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Tal Farlow (タル・ファーロー)
1921年6月7日ノースカロライナ州に生まれる。
21歳でようやくギターを手にしたが、47年ダーダネラブレッケンブリッジの伴奏者、48年マージーハイアムススリー・49年バディデフランコシックスを経て、50−53年名高いレッドノーボスリー、53−55年のノーボファイブに参加、屈指のテクニシャンして名を売るに至る。
この間の54年にはアーティーショウの最後のブラマシーンファイブにも参加し、ブルーノートに初リーダー録音。
この後56年と58年にエディコスタを含む自己のトリオを率いたが、まもなく引退。看板描きの職に従事した。
67年のローカル演奏がきっかけとなって、翌年のニューポートジャズ祭に出演、大成功を収め、以後パートタイムでシーンにカムバック。76年以降はよりステディな演奏活動続けている。
代表作
「タル・ファーロウ・カルテット」「オータム・イン・ニューヨーク」
「タル」「インタープリテイションズ・オブ・タル・ファーロウ 」
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Teddy Wilson (テディ・ウィルソン)
1924年11月24日テキサス州オースチンに生まれる。
30年にシカゴへ出てルイアームストロングなどと共演、ニューヨーク進出後、35年7月ベニーグッドマン、ジーンクルーパとトリオを組んでその名を世界に知らしめた。
39年、独立後短期間であるがビッグバンドを率いた。40−44年はコンボを率い、40年代半ば、グッドマンコンボに返り咲いた。
その後55年までジュリアードで教鞭をとる。
その間しばしば渡欧。50年から60年代にもグッドマンとの共演は何度かあったが、73年にニューポートジャズ祭でのオリジナルベニーグッドマンフォーの再現で人気を博した。
代表作
「 ザ・テディ・ウィルソン」アイ・ガット・リズム」
「テディ・ウィルソン・アンド・ヒズ・ビッグ・バンド1939/40」
「フォー・クワイエット・ラバーズ」
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Thad Jones(サド・ジョーンズ)
1923年3月28日ミシガン州に生まれる。
ハンクの弟でエルビンの兄。
ソニースティットらのバンドで演奏後、軍隊にとられ、除隊後ビリーミッチェルのバンドで演奏。54年カウントベイシー楽団に迎えられ広く知られるようになった。60年代初めにベイシーのもとを離れ自己のコンボで活躍。
65年末、メルルイスと双頭ビッグバンドを結成、名声を博した。78年12月にサド〜メル楽団を解散。
その後、デンマークに渡り、当地でビッグバンドを組織して活躍。帰国後、85年2月ベイシー亡き後のカウントベイシー楽団のリーダーに就任。
代表作
「ザ・ファビュラス」「ザ・マグニフィセント・サド・ジョーンズ」
「プレゼンティング/サド・ジョーンズ〜メル・ルイス」
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Thelonious Monk (セロニアス・モンク)
1920年10月10日ノースカロライナ州に生まれる。
82年2月17日ニュージャージー州の病院で脳溢血のため死去。
4歳のとき、家族とともにニューヨークに移住。
11歳でピアノを習った。プロになったのは17歳で、最初は福音伝導隊のピアニストとして旅に出た。
40年「ミントンズ」でディジーガレスピー・チャーリーパーカーらと共演。42年にはコールマンホーキンス四重奏団で演奏。その後、自己のグループで活動続けた。57年、ジョンコルトレーンを加えた4重奏団で「ファイブスポット」に6カ月の長期出演、59年以降はチャーリーバネットを迎えた4重奏団を率い70年まで継続。その後病気で活動を休止したが、75年ニューポートジャズ祭で復活。以降は体調を崩し、第一線から退いていた。
セロニアスモンクは、自分の欲する音楽を一途に追求してきたミュージシャンで、いかなる妥協も協調もモンクには不要であった。
モンクは日ごろからデュークエリントンなどを尊敬、伝統の基盤の上にありながら、真に独創的な表現方法によって比類ない個性豊かな世界を作り上げた。彼の影響が革新派のミュージシャンたちにまで及んでいるのも注目に値する。まさしく次代を超える偉大なアーチストであった。
