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■The Recon Aero Nikkor 50cm F5.6 and Sentimental History
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Vintage and Historical Nikkor Lenses
R-Aero-Nikkor 50cm F5.6 No. 38352376
Photo: Copyright (c) 2003, Kiril Arsov, Sweden, All Rights Reserved.
Syowa 19
1944
Japanese Imperial Army
R-Aero-Nikkor 50cm F5.6 Nippon Kogaku
Photo: Copyright (c) 2003, Kiril Arsov, Sweden, All Rights Reserved.
Over the Sky
10,000m Hight
Nippon Kogaku
R-Aero-Nikkor 50cm F5.6 Front Cap
Photo: Copyright (c) 2003, Kiril Arsov, Sweden, All Rights Reserved.
Hyakushiki Shitei
Recon Plane
No. 38352376
Recon Aero
Nikkor 50cm F5.6
R-Aero-Nikkor 50cm F5.6 Rear Cap
Photo: Copyright (c) 2003, Kiril Arsov, Sweden, All Rights Reserved.
Courage, Love
Peace
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白夜のくにから
高度1万メートル。シャッターを切る音が聞こえた午後。
スウェーデンのスーパーマニヤ、キリル・アショブ(Kiril Arsov)さんから、
メールが届いた。
北欧は白夜で、緑の初夏はみどり色だと言っていたが、
添付されてきた写真はビンテージなヒストリカル・レンズだった。
「このレンズのこと、知ってる?」と言われても、
戦前の話なので、これはわからない。
日本光学の社史「75年史」にあたってみた。
航空写真機用エーロニッコールを製品史からリストアップしてみよう。
- 昭和 7年 (1932) Aero-Nikkor 50cm F4.8
- 昭和 7年 (1932) Aero-Nikkor 70cm F5
- 昭和 8年 (1933) Aero-Nikkor 18cm F4.5
- 昭和12年 (1937) Aero-Nikkor 7.5cm F3.5
- 昭和14年 (1939) Aero-Nikkor 10cm F5.6 (広角航空写真機用)
しかし、彼が保護しているレンズは、50cm F5.6だ。
はて、このエーロニッコール50cm F5.6とは何者なのだ。
日本光学の社史をさらに精読してみると、以下のような説明があった。
「大型の航空写真機としては、
19年から川崎製作所で生産された一号自動航空写真機がある。
これは偵察用写真機で、
すでに9年ごろから他社で生産していたものを、
軍の命令により当社が改良して生産を引き継いだ。
写真の大きさを一定にするためには
航空機の飛行高度に応じて焦点距離の異なるレンズが必要であるが、
増産の必要から1種に絞って50cm F5.6(高度1万m用)だけとした。
本機はモーターで露出からフィルムの巻き上げまでを行う全自動式であって、
終戦までの約1年間に600台を生産したが、
大型航空写真機の生産台数としては画期的なことであった。」
ニコン75年史、78ページ、原文のまま引用させていただきました。年号は昭和です。
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レンズ探索
キーワードは、昭和19年、高度1万メートル、偵察用写真機ということだ。
昭和19年当時、高度1万メートルで飛行が可能な偵察機とは何だろう。
どんな写真機だったのだろう。
ウエッブを検索してみたら、大東亜戦争時代の日本の航空機に詳しいサイトと遭遇した。
「彩雲のちょっとけったいな世界」
である。
さっそくそこのBBSで聞いてみた。有名な零戦談話室である。
ここで、たくさんの回答・推測・アドバイスをいただいた。
異なる分野のことはマニヤに聞くにかぎる。
1の質問で10の答えが返る。ありがたい。
キーワードにかかる偵察機としては、日本陸軍機の百式司令部偵察機、
日本海軍機では彩雲艦上偵察機の可能性が高いことが判明した。
また、大型爆撃機に搭載された可能性も否定できない。
しかし私は、このR-Aero-Nikkor 50cm F5.6 No.38352376は、
百式司令部偵察機三型(型式 キ-46-III)に搭載されたものと理解した。
