●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年2月上旬(1)
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ベンツが欲しい 投稿者:テクネチウム  投稿日: 2月 6日(木)13時53分50秒

☆ホランド様

 >ただひとつ言えることは、「他人の話を聞かない」で、自説をしゃべりちらす人は、だいたいダメですね。それから、すぐに「真の」とか「本当の」といった言葉を使うわりには、それがなぜ「真の」なのか、その理由を具体的に説明できない人。・・・よくいるでしょ? 「それは本当の意味での○○とは違う」とか「君はわかっていない」とか言うわりには、それが何なのかについては、いっこうに語れない人って(笑)。「そんなもんじゃない」っていうのは、自分だけがわかっている「つもり」の、酔っ払いの常套句ですしね(笑)。

将に慧眼です。
 酔人観察歴ウン十年の私ですが。大きく頷きすぎて、むち打ちになりかけましたよ。

> でも、それで他人に迷惑をかけるのは、やっぱりイヤだな。「祝祭」空間では「ルール破り」は当然なんですが、自分たちだけの「祝祭」を他人に押しつけないでほしいという気がします。もちろん、それは程度ものであり、多少は許されるべきなんでしょうが。

 私は、サッカ−スタジアムという、非日常の閉空間では許される物だと思います。
なぜならサッカ−においてはスタジアムの観客も、戦闘員だからです。
(もちろん放火したり暴力をふるったりするのは、論外ですがね)
そもそも、押し付けが不快である者は、スタジアムには来ないでしょうし、「迷惑」という定義そのものがなかなか難しいようにも思います。
 なお、私が受け持つ授業は「国家公務員受験」の科目です。又、高校生には 数学、物理、化学などを自宅で教えてます。今は、3年生がほとんど終了して、1年中で一番暇な季節です。

 先ほど、図書館にて「しをんのしおり」と「ウロボロスの偽書」借りてきました。文字が小さいので苦労しそうなんですが、読み始めています。

 酒場にての教訓その2ですが
「利害関係の無い相手が、一番の飲み友達」
最悪なのは、ゼロサムゲ−ムの相手です。共通の利害関係を持つ者は、一見良さそうに思えますが、実際はよろしくない。考えてみると、ネットでの会話もそれに当たるのかな?




非日常の幻覚・日常の幻覚(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 6日(木)02時05分04秒


 AOIさま
 やっと姿を見せて下さいましたね!(笑)

> スリムな体躯、さらさらロン毛、いつも黒ずくめでストイック。人を寄せ付けない隔絶のオーラを漂よわせています。ベースギターを肩に坂道をロングヘヤーなびかせ上ってくるのですね。

 カッコイイですね! いかにもロッカーです。やっぱり、ロッカーにはどこかストイックさが欲しいですよね。それでいて『紅じゃけ買い物カゴに滑り込ませる』生活感は最高です!

> 作者の谷村新司が『連合艦隊』のテーマソングをつくったということもあるのではと思いますがTVで、海軍士官学校(?)の白い詰襟を着て、『昴』を歌っていた記憶があるんですね。つまり、彼のイメージとして特攻隊が『昴』のイメージと矛盾しないのではと思います。そうであれば、この歌が容易に特攻隊の散華の思想と結びついて特攻精神が美化されることもありうるのではないかと気になりました。この歌がすばらしいだけにそうなって欲しくないと思います。

これは園主さまの、

> 私は『昂』や『マイ・ウエイ』や『地上の星』が良い歌だと評価しますし、この種の「応援歌」の存在価値を認めながらも、「軍歌」と同様の「感情的鼓舞」に力点が偏っていて「現実逃避」的な点で「問題が無きにしも非ず」と批評的に評価するのでございます。

に、そのまま重なる問題意識ですよね。

 ところで、ボクは子供の頃にテレビで『連合艦隊』を観たことがありますよ。円谷プロが製作したミニチュアの戦艦による海戦シーンがカッコいいんです(笑)。

 で、たしかに谷村さんが主題歌を歌っていたと思います。たしか主題歌は、出だしが『空を染めてゆく、この雪が静かに、海につもりて、波を氷らせる』で、最後が『せめて海に散れ、思いが届かば、せめて海に咲け、心の○○○』って感じで、戦争で戦って死んでいく人への「哀悼の意」を詠った歌だったと思います。その意味で「美化」してると言えば美化してるでしょうね。「戦死」を肯定はしてないけど、否定もしてませんし、「きれいごと」の範疇だとは思います。「悲愴感」に酔っちゃうタイプの歌でしたから。・・・この歌は、さだまさしさんの『防人の歌』と比較しても面 白いんじゃないでしょうか。

 園主さま
 『クレシェンド』を読み終えて「なるほど横尾忠則がピッタリな内容だな」と思いました。どういう意味かは、・・・ナイショ(笑)。




 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


非日常の幻覚・日常の幻覚(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 6日(木)02時04分09秒


 神野恭治 さま
> 園主サマ、ブラッドベリの作品に関してずいぶんとお手数をおかけして申し訳ありません。
> 急いではおりませんのでどうかあまりお気遣いなさらないで下さい。
> …でも楽しみにしております(笑)

 もう送ったって言ってましたよ。お楽しみに!

> 園主様とホランド様の「さっぱりしない読後感」についての書き込みを拝読して
> 私もまったく同じような感想をもっていたので何だか嬉しくなりました。
> 私の場合、あのラストだったからこそ「基礎論を読みたい!!」と思いました。
> 早く読んでいない蔵書の小山を片付けて読みたいと思います。

 『蔵書の小山を片付け』は後回しにして、先に『ウロボロスの基礎論』を読みませんか。記憶が新しいうちの方が面 白いと思いますし(笑)。

> 森作品の「犀川&萌絵シリーズ」はそれぞれは完結してますが、一応シリーズものなので「出版された順番に読む」というルールを勝手に自分の中に作っています。

 それは時間が無限にあれば理想なんでしょうけど、現実には効率が悪すぎるとは思います。シリーズが三作くらいなら、順番に読んでもいいけど、五作にもなれば、まず評判の良いものを読んでみて、自分に合うかどうかを確かめる方が良いのではないでしょうか? 「そのうち面 白くなるだろう」と思いながら最初のから順に読んでいった結果、結局最後まで面 白いのが無かったりしたら最低ですし、最初の三冊くらいで挫折したんだけど、実は4作目が自分に合う傑作だってこともありえるでしょ。時間が無限にあるんなら、神野さまのようなやり方も悪くないけど、人間は一生のうちに一万册も読めないんですから、なるべく無駄 は省かないと、それだけ面白い本に出会う機会を逸してしまいますよ。

>「出版社毎に本棚に並べないと気がすまない」というのも私の「自分ルール」の中にあります。

 ボクは作家別ですが、京極夏彦さんは、ジャンル別、版型別みたいですね。もっとも水木しげるさんなんかは、特別 なコーナーがあって、別格扱いみたいですけど。

>「1冊読んだら1冊買う」という『自分ルール』もそうですが、花園の皆さんは読書される際にそういうこだわりとかはございますでしょうか?
> こんな変なこだわり持ってるの私位でしょうか?

 ボクは好きな作家の本以外(つまりコレクション以外の本)は、なるべく古本か、借りて済ますようにしています。もっとも身近に読みたい本をどんどん入れてくれる図書館や、どんどん買ってくれる人がいないとダメですけどね(笑)。

> ちなみに「読み始めたら最後まで読む」も『自分ルール』なので「数奇にして模型」はとりあえず最後まで読みたいと思います(汗)

 ボクもいちおう最後まで読むことにしています。とくにミステリは、最後まで読まないと評価できないですからね。





( 以下は「非日常の幻覚・日常の幻覚(5)」につづく)


非日常の幻覚・日常の幻覚(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 6日(木)02時03分01秒


 テクネチウムさま
> 私の信条は「好き嫌いの範疇に理論はない」です。

 そうですよね。ただ問題なのは、たいていの人がそう思いながらも、知らないうちに「感情論」を語っているということなんだと思います。また、だからこそ園主さまは、自己検証を強調するんだと思います。

> 議論をするときは真剣にやりたいので、なるべく客観的になれる内容でフェアな論戦をしたいと思います。某テレビの討論番組で、感情論に持ち込むのが武器である有名人、生卵でもぶつけてやりたいぐらいです。(もちろん大人の私は、そう思っているだけで、決行はしませんが)

 あの番組は何度か見ましたけど、ほとんど不毛ですよね。議論にならない。何度か参加すれば、ああなることは見え透いてくるんだから、まともな人はあんなとこへは何度も出ていかないし、まともな議論を期待する人は、あんなものを見ないんじゃないかな。その手の問題を考えたかったら、自分で本を読んで、自分で考えた方がよっぽどマシだと思います。
 あれは一種のエンターティンメントで、出演者の方もそれを承知で、なかば馬鹿騒ぎを楽しんでいるんじゃないでしょうか。・・・もちろん出演料と知名度を高める(講演料が高くなる)のが、目当てなんでしょうけど。

> 閑話休題、サッカ−は相棒が熱狂的なファンで、洗脳されました。
> 夜中に球蹴られたら大変ですからね。(笑)
> 付いていって一緒に見てみると、結構興奮するものですな。
> 大声出してストレス解消にもなるし、良いですよ!

 それはよくわかります。理性のタガを取っぱらって、馬鹿騒ぎするのって気持ち良いですからね。
 でも、それで他人に迷惑をかけるのは、やっぱりイヤだな。「祝祭」空間では「ルール破り」は当然なんですが、自分たちだけの「祝祭」を他人に押しつけないでほしいという気がします。もちろん、それは程度ものであり、多少は許されるべきなんでしょうが。

> 大人という者は、つらい者ですよねえ。

 そうですね。でも、既得権だからあまり意識しないですけど、大人だけの楽しみってたくさんありますよ。子供の頃「大人って、いいよなあー」と思ったこと、いろいろあるでしょ?(笑)

>  酒場にて。
>「たこ八」というのは静岡市内にある居酒屋、いわゆる赤ちょうちんです。
> 私は週に2回そこに出かけて杯を傾けるのですが、色々な人間がおり
> 勉強になります。私の職業自体が一匹オオカミ的な物なので(講師業です)
> 会話に飢えてるせいかもしれませんね。

 「花園」が、テクネチウムさまにとっての「第二のたこ八」になれると良いですね。少なくともボクにとっての「花園」はそういう場所ですよ(笑)。

 ちなみに楽古堂主人さまの職業も「塾講師」。「国語」の先生です。テクネチウムさまの「教科」は何ですか?

