浦和レッドダイヤモンズファン 世界第三位の日本屈指のビックチーム

 

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サッカー(Soccer)とは
サッカーの起源説? 昔のサッカーは手を使っても良かった?
古代から、押し合いしながらボールを蹴ってゴールに入れるという、サッカーの原型の様なゲームはあった。ブリタニカによると、BC206年の中国には既にサッカーのようなものが行われていたという。(「球を蹴る」という行為に限って言えば、日本でも「蹴鞠」として5世紀頃から行なわれていた)
また、古代ギリシャでも、サッカーの元となるようなゲームがあり、ローマにもそれがBC2年までに広まっていった。当時のサッカーは、ボールを宙に投げてゲームがスタートし、敵のゴールにボールを入れる、というものだったようだ。
14世紀になると、フィレンツェには、宮廷の門前で賞金を賭けてボールを蹴りあう「カルチョ」と呼ばれるサッカーのようなもの出現。中世ヨーロッパでも、動物の膀胱を膨らませたものをボールにし、蹴ったり投げたりするmellaysという名前のゲームが大衆の間で流行していたという。
また、12世紀頃のイングランドでは、民衆の間での単純なボールの奪い合いが流行。ひどい時には死傷者が出る程で、1389年には時の国王のリチャード2世が禁止令を出すくらいポピュラーなものになっていた。
当時のイングランドでは、そのような「ボールの奪い合い」はスポーツであると同時に毎年一回、レント(四旬節)
*の最後の日である懺悔の火曜日(Shrove Tuesday)に行われる祭りだった。
足でボールを蹴る遊戯は、考古学的には、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマから足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されている。中国では戦国時代から足で鞠を蹴りあう蹴鞠という遊戯が存在した。また、戦場で兵士が敵兵士の生首を蹴って遊んだのが起源という説もある(手を使わないルールは、「血だらけの生首を手で触れたら汚い」というところから来たのかもしれない)。 尚、韓国サッカー協会が自身のウェブサイト上で「サッカーの起源は朝鮮半島」と書いて、多くの抗議を受け削除したことがあった。
ただボールを奪い合い、明確なルールを持たないまま徐々に発展していったサッカー。だが、特にサッカーが盛んだったイングランドで、19世紀初めに資本家たちの子弟が多く通うパブリックスクールの授業でサッカーが盛んに取り入れられるようになってから、明確なルールが作られ始めた。
しかし、ルールは存在するようになったものの、その内容は各学校によってバラバラ。なので、対外試合をするときに、ルールの不一致で不都合が生じるようになったため、ルールを統一しようと、1863年、サッカー協会(Football Association)が設立された。
さて、当時、様々なルールが混在する中、共通しているものがあった。それは、
1.手を使ってもOK
2.ボールを持って走ることは禁止
3.ラグビーのスクラムに相当する密集状態はOK
4.ゴールへ得点して勝敗を決める
5.ボールを持っている相手の脛を蹴ってもOK
の5つ。その当時の「フットボール」は、手足を自由に使い、ボールを相手陣内に運び込む、というものだったのだ。
サッカーとラグビーに別れたFootball サッカー・ワールドカップ第一回の参加国は13カ国
だが、ここで決まった「手を使ってはいけない」というルールに反発した一派がいた。この一派が現在のラグビーの母体を作ったのだが、彼らはラグビー・フットボール・ユニオンを結成。
ここで、「フットボール」はアソシエーション式(association football=サッカー)とラグビー式(rugby football)に分化したのだ。
ちなみに、ラグビーの起源は、イギリスのラグビー学校(Rugby School)で、1823年、エリス(William Webb Ellis)という名の少年がフットボールの試合中に興奮してボールを持って走り出した、とされている。手を使うことが許される競技であったものの、ボールを持って走ることが禁止されていたというのだ。エリス少年の出来事をきっかけにして、ラグビーという新たな競技が生まれたのも納得できるだろう。そして、このことがsoccerとfootballの違いを生み出したのだ。やがて、association footballが一般化すると、呼び名が「soc」に略され、当時、学生の間で流行っていた、語尾にerをつける呼び方「soccer」が広まったのである。
つまり現在、アメリカ英語では「soccer」、イギリス英語では「football」と呼ばれている「サッカー」、元々は、footballの中の一部の競技がsoccerなのだ。
また、他の英語圏では、地域によるfootballの差異から、アメリカン・フットボール、オーストラリアン・フットボール、ゲーリック・フットボールを誕生した。
そんなサッカーが世界各国に広まり、最初に国際試合が行われたのは1872年、スコットランドvs.イングランドだった。やがて、1901年にはウルグアイvs.アルゼンチンによる南米初の国際試合も行われた。そしてこのウルグアイでは、建国100周年の記念事業を兼ねてサッカー・ワールドカップが1930年、わずかに13カ国の参加ながら開催されたのである。また一方では、第一次世界大戦の勃発を機に、戦場に出て行ったイングランドの男達の代わりに、女子サッカークラブが数多く誕生している。ちなみに、女子サッカーに対しては世界各国で男尊女卑の偏見によって禁止されていた時代が長いため、真の評価がなされてきたのは近年になってからで、ワールドカップも1991年に中国で初めて開催されたほどである。

