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◆ ダチョウの論理 ◆
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―― 近藤和宏氏の論理について
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アレクセイ(田中幸一)
私の批判論文『貧困なる精神・貧困なる知性 ―― 近藤かずひろ氏について 』に対する、近藤和宏氏(以下、敬称略)の反論文である『アレクセイ氏への疑問2』は、私が『貧困なる精神・貧困なる知性』で指摘した、
『近藤かずひろという人物には、「常識が不足」しており「その自覚も不足」している。にもかかわらず、自分が多少の「専門知識」を有していることを鼻にかけており「自分が優秀な人間だと思い違い」してもいる。そんな彼は当然のことながら「自己客観視」ということが全然できない「自閉的」「自己完結的」「自己満足的」な「幼児性格者」だから、「他人の事を容易に見下し」がちである。反面 、「自立心が欠如している」ため「権威」や「知識」や「仲間」といったものに依存しがちで「孤立(独立)」に堪ええない「脆弱な精神の持ち主」でもある。またその「精神の脆弱性」ゆえに「自己の過ちを認める勇気がなく」結果 として、いつまでも「言い訳に言い訳を重ねる」といった行動を繰り返し続けるのである。』
という近藤自身の本質を、懇切丁寧に「裏書き」してくれる、たいへん愉快な文章である。
弊サイトの掲示板『ARGUMENT』ヘの、近藤の次のような書き込み(「相変わらず」)は、近藤の「人間的卑小さ」をよく体現した文章であり、私は下記(「さてさて。」)のように返しておいた。
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相変わらず 投稿者:近藤@古代図書館 投稿日: 9月 2日(日)00時04分56秒
タイトルとタイトル画像の文字が一致されていないようで。
どちらが正しいタイトルなのか分かりませんね。title 要素: ARUGMENT
タイトル画像: ARGUMENTかつ、相変わらず最初に相手を貶すところから入るところはなんら変化が無く、相手に対してどういう姿勢で向かっているかが目に見え、語り合う価値の無い相手であることを自ら証明されているご様子。
まぁ、それでも http://www.alib.jp/neta/kana_questions2.html に当方へ対する根拠の無い意見を否定する言葉を列挙しておきましたので、お暇がありましたらご笑覧ください。
さてさて。 投稿者:アレクセイ@管理人 投稿日: 9月 2日(日)10時18分09秒
本当に貴方は「相変わらず」ですね(笑)。
貴方の文章で役に立つのは「誤字誤植の指摘」くらい……といったところは、ご同類の野寄さんそっくりです(今回も引用なさってますね。野寄さんとの類縁性がハッキリして、おおいに結構)。>アレクセイ氏の意見は貧困なる精神・貧困なる知性の方へ書かれています。こちらに対する反論……というか突っ込みです。相変わらずまともに取り合う価値もありません。
「アレクセイ氏への疑問2」のこの冒頭も、私の指摘した、貴方の「見栄坊」ぶりと、『「精神の脆弱性」ゆえに「自己の過ちを認める勇気がなく」結果 として、いつまでも「言い訳に言い訳を重ねる」といった行動を繰り返し続けるのである。』という読みを裏づけるものでしかありません。
『まともに取り合う価値』も無いものに取り合うのは、「貴方の愚かさ(意志薄弱さ)」の自己証明でしかないんですよ。もちろん私の場合は、貴方は『まともに取り合う価値』のあるものだと評価しているから取り合っているんですよ。貴方の「書かれていること自体は馬鹿馬鹿しいもの」だけれども、貴方という「愚かな存在」は、人間の内面 に例外なく存在するであろう「暗愚」を象徴するものとして検討に値し、その意味で格好の「研究材料」なんです。「生きた教材」というやつですね。
ですから、私は貴方を粗末には扱いません。じっくりと楽しませていただくというのは、そういうことなんですよ。貴方は何だかんだ言いながら、一番付き合いが良さそうですからね。「アレクセイ氏への疑問2」への感想、近いうちに書かせていただきますので、しばらくお待ち下さい。
こういうラブレターのやり取りもひさしぶりです。ありがとうございます。