代表作
「セロニアス・モンク・トリオ」「ブリリアント・コーナーズ」
「モンクス・ミュージック」「モンクス・ドリーム」
「ソロニアス・アローン・イン・サンフランシスコ」
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Tommy Flanagan (トミー・フラナガン)
1930年3月16日ミシガン州デトロイトに生まれる。
45年にデクスターゴードンのグループで演奏。46−48年はラッキートンプソン、ミルトジャクソンらのバンドを遍歴。
50年代の終わりに自分のトリオ思ったこともあった。
50年代を通じてソニーロリンズ、マイルスデイビス、ジョンコルトレーンといった巨人のサイドメンとしてこの音色を聞かせていた。
またエラフィッツジェラルド・コールマンホーキンスなどとも仕事をした。以後自己のトリオなどで活躍、78年にスーパージャズトリオを結成して吹き込みを行い、その後も順調に活動を続けている。
名盤の陰にトミフラ有りといわれる人である。
代表作
「 サキソフォン・コロッサス/ソニーロリンズ」「オーバーシーズ」
「ザ・トミー・フラナガン・トリオ」「静かなる・ケニー 」
「ブッカー・リトル/ブッカー・リトル」
「ブルースウェット/カーティス・フラー」
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Wayne Shoter(ウェイン・ショーター)
1933年8月25日にニュージャージー州ニューアークに生まれる。
4年間ニューヨーク大学で勉強後、56年から58年まで軍隊にとられた。
除隊後59年秋アートブレイキーのジャズメッセンジャーズに迎えられ、65年までブレイキーと行動を共にした。
64年マイルスデイビスのグループに入り、70年春まで在団。
70年12月にジョーザビヌルと双頭コンボ、ウェザーリポートを結成、絶賛を浴びた。
以後、同コンボで活躍する一方、VSOPのメンバーとしても高い評価を得た。その後ウエザーリポートは解散したが、初の自己のグループを率い新たな活動に入っている。
代表作
「 イントロヂューシング」「アダムズ・アップル」
「オデッセイ・オブ・イスカ」「ウェザー・リポート」「アトランティス」
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Wes Montgomery (ウェス・モンゴメリー)
1925年3月6日インディアな州インディアナポリスに生まれる。
68年6月15日故郷で心臓病のため死去。
兄モンク、弟をバディらとともにモンゴメリーブラザースというグループを組んでいたことがある。独学でギター奏法を学んだ後、48−50年にライオネルハンプトン楽団に参加。それ以降59年に西海岸に進出した以外はあまり活動せず、生地にとどまっていたが、60年キャノンボールアダレイに発掘され、驚異のギター奏者として名声を博した。
その後イージーリスニングジャズ流行の先駆けとなるヒット作を発表した。
彼のギター奏法の特徴であるピックを使わない右手親指による指頭奏法とオクターブ離れた同じメロディーを一弦間をおいて引きおろすオクターブ奏法は、自らのアイデアで開発している。
指頭奏法は最初、アンプを通さないでピックを用いた練習をしていたが、アンプを入れて弾くとあまりにボリュームが大きく、近所迷惑となったためで指で弾くようになったという。指頭奏法を開発し、すぐにオクターブによりメロディーを引く奏法を編み出したという。
代表作
「フル・ハウス」「インクレディブル・ジャズ・ギター」
「ハーフノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー」
「ソリチュード」
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Woody Herman(ウディ・ハーマン)
1913年5月16日付ウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれる。
33年、自分のバンドを持つが失敗、その後アイシャムジョーンズ楽団に入った。36年、同楽団を解散後、その主要メンバーを集めてバンドを結成。
その後バンドにチャビージャクソンらが加わり、ファーストハードが形成され黄金時代を迎えた。
