●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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われわれの戦い(8) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時08分04秒


 M.U さま
> ご無沙汰しすぎておりました

本当に(笑)。お帰りなさいまし。

> まとわりつく、重い時間をやっとぬぐい、顔をだしました。

ということは、『重い時間』にまとわりつかれていない時は、こちらにお運びいただけるということでございますね? それならば、お互いのために、重い時間のより短からんことを祈りたいと存じます(笑)。

ちょうどNSR第3回が長らく中断していたところでございます。あと楽古堂さまのご意見がいただければ、「第3回」は一応の完結を見ることとも存じますので、「第4回」の課題提出者として、今しばらくは「重い時間」に捕われないよう頑張って下さいましね(笑)。課題作『白いメリーさん』(中島らも・講談社文庫)に関するユニークなご感想を期待しております。

> ってことで、
> 皆様、あらためて、よろしく。

ってことで、
こちらこそ本当に、よろしく(^-^)。


 ホランド

近々、関ミス連大会があるので、一緒に覗きに行こうか? 休みも取ったので、『マイノリティー・リポート』とカラオケにも、近いうちに出動だ!





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


われわれの戦い(7) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時07分21秒


 楽古堂主人 さま
>・ 気が付くと、ほとんど新刊書店に足を向けていない自分。
>・ いつのまにか、ものごころついたころからの、長い趣味を失ってしまっていました。

楽古堂さまとは違い、私の場合は、読みたい本はほとんど新刊書店で購入が可能であり、古書店に期待するのはもっぱらコレクションのための初版本でございます。ところが最近、めぼしい本(個人的に欲しい本)をほとんど入手してしまったせいか、コレクションにたいする熱意が急速に薄れてきており、古本屋めぐりに当てる時間もめっきり減ってしまいました。パソコンを始めてから、出歩く時間が少なくなり、その分、古本屋めぐりの機会が減ったことから、古本への情熱まで薄れたということ(逆方向の理由)もございますが、……いずれにしろ、熱狂の沈静化を意識する今の私の気分は、恋愛の終末期のそれにも似て、寂寥感と安心感が奇妙に綯い交ぜとなった、曰く言い難いものでございます。


 神野恭治 さま
> 『「このミステリーがすごい!」に掲載される本に限って面白いのがあまりない』
> と言っていた人がいたのですがどんなものなんでしょうね?
> 私はあの本に掲載された本を読んだ事がないのでわからないのですが…。

その方のご意見は、少々極端ではございましょうね。大雑把に言えば「参考にしても良い」程度の価値はあるものと存じます。

しかし、あの小冊子が「公正客観的」なものであり、その意味で信頼できるかと言えば、そのようなことはございません。
たとえば、私の知り合いの何人かが「一般読者代表」としてあそこに投票しておりますが、その彼らの中にさえ、自分の(所属している、あるいは主催している)サークルに所属している(面 識のある)作家の作品については、その出来不出来にかかわらず、必ず「義理人情で一票を投じている(者がいる)」という厳然たる事実がございますからね。本来、業界からは距離をおいているはずであり、その意味で「一般 読者代表」であるはずの彼らアマチュアでさえ、そのような体たらくなのでございますから、より業界内的利害にとらわれてがちなプロの投票者が、「無党派的」に公正である可能性はほとんど皆無だと申せましょう。その意味では、あの小冊子の結果 というのは、そういう「党派間の綱引き」の上に「なんとか保たれた均整」という「それなりの結果 」だとは言えるのかも知れません。





( 以下は「われわれの戦い(8)」につづく)


われわれの戦い(6) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時06分31秒


 AOI さま(つづき)
> オノ・ヨーコも学習院の問題児だったそうですが、校則は破るためにあるようなものだったり(笑)。

何度か書いておりますとおり、学生時代の私は、基本的には非常にまじめな優等生タイプで、校則はきちんと守る生徒でございました。しかしそれは、強いられて嫌々ながら従ったのではなく「理由はどうあれ、規則は守るべきである。間違った決まりに対する反対意見は、筋を通 して堂々と語り、改めるべきは改めれば良い。個人が好き勝手に決まりを破れば、秩序が保てなくなり、社会は混乱して、酷いことになるだろう」というような信念の下に、主体的に校則に守っていたのでございます。しかし、今現在の私の認識は、必ずしもこのような(楽観的な)ものではございません。もちろん「決まり事の尊重」や「秩序の維持」は重要だと考えておりますし、「校則」に関する教師のみなさんのご努力にも、一定の敬意ははらっております。しかし、たいていの場合「校則」を学生が改変できるような手続きは、学校には整備されておりませんし、整備されていたとしても、それが建て前に終って実質的に機能しないものとなっている場合が、大半でございましょう。なぜならば、いつだって優位 者は己の立場を人に譲りたいとは思わず、少々インチキをしてでも保身に走ろうとするものだからでございます。したがって、今の私は、そういうものに抵抗するひとつの手段として「ゲリラ的な、ルール破り」も原則として認めております。そしてそれが妥当な「ルール破り」か否かは、個々に検討するしかないと考えております。なぜならば、一般 論というものは、大概は優位者に有利に働くものだからでございます。

> 内田樹『女は何を欲望するか?』

が刊行されました。またもや帯文の『問題の論考!』『「宿敵」フェミニズムとの終りなき戦い。』というのに、大笑いさせられてしまいました。まことに内田樹担当の編集者は、みなさまセンスがよろしゅうございますね(笑)。私たちが解明いたしましたとおり、たしかに内田さまの論考はいずれも「問題の多い」ものでございますし、ついこないだ「フェミニズム批判は、もう止める」と書いておられた方の新著に、仰々しく『「宿敵」フェミニズムとの終りなき戦い。』などと添えるのは、ほとんどギャグか皮肉でございますから(笑)。

ちなみにエディター安原顕の『リテレール』が刊行いたしました「今年のいちおし本」の小冊子の中で、ある人が内田さまの『「おじさん」的思考』を取り上げて、内田さまの「わかりやすく言い換える才能」を誉めた後「しかし、考えてみればこの人の言ってることは、みんな当たり前のことばかりで、特に目新しいものは何もない。そんな本が面 白く読めてしまうような状況の方に、むしろ問題があるのだろう」という主旨のことを書かれておりました。……しかし、私が思いますに、問題はそのようなこと(難しい問題をわかりやすく書ける人がいなくて、読者がそうしたものばかりを求めてしまいがちな現状)ではなく、たいていの場合、内田さまの本が、「わかりやすい本」の少ない「思想書」「哲学書」「批評書」「専門書」の形式を採った、単なる「通 俗読み物」だということを、多くの読者が理解していないだけなのだと存じます。なぜなら「難解な専門書が読まれず、読者に媚びるばかりの程度の低い通 俗書ばかりが売れる」という状況は、なにも昨日今日に始まったことではないからございます。





( 以下は「われわれの戦い(7)」につづく)


われわれの戦い(5) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時05分47秒


 AOI さま(つづき)
そんなわけで、

> 差別的意味合いを解体除去するには、どのようにすればいいと思われますか?

> 批評的に前景化して解体とは、具体的にどのような行為ですか?

というご質問にたいしては、『「原理原則論」や「総括的議論」に止まらず、具体的な個々の事例にたいして、ひとつひとつ分析を加え、そこに現れた「無自覚な差別 意識」を浮き彫りにし、その言葉を現に使った個人の認識を改めさせていくという、気の遠くなるような面 倒な方法を採るしかない』のだとお答えいたします。
つまり「原理原則」を広く世間に示して「一挙解決」というわけにはいかない。そういう「知識人」的手法だけでは無効である、ということなのでございますね。しかし、いくら面 倒でも効率が悪くても、これしか方法が無いのであれば、我々は腰を据えてそれに取り組むしかないのでございます。そして、こういう気の遠くなるような作業に取り組む場合、大切なのは「焦らないこと」でございましょう。ぜんぶ自分一人で解決してしまおうなどと思わず、自分の守備範囲に入ってきたものを個々にきっちり捌いてゆき、さらに余裕があれば手を広げれば良いのだ、ということでございます。

いつも申し上げておりますとおり、人間の動物的本能に根ざした「悪しき部分」が、良心や理性によって完全に征服されることはございません。しかし、では我々の努力は徒労なのかと言えば、決してそんなことはございません。「全面 的勝利でなければ、敗北である」というわけではないのでございます。我々の戦いは「永遠の抵抗戦」なのでございます。我々の戦いは、かつて若き吉本隆明が書いたように「私が倒れたら、ひとつの直接性が倒れる」ということなのでございます。ですから我々は、世界を覆わんとする「人間的堕落」に対しては、しぶとく嫌らしいゲリラ戦を挑まねばなりません。我々の現実的な戦いには「大型爆撃機の大編隊による空爆」的な「一挙解決」の手段など、最初から与えられてはいないのでございます。

我々の「差別と言葉狩り」に対する戦いは、「結局、こういうことだ」ではなく、「君の今使った、その言葉は間違いだよ」「君は自分でわかったつもりだろうが、ことなかれに逃げて戦わなければ、君はそのことによって差別 に加担させられざるをえないんだよ。せめてその事実くらいは直視しておいて欲しいな」などと個々に語りかけていくしか、方法はないのでございます。
そしてそれは、……私がいつもここで実践していることなのでございますよ(笑)。