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議論論争において、相手の「誤字脱字誤植」を指摘するのは、一番「低レベルの行い」だというのは、ネット界に止まらず「世間一般 の常識」であろう。その程度の愚行も自制できないような人が、『アレクセイ氏への疑問2』では『そんな低レベルな応酬はしていませんよ。』と書いている。……まことに「無自覚な人間」とは如何ともし難いものである。当然のことながら、これは私の力をもってしても如何ともしがたいわけのだが、この「愚行の軌跡」をフレームアップして読者諸兄に提供し、「他山の石」としていただくことは、あながち価値の無いことでもあるまい。したがって、この論文も形式的には近藤の反論に応える形にはなるが、本質的には「反論」ではなく「近藤和宏論」であり「人間の愚行の姿」を論じた論文である。近藤には当然のことながらこの区別 がついていないから、
>当サイトの profile にも公開しているのですけどね。私の名前はそういう文字ではありません。半端に書かないで欲しいところです。さらに何故敬称を略するのでしょう。私は一度たりとも敬称を略さず、礼を失した書き込みは無い筈なのですが。
などと書いているが、論文での「敬称略」が「失礼」にならないのは、これまた常識に類することである。「論文」では、対象を客観的に扱おうとする。だから、あらかじめ「敬い」もしないし「見下し」もしない。ただ「それそのもの」として「フラットな関係」を前提に扱うのである。したがって論文では、基本的に「敬称」は不要である。無論、権力関係が強く働く業界での論文は「無難」を期すために「敬称」をつけたりすることも現実にはあるわけだが、それはそちらの方が間違いなのである。
近藤は、いかにもオタクらしく専門的な知識については豊富に持ち合わせているようである。だが、その知識の出所を思考する能力が全く無いために「掲示板への書き込み」と「論文」の区別
がつかない。……「論文においては敬称は不要」などということは、批評論文を読んだことのある人には説明するまでもないことなのだが、もちろん近藤の場合には、説明されても理解することはできない。所詮、彼がしたいのは、つまらない「難癖」をつけることでしかないのだし、彼は私の言うことが正しかろうと間違っておろうと、とにかくそれを認めたくないだけなのだ。このへんが近藤の「幼児性」のひとつの表れでもあるのである。
(※ 近藤氏の名前の漢字表記を探し切れなかったのは、私の全面 的落ち度であるので、この点に関してはここに記して、近藤氏にお詫びしておきたい。なお今回、『貧困なる精神・貧困なる知性 ―― 近藤かずひろ氏について』について当該部分を書き改めなかったのは、近藤氏のご指摘が意味不明になることを怖れたためであり、以降の論文で改めるつもりである)
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『アレクセイ氏への疑問2』の(1)〜(9)は、マークアップの意味と「転載・転記・引用」問題に対する反論である。
近藤はここで、
>私が重視しているのは意味であって表示結果 などではありません。アレクセイ氏はアクセシビリティなどについても予備知識がないのでしょう。
近藤は『アクセシビリティ』などという専門用語を使って小賢しく「(専門)知識」を自慢することは出来ても、それ以前に『他人には現に表示された範囲でしか意味が伝わらない』という常識に配慮する「常識」がないのである。近藤は「自分の都合」ばかりを押し付けて、「内容」の議論には一向に入ろうとしない。むろん「専門知識」の範囲で議論をしているかぎり、彼は素人の私に論駁されることはなかろう。だが逆に、近藤がそこから一歩も出てこようとはしないのは、彼の優位 性が所詮は「専門」の「狭い世界」でしか通用しないからに他ならないのである。
例えば、私がミステリに詳しかったとする。その私がミステリには詳しくないSFファンとミステリについて話し合うとすれば、私は「当然のこと」として専門用語の使用は極力避けるし、「なんだ君はクイーンも読んでいないのか」などと馬鹿な自慢をしたりはしない。むしろ私は相手から、私に無かった視点を引き出し、そこから学ぼうとするだろう。それが「世間の普通 」である。近藤のような「専門自慢」の「知識のひけらかし」は、日頃、人間として顧みられることのない「屈折したオタク」が、専門知識を武器に、世間に対するルサンチマン(恨みつらみ)を晴らそうとする時に見られる典型的な行動パターンなのである。「私はこんなに凄いんだぞ」と言いたいから、彼は価値観を共有しない「他者」を決して認めようとはしない。それを認めてしまったら、自己の「絶対的であるべき価値」が相対化されてしまうからである。だから、近藤は「同類」である「掲示板荒らし」野嵜健秀のことは、大変高く評価してみせる。
>まったく関係ないことですが、野嵜さんの HTML はソースで見ても非常に読みやすく、この点においては div 要素中に見出しを入れることができないことになっている ISO-HTML の利点を痛感します。私のソースは階層が深くなりやすいため、文書構造としてはツリー構造を取っていて取得しやすいものの、人が直接見た場合の可読性は圧倒的に劣りますね。
