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◆ 恃衆、あるいは
一票の重みと党派の暴力 ◆
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ある「探偵小説研究会」所属評論家の弁
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アレクセイ(田中幸一)
『 伊藤辨護士も、「〈連帯〉の重要性」を十二分に認識・尊重する。ただ、彼の確信において、〈連帯〉とは、断じて、〈恃衆(衆を恃むこと)または恃勢(勢を恃むこと)〉ではない。彼の確信において、「正しくても、一人では行かない(行き得ない)」者たちが手を握り合うのは、真の〈連帯〉ではないところの「衆ないし勢を恃むこと」でしかなく、真の〈連帯〉とは、「正しいなら、一人でも行く」者たちが手を握り合うことであり、それこそが、人間の(長い目で見た)当為にほかならず、「連帯とは、ただちに〈恃衆〉または〈恃勢〉を指示する」とする近視眼的な行き方は、すなわちスターリン主義ないし似非マルクス(共産)主義であり、とど本源的・典型的な絶対主義ないしファシズムと択ぶ所がない。』
(大西巨人『深淵』上巻 P283〜284)
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先日、ひょんなことから、ある「探偵小説研究会」所属評論家と新たに面
識を得た。彼と直接お会いした際の、私の彼に対する印象は、物静かな「普通のミステリファン」というだけものだった。と言うのも、ご本人は「探偵小説研究会」に所属しているとはおっしゃらなかったし、たぶん周囲の人もそれを知らなかったのであろう、特にそのような紹介はなく、ただ「この方も笠井潔がお好きだそうです」というような簡単な紹介しかなかったからである。一方、私の方は「私も笠井潔の、特に矢吹
駆シリーズの初期作品は好きでしたが、最近のはダメですね。それに今の私は笠井潔葬送派なんて名乗っているんですよ」などと冗談めかした自己紹介をしたので、もちろん彼の方は、私が、かの「田中幸一」であることは、おおむね察していたと思う。
ともあれ、私は、彼を「普通に感じのいい人」だと思って、別れ際には「よければ、うちのサイトの掲示板に書き込みに来て下さい。機会があれば、またお会いしましょう」などと誘ったりもしたのである。
その後、彼が紹介してくれた古本屋へ出向き、その感想を『うちのサイトの掲示板』である「アレクセイの花園」にアップしたところ、彼からメールが届き、その古本屋が私の期待に添えなかったようで申し訳ないという主旨の「過分なお詫び」とともに、掲示板の過去ログをちらちらと参照した結果 、自分が「探偵小説研究会」所属している者であることを『カミングアウト』しておかなければ『仁義にもとるかも』と考えた、という主旨のことが書かれていた。
彼は、私と直接対面していた時に、そうと名乗らなかった理由について、
・ 彼の住む地域では「探偵小説研究会」だと名乗っても、誰もそれを知らないから、名乗るのが面 倒になっていた。
・ また、地方でのんびりと探偵小説を楽しむ分には、『そんな肩書きは必要ない』から。
だと書いていた。
私は「いかにも苦しい言い訳だな」と思いつつも、「まあ、私に面 とむかって、自分は探偵小説研究会に所属しているものだ、とは名乗りにくいだろうな。どんなツッコミや皮肉が返ってくるか知れたものではないし、そんな気まずさを堪えてまで自己を主張する人間なら、そもそもあそこには入らないだろう」と納得してもいた。
ともあれ、彼からのメールには、自分たちが『「笠井の子分」扱い』にされているのはわかっているけれど、自分個人は笠井潔や法月綸太郎などの作品についても是々非々で評価し、地方のいちミステリファンとして、ミステリをのんびり楽しんでいるだけだ、という主旨のことが書かれていた。
そこで、私は、このメールに次のような返事を書いた。
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(※ 某氏第1信への返信;田中幸一 第1信)
○○○○さま
こんにちは。ご連絡、ありがとうございます。> 先日は失礼いたしました。○○○○○○○○○○○○○○○です。
> ○○○○○まで足をお運びしていただいたようで、恐縮です。残念ながら、おこころを掴むまでの掘り出し物はなかったみたいですね。申し訳ない。いえいえ、立派な古本屋さんを紹介していただいたと感謝しております。ただ満足できるほどの本がなかったというのは私の正直な気持ちなので、せっかくご紹介下さった○○さんには申し訳ないかなと思いつつも、そのことを正直に書いたのです。つまり「さしさわり」を怖れず、正直に語るというのが、私の批評の根幹なのです(笑)。
> サイトの過去ログを○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ 仁義にもとるかも、と考え、カミングアウトします。田中さんが「天敵」視(?)してる笠井潔さんが関与している探偵小説研究会の、わたしはメンバーです。
> 別に隠していたわけではないのですが、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○。ひとりで地方で牧歌的にミステリを読むには、そんな肩書き必要ないですし。ああ、どこかで見た名前だと思ったら、「探偵小説研究会」に所属してらしたのですね。こないだ笠井さんの欺瞞(形式的な平等偽装)を批判した時に、『本格ミステリ・ ベスト10』巻末のメンバー紹介を書き写したんですが、その時にお名前をタイピング していたんだ(笑)。
> ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。しかし、○○○○○○○○○を推したので、やはり情実がらみと言われるかもしれませんね(笑)。
> ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
> ○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○(笑)。
> 同じ探偵小説研究会内でも本格観やミステリ観はばらばらですし、何を目標に批評活 動をしているかもほんとにまちまちです。なんとなく「笠井の子分」扱いされているのは、○○○○○○○うすうすかんじますが、私個人はきわめてのんびり読書を愉しんでおります。私は『オイディプス症候群』を評価していません。ですから、正直にそのとおり語りましたが、だからと言って、他人にその評価を押し付けるつもりはさらさらなくて、 あれを本気で評価する人も、当然いるだろうなと考えています。