( 以下は「われわれの戦い(6)」につづく)


われわれの戦い(4) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時04分58秒


 AOI さま(つづき)

つまり、これまで結果として「言葉狩り」という手法を選んできた、多くの出版人・報道人・放送人の大半が、知識人としてのその自覚においては「言葉狩りは好ましくない」としながらも、現実(的・効率的・経済的)問題(対処)として、「言葉狩り」を選んできたという「重い現実」があるのでございます。つまり、相当のリスクを負う覚悟が無ければ、人は「言葉狩り」という、現実的で手っ取り早くリスクの少ない「ことなかれ的」選択を、自ずと選ばざるをえないという現実があると思うのでございますね(森達也『放送禁止歌』における、「禁止」が実は「自粛」でしかなかったという現実。これは「言葉狩り」の実態が、たいていの場合「言葉自粛」でしかないという事実を物語っております)。ですから私は、非常に困難な選択肢だとは承知の上で、あえて、

> 我々は、「差別」を虱潰しにする労は惜しまず、「区別(違い・個性)」は生かすという大変な労作業を、意識的に選ぶべきなのだと存じます。ことは「差別 はいけないから、ダメ」というような無思考による循環論理(同語反復)に安住するのではなく、「差別 は無くならない」という現実を前提として、ひとつひとつの事例に対し、是々非々で丹念に対応していかなければならないと、私は考えるのでございます。

と書いたのでございます。
私は『「男」と「女」ということに性差別が現然としてあるのであれば、そこには否応なく、「性差別 的」意味合いが付与されてしまうと考える方が自然ではないでしょうか。』という言葉に「結局は、こういうことでしょう」的な、知識人的・原理論的な「現実との遊離」を感じたのでございます。たしかにそのとおりだけれど、それを言ったって『出版人・報道人・放送人』の「現場」では、何の解決にもならないし、それだけでは自ずと「言葉狩り」に行き着かざるをえない、と言いたかったのでございます。事実、あれほど盛り上がった、出版界における「差別 語問題」の残したものが、

『本書に収録された作品のなかには、今日の観点からみると差別的表現ととられかねない箇所があります。しかし作者の意図は、決して差別 を助長するものではなく、むしろそれらが作品の成立に深く関わっていること、また既に故人であることに鑑み、表現の削除、変更はあえて行わず、底本どおりとしました。読者各位 のご賢察をお願いいたします。(編集部)』(『村山槐多 耽美怪奇全集』・東雅夫 編・学研M文庫より)

といった、『おことわり』と題する、片々たる甘え切った「言い訳の一文」でしかなかった事実一つ採ってみても、知識人がそこに終始してしまいがちな「原理原則論」だけでは無意味(無効)だし、そんなものは「もう充分に足りてます」という感じだったのでございます。
(ちなみに私は、上記の「おことわり」文を、手近にあった本から引用しましたが、確認するまでもなく、これらの「おことわり」文は、個々の作家の作品内容に応じた適切な判断の下に、書かれ付されているわけではなく、「まずそうな」「引っ掛かりそうな」ひと昔前の作家の作品に、保険的に、一律付された「定型文」のはずでございます。ですから、学研M文庫の他の本に付されている「おことわり」文も、作品の実態に関わりなく「同一のもの」でございましょうし、ひと昔前の作家の作品を刊行している他の出版社の本にも、ほとんどそっくりそのままの「定型文」が画一的に添えられていることでございましょう)





( 以下は「われわれの戦い(5)」につづく)


われわれの戦い(3) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時03分52秒


 AOI さま
> 差別と「言葉狩り」

お待たせいたしました。上記の問題について、私の考えを書かせていただきます。

> 誤解があるようですね。つまり、私が「差別語は抹消すべし」と考えていると思っていらっしゃるようですが、書き込みを読み返していただけば分かるとおりそのようなことは一切言っていません。

AOIさまがこのように書かれたのは、AOIさまが、

> う〜ん、ちょっと、違う気がするな。当然、こういうことはあるでしょうけど、イリガライじゃないけど、「男心」「女心」と呼称した段階に、「男」と「女」ということに性差別 が現然としてあるのであれば、そこには否応なく、「性差別的」意味合いが付与されてしまうと考える方が自然ではないでしょうか。

と書かれたことについて、私が、

>先のような議論を展開いたしますのも、そこには根本的な立場として「言葉に罪はない。だから言葉を抹消するようなことはしたくない。そのためにも、言葉に込められた無自覚な差別 性を、批評的に解体することによって、言葉を救い出したい」という考えがあるのでございます。

> ですから、現状では『「男心」「女心」と呼称した段階に、「男」と「女」ということに性差別 が現然としてあるのであれば、そこには否応なく、「性差別的」意味合いが付与されてしまうと考える方が自然ではないでしょうか。』というのは、概ね正しい現状認識だとしても、だから「その言葉を抹消すれば良い」のかというと、私はそうではないと思うのでございますね。

> ですから、私に言わせれば『「男」と「女」ということに性差別が現然としてあるのであれば、そこには否応なく、「性差別 的」意味合いが付与されてしまうと考える方が自然ではないでしょうか。』というような認識は、正しくはあっても、ほとんど無意味なのでございます。「男女」という区別 がある以上、そこには自ずと「差別」意識が発生してまいりますが、「差別 がいけない」からと言って男女の「区別」が無くなるわけでも無くせるわけでもないのでございますから、非常に困難なことではあれ、我々は「区別 」の存続を大前提として、「差別」の解体だけを進めなければならないのだと存じます。

と、AOIさまのご意見を敷衍して論じたところから生じたご不満なのでございましょう。

結論から申しますと、ホランドくんがフォローしてくれましたとおり、私は『AOIさまが『差別 語は抹消すべし』なんてことを考えてるとか言ってるなんて、思ってもいないし言っても』おりません。ただし、『「男」と「女」ということに性差別 が現然としてあるのであれば、そこには否応なく、「性差別的」意味合いが付与されてしまうと考える方が自然ではないでしょうか。』というような一般 的な感想に止まる限り、自ずとそれは「言葉狩り」に逢着せざるをえないと、私は考えるのでございます。





( 以下は「われわれの戦い(4)」につづく)


われわれの戦い(2) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時02分27秒


 Keen さま
> Sの悲劇

いかがでございましょうか? 前記の「産経新聞の家永氏死去報道」にも示しましたとおり、物事を見るうえで大切なことは、「相手の立場に立つ」ということだと存じます。それにより、相手の秘められた「美点」も「問題点」も「喜び」や「悲しみ」も見えてくるのではないかと存じます。

> 笠井潔『天啓の器』

> 笠井さん、竹本さんに対しても、ちょっとそういうところあるんじゃないでしょうか?

『そういうところ』つまり、「天才をやっかんで、観念的に貶めて、納得しようとするところ」でございますよね。……それは確かにございましょう。

竹本健治は、その「作家的才能」や大人(たいじん)風の「大らかな人柄」からして、いかにも「天才」であるのに対し、基本的にユーモア感覚の欠落した懸命さが売り物の笠井潔には、どこまで行っても世俗的な「秀才」の印象がぬ ぐえません。こうした評価は一般的なものであり、そうした「空気」を肌で感じればこそ、笠井潔が竹本健治に反感を覚えるというのも、人間としては無理からぬ ことなのでございましょう。また、それはある時期、『虚無への供物』を越えられないことに反発して、『虚無への供物』へのオマージュである自らのデビュー作『匣の中の失楽』から遠ざかろうとした竹本健治の感情に、一面 で似ているとも申せましょう。しかし、竹本健治が反発する対象の大きさを否定しようとはしなかったのに対し、笠井潔は対象を貶め矮小化することで相対的に自己の立場を持ち上げようといたしました。言うまでもなく、この「人間としての器」の差はあまりにも大きく、そこには「天才と秀才」といった評価の較差以上の、大きな隔たりであり絶望的な深淵が横たわっている、というのも否定し難い事実なのでございます。


 ハムちゃま さま
> わたちの特撮サイト(コンテンツではありまちぇんよ!!!)
>が黒猫館内部に12月男〜〜〜〜ぷんの運びになりまちた!!!
>夢フ夢フ・・・どんなサイトかって・・・・??
>そりはいままでの常識を覆すようなキワメテモノスゴイサイトとなる出翔!!!