『まったく関係ないことですが、』というのが、なかなか笑えるところだが、ともあれこれは「同類」を誉めることによって、間接的に自分の「専門」を誉めているに過ぎない。これは見え透いた自画自賛なのだ。だが無論のこと、近藤にはそういう自分の心の動きに自覚はなく、ただ「自分は本来、謙虚な人間だ」とか「認めるべきものは認める人間だ」などと思っているのである。まことに「自己完結」した人間とは、幸せなものなのである。
ここまで説明すれば、近藤の(10)以降も立論も所詮は、自分が所属する社会を過大に評価し、そこで通 用している「通念」でしかないものを、「自己の都合」でゴリ押ししようとしたものでしかないというのは容易にご理解いただけよう。だが一方で、それが所詮「世間の常識」では通 らない「自分の都合」「手前味噌の論理」でしかないと薄々感じるからこそ、近藤は恥知らずにも『プロ』という肩書きの「権威」を持ち出し。それに頼らなければならなくなったのである。
>私は @nifty の所属ではありませんが、ネットワーク関連の事業部で
ISP 関係を取り仕切る部門の技術担当であり、また、運用やセキュリティなどの広範に渡り技術的な支援を行う立場にあります。
>ユーザの ID 管理などの基本的な項目については当然のように押さえておくべき事項ですし、他の
ISP での業務経験もありますので、汎 ISP の立場に立った判断が可能です。というよりも、むしろ圧倒的に
ISP 側の立場での判断の方が普通に行われます。
>ですから、こうした部分についてはアレクセイ氏よりも明らかにプロで、世間一般
の常識を身につけていることになります。
>派遣で入っている都合上、守秘義務がありますのでどこの
ISP を経験してきたかを明らかにすることはできませんが、もしかしたら読者の方の中で私のサポートを受けたことがある方はいるかも知れません。
これが「掲示板荒らし」である野嵜健秀に共感するところ多大な男の言い種である。言うまでもなく、彼は所詮、一介の「技術者」に過ぎず、彼には「倫理的判断」を下す権限など、会社からは与えられていないであろう。彼は与えられたマニュアルに従って、道具的に働くだけで、それ以上の事は上司の判断を仰がなければならないはずだ。近藤が、その程度の存在でしかないのは明白なのである。第一、近藤のように自己の技術力に恃んで、趣味で他人のプライバシーを嗅ぎまわるようなような男を、まともな会社がそれと認めたうえで雇うわけもあるまい。なぜなら、このような男からいつ何時、個人情報が漏れて、会社としての管理責任を問われようものか、わかったものではないからである(自分の所属する企業の研究施設から放射性物質を持ち出して、駅の校内に撒いた「プロ」の研究者がいた。当然、会社は管理責任を問われたろうし、その「プロ」の研究者は「解雇」を含む何らかの処分を受けたことは間違いなかろう)。だから近藤とて、いくら「プロ」を自慢して見せても「会社名」までは明らかに出来ないはずだ。彼の信用とは、所詮その程度のものなのである。ともあれ、近藤がニフティーの社員ではなかったというのは、ニフティーやニフティーの利用者にとって、もっけの幸いであったと言えよう。近藤が何と言う会社の社員であり、どういう会社に派遣されているのか、心配になってそれが気になる人もいるかも知れないが、もとより私は近藤のプライバシーなどには何の興味も無いのである。
しかし、それにしても、
>もしかしたら読者の方の中で私のサポートを受けたことがある方はいるかも知れません。
というのは、いったい何のつもりなのだろう? もしかして、これで恩が売れるとでも思ったのではないだろうなあー。あるいは、これは脅迫の類なのかもしれない(笑)。
ともあれ『プロ』の言うこと・やることだから「正しい」に決まっているという近藤の主張は「幼稚」極まりないものである。
言うまでもなく「知識」と「思考能力」は一致しないし、まして「知識」が「倫理観」と一致するなどとは到底言えはしない。『プロ』にも「ピンから切りまである」のは言うまでもないことで、それは近藤の「同類」である野嵜健秀や木村貴が、「正字正仮名主義者」の「切り」的存在として同じ「正字正仮名主義者」から「一緒にしないで欲しい」と評価されていることからも明らかなのである。
近藤の言うことが正しければ「警察官」が犯罪を犯すことはないだろう。「裁判官」が「犯罪を犯し、その倫理観を問われる」こともないだろう。だが、現実にはそんな例は山ほどあって『プロ』の権威などと言うものが、甚だ怪しいものであると言うことは、もはや普通
世間の人間に取っては「常識」に類することなのだ。
「肩書き」や「知識」が絶対的な権威を有するのは、その「特殊に限定されたもの」に価値を認めたいとする「仲間うち」だけなのである。駅の名前を暗記して、それだけで本気で感心してくれるのは、そういう「知識」に価値を認めている(認めたい)、その「道」の「専門家(オタク)」だけなのだ。