『○○○○』掲載のご論文は拝読しておりません。資料としては買ってあるんですが、 前記のとおり、私は「評価は人それぞれ」だと考えるタイプなので、他人の評価の中味には、あまり興味がないんですよ。
その証拠に、じつは私、千街さんや鷹城さんの「創元評論賞」受賞作すら読んでいない。お二人とは、評論家デビュー前からの知合いなんで、当然お二人は、私がお二人 の受賞作を読んでいるだろうとお思いだと思うんですが、実際のところ、ミステリ評 論そのものには、昔も今も興味が無いんです(笑)。ですから『同じ探偵小説研究会内でも本格観やミステリ観はばらばらですし、何を目標に批評活動をしているかもほんとにまちまちです。』というのは、まったくそのと おりだと思っていますし、笠井さんが四六時中、みなさんにあれこれ指図をしているとも思っていません。
けれども、えてして人間は所属している組織の「空気」に影響される、というのは 「当たり前」の事実であり、そのレベルにおいては「個人の考え方や方向性」など問題になりません(「隠然たる影響力」というようなものは、物理的に存在するのではなく、「人間関係」のなかに相互的に発生する幽霊(ゴースト)のようなものです)。もとよりまったく方向性が違うと思えば、みなさんわざわざ、ああした「色つきのグ ループ」に所属したりはしないはずです。所属するからには所属するなりの(心理的 あるいは実利的)メリットがあり、メリットがあると考えて所属したんなら、その組 織の「求めるもの」にある程度「合わせる」意志があるというのも、否定しがたい事実でしょう。
つまり、私は「探偵小説研究会」のメンバーのみなさんが、絵に書いたような「笠井潔の子分」だと思っているのではなく、それぞれに個人的な違いはあるものの、「探偵小説研究会」に所属するという意志において、一定の方向性を自ら引き受け、その 「責任」を分担的に担ったのだ、と考えているんです。
例えば、日本人だからといって、みんながみんな、先の戦争で残虐行為をしたわけでないというのは、自明な事実です。それはユダヤ人を虐殺したドイツ人も、パレスチナ人を虐殺したユダヤ人もおなじ。一人ひとりを見ていけば、彼らは決して同じことを考えていたわけではありませんし、なかには体勢に逆らった人もいたでしょう。しかし「国家」や「民族」といった「所属」レベルでいえば、彼らには全員例外なく「構成員」としての責任が問われるんですね。その「組織」に問題があれば、外部の人間がそれを批判する以前に、その「組織」の一員としてそこに所属する者が、その「組織」の健全化をはからねばならない。それが自らすすんで、その「組織」に所属している者の「責務」なんです。
ですから「探偵小説研究会」に所属するみなさんが、組織の性格について「興味がない」と言うことは許されません。「組織」にたいして責任を担えないのなら、その人はその「組織」から去るべきですし、その「組織」に厄介になるつもりなら、「組織」の責任を担わなければならないでしょう。
しかし「組織の責任を担う」とは、何もその「組織の方針に隷従する」ということではありません。今の「組織」のあり方に問題があると思うのなら、それを批判し否定し改良していこうとすることも、「組織」に対して責任を担うということなのです。そして、そうした意味で私は、「探偵小説研究会」に所属するみなさんの「責任」を問うているのです。私が指摘するような「探偵小説研究会」の政治性について、「そんなことには興味は無い」とか「私たちはそれぞれに好き勝手にやっているだけだ」 という論点をずらした言い訳を、私は「物書き」であるみなさまに許す気は無いんで す。
私の問題提起、あるいは批判が間違っているというのであれば、反論すればよい。なのにそれがなされないのは、その問題に言及すること自体をタブーとして避けている からでしょう。
しかし、そこに問題の本体があると言われ、自らもそのことを半ば認識しているのに、そこから意図的に目をそらす態度は、根本的に批評家として失格なんじゃないでしょうか。例えて言えば、他人から盗んだお金を与えられて、それで生活をしている人がいたとします。彼は当初、それがそういう汚いお金だと知らずに使っていたんですが、ある時、Tという男が「それは盗んだお金だよ。そんなものを使ってたら、君も共犯になる。すぐさま突き返してしまいなさい」と指摘する。彼は、Tの指摘が、たぶん事実であろうと感じます。しかし、彼はTの指摘を事実だと認めてしまったら、たちまち 生活に困窮してしまい、既得権として当たり前に享受していたものを失ってしまうこともわかっていましたから、彼はTの意見を認めることができず、つい自分に対する「観念的自己回復」の意味もこめて、次のように言い訳してしまうのです。
「私はこのお金の出所なんてものに興味はないし、お金はお金であり、そこに違いはないと思っていますよ。貴方の問題意識は、私にはどうもピンと来ないな」
こう語った段階で、彼は窃盗の「事後共犯」になってしまうのです(もちろん法律的な話ではありませんが)。
私が問題としているのも、こういう「物書き」としての「道義」であり「倫理」であって、個人的な「趣味」の問題ではないんですね。
だから、「本格ミステリ大賞」に法月綸太郎を推そうと千街晶之を推そうと、それ自体は何の問題もない。事実、法月さんや千街さんの作品はそれなりに評価されてしかるべきものですからね。
しかし、問題はそれを推す人の「属性」なんです。彼が公正な投票ができる「属性」を持つ人か、それとも賄賂に塗れているという「属性」をもつ不適切な人か、そこが「倫理」的「道義」的に問われるんですよ。私が指摘しているようなことは、専門的な知識など寸毫も必要はなく、ただ正直であろうとする「倫理観」だけがあれば、だれにでも納得できる話なのです。それなのに、そんなことがわからないのは、その人が「既得権」に目が暗み、それにしがみついている証拠なんだと思います。
私は、笠井さんに心底憧れた人間ですし、巽さんとも昔から面識があり、その才能も高く買っていました。法月さんだって、デビュー直後から知っていますし、個人的な つながりもあった。法月さんなどは、作家的批評家的な才能を除けば、じつに小心で 凡庸な人だというのは良くわかっています。なにしろ「早く巽さんにリレー小説を書 くように言ってくださいよ」「貴方が言えばいいじゃないですか」「やっぱり先輩だから、言いにくいでしょう」なんて会話を交わしたこともあるくらいなんですからね。
ことほど左様に、私は「探偵小説研究会」のみなさんが、基本的には「普通の人」だと思っています。そして、その意味するところは「(右見て左見て)状況順応型の小市民」だということです。ただ、それでは「物書き」「批評家」は困るんだ、というのが私の立場なんですよ。
たとえば、私なら誰に臆することもなく、○○さんとおつき合いできますが、○○さんはそのお名前で、私の掲示板に書き込みをし、是々非々で議論をし、友人としてつきあうことができるでしょうか?
