|
■Ultra Micro Nikkor Grand History
|
●
はじめに
ここで、ウルトラマイクロニッコールの歴史を整理しておきたい。
ヒストリーは、ただレンズの写真を並べただけでは意味がない。
年表よりも物語がたいせつだ。
レンズの開発にあるバックグラウンドを探ってこそ見えてくるものがある。
●
埋もれた歴史を掘りおこす
ウルトラマイクロニッコールに関する情報はきわめて少ない。
読者の方で、詳しい情報・資料をお持ちのかたは、ぜひ協力していただきたい。
このWebサイトを2001年10月末に立ち上げてから、
いままで不明だったデータを読者の方から提供していただいた。
また、株式会社ニコンのサイトでも取り上げていただき、
無名の技術者たちの誇りとスピリットを知ることができるようになった。
しかし、まだまだ解明されていない歴史が埋もれている。
いまからでも遅くはない。遅くはないが、もう時間切れ寸前の状況を実感している。
開発に携わった当時の方や、ガラスサンプル、設計図面をお持ちの方は連絡をいただきたい。
Webは生き物なので、順次、エピソードを掲載していきたいと思う。
すこし長くなるので、興味のある方はプリントアウトしてでも読んでください。
一般の趣味のWebサイトにくらべて、はるかに字が多いのがコンセプトなのだから。
Nikon F and Ultra-Micro-Nikkor 55mm F2, Summer Field Light
●
はじまりの原点
このサイトをごらんになっている方はカメラファンで、なおかつニコンが好き、
あるいは興味のある方だと思う。
また、ライカやツアイスなど世界の銘機にもくわしく、
高級カメラも何台かお持ちかもしれない。
レンジファインダーニコンはヒストリックカメラとして、
あるいは投機目的のカメラとしても注目されている。
考え方は自由だから、投機目的であれ、撮影目的であれ、よいことだ。
ニコンのいわゆるマクロ撮影用レンズの原点は、
マイクロニッコール5cm F3.5である。
レンジファインダーニコン用に開発されたSマウントのレンズであって、
今は骨董品的な扱いを受けている非常に高価なレンズだ。
●マイクロ写真システムの夜明け
マイクロニッコール5cm F3.5の登場は1956年10月。
35ミリマイクロフィルムシステム用に開発されたのだ。
レンズ設計の名人といわれた脇本 善司氏の設計であることはあまりに有名。
当時はアメリカから輸入されたマイクロフィルムカメラを使用していた時代だが、
レンズの能力に、とくに日本語漢字に対する能力に問題があったという。
英語にくらべて、字画が格段に多い。
バラは英語でROSEだが、漢字では薔薇だ。分解能がいかに重要か理解できる。
マイクロフィルムシステムってそもそも何だ。
という読者のために言うと、いまのようにパソコンだ電子化だITだという世界の前は、
文書保存処理はかなりアナクロだった。
企業などで文書を保存する場合、紙のままだとかさばる。
そのため、書類を1枚1枚写真に撮って保存したのだった。
もちろんマイクロフィルム化は企業の中の専門部門がやったり、外部の業者に頼んで
マイクロフィルム(マイクロフィッシュ)にしたわけだ。
その形状も、ロールフィルム状のものから、はがきくらいのサイズのフィルムにびっしり
書類の写真を写しこんだもの、紙のカードに窓があいていて、その部分にフィルムが
埋め込まれているものなど、多種あった。
そのマイクロフィルム撮影用のレンズを国産化し、さらに漢字でもらくに縮小できるような
高解像度レンズの要求に応えたのが、マイクロニッコール5cm F3.5であった。
カメラ各社にあって、いわゆるマクロ撮影用の一眼レフレンズはMACROと冠されているが、
ニコンがMICROにこだわる原点はここにある。
●
要求仕様は限界を超えた
1960年初頭。東京は大井町。
日本光学には、国内の電気関係メーカーや有力な印刷会社から、
マイクロニッコールにかんする問合せがくるようになったという。
シリコントランジスタ回路の製作に必要な、回路写真原版(フォトマスク)を
作れる高解像度レンズを必要としていることが分かったのは、その後であった。
印刷会社で使用されていた当時の写真製版用レンズでは、
その要求仕様にこたえることができなかったのだ。
