなどで、そのプロスポーツの器に参加します。
自分が特に応援している選手が活躍し勝った試合を嬉しく思うのは、自己投影と同一視、そしてカタルシスという無意識の作業による結果です。
選手や試合の結果に自己を投影し被せることで、選手や試合を自己の一部のようなものとして扱っている訳です。
そのような同一視を行うことで、自己の一部として扱っている物事のもたらす結果は、自己の結果とも「感じられ、思える」のです。
試合の結果で勝利を得られれば、自分が勝った気分になり、「カタルシス的効果」が得られますから、虜になる人たちが多いのです。
現実的に見れば、例えば、野球が上手い選手は、野球が上手い選手に過ぎません。
その選手の美技を観ることは、芸術作品を見るようなことです。
どちらのチームが勝っても人類どうしのゲームに過ぎませんから、「勝ち負けに、現実的な大きな価値」はありません。
しかし、自分が応援している=同一視しているチームが勝つことは、自己が勝利したような錯覚をもたらしてくれるのです。
そのカタルシス的効果故に、多くの人たちは勝負に熱中してしまうのです。
多くの人々が欲しいのは、カタルシス的効果で、自分が勝ったかのような錯覚なのです。
言うまでも無く、どちらのチームが勝っても、現実の人間社会がより健康になったり、人間社会の不備が直ったり、自分が勝ったり、強い人になったりすることに直結している訳もありません。
一時的に、不備だらけの人間社会から逃避でき、尚かつ、日頃の不満をカタルシス的効果で晴らしてくれるから、人々は虜になってしまっているのです。
反対にみれば、現実逃避の受け皿に熱中してしまう人たちが多ければ多いほど、意識していなくても、それだけ人々の日頃の不満が大きいということになります。
宗教にしても、親しい人が亡くなってしまった時などの精神的不安定を静めるためのツールとしての実用性はありますが、全ての問題を思いの納得法に帰してしまうことなどは現実逃避に他なりません。
もちろん、いくら思いの上で納得しても、ひたすら祈りを捧げても、現実の人間社会の不備が直る筈もありません。
スポーツなどの現実逃避の受け皿を見てやる気を起こすのは良いのですが、自己のやる気の向かう先が現実逃避だという人たちばかりでは、実際の人間社会が良くなる筈もありません。
現実逃避受け皿産業に触発されて出るやる気の多くは、現実逃避に向かってしまいやすいのです。
無意識の基本欲動は「興味」です。
人々の人生は、無意識の興味に引き摺られているのです。
例えば、無意識の興味が「現状打破」であると、「戦争や犯罪行為を行ってでも、現状打破を優先してしまう人が数多く出来てしまう」のが人間という生き物です。
「現実逃避受け皿産業の成功者」に興味を持てば、「現実逃避受け皿産業で成功すること」に興味を持つ人が数多く出来てしまうのが人間という生き物です。
結果として、人間社会や人類にとって現実的に必要な仕事を行う人の数が減り、現実の人間社会の不備を直すことや、本来必要な宇宙開発などは大変遅れてしまいました。
時を重ねるごとに、知らず知らずのうちに、更に、現実逃避の欲動が強くなってしまう人間社会になり、人類の状態になってしまっていたのです。
現状の人間社会の危機感がわからない人は、極近くでは、先進国と言われている国々で、人々の目の輝きを見て下さい。
現状適応=現実的適応と勘違いしてマグロ的に走り続けている人たちの目は、異常なぐらい狭い部分しか見ていません。
現状適応に失敗し、言い知れぬ虚無感を味わっている人たちの目の奥には、言い知れない虚しさと共に本能的現状打破のエネルギーが渦巻いています。
近くが見辛ければ、科学的な人口・食料・環境予想を行ったり、調べたりするとともに、社会体制・軍備・思想・宗教などを世界中の国々で味わうなり、調べるなりして見て下さい。
冷や汗をかく人は、一人や二人ではないでしょう。
また、現在の金権主義人間社会における現実逃避の受け皿の大きな特徴は、お金が絡むということです。
現状では、多くの人たちが欲する現実逃避の受け皿を提供すれば、異常な位大量なお金を稼げてしまいます。
人々の思いを煽れれば煽れるほど、現実逃避の受け皿提供者の儲けは大きくなります。
この意味でも、情報産業の責任は大変大きなものです。
知っておくべき人間心理の問題点として、「思いは満足を得るために、より大きな思いに化け易い」ということがあります。
例えば、多くの人たちが、野球が上手いだけの人間に異常な位大量の報酬を与えることを是としているのは、選手の報酬が大きければ大きいだけ、(その選手を応援し、その選手に自己を投影し、その選手と自己を同一視しているが故に、)「自分も大物だと思える」からです。
その他の競技でも、一位の価値が異常なぐらい高いのは、一番が、一番自己投影・同一視の要望が多いからです。
多くの人は、自分が二位より三位より、自分は一番だと「思いたい」のです。
生物的自己防衛・保存本能があるのだから、当然です。
そしてその一番が「正しい」と「思う」ためにも、一番の報酬が、二番、三番に比べて明らかに大きいことは、都合が良いのです。
本能と思いの巨大化、そして自己投影・同一視の心理が、一番偏重の状態を作り出している訳です。
「一番の選手は大量な報酬を得た方が、人々の自己投影・同一視の助けになる」のです。
結果として、異常な位大量な報酬を得る立場なのに、人間社会で大衆的合意を得てしまうのです。
多くの人たちが自己の仕組みを知り、異常な位大量な報酬を得てしまう立場をつくることは、人間社会を不健康にしてしまうことと理解すれば、解消される立場です。
現実逃避受け皿産業も本来のスケールになれば、人間社会の不備を直す速度は向上します。
勝負や一番を異常な位偏重するより、芸術的プレーを観て感性を刺激されることや、スポーツそのものを自分で行うことを楽しんだ方が健康です。
「同一視の心理」で、特記しておかなくてはならないことがあります。
それは、同一視している物事を否定されると、「自分自身や自己の存在」を否定されたと「勘違い」してしまう人が少なからずいることです。
「現実」を正確に捉える為にも、自己と同一視している物事との「はっきりとした区別」は必要です。
一つ一つの物事を冷静に現実的に捉えれば、「実際に存在しているその人そのもの」を否定するような異常な独裁者的人間など、ほとんど生まれないのですから・・・。
多くの場合、実際に存在している人そのものを否定する行為は、「自己制御不能状態に陥った人の八つ当たり」です。
自己制御不能状態に陥らないようにする為にも、自分を良く知り、自己を健康的にコントロールすることはとても重要です。
その為に、本来必要な「現実把握援助産業」は、現状ではスケールが小さすぎます。
現実把握援助産業が伸び、現実逃避受け皿産業が健康的レベルまでスケールダウン出来るようにするためにも、自分や、現状の現実逃避受け皿産業に騙されてはいけません。