戦時中は「左翼思想」の持ち主を、権力が「赤」と呼んで差別しました。そんな状況下では「無難」に生活したいと思う庶民は、保身的に「赤」とのつきあいを忌避したり、隠したりしたことでしょう。笠井潔に嫌われては困る人にとって、私はちょうど、 この「赤」のような存在です。関係のあることを知られてはマズイ存在なんだと思い ます。じっさい、そういう意味合いで敬遠しないでおれる(公然と付き合える)のは、 業界の中でよっぽど立場のしっかりした人なんじゃないかな(例えば、竹本健治)。 つまり「誰とつきあおうと、つべこべ言われる筋合いはない!」と言えるような確固 とした立場か信念のある人だけが、真に自由であれるということです。
> 昨年、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、ようやくミステリの話ができる仲間ができました。○○でやっているミステリ読書会にちょくちょく顔を出し、 駄弁を垂れ流しています。
> 掲示板は、機会があればまたちょろっと書き込みます。東京へはなかなか出かけられませんが、もしお会いできそうな機会があれば、ご連絡差し上げます。
> ではでは。私はどなたとでも、有難くつきあわせていただくつもりですが、そのつきあいにおいても「正直な感想」を謹むようなことはいたしません。そんな鬱陶しいやつと、わざ わざつきあいたくはないとお思いでしたら、無理をなさる必要はありませんので、お心のままになさってください。面 識があったことや、書き込みをいただいたことや、 メールのやり取りをしたことも、個人的な話ですから、他言するなと言われれば、黙り通 しましょう。
私にとっての「つきあい」とは、そのようなものであり、そうした観点からすれば 「探偵小説研究会」の「つきあい」というのは、どうにも「うさん臭い」と言わねば ならない、とそういうことなのです。
長々と失礼いたしました。ご連絡をいただけたこと、心からうれしく思っております。
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以上のような私の批判に対し、彼は、次のような「反論」なり「説明要求」なりをしてきた(※
第2信)。
・ 私(田中幸一)が『研究会員がみなばらばらということを承知している』と言いながら、しかし『やはり相当、強固な結束の集団とみている』ようである。
・ また「探偵小説研究会」に所属することで『物質的・精神的な利益を不当、不正に得ている』と考えているようでもある。
・ 何らかの利益を得ているといわれると、正直、違和感がある。「探偵小説研究会」の人たちが『話のあう人たち』であり『仲間』だという感じはあるが、それも確たるものではない。本当に、具体的、客観的に不正な利益を得ているひとがいるなら、誰が、どのように得ているのか、教えていただきたい。
このように書いた上で、彼は自身の慎ましい生活の報告をし、「賄賂」など考えられないことだという説明をしている。そして、そのうえで、重ねて、
・ 「金」「賄賂」などの語句も比喩として出ていたが、ぜひ、根拠となる客観的事実を教えてほしい。『頭がくらくらします。』
と要求してきた。
さらに彼は、
・ 『田中さんの掲示板』には名前を出さない。その理由は『会や笠井さんの監視を恐れるからではなく、個人管理のサイトに本名をのせることに警戒感があるからです。それは「アレクセイの花園」に限ったことではありません。』だそうである。しかし、だからといって『研究会に、相互監視体制のようなものは存在しません。もし過去にそういう事例があったのなら、教えてください。』
とも要求してきた。
なお、彼はこれに続いて、
『 しかし、○○○○○で探偵小説研究会の○○と出会った、メールのやり取りをしているということを、田中さんご本人が書き込むことを止める気はありません。ただし、私のメールの内容を貼り付けるのはお断りします。』
と付け加えてきた。
言うまでもないことだが、私がどこで誰と会おうがそれは私の勝手であるし、そのことをどこで公言しようがそれも私の勝手である。つまり、私が彼と会ったことやメールのやり取りをしたことについては、もとより彼の許可を受ける必要などないのである。
無論、「私信」の内容を勝手に公開するのは、プライバシーに反することだろう。しかし、それはその「私信」の内容が「プライバシー(私事)」に関するものであることが大前提であろう。
例えば、私が彼の名前を伏せた上で「ある「探偵小説研究会」所属評論家が『○○○〜○○○』というようなことを書いてきたが、私はこう思った。」と書くことは何ら不都合ではない。なぜなら、そこに引用された言葉は「私(個人)」とは結びつけられてはいない、「ある、ひとつの意見」に過ぎないからである。つまり、それが書かれるたところで、彼の「プライバシー」は毫も侵されし、もちろん誰の「プライバシー」も侵害されないからだ。
じっさい、彼の要求は「身勝手」である。なぜなら、私が「公に主張している事(公事)」に対して、「私信」のなかで「説明要求」をしておいて、自分の書いたものは「私信」であり「私事」にわたることだから、勝手な公開はまかりならん、と言うのだから。 彼の「説明要求」は、「私信」の形こそ採ってはいても、内容的には「公事」である。まして彼は、公にむけて文章(意見)を発表している「批評家」であり「物書き」なのである。そんな彼が「私(プライバシーという名目)」の陰から、私の「公事」に注文をつけようというのは、筋違いでもあれば、卑怯だと言われても仕方がないのではあるまいか。
それなのに彼は、そんな自分の「逃げ腰」にはまったく無自覚で、私がわざわざ、
『面識があったことや、書き込みをいただいたことや、 メールのやり取りをしたことも、個人的な話ですから、他言するなと言われれば、黙り通 しましょう。 』
と「情け」をかけてやったことに対し、
『それなら別に、研究会員だと告げません。
サイトの過去ログを見た後なら、なおさらでしょう。
だいじょうぶですか、田中さん。』
などと書いてきた。
さらに彼はこのメール(第2信)で、
・ 「探偵小説研究会」の仲間とは『1年にほんの4〜5時間しか会わず、そのうえ20人以上いる会員全員と言葉を交わすヒマも』ないというのが実情だから「空気」も何もない。何年も顔を合わせていない会員もいる。
と説明し、「探偵小説研究会」会員がバラバラであるということか、あるいは、自分だけは距離をおいた存在である、という主張をしてみせる。
しかし、言うまでもなく、「仲間意識」というのは「時間と距離」によって規定されるものではない。たいていの場合、人は、毎日顔を合わせている会社の上司・同僚などより、年に一回数時間会うだけの「趣味の仲間」の方に「仲間意識」を感じるものだ、というのは「評論家」ならずともわかる話である。
なのに彼は、一体どうして、ここまで、その「絆の強さ」を否定しなければならないのか。もちろんそれは、なかば無自覚なものではあれ、彼がそこに「うしろめたさ」を感じているからに他ならない。だから「私たちは、志を同じくする、結束した仲間だ」と、自分の選んだ「仲間」について、自信をもって語ることが出来ないのである。
また、彼は、私の公に書いた文章について、