> 今のところ、喧嘩や口論になったことはありません。何せ大人だもの。

 ボクも「お酒の上での喧嘩」なんて、そんなみっともないことはしません。
 園主さまもいつもは楽しいお酒なんですが、以前一度だけ、つまらない議論を始めたある人から「さっきから黙ってるけど、異論があるんでしょう?」と挑発的に「議論」を振られて、「じゃあ言いますが、私は酔っ払いとは議論しません。時間の無駄 です」なんて、ほとんど「喧嘩」を売ってたことがありましたよ。・・・幸いその時は、相手が退きましたけど(笑)。

>「威張り散らす人間はコンプレックスを持っている」
> 当たっているかどうかは、本人に聞けませんので不明ですが、私はそう思います。

 ボクもそう思います。ただ、何をして「威張り散らす」と言うかは難しいところです。少なくとも「本人」には、その自覚はないでしょうからね。

 ただひとつ言えることは、「他人の話を聞かない」で、自説をしゃべりちらす人は、だいたいダメですね。それから、すぐに「真の」とか「本当の」といった言葉を使うわりには、それがなぜ「真の」なのか、その理由を具体的に説明できない人。・・・よくいるでしょ? 「それは本当の意味での○○とは違う」とか「君はわかっていない」とか言うわりには、それが何なのかについては、いっこうに語れない人って(笑)。「そんなもんじゃない」っていうのは、自分だけがわかっている「つもり」の、酔っ払いの常套句ですしね(笑)。

 コンプレックスは誰にでもあるもので、問題はそれを自分の成長の原動力にするか、それともそれに踊らされるか、なんだと思います。そして、その分かれ目となるのが、「欲望」を調伏する「意志」の力(自制心)だと思います。





( 以下は「非日常の幻覚・日常の幻覚(4)」につづく)


非日常の幻覚・日常の幻覚(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 6日(木)02時02分18秒


 Keenさま
> 現在1/3まで。早く続きが読みた〜いっ!竹本さんの作品には、いつも「これは、私のために書かれたモノだ!」って感じるところがあるんですけど、今回ほど強くそう思うことはありません(嬉泣)。
今日中に読んじゃったりして……時間さえ許せば、ね(^0^*

 もう読めましたか? またご感想をお聞かせ下さいね。聞かせてくれないと、ゆらゆらふるふるしちゃいますから(笑)。

>> いま気がついたんですが、「フォルクスラ−メン」って、まさか「フォルクスワーゲン」のダジャレだったんですか・・・?(^-^;)?

> え?それ以外の何なの?テクネチウムさま……

 だって『フォルクスラ−メン』って、実在したラーメン屋さんの屋号でしょ? まさかそんなクダラナイ(失礼!)ダジャレを屋号にするなんて考えられないじゃないですか? 仮にも食べ物を出す店なのに、みんな「ここ大丈夫なのか?」って心配しちゃいますよー。だからボクは、単純に店のオーナーがドイツマニアか、車のフォルクス社の熱心なファンなので、つい付けちゃったんじゃないかと思ったんです。

> 「覚醒」したばっかりなのに〜☆

 ごめんなさい。ボクが振っちゃったために、またつらい思いをさせちゃったでしょうか。
 でも、

> サッカーファンではない園主さまが

と書いたとおり、園主さまは「サッカーが嫌い」というわけではないし、「サッカーファン」が特に嫌いということではないと思うんです。基本的に「(個人では何もできないのに)束になるとバカなことをする人間」が嫌いなだけなんだと思います。その意味では、Keenさまのおっしゃっていた、

> 教養を身につけているはずの人たちの憂さ晴らしが「匿名の暴力」というのは……怖いですね。

ということなんだと思います。
 でも、「隠れ蓑」を着ると本性が出てしまうというのは、その人本来の「人格」の問題ですから、「教養」というのは、実際のところ、ほとんど関係ないんでしょうね。それに、考えてみれば「教養」というもの自体、たいていの場合は「隠れ蓑」の域を出ないものですしね。その証拠に、「低所得者層」でも、「粗野」じゃない人、自分をしっかりと持った人というのは大勢いますから。

 うちでも「教養を誇る人」による「掲示板荒らし」がありましたけど、この人たちの特徴は『クレシェンド』に描かれた「日本人」像によく重なると思います。つまり「恥をかく・かかせる」(裏を返せば「見栄を張る・優秀性を誇示する」)ということが問題(興味)の中心になっていて、「事の是非善悪」は「後付けの屁理屈」になってしまうんです。だから書き込みを禁じられている掲示板に書き込みをしたり、関係のない掲示板にわざわざ悪口の書き込みに行ったりしても、「自分たちのやっていることは、掲示板荒らしじゃない」なんて言えるんです。・・・こういう人たちは、教養自慢をしながら、何が「恥じるべきことなのか」が根本的にわかってなくて、だから自ら「恥の上塗り」を重ねるんでしょうね。「自分が尊重尊敬されない」というのを勝手に恨んで、その「憂さ晴らし」をするんです。その意味では、「教養あるフーリガン」と同類なんだと思います。

>> 竹本健治さんの新刊『クレシェンド』(集英社)

> これ(角川書店)の間違い、よ。

 ご指摘、ありがとうございました。だけど、どうして集英社だと思ったんだろ?





( 以下は「非日常の幻覚・日常の幻覚(3)」につづく)


非日常の幻覚・日常の幻覚(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 6日(木)02時01分30秒

 みなさん、こんばんは! 竹本健治さんの『クレシェンド』(角川書店)読みましたよ。どう言ったら良いのかな・・・とにかく竹本さんの作品にしては珍しく「単純に面 白かった」というのが、ボクの印象です。これは、いつもより面白かったとか面 白くなかったとかそういう意味ではなくて、いつものようにいろいろ考えさせられるような部分が少なくて、単純に面 白かったという感じなんです。「面白さの質」がちょっと違ってて、いつもより直接的に面 白かったという感じかな? ・・・うまく伝わるでしょうか、このニュアンス?
 もちろん「日本人の由来」や日本人の特質を規定するものとしての「日本語」に関するペダンティックな議論が展開され、物語の中に登場する怪異現象に独特のリアリティーを与えるというのは、いつものとおりなんですけど、とにかくその怪異現象が現実には起こり得ないだろうなというぐらいスゴイものなので、作品としてのリアリティーは感じても、現実との直接的な関連で作品を評価しようというような感じには、あまりなりませんでした。
 この作品の白眉は、何といっても最後の無人島での嵐のシーンで登場する「伝染性幻覚」の「龍」のリアリティーです。登場人物たちは(中国や日本の水墨画に描かれるような)「龍」なんて存在するはずがないと自覚しながらも、それを否応なく見てしまいます。暴風雨の中を、とてつもなく巨大な龍が、水平線の方から、主人公たちのいる無人島の方にぐんぐんと迫ってくるシーンの迫力は、まさに圧巻。怪獣映画なんか比べ物にならない迫真の恐怖感を味わえて、「いつか見た悪夢」という印象を受けました。
 みなさんも、ぜひ竹本健治の「底の抜けた世界の恐怖」を味わって下さい!(「INFORMATION]」参照





( 以下は「非日常の幻覚・日常の幻覚(2)」につづく)


千代さまとの遭遇。 投稿者:AOI  投稿日: 2月 5日(水)23時57分44秒

先日、久しぶりに千代さまにお会いしました(嬉)。ヴーヴー!東千代之介さまではありませーん。千代さまといって、分かる人はかなりのロック通 ?とそういう私は虫喰いなんですけどね(笑)。知る人ぞ知る『ゆらゆら帝国』のベーシスト亀川千代さま(♂)です。以前は仕事帰りの坂道でよくすれ違っていたのですね。そのたびに視線のご挨拶を交わしていたのです。うふ。スリムな体躯、さらさらロン毛、いつも黒ずくめでストイック。人を寄せ付けない隔絶のオーラを漂よわせています。ベースギターを肩に坂道をロングヘヤーなびかせ上ってくるのですね。きっと、私はいつもにんまりしていたことでしょう。いつしかすれ違うたび暗黙のご挨拶。声なんかかけたりしませんわ。そんな無粋な(笑)。
しかし、生活パターンが変わってからは坂道でお目にかかることもなくなってしまって、もしかして、お引越ししてしまわれたかなと思っていたのですけど。それが、千代さまのマンションにほど近い夕刻の生協。お元気なお姿。なんか、お久しぶり!紅じゃけ買い物カゴに滑り込ませるの目撃。じゃがいも一袋も。
これだから、いやーねえ!ミーハーって。

☆ホランドさま

>それだからこそ賢治が人間として立ち上がってきて、愛おしくなるってこともあり
ますよね。
 彼はたしかに「弱い」人間だった、でも「弱い」なりに精一杯「世界」と戦った、
と園主さまなら言うかも知れません。

私の言いたかったのも同じです。

☆楽古堂さま

夜明けの歌 ―― 谷村新司「昴(すばる)
>この詩は太陽を、直接的には歌わっていません。にもかかわらず、自分で歌っているとよくわかるのですが、壮大な夜明けの到来を想像させます。

ナットク・・・。きっと、カラオケでよく歌われているのだなあと思いました。
「昴」はわたしも好きです。

一つ「昴」について気になったことを書いておきます。
作者の谷村新司が『連合艦隊』のテーマソングをつくったということもあるのではと思いますがTVで、海軍士官学校(?)の白い詰襟を着て、『昴』を歌っていた記憶があるんですね。つまり、彼のイメージとして特攻隊が『昴』のイメージと矛盾しないのではと思います。そうであれば、この歌が容易に特攻隊の散華の思想と結びついて特攻精神が美化されることもありうるのではないかと気になりました。この歌がすばらしいだけにそうなって欲しくないと思います。


自分ルール。 投稿者:神野恭治  投稿日: 2月 5日(水)20時23分17秒

今晩は、神野でございます。

●園主サマ・ホランド様
園主サマ、ブラッドベリの作品に関してずいぶんとお手数をおかけして申し訳ありません。
急いではおりませんのでどうかあまりお気遣いなさらないで下さい。
…でも楽しみにしております(笑)

園主様とホランド様の「さっぱりしない読後感」についての書き込みを拝読して
私もまったく同じような感想をもっていたので何だか嬉しくなりました。
私の場合、あのラストだったからこそ「基礎論を読みたい!!」と思いました。
早く読んでいない蔵書の小山を片付けて読みたいと思います。

ところで、つい最近読み始めた森博嗣氏の「数奇にして模型」なんですが、序章を読み終えたあたりで「出版された順番に読んでいない」事に気付きました。
森作品の「犀川&萌絵シリーズ」はそれぞれは完結してますが、一応シリーズものなので「出版された順番に読む」というルールを勝手に自分の中に作っています。
「出版社毎に本棚に並べないと気がすまない」というのも私の「自分ルール」の中にあります。
「1冊読んだら1冊買う」という『自分ルール』もそうですが、花園の皆さんは読書される際にそういうこだわりとかはございますでしょうか?

