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Lester Young
1909年8月27日にミシシッピ州に生まれる。59年3月15日ニューヨークのホテルハルビンの客室で変死体として発見される。父は教育を受けたミュージシャン/バンドリーダーで、レスターヤングとともに妹のアーマを指導した。親せきにもニューオーリンズのトロンボーンベーシストオースチンヤングやサックスのイザイヤヤングがいた。一家はレスターが生まれて間もなくニューオーリンズに移り、レスターはトランペット、アルトサックス・バイオリン・ドラムスを父から教わった。1920年ごろ一家はミネアポリスに移り、レスターはファミリーバンドでドラマーとなってミネソタ、カンザス、ニューメキシコ、ネブラスカなど各州を巡演したが偏見の厳しい南部へのツアーを嫌った彼はアリゾナ州フェニックスでバンドを離脱、カンサス州サリナなのカフェでアートブロンソンのボストニアンというバンドに入り、テナーサックスを与えられた。ブロンソンが解散すると彼はミネソタに戻り、アルト、テナー、バリトン、サックスを持ち変えてミネアポリス付近のいろいろなバンドを転々とした後、1932年春ブルーデビルスに入り33年秋デビルスの数人のメンバーとともにカンサスシティーのベニーモーテン楽団に移った。このごろ彼はクラレンスラブ楽団、またオットージョーンズが在団していたキングオリバーバンドでも短期間プレーしている。カウントベイシーを長とするバンドでアーカンソー州リトルロックに巡業したとき、フレッチャーヘンダーソンが自分のバンドを解散してバンドぐるみ雇うと思ったほど気に入り、34年春バンドの大スター、コールマンホーキンスが退団した後はレスターを入れたが、バンドの全員が反対したため3カ月あまりでいたたまれずに退団した。ベイシー楽団には40年12月まで在籍、この間ビリーホリデイの初吹き込みに数多くつき合い、彼女に[レディデイ]というあだ名をつけ、彼女からプレス[大統領の略]というあだ名をもらった。41春、自分のコンボでケリーズステーブル123週間出演後、ロスへ移り弟のリーとバンド作り、ビリーバーグに出演。レスターの革新的なスタイルは万人に注目されたものではなかった。レスターの影響が最初に現れ出したのは40年でも後半に入ってからのことだった。スタンゲッツ、アrンイーガー、ブームムーア、ズートシムズそしてリーコニッツ一連の白人プレイヤーはその影響を聞かれて一様にレスターヤングと答えている。白人プレイヤーはレスターの音色とフレーズの双方から影響を受けたのだが、黒人プレーヤーの場合は音色はホーキンス、フレージングはレスターと言う行き方をとった。ジーンアモンズ、デクスターゴードン・ソニースティットからソニーロリンズに至るバップテナー奏者には、白人向きなクールサウンドだけは共感を呼ばなかったらしい。だが音色とフレージングともに取り入れたプレイやが少なくとも1人いる。初期のマイルスデイビスその人だ。トランペット奏者のことごとくがガレスピーを追ったのに対して、テクニックが不足していた駆け出しのマイルスは、レスターヤングを見習うところから、まったく新しいモダントランペッターピンのスタイルを編み出したのであった。
代表作
「レスターヤングストーリーvol.1〜5」 「カンザスシティシックス」
「カンプリート・サボイ・レコーディング」
「プレス・アンド・テディ」
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