・ 「対談したら即党派活動」というような内容もあったが、ひとつの意見として読んだ。私も「意見は人それぞれ」だと思っているので、特に反論しようとは思わない。
などと寝ぼけてことを言う。たしかに私は前便で、
『私は『オイディプス症候群』を評価していません。ですから、正直にそのとおり語りましたが、だからと言って、他人にその評価を押し付けるつもりはさらさらなくて、あれを本気で評価する人も、当然いるだろうなと考えています。』
と書いているが、これは何も「すべての意見は等価である」などということを言っているのではない。だから、その証拠に『あれを本気で評価する人も、当然いるだろうな』と、能力の低い人の「存在」を認めているのである。つまり、私は、程度の低い「人」や、その「低い能力」そのものを肯定しているのではなく、そうしたものの「存在」を避けられないものとして容認しているに過ぎないのである(例えば、私の書いたことを『対談したら即党派活動』と要約する読解力しか持たない人間の存在)。だから、そうした「程度の低さ」については、必要とあれば批判でも反論でもする準備はある。事実、私はかつて、法月綸太郎による『虚無への供物』に対する「誤った解釈」を公然と批判したことがある(※
竹本健治『ウロボロスの基礎論』所収論文を参照)し、彼とてそれは承知しているはずなのだ。が、彼は自分が批判されたくないという気持ちから、「交換条件」でもあるかのように『特に反論しようとは思いません。』などと書いて寄越したのである。
言うまでもないが、私が笠井潔の『オイディプス症候群』を評価する意見や人に対し、その「誤解」を解こうと、批判なり反論なり説得なりをしないのは、もちろん「その価値がない」と思っているからに他ならない。例えば、内田康夫のミステリーを面
白いという人、渡辺淳一の痴情小説をして「人間を深く描いている」と思う人の意見に、私は同意するつもりもないけれど、かと言って、わざわざ批判・反論する気もないし、その価値も認めない――というのと、まったく同じことなのだ。
ともあれ、逃げ腰のごまかしに終始する彼は、私の笠井潔批判についても、
・ 『妄執といってもよいほどの笠井さんに対する強烈な愛情を感じ』た。
として、これも「あえて」反論の必要は認めないという態度表明をする。しかし、「批判」に何らかの愛情が籠っているというのは、「まともな批評が行なわれている世界」では「当たり前のこと」であり、これは取りもなおさず「愛情が籠っているからといって、過ちが許されるわけではない」ということでもあるのだ。つまり、彼が私の笠井潔批判に「笠井潔への愛情」を感じたとしても、その内容に過ちありとするならば、批判するのが当然のことなのである(むろん、愛情も籠っていない「批判のための批判」だと思うのなら、反論の価値もないということになるのだが、この場合、彼はそのようには主張しなかった)。
つづいて彼は、驚くような「自認」を書いている。すなわち、私が、私の「問題提起」や「批判」に彼らが反論しないのは、彼らが「探偵小説研究会」の「政治性」という問題をタブー視しているからであり、そしてそうした問題認識があるのに、そこからわざと眼を反らすのは、『根本的に批評家として失格なんじゃないでしょうか。』と書いたことについて、彼は、
・ この「批評家」が自分の事である可能性にしばらく気づきかなかった。気づいて、『自分は批評家なのか? 少なくとも、外からはそう見えるのか』と思い、愕然とした。自分は「批評」や「文章」で身を立てているわけでないし、別 に著作があるわけでもないのだから、「批評家」「物書き」を自認するつもりはない。それともこれは、『私のことでは(ないのでは)ありませんか? 批評家一般 、物書き一般、のことですか? それなら、今後の参考にいたします。』。
――無自覚もここに極まれり。開いた口が塞がらないとはこのことだが、こんな「物書きとしての自覚」の欠片もない、すなわち「責任感」も何もない「文字どおりの素人」をメンバーに加え、商業誌に「評論」なり「解説文」なりを書かせ、さらに『本格ミステリー・ベスト10』や「本格ミステリー大賞」に、他の「プロの物書き」たちと「対等」に「一票」を投じさせているのが、笠井潔によって率いられ、笠井の権威によって支えられている「探偵小説研究会」という権益「批評家」集団なのである。
このメールを読んで、私は「こいつ個人に何をどう説明したところで、無益であり時間の無駄 である」と了解した。したがって、「回答」なり「説明」なりを求めてきた彼への、私の返信は次のようなものとなった。
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(※ 某氏第2信への返信;田中幸一 第2信)
○○○○さま
お返事、拝見しました。
端的に申しますと、貴兄はご自身の立場について、まったく無自覚です。私は貴方が積極的に恍けているとは思っていませんけれども、その自覚がまったく主観の域を出ておらず、私の問題意識をまったく理解されていないと思いますし、それ は多かれ少なかれ「探偵小説研究会」のメンバーに共通するものなのだと思います。
> また、「問題提起」「批判」に反論しろ、
> それをしないのは問題をタブー視しているからである、
> 問題認識があるのにわざと眼を反らすのは批評家失格では、
> という内容が書かれていましたね。
>
> この「批評家」が自分の事である可能性に
> ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○「○○○
> ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」
> ○○○、愕然としました。
> ○○○○○○○○○○
> ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
> ○○○○○「批評家」「物書き」を自認するつもりは
> 私にはありません。たとえば、これもその一例です。
「批評家」「物書き」であることは、それで『身を立てている』とか『著作がある』とか『自認』の問題ではありません。
じっさい有名な文芸評論家でも、学校の先生(編集者など)をやりながら、その稼ぎで生活をしている人はたくさんおります。純文学作家や詩人なんて、たいていはそう いうもので、専業で喰ってる人なんて、全体の中のごく一部にすぎません。けれども、 彼らは「評論家」であり「小説家」であり「詩人」であり「物書き」なのです。つまり、「どういう立場で、なにをしているか」が問題なのであって、「肩書」や「稼ぎ口」が問題ではないんですね。その意味で、貴方も「公に向けて(商業誌に)、 自分の批評的意見を公表している批評家」であり、その意味で「物書き」なのです。 これは貴方が自ら選び担った立場なのですから、その「つもり」はないでは済まない んです。
「職業倫理」という言葉をご存じだと思います。これは、その職業に就く者が、「法 的な規制」以前も問題として、社会から課せられ、また自身、そうした「社会の一員として、自覚すべきモラル」のことです。
例えば、「政治家」や「警察官」といった人たちが「暴力団員」とつきあうのは「職業倫理」に反するものと、この社会は認知しておりますし、貴方だってそう感じてい るでしょう。
