●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年1月中旬(2)
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失われた饅頭 投稿者:アーニャ  投稿日: 1月20日(月)12時03分35秒

☆ブギーポップ・モコナさま

>『桜の樹の下には、死体が埋まっている』は、坂口安吾の小説にございますが、それ以前にあるはずでございます。(アリョーシャ)

坂口安吾『桜の森の満開の下』(講談社文芸文庫など)と、梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫など)所収の「桜の樹の下には」のことね。ご参考までに。
なお、間違って渡辺淳一『桜の樹の下で』などお手に取られませんよう、ご注意下さいませ(笑)。もっとも、あれも一応流れに乗っているようではあるけれど……

☆ホランドくん

>「『虚無への供物』饅頭」は、なかなかイイでしょ? 赤ワイン入りなんです(笑)。

  >虚無に捧げる供物にと
  >饅頭ひとつ 海に投じん
  >ひとつだけ


  おお饅頭よ、誰か汝が消失を欲したる?
  或はわれ『奇偶』に従ひたるか?
  或はまた饅頭投じつつ美少年を思ふ
  わが胸のやおいのためにせしなるか?


>でも、なんだかどっちも「とっても濃い」守護霊だなあー。なんだか重そうで、・・・肩が凝ったりしませんか?(笑)

Keenさまは、幼少のみぎりより、名うての「アイアン・ショルダー」でいらっしゃることよ。

>アーニャは立派な「招き猫」だと思うよ。小判は抱えてないと思うけど(笑)。

おあいにくさま。私が持ってるのは、小判じゃなくて「黒鳥の刻印入り金貨」よ。それに手を出そうとした不埒な輩は、あえなく成敗されたようね(ニヤリ)。

Keenさまのお手伝いで再び里帰り中なので、お茶会は延期するわね。
にゃあ〜♪


外出前に。 投稿者:AOI   投稿日: 1月20日(月)09時41分35秒

☆ブギーポップ・モコナさま

>「世界が文学ならいいのに」

聞かせてくださって、どうもありがとうございました!
思っていたよりポップな明るい曲ですね。
お気に入りの映画のエンディングの曲って何度聴いてもいいものですよね。
モコナさまのイメージが今まで以上にわかるような・・・。(笑)

☆園主さま、ホランドさま

>もう治りましたか? 早く元気になってくださいね!

ご心配くださって、ありがとうございます。もう大丈夫!

>私は、まだ読んでおりません。と申しますか、すでに埋もれている……(^-^;)。
>未だに「対談:チョムスキー VS 辺見庸」を読んでおりません(^-^;)。

お忙しそうですね。無理なさらないようにね。

お礼まで。


と学会はともかく 投稿者:nasu  投稿日: 1月20日(月)01時23分23秒

先日の「オイデップス症候群」のエイズに関するアレについてちょっと言い訳を
当方、先だっての園主様の書込みの後にはて2002年は新作をどの程度読んでいた
かと発泡酒を呑みながら酔っぱらった脳みそで思い返した所、三冊しか読んで
ないと言う驚愕の事実を光速で思い出しマッハの勢いで「オイデップス」の
内容を思い出した所。

「二十世紀少年のごとく世界はイリイチの手の中で踊っている20世紀の笠井世界」

と言うファンキーかつアナーキな一言が浮かんでしまい頭を抱えて友人に助けを求めると

「トンデモ本」

と言う先日の当方と同じ感想が帰って来てますます頭を抱えた次第です。
で、言い訳をするとミーハー的な読み方をすると「イリイチは世界の敵なんだなぁ」
と言うブギーポップよりクールな妄想が泡だって来てこれは発泡酒ではいかんビール
にすべきだとか訳の分からない事をいいながら、前後不覚になった訳です。

で何度も言うようですが、「オイデップス」のアレは結局の所ミステリー的な部分よりも
周囲では「二十世紀少年のともだちのようなイリイチ」の方があまりに愉快すぎて、
そのクールな状況に当方も友人もそれしか印象に残らなかったと言う結論を得た訳です。
それがどうと言う事は無い訳ですが、
「まぁそれが不味いのかもしれないな」
と思った次第ですが、言い訳と言うか戯れ言な訳です

http://members.jcom.home.ne.jp/0nasuda0/


観念的自己回復(8) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時28分19秒


 AOIさま
> 今日は昨夜来の下痢と嘔吐とで一日おとなしく家にいます。(シクシク)

その後、いかがでございますか? 大事になさって下さいまし。

> 私が読んだのは角川文庫版ですが、昨年出版された日本の著名人へインタヴューした本を立ち読みした沼さんの印象が角川版『家畜人ヤプー』の作者のイメージと違和感があって、記事自体はとても面 白かったのですけど複数説になんとなく肯けました。

このインタビュー本とは、私がこちらでご紹介いたしました『独特老人』(筑摩書房)なのでございましょうね? 私は、まだ読んでおりません。と申しますか、すでに埋もれている……(^-^;)。

ご紹介いただきました「チョムスキー・アーカイヴ日本語版」であるウェブサイト『異分子』をリンク集に加えさせていただきました。まことにありがとうございました。

しかし……未だに「対談:チョムスキー VS 辺見庸」を読んでおりません(^-^;)。


 影姫青夜さま
> インターネット・カラオケ

マイクを両手で握りしめ、眼をつむって熱唱される影姫さまのお姿が、目に浮かぶようでございました(笑)。本当にいつか、「花園」のみんなでカラオケに行きたいものでございますね(笑)。


 ホランド
もうちょっと待ってくれ。すまんすまん(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


観念的自己回復(7) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時27分35秒


 ブギーポップ・モコナさま(つづき)

> ●話題の香山リカさんの本は、十軒ほどの書店で探しましたが、売切れらしく入手できませんでした。最近は読書人口が減ったせいか、店頭に並ぶ数も少なくなって、自分の読みたい本が簡単に手に取れなくなりました。県内の書店の閉店が相次いで、店舗数も減少しているし……。

ネット人口が増えて、あらゆる「情報」がわりあい簡単に入手できるようになったわりに、相変わらず「実物」の方は地方まで行き渡らないというのは、ある意味で「蛇の生殺し」でございますよね。知らなければ知らないで済んだのに(笑)。もちろんお金のある大人であれば、ネットを使って通 版という手もございましょうが、割高になるため、少ないお小遣いで本を買っているお若い方には、それも困難なことでございましょう。
「ブックオフ」などの大型古書店が増えるのは結構でございますが、その出店からも取り残される一方で、旧来の書店が潰れていくような地域は、本当に不便でございましょうね。

ともあれ、香山リカの『ぷちナショナリズム症候群』のような本を、若い方が読んで下さるのは、私としても嬉しゅうございますから、よろしければ私のそれを、モコナさまに差し上げることにいたしましょう。遠慮はいりませんので、メールにて郵送先をご指定くださいまし。

> わたしが好きな歌の歌詞を引用してみました。

> ◆「世界が文学ならいいのに」
> 作詞・白倉由美 作曲・後藤次利

> (映像版『多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還』のサウンドトラックCD『ロリータの温度』 後藤次利×白倉由美 の4曲目です)

白倉由美は、たしか昔、乙女チックなロリコン漫画家(?)として知られた人だったと記憶いたします。最近は小説も書かれており、たしか『大きくならない』というようなタイトルの本があったと思うのでございますが、たぶんこのタイトルは「大人になんかならない」という意味なのではないかと存じます。……つまり、白倉由美は「世界が文学ならいいのに」の歌詞でもわかるとおり、「現実社会」を拒絶する身ぶり(子供の世界や虚構の世界に引きこもる身ぶり)において、現実世界を批判しているのでございましょう。

その白倉由美のご主人が『多重人格探偵サイコ』の作者である大塚英志でございますよね。大塚は、もともと民俗学の方から出てきた人で、民俗学的知見を用いて現代カルチャーを分析してみせる批評家として出発した人だったと存じます。ですが、その活動はそれに止まらず、今はマンガの原作や『多重人格探偵サイコ』のようなエンターティンメント小説、さらには純文学の方にも活動の場を拡げているようで、たしか最近の『群像』誌に「僕はもう文学を引き受けることを避けたりはしない」というようなタイトルの文章を書かれていたように存じます。……このように八面 六臂の活躍ぶりを見せる大塚は、白倉とは反対に、現実状況への発言にも積極的であり、たしかアメリカのアフガン空爆の直後には、『サブカルチャー反戦論』というようなタイトルの本を刊行し、その収益をアフガン難民支援に寄付していたとも記憶いたします。

つまり、白倉由美・大塚英志の夫婦は、その方向性の表面的な違いはあれ、どちらもこの「どうしようもない現実世界」に抵抗している人たちなのでございましょう。そして「抵抗」の形は、個性に応じて色々あって良いのだということを示しているのでございましょうね。





( 以下は「観念的自己回復(8)」につづく)


観念的自己回復(6) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時26分39秒


 ブギーポップ・モコナさま
> ●園主様、ホランド様、いろいろと励ましのお言葉や貴重なご意見を頂戴できて、感謝しております。大切な時間を、わたしのために割いていただけたようで、申し訳ない気持ちにもなります。

どうか、そんな風には考えないで下さいまし。私はお金のために文章を書いているのではございませんから、自分のため、それから友達のために書くというのは、ごく当たり前のことなのでございます(^-^)。

> ●『ラーゼフォン』の「MU(ムウ)」

先日「ムー」がらみということで、『ラーゼフォン』は『勇者ライディーン』の流れを汲んでいるのではないかという仮説をご紹介いたしましたが、数日前に神林長平の『ラーゼフォン 時間調律師』(徳間デュアル文庫)を購入いたしましたところ、巻末にアニメ版『ラーゼフォン』の設定紹介がございまして、そこにはラーゼフォンのデザイン画も載っており、これがライディーンに酷似した(特にプロポーション)デザインで、紹介文の『神像のような容姿をしている』という点でも、ぴったり一致したのでございます。

モコナさまは、あまりロボットアニメは見ないとのことでございますし、まして『勇者ライディーン』のような古いアニメはご存じないかと存じますが、オールドファンにはなかなかうれしい発見だったのでございます(笑)。

> 『エヴァ』は流行っていたから見ましたが、最も好きなのは最終話の【もう一つのあり得たかもしれない世界】での、パンをくわえた綾波や幼なじみのアスカとシンジが登場する学園ドラマ風のシーンです。
> 『ラーゼフォン』も全26話の半分くらいしか見たことがありません。ただ、印象に残るシーンが幾つかあったので(戦闘シーンではなく、登場人物たちの人間関係や人生が垣間見られる脇道的な部分ばかり)、時間の許せる限り番組を見ました。特に、【桜の樹の下には、死体が埋まっている】という言い伝え(誰の文学作品でしたっけ?)をうまく利用した、第5楽章「ニライカナイ」の叙情的なラストが大好きです。