こんな変なこだわり持ってるの私位でしょうか?

ちなみに「読み始めたら最後まで読む」も『自分ルール』なので「数奇にして模型」はとりあえず最後まで読みたいと思います(汗)

それではこの辺で失礼します。


 投稿者:Keen@眠  投稿日: 2月 5日(水)18時50分04秒

☆ホランドくん

> 竹本健治さんの新刊『クレシェンド』(集英社)がやっと刊行

これ(角川書店)の間違い、よ。

本日はこれまで〜


大人はつらいよ 投稿者:テクネチウム  投稿日: 2月 5日(水)16時44分01秒

☆園主様

>おお、ずいぶん懐かしい作品名でございますね。もしかしてテクネチウムさまは、SFファンでございますか?

すいません。受け狙いで、思い付いたまま書いただけです。
ヴァン・ボ−クト(だったか?)は昔(大昔ですね) 良く読みました。
S.F.は大好きだったんですが、最近は読んでませんね。
虚構の世界を旅することが、苦手になってきてます。

>……まあ、斯く言う私も、そのタイプでございます。お互い「情理」を兼ね備えた大人を目指そうではございませんか(笑)。

大人という者は、つらい者ですよねえ。


 酒場にて。
「たこ八」というのは静岡市内にある居酒屋、いわゆる赤ちょうちんです。
私は週に2回そこに出かけて杯を傾けるのですが、色々な人間がおり
勉強になります。私の職業自体が一匹オオカミ的な物なので(講師業です)
会話に飢えてるせいかもしれませんね。
今のところ、喧嘩や口論になったことはありません。何せ大人だもの。
その中で、気が付いたことがいくつかあります。たとえば、こんな具合
「威張り散らす人間はコンプレックスを持っている」
当たっているかどうかは、本人に聞けませんので不明ですが、私はそう思います。


「覚醒」したばっかりなのに〜☆ 投稿者:Keen@眠い……  投稿日: 2月 5日(水)11時58分20秒

就寝はAM 2:50 でした。やっぱり、読んじゃいましたよ〜(泣)。
あー、園主さまに「いっぱい」レス(含反論/笑)書きたいっ!
でも、眠い……

とりあえず、外出の用事を済ませなくては……
その後で、体力が残ってたら、書き込みしますね。
本当の意味で、私には「体力」という絶対的「戦闘能力」が足りないのですよ〜。
(実は、悔しいのです☆だから、日々、地道な努力は続けてますが)


言霊の呪縛(5) 投稿者:園主  投稿日: 2月 5日(水)01時44分21秒

 Keen さま(つづき)

> つまり、「サッカーファン」にとっても、一緒にされたくない存在です。まあ、「阪神ファン」同様に、中には困ったちゃんもいるわけですが、世界中で社会問題化している「フーリガン」とは、分けて考えてもらいたいな、と思います。

ちなみに、「サッカーファン問題」について、ひとこと書かせていただきますと、私はこうした「切り捨て」の思想では、何の解決にもならないと考えます。

そして「フーリガン」の問題を考える時に、そのポイントとなるのは、「サッカーファン」の間でも広く承認されているらしい「サッカーは、スポーツではない。戦争だ」だとか「サポーターは、12番目の選手だ」といった「サッカー特有」の考え(レトリック=言葉)なのではないかと存じます。事実そのために、一般 的な「スポーツマン・シップ」(これも、レトリック=言葉)が、ややもすると、サッカーでは軽視されがちなのではございませんか?


 テクネチウム さま
> 非Aの傀儡

おお、ずいぶん懐かしい作品名でございますね。もしかしてテクネチウムさまは、SFファンでございますか?

> 私の信条は「好き嫌いの範疇に理論はない」です。
> 議論をするときは真剣にやりたいので、なるべく客観的になれる内容でフェアな論戦をしたいと思います。某テレビの討論番組で、感情論に持ち込むのが武器である有名人、生卵でもぶつけてやりたいぐらいです。(もちろん大人の私は、そう思っているだけで、決行はしませんが)

私は「すべての価値判断の根底にあるものは『快・不快』だ」というものでございます。その意味で、すべての判断から「好き嫌い」の要素は排除できない、とも考えます。

もちろん、これは「所詮ものごとは好き嫌いだ」というような「開きなおり」を奨励するものではなく、どんなに冷静で客観的なつもりでも、人間の判断からは「好悪」の感情は排除できないから、そのつもりで「自分をも突き放して評価し」ながら議論をすべきである、ということなのでございます。

例えば、テクネチウムさまの、

> 私の信条は「好き嫌いの範疇に理論はない」です。

という「信条」も、「私は好き嫌いで理屈をいう奴が、嫌いだ」と言い換えることができると思いますし、

> 某テレビの討論番組で、感情論に持ち込むのが武器である有名人、生卵でもぶつけてやりたいぐらいです。

というのは、その正直な表明だと存じます。なぜならば、真に「好き嫌いの範疇に理論はない」と考えるのならば、「好き嫌いは理論の範疇にある」と考える人の「ひとつの立場」も、感情的にならずに承認できるはずだからでございます。

> 「サッカ−論」一言にまとめれば「愛」でしょうか。

> 困ったことに私、静岡には希な「阪神ファン」です。
> 何と言われても、応援するぞ!

テクネチウムさまは、きっと「情」の人なのでございましょうね。だからこそ、自分の「負の面 」を象徴するような「好き嫌いでものを言う、感情的な人間」に反感を覚えるのでございましょう。

……まあ、斯く言う私も、そのタイプでございます。お互い「情理」を兼ね備えた大人を目指そうではございませんか(笑)。


 ホランド
おまえももう『クレシェンド』を読み終えてる頃だろうね。また感想を聞かせてくれよな。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


言霊の呪縛(4) 投稿者:園主  投稿日: 2月 5日(水)01時42分49秒

 Keen さま(つづき)
> 竹本健治『クレシェンド』

> 現在1/3まで。早く続きが読みた〜いっ!竹本さんの作品には、いつも「これは、私のために書かれたモノだ!」って感じるところがあるんですけど、今回ほど強くそう思うことはありません(嬉泣)。

たいへん良くわかります。つまり、Keenさまと同様「言葉の呪」にとらわれやすい体質の人物が、本編の主人公でございますからね(笑)。
しかし、この主人公は、私にも似ておりますよ。例えば、この作品では日本人の特性が、日本語との関係で次のように語られております。

『「日本的な要因?」
「ええ。それは、人が何か悪いことを口にするのは、それが実現するのを願っているからだ、と受け取ってしまう心理です」
「それが実現するのを願ってる? どういうことかな」
「このケースでは、日本民族の短所を明言することは、日本民族が弱体化して、ひいては戦争にも負けるように願っていることになる、という理屈です。だからこそ軍部の人間は怒るのです」
 矢木沢は岬のその言葉をしばらく吟味し、うん、と頷いた。
「そう言われるとよく分かるな。戦時中に少しでもリアルで客観的な戦況判断をしようものなら、貴様、日本が負けてもいいと思っているのかッ、てなことになっちゃうだろうからね。全く、とんでもない理屈だな」』
                      (『クレシェンド』P143〜144)

これなどは私の「笠井潔批判」に対し、笠井潔が激怒するだけで論理的な反論が無かったり、私の「『2003本格ミステリ・ベスト10』批判」に対して「べつに投票なんだから、フェアなんじゃないの」みたいな「非論理的な反応」しか帰ってこない、といった事態と置き換えて考えることが可能でございましょう。

『(前略)日本人にとっては〈恥をかく・かかせる〉ことへの怖れが支配的なものとして存在しているという、図らずも後年のベネディクト女史と符合する指摘を行っているんです。』
                             (同 P218)

これは「トリックスター」(「イタズラ者」で、権威を怖れない道化)を自認する私の「非・日本人」的な性格と、笠井潔の「正統派・日本人」的な性格を説明するものとも申せましょう。

『「日本語にはもうひとつ、よく取り上げられる大きな特徴があるんです。それは、発達した敬語の大系です」
(中略)
「そうか。敬語かあ。確かにそれは人の精神のあり方に大きな影響を与えそうだな」
 そしてさらにしばらく考えて、
「これかな。……うん。きっとこれだよ。敬語が日本人の精神性を規定してるんだ」』
                          (同 P272〜273)

これも私の徹底した「差別なし」の思想と関わるところでございましょう。具体例としては、「天皇家」向け専用「敬語」等の問題と、それらに対する私の批判的な態度などでございます。

……私が、このように「謙った言葉遣い」をしながら忌憚のない批評をするのも、ある種の皮肉でございましょうね(笑)。

『だけど、とにかく日本人は厭だ。自分がなく、共同体からの同調圧力を唯一の規範とし、従って自己と世界との直接的な対置関係も、一貫した論理的思考も持たないような生き方は我慢できない。見ているだけでムカムカする。』
                            (同 P307)

という主人公の心内語などは、まさに私のものでございましょう(笑)。ですから、私は「探偵小説研究会」を繰り返し批判するのですし、笠井潔を批判する時には「言ってることとやってることがバラバラだ」というパターンを取るのでございます。

> こう書くと、すぐに「そういうのを呼び込んでしまうサッカーファンの体質自体に問題が……」と、園主さまが乗ってきそうですが(笑)、現状の私には、それに応戦できるだけの体力がありませんので、議論はご容赦下さいませ(ぺこり)。

そして、貴女さまが、私の「サッカーファン批判」にかかわる議論を恐れ避けようとなさるのも、最初の引用に語られている「日本的な言霊感覚」故でございましょう。だからこそ「議論は議論」とすることができず、まるで自分が傷つけられたかのように感じてしまうのでございます。……つまり、そうした意味で、

> 竹本さんの作品には、いつも「これは、私のために書かれたモノだ!」って感じるところがあるんですけど、今回ほど強くそう思うことはありません(嬉泣)。

というのは、まさにそのとおりなのでございます。その意味では、いろいろ「考えるべき」ところの多い作品なのではないでしょうか。





( 以下は「言霊の呪縛(5)」につづく)