サッカーの歴史 サッカーが日本にやってきたのは明治時代

1863年にフットボール協会ができてまもなく、イギリス以外の国でもサッカーが広く行われるようになり、最初の国際試合も1875年に実現しました(日本にも1870年代にはサッカーが伝えられています。)。そして20世紀に入り、国際サッカー連盟(FIFA)が誕生することとなります。当初は国際サッカー連盟はフランスを中心とする7か国のみが加盟して発足しましたが、その後急速に加盟国を増やし、2000年3月現在で202の国と地域がFIFAに加盟しています。
このようにサッカーが広く世界に普及することとなった背景には、もともと世界各国でサッカーに類似したスポーツが行われていたことや、サッカーがボールと広いスペースさえあればだれにでも楽しめるスポーツであることのほか、サッカーが競技として確立した当時は産業の急速な発達に伴って、世界中で交通網が整備された結果、国際的な交流が盛んに行われるようになっていましたが、その当時の世界では、イギリスが最も影響力の大きな国であったことなどが考えられています。

やがて、サッカーは日本にも伝えられた。1873年(明治6年)、イギリスのアーチヴァールド・ルシアス・ダグラス(Archbald Lucius Douglus)海軍少佐と部下たちが、日本の海軍兵学寮でサッカーをしたのが始まりだそうだ。しかし、この時はまだ正式なルールなどは伝わっておらず、単なるボール蹴り遊び程度のものだった。その後だいぶたった1905年(明治38年)、東京高等師範学校に赴任したイギリス人デハビランド氏が初めて正式なサッカーを伝えた。1921年(大正10年)には全国組織である大日本蹴球協会(後の日本サッカー協会)が設立され、全日本選手権(現在の天皇杯)がスタート。1929年(昭和4年)には 国際サッカー連盟(FIFA=Federation Internationale de Football Association(仏))に加盟、1936年(昭和11年)の ベルリン五輪では、3−2でスウェーデンに勝利している。そして、4年に1度開催されるW杯に日本代表チームが出場したのは1998年フランス大会が初めてで、前回の日韓共同開催が3大会連続3度目の出場となったのだ。
今さら聞けないサッカーの基本ルール
サッカー基礎知識講座 サッカー用語

「サッカーって何人でやるの?」なんて人も、これを読めば、とりあえずは大丈夫。

【基礎の基礎!】
サッカーは各チーム11人ずつで、グラウンドの両端にある相手チームのゴールにボールをシュートし、得点を競う。前半・後半ともに45分ずつで、間にハーフタイム(ミーティングや休憩をする時間)がある。

