シ リ ー ズ 写 真 展

五 十 嵐 ノ 丘

かつて住んだ、その街。

「五十嵐」という地名 に荒れ狂う冬の海を想いながら、

北風と波が造った丘の起伏と、その丘にある大学に

集まり去っていった人たちが造った街と、

残していった街だったところとを、縫って歩いた。

まるで迷路のようなその眺めに、かつて見ていたもの、

見えなかったものを探しながら。

(ナンバギャラリー 五十嵐ノ丘'01-'03テキストより)

 2001年の夏、無性に学生時代に住んでいた新潟へいって写真が撮りたくなった。それもできれば住んでいたことのある、「五十嵐」という、荒れ狂う日本海を思わせる名の街を、もう一度じっくり見直してみたい、と思った。学生たちに「迷路」と呼ばれた、あの曲がりくねりうねった丘の道をもう一度歩いて、もう一度あの頃見ていた景色を見てみたい。きっと何かが見えるはず。そんなことを考えながら、足しげく新潟に通ったのである。                 

 それまでも何度かそういう思いにとらわれたものの、バイトで生計を立てていた頃など、通いつめて作品を作り続けるなんて、もう一度新潟に移り住みでもしないととても無理な相談であったし、どちらかといえば当時撮っていた東京近郊のまちはずれの、気まぐれみたいな気持ちであったといった方がいい。     

 しかしこの頃には、プリントの見た目のスタイルにばかりこだわって、ただやみくもに撮ってまわっていたまちはずれの写真はいいかげん行き詰まっていたし、それから逃れるために学生時代以来久しぶりに再開したモノクロも、結局狭い浴室でのシビアで手間のかかる、しかも息苦しい暗室作業に追い立てられるような強迫観念を感じて、作品を作るために暗室作業をしているのか、暗室作業をするために撮影をしているのかわからなくなってきていた。むろん、きちんとした作品を産み出すためには必要なことばかりなのであるが、何か別のことをしたくて仕方がなかった。                            

 そんな時に新潟の夏の空気が頭のなかをよぎった。どんよりと重苦しい日本海側の冬ではなく、明るいがどこかかげりのある、暑いけれどどこか涼し気に乾いた、新潟の夏の空気。あの空気の中に身をおきたい。そしてその空気を写し取って来たい。そう思ったら早かった。少なくともバイトの頃よりはゆとりはあるし、お金をかけたくなければ鈍行列車で往復したり、車の中で寝泊まりしたりすればいい。カメラは、3万円ちょっとで買った、フィルムの送りが調子悪くて15コマ目の写らないフジGS645S、フィルムはあの陰影を出すならリバーサルしかない。あまり思い入れが強いと写らないものも多いだろうから、ニュートラルなプロビアFで。レンズもフジだからホントにニュートラルに写ってくれそうだ。   

 そうして新潟通い、正確にいうと五十嵐通いが始まり、1年後には五十嵐の写真で個展を開くことができた。そして今でも、五十嵐をはじめとした新潟の海沿いの、あの見通しのきかない、しかし見晴しのよい奇妙な丘の上で写真を撮り続けている。あの頃の記憶と、現在の驚きとを交互に思い起こしながら。     

(2003年5月17日記)

五十嵐ノ丘#2会場写真 

五十嵐ノ丘'01-'03会場写真

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