なぜならば、レンズ本人が言っているので間違いないだろう。
ちなみにAero-Nikkorは、日本光学ではエーロニッコールと表記している。
エアロニッコールではない。
スーパーアンギュロンのことをスーパーアングロンと言うこだわりに近い。
もっとも、
中山蛙さん
はズッパーアングロンと言うので、それはそれでこらえておきたい。
なお、R-Aero-Nikkorと刻印があるレンズは、ほかにはない。
Rの刻印は、もちろんRecon PlaneのRである。
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百式司令部偵察機
太平洋戦争時代の、すでに伝説となった名偵察機が、百式司令部偵察機だ。
略して百式司偵、あるいは、飛行機が導入されたときは新司偵と呼ばれていた。
飛行機のカタログ性能は、いくつかのウエッブサイトを検索してみると、
たくさんの情報が得られる。
最高速度を誇り、追いかけてきた敵機を振り切って飛び去ったとか、
二基の強力エンジンで1万メートルの高高度に急速上昇する力強さがよくわかる。
しかし特筆すべきは、その流線型の、なんとも優美な機械様式美にある。
連合国側から、コードネーム、"ダイナ”と呼ばれ、
海外の飛行機サイトでは、「ワンオブ・モストエレガント・エアクラフト・オブWWII」
と説明がある。
この美しい姿を紹介したくて、
百式司偵の鮮明な写真を探した。
飛行機の精密イラストで有名な、
nag's Galleryさんの承諾を得て画像を転載させていただいた。
三菱百式司令部偵察機三型の、きわめて精密なイラストである。
その優美な姿が緻密に書き込まれている。
nag's Gallery
http://www.nags-gallery.com/
三菱百式司令部偵察機三型(型式 キ-46-III)
Hyakushiki Shitei Recon Plane
Photo: Copyright (c) 2003, nag's Gallery, Japan, All Rights Reserved.
当時の写真はどうだろうか。
そこで、かっちんWORLDさんの承諾を得て、秘蔵写真コレクションを使わせていただいた。
陸軍航空本部提供のオリジナル写真である。
そのなかで、優美に飛行している、写真的にも優れている1枚があった。
この撮影者は、写真趣味のパイロットだ。写真の心得がある。
任務としての手持ち航空写真機ではなく、きっと、
上海で買ったばかりのライカIIIcにエルマー3.5cm F3.5だ。
茶革の速写ケースを着けて。
パイロットは搭乗機の翼をアクセントに、
空中をゆうゆうと飛行する新司偵の姿を確認し、シャッターをそっと押した。
その瞬間は、50数年を経ても美しく止まっている。
かっちんWORLDさんの秘蔵写真コレクションは、ここでご覧になれます。
かっちんWORLD
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Hyakushiki Shitei Recon Plane
Mitsubishi Ki-46
Given allied codename 'Dinah'.
One of the most elegant aircraft of World War Two.
連合国側からダイナと呼ばれた機体は、
流線型で美しくエレガント。
Photo:Copyright(c) 2003, Kattin WORLD, Japan, All Rights Reserved.
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一号自動航空写真機
かんじんの、写真機のことを調べないといけない。
当時の通信機、航空写真機のコレクションでは、この方を知らないとモグリと言われる。
横浜旧軍無線通信資料館の館長をされている土居 隆さんである。
とにかく、ウエッブサイトを見ただけでも、その迫力、第一級品のコレクションに圧倒される。
個人コレクションというから、また、びっくり。
ご本人にコンタクトをとったところ、写真画像の転載を承諾していただいた。
横浜旧軍無線通信資料館である。
http://www.yokohamaradiomuseum.com/index.html
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Army Aero Camera Mark 1 Type 2
左のコレクションは、
陸軍自動航空写真機一号二型の実物だ。
写真ではなく、実物の本物があることがすごい。
陸軍航空機搭載高々度偵察用カメラである。
このカメラには、50cm F5.0のレンズがマウントされている。
フィルムは、23cm幅のロールフィルムを使うという。
偵察機に搭載され、電気制御で撮影を行うその姿は、
どこか航空機の操縦機器を思わせるふんいきを持つ。
本物である。
Photo:Copyright(c) 2003, Takashi Doi, Japan, All Rights Reserved.