言霊の呪縛(3) 投稿者:園主  投稿日: 2月 5日(水)01時33分42秒


 Keen さま
> ……深い眠りのさなか、遠くからギャグが聞こえてくる……
> ああ、これはぜひとも私が突っ込まねば……目覚めの時が来たのか……

お帰りなさいまし。これからは、寝た子を起こすのに「ギャグ」を用いましょう(笑)。

>> ☆園主さまの母上さま
>> ブッコロリ

>「一本!」
> 見事な技でございます。ちゃんとアナグラムになってる辺り、さすがは園主さまのご母堂でいらっしゃる(尊敬)。
> また、ご教示下さいませ。

母を煽るようなことは止めて下さいまし(-_-;)。

> 「アリョーシャも案外『猫馬鹿』だったのね」なんて言ってましたわ(笑)。

いいえ、客観的に見てアーニャは凄うございますよ。アニメではしばしば「人語を話すネコ」が登場いたしますが、それは「ネコどうし」「動物どうし」の会話を「人語」に翻訳しているだけか、宇宙生物や魔物がネコに化けているといったパターンで、まともに人語をあやつるネコと言えば『いなかっぺ大将』の「にゃんこ先生」くらいでございましょう(笑)。……たしか、にゃんこ先生は柔道の達人だったように存じますが、アーニャは知的なスーパーキャットだと申せましょうね(笑)。

> 今日はアーニャと病院へ行きました。発熱や化膿がなければ感染症の心配はないだろう、とのことです。一応、血液検査も受けて、白血球などの状態も調べてもらうことになりましたが、「ネコエイズ」の話、私は真面 目にしたのに、お医者様に笑われちゃったわよ〜☆

ネコエイズの話は、私がホランドくんに伝えたもので、実在するものでございます。
私が先日読みました保坂和志の「猫に時間の流れる」(同名文庫所収)には『猫のエイズは二、三年前(※ 平成2、3年ごろ)に発見された。(中略)猫のエイズは基本的に血液感染、つまり交尾と喧嘩でうつるといわれている。』という記述がございまして、「文庫版あとがき」には『『猫に時間の流れる』を読み直したら、エイズの話がほぼ最初から最後まで出ていることに驚いたが、チャーちゃんはウィルス性の白血病だった。(中略)白血病とエイズについてはずいぶんいろいろ調べたので、それをみんなに知ってもらいたいと思うが、ここでは長くなりすぎるので書けない。』とございます。また、私が時々行く古本屋の店主がネコを飼っているのか、最近はネコエイズがものすごく増えており、猫の死因のなかでも大きなウエイトを占めている、というような話をしているのを小耳に挟んだこともございます。つまり、人間のエイズが犬や猫に感染しないように、ネコエイズが人間に感染することはございませんが、「猫(間)のエイズ」は確かに実在しており、愛猫家の間では怖れられているようなのでございます。……まあ、アーニャは「ただのネコではない」から、大丈夫なのかも知れませんが(笑)。





( 以下は「言霊の呪縛(4)」につづく)


言霊の呪縛(2) 投稿者:園主  投稿日: 2月 5日(水)01時32分58秒


 楽古堂主人 さま
ご投稿、いつもありがとうございます。

夜明けの歌 ―― 谷村新司「昴(すばる)」

> 先生たちのオジサンの世代には、カラオケで人気のある曲です。スナックにいると、いまでも耳にする機会が多い曲です。そのためか、ある若い女性たちへのアンケートで、カラオケで歌って欲しくない歌のベスト3に入っていました。他の二曲は、「マイ・ウエイ」と「ラブ・イズ・オーヴァー」でした。
> ともに自己主張の強い曲です。
> 酒の勢いで、自己陶酔したオジサンに朗々と歌われると、ダサイし、鼻持ちならないという感じではないでしょうか。

私も『昂』や『マイ・ウエイ』に魅力を感じる反面、それをオジサンが歌うのには、若い人と同様『鼻持ちならないという感じ』があって、自分で歌うことはございません。少なくとも自分が、オジサンになってからは、一度も歌ってはいないと存じます。
この『鼻持ちならないという感じ』がどこから来るのかは明白で、それは『自己陶酔』であり『客観性の欠除』からでございましょう。そうしたものを臆面 もなく曝す人に対する、ある「恥ずかしさ」と「苛立たしさ」の感情なのでございますね。
そして、これと同様のものを感じさせるのが、これも楽古堂さまがお好きな曲でございますが、いま大ヒット中の『地上の星』の場合でございます。

曲としては、いずれも素晴らしい曲なのに、それをオジサンが歌うと「うんざり」させられる。この種の曲は一種の「応援歌」なのに、それを自分に向けて歌う「厚顔さ」が我慢ならないのでございます。ジョークで「♪ がんばれ、俺! 闘え、俺! 戦う俺は美しいー!!」などと歌うのは「♪ あんたが大将、あんたが大将、あんたが大将ーゥ!!」と歌うのと同じで、醒めた批評性が感じられるから良いのでございますが、本気で「俺が大将!」と歌われてもなあー、という感じなのでございます。

そしてこれは、楽古堂主人さまが『昂』の「語り手=われ」と「宮澤賢治」を重ねることと、まったく無縁ではないと存じます。と申しますのも、ホランドくんが指摘しておりましたとおり、吉田司の『宮澤賢治殺人事件』で語られた宮澤賢治の負の一面 は「バーチャルランド・イーハトーブの領主」という点にあったからでございます(これは「反世界」を語った中井英夫とも共通 する心性でございましょう。ただし中井英夫には、抜き難い『恥』の感覚がございました)。

そんなわけで、私は『昂』や『マイ・ウエイ』や『地上の星』が良い歌だと評価しますし、この種の「応援歌」の存在価値を認めながらも、「軍歌」と同様の「感情的鼓舞」に力点が偏っていて「現実逃避」的な点で「問題が無きにしも非ず」と批評的に評価するのでございます。

そして、そんな私は『地上の星』を、会社関係向けのカラオケレパートリーとしてわざわざ修得し、あるイロニーを持って熱唱しているのでございます。

旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子

> この感覚的で、官能的なまでに瑞々しい視覚型の感受が、瀧壷の水が瀬になって流れるように自然に、形而上学的な省察を喚起するところが、詩人多田満智子の特徴であったように思える。

> そうでありつつ、多田の観念は抽象の森の中に、貧弱になって痩せ細るということがなかった。夢想が飛翔する。

> そして、飛翔したままにはならない。それは、ある堅固な実体に帰還する。

> 夢想への飛翔は、現実に回帰する。

絶えざる運動の相で世界をとらえること。それが精神には、必要なのでございましょう。

> 『クレシェンド』

当然のことながら、ご批評を期待しております。





( 以下は「言霊の呪縛(3)」につづく)


言霊の呪縛(1) 投稿者:園主  投稿日: 2月 5日(水)01時31分17秒

みなさま、私、本日はホランドくんとの映画鑑賞の予定を変更して、竹本健治の新刊『クレシェンド』を読むことにし、先程それを読み終えたところでございます。感想はと申しますと「いかにも竹本健治らしいホラー」としか言い様のないものでございました。

この作品は明らかに『闇に用いる力学 赤気篇』と『風刃迷宮』の橋渡しとなる作品であり、楽古堂さまが指摘しておられた「大きな物語」の方向性を、かなりハッキリと顕在化させ始めた作品だと申せましょう。その意味で『クレシェンド』は、『腐蝕の惑星』(『腐蝕』)の発展形だとも申せますし、『トランプ殺人事件』など(の世界)とパラレルな関係にある(世界を描いた)作品だとも申せましょう。『闇に用いる力学 赤気篇』と同様、この先の展開が何とも気になる作品なのではございますが、ただしこれも『闇に用いる力学 赤気篇』と同様、続きが何時書かれるのかについては、甚だ心許ない作品だとも申せましょう。しかしまた、ある意味では『クレシェンド』は『闇に用いる力学 赤気篇』の続きなのでございますから、この「続き」はたぶん、まったく別 のタイトルの独立した作品として書かれる公算が高うございます。その意味では、竹本健治作品は、そのジャンル分けを問わず、これからも目が離せないとも申せましょう。

ちなみに、前記のような関連性を考慮せずに、あくまでも「独立した作品」として評価した場合、『闇に用いる力学 赤気篇』が10点で『風刃迷宮』が5点とするならば、『クレシェンド』は8点といったところでございましょう。





 ハムちゃま さま
> そんな『555』に対して『ハリケンジャー』は超盛り上がり!!!サンダールは
> 裏切るし、シュリケンジャーに続いてゴウライジャーまでにゃんと戦死!!!
> わたちは味方キャラが簡単に戦死するにょは好きではにゃいんでちゅが、「戦い」
> の「非情さ」を描くのには必要にゃのかも!?!?

ある意味で「善人の死」を描いて「悲愴感」を演出するのは安易だと言えるのでございますが、それとわかっていても、ついグッと来てしまうのでございますよね。ある意味では「動物と子供には勝てない」というのと同じパターンでございます。

>『龍騎』最終回はにゃんと13ライダー全滅か!?と思いきやにゃんと「夢落ち」!!!
> 全員生き返っているんでちゅよ!!!にゃんかはぐらかされた気分でちゅね!!!

それはまた安易な……。
たしか『龍騎』の基本構想は「ライダー・バトルロイヤル」だったはず。全員生き返ったのでは、その構想にも反するのではございませんか?





( 以下は「言霊の呪縛(2)」につづく)


コズミックブル−スを聞きながら 投稿者:テクネチウム  投稿日: 2月 4日(火)19時40分13秒

☆ホランド様

>テクネチウムさまは「反論」や「擁護論」を語るようなタイプではないと思うのですが、>テクネチウムさま個人にとっての「サッカー」って、どういうものなのでしょう?

私の信条は「好き嫌いの範疇に理論はない」です。
議論をするときは真剣にやりたいので、なるべく客観的になれる内容でフェアな論戦をしたいと思います。某テレビの討論番組で、感情論に持ち込むのが武器である有名人、生卵でもぶつけてやりたいぐらいです。(もちろん大人の私は、そう思っているだけで、決行はしませんが)
 話が飛躍しましたが、ビ−トたけしの教訓に
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませるのは難しい」
と言うやつがありました。
私には痩せた馬を引くだけの力もなさそうです。
でもにんじんを投げたら、行ってくれるかなと・・・。
閑話休題、サッカ−は相棒が熱狂的なファンで、洗脳されました。
夜中に球蹴られたら大変ですからね。(笑)
付いていって一緒に見てみると、結構興奮するものですな。
大声出してストレス解消にもなるし、良いですよ!
「サッカ−論」一言にまとめれば「愛」でしょうか。

☆Keen様

>え?それ以外の何なの?テクネチウムさま……
>(座布団1枚、けっこうキビしいな〜☆精進します!/笑)

 ナンデダロ−、ナンデダロ−!
実はこれが、ギャグだったりして。
 座布団は、山田君が「1枚でいい」と主張したので、すいません。

>「阪神ファン」同様に、中には困ったちゃんもいるわけですが、

困ったことに私、静岡には希な「阪神ファン」です。
何と言われても、応援するぞ!


