●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年4月中旬(2)
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あら? 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月20日(日)23時49分50秒

84000ゲットしちゃったわ♪
ホランドくん、♪猫ふんじゃった♪とか歌わないよ〜に!

『バーディ』のDVD、2年前に出てるみたいってご報告しようとしただけなんだけど。
Keenさまの義弟・鷹里さまの掲示板に連載中の小説に、なんだか私も出演してるらしいのよねー。どんな役どころかしらね?

それでは皆さま、お休みなさい。
にゃあ〜♪



クレシェンドノートについて(2) 投稿者:杉澤鷹里  投稿日: 4月20日(日)21時38分10秒

☆楽古堂主人
クレシェンドノートについて、の続きです。
したがって、引き続き
『クレシェンド』ネタバレ警報
発しときます。

>36・ 「衣裳も身につけた飾りものも、すっかり乱れきっていた。」(369ページ)
 現代のアメノウヅメの清冽なエロティシズム。

「清冽」であることに、私は物足りなさを感じました。アメノウヅメとして、アマテラスを引きずり出す、というその過程の緻密な描写 こそが、物語終盤の最大級に重要なシーンのはずだった、と思うのです。また、そのようなことをやってのけてしまうところも、竹本健治という小説家の魅力だと私は感じていたのでした。
 ですから、否が応にも私の期待は高まったのですが、この清楚なかんじの描写 には正直肩透かしを食いました。
 ……満たされなかった期待は、自分で勝手に充足してしまおう、という罰当たりな思いはあります。

 今日は、[天狗]についての考察を投稿しようと思ったのですが、さんざん苦吟したうえ結局ものになりませんでした。
 申し訳ありませんが、まだつづきます。次は来週日曜日かそれ以降になりそうです。

☆アレクセイさま、ホランドさま、AOIさま、皆さま
 宿題を頂いていますが、その解答はまた後ほどいたしたいと思います。

http://www4.rocketbbs.com/141/ouro.html


追加情報 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月19日(土)17時00分28秒

映画の原作を見つけたわ。

★ウィリアム・スタイロン『ソフィーの選択』上・下巻(新潮文庫/絶版)

1991年10月の発行になってるけど……古書店でどうぞ(苦笑)。
私は原作は読んでないので、コメントできません。情報のみです。

それと、新聞の「集英社新書・4月の新刊」の広告にも、面白そうなタイトルがあるわね。

★ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』鈴木主税=訳

もうとっくに話題に出てたかしら?「辺見庸氏によるインタビューも収録」ですって。

★東 浩紀/笠井 潔『動物化する世界の中で』

これは、新書になったってことなの?以前、アリョーシャが書いてたような気がするんだけど。
bk1の書評では「笠井さんは押され気味で分が悪い」って書いてあって、悪いけど、笑っちゃったわ。

これらも、「広告」のご紹介のみですので、あしからず。

で、私が自信を持ってお薦めするのが、

☆アラン・パーカー監督『バーディ』('84)

二人のベトナム帰還兵に、若き日のニコラス・ケイジ&マシュー・モディン。音楽はピーター・ガブリエル♪
以前、AOIさまとKeenさまの話題に出てた作品よ。

戦場で被弾し、顔を無くした(包帯グルグル巻き)青年・アル(ケイジ)と、激戦地から正気を失って帰されてきた、アルの幼なじみの青年(モディン)の、精神病院での再会。医師は知らないが、彼のニックネームは「バーディ」。今風に言うと「鳥フェチの引きこもり少年」だった彼の姿を見て、アルはすぐに理解する。「おまえ、鳥になったつもりなんだろ?」
カットバックで挿入される二人の少年時代のエピソードは、可愛くて楽しいけど、なんとかバーディを現実に連れ戻そうとするアル、衝撃も鮮やかなラストシーン、……泣けます。

バーディがなぜ兵隊に行ったか、などは語られてないけれど、もし、賢ちゃんがバーディみたいになったら、アリョーシャは絶対にアルになるんだろうなあ、と思うわ。
ただし、やり方は全然違うでしょうね〜☆(わかる人だけ笑ってね)

Keenさまはサントラだけ持ってるけど、DVDが出てるなら欲しいって言ってるわ。
よろしかったら、こちらもどうぞ。
(※この映画は、「ゲイ」でも「やおい」でもありません。)