『常識を覆す』というのは凄うございますね。どのようなものになるのか、楽しみに待たせていただきます。





( 以下は「われわれの戦い(3)」につづく)


われわれの戦い(1) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)18時01分16秒

みなさま、「家永教科書裁判」で知られる家永三郎氏が先日お亡くなりになられ、産経新聞にも関連記事が割合大きく掲載されました。第1面 には家永氏死去の事実を伝えるだけの小さな報告記事が載り、そこには関連記事を32面 に掲載した旨の注記がございました。そして第32面には、産経新聞の伝えたかったことが大きくハッキリと取り上げられておりました。その「家永氏死去」の関連記事の見出しは『日本の過去 暗く記述』『T裁判の闘士Uとして偶像視』とございます。家永氏は、先の「日本の戦争」を批判的に描き、日本の再軍備などを批判した方でございます。ですから、産経新聞がこの記事で何を伝えたかったかは、この見出しだけでも充分に推察できようかと存じます。それにしても、アジアの国々を武力侵略し蹂躙した『日本の過去 』を『暗く記述』することが、どうだと言うのでございましょうか? 先の日本の戦争を「美化」し「正当化」したい産経新聞だとは言え、戦争というものが多くの犠牲者をともなう「暗い」ものであって、決して「明るく」記述できるようなものではなかった、というくらいの共通 認識は持っているはずでございましょう。それなのに、家永氏の「戦争批判」の記述を、ことさらに『暗く記述』と言上げする姿勢には、敵対者に「悪印象」を擦りつけるためなら「自己の認識に反する形容もあえて辞さない」という「産経新聞(記事の署名は「石川水穂」)の本質」がハッキリと見てとれます。
また、同記事には「自由主義者」という見出しのついた、「文部省主任調査官を務めた時野谷滋・関東短期大学名誉学長の話」が、次のように紹介されております(全文引用)。

『家永さんは若いときから自他ともに認める秀才で、日本思想史の研究では立派な業績を残された。自信を持って執筆された教科書に文部省から修正を求められ、反発したのであろう。家永さんは自由主義者であり、右でも左でもなかったが、裁判が革新勢力に利用され、祭り上げられてしまったのは不幸だった。裁判では敵味方となったが、法廷を離れれば研究者同士廊下で話もした。一つの時代が終った気がする』

時野氏はこの文章で、家永氏とはかつては『敵味方となったが』今は同じ『研究者』として「含むところはない」ということを表向きに強調しながら、それに反して『家永さんは若いときから自他ともに認める秀才で』と言わでもがななことを書いて、陰微に、家永氏への読者の反感を買おうとしております(無自覚にやったと言うのなら、氏の国語感覚と文部省調査官時代の仕事ぶりまで疑われましょう)。また、自覚のある一個の大人であり、一流の知識人であった家永氏が、主体的に共闘した『革新勢力』について、さも家永氏を子供のように「誑かされた」かのごとく書く「陰険なレトリック」を見ても、時野氏がその表向きの好意表明に反し、本音では家永氏(の人格と判断力を)を軽んじていたというのが、透けて見える事実でございましょう。
時野氏の亡くなられた時に、以下のような「陰険で不公正なコメント」がなされないことを私は心より祈って、早手回しに先手を打っておきたいと存じます。タイトルは「愛国主義者」。

『時野さんは若いときから自他ともに認める俊才で、文部省では切れ者調査官として立派な業績を残された。平和主義者として尊敬された家永さんとの教科書裁判では、文部省を代表して家永さんと敵対し、その結果 、権力の手先として世間から悪者扱いにされたことに、深くプライドを傷つけられた部分もあったのであろう。時野さんは一介の善良な役人であり、右でも左でもなかったが、裁判では権力に利用される一方、英雄扱いされた家永氏への反発もあってか、晩年には「新しい歴史教科書をつくる会」のお先棒を担ぐような歪んだ愛国主義者になってしまったのは、いかにも不幸なことだった。裁判では家永さんと敵味方になったが、法廷を離れれば研究者同士廊下で話もしたそうである。一つの時代が完全に終った気がする』





( 以下は「われわれの戦い(2)」につづく)


つぎはだれが帰ってきてくれるんだろう? 投稿者:AOI  投稿日:12月 4日(水)10時36分17秒

☆M.Uさま

>ご無沙汰しすぎてました 

そうですよう!ご無沙汰しすぎですよう!
でも、いいです。
また、あえると思っていました(笑)。

>あのテープで私は時間の隙間をすべり落ちてしまった。

それは、それは、面白そうな体験されましたね。うらやましい!
また、濃くなられたんじゃ(笑)?

☆Keenさま

今までもっていた価値観が覆されることって、大変なことだと思いますが、考えていただけたらなと思います。


Sの悲劇(7) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時55分16秒


さて、まとめに入ります。
私が見たところ、Keenさまの問題点は、

(1)「皇族」に、「幻想的な(過剰な)期待」を抱いている点
(2)「皇族」は、それに応える義務があると信じている点

でございましょう。
言うまでもなく、「皇族」も「普通の人」でございます。科学的には、私たちと何ら変わったところはございません。もちろん「日本の皇族」は「天孫降臨の末裔」ではございませんし、ヒットラーの言う「アーリア人」でもございません。「血筋」「家系」「家柄」といった「歴史的に構築されてきた自負」の類はございましょうが、それはなにも「天皇家」に限ったことではございません。その意味で(1)は誤認でございますし、したがって(2)も誤認でございます。

人は、基本的に公平平等であり、またそうであらねばなりません。そしてこの大原則は、たとえ国法と言えども犯してはなりません。そうした大前提に立った上で、人は誰しも「より立派な人間であるべき」なのでございます。しかしまた、この『べき』、この「義務」は、当人が自ら進んで引き受ける「自負」としての「自分が自分に課するもの」であって、「強制」としての「他人が課するもの(義務)」であってはなりません。ところが、現在の日本では、本来「自負」として選ばれ「それゆえにこそ価値のある生き方」を、憲法によって「強制」することにより「頽落させ、無価値たらしめている」のでございます。
ですがまた、それにもかかわらず、「見かけ」にしか興味のない国民の多くは、憲法を後ろ楯にして「皇族」に「神聖家族」を演じることを要求します。彼らを、奇妙で時代錯誤的な「敬称づけ」で呼び、多分に形式的な「敬意の表明」によって、彼らにそれ相応の「返礼」を要求するのでございます。
例えば、尊敬もしていない小娘を、ことさらに『承子女王』などと呼ぶのは(「形式」である以前にまず、正直な内心の問題として、これは)「嫌味」であり「威圧」でございましょう。普通 に「承子さん」と呼んでもらえない彼女は、やはり「差別」されており、「不幸」なのではございませんでしょうか? 

何ごとであれ「悪い」よりは「良い」方が好い。しかし「人間」も生き物である以上、常時完璧に「良い」(あるいは「好い」)選択をするわけにはまいりません。子供が過ちを繰り返しながら成長していくように、大人とて時には過ちは犯しますし、そうであればこそ、それを償えば赦されるというコースも準備されているのでございます。
それなのに、その「あたりまえ」のことを国法で禁じられているのが「皇族」なのでございます。その意味で彼らは「人間」扱い「生き物」扱いされておらず、ただ不変の(つまり「非人間的な」)「象徴」たることを不自然に強いられているのでございます。
そんな彼らは、たしかに「差別被害者」でございましょう。ですから、そこで我々がしなければならないのは、彼らを「法にしたがって、皆で、差別 すること」ではなく、「誤った法から、彼らを、救出すること」なのでございましょう。そして我々は、

私 「普通の人になれてヨカッタね」
彼女「ウザいなあ。私はどうでもヨカッタのに」

というような「平和な会話」が成立する国を、まずは作るべきなのでございましょう。


              ○


それにしても、書くのに疲れる量になりました。読むのに疲れないで下さいましね(^-^;)。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


Sの悲劇(6) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時54分06秒

>> 皇族の意義

> 私なりに考えてみましたが、庶民に一番身近なところでは、「日本人としての言葉遣いやマナーのお手本」であること、じゃないかと思います。「美しい」という言い方だと、主観が入ってしまいますから、「お手本」。
> ですから、承子女王には「日本人女子高生として最高のマナー」を見せてほしかったのです。
> 各国大使・王族にお辞儀するたびに前髪バサー、バサーをやってしまった今、「日本の高校生は最高峰でもこの程度でしかない」という印象を与えてしまったとしたら、ウチのお向かいの、きちんとしたH子ちゃんがかわいそうですっ!

一人の「普通の」女子高生が、全国津々浦々の高校生の『最高峰』であることを期待されるということの「恐るべき圧力」を想像してみて下さいまし。承子さまは「日々」「一挙手一投足」にいたるまで、そうした圧力の中で生きねばならぬ 定めを、憲法とそれを追認する国民から、背負わされているのでございます。……ホランドくんの言うとおり、「可哀想」なのは、承子さま(をはじめとする「皇族」)の方ではございませんでしょうか。

> 学習院高等部の校則に頭髪に関する規定がないと仮定して、その上で茶髪であるならば(あるいは、病気等で髪が傷んでいるならば)、まずはお辞儀しても顔にかからない形にセットしてほしい。さらには、あの「校則」による、ばかばかしいまでの規制を撤廃する原動力になってくれれば言うことなし。
>「皇族の茶髪」は、チンケな「校則違反」の「流行モノ」であってはいけません。「高校生にもなれば、服装や態度の自己管理くらいできる!」「高校生にもおしゃれする自由を!」なんて運動の旗印になれるくらい、気合入れてやってくれないと困ります。それだけの「責任と義務」が伴います。そうでなくちゃ、全国で細々と空しい生徒指導を続けている先生方や保護者を踏みにじることになります!

おおもとの「矛盾」からは目を背けた上で、いくら誠実ぶった「努力」を積み重ねてみても、それは結局「空しい(空々しい)」ものにしかなりません。
「誰が誰を踏みにじっているのか?」「踏みにじられた者は、踏みにじられた状態に甘んじなければならないと言うのか?」……こうした問題の前には、『皇族の茶髪』など『チンケ』な問題でしかないのではございませんでしょうか?