「私はプロだ。だから私の言うことは間違いない」などと言い出した段階で、近藤はすでに「論理的」には「負け」を認めたも同然なのである。そしてこの恥知らずな「プロ自慢」は、私が『貧困なる精神・貧困なる知性』で指摘した「近藤の本質」のひとつである
>近藤かずひろという人物には、「常識が不足」しており「その自覚も不足」している。にもかかわらず、自分が多少の「専門知識」を有していることを鼻にかけており「自分が優秀な人間だと思い違い」してもいる。そんな彼は当然のことながら「自己客観視」ということが全然できない「自閉的」「自己完結的」「自己満足的」な「幼児性格者」だから、「他人の事を容易に見下し」がちである。反面 、「自立心が欠如している」ため「権威」や「知識」や「仲間」といったものに依存しがちで「孤立(独立)」に堪ええない「脆弱な精神の持ち主」でもある。
の、これ以上は望めないような、わかりやすい例証なのである。
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最後に、近藤が「非常識」かつ「思考能力に乏しい」という事実を示す事例を、もうひとつ示しておこう。
>>契約相手であるプロバイダ−の「@NIFTY」と、アドレスの共用してもらった相手であるホランドとナイルズのお二人に、公式に謝罪した。
>この事後報告の中には、@nifty に対する公式な謝罪が為されているとはとても認識できないという点について指摘しているものの、アレクセイ氏は未だ認識していないのでしょうか。本当に公式謝罪を行ったというのであれば、@nifty
に対してメールにて謝罪を行い、加えてそのメールを公開され、その経過を掲示板上で報告されたら如何でしょうか。
>相手が知らない場所で公式謝罪を行った、と言っても説得力は全くないのですが。
近藤は、私がいちいち説明をしてやらないと、それが「説明できない」のだと「都合良く考えられる人間」のようだ。私としては、あんまり馬鹿馬鹿しいので放っておいたのだが、彼はその態度を深く疑ってみるということが全くできない。私のこれまでの行動を見れば、「説明できない」から「説明しない」などという単純な問題ではないくらいのことはわかりそうなものなのだが、「学習能力の無い暗記人間」は概ねこのように「単純な発想」しかできないのようなのである。
この近藤の意見については、一言で片づいてしまう。
「貴方には関係ないだろう。芸能リポーターなのか、貴方は?」ということだ。
問題はあくまでも、「私とニフティー」との契約上の問題であり、「私とナイルズ」「私とホランド」との個人的な問題である。本来、私は自己の「過失」を「公式に」謝罪する必要などなく、それぞれに「個人的に」謝罪しておけば、それで充分だったのである。ただ、私はそれまでの経緯もあるから、ああいう「わかりやすい形」を親切心から取っただけなのだ。それが「常識」のない近藤には理解できない。
『本当に公式謝罪を行ったというのであれば、@nifty
に対してメールにて謝罪を行い、加えてそのメールを公開され、その経過を掲示板上で報告されたら如何でしょうか。』って、「おまえはアホか」としか言い様が無い「勘違い男」である。どうしてそんなことを、いちいち世間に向けて報告しなくてはならないと言うのか? 自分はまともな「謝罪」もできない「お子様」なのに。そんなことだから「子供さんは甘やかしてはいけない、図に乗らせてはイケナイ」という話にもなってしまうのである。
『相手が知らない場所で公式謝罪を行った、と言っても説得力は全くないのですが。』ってね、「相手は君ではないんだよ。君が知らないからって、ニフティーが知らないなんて思い込みなさんな」いつまでも寝ぼけたことを言ってるんじゃないよ、ということなのである。
まあ、しかしこれも私を「攻めあぐねている」が故の「難癖」のひとつなのであろう。他人の失敗につけ込んで、関係の無い話までゴリ押ししようというのは、フェアプレー精神のない人間の「常套手段」なのである。
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自分が「こうだ」と言い切れば、それで世間も通ると思い込める「幼稚な心性」。それはあたかも「追い詰められたダチョウが、砂の中に頭だけを突っ込んで、それで隠れたつもりになる」という架空の逸話に描かれた、滑稽な行動そのものである。いくら「知識」や「肩書き」をひけらかしても、己が「人間的卑小さ」は隠しきれるものではない。それが彼には、金輪際、理解で出来ないのだ。
歪んだ自尊心だけを肥大化させ、主観に自閉して「他者の世界(客観世界)」を育てえなかった幼児性格者。それが、この「近藤和宏」という男なのである。
2001年9月5日