なるほど。これは先日来の「キャラ萌えエンターティンメント」の楽しみ方の問題とも重なってまいりますが、モコナさまはあまり「作者の意図・狙い」を気にせずに、「自分の好み」で作品を楽しまれているようでございますね。
それはそれで結構なのでございますが、しかし、モコナさまがオリジナルの小説を書きたい(創作をしたい)とお考えなのなら、そこから一歩踏み込んで「作者の意図・狙い」を読もうと努力なさってみるのも、決して無駄 ではございましょう。例えば、作家が「読者の読み」を外して「意表を突く」テクニックというようなものは、漫然とストーリーを楽しんでいたのでは、なかなか身につくものではございません。「何が書かれているのか」ではなく「(作者は)どう読ませようとしているのか」という視点から小説を読むことも、読書の楽しみのうちなのでございます。

ちなみに『桜の樹の下には、死体が埋まっている』は、坂口安吾の小説にございますが、それ以前にあるはずでございます。





( 以下は「観念的自己回復(7)」につづく)


観念的自己回復(5) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時24分28秒


 Keenさま(つづき)
>> 笠井潔『天啓の器』

>>「嫉妬の炎に身を焦がす笠井さん」

> で、そういう「劣等感」をあえて前面に出して、天啓を得られない自身の苦悩をあからさまに書いたのだ、という風に見ることはできませんか?だから次作が『虚』と続くのだ、と。もっとも、さぞやプライドが高いであろう笠井さんがそんなことするはずない、という気もしますが(苦笑)。

> なお、この文章は、笠井さんを擁護する目的で書かれたのではありません、念のため(笑)。
> その愛憎の深さゆえに、激しくならざるを得ない園主さまに、ちょっと違った視点を提供できるかな?というささやかな試みですので、「甘い!」「浅い!」と却下されても構いませんよ(笑)。

基本的には、ホランドくんと同意見でございます。『天啓の器』は「自己を他者にどう語らせているか」という部分よりも、「中井英夫や竹本健治の扱いがどうか」という点において、明らかに「自己正当化」「観念的自己回復」のために書かれた「志の低い小説」だと申せましょう。

それに私とて、いきなり笠井潔に対して批判的になったわけではございません。最初はちょっとした「引っ掛かり」だったものが「疑問」となり、それが重なって「懐疑」となり、それでも「そんなことはない。あの笠井さんが」という「逡巡」の時期はけっこうあったのでございますよ。しかし、そこから眼を背けることが限界に達した時、私は「笠井潔葬送派」になったのでございます。したがいまして、私が笠井潔を「無反省人間」だと評価する根拠は、ひとつやふたつではございません。と申しますか、笠井潔という人は、本質的な反省など一度もしたことがないのであり、かの「連合赤軍事件」に関する「自己総括」も、所詮は「知的な自己満足」であり「観念的自己回復」の域を出なかったのだと、私は斯様に評価しているのでございます。

例えば、笠井潔は左翼活動をしていた頃の自分を総括し、乗り越えては「見せて」も、その当時、自分がその未熟な理論によって使役し、道を誤らせた人たちに対しては、一片の謝罪もしておりません。笠井潔にとって「左翼理論」の敗北はあくまでも「理論」の問題であって、頭のなかでその解決がつけば、それで満足。現実に対する責任などには、端から興味など無かったのでございます。

例えば、笠井潔のそうした「基本的な姿勢」を示すものとして『国家民営化論』の冒頭部を、以下にご紹介いたしましょう。

妙な喩えかもかもしれないが、わたしも学生時代は「商人」よりも「武士」のほうが偉いに違いないと、愚かにも信じ込んでいたのである。革命戦争とか革命闘士とか口走るような若者には、ようするに「商人」的キャラクターなど侮蔑の対象でしかない。しかし、わたしは今日、「武士」などくだらない、はるかに「商人」のほうが偉大であると確信している。二十歳からの四半世紀で、これが最大の思想的変化といえるだろう。マルクスに対する肯定的から、肯定的ならざる評価への逆転など、それに比較すればさまつな問題である。

このように笠井潔は「以前の自分の考え」をいとも簡単に否定し、バカにしさえいたします。もちろん、過去の考えに固執することなく、反省によって、考えを深めていくのは結構なことなのでございますが、このように「いつでも自信満々に、現在の考えの正当性を語れる」というのは、「無反省」の証拠なのでございますね。なぜなら昔は昔でその時は「今の自分の考えが最も正しい」と自信満々に語って、他人を使役していたわけでございましょう?(それによって死人や怪我人も出ておりましょう) ならば、普通 に考えれば「自信はあるけれども、今の自分の考えも未来の自分から見れば、間違っているのかも知れない」というくらいのことは、当然考えてしかるべきなのでございます。……ところが、笠井潔には、そういう反省がまったく欠落しており、いつでも「現在の自分の考え」が絶対なのでございます。ですから笠井潔は「マルクス主義運動家 → マルクス葬送派」「武士 → 商人」「山登り至上主義者 → スキー至上主義者」「反体制派 → 体制派」とコロコロ転向して見せた後でも、恥気もなく「私が正しい」と断言し続けることができるのでございます。
私に言わせれば、これはもう「恥知らず」というようレベルの話ではなく、端的に「非論理的」であり「異常」なのではないかと存じます。

> ちょっと事情で、しばらく「花園」欠席するかもしれません。
> あるいは、すぐに復活するかもしれません。

事情はわかりました。早く復帰して下さいまし(笑)。





( 以下は「観念的自己回復(6)」につづく)


観念的自己回復(4) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時23分34秒


 Keenさま
>>「中井英夫ランド」や「『虚無への供物』饅頭」

> ……妄想爆発☆★☆♪●×△○×!♪!♪!♪♪
> どーしてくれるのよっ!?(嬉泣笑)

お電話で個人的にはうかがいましたが、なかなか捨てがたいものでございますねえー。きっとホランドくんも喜んでくれると思うのでございますが(笑)。

> かの「悪霊・ニコライ」は矢吹駆の祖国にもアジトをもうけ、また秘かに「田中幸一暗殺」でも計画しているのであろうか……

しかし、私は一度殺されたこともある、「不死身の田中幸一」でございますからねえ(笑)。

> ☆『勇者ライディーン』のOPテーマソング

>「フェードイン×2」の後は、「たちまち『あふれる』神秘の力」だったと記憶しておりますが?(ニヤリ)

そのように存じます(笑)。

> ☆『闘将ダイモス』

> エリカと竜崎和也(漢字?)の「障害の多い恋物語」が、いかにも「賢ちゃん好み」という気がしますね(笑)。

「好み」というよりも「馴染み」?(笑)

> リヒテルは好きでしたよ。私にとっては、初めての「ホントは悪くない悪役」でした。あれは、確かリヒテル側は地球への平和移住を希望していたのに、会議の席上で幹部が地球の過激派に毒殺されて決裂し、全面 戦争になってしまったんでしたよね。それまでの単なる勧善懲悪タイプのアニメとは違って、いろいろ現実に引きつけて考えさせられる作品だったと思います。

この頃から、いわゆるロボットアニメの「勧善懲悪」のパターンの検証が始まったのでございます。

> で、最後は和解したんでしょうか?二人の恋物語の行方は?……最終回まで見てなかったんですう〜(泣)。どなたかご存じでしたら、教えて下さいませ。

私も最終回は記憶しておりません。「ロマン・アルバム」もどこにあるやら……。





( 以下は「観念的自己回復(5)」につづく)


観念的自己回復(3) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時21分26秒


 楽古堂主人さま(つづき)
それと馬仙人さんの立論について一点。

> 本来「縛り、ムチ・ローソク」という「肉体的苦痛そのものに快感を感じるタイプ」ではなかった「ある夢想家の手帖から」の沼正三が、「緊縛」について、わざわざ小説の中で取り上げるはずはないという論点には、迫力がありました。

> マゾヒストの「上位」の存在者の性質の限定(同じことですが「下位」の場所の特定)の厳格さは、自分の内部の美人の定義というのをお考えになれば、それほどに奇妙なことではないということが、すぐに分かると思うのです。例えば、楽古堂の美人の定義は、吉永小百合、内藤洋子、麻丘めぐみ、メーテルという線上にあります。それは、ひどく狭く趣味的で偏向していますが、それが分かったからと言って、変更は不可能です。マゾヒストにも、自分の好む性向があります。それは、本人には明確なものです。

後段は楽古堂さまによる、馬仙人さまのご意見の補足説明でございますが、ここで語られている「性癖というものは絶対固定的なものであり、例外はありえない」という主張に、私は疑問を覚えるのでございます。つまり「例外はありえる」と思うのでございますね。
「性癖」をふくむ、人の「基本的な個性」は「ほとんど変化しない」ものではあったとしても、「環境」つまり「外部からの影響」によって、その「表れ」が「かなり違ってくる」ということもあると思うのでございます。例えば本来「美少年趣味」の者も、周囲が「美少女趣味」の者にかためられて、終始「美少女礼讃」を聞かされておれば、「洗脳」と同じで「俺も本当は美少女が好きなのかも」と考えだし、実際、美少女に胸が時めいたりするようなことも、ままあると思います。これはホモセクシャルが、ある時は真剣に女性に恋することもあるだろう、ということでもあり、本来のマゾヒストが長らく自分をサディストと勘違いしていたというようなこともあるだろう、というようなことなのでございます。
例えば、私自身、その時々「わりと気に入っているタイプ」というのはありましても、楽古堂さまのように明確でも限定的でもなく、自分でも「好みのタイプ」を特定するにはいたっておりません。実物を前にすれば、本来のタイプではなくとも、充分に魅力を感じるということは、ままあるのでございますね(『薔薇迷宮』の「私」同様/笑)。まあ、これは単に私の「気の多さ」の問題なのかも知れませんが、少なくとも馬仙人さまや楽古堂さまの「絶対論」は一般 化しえない、ということの傍証にはなると思うのでございます。


 小島一平さま
> 私も本業の方が忙しくなりつつあるので、しばらくお暇させていただき、忘れられた頃にまた伺うかもしれません。それではしばらくの間失礼いたします。ちなみに私は30代半ばです。