> 今までなるべく感情を抑えて書いてきたけど、私、まだ怒ってるんですっ、プンプン。
> 皇族がただの「しつけの悪いだらしない娘」に堕してしまうならば、私は「ラ・マルセイエーズ」歌いながら、皇居まで進軍してやるー!いざ、『ベルサイユのばら』!(←このネタも古すぎて、神野さまのようなお若い方には理解不能だったりして……)

オスカルは「男として生きる定め」を自ら選んだ(選び直した)のであって、強制されてイヤイヤ従ったわけではございません。
それに対し、マリー・アントワネットは「パンが無いのなら、お菓子を食べたら良いのに」という考え方(をしてしまう生き方)を自ら選んだのではなく、言わば「生まれによって強いられた」のでございます。不幸にも、アントワネットには「そういう生き方しか、与えられなかった」のでございます。ですからオスカルは、「悪い人ではなかった」アントワネットが、時代の価値観によって裁かれることについて、「可哀想」だと「深く同情した」のでございましょう。アントワネットに『ただの「しつけの悪いだらしない娘」に堕してしまう』自由が与えられておれば、無邪気な彼女が「国民の怨みを買って」ギロチンになどかからなくても済んだかも知れなかったのでございます。

> 生徒「皇族でも茶髪なのに、なんでアタシたちだと怒られるのよー?」
> 先生「承子女王を見なさい、同じ茶髪でもあれほどの気品あふれる態度を身につけておられるだろう。ただ外見だけおしゃれしてもダメなんだぞ。己を厳しく律して、然るべき時にはビシーッと決められるようなレディを目指したまえ。」
> という会話が成立するくらい、精進してくださいませ、承子女王。

ここにも、過酷な「交換条件」が、顔を覗かせております。すなわち「茶髪の代償としての、非凡に優れた態度義務」でございます。……この「交換条件」は、どう見ても「不釣り合い(不公正)」でございましょう?

生徒「皇族でも茶髪なのに、なんでアタシたちだと怒られるのよー?」
先生「君たちなら私に怒られるくらいで済むけれど、承子女王の場合は、日本の恥さらしだといって全国から白眼視されているよ。気楽な平民に生まれたことに、もっと感謝するんだな」

先生は、まず事実に即して、この様に答えるべきでございましょう。そうすれば「皇族」という「擬制」に「幻想」を見る人も、すこしは少なくなるはずでございます。





( 以下は「Sの悲劇(7)」につづく)


Sの悲劇(5) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時53分14秒


> 髪の色やスタイルは、それがその人に似合っていてきちんと手入れされており、TPOにも適っていれば、見る人に不快感を与えるものではないでしょう。これは、皇族であるか否かとは関係のない前提です。

この『皇族であるか否かとは関係のない前提』についても、

(1)『似合っている』と判断するのは、誰なのか?
(2)『TPO』という、時代と共に変化する不確かな価値に、なぜ適っていなければならないのか?
(3)他人に『不快感』を与えないためには、好みすら自制しなくてはならないのか?

といった点で、おおいに議論すべき問題でございますが、これは「一般的な問題」として、ここでは深く追求するのは止して、簡単に私の回答を示しておきましょう。上記三点にかんする私の答は、

(1)他人
(2)その方が大勢順応的であり、孤立せず、安全だから。
(3)他人に「不快感」を与えるということは、他人からの「仕返し」にも堪えねばならないということだから。

となります。
つまりこれは、典型的な、「差別」を恐れる心理であり、したがって「差別 」と戦うことを忌避する「良い子」心理でございましょう(自己防衛的心理機制)。

> 皇族の日常は庶民には想像もつきませんが、さぞや窮屈な毎日でしょうね。若者ですから、「流行だから私もしたい」という気持ちはあるでしょう。学習院高等部の、頭髪に関する校則については存じませんが、脱色を禁じる規則があるのなら、それを皇族が堂々と破って恥じない、ということになります。
> その点は、「個人の自由」とは言えないのではないでしょうか。

皇族に『窮屈な毎日』を強いているのが「誰か」を考えなくてはいけません。彼ら自身が望んでそれを選んでいるのか、我々の国の我々の憲法がそれを強いているのか、ということでございます。

「校則と個人の自由」の問題について、「個人の自由」そのものが保証されていない状況下でそれを問うのは「無意味」でございましょう。なぜなら「選択の自由」が保証されてはじめて、その「自由な」個人の「選択(内容)の是非」が問われうるからでございます。つまり「命令どおりにしか動けないロボット」「本能のままにしか生きられない動物」の行動は、もとより「是非もない」ものなのでございますね。ですから、私たちは「皇族」の「選択の是非」を云々するのであれば、まずその前に彼らの「選択の自由」を保証しなければならず、そのためにこそ「天皇制」は撤廃されなければならないのでございます。

> 生まれた時から「〜さま」と呼ばれ、周囲に敬われてきたのは、皇族としての責任を果 たす義務があることを意味します。茶髪にしたかったら、高等部を終了してからなさればよいのでは(ただし、手入れはちゃんとしてほしいですが)。

「違法に結ばれた契約」が無効であるように、「基本的人権」を無視して一方的に強いられた「交換条件」になど従う『義務』はございません。その意味で「皇族の義務」とは「違憲な義務」なのでございます。


> 昨日は紀宮様のことを書きましたが、ハッキリ言って、現代の感覚では「美人」とは言えないでしょう。でも、たとえ粗末な布一枚しか身につけていなかったとしても、立ち居振る舞いの気品ある美しさは、人としてかくありたい、と思います(私の主観です)。

いくら『立ち居振る舞い』に『気品ある美しさ』があったとしても『粗末な布一枚しか身につけていなかった』としたら、『TPO』に反する場合が大半であり、『見る人に不快感を与えるもの』となることは、容易に想像できる事実でございましょう。

> 皇族の方々には、そういう美を見せて頂きたいな、と思うのです。

どのようなものであれ、それが『美』であるならば、誰もが「誰からでも」見せてもらいたいと願うものなのでございます。
そして『美』とは、単に『立ち居振る舞い』や「服装・スタイル」には止まらず、「公正さ」や「思いやり」や「勇気」といった「内面 的価値」にも求められるべきであり、そしたそれらは誰よりもまず、自分自身の求められるべきものなのでございます。





( 以下は「Sの悲劇(6)」につづく)


Sの悲劇(4) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時52分12秒


さて、以上が「天皇と皇族」についての、私の基本的な考え方でございます。
以下は、Keenさまの補足説明である『補足』と『Lady』にそって、より具体的な説明をさせていただきましょう。

> ホランドくんは、多分、高円宮様の葬儀の中継を見ていないのだと思います。
> NHKのニュース映像では(他局は見てないので、私もわかりません)、お子様の様子があまりわからないカットしか使ってませんでした。ですから、これは生中継で見ていた人しか気づかないことかもしれません。

前述のとおり、私も高円宮さまの葬儀については「生中継」も「ニュース」も見ておりませんし、いまだ承子さまのお姿も拝見したことがございません。

これは私が「あかの他人」のことには基本的にあまり興味が無く、「あかの他人」の葬儀の様子や礼式になど、ほとんどまったく興味がないからでございます。
もちろん宮さまの葬儀は「国費」で執り行われているのでございましょうから、厳密には無関係ではございませんが、天皇の就任から死去に到るまでの「違法で金のかかる、多数の宗教行事」の存在に比べれば、たった一度の葬儀になど左ほどの興味は持てないのでございます。

> まず、私が「茶髪反対派」ではないことをお断りしておきますね。昨日の私の書き方が、いかにも舌足らずだったのですが。
> 髪の色やスタイルは、それがその人に似合っていてきちんと手入れされており、TPOにも適っていれば、見る人に不快感を与えるものではないでしょう。これは、皇族であるか否かとは関係のない前提です。
> そして、私が見た承子女王の髪は、まだらな茶色(さほど薄くはないですが)で毛先が傷んでバサバサ、今風のシャギーカットが伸び過ぎた長さで、拝礼の度に顔がほとんど見えなくなってしまう、といった様子でした。
> 一介の女子高生なら、「若気の至り」でそれもまたよし。いつかは大人になるんだし、と思います。
> でも、未成年とはいえ、皇室の一員として公の場に出る時のスタイルではない、と感じました。ショックでそれどころではない、ということも考えてみましたが、宮内庁職員でも学習院の教職員でも(第一には親、ですが)、そういうことをアドバイスするべき立場の大人は、周囲にいくらでもいるはずでしょう。葬儀の前に髪をきちんとカットするか、あるいは編み込みにするなどして、せめて拝礼の妨げにならぬ ように整えるべきだったと思います。

ここで、問題となるのは『一介の女子高生なら』許されるけれど、皇族であるからには許されるべきではない、という考え方でございます。これは最初に示しましたとおり、憲法によって捏造された「差別 」を無自覚に追認したものとしか申せません。
たとえ承子さまの服装やスタイルが一般に「著しく見苦しい」と評価されるものであったとしても、それを選ぶか否かは元来、本人(また保護者)が決めることであり、「あかの他人」が強制すべきことではございません。それが「皇族」であるゆえに、「特別 例外的に」強制されるべきだった『整えるべきだった』となってしまっているため、私はそれを「差別 」だと言うのでございます。