立春 投稿者:Keen  投稿日: 2月 4日(火)16時38分16秒

☆ホランドくん

今日はアーニャと病院へ行きました。発熱や化膿がなければ感染症の心配はないだろう、とのことです。一応、血液検査も受けて、白血球などの状態も調べてもらうことになりましたが、「ネコエイズ」の話、私は真面 目にしたのに、お医者様に笑われちゃったわよ〜☆

>『クレシェンド』のご感想、お待ちしています! ボクも最優先で読むつもりです。

現在1/3まで。早く続きが読みた〜いっ!竹本さんの作品には、いつも「これは、私のために書かれたモノだ!」って感じるところがあるんですけど、今回ほど強くそう思うことはありません(嬉泣)。
今日中に読んじゃったりして……時間さえ許せば、ね(^0^*

>いま気がついたんですが、「フォルクスラ−メン」って、まさか「フォルクスワーゲン」のダジャレだったんですか・・・?(^-^;)?

え?それ以外の何なの?テクネチウムさま……
(座布団1枚、けっこうキビしいな〜☆精進します!/笑)

>テクネチウムさまもサッカーファンなんですね。これでKeenさまに、「花園」でサッカーの話題が振れる相手が出来ました(笑)。

園主さまの気分を逆撫でしない程度に、抑えておくわね(笑)。ただ、

>勝った負けたといっては暴動を起こす

という部分だけは、ちょっと訂正させて下さい。ホランドくんの言葉通りなら「サッカーファン」と言えますが、いわゆる「フーリガン」というのは、ゲームの勝敗には関係なく、サッカーの熱狂を隠れ蓑にしただけの「ならず者集団」なのです。
つまり、「サッカーファン」にとっても、一緒にされたくない存在です。まあ、「阪神ファン」同様に、中には困ったちゃんもいるわけですが、世界中で社会問題化している「フーリガン」とは、分けて考えてもらいたいな、と思います。
中世以来の欧州の歴史的背景もあり、かつては「低所得者層のウサ晴らし」と言われてましたが、最近は、日常ではきちんとした職業についており、生活レベルも高いフーリガンが増えていて、事前の識別 が困難になっているそうです。
教養を身につけているはずの人たちの憂さ晴らしが「匿名の暴力」というのは……怖いですね。

こう書くと、すぐに「そういうのを呼び込んでしまうサッカーファンの体質自体に問題が……」と、園主さまが乗ってきそうですが(笑)、現状の私には、それに応戦できるだけの体力がありませんので、議論はご容赦下さいませ(ぺこり)。

☆楽古堂さま

多田智満子さんの訃報は、読売新聞には、すぐに載っていました。文面は失念してしまいましたが……
つい先日は窪田般彌さんの訃報もあり、仏文関係者が続いて、寂しいです。

>夜明けの歌 ―― 谷村新司「昴(すばる)」

これはもしかして、楽古堂さま流の「インターネットカラオケ」ではないですか?(笑)


……そろそろ、『<』の続きに戻りますね(^0^*


竹本健治『クレシェンド』が刊行!(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 3日(月)20時23分31秒


 ハムちゃまさま
> 『仮面ライダー555』

> そ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いえば、プロデューサーが『555』では
>「勧善懲悪」の要素を排除したいと言ってるそうでちゅが、わたちこれイヤでちゅね
>!!!全く!!!正義のヒーローが正義でなくなったらいったいなにをしろといい
>たいんでちょうね!!!プンプン!!!ヾ(●・э・●)ノノ

 「勧善懲悪」というのは「善を勧め、悪を懲らす」という意味ですから、やりようによっては「正義の主人公」を描きながらも「善を勧め、悪を懲らす」以上の内容を語ることはできると思います。だけど、それにはかなり高度なもの(脚本や演出)が要求されるように思います。

>『龍騎』最終回はにゃんと13ライダー全滅か!?と思いきやにゃんと
>「夢落ち」!!!全員生き返っているんでちゅよ!!!にゃんかはぐらかされた
> 気分でちゅね!!!

 普通にそれをやったら、みんな怒ると思うんだけど、どんな具合にやったのかな?


 Keenさま
> ただいま帰って参りました。ボチボチとですが、書き込み復帰できそうです。ネタだけは沢山あるんですけどねえ〜(苦笑)。

 おかえりなさ〜〜い! ネタがたくさん! 楽しみです!!

> アーニャは、左前足の腫れもひいてきて、大分いいようです。

 よかった(^-^)。最近はネコエイズっていうのも多いらしいから、アーニャには気をつけるようにお伝え下さいね。

>「フォルクスラ−メン」

 いま気がついたんですが、「フォルクスラ−メン」って、まさか「フォルクスワーゲン」のダジャレだったんですか・・・?(^-^;)?

 『クレシェンド』のご感想、お待ちしています! ボクも最優先で読むつもりです。


 テクネチウムさま
> 私はもちろんエスパルスの大ファンで、最近引退した、大榎選手が好きでした。

 テクネチウムさまもサッカーファンなんですね。これでKeenさまに、「花園」でサッカーの話題が振れる相手が出来ました(笑)。

> 不幸にして、アウェイチ−ムが勝ったりすれば、暴動が起こり、発煙筒は焚くは、卵は飛び交うわで、大変な騒ぎになります。
> Keen様、静岡にいらしたときは、是非お気をつけを。

 ところで、昨年のワールドカップ・サッカーは、ここ「花園」でも話題の的となりましたが、サッカーファンの賢ちゃんが「日本にもサッカーマインド(スピリット?)が根付いてもらいたい」というような主旨の書き込みをしたところ、サッカーファンではない園主さまが「勝った負けたといっては暴動を起こすようなサッカー先進国の実状を見る限り、日本に根付いて欲しいと願えるような、サッカーマインドなどといったものが実在するのか、はなはだ疑わしい」という厳しい異議申し立てをしたのは、まだ記憶に新しいところです。

 賢ちゃんは、これに対していずれきちんとした反論をという話でしたが、それはまだ実現しておりません。テクネチウムさまは「反論」や「擁護論」を語るようなタイプではないと思うのですが、テクネチウムさま個人にとっての「サッカー」って、どういうものなのでしょう?

> 私、40年ほど「梅干し」が食べられませんでした。ある日「スッパイマン」という
> 沖縄名産の、乾燥梅干しを口にして開眼。一転して好物になりました。
> これって関係ないか(笑)

 園主さまが、ある一文に接して、ある日突然「フジ産経扶桑社系の批評家」に好感を持つようになる、という可能性は、限りなくゼロに近いと思いますが、サッカーならそういう「転向」もあり得るんじゃないでしょうか?(笑)


 園主さま
> そろそろ映画『酔っぱらった馬の時間』に行かなければと思いつつ、ここんとこトテツもなく寒いんだよなあー(笑)。

 ホント寒い日が続きますよね。明日も寒いんだって。
 やっぱり明日はやめにして、『クレシェンド』を読むことにしましょう(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


竹本健治『クレシェンド』が刊行!(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月 3日(月)20時22分49秒

 みなさん、こんばんは! もう二月です。早いですねえー・・・(^-^;)。それに今日は「鬼は外、福は内」の節分です。ボクが「花園」の豆まきをしておきましょう。
  鬼は〜〜、そとッ!(パラパラパラッ!) 福は〜〜、うちッ!(パラパラパラッ!)
  鬼は〜〜、そとッ!(パラパラパラッ!) 福は〜〜、うちッ!(パラパラパラッ!)
・・・あれ、順番が逆だったかな?

 さて、お馴染み 竹本健治さんの新刊『クレシェンド』(集英社)がやっと刊行されたので、みなさんにご報告させていただきます。この本、驚いたことに函入り本でした。しかも装丁は横尾忠則。なかなか妖しくも美しい本に仕上がっていますよ。内容は、「言霊」をテーマとした、例によって一筋縄ではいきそうにない独自の恐怖小説・・・みたいな感じです、ボクの見たところ(笑)。まだ読んでないんで「感じ」だけなんですけど、横尾忠則の美しくも妖し気な装丁と相まって、ボクの期待はいやが上にも高まっています。ただ、難点としては、函入り本としたために定価が2500円と、かなり高くなってしまった点でした・・・(^-^;)。





 楽古堂主人さま
 矢継ぎ早のご投稿、ありがとうございます!

夜明けの歌 ―― 谷村新司「昴(すばる)」

 大胆な解釈にびっくりしました。しかも、そのイメージが、こないだ話題になった作家なんですから!

