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仮面ライダーSPIRITS! ◆
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――わが胸に受け継がれし魂
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田中幸一(アレクセイ)
世界を闇が覆っている。――こんな風に書くと、いささかファンタジー小説風になってしまうけれど、2001年9月11日以来の世界を素直に表現すれば、こういうことにもなってしまう。
アメリカを中心にして世界に広がる禍々しい戦火の黒煙は、当然にもアメリカの軍事同盟国である日本を真先に覆い、今の日本は「戦後」の次の「戦前」をも通
り過ぎて、まさに「戦時」にあると言うべきである。また「戦時下」らしく、日本人大衆の心も、おのずと「お国」の下に結集しつつあるらしい。
2004年4月、アメリカを中心とした多国籍軍の占領下、それに抵抗するイラク人勢力のロケット砲攻撃や自爆攻撃が頻発するイラクで、民間日本人3名がイラク武装グループに拉致されるという事件が発生した。
武装グループは人質3名の命と引き換えに「イラクからの自衛隊の撤退」を3日間と期限を切って要求してきた。これに対し日本政府は「自衛隊は撤退させず、人質の救出に全力をつくす」と声明を発表。日本政府が情報収集にまごつくうちに、現地イラクの「イスラム聖職者協会」と犯行グループとの話し合いで、拉致被害者3名は無事解放された。解放後、犯行グループは「3人が自衛隊派兵に反対する日本人であること、民間レベルでイラクのために貢献してくれた人であること、日本政府に3人を救う意志がまったくないこと、などを確認したので、我々が日本政府に代わって彼らを解放する」という主旨の声明を発表した。
しかし、この「イラク日本人人質事件」は、これだけで終りはしなかった。日本政府は、人質被害者3名の行動を「度々の渡航自粛勧告にも従わず勝手にイラクに渡航した結果 、拉致され人質となり、日本政府や日本国民に多大な迷惑をかけた」と批判して、その救出にあたって露骨に消極的であったばかりではなく、救出にあたって何の貢献もしなかったにもかかわらず、被害者家族に対して、あたかも「迷惑料」を支払えと言わんばかりに「救出(?)費用」を数千万円も要求したのである。
そして、まさに「戦時下の狂気」とでも呼ぶべきか、かなりの日本国民が、こうした政府の態度に呼応し、被害者たちの「自己責任」を言い立て、被害者と被害者家族に対し、陰に日なたに(非国民)バッシングを加えたのである。
イラクの貧しい路上生活の子供たちのためにボランティアとして活動していた女性と、報道管制で隠蔽された占領下のイラクの現実を世界に伝えようと危険を承知でイラク入りをした2人の男性(カメラマンと市民活動家)。この3名の行動を、「お国」に迷惑をかける身勝手な行動だと「お上の視点から評価しまう日本国民」。
いったいどうして日本人は、ここまで愚かになってしまったのか? そして、いったい日本人の何がどのように変わってしまったのか?
――思うにその変化の根本原因は、「金満生活」に馴れたが故の「理想の喪失」であり、それに由来する「敗北主義的な強者への依存」なのではないだろうか。
もともと「理想」とは「(「いまここ」の)現実」に反し達成されていないものだからこそ、目指されるべき「良き目標」なのである。
「天皇」の名の下に戦い、自他に悲惨な災禍をもたらした先の戦争への反省をこめ、日本人はもはや失うもののない焼け野原から、「理想」を掲げてこれまで歩んできた。その結果
、高度成長を達成し、国民の大半が「中流」意識を持つまでになり、さらにバブル経済華やかなりし頃には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という一期の夢に酔いもした。しかし、その夢がはじけた後、日本は出口の見えない不況のトンネルに突入し、今だ出口の明かりは見えていない。しかし、現状が暗いとは言っても、むろん敗戦後の焼け野原を思えば、まだまだ絶望すべき状態にはない。それなのに、どうしてこれほどの閉息感と不安感が、日本を覆っているのであろうか? ――たぶんそれは、日本人が『永遠の日常』(宮台真司)とまで呼ばれた一期の甘い夢に酔い、それに馴れ過ぎてしまったからなのだろう。手が届きそうに思える「あの夢をもう一度」と思うからこそ、現状の悲惨さだけに目が向いて、新たな「理想」へ目をやることができないのではないだろうか。
閉息感と不安感に煽られた人々の間に、 「なぜこんなことになってしまったのか?」「こんな日本に誰がした?」という、不幸の原因を「他者」に求める思考が曖昧にわだかまった結果 、やがてその不満は「北朝鮮」や「外国人」や「イラク拉致被害者」や「戦後民主主義者(社会主義者)」へと向かった。これまで「弱者として保護されていた存在」とそれを「保護していた存在」が、新たに現われた「私は保護されていない」と感じて「不満を抱えている多くの人たち(=不平不満を感じている人々)」によって敵視されるようになっていったのである。
つまり結局のところ、「弱者」や「弱者の側に立とうとする者」をバッシングし排撃しようとする人たちの心の底にあるのは「我々を擁護(養護)せよ、そんなやつらに構うことはない」という、度し難いエゴなのである。――政府よ、私の権利を蔑ろにしてまで、「弱者」に手をかけてやる必要などない。彼らが「弱者」であるのは自業自得なのだ。努力が足らないからなのだ。だから、彼らはその自己責任によって苦しめばいいのだ。だから、そっちは放っておいて、我々を擁護(養護)せよ――ということでしかないのだ。
もちろん、この時、彼らは、自分たちも「擁護(養護)」を必要とする「弱い」人間として、強者から「自業自得」だと言われ(切り捨てられ)かねないという可能性の存在を、完全に失念している。なぜなら彼らは、自分を「中流」であるとは思っていても、「弱者」だとは思っていないからなのだ。長年の安定した平和な暮らしの中で、彼らは自分たちが「吹けば飛ぶような庶民(=弱者)」でしかないことを忘れてしまい、あたかも権力者の側に近い人間であるかのような、愚かな勘違いをするようになってしまったのである。
(※ 関連論文「お伽話の崩壊――
砕かれた平等社会の夢想」)
では、今の日本人から「失われた理想」とは、具体的に言えばどういうものなのか?