考えてもみて下さいまし。たとえ髪型ひとつのことでも、高校生くらいの年頃なら、親や教師にとやかく言われるだけでも充分に疎ましいものでございましょう。それなのに、承子さまの周囲には『宮内庁職員』の目もあれば「全国民」の目もあるのでございますから、これはもう立派な「拷問」でございましょう(そうした恐怖を描いたのが、筒井康隆の「俺に関する噂」でございましょう)。つまり、ここで問題となっているのは「承子さまの何が問題なのか?」ではなく「問題にされる、その、され方」なのでございます。





( 以下は「Sの悲劇(5)」につづく)


Sの悲劇(3) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時51分11秒


高円宮さまもそうでございましたが、しばしば彼らが「皇族らしからぬ、さばけた態度」を採りたがるのは、いったいなぜなのでございましょう? たぶんその理由は、彼らが単に「良い人」だとか「人気取りのためにやっている」ということではございますまい。彼らは自分が「何をどうしたとしても」一生「皇族という宿命」からは逃れられないという事実を、イヤというほど知っているのでございます。そして、その逃れられない足枷の存在を意識すればこそ、彼らはさもそれが存在しないかのように、自分が「他の国民」と同じように「自由」であるということを誇示しようとするのでございます。「自分は自由な人間なのだ」ということを誰よりも自分自身に納得させんがため、彼らは痛々しいまでに「皇族らしからぬ 、さばけた態度」を採りたがるのでございましょう。

ですから、私は高円宮さまの葬儀のニュースを見なかったため、お嬢さまの承子さまがどのような格好をなさっていたのかは存じませんが、いずれにしろ今時の高校生なら珍しくもない「茶髪」だったとしても、多少「だらしない格好」をなさっていたとしても、それを「特別 に」咎める気にはなりません。また「皇族らしからぬ、さばけた態度」を採られた高円宮さまが、それをあえて容認なさったお気持ちも、わかるような気がいたします。たぶん宮さまは「せめて娘にだけは、今だけでも普通 の女の子としての生活をさせてやりたい」と、そう願ったのではございませんでしょうか?

それは紀宮さまとて同じでございましょう。あのお人柄の良さそうな温顔の奥に、「皇族」ゆえの「不自然な自制」がどれほど秘められ、どれほど彼女を苦しめてきたことでございましょう。ですから、私なら『紀宮様ほど美しい日本女性はいない』などという形で、彼女を誉めようとは思わないのでございます。むしろ「選択の余地なく、そういうものであることを強いられた」彼女に、私は深く同情するのでございます。「皇族」でさえなければ、「天皇」の娘でなければ、たとえ今のような恵まれた生活はできなかったとしても、彼女は彼女なりに自分の力で「自分の美」を選び、「自分の道」を歩んだことでございましょう。そうした「可能性」があらかじめ閉ざされ、選択の余地など残されていなかったであろう彼女の「生まれ」に、私は心からの同情を禁じえないのでございます。

「天皇」とは、かつて「神聖な、日本の最高権力者」でございました。しかし、その一面 、実際には、どこまでも「特別な存在(偶像)」を欲する「庶民(国民)」の目を(願望充足的に)欺くために、「時の実質的権力者」たちによって体よく利用され続けてきた「名目的権威」としての「(単なる)古い家系の長」であるに過ぎなかったのでございます(もちろん、利用に甘んじた方にも責任はございますが)。そして、こうした性格は今なお生き続けており、現行の憲法に記された『象徴』とは、取りも直さず「偶像」の謂いなのでございます。
つまり「天皇」および「皇族」とは、この日本の「政治体制」の安泰をはかるために、端金によって人権を強制(合法)的に買い上げられ、「人身御供」として生きたまま磔にされた「生きたイコン(聖画)」なのでございます。

私は、そんな「差別」「人権侵害」を金輪際認められませんし、そんな「政治的制度」も認めません。したがいまして、そんな非道な「政治制度」に乗せられ、それを追認するようなこともいたしません。「皇族」と言えども、喜びも悲しみもある「我々と同じ人間」なのでございますから、彼らには「日本国民」としての人権が完全に保証されるべきであり、現行の「天皇制」は、まず誰よりも「差別 」被害者である「天皇」や「皇族」のためにこそ撤廃されるべきなのでございます。

法律の保障など無くとも、「名門の家柄」というものは、それを支える人たちの『自負』によって守られるものであり、それは現存する「旧家」「名家」が保証する、まぎれもない事実なのでございます。
それなのに「天皇家」は、法律による「権威の保証」や「生活保護」が無いかぎり雲散霧消してしまうような、そんな「脆弱な家系」なのでございましょうか? 「皇族」のみなさまが体現する「人品」が本物なのなら、私は「決してそんなことにはならない」と考えるのでございます。





( 以下は「Sの悲劇(4)」につづく)


Sの悲劇(2) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時50分02秒


言うまでもなく彼ら「皇族」は、好きで皇族に生まれたかったわけではございません。なのに皇族に生まれてしまったがために、生活は保障され各種の優遇措置を受けるとは言うものの、「思想信条の自由」も「言論の自由」も「行動の自由」もすべて「普通 一般の日本人」より制限されております。もしかすると「皇籍を抜く」といったことも建前上は可能なのかも知れませんが、それで全くの一般 国民になれるわけがないのは、常識でわかることでございましょう。
つまり彼らは、「選択の余地」が無い、科学的には無意味な「生まれ」によって差別 されているという点で、「被差別部落民」となんら選ぶところがないのでございます。ですから、例えば、被差別 部落民であるならば、部落差別解消のための特別措置法によって「優遇措置」を受けられたわけでございますが、普通 は誰もが「差別されてまで、その代償としての優遇措置など受けたくない」と考えますのと同様に、皇族に関わる「差別 の代償としての優遇措置」も決して、羨むべきものでも羨まれるべきものでもないのでございます。

しかし「皇族」は、

(1) かつての最高権力者の「血筋」であり
(2) 憲法に定められた「特別な存在(の親族)」であり
(3) そのために国費により各種の特別な保護を受けている

といった点から、「不自由でパフォーマティブな生活」「自己欺瞞的な生活」を強いられているのでございます。それはKeenさまの

> 「平成の開かれた皇室」は大いに結構ですが、皇族の方々には、流行になど左右されない「人間の本質的美しさ」を体現して頂きとうございます。
> 私は、紀宮様ほど美しい日本女性はいないと思っておりますわ。

といった「批判的要求」と「願望充足的礼讃」にも明らかでございます。しかし、いったい

(1) なぜ、皇族は流行に左右されてはならないのか?
(2) なぜ、だれも見たこともないような『人間の本質的美しさ』を体現しろなどと、「あかの他人」に言われなければならないのか?
(3) なぜ、ただの日本人や美しい人間ではなく、『美しい日本』人でなければならないのか?」

「皇族」たちが、「政治家」や「教師」や「一般の各種リーダー」のごとく「自ら望んでその地位 役職に就き、その地位役職に止まっている」のならば、彼らはその地位役職相応の「人品や言動」が求められても仕方ございませんでしょう。なぜなら、そういう立場を有効に機能させるにはそうしたものが必要でございますし、その立場にありながら相応の「人品や言動」が持てないというのであれば、「他に相応しい人はいるし、交換は可能」だからなのでございますね。しかし、『「政治家」や「教師」や「一般 の各種リーダー」』とは違って、「皇族」は「交換不可能」な「生まれながらの決定事項」なのでございます。ですから、そんな彼らに「皇族なら、皇族の義務を果 たせ」と要求するのは、憲法が不当に捏造し彼らに強いた「差別」を、支持強化することになるのでございます。





( 以下は「Sの悲劇(3)」につづく)


Sの悲劇(1) 投稿者:園主  投稿日:12月 4日(水)00時47分19秒

 Keen さま・さま
> 昨日、高円宮様の葬儀のTV中継を見ました。宮様の突然の死に打ちひしがれるご家族を鞭打つようなことは本意ではありませんが、あえて申し上げます。
> 茶髪の承子女王、母である久子妃殿下、小野不由美『十二国記』(特に『風の万里 黎明の空』)をお読みなさいませ。
>そして、皇族の皇族たる意義をお考え下さいませ。
>「平成の開かれた皇室」は大いに結構ですが、皇族の方々には、流行になど左右されない「人間の本質的美しさ」を体現して頂きとうございます。
> 私は、紀宮様ほど美しい日本女性はいないと思っておりますわ。

「天皇と皇族」の問題についての私の考えの基本的な部分は、AOIさまやホランドくんの議論に概ね言い尽されているものと存じますが、この問題の「普遍性」を強調するためにも、私なりに、さらに突っ込んで書かせていただきたいと存じます。

> Keenさまのお考えになる皇族の意義についてお聞きしてみたいですわ。(<AOIさま)

まず最初に、私なりの「皇族の定義」と「その意義」を書いておきましょう。
「天皇」とは、「皇帝」つまり「(所有的)支配者・統治者」という意味での「地上権力者」に、宗教的権威性(天上性)を付与し強化した名称でございましょう。すなわち「天皇とは、神聖な最高権力者」というほどの意味でございます。したがいまして、「皇族」も従来はそうした「天皇の親族」のことだったのでございますが、先の大戦の敗北により「主権」が「天皇」から「国民」に移行した結果 、「天皇」は『現人神』から「人間」へ、「神聖な、日本の最高権力者」から「日本の象徴」へと変貌し、それにともない「皇族」もそうした「天皇の親族」ということになってしまったのでございます。つまり今の「皇族」は、日本国憲法に定める「象徴天皇の親族」になったのでございます。

