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◆◆◆ アメリカの夢 ◆◆◆
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映画『スパイダーマン2』
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碧川 蘭(ホランド)
アメコミを原作にした映画『スパイダーマン』シリーズ第2作『スパイダーマン2』(サム・ライミ監督)は、ひとことで言えば「ヒーローの苦悩と栄光」を描いた作品です。
物語の前半は、もっぱらスパイダーマンであるピーター・パーカー青年の苦悩を描いていると言っても過言ではなく、最初から派手な展開を期待して観たりすると、ちょっとまどろっこしく感じるかも知れません。でも、これは「ヒーロー不在の時代に、ヒーローの存在意義を問いなおす(問いかける)」という作品の狙いからして、当然必要な段取りだったのだと思います。
まずは「あらすじ」をご紹介しましょう。物語は、ヒーローであるがゆえに苦悩するピーターの描写 に幕を上げます。
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自分がスパイダーマンであるために、(前作では)無二の親友ハリーの父親を心ならずも殺さなければならなかったり、心から愛している幼馴染みのメリージェーンを危険に巻き込んではいけないと、自分の正体も恋心も明かせずにいるため、彼女との関係が危うくなったり、あるいはスパイダーマンとしての活動のために、学業が疎かになって尊敬する先生を失望させたり、アルバイトの仕事にも差し障りが出て馘首になったりと、まったく良いところのない、このところのピーター。そんなおり、彼が卒論に予定している天才科学者オットー・オクタビアス博士の研究を、親友のハリーが資金援助することになり、ハリーがピーターを博士に紹介してくれることになります。
博士の研究は、小型人工太陽とも称すべき無限連鎖核融合炉の開発。これに成功すれば、人類はまったく新しい無限のエネルギー源をその手にすることになるのです。オクタビアス博士は、ピーターの担当教授の友人でもあったので、自己紹介するピーターに「君のことは聞いているぞ。優秀な学生だ。だが、怠け者だともね」と言います。もちろんこれは、ピーターがスパイダーマンになってから学業を怠りがちだったことからきた評価です。ピーターは有能で期待された学生だっただけに、教授の失望も大きかったのでしょう。ピーターの教授からそうした嘆きを聞かされていたオクタビアス博士は、ピーターにこう助言します。
『優秀なだけではダメだぞ。努力しなくては。知性は特権ではなく、授かり物だ。人類のために使わなければ』
オクタビアス博士は、無限のエレルギーを産み出す超小型核融合反応炉を、研究室のなかに組み上げます。そして、その超小型反応炉を制御するための人体装着型の「知能をもつ人工アーム」を、ピーターやハリー、そしてマスコミ陣を前にして装着したうえで、超小型反応炉の成果 を実地に発表しようとします。ところが、この実験が計算違いの失敗で、あやうく大惨事となりかけたのですが、ピーターの活躍でなんとか事なきを得ます。しかし、この事故で博士の名声は地に墜ちたばかりではなく、研究の継続は不可能となり、失意の博士は人工アームをつけたまま行方不明となってしまいます。
しかし、問題はそれには止まりませんでした。この人工アームは、もともと独自の知能をもっており、それを博士の神経と直結して制御することで、博士の意図にそった高度な作業を効率良くこなせる、という便利な「道具」だったのですが、事故のために人工アームの知能を制御するための制御チップが破損し、今度は博士の方が人工アームに操られることになってしまったのです。
博士は、無限連鎖核融合炉の完成という「人工アームの存在意義」に操られるかたちで、なりふりかまわず「自分の夢」を追求することになり、実験再開のためには銀行強盗などの犯罪も辞さない怪人「ドクター・オクトパス」に変貌してしまったのでした。
桟橋の上の廃屋のなかで、新たな反応炉を作り上げたドクター・オクトパス。しかし、この反応炉を作動させるには、世界に11キロしかないという特殊な放射性物質が必要で、それを持っているのは、ニューヨークでは、博士の研究を援助したハリーただ一人でした。ドクター・オクトパスはハリーからそれを奪おうとしますが、逆にハリーはドクター・オクトパスに取り引きを持ちかけます。その取り引きとは、スパイダーマンを生け捕りにしてくること。ハリーは自分の手で、父のかたきの命を奪おうと考えたのです。
カメラマンとしてスパイダーマンと通
じているらしいピーターならばスパイダーマンの居場所を知っているはずだ、とハリーに教えられたドクター・オクトパスは、スパイダーマンをおびきだすために、ピーターを襲い、いっしょにいたメリージェーンを誘拐して、ピーターにスパイダーマンの呼び出しを命じます。
