・ジミー・バン・ヒューゼン(Jimmy Van Heusen)
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1913年ニューヨークシラキューズに生まれる。幼児期からピアノをはじめ、作曲は高校時代からという。
シラキューズ大学で本格的にピアノと声楽を学び、ニューヨークのティンパンアレイで、ピアニストとして働きながら作曲を続けていたが、38年にはジミードーシーとの共作による、「イッツ・ザ・ドリーマー・イン・ミー」で最初のヒットを放った。39年から作詞家ジョニーバークと、またバークの死後はサミー・カーンとコンビを組んで次々とヒット曲を量産した。
代表作 imagination、it
could happen to you、like
someone in love 、i
thought about you

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・ビクター・ヤング(Victor Young)
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1900年シカゴで生まれる。1956年CAパームスプリングズで死去。
10歳の時、母が他界したため、父とともに故郷ポーランドに戻り、ワルシャワ王立音楽院でバイオリンを学んだ。卒業後ワルシャワフィルで活動した後、20年に帰米し、ロサンゼルスやシカゴの劇場で指揮者となった。32年にはニューヨークのブランズウィックレコードのディレクターとなり、その後、ビングクロスビーの勧めで映画音楽を手がけ始めた。生涯に手掛けた映画音楽は300本以上。
代表作 stella
by starlight、my
foolish heart、all
of me、easy
living、love
letter、golden
earrings、
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・フランク・レッサー(Frank Loesser)
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1910年ニューヨークで生まれる。69年当地で死去。
父がピアノ教師、兄もコンサートピアニストという環境でピアノを学び、わずか6歳にして[ザ・メイ・パーティー]という曲をものにしたという神童である。
ニューヨーク市立カレッジ卒業後ボードビルの台本・作詞を書いていたが、そのうちハリウッドから注目される存在となり、37年にはハリケーンの主題歌「マナクーラの月」の作詞でヒットを飛ばした。彼は作詞・作曲の両方に傑出した才能を持つソングライターである。
代表作 on a slow boat to china、if i were a bell
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・ビンセント・ユーマンス(Vincent Youmans)
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1898年ニューヨークに生まれる。1946年デンバーで死去。
幼少期からピアノを学ぶ、。大学に進んだころ、一時ウォール街で働いたりしたが、やがて音楽で身を立てるべくティンパンアレイで仕事に就いた。第一次大戦中、海軍軍楽隊で音楽を書いたりした後、再びティンパンアレイに戻ると、本格的に作曲活動を開始。
23年に書いた[ワイルドフラワー]が大ヒット、以後数々のヒット生んだ。晩年は健康を害し、デンバーのサナトリウムでの療養生活が長かった。
代表作 more
than you know、carioca
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・ハリー・ウォーレン(Harry Warren)
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1893年ニューヨークブルックリンで生まれ、1981年ロサンゼルスで死去。
少年時代にピアノ、アコーディオンなどを学び、旅回りのショーで役者も経験する。第一次大戦中、陸軍に入隊し、その後ニューヨークのクラブやティンパンアレイでピアニストをしながら作曲を始めた。28年には[ナガサキ]というヒット曲を生み、その後映画音楽を手がけ始めた。32年からはアル・デュビン、40年からはマックゴードンと組んで多くのヒット曲を世に送りだした。
代表作 september
in the rain、i
wish i knew、i
only have eyes for you
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・ジュール・スタイン(Jule Styne)
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1905年ロンドンに生まれる。14年には一家でアメリカへ移住、シカゴで少年時代を送った。ピアノの才能が並外れて優れており、天才児としてシカゴやデトロイト交響楽団と共演するほどだった。13歳で奨学生としてシカゴ音楽カレッジに入ったが、やがてポピュラー音楽に傾倒するようになり、自分のダンスバンドまで結成した。その後ニューヨークで声楽コーチと作曲の仕事を続けているうちハリウッドから注目されるようになり、20世紀フォックス入りして映画音楽を手がけた。47年からブロードウェーミュージカルも作曲、[紳士は金髪がお好き]、[ピーターパン]など数々のヒットを生んだ。
代表作 time
after time、just in time、it's magic
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・ジェイ・リビングストン(Jay Livingston)
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1915年ペンシルバニアのマクドナルド生まれ。小学生時代からピアノを学び、高校時代に学生バンドで演奏を、ペンシルバニア大学ではジャーナリズムを専攻していたが、ここで後の名作詞家レイ・エバンスと知り合い一緒にバンド活動をすることになり、作曲家の道を歩み始めた。
卒業後は、このコンビで本格的にソングライターとして活動する。第二次世界大戦の兵役後、このコンビで再び創作活動を始めたが、やがてジョニーマーサーなどに認められ45年から56年までからパラマウントで映画音楽を手がけ、次々とヒット作を生んだ。
代表作 Mona Lisa、ボタンとリボン、ケセラセラ
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・バーノン・デューク(Vernon Duke)
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1903年ロシアのパラフィアノーボで生まれる。1969年サンタモニカで死去。
革命前夜のロシアで生まれた彼は、13歳でキエフの音楽学校に入ったが、革命を逃れて21年ごろ一家でアメリカへ移住。ナイトクラブなどでピアノを弾いたりしていたが、23年にパリからロンドンへ移ってバレエ音楽やミュージカルを作曲。29年に再びアメリカへ戻り、ガリック・ゲイエティーズを皮切りにブロードウェーミュージカル作曲する。特に32年の「ウォーク・ア・リトル・ファスター」から、「4月のパリ」が大ヒットした。
代表作 love
is here to stay out、autumn
in new york、april
in paris
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・フレデリック・ロウ(Frederick Loewe)
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1904年ベルリンに生まれる。
5歳からピアノを習い、7歳で早くも楽曲を書くようになり、13歳でピアノのソリストとしてベルリン交響楽団と共演するという天才ぶりを発揮した。アメリカで作曲家になろうと志し、24年に渡米。当初は苦難の時代が続いたが、42年に作詞家アラン・ジェイ・ラーナーと組んでからヒットが生まれるようになり、47年のミュージカル[ブリガドゥーン]で名声を高めた。その後、「ベンチャーワゴン」、そして大ヒット作「マイフェアレディー」「キャメロット」「ジジ」を生んでいる。
代表作 on
the sunny side of the street、一晩中踊れたら、マイ・フェア・レディ、彼女の顔に慣れてきた
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・バート・バカラック(Burt Bacharach)
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1928年ミズーリ州カンサスシティー生まれ。少年時代、家族とともにニューヨークに移った彼は、高校生の時ビ・バップに感化され、自分でもバンドを結成してジャズを演奏し始めた。その後二・三の音楽学校へ進みダリウス・ミヨーに教わったりもした。53年除隊後ビッグ・ダモンの伴奏者として楽界入りし、58年からマレーネ・ディートリッヒの伴奏指揮を務めた。
その頃作詞家ハルデビットと知り合い、62年から本格的にコンビを組んで作曲活動を始める。
2人はディオンヌ・ワーウィックを育て、彼女の歌で続々とヒット曲を生んだ。68年にはミュージカル「プロミセス・プロミセス」も大ヒットした。最近はキャロル・ベイヤー・セイガー(彼の夫人)と組んでヒット曲を書いている。
代表作 雨に濡れても、小さな願い、遙かなる影

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