日本光学は、フォトマスク製作専用の高解像度レンズに取り組み始めた。
要求仕様は光学レンズの限界を超える高解像度。
フォトマスクって何だ。
日本光学は、本気だつた。
(NHKの"プロジェクトX"ものだ。ほんとの話)
●
極超高解像度レンズ 105mm F2.8 完成
1962年8月。
日本は暑かった。
堀江謙一氏(当時は堀江青年)が小さいヨットで単独太平洋横断に成功した。
世界初だ。
新聞に大きく報じられた。デパートでは冒険行の展示会が開催された。
屋上に展示されたマーメイド号の前で私は記念写真に収まった。
マーメイド号のプラモも買った。
極超高解像度レンズの開発は困難をきわめた。
前例のないことへの挑戦。理想光学レンズへの熱き想い。
光学ガラス材の吟味と選定。職人技のガラス溶解。
超精密なレンズ研磨。
機械では不可能な最後は手指によるレンズ曲面の実現。超精密仕上げのあくなき追求。
選りすぐられた技術者によるアセンブル。これは職人技か神業か。
レンズは超精密測定器(これも新規開発)で光学性能が測定された。
高度な技術を持つ技術者の微妙な調整が続く。
最後に検査合格証にインクでサインが入った。
ビロード内装、ニス塗りの重たい木箱に収められた。
極超高解像度レンズ 105mm F2.8が完成した。
熱い夏だった。
太平洋。ヨット。堀江青年の夏8月。
世間の熱狂とは別に完成した極超高解像度レンズ 105mm F2.8。
ウルトラ・マイクロニッコールと名付けられた。
ウルトラということばが日本人になじんだのは、
1964年の東京オリンピックだ。
体操競技で、超難易技をウルトラCとよんだ。
TV中継では、アナウンサーはウルトラCと声高に絶叫した。
ウルトラQという怪獣もののTV番組が登場した。
ウルトラマンの活躍も、日本の子供の共通の話題となった。
ウルトラ・マイクロニッコールと名付けた関係者、技術者のセンスはすばらしい。
開発物語での苦労は、ニコンの関連文献からでは不明である。伝わらない。
ぜひ、ここで、株式会社ニコンはこの開発物語を残しておくことをおすすめする。
日本のコンピュータ産業は、ウルトラマイクロニッコールがなかったら、
別な方向に向かっていたのかもしれない。
Ultra-Micro-Nikkor 50mm F1.8h, Lives in a Forest
●
小穴先生と日本光学
ウルトラマイクロニッコールの存在を世に知らしめ、
常識を超えた要求仕様で日本光学を牽引した科学者がいる。
当時、東京大学理学部教授だった小穴 純先生だ。
小穴先生の名前は知らなくても、暗室をやる方だったら、小穴式ルーペという
ピント合わせ器具を知っているだろう。あの発明者が小穴先生だ。
もっと身近なところでは、アサヒカメラの
ニュフェース診断室の初代ドクターといったほうが説明が早い。
小穴先生は、
超マイクロ写真用として解像力1,000本/mm以上のレンズを要望した。日本光学に。
顕微鏡の40倍対物レンズ(アポプラン系と思われる)をもとに、
撮影倍率1/25倍、e線単色の仕様、そして初めて多層膜コーテング(多層反射防止膜)
を使ったスーパーハイリゾリューションレンズの開発に日本光学は取り組んだ。
産業の根幹として活躍しているにもかかわらず、
陽の目をみる機会がないのがエンジニアであり、産業マシーンだ。
そんななかで、ウルトラマイクロニッコールが陽の目をみるときがきた。
●
チャタレー夫人の恋人
1964年11月。
東京オリンピックが終わった日本は、なんとなく気分ハイの秋を満喫していた。
伝説の壮絶的ハイエンドレンズ、ウルトラマイクロニッコール 29.5mm F1.2
の開発は成功した。
世界最高の 1,260本/mm の解像力を持つ、モンスターレンズが完成した。
レンズは6群9枚構成、歪曲収差-1.3%。重量どうどうの800g。
小穴先生は、
このレンズを使って英語の小説全ページを10円切手大のなかに縮小複写した。
全ページといっても数ページではない。原文で330ページもある。
これを12.5mm四方に収めたのである。
さらに同じレンズを使って原本同様に復元拡大してみせている。
小穴先生は茶目っ気たっぷりだ。
標本である英語の小説に選んだのは、「チャタレー夫人の恋人」。
こういうセンス・ユーモアは、やはり科学者ならではのものである。