さて、ここで問題とすべきは、天皇を含む「皇族」が、今も憲法によって「特別 扱い」にされており、国民の税金によって「特別な生活保護」を受けているという事実でございます。つまり、わが国の憲法は、公然と人間を「皇族(特殊日本人)」と「その他(一般 日本人=国民)」に区別しているのでございますね。これは、過去の権力者(とその親族)の当別 な立場(権威)を保護した「優遇措置」とも申せますが、一面では「国民」として当然享受できるはずの人権を侵害した「合法的差別 」だとも言えるのでございます。





( 以下は「Sの悲劇(2)」につづく)


ご無沙汰しすぎてました 投稿者:M.U  投稿日:12月 3日(火)19時12分53秒

まとわりつく、重い時間をやっとぬ ぐい、顔をだしました。
ちょっと自分の臍を眺めていたら、なんと♪月日のたつのも夢のうち♪
先日、我にかえり、「頂きもの」の「狂い壁 狂い窓」読み終わりました。
これを読んであらためて思いましたが、小説の中のオハナシを飲み干したあと、
ふと器の底をみるともなしみると、なにか得体のしれぬものが残ってる。
わたしは、竹本健治のそれがすきなんだなぁと。

>AOIさま
誤解のないように、次の戯言を読んでくださいね。
あのテープで私は時間の隙間をすべり落ちてしまった。
そこで時間はとまったのです。園主さまからの頂き物の包みに同封の絶叫テープ。
あれから、もう半年位もたってしまったのかなぁ。
テープの声と共に窒息しそうにヨシナシゴトがワラワラと湧いてでてしまった。
あのテープのあのニオイ、懐かしいより、息苦しかった。極々私的思いなのですが。
ありがとう。
どこで、どんなモノにカウンターくらうかわからない脆弱な時の過ごし方してますです。
いいとしこいて・・・

ってことで、
皆様、あらためて、よろしく。


う〜〜む 投稿者:AOI  投稿日:12月 3日(火)04時12分36秒

☆ホランドさま

>「ノンマルトの回」のラストは、そんなのだったのか。言われてみれば、そんな気もしますし、それしかなかったんだろうなあー・・・。

エンターテインメントの子供番組としては、扱いきれない問題であると同時に避けては通 れない問題でもあったと思います。そういうことを描いただけでも、ちょっとちがうぞと期待させるものがありました。結局問題提起に終わってしまったことはしかたないと思いつつ、エンターテインメントでしかないのだという認識をさせられてしまったようでもあって、複雑な気持ちで、冷めてしまったような感じです。ですから、その後のことあまりよく分かりません。もともと、熱心なファンというわけでもなかったですけど。

☆Keenさま

>『やっとこさ』って、関東でも使うんでしょうか?(>ホランドくん)

私、使いますよ。でも、純粋関東人ってわけでもないけど。通じるからいいんじゃないでしょか?

>>『皇室の意義』

>「日本人としての言葉遣いやマナーのお手本」

う〜ん、怒っていますねー。

承子ちゃん、Keenさまをこんなに怒らせてしまいましたが、全国津々浦々から、お叱り受けてるでしょうね。Keenさまがこれだけおっしゃるんだから、たしかに、気になる所作だったのでしょうね。
耳元で「承子ちゃん、髪の毛きちんと纏めましょう。きて下さった方が不快に思われるかもしれなくってよ」と囁いてくれる方がいれば一番よかったんですけどね。もしかしたら、言われたとしても、耳を貸さない時期だったりするかもしれませんが。


一言で言うと、(ごめんなさい!)Keen さまのおっしゃっているのって、私から見たら、ちょっと、小姑みたいよ。
「日ノ本家の女として、承子は失格!一体母親はどんな躾しているのかしら?紀宮はなかなかいいけど」って。

日本人って、皇族にお手本を示してもらわないといけないような未成熟な国民なのでしょうか?

天皇制が憲法で規定されている以上、皇族は「皇族の義務と責任」ってことになるので
しょうけど、天皇制があるってことと、人間の法の下の平等とは私にはどうしても相容れないのです。中学生で憲法学んだときからのずーっとある疑問です。このあいまいさが日本なのでしょうか?

>各国大使・王族にお辞儀するたびに前髪バサー、バサーをやってしまった今、「日本の高校生は最高峰でもこの程度でしかない」という印象を与えてしまったとしたら、ウチのお向かいの、きちんとしたH子ちゃんがかわいそうですっ!

大丈夫と思います(笑)。たとえば、英王室のヘンリー王子がどんなに暴走したとしても、イギリスの若者全部が危ういことやってるとは思わないでしょ?

>学習院高等部の校則

オノ・ヨーコも学習院の問題児だったそうですが、校則は破るためにあるようなものだったり(笑)。

>私は「ラ・マルセイエーズ」歌いながら、皇居まで進軍してやるー!

私も、してやるー!
皇族なんて人間性を奪う制度やめろー!

「ラ・マルセイエーズ」は歌えませんが(爆)


Lady 投稿者:Keen  投稿日:12月 2日(月)16時24分43秒

☆楽古堂さま

>NSR

ここまで来て急ぐことはないですから、無理なさらないで下さいね。

☆AOIさま

>『やっとこさ』って、関東でも使うんでしょうか?(>ホランドくん)

どうでしょう?(笑)

>皇族の意義

私なりに考えてみましたが、庶民に一番身近なところでは、「日本人としての言葉遣いやマナーのお手本」であること、じゃないかと思います。「美しい」という言い方だと、主観が入ってしまいますから、「お手本」。
ですから、承子女王には「日本人女子高生として最高のマナー」を見せてほしかったのです。
各国大使・王族にお辞儀するたびに前髪バサー、バサーをやってしまった今、「日本の高校生は最高峰でもこの程度でしかない」という印象を与えてしまったとしたら、ウチのお向かいの、きちんとしたH子ちゃんがかわいそうですっ!

学習院高等部の校則に頭髪に関する規定がないと仮定して、その上で茶髪であるならば(あるいは、病気等で髪が傷んでいるならば)、まずはお辞儀しても顔にかからない形にセットしてほしい。さらには、あの「校則」による、ばかばかしいまでの規制を撤廃する原動力になってくれれば言うことなし。
「皇族の茶髪」は、チンケな「校則違反」の「流行モノ」であってはいけません。「高校生にもなれば、服装や態度の自己管理くらいできる!」「高校生にもおしゃれする自由を!」なんて運動の旗印になれるくらい、気合入れてやってくれないと困ります。それだけの「責任と義務」が伴います。そうでなくちゃ、全国で細々と空しい生徒指導を続けている先生方や保護者を踏みにじることになります!
今までなるべく感情を抑えて書いてきたけど、私、まだ怒ってるんですっ、プンプン。
皇族がただの「しつけの悪いだらしない娘」に堕してしまうならば、私は「ラ・マルセイエーズ」歌いながら、皇居まで進軍してやるー!いざ、『ベルサイユのばら』!(←このネタも古すぎて、神野さまのようなお若い方には理解不能だったりして……)


生徒「皇族でも茶髪なのに、なんでアタシたちだと怒られるのよー?」

先生「承子女王を見なさい、同じ茶髪でもあれほどの気品あふれる態度を身につけておられるだろう。ただ外見だけおしゃれしてもダメなんだぞ。己を厳しく律して、然るべき時にはビシーッと決められるようなレディを目指したまえ。」

という会話が成立するくらい、精進してくださいませ、承子女王。

☆ホランドくん

↑これって、皇族への庶民の期待としては重すぎますか?


補足 投稿者:Keen  投稿日:12月 1日(日)23時26分44秒

☆ホランドくん

>ボクは、『象徴』でなければならない皇族の人たちが可哀想だと思います。世間で茶髪が認められているのなら、とうぜん皇族の人たちにも認められるべきです。皇族は「日本人の鑑」という「絵に描いたような、日本人の広告看板」ではなく、まず自由な一個の人間として、その尊厳を認めてあげるべきです。なぜなら、彼(彼女)らだって、ボクらと同じ『人間』だからです。

ホランドくんは、多分、高円宮様の葬儀の中継を見ていないのだと思います。
NHKのニュース映像では(他局は見てないので、私もわかりません)、お子様の様子があまりわからないカットしか使ってませんでした。ですから、これは生中継で見ていた人しか気づかないことかもしれません。

まず、私が「茶髪反対派」ではないことをお断りしておきますね。昨日の私の書き方が、いかにも舌足らずだったのですが。
髪の色やスタイルは、それがその人に似合っていてきちんと手入れされており、TPOにも適っていれば、見る人に不快感を与えるものではないでしょう。これは、皇族であるか否かとは関係のない前提です。
そして、私が見た承子女王の髪は、まだらな茶色(さほど薄くはないですが)で毛先が傷んでバサバサ、今風のシャギーカットが伸び過ぎた長さで、拝礼の度に顔がほとんど見えなくなってしまう、といった様子でした。
一介の女子高生なら、「若気の至り」でそれもまたよし。いつかは大人になるんだし、と思います。
でも、未成年とはいえ、皇室の一員として公の場に出る時のスタイルではない、と感じました。ショックでそれどころではない、ということも考えてみましたが、宮内庁職員でも学習院の教職員でも(第一には親、ですが)、そういうことをアドバイスするべき立場の大人は、周囲にいくらでもいるはずでしょう。葬儀の前に髪をきちんとカットするか、あるいは編み込みにするなどして、せめて拝礼の妨げにならぬ ように整えるべきだったと思います。