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戦争が終わって
この写真は、かっちんWORLDさんのご祖父様のアルバムにあった百式司偵の未公開写真だ。
正確には、百式司偵三型改防空戦闘機という。
航空写真機を搭載した偵察機ではなく、首都防衛用に機銃武装した戦闘機である。
終戦。GHQの武装解除命令により、機銃などの装備を外され解体寸前の機体だ。
千葉県東金飛行場(豊成飛行場)で撮影された貴重な1枚。
写真には、兵士とその家族だろうか。
小さい女の子が抱かれている。
安堵感が、この写真には写っている。1枚の写真は、語る。
War was Over, Hyakushiki and a Little Girl, 1945
Photo: Copyright (c) 2003, Kattin WORLD, Japan, All Rights Reserved.
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安住の地は北欧
このレンズは、高度1万メートルを飛行したのだろうか。
レンズの両キャップが残されている極めて珍しい例だ。
地上を見る側のレンズ面はともかく、
カメラ内に装着されるフィルム側のキャップも着けられて出てきたのだ。
おそらく、実際に偵察機に搭載されることなく、
保守部品としてストックされ木箱に隠れていたのかもしれない。
終戦と同時に、接収された飛行場の格納庫からレンズは運び出され、
米国で長いことだれからも手入れされることなく耐えていたようだ。
レンズは、米国から国際オークションに出品された。
スターティングビッドが49ドルだったから、
セーラーも値段が化けたことに驚いただろう。
もっとも、零戦に搭載された照準器が数百万円で取引されているらしいが、
それに比べたら控えめである。
しかし、レンズは日本に戻ることなく、スウェーデンは白夜のくにへ飛んだ。
米国から日本に戻すのではなく、
とおく北欧の街で余生を送るのも、それはそれでよいかなと思う。
レンズにも意思はあるので、その気持ちは尊重したい。
Photo: Copyright (c) 2003, Kiril Arsov,
Sweden, All Rights Reserved.
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空から降りてきたもの
キリルさんは、レンズに以下のメッセージを添えてきた。
星が空から降りてきた。
古い街にようこそ。
空から、白夜はみどりの草原に降りてきた。
夏草の上でねむる夢をみた。
星が空から降りてきた。
昭和初期のモダニズム詩人ではないですか。
R-Aero-Nikkor, landing on the earth.
In Uppsala, the city of science, university centrum since 1477.
A holy place, a church build by the sons of Vikings in 1260.
Destroyed by the fire in 1702, and again rebuild, to welcome our R-Aero-Nikkor from the sky.
R-Aero-Nikkor, a piece from the sky on the green field in the middle of the night.
What a strange place, white dreams, the night is bright, all are gone to sleep.
A place for R-Aero-Nikkor from the sky.
Kiril Arsov / Uppsala, Sweden
本コンテンツをまとめるにあたり、たくさんの方々のご協力ならびに、
ご助言を得ました。
この場をお借りしまして、感謝いたします。ありがとうございました。
なお、ここに掲載した画像は、すべて著作権者様の承諾を得て掲載しています。
秋山満夫
キリル・アショブ(Kiril Arsov)さん:
スウェーデンのレンズマニヤ作法
零戦談話室の常連さん:
彩雲のちょっとけったいな世界
nag's Galleryさん:
nag's Gallery
かっちんWORLDさん:
かっちんWORLD
土居 隆さん:
横浜旧軍無線通信資料館
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