ナンバギャラリーが存在するのを知ったのは、2003年2月初めのことだったと思う。あるギャラリーのウェブサイトの掲示板を見ていて偶然に知ったのである。 それも、我が家と7番地違い、徒歩3分の場所にあるというので、よけいに興味をもった。ナンバギャラリーのサイト上では、小椋由子さんという写真家が、Sliceなる作品で、あまりにも良く知っているギャラリーまでの道、すなわち我が家の近所を、ものすごい量の写真で克明に記録してみせてすらいたのである。
その年の元旦にオープンしたというそのギャラリー、そういえばうちの妻が「あそこの通りにギャラリーができたみたいだよ」と、少し前に言っていたのを思い出した。その時は聞き流していたのだが。それにしてもギャラリーになるような場所なんてあったっけ、とは思ったものの、何しろ近所なので、展示に合わせてとりあえず見に行ってみた。
本当に近所の、ひなびた商店街の一角にあった。ただし、ギャラリーというよりは店のような雰囲気なのだが。中では谷口雅氏をはじめとしたグループ展が開催されていて、オーナーの難波健太氏もそこにいらっしゃった。中にはいっても、ふすまなどがそのままあって、誰かの部屋にでもいるような感じなのだが、逆にそれがいつも通る道との距離を感じさせない。ギャラリーに出かける時にはいつも妙な気負いがあるのだが、そんな雰囲気のせいかどうか、はたまた近所の気安さか、とても軽い気持ちでそこにいることができるのである。
難波氏にきいてみると、写真学校の仲間で話が盛り上がって、勢いもあって、空き店舗を探して開設したという。そういえばここは長いこと空いたままだったことを思い出した。それよりも、近所にこんな場所を作ってくれたこと自体に私は少しだけ高揚していた気がする。何度か足をはこぶうち、難波氏のまわりの協力者の方たちに、写真表現を考えつつ、それでいてなんともいえない軽やかさがあるのにも心惹かれた。この感じは確かに今までのギャラリーにはないもの、そう感じた私は無性にここで写真展がしたくなった。それもできるだけ早い時期に。
そんなわけで、初めて今までの作品の再構成展というものを企画してみた。とはいってもそんなにこのシリーズに蓄積があるわけではないのだが、とりあえず今後の方向性を知る上でもちょうどよい気がしたのだ。
ところが、私の展示の直前に事態は急変し、オーナーの難波氏が私的な事情で一時郷里に帰郷を余儀なくされるという展開になった。私の写真展は予定通り開催していただけたのだが、その後はいつ東京に戻り再開できるかめどがたたないという。そのため、この場所も一時撤退し、あらためて再開の方法を模索するそうなのである。残念ではあるが仕方のないことだ。そのことを嘆くよりも、私にこんなに面白い場所を提供していただいたことを感謝せねばなるまい。そして写真学校という場所を経験したことがない私にとっては、仲間で集まって自分たちの表現の場を作るということの、疑似体験をさせていただいた、ということにも感謝したいと思っているのである。ナンバギャラリーの再開を願いつつ。
(2003年5月16日記)