その呼び出しに応じての壮絶な戦いの末、 ドクター・オクトパスの手におちてしまうスパイダーマン。放射性物質との交換でスパイダーマンを手中におさめたハリーは、スパイダーマンの素顔を見ようとマスクを剥ぎ、その下から現れた親友の顔に驚愕します。やがて意識を回復したスパイダーマンは、ハリーにメリージェーンが誘拐されていることを告げ、ドクター・オクトパスのかけた鎖の縛めを自ら断ち切って、メリージェーンの救出とドクター・オクトパスの実験の阻止に向かいます。
スパイダーマンがドクター・オクトパスの廃屋にたどりついた時、すでに危険な核融合反応炉は作動し、暴走し始めていました。それを止めようとするスパイダーマンは、ドクター・オクトパスをやっつけ、人工アームの機能低下と素顔を曝しての説得によって正気を取り戻した博士に、反応炉の停止方法を尋ねますが、博士は「もう遅い。……しかし、ひとつだけ方法があるとしたら、それは」反応炉を廃屋の下に流れる川底深く沈めてしまうことだと言います。反応炉に向かおうとするスパイダーマンを呼び止め、オクタビアス博士は自分がそれをやると告げ、スパイダーマンがメリージェーンを助けている間に、自分の命をひきかえに反応炉を川底深く葬り去るのでした。
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「あらすじ」の紹介だけでずいぶん長くなってしまいましたが、ともあれ、こうした「ありがちな展開」の上に、この作品は「ある明確なテーマ」を描いてみせたのです。
最初の方でピーターは、「ヒーローゆえの苦悩」のせいで、ヒーローであることを辞めて、普通
の若者に戻ろうとします。
前作で、自分が見逃した強盗犯によって殺された親代わりのベン叔父さんと、その死に際に誓った使命――『大いなる力には大いなる責任がともなう』だから、大いなる力を授かったピーターは、その力をみんなのために使わなければならない――を、彼は放棄しようとしたのです。
毎日のように発生する事件から目を背け、一人の若者に徹しようとするピーター。しかしそのために、本来ならスパイダーマンによって助けられたはずの人々が事件や事故の犠牲となり、その事実はピーターの心に重くのしかかります。
そんなある日、ピーターは、ローンが支払えなくなって、やむなくアパートに引っ越すことになった未亡人のメイ叔母さんの家で、引っ越しの手伝いをする近所の少年に「スパイダーマンはどこに行ったの? きっと帰ってくるよね?」と尋ねられ、おもわず目を逸らして「わからない」と応えます。失望したように肩を落すヘンリー少年について、メイ叔母さんはこんな風に語ります。
『 そう、ヘンリーのような子には、ヒーローが必要なの。勇敢で自分を犠牲にしてまでも、みんなの手本となる人。誰だってヒーローを愛している。その姿を見たがり、応援し、名前を呼び、何年もたったあとで語り継ぐでしょう。苦しくても諦めちゃいけないと教えてくれたヒーローがいたことを。誰の心の中にもヒーローがいるから、正直に生きられる。強くもなれるし、気高くもなれる。そして最後には誇りを抱いて死ねる。
でも、そのためには常に他人のことを考え、いちばん欲しいものを諦めなくちゃならないこともある。自分の夢さえも。
ヘンリーはその気持ちを教わったから、スパイダーマンの行方を聞くの。彼には必要だから』
このメイ叔母さんの言葉には、争いごとは大嫌いだったけれど、最後まで他人を思いやり、正義を貫いたがために死ななければならなかった亡夫ベンの死に様が、ハッキリと反映しています。この言葉を聞かされて、ピーターはあらためてスパイダーマンとして「正義の夢」を追おうと決意します。たとえ自分一個の夢や幸福を犠牲にしても、と。
だから、ハリーに正体を知られてしまったピーターは、苦悶するハリーに向かって、ハッキリと言い放ちます「今は個人的な恨みをどうこう言っている時じゃない。メリージェーンが人質にとられているし、博士を止めないとニューヨークの半分が吹っ飛ぶことになってしまうんだ」と。そして、そんな覚悟を決めた彼だからこそ、オクタビアス博士を正気に戻らせることもできたのです。
格闘の末、人工アームの支配が弱まった博士に、ピーターはスパイダーマンのマスクを脱ぎ、素顔で向き合います。スパイダーマンの正体が、ピーターだと知って驚く博士。
ピーターは言います。
「あなたは僕にこう言いましたよね、知性は特権ではなく授かり物だ。人類の役にたてなくてはならない、と」――そして博士に反応炉を止める方法を尋ねますが、博士は「もう止める方法はない。それに……」と答え、次の瞬間、人工アームがピーターの首を鷲づかみにします。
博士は、人工アームに操られた形相で、
「これは私の夢だ」
とつけ加えます。
でも、ピーターはさらに博士に話しかけます。
「正しい行いをするには常に他人のことを考え、時には自分の夢でさえ諦めなきゃならない」