> 09・呼吸をすれば 胸の中
> 10・凩は 吠き続ける

> 「青白き頬」の理由がわかるところです。どうして「凩」が「吠き続ける」のは、主人公は肺を病んでいるのだと思います。肺病です。痰かからんでいます。ぜえぜえいっているのでしょう。昔の話です。いまのように、抗生物質のペニシリンによって治癒できる時代ではありません。癌のように死病であったことでしょう。

> 11・されど 我が胸は熱く
> 12・夢を 追い続けるなり

> 胸の中の熱気は、病気のためかもしれませんが、それを、主人公は自分の胸中の熱気と取りたいのです。なぜなら、彼は夢を追い続けているからです。古語です。「なり」は断定の助動詞です。

 特にここの解釈がすごいですよね。
 ボクなんかは、ごくオーソドックス『呼吸をすれば 胸の中 凩は 吠き続ける』は「生きようとすれば、心の中に、冷たい風が吹きすさぶ」ということで「生きることの孤独」を語っているのだと解釈し、『されど 我が胸は熱く 夢を 追い続けるなり』についても、素直に「けれども(孤独な歩みであったとしても)一方で、私の胸は、夢を追い掛け続けることに、熱く燃えているんだ」という風に理解してました。

 やっぱり、詩の読解には大胆さ、というのが必要なんですね。

旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子

 ボクは今まで多田智満子さんの作品を読んだことがなかったんですが、ここで紹介されている短歌二首、

  水烟は微光のごとく瀧壷をかこみて立てり夜のさいはて

  羊歯の闇に立ち現はれて寂かなり旅路の果ての幻の瀧

がとても気に入りました。

> 「旅路の果てのまぼろしの滝。微光の如く滝壷をかこむ水烟。それはむろん私の幻想の滝であり、私はこの世の旅のさいはてに、このような滝に到り着くことを夢想したのだ。決定的な墜落であり死であると同時に、その滝壷の底からたちのぼる微光を帯びた水烟によって、たしかな昇華と和解を暗示する、ひとつのイデア的な終焉の相 ― そしてまさにこの想像とそっくりの姿をした滝が、今、ここに現前しているのだ。夕闇の中、微光のごとき水烟に荘厳せられた、轟然たる静寂の相。」(多田智満子「此岸と彼岸 ― 青岸渡寺2」より、『古寺の甍』所収)

 『旅路の果て』の『幻の瀧』での、『(瀧壷への)墜落』である「死」。そして『その滝壷の底からたちのぼる微光を帯びた水烟』へと変容しての「昇華(昇天)」。
 あまりにも絵になる追悼文だと感心しました。・・・いいえ、まるで追悼文に引用されるために書かれた、短歌二首とエッセイであったかのように思えました。





( 以下は「竹本健治『クレシェンド』が刊行!(下)」につづく)


「旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子」(下) 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 2月 3日(月)17時30分48秒



 多田智満子のエッセー集『古寺の甍(こじのいらか)』(河出書房新社・昭和52年)に所収の「此岸と彼岸ー青岸渡寺2」は、次のように滝についての詩的なイマージュを書いている。
 那智山青岸渡寺は、熊野の観音信仰の中心地である。詩人は新緑の季節に、この寺を訪れた。そして那智の大滝に立つ。この時の感動を、美しい言葉で記している。

「滝は垂直に落下する。深山の濃い緑をくぐってきた谷川の水のすべてが、切り立った絶壁にそうて、一三三メートルの高みから瞬時も休むことなく落下しつづける。そして凄まじい速度の加わった大量 の水を受けとめて、滝壷は深くたぎり立ち、濛々と白い水烟にけぶり立つ。
 この水の普段の落下と、それに拮抗するが如き水烟の普段の上昇。」

 この感覚的で、官能的なまでに瑞々しい視覚型の感受が、瀧壷の水が瀬になって流れるように自然に、形而上学的な省察を喚起するところが、詩人多田満智子の特徴であったように思える。

「滝というものはただ下降の運動からのみ成り立っているのではない。大滝の轟々たる落下のエネルギーは、その一部を、軽やかに舞い上がる水烟と化することによって、ある種の昇華の観念を暗示している。」

 そうでありつつ、多田の観念は抽象の森の中に、貧弱になって痩せ細るということがなかった。夢想が飛翔する。

 「この壮大にして絶美な自然力の顕現。人を圧倒的に威圧しながら、同時に或る柔らかな、神秘的な夢想へと誘いこむ滝、これこそは太古からの聖なる熊野ー奥深い隈の地ーの中心の柱、そして信仰の要なのである。」

 そして、飛翔したままにはならない。それは、ある堅固な実体に帰還する。

「私はいま柱と書いた。滝を柱とはあるいは不適当と思われようが、しかし私にとってはこれは切実な比喩なのである。まっしぐらに落下する滝は、その不断の運動ゆえにかえって静的な一本の水の円柱となる。那智山においては、この大滝を心柱として、二の滝、三の滝以下四〇に余る滝が、大小様々の、そしてとりどりの様式の水柱を立てて、壮麗な大自然の番緑の神殿を支えている。」

 読者も、この「壮麗な大自然の番緑の神殿」を、心の目で見るだろう。視覚的な明晰なイメージである。LSDの服用によって、一輪の薔薇の花の中に宇宙を透視した詩人の目が、エッセーの中でも等しく生動している。熊野が一輪の巨大な緑の薔薇に変身している。すでに彼女の詩の一編を読んでいるようだ。多田のエッセーの楽しみである。

 夢想への飛翔は、現実に回帰する。

「瀧壷の近くにたたずんでいたとき、山はすでにたそがれて、あたりに人の気配は絶え、薄命をひき裂くようにして轟々ととどろき落ちる大瀧を、仄白い水烟が下からふんわりととりかこみ、すさまじい響きがふしぎと和らげられて、一種神秘的な静けささえ感じさせた。そして私は、とうとう来てしまったな、というめまいにも似た思いに捉えられて立ちつくしていた。」

 そのめまいの理由は、背後からの刺客の一太刀のようにいきなりであった。

「私はかつて自分の書斎の中で、こんな滝を見たことがあったからである。」

 あの二首の滝である。

水烟は微光のごとく瀧壷をかこみて立てり夜のさいはて
羊歯の闇に立ち現はれて寂かなり旅路の果ての幻の瀧

「旅路の果てのまぼろしの滝。微光の如く滝壷をかこむ水烟。それはむろん私の幻想の滝であり、私はこの世の旅のさいはてに、このような滝に到り着くことを夢想したのだ。決定的な墜落であり死であると同時に、その滝壷の底からたちのぼる微光を帯びた水烟によって、たしかな昇華と和解を暗示する、ひとつのイデア的な終焉の相ーそしてまさにこの想像とそっくりの姿をした滝が、今、ここに現前しているのだ。夕闇の中、微光のごとき水烟に荘厳せられた、轟然たる静寂の相。」

 多田は、すべてを書いてくれている。無駄な解釈はすまい。現実の彼方に永遠のイデアの相を透視した、詩人多田智満子は、二〇〇三年一月二十三日、肝不全のために七十二歳で永眠した。彼女の死の床に、この滝は顕現しただろうか。
 多田智満子は、かつて詩誌『饗宴』の同人であった。鷲巣繁男、高橋睦郎とともに、日本において詩は聖なる業と宣言した。三人の詩人の内の二人が他界した。形而上学と詩が、ひとつのものだった希有な実験は終わった。現在の高橋は、もうこの詩の気圏を去った。喪失感は深い。
 多田智満子の作品の内でも、もっとも愛するエッセーの文章と短歌二首を、個人の霊前に捧げて、言葉の花束とする。

 大内史夫拝。


  2003年2月2日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


「旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子」(上) 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 2月 3日(月)17時29分50秒


 多田智満子氏(以下敬称略)に一冊の歌集がある。「水烟」と名付ける。
 奥付を引用する。

「昭和五十年四月三十日 限定出版 神戸市生田區三宮町一丁目一番地 コーベブックス 北風一雄 刊行 印刷 創文社 製本 須川製本所」

 定価は、二千五百円。
 僕の手元にあるのは、限定五百部の内の「二百二十四番」である。たどたどしい印象のある紫色のペン字で書かれている。詩人本人の手によるものであろうか。サインはない。
 この白い書物の中で、紫色があるのは、他に歌集を開いての題名の部分だけである。細長くすらりとした書物である。白い箱から取り出すと、表紙は布の装幀である。白地に縦に青灰色の線が滝の水のように、流れ落ちているようである。
 番号が、滲まないようにするための配慮だろうか。「二百二十四」の上に、三センチ角程の小さなセロファン紙が乗せてある。和紙が、ぬ くもりのある、暖かい風合いを出している。
 文庫サイズぐらいの、周囲が裁断していない和紙も、一枚挟まれている。これが入っているものが、完本ということになるのだろう。古本の場合は失われていることがあると思うので、注意のために書いておく。引用しておこう。重要な文章だと思う。

「この一年間、ふと道草を食ふやうにして三十一文字をもてあそんでゐる積りで、じつは我々の祖先を代々支配した五七調の言霊に、手もなく自分がもてあそばれてゐるのに気がついた。
 彼に忠誠を尽すかぎり、他の形式に心を移すことは思ひもよらぬ。さればここに腰折れを集めたのは、この貧しい一本を以て専横な言霊への捧げ物とし、その支配圏からの無事脱出を願ってのことに他ならない。」

 言霊の支配を信じた詩人が、ここにいる。歌集の題名は、次の歌によるだろう。三十一文字の文語定型詩である短歌を書くことで、詩人は口語自由詩が書けなくなったのである。多田が、この支配圏を脱出したことは、その後の豊富な詩作から分かることである。

水烟は微光のごとく瀧壷をかこみて立てり夜のさいはて

 最後から二番目の歌である。水烟は、「すいえん」と読むだろう。初句の五音に合わせるからである。「みずけむり」ではない。
 ページをめくると、反歌のように次の歌がある。

羊歯の闇に立ち現はれて寂かなり旅路の果ての幻の瀧

 この「旅路の果ての幻の瀧」という言葉は、一読して僕の心に住み着いた。短歌の世界の旅路の果 てに辿り着いた、一首と限定する必要はあるまい。山歩きが好きだったので瀧に出会うと、この歌を反射的に思い出すようになった。なぜか、山の奥で水に出会わないと、物足りない印象が残る。有名な滝のスポットもいくつか歩いた。幾分かは、この歌のせいかもしれない。





( 以下は「「旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子」(下)」につづく)


追悼 多田智満子 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 2月 3日(月)17時21分11秒

園主様へ。皆様へ。
・ 旅路の果ての幻の滝・・・追悼 多田智満子を捧げます。

・ 多田智満子氏の訃報を、楽古堂は偶然のことから個人的に知りました。
・ 新聞などでの報道はあったのでしょうか。
・ 澁澤龍彦がそうであったように、暗闇の底で明晰を求めた精神の火の一つが、また消えていきました。


  2003年2月2日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


非Aの傀儡 投稿者:テクネチウム  投稿日: 2月 3日(月)15時04分29秒

☆Keen様

>「おっと、兄さん、殴り方が違ってるぜ。こうやるんだぜい」
> バゴン!(Wagon のドイツ語読み)

座布団1枚差し上げます。

>私、「今でもピクシー命」の名古屋グランパスサポーターでございます♪

静岡は一応サッカ−王国となっていまして。熱狂度は大変なものです。
道を行く小学生は、皆サッカ−ボ−ルを持ってますし、リフティングしながら通 学する子もいたりします。今はもう少なくなった空き地では、将来の中田英目指して球を蹴り続ける豆選手が練習してます。ファンの応援もものすごく、日本平スタジアムでは、天地が揺れるほどの応援歌が鳴り響きます。不幸にして、アウェイチ−ムが勝ったりすれば、暴動が起こり、発煙筒は焚くは、卵は飛び交うわで、大変な騒ぎになります。
Keen様、静岡にいらしたときは、是非お気をつけを。
こないだも、清水の飲み屋でエスパルスの悪口を言った茨城県人がフクロにされたとか。
(一部誇張された部分があります)
私はもちろんエスパルスの大ファンで、最近引退した、大榎選手が好きでした。
(渋いなあ)