まことに残念でございます。お暇ができましたら、また気楽に書き込みにいらして下さいまし。
またのお出でを、心よりお待ちしております。





( 以下は「観念的自己回復(4)」につづく)


観念的自己回復(2) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時20分32秒


 楽古堂主人さま(つづき)
そして、そうした私が馬仙人さまの御説を拝読して、それなりに説得力を感じられたのは、「文体」云々といった主観的な部分ではなく、ホランドくんも指摘しているとおり、それなりに裏事情も知り得る立場にあったはずの嵐山光三郎や荒俣宏が「沼正三複数説」をほのめかすようなものを書いている、という事実の紹介があったからでございます。はっきりは書けないけれども書かずにはいられなかったからこそ、ああいうものを書いた、という風に読めるからでございますね。……しかし、これとて諸刃の剣で、ホランドくんが言うとおり、もし「天野哲夫が沼正三であったことを、公に認めた」とすれば、この二人に代表される裏事情を知っている者が、沈黙を守っているという現状は、あまりにも不自然でございましょう。もちろんそれにはそれなりの事情があるのかも知れませんが、それが何なのかを突止めないことには、彼らの「ほのめかし」を「沼正三複数説」の補強材量 とすることには、手前味噌とも言える無理がつきまとうのでございます。

要するにこれは、私が先日「リリカ=おじさん説」を唱えたのと同じで、「そう考えることもできる」という仮説の範疇に止まるものなのでございますね。しかし、私が「リリカ=おじさん説」について『もちろんこれは「推理」でしかございませんが、誰もリリカさんが「本物の女子高生」だという証拠なんてお持ちではないのでございましょう?(笑)』と締めくくったように、「沼正三複数説」が間違いだという証明もなされていない現状では、ひとつの「仮説」として「沼正三複数説」を追求するのも、決して無価値ではないと思うのでございます。

さて、楽古堂さまの「8つの疑問」について、私に答えうるものについてだけ、思うところを書かせていただきます。

> 疑問2:『家畜人ヤプー』には、太田出版版と、幻冬舎版以外にも、血と薔薇版のような、さまざまな出版社の版があるようです。入れ代わりの時期は、特定できるでしょうか?角川文庫版もあったように思います。(沼正三のコレクターである園主様は、どうお考えですか?)

最初に書きましたとおり、私は「入れ替わり」についてはなんとも申せませんが、『家畜人ヤプー』のバージョンについては、記憶のみでご紹介させていただきます。

  1.  都市出版社 「正編」初版(函・カバーなし)
  1-5. 都市出版社 増補改訂版(カバー)
  2.  都市出版社 豪華限定版(函・カバー)
  3.  角川書店 文庫(カバー)
  4.  角川書店 豪華限定版(函・カバー)
  5.  雑誌『血と薔薇』4号
  6.   薔薇十字社(函・カバーなし)

  7.  三和出版 「完結編」初版(菊版上製・カバー)
  8.  太田出版「正編・完結編?」(カバー・3冊本)
  9.  スコラ「正編」(菊版・カバー)
  10.  幻冬社 文庫「正編・完結編」(カバー・5冊本)

概ねこれくらいのバージョンがございます。私はいずれも所蔵しておりますものの、読んだのは3の角川文庫版だけでございますし、これらの本は一括してしまい込んでおり、現時点では実物の確認は困難でございます。従いまして、「刊行順」は不確実で、記憶間違いもあろうかと存じます。たとえば「豪華限定版」が2種類あるのは確かで、片方が角川書店のものであるのは間違いございませんが、もう片方が都市出版社だというのは「たぶん」といった程度の話でございます。そのつもりで、ご参考になさって下さいまし。

> 疑問6:最大の証拠品であるはずの、沼正三の手書きの『家畜人ヤプー』の原稿用紙は、いま、誰の所有で、どこにあるのでしょうか?

原稿の管理は、たぶん天野哲夫氏がしていることでございましょう。天野氏以外の「遺族」が管理しているのだとすれば、もとより「沼正三複数説」は相当に無理のある仮説となってしまいます。

また、仮に『家畜人ヤプー』の生原稿が出てきても二種類の筆跡が出てくるかどうかは疑わしゅうございます。岡島二人のように、片方はアイデア・プロット専門で、実際に執筆するのは片側だけ、という場合の方が多そうだからでございます。
また『家畜人ヤプー』の筆跡と現在の天野哲夫氏の筆跡を比べることができれば良いのでございましょうが、「沼正三複数説」が事実だと仮定しましたならば、天野氏が筆跡鑑定に応じるわけもなく、したがって氏の存命中に『家畜人ヤプー』の生原稿が公開されるようなことは金輪際ない、ということにもなりしょう。





( 以下は「観念的自己回復(3)」につづく)


観念的自己回復(1) 投稿者:園主  投稿日: 1月19日(日)22時19分08秒

みなさま、本日はリンク集の方にチョムスキー・アーカイヴ日本語版 異分子- dissident - (仮)を加えさせていただきました。世界の現実を直視するための情報が満載でございます。娯楽サイトを読むようなわけにはまいりませんが、少しずつ、読んでいただければ幸いでございます。





 楽古堂主人さま
> 「沼正三複数説」

私も『家畜人ヤプー』の「完結編」を読んでおりませんので、「沼正三複数説」についての個人的な意見はございません。楽古堂さまと馬仙人さまのご意見を読ませていただいた限りにおいては「その可能性もある」と存じますが、その一方、現実的な問題としては、ホランドくんの危惧も共有しております。つまり、結論としては、ホランドくんの言うとおり、

> 「沼正三複数説」については、「まず結論ありき」の批判目的のための論説とするではなく、今は、知的な論理パズルを解くかのような姿勢で、冷静に堅牢な理論構築を目指すべきなのではないでしょうか。

ということになりましょう。

「沼正三複数説」というものに対して、私は基本的には懐疑的でございます。それと申しますのも、楽古堂さまも馬仙人さまも、『家畜人ヤプー』や沼正三を祭り上げ過ぎいているのではないかと思える部分があるからでございます。お二人のご論旨は要するには、あの沼正三が「こんなつまらない辻褄合わせをするはずがない」とか「こんなつまらない言葉遊びをするはずがない」とか「こんな文章を書くはずがない」といった「実感」に由来する「だから別 人だ」というものなのでございますが、ある人間を別の人間が評価する場合、ある面 については共感できるけれど、別の面には共感できないというようなことはいくらでもございますし、ある人物の多様な特徴が、いつの時期にも同じ割り合いで発現するとは限らず、初期にはマゾヒズムの側面 が強く発現し、後には言葉遊び趣味が前面に出てくる、というようなことだっていくらでもあると思うのでございます。また、文章が初期の輝きを失うなどといったことは、ことに初期に突出した傑作を書いた作家には、まま見られることなのでございます。

つまり、読者としての自分の内面に完成した「偶像」と比較して、弱点をも見せ始めた「現実」の沼正三を、お二人は「偽者」だと呼んでいる可能性だって、人間心理の側面 から言えば、充分ありえることなのでございます。
たとえば私は、最初に圧倒された『匣の中の失楽』のような作品を書かなくなった竹本健治に対し、面 識を得た後に「僕の竹本健治を返せ!」とか「本物の竹本健治はもう死んでいるんだ。本物の笠井さんと一緒に、墓のなかで眠ってるんだ」などと、冗談半分とは言え、読者のある種の「本音」を当人にぶつけたりいたしました。これと同じことで、例えば「天皇陛下」を信じ、自分の親兄弟を「天皇の赤子」として戦場に送りだして失った人々の中には、戦後ものうのうと生き残った昭和天皇を認めることができずに、「本物の天皇陛下は終戦時に自決されたのだ。その後、昭和天皇を名乗っているあの小男は、アメリカが戦後の日本を統治するために仕立てた偽者なのだ」といった「妄想」を育んだ者も、きっと実在したことでございましょう。

つまり人間というものは、一般に「偶像」を必要とするものであり、特別な才能を持った者や特別 な地位にある者を、しばしば「神」のごとく完全無欠な存在に「頭の中で」祭り上げてしまいがちで、それが「現実」によって裏切られると、「複数説」「偽者説」「影武者説」などといった形で、しばしばオリジナルの完全無欠性を守り通 そうとするものなのでございます。そうすることによって、いったんは危機に瀕した、自己の「偶像幻想(世界観)」の「観念的自己回復」を図ろうとするものなのでございますね。ですから、私は「あの沼正三が、こんなものを書くわけがないから、きっと沼正三は何人かいるんだ」という「沼正三複数説」の基本的な「構え」には、懐疑的にならざるをえないのでございます。





( 以下は「観念的自己回復(2)」につづく)


期間限定 投稿者:ブギーポップ・モコナ  投稿日: 1月19日(日)12時08分48秒

●AOI様……「世界が文学ならいいのに」の曲を【mp3】のデータにして、ホームページのBGMとして、貼り付けてみました。
Windows98以降なら【mp3】はブラウザで自動再生されると思いますが、Macを使用の人は、専用ソフトをインストールしてないと無理かもしれません。
わたしの遅いダイヤルアップ環境では、ホームページの表示に2分ほどかかりましたけど(mp3のデータ量 は、1MB少々です)、ADSL以上では問題ないでしょう。
なお、著作権の関係で期間限定ですから、あしからず!

みんな友達(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月18日(土)17時05分16秒


 影姫青夜さま
> インターネットカラオケ

 サイコーです!! 大笑いしちゃいました!!!