英文といってもシェークスピアでは、
床屋で平家物語を読んでいるようなものだ。
しぶすぎる。
極小にして顕微鏡で読む。
これは、かなりストイックな愉悦ではないか。
●
蛍石とウルトラマイクロニッコール 29.5mm F1.2
このレンズは、一部で蛍石を使っていることで、一部のマニヤによく知られている。
当時であるから、人工結晶ではなく、天然の蛍石を使ったものと思われる。
自然界に存在する無色透明な蛍石の入手は、そうかんたんではないはず。
良質の蛍石を求めて、世界から取り寄せたのだろうか。
いまのように人工結晶蛍石(フローライト)の製造技術が確立され、
天体望遠鏡などでひかくてき手ごろな(常識的な)価格で販売されている現状を知ると、
当時の苦労は手にとるようにわかる。
●
レンズが表彰された日
記録によると、
ウルトラマイクロニッコール 29.5mm F1.2は、日刊工業新聞社選定の
1964年十大新製品賞に選ばれている。
また、1965年4月には開発担当者に科学技術庁長官賞が授与されている。
こういった過去の栄光の記録を読むだけでも、
エンジニアに対して「よかったね」、と言ってあげたい。
マイクロニッコールやウルトラマイクロニッコールを設計した脇本 善司氏は
1996年春、紫綬褒章(しじゅほうしょう:
学術芸術上の発明・改良・創作に大きな功績を残した人が対象)
を平成天皇より賜っている。
氏は同年10月5日に逝去されたのが惜しまれる。
ガラスを溶解した人、レンズを研磨した人、最高精度で組み上げた人、
製品検査をした人、販売した人、「よかったね」。
作品はいまでも生き続けている。
●
ウルトラマイクロニッコール年表
ニコンの社史「ニコン75年史・資料集」から、その軌跡を追ってみる。
もちろん製品がすべて掲載されているわけでない。
特徴的な製品がリストアップされているようだ。
どんな時代に、「ウルトラマイクロニッコール」と冠されたレンズが登場したのか、
年代を確認することに意味がある。
なお、社史はふつう1回刷ったきりで配布され、その編集組織は解散する。
改訂版が出ることはない。
誤植が気になる部分もあるが、データは社史そのままを引用させていただいた。
300mm F1.4など非現実的な製品もあるが、これはタイプミスでなくて本当で
そういう世界なのです。ウルトラマイクロニッコールは。
Ultra Micro Nikkor Making History(出典:ニコン75年史 株式会社ニコン発行 1993年)
1962 105mm F2.8
1964 29.5mm F1.2
1965 28mm F1.8
55mm F2
125mm F2.8
135mm F4
1967 28mm F1.8h
55mm F2h
1969 30mm F1.2h
50mm F1.8e
300mm F1.4g
50mm F1.8h
225mm F1.0g
1970 165mm F4
|
●
木箱入りの貴重品
ふつう、機械に取り付けて使用するレンズは、紙のハコに入れて販売される。
リアキャップもない。あってもプラスチック製の一時的なものだ。
ところが、ウルトラマイクロニッコールは専用の木箱入りだ。
レンズのリアキャップは金属削りだしの非常に手のこんだものだ。
もしウルトラマイクロニッコールを1本だけコレクションしようという方がいるなら、
木箱入りをおすすめする。
ニス塗の頑丈な木箱で内装は赤いジュータンならぬ、赤いビロードの布張り。
ここまで豪華でなくてもいいような気がするが、往年の銘レンズである。
これくらいのぜいたくはしてもいいかなと思う。
ウルトラマイクロニッコールは、いまも希少種な貴重品なのである。
●
日本の風景と光
日本が生んだ究極の超高解像度レンズは、日本の風景になじむ。
春の陽光に、なごむ地蔵を表敬訪問したときのスナップだ。
このレンズには、人のこころを癒すパワーがある。
本物とは、そういうものだ。
写真は、ウルトラマイクロニッコール28mm F1.8初期型。
Ultra-Micro-Nikkor 28mm F1.8 early model
Back to RED BOOK NIKKOR
Copyright Akiyama Michio, Tokyo Japan 2001, 2002
|