――それこそが「仮面ライダーSPIRITS」である、と言えば、やや奇矯に聞こえるかも知れないが、私はさほど変わったことを言おうとしているわけではない。
「仮面ライダーSPIRITS」とは、
(1) 弱者のために、無償で、自らの危険をかえりみず戦う心
(2) 数を恃まず、独りでも戦う心(志を同じくする者を仲間とする)
(3) 自分一個の復讐心のためではなく、みんなの(幸福・平和の)ため戦う心
おおむねこの3点にまとめられよう。
先に紹介したとおり「イラクにおける日本人人質事件」において、日本政府は、人質たちの行動について「度々の渡航自粛勧告にも従わず勝手にイラクに渡航した結果
、拉致され人質となり、日本政府や日本国民に多大な迷惑をかけた」として、その救出にあたっては露骨に消極的だったばかりではなく、イラクの「イスラム聖職者協会」と犯行グループとの話し合いによって被害者たちが解放されると、今度は解放に何の貢献もしなかったにもかかわらず、被害者家族に対して「救出(?)費用」を数千万円も要求した。また、多くの日本人は、こうした政府の態度に呼応し、被害者たちの「自己責任」を言い立て、被害者と被害者家族に対しバッシングを加えた。
だが、こうした日本政府および日本国民の態度は、海外先進国のマスメディアでも「奇異な現象(国民性)」として大きく取り上げられ、今の日本の異常さを世界中に伝えることになった。――外国で拉致された自国民の救出を露骨にしぶり、あろうことか救出されてもいない段階で被害者の行動に不満をもらす政府と、そんな「国民を守る意志のない政府」を支持し、犯人グループを憎むのではなく、被害者の方に憎悪をむける国民。――日本は、そんな国として、世界に報じられたのである。
さて、ここでひとつの思考実験をしてみたいと思う。
イラクで路上生活をしている貧しい孤児たちのためにボランティアとしてイラクで活動していた女性と、占領下のイラクの現実を世界に伝えるためにイラクに入った2人の男性が、アメリカの占領政策に反対し、アメリカの要請に呼応して自衛隊を送り込んできた日本をも敵視する、イラク人抵抗グループに拉致され、その犯行グループが「3日以内に自衛隊を撤退させなければ、人質を殺す」と脅迫してきた。日本政府は「自衛隊の派遣と拉致とは別 問題で、あくまでも自衛隊は撤退させず、人質救出に全力をつくす」とその見解を表明。しかし3日以内での救出など実質的に不可能であり、今や人質の生命は風前の灯火である。――さて、この場合、「仮面 ライダー」ならば、どう考え、どう行動するだろうか?