 これってやっぱり『(笑)』とかを一切使わないで、おお真面目な顔をしてやったところが、大成功の秘訣なんでしょうね。バスター・キートンの、あの「無表情」と同じです。

> (最近一番唄いこんでいる曲です。)

なんて注釈が見事に効いています。
 全体の印象としては、昔の筒井康隆か、かんべむさしさんのドタバタSFのノリだと思いました。やられちゃったなあー、という感じです(笑)。


 園主さま

 ひさしぶりのビデオ上映会、楽しみにしております。明日は、差し入れを持って参上いたします(笑)。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。


みんな友達(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月18日(土)17時04分40秒


 AOIさま
 えーっと、あけましておめでとうございます(笑)。

> 今日は昨夜来の下痢と嘔吐とで一日おとなしく家にいます。(シクシク)

 もう治りましたか? 早く元気になってくださいね!
 それから今はインフルエンザも流行ってますので、そちらにもお気をつけください。今度のインフルエンザは高熱が出て、かなりキツイやつらしいですよ。

> わかってるわ。だから、紺三郎ふったのよん。

 ええ、ボクもたぶんわかっていただいているとは思ったんですけど、念のために書いたんです(笑)。

> 『宮澤賢治殺人事件』は、まだ、読み終わっていないの。136ページ(苦笑)。

 また忌憚のないご感想をお聞かせくださいね。
 じつを言うと、・・・ボクも吉田司さんについては、ちょっと屈折の度が強すぎるきらいがあるんじゃないか、なんて危惧も無いではないんですよ(笑)。

> 図書館にリクエストしておいた『女は何を欲望するか』の前半の印象は今までの著書で書いていたものの焼き直しっぽいです。でも、語り口がマジメ(笑)。

 『語り口がマジメ』なんですね(笑)。

 でも、話題の変化が早いここ「花園」では、内田樹さんも、すっかり「過去の人」になってしまいましたね。・・・きっと、内田さんも喜んでくれていると思いますが。
 でも、・・・「天災は忘れた頃にやってくる」とも言いますし、阪神大震災からもう8年ですから、兵庫県にお住まいの内田さんには、特にそのことをよく心しておいていただいた方がよろしいのではないかと思います。笠井さんの事例が示すとおり、ハッキリ言って、園主さまはしつこいです。(笑)。こないだ賢ちゃんと本屋へ行った時は、『Meets』誌を取り上げて、賢ちゃんに「この雑誌に、俺の友達が連載をしてるんだ」なーんて言ってましたから(笑)。

> 早起きしすぎ。

 午前『4時36分05秒』。そんな時間に目がさめても、二度寝しないんですか?(笑)

 前にも書きましたけど、そんな時にも書き込みをしてくださって、ホントにありがとうございます。長い書き込みももちろんうれしいですけど、気楽にちょこちょこ書いて下さるのも、「花園」に馴染み楽しんで下さっているのが伝わってきて、とってもうれしいものなんです(^-^)。


 ブギーポップ・モコナさま
> わたしが好きな歌の歌詞を引用してみました。

> ◆「世界が文学ならいいのに」
> 作詞・白倉由美 作曲・後藤次利

 素敵なく歌詞ですね。でも、ちょっと寂しそうな印象もうけました。
 以下は、ボクの拙い反歌です。

  『世界が文学ならいいのに』
  『世界が文学なら 愛する意味と勇気を探せるよ』
  ・・・なのに、世界は文学じゃない。
  だからボクたちは『愛する意味と勇気』を見失い、
  途方にくれて立ち尽くしてしまう・・・。

  でも、ボクは君のために、ただ君のために、
  この世界に生きる意味を問い続けよう。
  答の無い問いかけを発し続けよう。

  この虚無なる世界に、意味の祝福が訪れなくとも
  問い続けた、一人の愚かな人間が、ここにいたことの証として。
  君がけっして独りではないことの証として。





( 以下は「みんな友達(5)」につづく)


みんな友達(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月18日(土)17時03分34秒


 Keenさま
>>「中井英夫ランド」や「『虚無への供物』饅頭」

> ……妄想爆発☆★☆♪●×△○×!♪!♪!♪♪
> どーしてくれるのよっ!?(嬉泣笑)

 『嬉泣笑』って、・・・どんな妄想をしたんですか? (^-^;)

 でも「『虚無への供物』饅頭」は、なかなかイイでしょ? 赤ワイン入りなんです(笑)。

   虚無に捧げる供物にと
   饅頭ひとつ 海に投じん
   ひとつだけ

> ☆「アリスのティーパーティ」が見つからない。

 あまり評判は良くないけど、やっぱり実物を自分の目で確認しないと落ち着きませんよね。第一弾が良かっただけに。

> ☆株式会社「イリイチ」
> ☆長野県飯田市「知久町」
> (自然と↑こんなことばっかり目についてしまうんですう〜/泣)

 業ですねえー(笑)。

> ☆『闘将ダイモス』
> エリカと竜崎和也(漢字?)の「障害の多い恋物語」が、いかにも「賢ちゃん好み」という気がしますね(笑)。

 ボクは、ずいぶん以前に園主さまに「アニメージュ・ロマン・ブックス」を見せてもらったことがあります。たしか「ロボットアニメ版『ロミオとジュリエット』」という設定だったんじゃないでしょうか?

>> 笠井潔『天啓の器』

>> 「嫉妬の炎に身を焦がす笠井さん」

> ミステリ文壇とは全く無縁の私にすら感じられることを、作者が無自覚だなんてことあるんでしょうか?

 無自覚ではないと思いますよ。でも、自覚があれば、それで前向きに乗りこえようとすることが出来るかというと、そうとは限らないと思います。自覚があるからこそ我慢ならないのであり、だからこそ、その妬ましい相手を貶めるような小説や評論を書いたりして、「憂さ晴らし」したり、「観念的自己回復」を図ろうとするんじゃないでしょうか? むしろ、そうした後ろ向きの行動の方が一般 的だとも思いますし、『天啓の器』に関して言えば、その「自覚」を「他者からの否定的意見」として語らせ、それを否定するということをやってるんですから、これは「自作自演の自己弁護」でしかないと思います。
 ・・・ボクも中井英夫・竹本健治ファンとして言わせていただきましたけど、どう考えたって『天啓の器』は「アンフェア」な作品だと思います。「ミステリ」としてではなく、「人間の文学」として。

> 欠席するかも届け☆

> ちょっと事情で、しばらく「花園」欠席するかもしれません。
> あるいは、すぐに復活するかもしれません。

 できれば、すぐに復活してくださいね(笑)。

 でも、こうして律儀にご報告をいただけるのは、とってもありがたいんです。たまにしかいらっしゃれない方ならともかく、三日と空けずに来て下さる方が一週間もお姿を見せて下さらないと、なんだかとっても心配で、悪い方にばかり想像を膨らませてしまいがちですから(^-^;)。

> ああ、私は中井さんや、園主さまの「生きすだま」に守られているんだなあって改めて実感してます。ありがたいことです。

 でも、なんだかどっちも「とっても濃い」守護霊だなあー。なんだか重そうで、・・・肩が凝ったりしませんか?(笑)





( 以下は「みんな友達(4)」につづく)


みんな友達(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月18日(土)17時02分36秒


 楽古堂主人さま(続き)

 それに、どこで聞いた(読んだ?)話かは忘れましたが、「やっぱり天野哲夫が沼正三だった」ということが、たしか既に公に報告されていたという記憶がありますし、それは「天野哲夫」が「その事実を認めた」というような話だったように思います。つまり、もし「天野哲夫」さんが「沼正三」ではなかったとしたら、これはもう他人になりすまして、他人の作品を詐取したか、合作の成果 を独り占めにしたんだという話になってきて、「沼正三」が「後事を託していた」としても、それだけでは正当化できない、明らかな「非道」を犯したことになるんです。
 でも、その「非道」が事実だとしたら、馬仙人さんの論文でも言及されている、裏事情をある程度知っているらしい元編集者の嵐山光三郎や荒俣宏が、単なる「(別 人説の)ほのめかし」で済ませるとは思えないし、彼らが裏事情を知っているのなら、他にも事情を知っている業界人がいるはずですから、「天野哲夫」さんが「私が沼正三でした。『家畜人ヤプー』の作者は私です」と虚偽の名乗りを挙げれば、きっと「告発」騒ぎになっていたと思うんですよ。いくらなんでも、名作の誉れ高い『家畜人ヤプー』の作者だと、ハッキリ詐称させるようなことはないと思うんです。だって、これは「代理人」を名乗ることとは全然レベルの違う、他人の著作物の「詐取」という犯罪行為を認めるということなんですからね。

 もちろん世の中には、そういう「非道」を平然と犯す人が実在しますし、それを黙認しちゃう人も大勢います。だから、今回の場合がそういう事例のひとつだった、という可能性も無いとは言えません。
 でも、仮にも人様(天野哲夫さん)を「墓掘り泥棒」のごとく呼ぶのであれば、それなりに具体的な証拠や説得的な説明が必要になってくるのではないでしょうか。そういう意味で、現段階においては、馬仙人さんみたいに、あたかも「天野哲夫」さんが「詐取」者であるかのように公言するのは、ボクはどうかと思いますし、結局そうした馬仙人さんの態度は、馬仙人さんご自身の「客観性への配慮不足」を感じさせ、自説の信憑性を低めることにもなりかねないと思います。

 ですから、「沼正三複数説」については、「まず結論ありき」の批判目的のための論説とするではなく、今は、知的な論理パズルを解くかのような姿勢で、冷静に堅牢な理論構築を目指すべきなのではないでしょうか。


 小島一平さま
> 私も本業の方が忙しくなりつつあるので、しばらくお暇させていただき、忘れられた頃にまた伺うかもしれません。それではしばらくの間失礼いたします。ちなみに私は30代半ばです。

 せっかくお近づきになれたのに、とっても残念です。これからいろんなお話を伺おうと思っていたのに・・・。でも、お仕事では仕方ありませんよね。またお閑ができましたら、いつでも気楽にお立ち寄りください。書き込むことが無かったら「何もありませんけど、暇ができたので立ち寄りました。こんにちは」でも良いですから(^-^)。

 ぜったい忘れたりしませんけど、早く戻ってきて下さいね!