☆園主様
>ともあれその当時から私は「フジ産経扶桑社系の批評家」とは、ほとんど生理的本能的>に敵対していたのでございます(笑)。

 私、40年ほど「梅干し」が食べられませんでした。ある日「スッパイマン」という
沖縄名産の、乾燥梅干しを口にして開眼。一転して好物になりました。
これって関係ないか(笑)

今、近くの「浅間神社」(せんげんじんじゃ)にて、節分のお祓いをしてきたところです。
これ変換を間違えると「拙文のお祓い」ですね。
桑原、桑原。



覚醒 投稿者:Keen  投稿日: 2月 2日(日)17時11分38秒

……深い眠りのさなか、遠くからギャグが聞こえてくる……
ああ、これはぜひとも私が突っ込まねば……目覚めの時が来たのか……


☆園主さまの母上さま

>ブッコロリ

「一本!」
見事な技でございます。ちゃんとアナグラムになってる辺り、さすがは園主さまのご母堂でいらっしゃる(尊敬)。
また、ご教示下さいませ。

☆テクネチウムさま

>「ドイツでは、国民がみんな食べてる有名なラ−メンがあるんだって」
>「知ってるかい?」
>「う−ん、わかんない−。な−に」
>「フォルクスラ−メン」
> バコン!(殴る音)


「おっと、兄さん、殴り方が違ってるぜ。こうやるんだぜい」
 バゴン!(Wagon のドイツ語読み)

……しっつれいしましたあ〜♪
でも、きっとそれで店名変更なさったんでしょうね。登録商標や著作権については、日本でも厳しくなってきましたから。

順序がギャグ、いえ、逆になりましたが、初めまして。私が「アーニャの実家」のKeenです。
日頃、園主さまとギャグの応酬をしてますので、つい茶々を入れたくなってしまいました。私たちの過去のやりとりは、全て「花園」の「バックログ」に納められてますが、何しろここは書き込みが膨大で……(笑)。気が向いたら、ご覧下さいませ。

ところで、静岡といえばサッカーどころ。テクネチウムさまは、いかがですか?
私、「今でもピクシー命」の名古屋グランパスサポーターでございます♪

☆ホランドくん&園主さま

ただいま帰って参りました。ボチボチとですが、書き込み復帰できそうです。ネタだけは沢山あるんですけどねえ〜(苦笑)。
アーニャは、左前足の腫れもひいてきて、大分いいようです。
「アリョーシャも案外『猫馬鹿』だったのね」なんて言ってましたわ(笑)。

>これで戦闘能力を身につければ、世界征服も夢ではないかも知れないなあー(笑)。

いえ、世界平和のためにこそ、天はアーニャに「戦闘能力」を与えなかったのでございましょう(笑)。

ハムちゃまの『555』評価がずいぶん厳しいようですが、私は今朝初めて見まして、あの懐かしの「スロー再生ライダーキック」に感動しました♪かつて少女時代、「仮面 ライダー1号&2号」の「Wバック宙返りライダーキック」にシビれてましたので……フフフ♪♪
この辺りの話題は、テクネチウムさまにも参戦して頂けそうですわね(^0^*

ではまた。


『555』・・・・・ 投稿者:ハムちゃま  投稿日: 2月 2日(日)09時06分38秒

はむは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
ハムちゃまでちゅよ!!!花ジョノの諸君お元気鐘!?

今『555』見終わったところなんでちゅがにゃんかむじゅかちい話でちゅねええ
えええええ〜〜〜〜〜江!!!勧善懲悪のシンプルなヒーローものを愛するわたち
としてはちょおおおおおおおおおお男おおおおおいただけまちぇん!!!

そ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いえば、プロデューサーが『555』では
「勧善懲悪」の要素を排除したいと言ってるそうでちゅが、わたちこれイヤでちゅね
!!!全く!!!正義のヒーローが正義でなくなったらいったいなにをしろといい
たいんでちょうね!!!プンプン!!!ヾ(●・э・●)ノノ

そんな『555』に対して『ハリケンジャー』は超盛り上がり!!!サンダールは
裏切るし、シュリケンジャーに続いてゴウライジャーまでにゃんと戦死!!!
わたちは味方キャラが簡単に戦死するにょは好きではにゃいんでちゅが、「戦い」
の「非情さ」を描くのには必要にゃのかも!?!?

☆園主様>『龍騎』最終回はにゃんと13ライダー全滅か!?と思いきやにゃんと
「夢落ち」!!!全員生き返っているんでちゅよ!!!にゃんかはぐらかされた気
分でちゅね!!!

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


「夜明けの歌 ―― 谷村新司「昴(すばる)」」をアップ。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 2月 2日(日)02時22分44秒

園主様へ。皆様へ。
・ 詩人多田智満子氏への追悼の思いをこめて、ひさしぶりの架空の詩の教室です。
・ 今晩は、谷村新司のを読みます。
・ 旧稿ですが、手を入れている時間がありませんでした。


  2003年2月1日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


ぼくたちにできること(3) 投稿者:園主  投稿日: 2月 2日(日)00時09分18秒


 テクネチウム さま
> そう言えば、思い出しました。私の投稿書評は「産経新聞」に出した物でした。
> 園主様は、十年来の愛読者だったのですか。

昔は「書評が毎日載っている」という理由で「産経新聞」を愛読いたしましたが、その「書評」のページに掲載されていた匿名批評「斜断機」欄の文章がしばしば癇にさわり、私は反論文を投稿(投書)いたしました。またそれが切っ掛けで「斜断機へ」という反論コーナーが出来、さらには「斜断機」は記名批評にもなりました(すでに「斜断機」は無くなりました)。
その当時に「産経新聞」をお読みでしたら、「田中幸一」の名を何度か目になさっているはずでございますよ。話題は主に文学に関することでございましたが、ともあれその当時から私は「フジ産経扶桑社系の批評家」とは、ほとんど生理的本能的に敵対していたのでございます(笑)。

> さて、私今年に入ってADSLを導入したばかりの初心者です。
> マナ−等について、可笑しいことがありましたら、
>(さりげなく)教えてください。

私は実地の体験を通して、身体で学んでまいりました。ですから、あまり一般 的でも無難なラインで構成されたものでもない「マナー」なのでございます(笑)。

> 自分はどの人種かなと鑑みる間に、
> 彼らは飛び立っていきました。

はずし方が絶妙でございますね(笑)。


 ブギーポップ・モコナ さま
> 【聖なるものと俗なるもの】に関しては、次のような意味合いで書きました。いわゆる本格ミステリの名探偵物では、探偵役と犯人役が互いに好敵手と認識されるくらい、聖なるもの(虚構的な特権階級的存在)同士でなければ、本格ミステリとして成立しません(高く評価されません)。その代表が、笠井さんの矢吹駆シリーズですね。

なるほど、よくわかりました。

では、例えば高村 薫の『黄金を抱いて跳べ』『神の火』『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)などの冒険小説は、言わば「俗VS俗」を描いた作品だと言えると思うのでございますが、このあたりの作品はどう読まれますでしょうか?

> 例外は、ベクトルが聖なるものと逆方向に働いた、狂気の(非日常的な狂人の論理による)犯罪だけでしょう。

私が上の例に『マークスの山』(講談社文庫)を挙げなかったのは、犯人の設定に「狂気」の問題が絡んでいたからでございます。
宗教学や民俗学が示すとおり、「狂気」は「聖なるもの」に近い。なぜならば「神憑かり」とは、まさに「特権的な聖なる状態」である一方、今風に言えば「狂気」だからございます。

……では、なぜモコナさまは「聖なるもの」に惹かれるのでございましょう?

> ●『網状言論F改』は、大部分が講演と鼎談の文章のため、全体的に薄味というか、論旨が漠然すぎるように感じられました。第三部の二人の批評は、それなりにまとめられていましたけど……。読了後に、東さんのサイトに初めて寄り、本書のきっかけとなったウェブ版の討議「網状言論」を読むことで、ようやく納得できました。ウェブ版が問題提起編で、本書はその討議を補足、総括した続編みたいなものだったのですね。ウェブ版の方が濃い味というか、読み応えがありました。

そうでございますか。私も、本を読んでみて興味が持てれば、ウェブ版の方も読んでみましょう。

> ホントに『少女革命ウテナ』って、深読み可能な奥の深いアニメ作品です。

私も気にはなっている作品でございますが、一括でビデオを借りる機会でもなければ、たぶん見ることはございませんでしょう。『新世紀エヴァンゲリオン』も、同人誌に原稿を書かせるために、友人がビデオを送ってくれたから見れたのでございます。
……ただ、『ウテナ』で引っ掛かるのは、その「露骨に深読みを誘う、思わせぶりな作り」でございます。あれを下手に深読みするのは、いかにも制作者の思う壷にはまるようで、イヤなのでございます。へそ曲がりの私ならば、この場合に限り、できるだけ「表層批評」に努めることでございましょう。


 楽古堂主人 さま
> 多田智満子さん逝去

澁澤龍彦前後の文学者が亡くなっていき、ずいぶん寂しいものを感じます。多田智満子さまは、その著書『鏡のテオリヤ』や翻訳書など何冊か所蔵しておりますが、まだ一冊も読んではおりませんでした。

謹んでご冥福をお祈りしたいと存じます。


 ホランド
そろそろ映画『酔っぱらった馬の時間』に行かなければと思いつつ、ここんとこトテツもなく寒いんだよなあー(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


