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碧川 蘭(ホランド)
田中幸一(アレクセイ)が、その『メトロポリス』評で、こんな風に書いています。
『一方、この作品の弱点はというと、その人物の造形・描写が「紋切り型・通 り一遍」の域を出なかったという点にあります。「いかにも」以上の描写がなく、作画の懲りように比べ、あまりにもドラマ作りの基本の部分で、練りの不足が感じられました。『人の欲望によって作られ、人の欲望によって排除されてしまうロボットの悲劇』……このテーマは、今日の「クローン問題」とも絡んで、たいへん重く、そのぶん扱いがいのあるテーマであったはずです。だからこそ、これを単なる「お涙ちょうだい」のドラマに終わらせず、しっかりと「人間の欲望と愚かさ」を描出していたなら、新世紀を劈頭を飾るにふさわしい、素晴らしい「手塚アニメ」になっていたのにと、そう惜しまざるをえない出来なのでした。』
(「わたしは誰? ―― 映画『メトロポリス』について」
サイト『CHATEAU D' IF』掲示板 2001年6月5日掲載)
たしかに映画『メトロポリス』の人物描写は『紋切り型』と言われても仕方のない部分があったと、ボクも思います。それでも、ヒロイン・ティマの悲劇は、充分にボクの心を打ちました。ボクは「ティマが可哀想」でなりませんでした。この映画の人物描写
が、もしも事実として『紋切り型』に止まるものだったのだとしたら、ボクの感動は、いったいどこから来たものだったのでしょうか? ボクはその答を、田中幸一の『『人の欲望によって作られ、人の欲望によって排除されてしまうロボットの悲劇』……このテーマは、今日の「クローン問題」とも絡んで、たいへん重く、そのぶん扱いがいのあるテーマであったはずです。』という指摘の向こうに見つけたのです。
ですから、ボクがこれから書こうとすることは、「映画『メトロポリス』について」ではありません。それを観て、それに触発されて考えたことを書くつもりです。それで『映画『メトロポリス』をめぐって』とサブタイトルを付しました。みなさんも、どうかそのつもりで読んで下さい。
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ボクは、とってもティマが可哀想だと思いました。人の欲望によって作られ、人の欲望ゆえに自ら死を選ばなければならなかったティマ。・・・ティマは、人間世界を統べる「超人」として、レッド公によって作られた「ロボット」です。
レッド公は、ティマを死んだ愛娘に似せて作りました。ここが『メトロポリス』が「もう一人のアトムの物語」と副題される所以です。
ティマは、ある事件がきっかけで、自分が何者かを知らずに生まれました。パンフレットには、こんな言葉が書かれています。
『ティマは何も知らないまま生れ出た。自分がロボットだと言うことも、その力も、その秘密も。分かっていたのは、気がついた時、目の前にケンイチがいたということだけ。それでもティマを心の奥で怯えさせるのは自分が誰かという問い。その答を教えてくれるのはたったひとり……。』
ティマは最初、自分は「ケンイチと同じ人間」だと主張します。でも、ロックはティマを、養父たるレッド公を惑わす憎むべきロボットと思っていますから、ティマに「じゃあ、おまえの親は誰だ」と意地悪な問いかけをします。それに対してティマは、一瞬の躊躇の後「親は……ケンイチ」と応えます。
ケンイチは美少女の姿をしたティマに恋心をいだきます。一方、生まれたばかりの赤ん坊も同然のティマは、生まれた時に目の前にいて、自分に優しくしてくれるケンイチを、たぶん「親」のように慕ったのでしょう。
(※ ロックは孤児で、レッド公に育てられました。だからロックはレッド公を父と慕いますが、レッド公はそんなロックを愛さず「父などと呼ぶな! 私はおまえを拾ってやっただけだ」と言い放ちます。それでもロックは、レッド公のためにと、ティマの破壊を目論見ます。「超人」になるのはレッド公しかいないと、彼は考えているのです)
何も知らなかった「無力なティマ」。だけど「無垢だったティマ」は、「天使」のように美しかった。でも、そのティマが、自分が「超人」となるために作られた「ロボット」だと知らされ、巨大コンピュータの中枢部品として、その巨大コンピュータに組み込まれようとした時、ティマの姿は「怪物」のように醜く変貌してしまいます。
「自分を知る」ことによって、「人間」ではない、「人間の温かい心」を持たない「怪物のような黙示録的審判者」となってしまったティマ。
ティマを「ロボット」だと知ってもなお「人間」のように愛したケンイチは、だから変貌していくティマを「呼び戻そう」としました。ケンイチにとっては、自分が「誰」かを知らなかった時の、自分を「人間」だと信じていた時のティマが「本当のティマ」だったのでしょう。
ケンイチは、(「自分勝手にロボット作り、勝手にロボット蔑む」人間を憎悪するようになった)変貌したティマに襲われながらも、必死でティマに「自分」を取り戻すように訴えます。でも、・・・この「自分(私)」とは、いったい何なのでしょうか?