( 以下は「みんな友達(3)」につづく)


みんな友達(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月18日(土)17時01分13秒

 みなさん、こんにちは! 「花園」常連の方や長らくロムをしておられる方はご存じでしょう。以前、「花園」によくいらっしゃっていた「をとめざ」さまに年賀状を差し上げたところ、昨日、園主さまのところへメールが届き、そこには、地元で元気にご活躍なさっている近況が綴られていました。今は文学とは縁遠い忙しい生活をしておられ、「花園」の話題にはついていけないけれど、「花園」が盛況なのがとても嬉しい、と書いて下さっていました。今やべつべつの道を歩んでいる、をとめざさまとボクたちですが、人間社会の現実に真面 目に向き合っていこうという姿勢は同じですし、その意味では同じ頂を目指して、違うルートを歩いているだけなんだ、と言えるとも思います。
 ボクの大好きな をとめざさま、いつまでも元気で頑張って下さいね!(^-^)





 楽古堂主人さま
> 「沼正三複数説」

 要するに、楽古堂さまも馬仙人さんも『家畜人ヤプー』の「完結編」を読んで、「正編」とのそのギャップのあまりの大きさに「別 人の作に違いない」と考えたということですよね。ボクは「正編」しか読んでないし、読んだのもずいぶん前ですから、「正編」を読み返してから「完結編」と読み比べてみないことには何とも言えないところです。

 たしかに馬仙人さんの御説にはそれなりの説得力があって、ボクなんかも「その可能性はあるかも」って思いました。
 でも、馬仙人さんの説だと『家畜人ヤプー』の実質的な作者だった「沼正三」さんは、その後、『ヤプー』の「共作者(助力者)だった人」に、作品を無条件に委ねてしまったことになります。つまり「完結編」が書かれたり、「正編」が少しずつ改作されていくのを黙認した、ということです。でも、楽古堂さまや馬仙人さんがおっしゃるように、それが露骨に「本来の作品」を貶めるような性質のものなのだとしたら、沼さんが仮にその共作者に恩義なり何なりを感じていたとしても、そうした行いをいつまでも黙認しているかのような現状は、いかにも不自然だと思うんです。つまり、自作のその後について、完全に沈黙を保っているとしたら、それは沼さんが『家畜人ヤプー』の「正編」執筆途中か執筆後に亡くなっていた……という仮説も、あながちありえなくはなくなってくるんじゃないでしょうか? たしかに、かつて沼さんは、その社会的地位 の高さ故に正体を隠さざるをえませんでした。しかし、生きておられれば80歳に近いお歳になられているでしょうし、『家畜人ヤプー』の現在の評価の高さを考えれば、いま名乗り出られない理由は無いと思うんです。つまり「沼正三複数説」を取ると、沼さんが亡くなられており、だからこそ、以降は共作者が好きなように「完結編」を書き足し、「正編」にも手を加えられたんだ、というふうになると思うんです。
 でも、沼さん自身がこの共作者に、そうしたことまで含めて「後事を託し、すべて一任していた」のならばともかく、そうではなく「死人に口なし」で、かつての共作者が好き放題をやったのだとしたら、それはとんでもなく「非道な行為」だということになりますよね。で、もちろん、その「共作者」とは、現在「天野哲夫」を名乗っているあの紳士だということになるわけですけど、……あの人が本当にそんなヒドイことやったのかどうか?





( 以下は「みんな友達(2)」につづく)


早起きしすぎ。 投稿者:AOI  投稿日: 1月18日(土)04時36分05秒

☆Keen さま

早く帰ってきてね〜。(^-^;)

☆ブギーポップ・モコナさま

>「世界が文学ならいいのに」

すてきな歌ですね。
曲はわからないけど。後藤次利作曲・・・。(きっと、いいよねぇ♪)


インターネットカラオケ 投稿者:影姫青夜  投稿日: 1月18日(土)02時18分48秒

秋田では一人も友達がおらずカラオケができませんので、掲示板で
「インターネットカラオケ」をやります。

五木ひろし『山河』(最近一番唄いこんでいる曲です。)

(台詞)
用心去感受過生命
那従遠古山河走来的生命

温故知新


ひとは・・・みな・・・山河に生まれ、、、抱かれ、挑み・・・
ひとは・・・みな・・・山河を信じ、和み、愛す・・・

そこにいいいい〜〜〜〜〜命をつなぎいいい〜〜〜〜命を刻むううう〜〜
そしてええええ〜〜〜終いには〜〜〜〜山河にいいい還るうううう〜〜〜

(ジャンジャンジャンジャン・・・・)

顧みてエエエエエエ恥じることない足跡を〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
山にいいいいのこしたあああああろうかああああ〜〜〜〜〜〜〜〜
永遠のおおおお〜〜〜水面の光増す夢ををを〜〜〜〜
河に浮かべたアアああろうかあああああ〜〜〜〜〜

愛するウウウ人の瞳にイイ〜〜〜
愛するウウウ人の瞳にイイ〜〜〜
俺の山河はあああああ〜〜〜〜〜
美しい・・・・・のかとおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

ふと想う・・・悔いひとつなく悦びのおおおお〜〜〜
山を〜〜〜〜〜築けたアろうかあああ〜〜〜〜
くしゃくしゃにいいいいいい嬉しなきするかげりない〜〜〜〜〜
河を抱けたろうか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

愛するひとの瞳にいいイイイイ〜〜〜〜〜
愛するひとの瞳にいいイイイイ〜〜〜〜〜

俺の山河はう・つ・く・し・い・・・・・のかとおおおおおおおお〜〜〜〜〜!!!!!

(作詩 小椋桂 作曲 堀内孝雄)

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


サイコは最高? 投稿者:ブギーポップ・モコナ  投稿日: 1月17日(金)23時39分30秒

わたしが好きな歌の歌詞を引用してみました。

◆「世界が文学ならいいのに」
作詞・白倉由美 作曲・後藤次利

物語に恋をするのさ 切なく 甘い想い
ページをめくるたび 世界がひろがるよ
優しい言葉が雨にかわるよ 遥かな空の涙
君と僕が永遠なら 祈りは傷のプリズム
滅亡する国を救う 聖なる少年のように
追いかける夢を叶えたいよ 沈黙の瞳で
人生が夢なら 夢の終わりは何処に?
物語ならきっと 新しい夢
果てしなく続くんだ 真実へと
そっと想いとげたい 物語になりたい
世界が文学なら 愛する意味と勇気を探せるよ
君の腕のなか 眠りたい……

物語は不思議の涯てにくるんだ 二人の羽根
ページをめくるたび 世界へ飛べるんだ
滅亡する国を救う 聖なる少年のように
青い夜空 煌めくシリウスは約束のカケラ
人生が夢なら 花びらが舞う惑星に
うまれかわれるはずさ
花の香りがあなたの死を 抱いて包んでゆく
音のない浅き夢 淡い季節のなかで
僕は君を通して 愛する意味と勇気を探したよ
白い花が舞う

(映像版『多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還』のサウンドトラックCD『ロリータの温度』 後藤次利×白倉由美 の4曲目です)


欠席するかも届け☆ 投稿者:Keen  投稿日: 1月17日(金)21時33分43秒

☆園主さま&皆さま

ちょっと事情で、しばらく「花園」欠席するかもしれません。
あるいは、すぐに復活するかもしれません。

ああ、私は中井さんや、園主さまの「生きすだま」に守られているんだなあって改めて実感してます。ありがたいことです。

まずは、ご報告まで。


お詫びと訂正とご報告。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 1月17日(金)20時12分24秒

小島一平様へ。
 小生の早とちりであります。沼正三を読んだばかりの方を、大ファンであるかのように錯覚してしまいました。ネットサーフィンをして、わざわざ掲示板に書き込むような熱意を示されたので、勘違いしてしまいました。これに懲りずに、また遊びに来てください。申し訳ありませんでした。


沼正三ファンの皆様へ。
 「沼正三複数説」について報告。
 googleで検索し、以下のサイトを発見いたしました。
http://homepage2.nifty.com/equus/umasen04.htm
 馬仙人氏という方の「沼さんの秘密」という文章です。
 自身がマゾヒストである方の分析なので、実感があります。

 まず前回のメールから二点を訂正します。
1・太田出版を、都市出版社に訂正。
2・「ある夢想家の手帳」を、「ある夢想家の手帖から」に訂正。

 さて、以下に説明のために、『家畜人ヤプー』と、「ある夢想家の手帖から」の書誌を、馬仙人氏の資料を参考にさせて頂いて掲載します。(ノンブルは楽古堂。)

『家畜人ヤプー』
A/1956年 雑誌『奇譚クラブ』に連載開始。
B/1960年 第27章で筆を折る。
C/1970年 都市出版社版刊行。全28章。(楽古堂が読んでいるのは、これである。)
D/1972年 角川文庫版刊行。全28章。都市出版版の文章に加筆訂正。
E/1984年 角川書店・限定愛蔵版刊行・全31章。
F/1992年 太田出版版。全49章。(思い出しました。楽古堂は、これが欲しかったのに、高くて買えなかったのです。そのため、出版社名を覚えていた模様。)
G/1999年 幻冬舎アウトロー文庫版。太田出版版の文庫版。 

「ある夢想家の手帖から」
い/1953年 雑誌『奇譚クラブ』に「あるマゾヒストの手帖から」と題して連載開始。
ろ/1971年 都市出版版刊行。
は/1975〜76年 潮出版版刊行。全6巻。
に/1998年 太田出版版。「抄録・ある夢想家の手帖から」全2巻。

 馬仙人氏によると、「い」の手帖を連載されたのが、本来の沼正三氏です。そして、「A」の小説は、本来の沼正三氏と、もう一人の沼正三氏の合作(!)であった模様。それは、「D」によって絶頂に達します。(「F」「G」については、もうひとりの沼正三氏による加筆と訂正の産物になります。「E」の位 置が不分明ですが。)
 つまり、小島氏が紹介してくれた噂は(話は複雑になるのですが、)
「沼正三氏は、初めは二人だった。・・・が、そのうち一人になった」
 ということになると思います。
 馬仙人氏も仮説であって、大筋はマゾヒストとしての直感に依拠するものであり、資料的な根拠が明示されているわけではありません。
 本来「縛り、ムチ・ローソク」という「肉体的苦痛そのものに快感を感じるタイプ」ではなかった「ある夢想家の手帖から」の沼正三が、「緊縛」について、わざわざ小説の中で取り上げるはずはないという論点には、迫力がありました。
 マゾヒズムの内実は、多種多様なのです。普通の人が、無意識にレッテル貼りにするような「縛り、ムチ、ローソク」という肉体的苦痛への志向が、そのすべてではありません。馬仙人氏は、沼正三と馬になりたいという「畜化願望」を共有します。沼には、他に明白に「召使願望」と「汚物愛好症」があるとのことです。マゾヒストの「上位 」の存在者の性質の限定(同じことですが「下位」の場所の特定)の厳格さは、自分の内部の美人の定義というのをお考えになれば、それほどに奇妙なことではないということが、すぐに分かると思うのです。例えば、楽古堂の美人の定義は、吉永小百合、内藤洋子、麻丘めぐみ、メーテルという線上にあります。それは、ひどく狭く趣味的で偏向していますが、それが分かったからと言って、変更は不可能です。マゾヒストにも、自分の好む性向があります。それは、本人には明確なものです。僕の友人は、犬になりたいという「畜化願望」を強固に持っているわけです。本来の沼正三の、マゾヒズムの世界の広大さは、二人の合作がもたらした利点なのかもしれません。馬仙人は、もうひとりの沼正三が、それを変化させたことが、おかしいと言っているのです。DNA鑑定のように、納得できる説だと思います。
 誇り高い創造的な天才であった沼正三が、自作に「ある夢想家の手帖から」の、そのままの引用をするはずがない、という馬仙人氏の苛烈な意見にも賛意を表したいと思います。しかし、「C」と「ろ」の関係については、楽古堂に異説があります。もう少し、関係が密であるように思います。しかし、それは、小生の都市出版版『家畜人ヤプー』論で、展開すべき別 の話題でしょう。