【ポジションについて】
【フォワード(forward)】…相手の守備陣を突破して得点をする役目の選手。
【ディフェンダー(defender)】…相手フォワード選手の攻撃を阻止する役目の選手。
【ミッドフィルダー(midfielder)】…フォワードとディフェンダーの中間ポジションで、両方をつなぎ、攻撃と守備どちらにも関わる。
【ゴールキーパー(goalkeeper)】…ゴールを守る役目の選手。ペナルティエリア内では、ボールを手で扱うことができる。他の選手とは違う色のユニフォームを着ている。

【ルールについて】
【オフサイド(offside)】…相手サイドでパスを受ける選手より前に、相手チームの選手が2人以上いなければならないというルール。
【コーナーキック(corner kick)】…守備側の選手が最後に触れたボールが、ゴールポスト間を除くゴールラインを越えた場合のゲーム再開方法。攻撃側がゴールラインを越えた地点に近い側のコーナーエリアからキックする。
【ゴールキック(goal kick)】…攻撃側の選手が最後に触れたボールが、ゴールポスト間を除くゴールラインを越えた場合のゲーム再開方法。守備側がゴールエリアからペナルティエリアの外へボールをキックして試合を再開する。
【フリーキック(free kick)】…反則を受けた側が得られる妨害なしのキック。相手チームはボールから9.15メートル離れなくてはいけない。
【ペナルティキック(penalty)】…守備側の選手がペナルティエリア内で直接フリーキックとなる反則をおかした時に与えられるキック。ペナルティエリア内のキックマークから蹴るが、キッカーとゴールキーパー以外はペナルティエリアとペナルティアークの内側に入ってはならない。

【アシスト…(assist)】得点に結びつくパス、または出した選手。

 

【イエローカード…(yellow card)】…主審が試合中に警告を示すためのカード。危険行為や非紳士的行為をしたと判断された選手に提示される。1試合で同一選手に対し2枚目のイエローカードが提示された時点でレッドカードが提示され、その選手は退場になる。


【ハットトリック(hat-trick)】…一人の選手が1試合で3得点すること。帽子(hat)のマジック(鳩が飛び出してくるような)のようにすごいということからこの名前になった。


【アシスト(assist)】…得点に結びつくパスを出すこと、または出した選手のこと。

【ロスタイム…(extra time/injury time)】…試合中、無駄に過ぎている時間(例えば、選手が怪我をして運ばれる時間など)は主審が時計を止めているため、掲示板などにある時計がタイムアウトになっても、主審の時計がタイムアウトになるまで試合が続行される。このタイムアウト以降の時間をロスタイムと呼ぶ。

【PK合戦(penalty/shoot-out)】…同点のまま試合が終了した時に、勝敗を決めるために行なう。両チームから5人ずつ出て、交互にペナルティキックを行ない、得点の多いチームの勝利となる。5人ずつ終わった時点で同点だった場合は、一人ずつのサドンデス方式(sudden death=先に入れた選手のチームの勝ちになる)に切り替わる。

その他、選手交代 (substitution)、退場(sending off)、審判(referee)、同点(tie)などが良く使われる。

Jリーグとは

日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、Jリーグ)は、財団法人日本サッカー協会が主催、社団法人日本プロサッカーリーグが主催・運営する日本のプロサッカーリーグ。

日本のサッカーの活性化・実力向上と、地域と一体となったスポーツ振興を目的に掲げている。日本のプロサッカーリーグでディビジョン1(1部・J1)とディビジョン2(2部・J2)がある。J1は18チームが所属。ホーム&アウェイの2回戦総当りで34試合を戦い、優勝チームにはAFCアジアチャンピオンズリーグの出場権が与えられる。また、17・18位の下位2チームはJ2へ自動降格。16位はJ2の3位チームと入れ替え戦を行う。

J2は13チームが参加。上位2チームがJ1へ自動昇格し、3位がJ1・16位と入れ替え戦へ出場する。勝ち点は勝利が「3」、引き分けが「1」、負けが「0」。勝ち点の多い順に順位を決定し、同じ場合は得失点差、総得点の順に決定する。

 

 

 