しかし、法的に言えば「誰とつき合おうが、自由」だし、はっきりと「賄賂」性のあ るものさえもらわなければ「問題はない」とも言えます。しかし、問題は「法」レベ ルでもなければ、自分がどう思うかという「主観」レベルの話でもありません。 なぜならば、彼らの「仕事内容」が、「公」にたいして「公正中立」であることを 「前提的に」求められるものだからです。たとえば『このミス』が自社の刊行作品を、投票の対象外としているのも、こうした 社会通念としての「倫理観」に沿ったものなんですね。 たとえ「身びいき」するつもりはなくても、そのように受け取られる怖れのあること からは身を退く。それは政治家や警察官が、例え純粋な友人関係であっても、「職業 に対する、社会的な不信」を招かないように、そうした人たちとの交友をひかえる、というのと同じことです。
当然、それで喰っているか否かに関係なく、公に対して、「公正中立」な意見を発表 しているという形を取って意見を発表している者にも、同種の「職業倫理」が問われるわけですが、「探偵小説研究会」のみなさんには、そうした「常識」が欠落していると言わざるを得ないんです。
それは貴方のお返事にも明らかでしょう。貴方がどう「主観」したいるかなどは問題 ではない。社会が貴方の「立場」に何を期待しているか、それへの認識の有無が重要 であり、そうした社会的要請に対して貴方がどういう立場でその責任を担って発言し ているか、そうした自身にたいする客観的な「自覚」が、公にたいして意見を公表する「物書き」には必要なんです。
そして、そうした立場に責任を持てないというのであれば、公に向けて意見を表明するのは止めるか、意見の発表を仲間うちだけに止めるか、にしなければならないんですよ。つまり、こうしたことが、前回、私の書いた、> 私が指摘しているようなことは、専門的な知識など寸毫も必要はなく、ただ正直で
> あろうとする「倫理観」だけがあれば、だれにでも納得できる話なのです。それな
> のに、そんなことがわからないのは、その人が「既得権」に目が暗み、それにしが
> みついている証拠なんだと思います。という言葉の意味です。
貴兄のご質問に、ひとつひとつ具体的に答えることは簡単ですが、貴方が現在のご主張に、一切疚しいところはなく自信をもって公に語れる、とおっしゃるのなら、以降の議論は「公」にしようではないですか。
べつに本名を出していただく必要はありません、ただ、
>> 面識があったことや、書き込みをいただいたことや、
>> メールのやり取りをしたことも、個人的な話ですから、他言するなと言われれ
>> ば、黙り通しましょう。
>
> それなら別に、研究会員だと告げません。
> サイトの過去ログを見た後なら、なおさらでしょう。
> だいじょうぶですか、田中さん。とまでおっしゃるのなら、『「探偵小説研究会」の、ある会員』ということで結構で す。
貴方からいただいたメールと私のメールの、貴方「個人」を特定できる部分を「削除」なり「伏せ字」なり「書き換え」るなりして、そのまま公に向けて議論しませんか。
これは貴方が「探偵小説研究会」に対し、「妙な形で負うところ」のない「自由な発 言者」なのであれば、なんら問題はないはずですし、どちらの認識がより正しいのかという問題は、ものを考え発言する人間には避ける理由のないものでしょう。貴方で あれ私であれ、議論のなかで否応なく自身の認識が改められ深められるのなら、それを避ける理由はない。私は周知の「田中幸一」として責任を担い、貴方は『「探偵小説研究会」の、ある会員』として責任を担うんですから、不利な条件は何もない。ぜんぜん無理な注文ではないと思いますが、やはり他の「探偵小説研究会」のメンバーの目が気になりますか? でも、そうした「特定の人々」にたいする特別 な配慮、つまり「さしさわり」に対する配慮があると認めた段階で、貴方は「自由で公正中立」な発言者ではないということを、ご自身で認めたことになるんですよ。
自身の発言に責任を持ち、私の批判的な意見にも耳を傾けたい。自分の選んだ立場には責任を負うつもりがある、とおっしゃるのなら、ぜひこの提案に応じてください。
個人的な議論は、所詮、相手の意見がいかに説得的なものであろうと、「認めない」とか「そうは思わない」「納得できない」と拒絶してしまえば、それでおしまいです。 しかし「公」の議論は、本人が拒絶しようと、その態度を判定する「第三者」という 審級が存在しますし、それがあるからこそいい加減な(無責任な)態度(無責任な拒 絶など)を取ることもできないんですね。つまり「公」とは、それほど厳しいものだということなんですよ。
このメールが無駄にならない、積極的なお返事を期待しております。
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このようにして、私は、彼の発した拙論にたいする疑義や説明要求に対し、公開での応答を約した。
だが、それに対する彼の短い返事(第3信)は、話にもならない「おとぼけ」に終始するものであった。例えば、彼はこんな風に書いている、
・ 『わたくしごとき人間』を「批評家」と認め、しかも積極的に批評家としての自覚を持てと『いっていただけるとは。』『なんだか面 映いですね。』そんなことを言ってくれたのは『田中さんが最初です。』
彼はこれが「謙遜」になるとでも思っているようだ。これに続いて、彼はこう書き継いでいる。
・『しかし』単に公の出版物に文章が載っているからというだけでは『批評家としての自覚を持てません、自信ないです。』『そういう自称批評家の方は、たくさいらっしゃいますが、個人的には軽蔑しております。』
呆れてものも言えないとは、このことだ。言うまでもなく、「責任を負う」とは、「肩書き」や「立場」の重さをそのままに引き受けるということである。しかし、見てのとおり、自ら「探偵小説研究会」会員であることを選んだはずの(大人の)彼は、「名義の借り逃げ」すなわち「利用させてはもらうけど対価は払わない」「やることはやるけど、責任は取らない」という「無責任男」である。そんな彼が「責任を負おう」と公言した人たちを『軽蔑』すると言うのだから、彼の思考を構成しているのは「鏡の国の論理」だとしか思えない。
ともあれ、こんな無責任な男の、私への回答は、おのずと明らかであろう。
『ですので、掲示板への匿名の書き込みのご提案もお断りします。』
そして、その理由というのが、私の一連の笠井潔批判論文は『批判文というより熱烈なラブレター』であり『他人のラブレターについて口出しするのは妙なものだ、と思うから』だそうだ。まったく『妙』な「逃げ口上」である。
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(※ 某氏第3信への返信;田中幸一 第3信)
○○○○さま
やはり、ダメでしたか。
あまり期待はしていませんでしたが、残念です。> (※ 前記某氏の第3信を全文引用)
私が「認める認めない」ではないんですよ。
貴方が公の場所に文章を書いているこのは事実なんですから、それに責任が発生するのも事実。
つまり貴方に、自信があろうとなかろうと、自覚があろうとなかろうと、そんなことには関係のない、客観的な「事実」なんです。
例えて言えば、貴方は公道で車を運転している人です。その場合、貴方に運転者としての自覚や自信があろうとなかろうと、貴方には運転者としての責任がある、というのと同じなのです。