 以上、小島氏への謝罪と訂正、「沼正三複数説」のご報告まで。


  2003年1月16日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


/”§>_<§“\ 投稿者:ブギーポップ・モコナ  投稿日: 1月16日(木)21時06分14秒

●園主様、ホランド様、いろいろと励ましのお言葉や貴重なご意見を頂戴できて、感謝しております。大切な時間を、わたしのために割いていただけたようで、申し訳ない気持ちにもなります。
●『ラーゼフォン』の「MU(ムウ)」とは、西暦2012年、東京上空に空中都市として突如現れた謎の侵入者の名称で、東京近辺を木星に酷似した絶対障壁の半球によって包みこみ、外部と隔離してしまいました。空間的のみならず、時間的にも隔離された東京ジュピター内では時間の進行が遅く、外部の現在時刻とは12年間の時差が生じる結果 となったのです。
因みに、ロボットアニメはあまり見たことがありません。『エヴァ』は流行っていたから見ましたが、最も好きなのは最終話の【もう一つのあり得たかもしれない世界】での、パンをくわえた綾波や幼なじみのアスカとシンジが登場する学園ドラマ風のシーンです。
『ラーゼフォン』も全26話の半分くらいしか見たことがありません。ただ、印象に残るシーンが幾つかあったので(戦闘シーンではなく、登場人物たちの人間関係や人生が垣間見られる脇道的な部分ばかり)、時間の許せる限り番組を見ました。特に、【桜の樹の下には、死体が埋まっている】という言い伝え(誰の文学作品でしたっけ?)をうまく利用した、第5楽章「ニライカナイ」の叙情的なラストが大好きです。
●話題の香山リカさんの本は、十軒ほどの書店で探しましたが、売切れらしく入手できませんでした。最近は読書人口が減ったせいか、店頭に並ぶ数も少なくなって、自分の読みたい本が簡単に手に取れなくなりました。県内の書店の閉店が相次いで、店舗数も減少しているし……。


気になってること。(下) 投稿者:Keen  投稿日: 1月16日(木)19時27分43秒

☆笠井さんのこと

>私は笠井潔の『天啓の器』を「笠井潔の劣等感のいやらしさが露骨に現れた作品」だと評価する一方で、「ミステリとしては、たいへんよく出来た作品」だとも評価しております。(園主さま)

>「嫉妬の炎に身を焦がす笠井さん」

『天啓の器』についての私の感想↑に、当の竹本健治さんからは「『宴』よりは『器』の方が断然面 白かった」というレスを頂きました。私も同感です。でも、ミステリ文壇とは全く無縁の私にすら感じられることを、作者が無自覚だなんてことあるんでしょうか?

笠井さんに関しては、私は面識もないし、著作を全部読んでいるわけでもない、一読者にすぎません。ただ、妙に波長が合うところがあるようで、犯人や犯行方法などの「先読み」は、けっこう当たります(笑)。そのカンだけで書いてるので、まことに根拠が薄いのですが、まず、「作家」と「批評家」を両立しているのは偉いなって思うんですよね(園主さまには、ここで言いたいことが山ほどあるでしょうが、とりあえずお聞きください/笑)。それで、作中での謎解きに必要な要素の提出などは、読者に対してとてもフェアであろうとしている、と感じます。だからこそ私にも予測できるんだと思うのです。
そんな私の目には、『器』双葉文庫版249Pの三笠桂輔のセリフ「ようするに、神降ろしの状態ということでしょ。それにしては宗像さんの文章は、索漠として論理的に過ぎるようだけど。天才の飛躍がない、日常意識を破壊するメタファーが欠けている。ようするに平凡な文章なんだよな」というのが、ひっかかりました。作中では、この後ぴしゃりと切り返してますが、案外痛いとこ突かれてたんじゃないかと……。
で、そういう「劣等感」をあえて前面に出して、天啓を得られない自身の苦悩をあからさまに書いたのだ、という風に見ることはできませんか?だから次作が『虚』と続くのだ、と。もっとも、さぞやプライドが高いであろう笠井さんがそんなことするはずない、という気もしますが(苦笑)。

なお、この文章は、笠井さんを擁護する目的で書かれたのではありません、念のため(笑)。
その愛憎の深さゆえに、激しくならざるを得ない園主さまに、ちょっと違った視点を提供できるかな?というささやかな試みですので、「甘い!」「浅い!」と却下されても構いませんよ(笑)。

うー、とっくにタイムオーバーしてた……無念。
今日は、これにて。


気になってること。(上) 投稿者:Keen  投稿日: 1月16日(木)19時24分00秒

☆「アリスのティーパーティ」が見つからない。

フルタの方の「パート2」はけっこう出回ってるのに〜☆試しに1コ買って、「戦うアリス」が出ましたが、コレクション一覧を見ても全然食指が動きません。「フィギュアなら何でもイイでしょ」なんて、消費者をなめたらイカンぜよ!海洋堂製作の方は、もう少しレベルが高いだろうとは思うのですが、AOIさまと園主さまの評価が厳しかったので……いずれにせよ、見つからないんですっ!私がリクエスト出したお店は、フルタしか入れてくれません(泣)。

☆株式会社「イリイチ」

……その看板は、名古屋方面からの中央道を中津川ICで下り、19号線を信州に向かって走る道沿いにひっそりと存在する。越県合併が取り沙汰されている、岐阜県・中津川市と長野県・山口村の境目辺りだろうか。かの「悪霊・ニコライ」は矢吹駆の祖国にもアジトをもうけ、また秘かに「田中幸一暗殺」でも計画しているのであろうか……
ちなみに、その近くのそば屋「木曽ごへー本舗」の「ごへいもち」は、くるみタレが大変美味であるので、駆くんもぜひ食して欲しい。ニコライ・イリイチも、きっとここの「ごへいもち定食」が気に入って、アジトの場所を定めたに違いない。

☆長野県飯田市「知久町」

「智」でないのが残念。
飯田には「日夏耿之介記念館」もあるのだが、ちょうど休館日だったのも残念であった。

(自然と↑こんなことばっかり目についてしまうんですう〜/泣)

☆『勇者ライディーン』のOPテーマソング

「フェードイン×2」の後は、「たちまち『あふれる』神秘の力」だったと記憶しておりますが?(ニヤリ)
しかし、肝心の話の筋や悪役などはほとんど覚えてません。ただ、友人(少女密偵団0004)の弟が、元中日ドラゴンズの宇野によく似た面 長で、私たちは「ライディーン」と呼んでいたものでした。

☆『闘将ダイモス』

エリカと竜崎和也(漢字?)の「障害の多い恋物語」が、いかにも「賢ちゃん好み」という気がしますね(笑)。
リヒテルは好きでしたよ。私にとっては、初めての「ホントは悪くない悪役」でした。あれは、確かリヒテル側は地球への平和移住を希望していたのに、会議の席上で幹部が地球の過激派に毒殺されて決裂し、全面 戦争になってしまったんでしたよね。それまでの単なる勧善懲悪タイプのアニメとは違って、いろいろ現実に引きつけて考えさせられる作品だったと思います。
で、最後は和解したんでしょうか?二人の恋物語の行方は?……最終回まで見てなかったんですう〜(泣)。どなたかご存じでしたら、教えて下さいませ。


(以下は、「気になってること。(下)」に続く)

 

こんばんわ(=^0^=) 投稿者:AOI  投稿日: 1月16日(木)17時55分19秒

みなさま、お久しぶりです。

今日は昨夜来の下痢と嘔吐とで一日おとなしく家にいます。(シクシク)
小島一平さんの言われるサイトはここじゃないかなと思ったので、

http://homepage2.nifty.com/equus/umasen04.htm

私が読んだのは角川文庫版ですが、昨年出版された日本の著名人へインタヴューした本を立ち読みした沼さんの印象が角川版『家畜人ヤプー』の作者のイメージと違和感があって、記事自体はとても面 白かったのですけど複数説になんとなく肯けました。
どこがっていっていいのかな。マゾヒストになったきっかけが戦時中捕虜になって米軍女性将校にサディスティックな扱いを受けたということと言われていますが、沼さんのインタヴューではすでに幼いころからその傾向があったというようなことが書かれていましたね。それは決して矛盾はしないのですけど・・・。
単なるカン(苦笑)。作者はつねに裏切られるものかもしれませんけどね。

☆ホランドさま

>宮澤文学がダメだとは思っていないし、それは吉田司さんも同じなんじゃないかな?

 わかってるわ。だから、紺三郎ふったのよん。
『宮澤賢治殺人事件』は、まだ、読み終わっていないの。136ページ(苦笑)。
図書館にリクエストしておいた『女は何を欲望するか』の前半の印象は今までの著書で書いていたものの焼き直しっぽいです。でも、語り口がマジメ(笑)。

何もしないで、寝て本読んでいられたら風邪もそんなに悪くないかな。
さ、寝よう。(もぞもぞ)
みなさまも風邪は早めに休みましょう!


ホランドくんへ 投稿者:Keen@どひゃー!  投稿日: 1月16日(木)12時16分41秒

>「中井英夫ランド」や「『虚無への供物』饅頭」

……妄想爆発☆★☆♪●×△○×!♪!♪!♪♪
どーしてくれるのよっ!?(嬉泣笑)

これから外出するので、また後で。
風邪引かないように、完全武装して行きます。
皆さまも、お気をつけて。


「沼正三複数説」等について 投稿者:小島一平  投稿日: 1月16日(木)08時14分27秒

「沼正三複数説」はグーグルで検索していたら、出てきて、さもありなんと思って書いたという程度の情報に過ぎませんので、みなさまを混乱させてしまったら、大変申し訳ありません。

辺見庸とチョムスキーの対談の件については、書き込みをなさったみなさまと同意見であります。

私も本業の方が忙しくなりつつあるので、しばらくお暇させていただき、忘れられた頃にまた伺うかもしれません。それではしばらくの間失礼いたします。ちなみに私は30代半ばです。


沼正三複数説(下) 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 1月16日(木)01時41分49秒


 いくつかの疑問があります。
 小島一平様に、何か同種の問題を追求しているサイト等の知識がありましたら、前述の疑問とともに、ぜひご教示頂きたいと思いました。沼正三は、楽古堂の追求を一度は断念させて、敗退させた強敵なのです。もしも、沼正三が複数であるのならば、太田出版版の沼と対決すれば良いのだという、見極めがつきます。幻冬舎版の沼正三は無視します。『家畜人ヤプー』太田出版版論という作品論の方向で、精進していきたいと思っています。
 以下に、疑問点を思いつくままに、書いていきます。よろしくお願い申し上げます。

疑問1:どこで沼正三は、もう一人の沼正三に、入れ替わってしまったのでしょうか?