47−49年はフォアブラザーズバンドを結成、スタンゲッツ・ズートシムズらを擁して脚光を浴びた。
50年代末にはスインギンハードを率いて活躍。76年にバンド結成40周年記念コンサートを開き、以後コンテンポラリーな要素も取り入れて好評得ている。
代表作
「サンダリング・ハーズ」
「ウディ・ハーマン・アット・カーネギー・ホール 」
「アーリー・オータム」
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Wynton Kelly (ウィントン・ケリー)
1931年12月2日ニューヨークのブルックリンに生まれる。
71年4月12日カナダのトロントで死去。
43年にプロ入り、15歳でレイアダムスのコンボに参加、カリブ海周辺を巡演した。その後リズムアンドブルース畑に身を投じ、次いで3年間ダイナワシントンの伴奏コンボに加わった。
以降レスターヤング、ディジーガレスピーらと演奏。
52−54年は軍隊にとられ、除隊後再びガレスピーのバンドに参加。57年12月、自分のトリオを率いた。59年にマイルスデイビスのコンボに招かれ63年まで在籍、人気を博した。
その後、ポールチェンバース、ジミーコブとトリオで活躍。
ウィントンケリーのエッセンスは、右手のアドリブフレーズに聞かれるフレキシブルなノリである。とにかく絶妙にスイングすることこのうえないのだが、サイドマンとしてのアルバムに名盤が多い。
代表作
「枯葉」「ソウル・ステーション/ハンク・モブレー」
「ケリー・アット・ミッドナイト」 「ケリー・ブルー」
「ハーフノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー」
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Wynton Marsalis (ウィントン・マルサリス)
1961年10月18日、ニューオーリンズに生まれる。
父親エリスはピアニスト。兄ブランフォードはサックス奏者。
6歳でトランペットをはじめ、10代でニューオーリンズ交響楽団て演奏。ついでジュリアード音楽院卒業後、80年夏アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズに迎えられた。在籍中、一時期ハービーハンコックカルテットのメンバーとしてツアーに参加、人気を博した。
この時、初リーダー作を吹き込む。82年3月ジャズメッセンジャーズを退団、5月に自己のカルテットクインテットを結成。
83年と84年二年連続でグラミー賞もジャズとクラシックの2部門を制覇。新伝承派のリーダーとして自己のカルテットで活躍中。
80年代の開幕とともにジャズの世界に登場したウィントンマルサリスは、その後のジャズの方向を決定づける歴史的にも重要な役割を果たした。
時代はすでに次なる方向の模索期にあったとはいえ、ウィントンの出現は流れを変えたという意味では50年代末期のをオーネットコールマンの登場に並ぶ転換をジャズにもたらしたといえよう。
ウィントンの命題は、60年代中期以降、拡散の度を深めるジャズを再び本道に立ち戻らせることにあった。
黒人文化の象徴としてのジャズに、ひいては黒人同胞にさらなる誇りを意識させたのである。
代表作
「スターダスト」「マルサリスの肖像 」
「スタンダード・タイムvol.1〜3」
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Zoot Sims (ズート・シムズ)
1925年10月29日カリフォルニア州イングルウッドに生まれる。
85年3月23日ニューヨークの病院でがんのため他界。
16歳でプロになり、40年代の前半は数々のバンド、コンボで活動、47年ウディハーマンのバンドに加わり一躍スタープレーヤーとなった。
ベニーグッドマン・スタンケントン楽団を経て、56年にジェリーマリガンと共演、以後60年代を通じてニューヨークを本拠地にアル&ズートや自己のグループで活躍した。
72年には再びグッドマンと共演、渡欧している。
以降、アメリカ、ヨーロッパのフェスティバルに多く出演、円熟したプレイを披露していた。
代表作
「ダウン・ホーム」「ズート・シムズ・オン・ヂュクレテ・トムソン」
「ズート」「ズート・アット・イーズ」
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