宗教とは、「思い=考えによる納得法」です。
現存する代表的な宗教のルーツは、ユダヤ教・仏教・バラモン教の三つです。
成立年代は、ユダヤ教が紀元前1200年頃、仏教が紀元前500〜400年頃、バラモン教が紀元前1200年頃と・・・大昔のことです。
ユダヤ教は、ユダヤ人の歴史を記し、来るべき未来を示唆したような経典を中心にユダヤ人による解釈で伝え続けられています。
そのユダヤ教から、イエス・キリストの誕生・伝道によりキリスト教が生まれました。
現在の紀元はキリストの誕生を基に考えられたものですから、キリスト教の誕生は紀元を挟んだ頃ということになります。
キリスト教は、紀元後1000〜1100年頃に東方正教会・とカトリックに分かれ、カトリックはさらに1500年頃プロテスタントにも分かれて現在に至っています。
またユダヤ教からは、ムハンマドによりイスラム教が生まれました。
紀元後600年頃の事です。
インドで生まれたのが仏教とバラモン教です。
バラモン教は紀元を挟んでヒンドゥー教となり仏教を駆逐する形で、現在インド・インド周辺に根付いています。
仏教は、紀元前300年頃大乗仏教と上座部仏教に分かれ、大乗仏教は紀元後500年頃チベット仏教にも分かれました。
大乗仏教は中国・朝鮮を経て紀元後550年頃日本にも伝わりました。
日本では、仏教伝来以前から神道が存在していました。
現在の日本では、神道的精神基盤の上に仏教的・キリスト教的生活様式を取り入れている人たちが沢山います。
宗教が出来、成長していった時代の人たちは、言うまでも無く、現在の人たちのように多様な科学的検証法を持っていませんでした。
しかし、当然のことながら、身の回りにある多々の重大な疑問にはそれなりの解答を得ておかなくては落ち着きません。
そこで「思い=考えによる解決」が図られたのです。
既に分かっている事柄を多方面から考えて検証し、納得できるところまで考えを煮詰めたのです。
ですから、宗教は当時の人たちの英知の結晶と言っても良いと思います。
歴史・文化的な意味ではとても重要です。
しかし、実体は「思い=考えによる納得法」ですから、違う思い=考えの集団と同じ思いを得るためには「自分たちの思い=考えを捨てる必要がある」場合が少なくありません。
思いに拘った結果、歴史上宗教戦争も何度も起きてしまいました。
ですから、現在生きている人間として知恵を持ち歴史から学び取るべき重要なことは、「宗教とは思いによる納得法であることを自覚し、思いは思いで十人十色」という当たり前のことを素直に受け入れることです。
その上で宗教的生活習慣や文化・歴史などは楽しめばよいのです。
科学が発達し、人類が核爆弾まで手に入れてしまった現在、現代を生きる大人として極当たり前である「現実原則の生活」が出来ずに「思い=考え」に拘り続ける人たちが力を持ち「思いの実現を図る」と、「世界平和も人類の永い未来もあり得ない」のです。
また、付記しておかなくてはならない重要なことは、昔からある色々な宗教をベースに現在作られている新興宗教の実体です。
オウムの例を見るまでも無く、健康的ではないものも少なからず存在しています。
思いによる納得法をお金集めに悪用したり、信者をマインドコントロールして一部の人間の思いの実現を画策したり、工作部隊の連絡所と化していたり・・・と実体は荒廃しています。
思いのために、実体と比べて高額な品物やセミナーなどの参加費を出してしまったり、極端な場合、全財産を寄進するような精神状態に陥ってしまっているのなら、無条件にその宗教に頼る前に、実体を調べたり、精神科の医者に行くことを強くお勧めします。
思いのために出せる金額は「対価として健全で、通常な人が健康な生活を害さない範囲」というのが、まともな状態です。
オウム事件があっても、宗教法人・団体の実態調査や法律体系の見直しさえ満足に行われていないのですから、自己防衛は必需事です。
繰り返しますが、「宗教とは思い=考えによる納得法」です。
思いは思い、考えは考えです。
「誰かの思いにマインドコントロールされない為」にもご用心!ご用心!