皇族の日常は庶民には想像もつきませんが、さぞや窮屈な毎日でしょうね。若者ですから、「流行だから私もしたい」という気持ちはあるでしょう。学習院高等部の、頭髪に関する校則については存じませんが、脱色を禁じる規則があるのなら、それを皇族が堂々と破って恥じない、ということになります。
その点は、「個人の自由」とは言えないのではないでしょうか。
生まれた時から「〜さま」と呼ばれ、周囲に敬われてきたのは、皇族としての責任を果 たす義務があることを意味します。茶髪にしたかったら、高等部を終了してからなさればよいのでは(ただし、手入れはちゃんとしてほしいですが)。

昨日は紀宮様のことを書きましたが、ハッキリ言って、現代の感覚では「美人」とは言えないでしょう。でも、たとえ粗末な布一枚しか身につけていなかったとしても、立ち居振る舞いの気品ある美しさは、人としてかくありたい、と思います(私の主観です)。
皇族の方々には、そういう美を見せて頂きたいな、と思うのです。


寒い所が生息地。 投稿者:神野恭治  投稿日:12月 1日(日)21時44分25秒

こんばんは、神野です。
『「このミステリーがすごい!」に掲載される本に限って面白いのがあまりない』
と言っていた人がいたのですがどんなものなんでしょうね?
私はあの本に掲載された本を読んだ事がないのでわからないのですが…。

先日新古書店に行ったときに竹本健治の「半神」がおいてありました。
(タイトルうろ覚えです…間違っていたらすいません)
大量購入したあとに見つけたのでその時はあきらめました。
囲碁のマンガのようだったのですが内容はよく見てないです。
次に行った時にあったら購入しようかと思っています。

●園主サマ、ホランド様、Keen様
風邪の心配をして下さってありがとうございます。
「なんとかは風邪ひかない」といいますが、身体に気を配っていない「なんとか」こそ風邪をひくのではないかなぁ、なんて思う今日この頃です。
体調は大分よくなったのでまたネット三昧の毎日です。

●楽古堂主人サマ
私は北海道在住なのですが、冬の最も寒い時期になると屋外設置の自動販売機の
「あたたか〜い」が「つめた〜い」に、「つめた〜い」の飲み物が凍ってる時がありました。
あと冬場は夜に寒さに弱い観葉植物に毛布をかける時があります。
屋内とはいえ、夜にストーブを消すと零下になるので。
やっぱりこうまで寒いと本州の方にはびっくりなのでしょうか?

それでは今回はこれにて。


師走(下) 投稿者:ホランド  投稿日:12月 1日(日)21時10分28秒


 楽古堂主人さま
>・ 気が付くと、ほとんど新刊書店に足を向けていない自分。
>・ いつのまにか、ものごころついたころからの、長い趣味を失ってしまっていました。
>・ 新古書店が二件、古書店が三件、徒歩でいける距離にあります。
>・ そちらには、良く足を向けているので、この習慣の変化に気が付きませんでした。
>・ 文庫本の棚などは種類が豊富で、より充実しているのです。

 たしかに都心の大型書店でもないかぎり、「ブックオフ」などの大型「新古書店」の品揃えには太刀打ちできませんよね。新刊書店が太刀打ちできるのは、古書店には出にくい専門書ということになるんでしょうけど、もともと「町の本屋さん(新刊書店)」には専門書なんてありませんから、そういう小さなお店がどんどん潰れているというのも、残念なんですけど「むべなるかな」ってところなんでしょうか・・・。

>・ 単行本の新刊情報は、ネットで豊富に得ています。
>・ 棚を見て探すという楽しみがありません。
>・ 皆様は、いかがでしょうか?

 幸いボクは都心に近いところに住んでますから、大型の新刊書店にもよく行きます。
 『棚を見て探す』というのは、ネットの新刊情報のように「新しいものばかり」でもなければ「目的のものばかり」でもない本が目に入り、そこから「予想もしなかった新たな世界が広がる」という点にあるのではないでしょうか?
 ある意味では、そういう「守備範囲をこえた出会い(「知の交差点」性)」というのは、ここ「花園」の主旨の一つでもありますしね(笑)。


 園主さま
> 仕事も一段落したので、近いうちに映画とカラオケに行こう。ビデオ上映会もやろう(笑)。

 賢ちゃんも、新サイトの「日記」にカラオケのことを書いてましたね(笑)。
 また三人で行きましょう!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


師走(中) 投稿者:ホランド  投稿日:12月 1日(日)21時09分18秒


 AOIさま
> 人類のために死ぬという設定でしょ? 頭をかすめたのはアニメ版グスコーブドリ。それと、少し前に読んだ「ケルトの白馬」の解説。

 ああ、そういうイメージだったんですか。それならわかります。
 でも、「同じ命を賭する戦い」であっても、ボクもそういうのはあまり好きじゃありません。悲愴感が漂うのって好きじゃない。「英雄的状況」の成立には「悲壮な状況」が不可欠ですが、「英雄」その人には「悲愴感」は無い方が好い。だって、その方がより「英雄」的だとも思いますし・・・。

>ノンマルトの「自分たちこそが、原・地球人」だという主張を知らされて悩むのはセブンだけであり、この回の結末は、ひとまずセブンはノンマルトが送り込んできた怪獣を倒し、何も知らないウルトラ警備隊がノンマルトの海底基地(都市)を攻撃して壊滅させ「人類の勝利だ」と喝采をあげるという(まるで「9.11とアフガン空漠」そのままの展開)かたちでお茶を濁したのでございました。(<園主さま)

> かつて見ていて、このようなこと、私も思った記憶が蘇りました。

 「ノンマルトの回」のラストは、そんなのだったのか。言われてみれば、そんな気もしますし、それしかなかったんだろうなあー・・・。

 でも、ウルトラ警備隊とアメリカの違いは「侵略者としての自覚」の有無ですよね。「自衛行為と侵略行為」を隔てるこの「大きな違い」は、ぜひ押さえておかなくちゃいけないと思います。

 チョムスキーも書いてますけど、アメリカの上層部は自分たちがやってる「侵略外交」には自覚的で、それを意識的(戦略的)にきれいごとで糊塗し、その一方で同じく意識的(戦略的)に「反抗者」「抵抗者」を「テロリスト」と呼んで、レッテルを貼ってから「皆殺し」にしようとしてるんですね。だから、かつてアメリカは、南アフリカ共和国の白人政府による「アパルトヘイト(有色人種隔離政策)」を支援し、それに抵抗していた(後の同国初の黒人大統領)ネルソン・マンデラの抵抗組織を「テロ組織」だと認定公言してたんですもん。


 神野恭治 さま
> 風邪をひいて仕事を休んだり早退したりとズタボロな一週間でした。

 その後、いかがですか? すこしはよくなりました? お大事になさってくださいね。

> 「ウロボロスの偽書」を読んでおります。

 そうですか! 『ウロボロスの偽書』は変な作品だけど、ちょっと他ではお目にかかれないユニークな作品ですよ。それに次作『ウロボロスの基礎論』を読んでいただき、園主さまの「笠井潔批判」などを読んでいただきますと、「ウロボロス」シリーズの背後に秘められた「日本のミステリ界の、表には出ない人間的側面 」が浮かび上がってくるんです。・・・なんて書くとマズイのかも知れないけど、まあ『そこはそれ』(笑)。

 はやく元気になって、また遊びにいらしてくださいね!


 ハムちゃまさま
> わたちの特撮サイト(コンテンツではありまちぇんよ!!!)
> が黒猫館内部に12月男〜〜〜〜ぷんの運びになりまちた!!!
> 夢フ夢フ・・・どんなサイトかって・・・・??
> そりはいままでの常識を覆すようなキワメテモノスゴイサイト

 見てきました! 工事中の『秘密基地』っていうやつですね(笑)。
 あのページに使われている音楽とタコスミのアニメがとっても楽しそうで、期待させられました!

> セーヤのやつ「地下牢獄」でひっくりかえって寝ている
> ところを浮世渡郎おじさまに発見されまちたよ!!!

> ともあれそのうちセーヤも花園に顔を出すことでしょう!!!