ぼくたちにできること(2) 投稿者:園主  投稿日: 2月 2日(日)00時08分26秒


さて、通り魔などの犯行によって、家族を傷つけられたり殺された者にとって、犯人は殺しても飽き足りない「憎悪の対象」でございましょう。これは感情的には当然のことだと存じますから、彼らが犯人ヘの「報復的厳罰」を望むのもまた、やむを得ないところだと存じます。しかし、実際に人を裁く立場にある者は、そういう個人的な「憎悪」の「感情」で人を裁いてはならないというのも、また「理の当然」でございましょう。「9.11」の被害者遺族がビンラーディンだけではなく、当たり前に平和的なイスラム教徒そのものを憎んで「復讐」を望んだり、アメリカの空爆で家族を失ったアフガニスタン人が、アメリカ人をそっくり憎んで「復讐」を望んだりするのも、「感情」的には理解できるものの、それは決して「論理的正論」でもなければ「政治上の正論」でもございません。「憎悪の感情」にまかせて「力」で相手を捩じ伏せようとすれば、そこに現出するのは非人間的な「弱肉強食の世界」、つまりアメリカのような軍事大国が望む「非理性的な絶対暴力の世界」でございましょう。
しかし、日本も協力(参戦)を表明している、アメリカによる「イラク攻撃」は、すでに眼前に差し迫っております。ところが、『イラクの小さな橋を渡って』の「あとがき」で、池澤夏樹が『北朝鮮問題に比べるとイラクについて日本の感心は低いようだ。』と書いているとおり、日本のマスコミ報道は、ほぼ「北朝鮮問題」一色と言ってよい状態にあり、「イラク攻撃」の重大性は実質的に看過されたかたちとなっております。
たしかに「北朝鮮問題」は「日本人が被害者」となった事件であり、「イラク人が被害者」となるであろう「イラク攻撃」よりは「他人事ではない(身近な)事件」だと考える人も少なくございませんでしょう。しかし、「イラク攻撃」では「日本人が被害者」にはならなくとも「日本人が加害者」になるのだという事実を忘れてはなりません。つまり、今のマスコミ報道に代表される大半の日本人は、「日本人が被害者」となる「北朝鮮問題」には興味を持っても、「日本人が加害者」となる「イラク攻撃」には痛痒を感じない、いたって「愛国的な人種」と成り果 てているということなのでございます。

北朝鮮による拉致被害者家族の中には、「北朝鮮の実態を知っているのは、家族を誘拐されて長年苦しんだ我々だけだ」という確信からか、これまで北朝鮮との平和外交を進めてきた人々を弾劾する動きも出てきております。たしかに、北朝鮮は「平和で友好的な国」ではなく「何をするかわからない危険な国」だとは申せましょう。しかし、それは何も北朝鮮だけではございません。あえて申しますが、アメリカが世界中でやってきた殺人を含む残虐行為に比較すれば、北朝鮮のそれなど比較の対象にならないほど微々たるものでございますし、アメリカがイラクを攻撃すれば、間違いなく北朝鮮による日本人拉致被害者の数万、数十万倍の被害者が出るのでございます。そういう「現実」を踏まえた上で、一部の北朝鮮拉致被害者家族 は「平和外交」の努力を非難するのでございましょうか? アメリカの言う『悪の枢軸』という表現を追認し、「イラク攻撃」への日本の参戦を黙認するのでございましょうか?

私は、事件被害者およびその家族の経験してきた苦しみをわかるとは申しませんが、他人の苦しみを十全にわからないのは誰しも同じことだからこそ、私たちは他人の苦しみを想像して、できる限りそうした「不幸」を減らす方向で努力しなくてはならないはずなのでございます。言うまでもなく、日本は先の戦争で朝鮮半島を蹂躙し、多くの人を殺しております。その彼らが「憎悪」による「報復」を正当なものと考えるならば、「日本人拉致」など犯罪として認識されないであろうことは、容易に想像できることなのでございます。ですからこそ、そうした「憎悪」による「報復」を正当化する感情は、誰よりもその「報復」の苦しみを体験させられてきた被害者やその家族が否定すべきものなのだと存じます。私たちは断じて、「日本と北朝鮮」の関係を「イスラエルとパレスチナ」のそれ(復讐の連鎖)と同様のものにしてはならないのでございます。もちろん、北朝鮮による拉致事件の真相は、徹底的に究明されねばなりません。しかし、それは「復讐」のためのものではなく、両国国民の「平和」な未来を実現するための努力でなければならないのでございます。

北朝鮮の「謀略国家」性を批判するのならば、我々はそれ以上に悪質強力な「謀略国家」アメリカを批判すべきでございましょうし、そのアメリカの子分である「わが祖国 日本」を批判すべきでございましょう。それが「真の矜持ある愛国者」のなすべきことであると、私は考えるのでございます。





( 以下は「ぼくたちにできること(3)」につづく)


ぼくたちにできること(1) 投稿者:園主  投稿日: 2月 2日(日)00時07分41秒

みなさま、私、ここのところ「反アメリカ」「反ナショナリズム」にかかわりのある本を、次々と購入しております。少々値のはるものもございますが、面 白そうな本ばかりですので、みなさまにもご紹介いたしましょう。

まずは、ご存じチョムスキー『グローバリズムは世界を破壊する プロパガンダと民意』(明石書店)

チョムスキーが『ひたむきで高潔な活動家イクバールは、すべての中道にいた。……彼は革命と帝国主義の研究家だった。それもとびぬ けて有能な。』と賛辞を贈り、E・サイードが序文を寄せている、イクバール・アフマドの発言集『帝国との対決』(太田出版)

ここ4年間の時事評論を集成したイマニュエル・ウォーラースティン『時代の転換点に立つ』(藤原書店)

ナショナリズム研究の新古典とも評されるベネディクト・アンダーソン増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版)

ナショナリズム論を一望するのに便利な『ナショナリズム論の名著50』(大澤真幸 編・平凡社)

また異色を放つものとしては「陸軍に不戦工作を仕掛けた男・浅原健三の生涯」を描いたノンフィクション『反逆の獅子』(桐山桂一・角川書店)。以下に、帯の内容紹介文を引用しておきましょう。
『天才戦略家・石原莞爾への接近、政権奪取五カ年計画、東条英機暗殺計画への関与……。日中戦争前夜。生粋の社会主義者でありながら陸軍に潜入し、首脳達を掌握していった男・浅原健三。その狙いは、全面 戦争阻止にむけた想像を絶する不戦工作であった。そして石原と共に目論んだ、幻の満州領土一部返還計画の真実とは? 戦後は政財界の黒幕として暗躍しつつ、一貫して日中親善に尽くした男の破天荒な生涯を描いたノンフィクション大作。』

そして、最後にみなさまにご紹介したいのが、坂本龍一が『ここにイラクの人々の暮らしがある。ぼくたちと同じ普通 の人間の暮らしが。』という帯文を寄せている、池澤夏樹(文)・本橋成一(写 真)による『イラクの小さな橋を渡って』(光文社)でございます。石油資源豊かなイラクに対し『悪の枢軸』という幼稚なレッテルを貼り、今しも「アフガン空爆の再演」をしようとしているアメリカと、その同盟国 日本の現実を前にして、静かに「爆弾はこの人たちの上に降り注がれるのです」と訴え、抽象的な「悪」ではなく「普通 の人々が平和に暮らしている国」としてのイラクの「顔」を取り戻そうとした、これはそういう本だと申せましょう。
推薦文を寄せた坂本龍一は「アフガン空爆」前夜に『非戦』(幻冬社)を訴えた音楽家であり、文章の池澤夏樹は「9.11」以降、世界の状況についての思索をつづるメールマガジン新世紀へようこそ(『彼らには武器がある。僕たちには言葉がある。』単行本版『新世紀へようこそ』帯文)を発行し続けている作家であり、写 真の本橋成一はチェルノブイリ原発事故で放射能汚染された村に住み続ける村人たちの生活を記録した映画『アレクセイと泉』で世界の注目を浴びた写 真家であり映画監督でございます。
この三人が協力して刊行したこの本は、87ページと小冊子ではあるものの、本橋の写 真が多数収録された四六版上製のとても美しい単行本でありながら定価は(952円+税)と押さえられており、多くの人に手に取って欲しいという三人の願いが、ひしひしと伝わるものとなっております。ですから、あえて「買って下さい」とは申しません。ぜひ書店頭で「立ち読みしてください」まし。それが面 倒であれば、本橋の写真を眺めるだけでもかまいません。
……こうみなさまにお薦めすることを、三人はきっと歓迎してくれることでございましょう(※「INFORMATION]」参照)





( 以下は「ぼくたちにできること(2)」につづく)


ラ−メンウォ−ズ 完結編 投稿者:テクネチウム  投稿日: 2月 1日(土)21時07分00秒

前回までのあらすじ 

「ニンニクげんこつ」を武器に、世界制覇をもくろむラ−メン花月。
迎え撃つわが「たこ八」軍団だが、
先鋒「麻」「川ちゃん」は、玉砕。
続く「沖」「杉」も序盤の優勢を持ち堪えられず敗退寸前。
絶体絶命の沖ソロに、天の救いが!

 「俺のに チャ−シュ−が入ってない!!」
起死回生の、一打が出たのだ。

 「これ、お女中 ちと こちらへ」
 「お客様、何でございましょうか」
 「つかぬ事を伺うが、みどもの連れがおかしな事を 申してな」
 「さて、おかしな事とは」
 「なに大したことではない。もそっと近う寄れ」
 「はい」
 「ほれ、このみそラ−メン、
確かに大きなチャ−シュ−が2枚入っておる」
 「はい」
 「しかるにじゃ、此方の丼にはノリが大盛り。」
 「どっかんノリの、トッピングにございます」
 「分かっておるわ。じゃがのう、これ、この通り肝心のチャ−シュ−が
い、一枚も見当たらぬのじゃ」
 「ま、まことにございますか」
 青ざめる店員。かさに掛かって攻め込む悪代官。
 「まさか ラ−メンの命 チャ−シュ−を忘れるとは。
天下のラ−メン花月ともあろう者が、そんな事をするはずがない」
 「ええ」
 「お主の勘違いじゃ、もちっと良く探せと、先ほどから諭しておる」
 「しかし」
 「探しても、探しても、一向に見つからんのじゃ」
 「さようで」
 「探し疲れて、麺が伸び の−び。え−気色悪いわ!」
 「し、しばらくお待ち下さい」
慌てて、調理場に駆け込む女店員。ふんぞり返る悪代官。
ラ−メン花月最後は近いぞ。
 その時 仲裁に出てきた店長は、高島弟そっくりの好青年。
 「お客様、申し訳ございません」
悪代官が、黙って突き出す袖の中に、
 「これをお納め下さい」
と、おずおず差し出す 山吹色の物が3つ。
 「おおっ、こ これは」
 「お詫びのチャ−シュ−でございます」
 「い、一枚多いぞ。しかもメンマが大盛り」
 「今後とも、花月をよろしく」
 「う−ん、お主も悪よのう」 
 「は、は、は、は 」

 と言うわけで、一件落着でした。
暇な方は、一度行ってみてね。

 


多田智満子さん逝去 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 2月 1日(土)12時26分35秒

皆様へ。
 詩人で、マルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』や『火』、マルセル・シュオブの『少年十字軍』などの、端正で高雅な翻訳を残された多田智満子さんが、1月23日、肝不全のためなくなられました。72歳でした。謹んで哀悼の意を表します。楽古堂主人・大内史夫拝


  2003年1月31日(金)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html



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