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現在のJリーグの順位

浦和レッドダイヤモンズ   通称 浦和レッズ  正式名称 株式会社三菱自動車フットボールクラブ
創立 1950年 ホームタウン 埼玉県さいたま市
クラブ名の由来

 

  ●「浦和」は、クラブが発足した当時のホームタウンの市の名前です。
    2001年5月1日に、浦和市は与野市、大宮市と合併。現在は「さいたま市」になっています。

  ●「レッドダイヤモンズ」
    ダイヤモンドの最上の輝き、何物にも傷つけられない強さ、固い結束力が、この愛称にこめられています。
    ダイヤモンドは、光の当たり方によって様々に輝きます。

    イレブンにスタンドからサポーターの光が当たってこそ、「レッドダイヤモンズ」が真っ赤な炎のように光り輝くものと確信しています。
    「レッド=赤」は、クラブカラーです。浦和を舞台とした漫画「赤き血のイレブン」もカラーは赤。前身の三菱サッカー部のユニホームも赤でした。

  ● クラブ名は、創立の1992年4月から1996年1月までは「三菱浦和フットボールクラブ」。愛称「レッドダイヤモンズ」でした。
    1996年2月にクラブ名を「浦和レッドダイヤモンズ」に変更しました。

所属選手データ  監督 フォルカー フィンケ
  名前 背番号 日本代表経験 生年月日 身長/体重 前登録チーム
GK 山岸 範宏 1 1978.05.17 185 / 84 中京大
GK 都築 龍太 23 1978.04.18 185 / 81 ガンバ大阪
GK 加藤 順大 28   1984.12.11 180 / 71 浦和レッズユース
GK 大谷 幸輝 29   1989.04.08 185 / 80 浦和レッズユース
DF 坪井 慶介 2 1979.09.16 179 / 67 福岡大
DF 田中 マルクス闘莉王 4 1981.04.24 185 / 82 水戸ホーリーホック
DF 堤 俊輔 12   1987.06.08 177 / 69 浦和レッズユース
DF 濱田 水輝 26   1990.05.18 185 / 80 浦和レッズユース
DF 堀之内 聖 20   1979.10.26 178 / 72 東京学芸大
DF 近藤 徹志 25   1986.11.04 187 / 77 愛媛FC
DF 永田 拓也 21   1990.09.08 169 / 58 浦和レッズユース
DF 野田 紘史 30   1986.08.17 169 / 64 阪南大
DF 橋本 真人 31   1989.10.12 190 / 76 市立船橋高
MF 細貝 萌 3   1986.06.10 177 / 64 前橋育英高
MF 山田 暢久 6 1975.09.10 175 / 66 藤枝東高
MF 三都主 アレサンドロ 8 1977.07.20 178 / 69 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)
MF ポンテ 10   1976.11.06 174 / 69 バイヤー・レバークーゼン(ドイツ)
MF 鈴木 啓太 13 1981.07.08 177 / 67 東海大翔洋高
MF 平川 忠亮 14   1979.05.01 171 / 67 筑波大
MF 林 勇介 32   1990.01.23 170 / 60 盛岡商業高
MF 赤星 貴文 18   1986.05.27 175 / 72 水戸ホーリーホック
MF 阿部 勇樹 22 1981.09.06 177 / 77 ジェフ千葉
MF 梅崎 司 7   1987.02.23 167 / 64 大分トリニータ
MF 西澤 代志也 27   1987.06.13 174 / 66 浦和レッズユース
MF 高橋 峻希 33   1990.05.04 169 / 68 浦和レッズジュニアユース
MF 山田 直輝 34   1990.07.04 166 / 64 浦和レッズジュニアユース
FW 高原 直泰 19 1979.06.04 180 / 77 アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)
FW 田中 達也 11 1982.11.27 167 / 63 帝京高
FW エスクデロ セルヒオ 15   1988.09.01 171 / 71 浦和レッズユース
FW エジミウソン 17   1982.09.15 183 / 77 アルビレックス新潟
FW 原口 元気 35   1991.05.09 177 / 63 浦和レッズジュニアユース