> ですので、掲示板への匿名の書き込みの
> ご提案もお断りします。笠井さんへの田中さんの
> 文章は批判文というより熱烈なラブレターであり、
> 他人のラブレターについて口出しするのは
> 妙なものだ、と思うからです。こういう文章を「第三者」という審級が、どう思うか考えてみること。つまり、公に見せられる文章か否か、自分の胸に聞いてみることです。そうした突き詰めがないかぎり、貴方のなさっていることは、「無自覚」になされている、と考えた方が良いと思います。
そして公に向けて「無自覚」に文章を書く人というのは、公道を「無免許」で車を走らせる人ようなものなんです。
私の、人間としての助言はここまで。
まあ、私としても「探偵小説研究会」メンバーの「認識」の一端に触れ得たことは、 けっして無駄ではなかったと思いますし、いよいよ私の問題意識の確かさを再確認す ることができました。ありがとうございました。
では、機会があれば、いつかまたどこかで。
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見てのとおり、普通ならここで終るはずであった。なぜなら、この私が暗に「今回のところは見逃してやろう」と書いているのだから。だが、読解力のない人間とは、不幸である。彼はこのメールに対して『おしまいですか?』と題する(致命的な)メール(第4信)を送りつけてきた。その内容は「私(田中幸一)への批判」に終始している。
くり返して言うが、ここには彼の「プライバシー(私事)」に関する情報はひとつもない。あるのは、私が公にした発言に対する、私に向けた彼の意見である。つまり、彼の「個人的な意見」では済まされない「対他的な批判」だけが列ねられているのである。
彼の個人名などどうでもよい。こんなメールで書いて寄越す人物が、「探偵小説研究会」の名において、一人前の顔にその意見を公にしているということである。
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(※ 某氏第4信:タイトル『おしまいですか?』)
田中幸一様もうおしまいですか? 田中さん。
「人間」としての助言、という表現は気になりますね。
田中さんは人間以外の何かなのですか?田中さんのいう「社会」や「公」には
田中さんしかいないようなんですもの。
田中さんの意識では、おひとりで
「社会」や「公」を背負っていらっしゃるようですが、
こちらの質問に答えてくださらず、
客観的なデータも具体例も教えてくださらない。
つまり、「わたしが社会なのだ、わたしのいうことを
無条件で信じなさい」とおっしゃっているようなものです。つまり、田中さんは人間以外では
「社会」であり、「公」なのでしょう。田中さんがつづけている自己内対話こそ
「社会」や「公」なのでは。でもそれは、田中さん以外の人間にしてみると
あくまでプライベートで私的なものだと思います。そういう私的な世界を大前提に
話をしようとしている方と、議論しても
話が噛み合うとは到底、思えません。それは田中さんの「信仰」についての
議論になると思います。田中さんのおっしゃることを
無条件に信じられる人には田中さんの話は
受け入れられるでしょう。でも、そうではない人とは
平行線をたどり、お互いにエネルギーを消耗させるだけですよ。「信仰はひとそれぞれ」だと思っていますので、
特に田中さんの私的な信仰を否定いたしません。
しかし、布教活動は迷惑なので、おやめください、
ということです。
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自分の意見すら定かではない「党派」素人評論家が『布教活動は迷惑なので、おやめください』とは片腹痛い。そう思うのだったら、自分で責任を負えない文章を公に書いたり、名前も出せなければ人前にも出せない文章を他人に送りつけたりなどしないことだ。
ともあれ、身の程知らずとは、こういう男のためにある言葉であろう。
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(※ 某氏第4信への返信;田中幸一 第4信)
○○○○さま
メール、拝見しました。
個人的に文句が言いたいのなら、どうぞお好きになさってください。公にもできないご意見・ご質問におつき合いするほど、私は暇ではありません。それに、公にしないと決まった途端、威勢がよくなるというのは、みっともないことですよ。
貴方から得た知識については、いずれ生かさせていただきますから、どうぞそちらをご参照なさってください(つまり、おしまいではなく、これからだということです/ 笑)。――もっとも、参照したところで、それを自身の問題として思考していただかない限り、すべては無駄 でしょう。馬を水場に連れていくことはできても、水を無理やり飲ませることはできないということです。
では、また。
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そして、この翌日であったか、ミステリ業界にもかかわりがあり、この「探偵小説研究会」の某氏とも面
識のある、さる友人から電話がかかってきた。
その電話の内容については、次の「第5信への返信」を参照されたい。
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(※ 某氏第5信への返信;田中幸一 第5信)
○○○○さま
こんにちは。
> 田中幸一様
>
> 私のほうはともかく、
> ○○○○○に対して迷惑になるような行為はお控えください。悔し紛れに関係のないことを持ち出すのも、みっともないですよ。
ご心配は無用。□□さんとはメールでも連絡を取り合って、掲示板荒らしの問題については、すでに解決しております。
あの「**」とか名乗っていた「匿名の無責任な人物」は、私のネットストーカーではなく、あちらの掲示板にときどきああした書き込みをする「◇◇」という人物だろ うとのお話でした。管理者はリモートホストを確認できるから、同じ投稿者だと、だいたいわかるんですよ。ところで、○○○○○に迷惑をかけるなとのご助言ですが、あちらに迷惑をかけているのは、私ではなく、匿名の掲示板荒らしの方です。それを混同して、むしろ被害者である私に注文をつけるのは、非論理的なお門違いというものではないですか? 公であれ、私的であれ、もう少し、筋のとおったことをおっしゃってください。そんなことでは「探偵小説研究会」の名折れです(笑)。
それから「関係のない人(第三者)に迷惑をかけるな」ということなら、貴方も関係 のない◎◎◎◎さんに泣きついたりしないことです。◎◎さんは、ご自分がどう言ったところで、私がやるとなったらやる男だということは充分にご存じだから、相談を受けて、ずいぶん困惑されたことでしょう。
昨夜「私はどちらの味方をするつもりもありませんが、まあ悪い人ではないし……」 みたいなずいぶん歯切れの悪いお電話を下さいましたよ。せいぜいお礼を言っておくことです。ちなみに私としても、とても不本意ながら、◎◎さんを巻き込む結果となってしまったので、どのようなやりとりがあったのかを、せめてそれを詳しくご報告すべく、さきほど末尾のようなメールを、◎◎さんの方へ送っておきました。これで、◎◎さん も今回の件の全貌が、正確に掴めたことでしょう。