私の「仮面ライダー」理解では、とうぜん「仮面ライダー」は(それが本郷猛であれ一文字隼人であれ)まず日本政府の対応に、憤りを表明するだろう。新聞を読んで政府の見解を伝える立花藤兵衛に「おやっさん、政府はみすみす人質を殺そうっていうんですか!」と憤りをこめて反問するのは間違いのないところである。そして、政府がまったく当てにならないとわかれば、彼は単身敵地に乗り込んで、人質を救出しようとすることであろう。
じっさい、私たちは「仮面ライダー」のような超人的な能力を持っていないし、イラクに乗り込んだところで、どこをどう探して良いのかもわからないから、実際には何をすることもできない。しかし、今ここで問題としているのは、――「仮面 ライダーSPIRITS」なのである。
「仮面ライダー」が人質たちの居場所をつきとめ、彼らを救出しようとすると、人質たちは犯人たちを庇い「この人たちは決して悪い人たちではないんです。だから私たちを拉致し、日本政府を脅迫したことについては赦してあげて」と言い、さらにイラクの人たちが如何に占領軍に蹂躙され、子供を含む罪もない民間人いかに大勢殺されているのか、そんななかで大した武器ももたない彼らが、アメリカや日本という世界に冠たる「軍事大国」を相手に抵抗戦を行うためには、こうした一種卑怯と見える手段を選ぶのも、言わばやむを得ない状況なのだ、という説明したとする。その時「仮面 ライダー」なら、犯人グループを赦すだろうか、赦さないだろうか。
もちろん、私は「赦す」と考える。そのうえで、民間人を巻き込まない戦い方はないのかと提案するだろうし、なんとか平和的な解決方法はないのかと、犯人グループの苦しみをも、我がこととして苦悩することであろう。
一方、救出した被害者たちに対しては、その危険をかえりみない行動を、多くの日本人のように、憎悪を込めて非難したりはしないだろう。「無茶をしやがって」と軽口程度のことは言ったとしても、弱者のために自らの命を危険にさらした彼らの行動に、むしろ共感の苦笑を浮かべたのではないだろうか。
例えば、『仮面 ライダーSPIRITS』(原作 石ノ森章太郎・漫画 村枝賢一、講談社、既刊6巻)第1巻第1話「摩天楼の疾風」には、そんな「仮面 ライダーSPIRITS」が、端的な形で描かれている。
FBIの捜査官で、インターポール(国際刑事警察機構)への出向時代に、日本で仮面 ライダーと共闘したことのある滝和也は、現在ニューヨークにいた。熱血漢の彼は組織との折り合いが悪く、実務能力はあるのに捜査からはずされることもしばしばであった。そんな折りも折り、全身から血液を吸い取られてミイラ化した人間の変死体が、ハーレムを中心に次々と発見され、巨大なコウモリの目撃情報がFBIに寄せられたが、FBIの動きはいたって鈍かった。この事件に、ピンと来るものがあった滝和也は、独自に捜査をすすめ、その背後に、かつて世界中で暗躍した悪の組織ショッカーの残党の姿を探り出す。ところが、そうしている間にも、悪の魔手は滝和也の身辺にもおよび、滝がハーレムで知り合った歌手を目指す黒人少年スパイクが誘拐され「吸血人間」に改造されようとしていることが判明。今ここに「仮面 ライダー」がいない以上、――俺が仮面ライダーになるしかねえ。滝和也は仮面をつけて、少年を救出するために、単身、敵地に乗り込んでいった。
しかし敵は、コウモリの能力を身につけた、文字どおり超人的な力をもつ「改造人間」であり、多数の手下を従えてもいる。生身の滝和也一人では、とうてい倒せる相手ではなかった。獅子奮迅の健闘も虚しく、滝は今まさにコウモリ男に首を鷲掴みにされ、その殺人超音波によって命を奪われようとしていた。
コウモリ男「カメンライダー
・・・だって・・・?
どこが? ククク
あんな小さき者も救えずに・・・」
滝和也 「クッ・・・(!)」
コウモリ男「オマエガ カメンライダー?
コノ・・・オオウソツキノ
ニセモノメガ・・・
ヒ・・・ヒヒ
ギヒヒヒヒヒヒ(!)」
(殺人超音波を放とうとする)
滝和也 「ク・・・ソオ・・・・(!)」
(血みどろの顔に、悔し涙を浮かべる)
その時『ドウン(!)』
――高らかにオートバイのエンジン音が響いた。
コウモリ男「マサカ・・・
コンナトコマデェェ(!) 」
滝和也 〈お前……〉
本郷猛 「スマンな・・・滝 遅くなった」
滝和也 「ばっか・・・ヤロオ」
本郷猛 「ライダー 変身(!)」
(仮面ライダーに変身する)
仮面ライダー「敵は多いな 滝・・・
いや・・・・
たいした事はないか・・・
・・・今夜は お前と俺で
ダブルライダーだからな」
ここでは、自らの危険をかえりみずに、単身スパイク少年の救出に赴き、敵の手におちてしまった滝和也に対し、彼を救出に行った本郷猛(仮面 ライダー)が『スマンな・・・滝 遅くなった』と謝り、それに滝が『ばっか・・・ヤロオ』と応じている。この両者の会話は、果 たして「倒錯的」なのか、それとも「信頼する者同士ゆえの会話」だと理解すべきなのだろうか。