その言葉を聞いて、博士の形相は、ふたたび元の博士のそれに戻ります。
「そうだな。……そのとおり」
そして博士は、またもや博士を操ろうとする人工アームに向かって、
「聞け、言うことを聞くんだ! 私の言葉を聞かないか!」
と気迫にみちた一喝をぶつけ、ついに人工アームの支配から逃れ、反応炉の始末に赴きます。
人工アームを操り、反応炉の真下で廃屋の足場を破壊する博士。博士は渾身の力を振り絞りながら、叫びます。
「バケモノとしては死ねない!」
次の瞬間、足場が崩れ、反応炉は博士もろとも川底深く沈んでいくのでした。
他にも指摘した人がいるかも知れませんが、ボクはこの映画に「今のアメリカを憂う、アメリカ人の思い」を読み取りました。
つまり、ドクター・オクトパスとは、今の覇権主義的な(=利己主義的な=醜い)アメリカのカリカチュアだと思うんですね。本来、理想主義的で、世界の平和のリーダーをもって自らを任じたアメリカ。軍事力も平和を実現するための「道具」だと信じていたアメリカ。ところが、いつの間にかその「道具」は、良心的な知性の制御受けなくなり、逆に本体を操って、自己の欲望実現のためには他人の犠牲をも顧みない「怪物」へと変貌してしまいます。――ドクター・オクトパスが手に入れようとしたのが「無限のエネルギー源」だというのは、なかなか暗示的なのではないでしょうか。
一方、スパイダーマン=ピーター・パーカーが体現したように、「ヒーロー」の現実とは、決して幸福なものではありません。労多くして、個人的には報われるところの少ないのが「ヒーローの真実」なのです。だから、ピーターがスパイダーマンを辞めようとしたように、いつからかアメリカは、儲けにもならないヒーローであることを辞めて、自分一個の「覇権の夢」を負うようになりました。その結果 が、今のアメリカだというわけです。
今のアメリカは、その圧倒的な軍事力にものを言わせて他国の口を封じ、有無を言わせず身勝手な「正義」を振り回しています。だけど、そんな主張に騙される人は、自国民にだって多くはないでしょう。祖国に誇りを持つからこそ、アメリカの現状を憂い嘆くアメリカ国民も、決して少なくはないと思うんです。
では、そういうアメリカ人が、ふたたび誇りの持てる祖国となるためには、いったいどうしたらいいのか。その答が、先に紹介したメイ叔母さんの言葉だと思います。
この映画は、最初にヒーローの苦悩を描き、最後はその苦悩を振り捨てて「他人の幸せのために生きよう、与えられた大いなる力に対する義務を果
たそう」と決意した主人公が、メリージェーンの愛によって報われるという「出来過ぎたハッピーエンド」で終ります。これは、この作品があくまでもエンターティンメントとして作られたものだからで、あるいは致し方ないことなのかも知れません。
けれども、この作品に込められた「本当の思い」は、むしろ正義をつらぬいたがために死ななければならなかったベン叔父さんや、良心を取り戻し「人間」として死んでいったオクタビアス博士の「死に様」の方にあるのだと思います。
ベン叔父さんの『大いなる力には大いなる責任がともなう』という言葉。そして、オクタビアス博士の『知性は特権ではなく、授かり物だ。人類のために使わなければ』という言葉。――世界中のどの国よりも豊かで大いなる力をもつ国だからこそ、アメリカは世界のために、自己を犠牲にしてでも働かなければならない。アメリカは、自分一個の夢と欲望に溺れてはならない。他人を助け、そのために苦しむことになろうとも、それは大いなる力を授けられたアメリカが、誇りをもって引き受けるべき苦悩なのだ。アメリカよ、目をさませ!――そんな声が、この作品には木霊しています。
スパイダーマンを辞めようとするピーターの夢に、ベン叔父さんが現れ、目に涙を浮かべてピーターの回心をうながします。
「ピーター、おまえがそんなことを考えるなんて、私は悲しいぞ。……何が大事か、話し合ったな? 正直さ、公平さ、正義。おまえが勇気をもって、その夢をこの世界で実現してくれると信じていた」
「これ以上、夢は追えないよ。自分の人生を生きたい」
涙ぐみながら首を横にふるピーター。
「おまえは大いなる力を授かった。大いなる力には大いなる責任がともなう。私の手を取れ」
「ダメだ。僕はピーター・パーカーだ。スパイダーマンにはならない。二度と……」
でもピーターは、最後はスパイダーマンにもどり「困難な夢を追う」ことにしました。
アメリカは、アメリカの良心を象徴する「力なき正義の人・ベン叔父さん」の手を取るのか、それともその手を拒み、(正気を取り戻し「人間」として死んでいったオクタビアス博士とは反対に)「バケモノ」のまま永らえ「バケモノ」として死んでいくのでしょうか。
世界貿易センタービルを失った後のニューヨーク。――「苦悩するヒーロー」スパイダーマンの目に映っているのは、そんな「今のアメリカ」の姿なんだと、ボクは思います。
執筆・2004年12月11日
改稿・2004年12月17日
初出・BBS「アレクセイの花園 」(2004年12月11日)