> ご自分の怒りに触れない
> 限りは温厚な方のようですけど、
> 自分の気に触る事態が出来した場合は
> 突然、攻撃的になるようですから、
> 心配です。それにしても、こんな文章を書く人に、公に文章を発表する機会を与えるなんて、やっぱり笠井潔及び「探偵小説研究会」は問題ありですね(ま、これは『葉桜』の解説で、 すでに周知のことですが)。
> 自分の怒りに触れない限りは温厚
って、あたりまえじゃないですか。貴方は『自分の怒りに触れない限りは』狷介であったり、『自分の怒りに触れ』る場合はニコニコ『温和』だったりするのでしょうか? そりゃあ、精神の病というものです。
> 自分の気に触る事態が出来した場合は
> 突然、攻撃的になるようですから、
> 心配です。はい。私は短気ですからね。
でも、短気に怒っても、やることや言うことは論理的で、そつがないからこそ、笠井さんたちも手をつけかねているということをお忘れなく。だてに「触らぬ 神に祟りなし」扱いをうけてるわけじゃありません。貴方のように、あせって穴だらけのことを 書くような人間だったら、貴方とは違い、反体制派である私は、とうの昔に袋叩きに あっていますよ。まただからこそ、私に手出しできるのは、「匿名」者か、「私信」 を盾にとって迷惑メールを「個人的」に送りつけてくる手合いだけなんです。まあ、正しく「心配」してください。
貴方のご主張に問題がなければ、心配は無用ですし、問題があったのなら、それ相応の責任を取らされるだけです。なにしろ、お互い大人だから、それは仕方のないことです。自分のやっていることに自信が持てないのなら、素直に謝罪すべきでしたね。貴方のなさったことは、すべて火に油を注ぐ行為でした。何度も申しますが、もうすこし「自覚」を持つべきですよ。大人(社会人)なんだから。
では、また。
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つまり彼は、私に何の断わりもなく、事情に通じていない第三者、つまりまったく関係のない第三者に、私の行動に歯止めをかけてほしいと要請したのである。
むろん、そうした要請を行なうからには、上記のとおり、その相手に「詳しく事情説明」をしなければならない。そうでなければ、相談を受けた方が、ことの是非を判断することが出来ず、その結果
、責任ある介入(助言を含む)をすることができなくなるからだ。
つまり彼は、私に何の断わりもなく、まったく無関係な第三者に「私と彼の間だけで起こった事」について、介入を依頼するのにそれ相応の説明として、その内容を明かしたのである。
もちろん、その内容の明かし方が、
・ メールの内容をすべて明かし、事実に則して説明した。
のか、あるいは、
・ メールの内容を主観的に要約して、一方的な説明した。
のかは、どちらからも説明を受けていないので、現時点の私には判断のしようがない。
だが、前者であれば、彼は自分の方から「メールの内容の第三者への公開はまかりならん」と言っておきながら、自分からその禁を破ったことになるし、後者なら、その「主観的な要約による説明」によって、第三者に対し、私を誹謗したも同然なのである。
つまり、どっちにしろ彼は、筋の通らない、「裏工作」において、私を黙らせようとしたのである。だから、私は、電話をかけてきたその友人に対し「どうも迷惑をかけたようで申し訳ない。それにしても情けないやつだな。あんなのに公刊誌に文章を書かせているんだから、やっぱり笠井潔および「探偵小説研究会」は問題ありですよ。きっちりとけじめをつけてやらなければね」と返事しておき、上のメールにもあるとおり、私のメールをすべて「伏せ字」なしで送っておいた。
なお、文中の『○○さんから第5信(「おしまいですか?」2004年 ×月 ×日 (×) ×:×× PM)』とは、第4信と同タイトルの「第5信」のことである。
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(※ 電話をくれた友人◎◎◎◎氏への、田中幸一のメール)
◎◎◎◎さま
こんにちは。昨夜は、○○さんの件でわざわざご連絡を下さり、お手数をおかけしま した。◎◎さんに『助言を求めた』とのことですが、関係のない第三者に、何の助言を求めるというのか(笑)。たぶん、◎◎さんに「ひとこと言ってもらえれば」私が黙るとでも思ったのでしょう。愚かなことです。
◎◎さんに相談する以上は、自分がどんなメールを私のところへ送り、私の逆鱗に触れたのか、当然、○○さんもその内容を明示した上で、相談したことでしょう。そう でなければ、そもそも助言のしようがないですからね。
というわけで、私の方も、どういう返事を送ったか、すべてご紹介しておこうと思います。もとより○○さんへの返信にもありますとおり、私はすべてをオープンにして 議論をしようと提案したのですから、人に見られて困るようなことは書いておりませんし。
なお、本日先ほど帰宅して、メールを確認したところ、○○さんから第5信(「おし まいですか?」2004年 ×月 ×日 (×) ×:×× PM)が届いておりました。このメールを ◎◎さんに差し上げてから、末尾の「第5信返信」を○○さんに送っておきます。
○○さんについて、ひとことで言えば「何の覚悟もない素人が、公にしゃしゃり出てくるな」ということでしょうし、このレベルの人も「1票のうち」ということで、餌を与えて手ゴマにしている笠井潔および「探偵小説研究会」への批判は、やはり正しかったと確信を深めました。――追撃の手は緩めずということです(笑)。
では、また。
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ここまで読んでいただければ、私の批判する「探偵小説研究会」という集団の本質が、十二分にご理解いただけると思う。
要は、このグループにあっては、同会会員
柳川貴之の例でも明らかなとおり、プロの批評家としての力量
がなくても、プロの作家の著作への解説文を書くという仕事が世話されるし、今回紹介した匿名某氏のように公に文章を書く者としての「責任の自覚」など欠片もなくても、商業誌へ評論文を発表する機会が投げ与えられる。
そしてそんな彼らには、「探偵小説研究会」会員であるというただその一点において『本格ミステリ・ベスト10』(原書房
刊)への投票権 や「本格ミステリ大賞」(本格ミステリ作家クラブ
主催)への投票権が与えられる、ということなのだ。
なるほど、彼らは「何に一票を入れろ」とか「誰を推せ」などと露骨に指示されたりはしないだろう。しかし、「商業誌や公刊本への原稿執筆(たいていは原稿料も伴う)」という餌をあたえられ、さらに『本格ミステリ・ベスト10』や「本格ミステリ大賞」という売り上げ(銭金)に直結する、ミステリ作家(および業界人)たちには無視しがたいイベントへの参加権まで、「探偵小説研究会」会員という「肩書き」において、与えられる彼らが、はたして「探偵小説研究会」関係者から、実質的にも心情的にも、まったく「自由」でなどありえようか? おかしな「仲間意識」という「情実」に流されず、冷徹なまでに「批評家としての公正中立」を守ることができようか?