ここでの「滝と本郷(仮面ライダー)」の関係は、イラクでの「拉致被害者と日本政府」の関係に、一面 で相似的である。他人を助けるために自ら危険な場所に赴き敵の手におちた者と、それを救うべくさらに敵地に赴いた力ある者。……どちらもがそのような関係でありながら、しかし、その違いの何と大きいことか。
本郷猛は、救出が遅くなってしまったことを滝和也に詫びた。それは滝が、きっと自分が救出に来るのを信じて待っていたであろう、という確信に立って「もうすこしでその信頼を裏切るところだった。(その意味で)スマンな・・・滝 遅くなった」ということであり、一方、滝の言葉も、決して本郷の救出が遅れたことについて『ばっか・・・ヤロオ』と非難したのではなく、「ばっか・・・ヤロオ(もうすこしで、お前が来てくれるのを疑い、諦めるところだったじゃねえか)」という、友情を疑いかけた自身への「自責の念」(太宰治「走れメロス」のように)と「本郷の友情」への(シャイな男の)反語的な感謝の表現だったのである。
ところが、イラクでの拉致被害者と日本政府の関係はどうだったか。拉致被害者は、当然自国政府が救出に来てくれることを期待したことだろう。そして救出されれば、当然それ相応の感謝の言葉を口にしていただろう。ところが、日本の政府は、救出を「当然の行為(=責務)」だとは思わず、「傍迷惑」で「嫌々せざるをえない仕事」だと考え、事実そのように行動した。そしてその結果 、自分たちの力で救出することができなかった。にもかかわらず、第三者の働きによって解放された被害者とその家族に「感謝と謝罪と救出費用を要求した」のである。
私は昭和37年(1962年)生まれだが、その私とおなじ「仮面
ライダー世代」が、現在の日本の中核をなしている。その日本において起こったのが、先の「イラク日本人人質事件被害者およびその家族へのバッシング」であったことを、私は無念と思わずにいられない。
それは私と同様、子供時代に『仮面ライダー』に代表されるテレビヒーロー番組を観、そこで語られていた「仮面 ライダーSPIRITS」とでも呼ぶべき「精神」に接して育った世代の多くが、必ずしもその「精神」を受け継いだわけではなかった、という事実を明かすものだからだ。
だから私は、漫画『仮面ライダーSPIRITS』を読んで、胸を熱くする同世代の読者が少なくないと聞くと「なるほど」と納得する反面
、そういう読者に対し、こう問いかけずにはいられない。
――本当に貴方たちは、「仮面ライダーSPIRITS」を、少しでも受け継いだと言えるのか?
私は、「仮面ライダーSPIRITS」というものを、
(1) 弱者のために、無償で、自らの危険をかえりみず戦う心
(2) 数を恃まず、独りでも戦う心(志を同じくする者を仲間とする)
(3) 自分一個の復讐心のためではなく、みんなの(幸福・平和の)ため戦う心
の3点にまとめたが、この3点に、『戦う』対象を指示する言葉として「悪」という表現を使用しなかった。なぜなら、「悪」というものは、しばしば相対的かつ恣意的なものであり、時には、保護されるべき「弱者」「少数者」が「悪」と名指され排斥されることも、人類の歴史においては、決して珍しいことではなかったからだ。だから私は、アメリカのブッシュ大統領のように「悪」と戦えとは言わずに、『弱者のため』『みんなの(幸福・平和の)ため』に戦うのが「仮面 ライダーSPIRITS」だ、としたのである。
だから、私は多くの人に期待したい。
その感情、その判断、その行動が、果たして「仮面ライダーSPIRITS」に反するものではないか、もう一度、自分の胸に訊いてほしい、と。本郷猛の一文字隼人の風見志郎の顔を思い浮かべて、彼らならどう考え、どう言うだろうか、と考えて欲しいのである。
私のこうした意見を「ナイーブ過ぎて、現実的ではない」と非難する人もいるだろう。しかし、「理想」を捨て「現実」と馴れ合うことを「現実的」だと誤解した人たちの住む国が、どんなことになるのか、それはこの日本の現状に明らかであろう。たしかに現実的に考え、現実的に行動しなくてはならない。けれども、その根底に「理想」がないかぎり、「現実」は人間にとって望ましいものにはなりようがないのである。
人は嗤うかも知れない。だが、嗤いたい者には嗤わせておけばいい。私は子供の頃からずっと、強く優しく逞しい「仮面 ライダー」に憧れ、そんな人間になりたいと願い続けてきた、「仮面ライダーSPIRITS」を受け継ぐ者の一人なのである。
そして、そんな私のそばにはいつでも「仮面ライダー」がいて、こう励ましてくれているのだ。
敵は多いな・・・
いや・・・・たいした事はないか・・・
・・・今夜は お前と俺で ダブルライダーだからな
執筆・2004年6月2日
改稿・2004年6月5日初出・BBS「アレクセイの花園」(2004年6月2日)