ティマの「正体・本来の姿」は『「超人」となるべき「ロボット」』にほかなりません。ティマが「人間」ようであったのは、ティマが「自分」を知らず、自分を「人間だと誤解していた」からです。ですから、ティマが「取り戻すべき自分」とは、本来『「超人」となるべき「ロボット」』としての「自分」であって、決してケンイチが望んだような「誤解」とに基づく「人間としての自分」ではないはずなのです。
それでもケンイチは、自分に襲い掛かりその弾みで超高層ビルの上から転落しそうになったティマを、必死で助けようとします。助けたら、また襲ってくるに違いないのに・・・。
でも、そうした「ケンイチの想い」が、ティマに(ロボットのティマに)通じたのか、ティマは一瞬、「人間だった頃の自分」を取り戻します。そして「僕の手を握るんだ」と「救いの手」を差し伸べるケンイチの言葉に反して、その手をあえて握り返さず、自らの意志で死んでいったのです。
可哀想な、あまりに可哀想なティマ・・・。
ケンイチの手を握り返していたら、ティマはどうなったでしょうか? また「人間の心」を失って、ケンイチを殺し、人間を滅亡させたでしょうか? それとも「人間」に差別 されながらも、人間を愛して共に生きようとしたアトムのように、自己儀性的「優等生」として生きたのでしょうか?
どっちにしろ、それはティマにとって、とても残酷な「生」なのではないでしょうか? 「なぜ私を生んだの」・・・ティマがそう考え、人間を怨んだって仕方がないんじゃないでしょうか?
アトムはロボットだと差別されて、時にしょんぼりと肩を落としました。でも、いつでも最後には、人間の「心の温かさ」を「愛」を信じようとし続けました。そして彼は、その人間を守るために「自分の身を犠牲にして、死んでいった」のです。
ボクには「アトムの死」が「ティマの死」に、とても似ているような気がしてなりません。一方は「人類の守護者」として、もう一方は「人類の断罪者」として死んでいったにもかかわらず、「両者の死」はとても似ているように思えるのです。
それはたぶん、どちらの「死」も、人間さえいなければ「ありえなかった死」、人間さえいなければ「起こり得なかった悲劇」だったからではないでしょうか?
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そして、・・・ティマやアトムの「悲劇」は、まもなく現実のものになるのだと思います。そうです。「クローン人間」に代表される「人為的に作られた人間」の登場が、それなのです。
最近、人口受精した卵子を、実妹の卵巣の中で育てて、子供を「作った」という事例が日本でもありました。先日は新聞に「イギリスでは学費稼ぎのために、卵子を売る女子学生がいる」ということが報じられていました。
はたして、人間は本当に「人為的に作られた人間」を「差別」せずに受け入れることができるのでしょうか?
ボクは、残念ながらそこまで人間を信用することが出来ません。そんなことが出来るようなら、今の世の中に「差別 」なんかあるはずがないんですから。
よく、こういう言い方をしますよね? 『あなたは、私がお腹を痛めて産んだ子なんだ』って。だから、よその子供とは違って「特別 に」可愛いんだって。・・・じゃあ、「自分のお腹」を痛めなければ、その子供はたとえ自分の「卵子」から作られたとしても、「他人の子」同然だってことなのでしょうか? 実際、卵子を売っている人は、その卵子から作られた子供を「自分の子供」だなんて思わないでしょう。そんな風に思うんなら、卵子を売ったり出来るわけが無いんですからね。
「親」のお腹から生まれなかった「子供」に、「特別な親」なんていないんです。生まれた子供は「最初に見た人」や「自分を育ててくれた人」を「親」だと思い込むことでしょう。でも、その相手が、その子を「子供」だと思う保証なんて、どこにも無いんです。・・・そう、ロックがそうであったように。
そして、いつしか彼(あるいは彼女)は問うんです。
『わたしは誰?』
そして彼(あるいは彼女)を「差別」しようとする人は、きっと、こう問うことでしょう。
『おまえが人間だって? じゃあ、おまえの親は誰だ?』
「ティマの悲劇(そしてアトムの悲劇、あるいはロックの悲劇)」は、もうすぐそこまで来ているように思います。
子供が欲しいのに子供が産めない人は、とても可哀想だと思います。できれば、その望みをかなえてあげたいとも思います。だけど、子供を生むにしろ生まぬ にしろ、それは所詮「親」の都合であって、生まれてくる「子供」の意見が聞かれることは、決して無いんです。子供はいつだって「親の欲望」によって、この「穢れと悪意」に満ちた世界に生み出されてくるんです。
それでも、それが「神の摂理」に止まっているうちは良いでしょう。だけど、それが人間の思うがままになった時、その「際限なき欲望」の対象になった時、生まれてくる子供は果
たして「商品」以上のものでありうるんでしょうか?
彼らは「何も知らないで生まれ」てきて、最初はそうと知らずに「親」を信じて育ちます。でも、そんな彼らもいつかは自分の「正体」を知るんです。『自分は(厳密な意味での)親を持たない「異形」なのだ』 と。
人間を憎み「怪物」と化して死んでいったティマ。可哀想なティマ。
「天使」のような彼女を「怪物」に変貌させ、死に到らしめたのは、「人間の際限のない欲望」という名の「怪物」だったのだと、ボクはそう思います。
そして、ボクたちは・・・
「ティマの悲劇」を防ぐことが出来るのでしょうか?
2001年6月6日