 「お待ちしています」とお伝えくださいね(^-^)。





( 以下は「師走(下)」につづく)


師走(上) 投稿者:ホランド  投稿日:12月 1日(日)21時08分06秒

 みなさん、こんばんは! いよいよ12月ですね。年末ということで「今年のベスト本」を紹介する小冊子が次々と出ています。園主さまによりますと、(まだ出てないんですが)ミステリファンにはお馴染みの『このミステリーがすごい!』の、今年の国内作品ベスト1作品は横山秀夫さんの『半落ち』、2位 が乙一さんの『GOTH』、3位が山口雅也さんの『奇偶』だとか。ほかに光原百合さんの『十八の春』が5、6位 で、笠井潔さんの『オイディプス症候群』も10位に入賞してるそうです。・・・ちなみに、園主さまのコメントは『これが、現在の日本ミステリ界の水準だ』ということでした(^-^;)。





 Keenさま
> 今、やっとこさ『天啓の器』読んでるんですもの。

 ふと思ったんですが、『やっとこさ』って、関東でも使うんでしょうか?
 なんとなく関西っぽいですよね(笑)。

> 笠井潔『天啓の器』

> ミステリとしてはたいへんよく出来た作品ではございますが、この作品における中井英夫の扱いは、端的に無礼だと存じます。
> 笠井潔という人が本質的に「他人の才能をやっかむ」人であり、どうしても適わない才能については、それ(才能)をその「相手のもの」そのものとは認めないで済むような解釈(幸運や時代や環境などのせいにする)を、無理にでもひねり出してしまうような、心貧しい「観念的自己回復」の人だということでございましょう。(<園主さま)

> でもこのお話、よくわかりますわ。
> 笠井さん、竹本さんに対しても、ちょっとそういうところあるんじゃないでしょうか?
> まだ途中なので、こう書いてしまうのは早計ですけど、そんな気がしてます。

 ありますよ、そういうところ絶対にあります! だって、この書き方じゃ竹本健治さんが、まるで「軽薄才子」みたいじゃないですか! 
 そりゃ竹本さんだって『ウロボロスの基礎論』で、笠井さんに犯人がヴァンピル亭(笠井さんのご自宅)の中に残していったウ××を踏ませる、という屈辱を与えてますけど(笑)、あれは笠井さんの厳めしいイメージを踏まえた上での批評的(ラブレー的)ジョークであって、踏んだのは(作中の)笠井さんの責任じゃないんですから、笠井さん自身が「卑しめられて描かれている」ということではないんですよね! ところが笠井さんの描き方ったら、ご自分をモデルにした作中人物の描写 と比較したって、露骨に竹本さんを卑しめてますよ。

 あんなことして恥ずかしくないのかって、読んだ当時はずいぶん腹を立てたんですけど、園主さまは当時から「中井英夫が生きてる間にはやれなかったことをやっただけさ。それに竹本さんなら『トホホ・・・』って程度で、本気で腹をたてないのを百も承知でやったんだよな。だから言っただろ、笠井さんは公正さが求められる批評家ではなく、自派に利するための理屈を説く党派イデオローグに過ぎないって。あの人の言うことは眉に唾して聞いとかないと、おかしなイメージを刷り込まれるぞ。この作品が、その好例だ」って、バッサリやってましたよ。
 ボクもこの小説を読んで、笠井さんへの信頼を決定的に失ってしまいました。これがあの「矢吹 駆シリーズ」書いたのと同じ人の作品かと思うと、情けなくて涙がでるくらいでした・・・。

> 茶髪の承子女王、母である久子妃殿下、小野不由美『十二国記』(特に『風の万里 黎明の空』)をお読みなさいませ。
> そして、皇族の皇族たる意義をお考え下さいませ。

> 私は、紀宮様ほど美しい日本女性はいないと思っておりますわ。

 ボクは、『象徴』でなければならない皇族の人たちが可哀想だと思います。世間で茶髪が認められているのなら、とうぜん皇族の人たちにも認められるべきです。皇族は「日本人の鑑」という「絵に描いたような、日本人の広告看板」ではなく、まず自由な一個の人間として、その尊厳を認めてあげるべきです。なぜなら、彼(彼女)らだって、ボクらと同じ『人間』だからです。





( 以下は「師走(中)」につづく)


ハタと気づく。 投稿者:楽古堂主人  投稿日:12月 1日(日)18時24分54秒

keen様へ。
・ 12月中旬に、やや時間ができる日があるかと思います。
・ NSRの返事は、申し分けませんが、その時までお待ちください。


園主様へ。皆様へ。
・ 気が付くと、ほとんど新刊書店に足を向けていない自分。
・ いつのまにか、ものごころついたころからの、長い趣味を失ってしまっていました。
・ 新古書店が二件、古書店が三件、徒歩でいける距離にあります。
・ そちらには、良く足を向けているので、この習慣の変化に気が付きませんでした。
・ 文庫本の棚などは種類が豊富で、より充実しているのです。
・ 新刊書店の方は、「イチゴ文庫」のたぐいばかりで、どうも興味と関心が持てません。
・ 単行本の新刊情報は、ネットで豊富に得ています。
・ 棚を見て探すという楽しみがありません。
・ 皆様は、いかがでしょうか?

・ 北海道から来た学生との対話。
・ 北海道の実家に、大きな冷蔵庫があるという話に。
 楽古堂 「どうして冷蔵庫があるの?」
 学生  「野菜などは、そのまま床に置いておくと、冷凍して食べられなく
      なるからです」
 楽古堂 「なるほどなあ!」
・ 目から鱗が落ちるという体験でした。
・ 冷蔵庫を、品物が0度以下にならないように、温めるために使うとは!!


  2002年12月1日(日)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


白い日曜日。 投稿者:AOI    投稿日:12月 1日(日)11時28分27秒

☆園主さま

おつかれさま!
小さな英雄(2)(3)が重複しています(笑)。(※ 訂正いたしました…管理人)

>同じ職場とは言え、あまり話をする機会のなかった、かのペアを組んだ後輩と、いろいろオタクな話をもし、お互いの気心も知れたのが収穫だったと考えております。

よかったですね。同じ職場にいても、なかなかお互いを知るまでにはならないものですものね。職場にもよるでしょうけれど、特に男性は私的な顔を隠している場合が多い。

>私は「いつもニコニコ冗談ばかり言っている円満な性格の人」という衣の下の鎧を、多少覗かれることにもなりました(笑)。

あは。

>ピグモンが登場するのは『ウルトラマン』の「怪獣無法地帯」と「小さな英雄」の回だとの話でございます。

ありがとうございます!それにしても、みなさん、よくご存知ですねえ。びっくりしました。今借りているものを返したら、探してみます。オタク殿にもよろしく!
ミニラもかわいいですねえ。リング状放射火炎(笑)。
ゴジラの雄たけびって、セクシー!(笑)

>「怪獣無法地帯」は、レッドキングほかの怪獣が住む多々良島の話で、ピグモンは科学特捜隊を助けようとレッドキングの注意を引きつけ、そのためにレッドキングに石を投げつけられて死んでしまうのでございます。

内容は忘れてしまっていたんですけど、なんかとってもかわいそうな死に方で。
記憶の残像に、ピグモンが涙をためているシーンがずっと、あったんですね。

>ピグモンは突然街中に復活再生したのでございますが、その際に人間に害意の無いのを直観したのであろう子供が、ピグモンに風船をあげたか、結びつけてあげた、といったような経緯だったようでございますね。

なんとも、ほほ笑ましいシーンですね。

>ノンマルトの「自分たちこそが、原・地球人」だという主張を知らされて悩むのはセブンだけであり、この回の結末は、ひとまずセブンはノンマルトが送り込んできた怪獣を倒し、何も知らないウルトラ警備隊がノンマルトの海底基地(都市)を攻撃して壊滅させ「人類の勝利だ」と喝采をあげるという(まるで「9.11とアフガン空漠」そのままの展開)かたちでお茶を濁したのでございました。
もちろん、これはこの種の「子供向け勧善懲悪(30分)ドラマ」では扱い切れない問題であり、その問題提起にまともに応えたら「シリーズ」がもたなくなるのは目に見えておりましょう。ですから矛盾は矛盾としてそのまま視聴者に委ね、問題提起に止めたというのは、ひとつの見識であったと私は評価いたします。

かつて見ていて、このようなこと、私も思った記憶が蘇りました。

☆Keenさま

別に、アブナイ発言ってなかったと思います(笑)。

>皇族の皇族たる意義をお考え下さいませ。

Keenさまのお考えになる皇族の意義についてお聞きしてみたいですわ。


開設予告!!! 投稿者:ハムちゃま  投稿日:12月 1日(日)08時46分27秒

はむは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
はなじょのの諸君お目覚め金!?いま『龍騎』見終わった
トコロでちゅよ!!!いや〜〜〜〜〜〜〜しかし!!!
盛り上がってきまちたね〜〜〜〜〜!!!keenちゃまも
『龍騎』みたほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜がいいでちゅよ!!!
これはなかなかいろんな意味で問題作でちゅね!!!

ところ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜で!!!
わたちの特撮サイト(コンテンツではありまちぇんよ!!!)
が黒猫館内部に12月男〜〜〜〜ぷんの運びになりまちた!!!
夢フ夢フ・・・どんなサイトかって・・・・??
そりはいままでの常識を覆すようなキワメテモノスゴイサイト
となる出翔!!!はなじょのの諸君!!!震えて魔テ!!!!!!

まったく自分のサイトをじぇんじぇん更新しないセーヤはわたち
をみならう夜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に!!!

ちなみにセーヤのやつ「地下牢獄」でひっくりかえって寝ている
ところを浮世渡郎おじさまに発見されまちたよ!!!しかし前は
そこもさがしても居なかったのにいったいいつのまに出現したの
でしょうね!?不思議!!不思議!!不思議!!
ともあれそのうちセーヤも花園に顔を出すことでしょう!!!

夢にゃ・・・・・・・にゃんとも・・・しゃべりしゅぎたでちゅ寝!!!
もう一回ネマちゅよ!!!わたちは!!!ンもう!!!

じゃいあんとばさら!!!

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html



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