疑問2:『家畜人ヤプー』には、太田出版版と、幻冬舎版以外にも、血と薔薇版のような、さまざまな出版社の版があるようです。入れ代わりの時期は、特定できるでしょうか?角川文庫版もあったように思います。(沼正三のコレクターである園主様は、どうお考えですか?)

疑問3:「沼正三複数説」は、どのように証明すれば、良いのでしょうか?

疑問4:作品の文体分析によって、それは、可能でしょうか?

疑問5:もう一人の沼正三が、本当の沼正三の残した、おそらく膨大な量の原稿やメモのたぐいを活用して、『家畜人ヤプー」を完成したとしたら、その弁別 は、容易ではないのではないでしょうか。

疑問6:最大の証拠品であるはずの、沼正三の手書きの『家畜人ヤプー』の原稿用紙は、いま、誰の所有で、どこにあるのでしょうか?

疑問7:楽古堂の評価は、マゾヒズムとやサディズムという、本質的に個人の内面 に属する、曖昧な価値基準によってなされているのです。他者への明晰な証明は、極めて困難なのかもしれません。小島さんは小生と、認識を同じにされるでしょうか?別 な見解をお持ちですか?(小生のマゾヒストの友人は、僕の個人的見解に賛同してくれていますが。)

疑問8:たとえば、「ある夢想家の手帳」の初期形と、太田出版版の「家畜人ヤプー」の関係が濃厚であることは、比較的に容易に証明できることのように思えます。手帳での知見を、自分の小説という想像の世界に、自由自在に活用しているからです。幻冬舎版では、その関係が、希薄になっているのではないでしょうか?


 小生、現在、多忙のため、お答え頂いても、おそらく即座の返信はできないと思います。のんびりで結構ですので、何か思いついたことがありましたら、よろしくお願い申し上げます。全国にそれほど多くない、しかし、確実に存在するだろう沼正三の『家畜人ヤプー』の愛読者の皆様も、これからの小生の「沼正三複数説」という危険な議論に、参加頂けたら幸甚です。


 2003年1月12日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


沼正三複数説(中) 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 1月16日(木)01時40分37秒


 沼正三は、マゾヒズムの世界での天才的な作家です。サディズムにおけるサド、男色におけるジュネがそうであるように。マゾッホよりも、その上位 と下位の距離の遠隔さにおいて、巨大な存在でしょう。
 他者に対して、卑小な下位の存在になりたいマゾヒストの作家を、このように偉大というような上位 の種類の形容をすることは、おかしいのかもしれません。
 精神の世界、芸術という表現の世界という場所に、太田出版版の『家畜人ヤプー』を置いてみれば、そのような評価になると思うのです。煌めくようなマゾヒズムの視点からする発想と感性と知識が、溶岩のように沸騰した状態で、(形容矛盾なのですが)混沌の状態のままに結晶化しています。日本で比肩しうる作家は、方向性は異なるかもしれませんが、団鬼六のみではないでしょうか?

 小生の理解する沼正三の『家畜人ヤプー』の主題は、ある白人女性への愛にあります。彼女を、上位 の存在として永遠のものとするために、自分を家畜人という下位において生きられる、架空の未来世界を営々と築き上げていったのではないでしょうか。
 時には、暗黒の汚物の中をのたうつ、蛆のような醜悪な痴態でありながら、通 常の人間がなしえない深度の、精神の領域への潜行があります。英雄的で壮絶な精神の悲劇が、そこにありました。沼正三は、マゾヒズムという運命に、神に選ばれたようにして、参入してしまったのです。


 以上が、ぼくの太田出版版の『家畜人ヤプー』から読み取った沼正三の幻像です。しかし、幻冬舎版の沼正三は、これとは全く異なりました。卑小な凡才でした。架空世界を完成させるために、本来的に不可能な辻褄あわせに汲々としているだけの、二流のSF作家がいるだけでした。

 無理もないことかもしれません。若い頃の、ある白人女性とのマゾヒズムの鮮烈な体験といっても、歳月によって風化することは、当然あるでしょう。しかし、僕は沼正三のように巨大な精神ならば、その経験を保持できるのではないかと期待していたのです。(このある個人に還元される女性の存在も、楽古堂の仮説です。沼正三の詳細な評伝は、存在しないと思います。)
 沼正三も老齢となって、自分の最大の長編小説を後世に残すために、(つまり、本来の創作の衝動であった、一人の女性へのマゾヒズムという関係での愛の成就のためではなくて名誉のために、)書くだけの凡庸な作家に、なってしまったのかと思ったのです。
 あの煌めくような感性と博識も、単なる言葉遊びに堕していました。マゾヒズム的な快楽を追求するという、当初の熾烈な創作の動機が、衰退か喪失されているからです。
 沸騰する溶岩のようなマゾヒズムの幻想も、微温湯のようなものになっていました。落胆していました。

 しかし、この太田出版版と幻冬舎版の間に存在する、あまりに極端な落差も、二人の沼正三が存在するのだと仮定すれば、容易に説明がつきます。
 つまり、「沼正三複数説」です。





( 以下は「沼 正三複数説(下)」につづく)


沼正三複数説(上) 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 1月16日(木)01時39分42秒

小島一平さまへ。沼正三の読者の皆様へ。

 はじめまして、楽古堂と申します。
 沼正三氏について質問があり、メールしました。
「沼正三氏は、初めは一人だったそうです。・・・が、そのうち複数になったと聞いたことがある」という言及がありました。この「そのうち複数になったと聞いたことがある」という噂の出所は、どこでしょうか?
 楽古堂も、実は「沼正三複数説」を取っています。

 非常にデリケートな問題を含みます。危険な仮説です。場合によっては、名誉毀 損にもなりかねません。
 説明は、どうすれば良いでしょうか。ともあれ。時代的な順番に話していきたいと思います。

 かつて、沼正三の『家畜人ヤプー』論を構想したことがあります。怠惰な僕は、例によって少しずつ準備していました。1970年初版の、太田出版版をテキストに、読んでいました。(これしか、持っていませんでした。ちなみに、重版です。初版は、昔、拙宅に出入りしていた女子学生にプレゼントしました。)
 200枚ほど書いた時点で、幻冬舎のアウトロー文庫版の五巻が、ちょうど刊行開始になりました。「完結編」として、こちらを採用すべきだと思いました。読んでみました。
 しかし、これが予想外に詰まらなかったのです。

 48歳の小生は、三島由紀夫と澁澤龍彦両氏の高い評価によって、沼正三を1970年の十五歳の時に、初めて読んだ世代です。まだ少年の時代で、強烈な印象が残りました。頭がぐらぐらしました。
 潜水の不可能な深海に潜ったような気がしました。普通人では、酸素が不足する高圧のマゾヒズムという暗い精神の深海を、孤独に探索している天才が、そこにはいました。
 楽古堂は、マゾヒズムを人間関係という視点から定義します。マゾヒズムとは、他人を自分よりも上位 に起きたい欲望のことです。サディズムとは、他人を自分よりも下位におきたい欲望のことです。下位 といい、上位といっても相対的な位置関係です。場合によって、変化するでしょう。
 通常、人間は他者との関係において、上下関係の意識的、無意識的な振幅の中のどこかで生活しています。しかし、マゾヒズムの極端な場合は、この上位 という関係の性質も極端なものとなります。沼正三は、ある白人女性との関係において、自分を家畜という下位 に置いたわけです。他人との関係の距離が、あまりにも大きい場合には、人間という限定さえも取り払われます。

 楽古堂の尊敬する友人に、マゾヒストであることを、カミング・アウトしている方がいます。彼の場合は、生い立ちの問題と生来の体格の小ささから、自分よりも大きくて強い女性にしか、性的な欲望を抱けないようになっています。40歳を過ぎています。結婚はしていません。高い知力を持ちながら、定職をもっていません。ネットに稚拙な小説を発表しています。アルバイトで、かつがつ生計をたてています。高い費用を要求される、その種のクラブに、ある程度まとまった収入があると、出入りしているようです。(競馬には、天才的な勘があります。主な収入源でしょう。)。妄想の世界では、彼は人間ではなくて、犬に変身しています。若い女性のハイヒールとストッキングの足に、じゃれついて蹴られることを、無上の快楽と感じているようです。
 このような家畜や犬になるという極端な下位の位置を、誰もが取れるわけではありません。まして、それを他者にも理解可能な形で表現することができるのは、その世界における例外的な存在、つまり天才だけでしょう。





( 以下は「沼 正三複数説(中)」につづく)


選択肢としての自由(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月16日(木)00時52分03秒


 ちょむさま
 はじめまして。

> チョムスキー対談で、辺見庸はバッサリやられてるってことを読み取れていますかな?

 うふふ。チョムスキーファンで、辺見さんにも好意的な、園主さまの首を取ったとでも思いました?

 年齢の問題ではなく、文章を読ませていただいた上で言うのですが、リリカさんに読み取れるものなら、園主さまにも読み取れるでしょうし、リリカさんが「誤読」したところも、園主さまなら正しく読み取るんじゃないでしょうか?
 だって、リリカさんって「文章センス」がある「振り」ばかり(アピールばかり)してますけど、基本的には単なる「権威主義者」でしかありませんよ。誉めてるのだって、本当に理解して言ってるのかどうか、疑わしい。園主さまは「わからないものはわからない」と正直に認めますけど、リリカさんは高校生なのに何でもわかるかのような「振り」をするでしょ。このあたりが信用ならないところなんですよね。「ペテン師ほど自信たっぷり」だというのは、大人の世界では通 り相場ですしね(笑)。

 それに、リリカさんの文章って、たしかに『ネットでよく見かける』たぐいのものだと思いますよ。

 園主さまは以前「アマチュア時代には毒舌でならした奴も、プロになると途端にヌルイ批評を書きはじめる。これは彼が堕落したというようなことではなく、もともと彼が、単なる内弁慶の威張り屋だった、という事実を示すに過ぎない。だから業界人になって、方々面 識が出来てしまうと、毒舌が鳴りをひそめてしまうんだ」ということを言っていましたが、リリカさんがああいう調子で書けるのも、「2ちゃんねる」で良く見かける、程度の低い匿名批評家と同じで、自分の正体が隠されているからなんじゃないでしょうか? だからこの人が、ネット外で書評家をやりはじめたら、文体が変わっちゃう可能性大だと思うんですが、どうでしょう?