むろん、彼らにそんなことを期待するのは、自民党の代議士に「裏金」や「賄賂」や「利権」や「利益誘導」が無いと信じるのと同じくらい、非現実的に愚かであり、いっそ偽善的であると言えよう。
第一、自分が「責任」の負わねばならない立場の「公的言論公表者」であるという自覚もない彼らであり、そんな彼らにそういう立場を保証している「探偵小説研究会」のお仲間であれば、「物書きとしての倫理」など、もとより求めようもないのである。
私が「探偵小説研究会」を批判する場合、簡単に言えば、彼らが笠井潔の「手駒」であり「子分」であるという理由で彼らを批判するわけだが、言うまでもなくそれは、彼らをそのように利用している笠井潔を批判するのと同時に、人並みの知性があれば、それが不正な「利用(被利用)」であるのがわかるはずのことに、「おいしい汁」を欲するがために、そ知らぬ 顔をで追従する彼ら「探偵小説研究会」の面々それぞれを、批判するものでもあるのである。
こんな彼らにより「歪められた投票結果」によって、一所懸命に書いた作品を不当に評価された作家たちは、まことに不幸と言うほかない。言うまでもなく、誰かを持ち上げれば、そのぶん誰かの順位 が相対的に下がるのは避けられないことだからだ。同様に「同じ探偵小説研究会のメンバー」だということで、同会メンバーの著作は、他の仲間に無償配布される機会も多いだろうし、無償配布されようとされまいと、いずれにしろ仲間の本は「読まないわけにもいかない」という「義理」が発生するだろう。その段階で既に、他の作家の作品は「読まれないで、評価されない」という可能性を、相対的に強めざるをえない。「探偵小説研究会」のメンバーからすれば、「もらうこと」「読むこと」と「高く評価すること」は同じではない、ということ(言い訳)なのだろうが、そもそも読まれないでは評価はされない(※ まして『本格ミステリ・ベスト10』や「本格ミステリ大賞」は、平均点方式ではなく、得点得票加算方式である)。つまり、その「党派性」により優先的に読まれるという段階で、すでに「探偵小説研究会」の作家たちは、他の作家よりも、作品の出来不出来以前の問題として、明らかに「優位 」に立っているのである。
もちろん、このようにして「歪められた投票結果」によって、本を買わされることになる、業界の裏事情に通 じていない一般のファンも、まともな作家と同様に、不幸である。本来ならば、別の本を買っていたかも知れず、もっと楽しめたかも知れなかったのに、その「歪められた投票結果 」によって彼らは、本来の公正な投票結果(=適正な情報)からは永遠に遠ざけられることになるのだから。
それでも「探偵小説研究会」の面々は、笠井潔と同様、偽善的な「無欲の仮面 」を脱ぎ捨てない。それは、以下に紹介する同会会員 田中博による「探偵小説研究会」の紹介文「探偵小説研究会とは?」にも明らかであろう。
『 e-NOVELSの「週刊書評」を担当している“探偵小説研究会”……「何、それ?」という方も多いでしょう。遅ればせながら、ご挨拶と自己紹介をさせていただきます。
2001年6月現在、探偵小説研究会の会員は22名。どんな人たちが集まっているかは「ここ」をクリックしてください。会員のプロフィールが並んでいます。まぁ、色んな人たちがいます。
で、そんな人たちが集まって何をしているかというと、探偵小説の研究をしているわけで……え? それじゃ、アタリマエすぎて何のことやら解らない? なるほど、トートロジーは意味を殺すわけですね。では、そもそも探偵小説研究会がどのように結成され、どのようなことをしてきたのかを説明いたしましょう。
ことの起こりは1995年に遡ります。第2回創元推理評論賞が5月に決定したのを受けて、同年の7月に関係者が集まり、その場で探偵小説研究会なるものが結成されました。メンバーは、当時の創元推理評論賞の選考委員である笠井潔、巽昌章、戸川安宣、法月綸太郎……第1回および第2回創元推理評論賞受賞者の濤岡寿子、千街晶之……同佳作入賞者の佳多山大地、田中博……総勢8名でした。よし、探偵小説を研究するぞっ! 頑張るぞっ! で、何する? やっぱり勉強しなくちゃナ……大丈夫か? という感じでしたが……その後、徐々に会員を増やし、勢力を拡大し、現在に至っています。
そんな経緯もあり“創元推理評論賞受賞者が中心の団体”といった印象があるかもしれませんが、22名中8名は創元推理評論賞に直接の関係はありません。会の都合で助っ人として引っ張り込まれた人も多いわけです。それぞれの得意分野も、考えていることも、文章のスタイルも色々で、そのあたりは「週刊書評」を覗いていただければ解ると思います(無料ですから遠慮は無用)。
それぞれ批評や小説の書きモノ仕事をこなしつつ、あるいはサラリーマンや大学の先生という本業をオロソカにしつつ、会の活動としては月に一回程度集まり、ミステリの評論書を中心とした読書会などをし……その後、オマケのようなものですが宴会をしています。今までに読書会で取りあげられたのは……H・ヘイクラフト『娯楽としての殺人』、島田荘司『本格ミステリー宣言』『本格ミステリー宣言II』、F・モレッティ『ドラキュラ・ホームズ・ジョイス』、都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』、加藤典洋『ゆるやかな速度』などなど。今年に入ってからは、内田隆三『探偵小説の社会学』、『ジェイムズ・エルロイ――ノワールの文体』(「ユリイカ」臨時増刊)などが取りあげられました。その合間を縫うようにして、探偵小説研究会名義の刊行物に関する議論や、e-NOVELSの「〜特集」についての執筆の割り振り(仕事の押し付け合い)をしています。案外と楽しいです……特に宴会は。
さて、研究会として関わった刊行物を以下にあげておきましょう。(※ 以下略)』
『仕事の押し付け合い』をしているそうである(笑)。だから、柳川貴之のような「下手くそな素人」や、匿名某氏のような「無責任な素人」にも、公に文章を書かせたりするのであろう。また、かつての「創元推理評論賞」の選考委員たちも、「それで良し」としたということである。
しかし、彼らはそれで良いかも知れないが、一般読者やまともなミステリ作家にとっては、これは傍迷惑なこと甚だしい。こんな、権益配分のためだけの「批評家」集団は、早く無くなった方が良いに決まっていると私は思うのだが、……まあ、同時代には、そうした声を公然とあげる者は、ほとんどいないのであろう。とにかく、ミステリ業界に身を置く者の大半は『基本的には「普通 の人」だと思っています。そして、その意味するところは「(右見て左見て)状況順応型の小市民」だということ』である。だから、おのずと私の存在も「同時代の良心」として、後世に評価されるに止まるのであろう(笑)。
*
――というわけで、○○さん、貴方の「ご質問」への回答、たしかにさせていただきましたよ。しっかり読んで、私の『人間としての助言』を無駄
にしないでくださいね。
『自分がどんな社会に属しているか、その社会が何をやっているか、こういうことを真剣に問いつめるのは苦しくて不愉快なことが多いですよね。答えを探してもたいていは秘密主義の壁の向うに隠されていて見つけだすのは困難だし、見つけだしてもたいていは醜悪で胸が痛むような答えなので、腹が立ったり暗澹たる気持ちになる。こうした問題の真相を知ろうと思えば――そして真相を知ってしまうと――自分でも何か行動せざるを得なくなる。それは簡単にできない場合もあるし、大きな自己犠牲を伴うこともあるでしょう。……たしかにお気楽な道はありますよ。権力者に楯突かず屈服するとか、疑問をもって真実を探るという態度をやめてしまうとか、宣伝布教(プロパガンダ)の体制がたえまなく我々に吹き込むT教義(ドクトリン)Uをそのまま信じ込むとかね。主流派のTものの見方考え方(イデオロギー)Uがやすやすと大衆の心をつかむのも、大勢に逆らう異論反論が出てこないで人々が だんまり をきめこむのも、政府(おかみ)や同盟国の悪行を正当化するようなT公認教義Uを人々が喜々として受け入れるのも、あるいは逆にT敵対勢力Uが何かをしたとなればそれがたとえインチキ情報であっても皆一斉に非難の声をあげるってのも、そうした安直のなせるわざでしょう。』(ノーム・チョムスキー『Towards a New Cold War』 佐藤雅彦訳)
2004年4月21日
2004年6月5日 改訂(末尾にチョムスキーの言葉を追加)
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