 園主さま
 ちょむさんも、正体を明かしていたなら、ああいう失礼な書き方はしなかったんでしょうけどね(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


選択肢としての自由(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月16日(木)00時51分27秒


 nasuさま
 あけまして、おめでとうございます!

> と言うかですねご無沙汰に対する罰なんでしょうか?
> K先生のネタを振られるのは? と思う今日この頃ですが

 それにしても「笠井潔批判」の文章って、アマチュアのミステリファンの世界ですら「タブー」になっているということでしょうか? そうだとすると、もうアマチュアの世界でも「自由な言論」は保証されていないと言うことですよね。怖いなあー。

 園主さま言うところの『笠井自身が中心者である「探偵小説研究会」の主催する『本格ミステリ・ベスト10』』の投票者には、ミステリ系のファンサイトの主催者が何人か含まれていましたけど、こういう風にして少しずつ取り込まれていくんでしょうね、きっと。なにしろ投票すれば、いくらかの原稿料がもらえるし、自分の名前も売れるんだから、断る人は少ないでしょうし、主旨に疑問を持ったからって「投票を辞める」なんて人も、まあミステリファンの世界にはいないでしょうから・・・。

> 今回のオイディップスにおける某疫病に関する部分が一番http://homepage3.nifty.com/hirorin/tondemotop.htmであると小生かんがえてしまったりしまわなかったりアレですがはい。

という指摘は、『オイディプス症候群』を評価する上で、大切なポイント示すものだと思います。果 たしてエイズの扱い方は、あれで良かったのか? ・・・ミステリファンは誰もそんなこと問題にはしないでしょうが、これは「文学表現」についての重要な問題だと思います。

> 今年も宜しくお願いします。

 ホントーに、今年もよろしくお願いしますね!(笑)


 小島一平さま
> 私は先日古本屋さんで、お手頃なお値段で「ヤプー完結編」を偶然手に入れてしまっただけで、実はまだ読んではいないのです。読んだのは「石森」章太郎のマンガだけで、それもわかるようなわからないような印象です。

 『家畜人ヤプー』の「正編」の方を、まだ読まれていないんですね。それじゃあ、まだ楽しみが温存されてるってわけだ(笑)。
 でも、ボクが昔読んだ角川文庫はまだ生きてるのかなあー? 最近、あんまり見ないような気がするけど・・・。「完結編」が出た時に、「正編」もいくつかのバージョンが刊行されましたけど、それらもみんな、今では古本を探さないといけないんじゃないでしょうか? でも、角川文庫がいちばん読みやすいんですけどね。

> 「辺見庸の負け」という見方もできると思いますが、辺見庸がインタビュアーで、チョムスキーがインタビュイーだったとも読めるのではないのでしょうか?

 園主さまも言ってましたけど、せっかくチョムスキーと会ったんだから「まだまだ君は甘いよ」くらいは言われたいですよね。変にニコニコして「君はそれで良いんだ」なんて物わかりよく言われたりしたら、かえって「本気で言ってないだろ?」って思っちゃうんじゃないでしょうか(笑)。

 ともかく、ボクも、辺見庸とチョムスキーの対談に興味が出てきました!


 Keenさま
> 書き込みしたいのになあ☆
> まとまった時間がとれない……苦苦苦。
> ネタではちきれそうだ☆

 それは残念です。でも、それももう少しの我慢でしょ?

> 他に好きだったのは、『闘将ダイモス』や、『ブロッカー軍団・マシーンブラスター』の飛鳥天平くんっ♪>(←こんな漢字だったでしょうか?まだ幼かったので、ひらかなしか覚えてないんですう〜/泣)
> 女の子アニメより、ヒーローものばっかり見てたような……

 そりゃあー、後に「やおい」に走るKeenさまだから(笑)。
 もっとも、その当時は純粋に「男の子キャラたちの活躍」を楽しんでいたんでしょうけどね(笑)。


 影姫青夜さま
> わたしが今回入手したのは・・・・
>(ぱちぱちぱちぱち・・・・)
>「大岡信」
>の第一詩集『記憶と現在』(書肆ユリイカ)です。

 やっぱり、ハズレたかあー・・・。

 でも、参加者が、たったの二人だったんですから、「参加者全員にサービスポイントを」なんて話は無いんですか?(笑)





( 以下は「選択肢としての自由(4)」につづく)


選択肢としての自由(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月16日(木)00時41分07秒


 aoiさま
>こんこんきつねの紺三郎

> 凍った雪の上を歩いているの。『雪渡り』、宮沢賢ちゃんの。(笑)

>木なんかみんなザラメをかけたように、しもでぴかぴかしています。
>「堅雪かんこ、しみ雪しんこ」四郎とかん子は小さな雪ぐつをはいてキックキックキック、野原に出ました。

 昔、どこかで読んだことがあるような気がします。たしか、とっても可愛いお話でしたよね。

 園主さまも、宮澤文学がダメだとは思っていないし、それは吉田司さんも同じなんじゃないかな? だから園主さまは『「賢治=聖人伝説」に挑むその姿勢は挑発的この上なく、その挑発性は宮澤賢治その人よりもむしろ、バーチャルな「イーハトーブ・ワールド」を構築して、その王にならざるを得なかった「一人の弱い男」を、「聖人」として祭り上げることにより、同じように現実と直面 する勇気をもたない自分の弱さを癒そうとする「多くの読者」をこそ挑発するものなのでございます。』と、『宮澤賢治殺人事件』での吉田さんの基本姿勢を説明したんじゃないでしょうか?

 例えば「中井英夫」がその作品の素晴らしさ故に、後世の人によって「聖人」に祭り上げられ、「中井英夫ランド」や「『虚無への供物』饅頭」なんかが作られたりしたら、「困った爺さん」である「実物の中井英夫」を知っている園主さまなんかは、真っ先に「中井英夫は意志の弱い泣き虫だった。晩年は現実と格闘しえず酒に溺れ、友人に甘え切って過ごした負け犬だった」なんて言い出すんじゃないでしょうか?(笑) 
 でも、それもこれも中井さんを、単に『虚無への供物』の作者としてではなく、情けない部分も含めて「人」として愛するからだと思うんですよ。長所は長所とし、弱点(弱さ)は弱点としてきちんと評価するというのが、本当に愛のある批評なんじゃないでしょうか。

> カラオケ楽しかった?

 もちろんです!


 賢ちゃん
 こないだは、奢っていただいて、ありがとうございました!

 前回より一時間長く歌いましたけど、今回は「喉が痛い」って言ってませんでしたね。だいぶ鍛えられてきたのではないしょうか? ボクの場合、さすがに翌日だけは喉が嗄れてましたよ(笑)。

> 新田一美『霊感探偵倶楽部』シリーズの魅力について。

 また園主さまから手厳しい評価を受けていましたね。でも、プロの書評家にありがちな「過大評価」をせずに、それでいて他の人に「面 白そう」と思わせる「推薦文」っていうのは結構難しいことなんだと思います。って言うか、これは順序が逆で、普通 に語って面白さを伝えるのが難しいからこそ、プロの人はしばしば安易に流れて「過大評価」をしてしまうんではないでしょうか。そういう「派手な看板」的な手法ではなく、「静かだが説得的な語り」によって、面 白さを伝えようと思ったら、やっぱりそこには批評性が必要になってくるんじゃないかと思います。
 今度は「評論をしようとは思わない」なんて思わずに、リターンマッチの意味でも、真正面 から『霊感探偵倶楽部』シリーズの魅力について、語ってみて下さい。





( 以下は「選択肢としての自由(3)」につづく)


選択肢としての自由(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月16日(木)00時40分02秒

 みなさん、こんばんは! 年始はあまり出歩かなかったせいか、晴れ着姿の女性をぜんぜん見かけなかったんですが、成人式の昨日はさすがに何度か見かけました。とは言っても、その後、お酒を飲みに行って、つぶれちゃった女性もたくさんいるんでしょうね。晴れてお酒が飲めるようになったから「ハメをはずす」というのもわからないわけじゃないけど、以降はいつでも飲めるんだからそこまで飲まなくても・・・、なーんて思うのは、ボクが歳をとったせいでしょうか?(笑) 晴れ着の女性はきれいだけど、それが酔っぱらってゲロなんか吐いてたら幻滅。もちろん男性だって、飲み過ぎて道端で吐いてるのなんかを見たら「情けない。そこまで飲むなよ」って思います。まあ、自律能力の低い人、流されちゃう人っていうのが、あまり好きではないから、酔っ払いには厳しい部分があるんだとは思います。でも、そこまでしてハメをはずさなきゃならない人の日常って、きっと窮屈なものなんでしょうね。その意味では、ボクは気楽で恵まれた人生を送っているということなのかも知れません。




 ハムちゃまさま
> 今ハムちゃまとってもカナちい気分でちゅ!!!
> なんてったって『仮面ライダー龍騎』の主人公「城戸真司」が
> 最終回一話前の今日の回で死んでしまったのでちゅから!!!!!

 それがショックで寝込んじゃったんですか!? ハムちゃまって、意外にナイーブ!(ゴメンなさい!)

 でも、最終回を見れば、きっと「死んだ」理由も、うまくつけられていると思いますよ。たしか映画版って、テレビの「最終回」だっていう触れ込みだったんじゃなかったですか? だったら、それに龍騎は出てたんでしょ? ということは、何らかの形で復活するはずじゃないですか。ただ、予告してあった「最終回」にストレートに繋げてしまっては面 白くないから、ひと捻りしたんだと思いますよ。

 早く元気になって最終回を見て下さいね。って言うか、最終回を見て、早く元気になって下さいねー(^-^)。


 神野恭治 さま
 ボクもこの際ですから、園主さまに借りて、まだ読んでなかったブラッドべリを読みたいと思います。そのせいで、そちらへお送りするのが多少遅れるかも知れませんが、その点はご勘弁くださいね。園主さまが「送る」書かれていた『ウは宇宙船のウ』は、ボクも昔読んでいますから、これはすぐに送るはずですよ。

> 「ウロボロスの偽書」ですがもう少しで読了致します。

 読み終えたら、頑張って『ウロボロスの基礎論』までは読んで下さいね。それで面 白くなかったら三部作最後の『ウロボロスの純正音律』まで読めとは言いませんから(^-^;)。





( 以下は「選択肢としての自由(2)」につづく)



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