煽ることとは。 投稿者:ino  投稿日: 4月19日(土)13時33分21秒

園主様

>>質問させていただきますが園主様を煽ったのはどのようなお方でしたか。

これは、4月3日(木)01時の「過去・現在・未来(6)にあります、

>ですが、問題は『池田氏が事実それほど優れた人であるのならば、会員の多くは放っておいても池田氏を「師と仰ぐ」はずなのに、なぜ学会組織はそれをあえて煽るのか』ということでございます。もちろん例外はございましょうが、元来「師」とは他人が強制して持たせるものではございませんから、組織をあげて「師弟の信心」「池田先生が我らの師匠」などと、「洗脳」と言われても仕方のないくらいいに・・・・・・・・・・・・・・・言われてしまうのでございます。

というところです。教えていただけると幸いです。


Re.浦島太郎(1) 投稿者:ino  投稿日: 4月19日(土)13時14分03秒

ホランドさま
先日は「歓喜」したと一言で済ませて申し訳ありませんでした。
追記すれば、その内的体験後は人を肯定的にみることができるようになりました。

>最初に出会った宗教が創価学会ではなくそっちの方だったら、inoさんはその「体験」でその宗教を信じちゃうということになるんじゃないでしょうか?

 私の最初の宗教体験は学生時代にわずらった「仮性精神分裂症(今だったら仮性統合失調症)」〜(そう医者は診断書を書きました)を実家の曼荼羅(大聖人の遺言を守らなかった五老僧〜大聖人のご遺言は、本尊以外をまつったり祈ったりしてはいけないということだったのに大聖人が亡くなってすぐ師匠のその禁を破った、日興上人以外の五人の老僧、その流れを汲む曼荼羅=謗法)に南無妙法蓮華経と唱えて(非常に気持ちがよくて)たった1ケ月で治したことです。(といっても本当は故郷の自然が癒してくれたのかもしれません)
 ただ実家に祈る対象があったのでやってみたのです。復学後も強迫神経症、パニック障害etc.・・・。親身になって支えてくれる友人がいたのに、なんでこんなに心を病むのかといつも思っていました。今も病休、うつですが、うつ以外の症状は入会後全くありません。
 信仰を受け入れる=創価学会に入会するということは、かなりの抵抗がありましたよ。前にも書いたと思いますが、もともと一人でいるのが好きなたちみたいですが、学会の人たちとお題目を唱えると気持ちが落ち着きました。
 最終結論は自分で出しました。
 宗教を意識し始めたのはたぶんパニック障害のとき、死を強く意識したこと、仮性統合失調のとき無意識の世界と宇宙を意識したことがきっかけでユング心理学と生命潮流(ライアル・ワトソン〜工作舎)を読んだことと私の中では繋がっています。
 桐山靖雄に入れ込んで、密教に興味を持ったこともありましたが胡散臭いのでやめました。何で人が飛ぶのがそんなにすごいのか、大いに疑問でした。チベット仏教に関連したバルド・ソドルも読みましたが、死んでからのことをこんなに解説することにどんな意味があるのか疑問でした。
 目に見えない世界の価値を認めることができると思ったのはシュルレアリスムでした。日蓮仏法知るまでは、私の心を占めていたのは、マックス・エルンスト、アンドレ・ブルトン、アントナン・アルトー、ロベール・デスノスなどの詩人、画家たちでした。
 でも内宇宙と外界の通低に限界のようなものを感じていました。
 そんな時、創価学会のことを聞いた訳です。
 自分なりに検証はしたつもりです。

 宗教の話はいつもだと苦しい(趣意)とのことでしたので、今度は私の好きなギターのことを書きます。


Re.人間としての「弱さ」(4) 投稿者:ino  投稿日: 4月19日(土)07時52分37秒

コメント有難うございました。

>貴方さまは「信じている」「信じている」と言いながらじつは心のどこかで「疑っている」のではございませんか?

>「もしも、徹底して追及したら」・・・・大聖人の仏法や池田氏が「ボロを出してしまうんじゃないか」と。

おっしゃるとおりかもしれません。なぜなら、私は教義をとことん学習・追及したり、分からないところを分かるように努力したりすることを怠っていることを否めないからです。しかし今までの経験では、大聖人仏法は天台の理論とは違い、人間を深く追求し、人間の幸福=衆生の幸福のための教義であり実践論であることは間違いないと思っています。なぜなら一切衆生は仏だという法門なのですから。
 池田SGI会長は、それをわかりやすく会員に教え、実践の方法を示します。「病魔に負けるな 使命に徹すれば 健病不二だ」という言葉(この健病不二という表現は最近の言葉ですが、私のようなものには、希望の言葉なのです)が最近聖教新聞に載りました。それはともかく、SGI会長の思想・哲学を十分学んだとは思っていません。根が怠惰なのでしょう。そういう意味では当に私自身の「人間としての弱さ」を認めます。
 ただし、SGI会長の指導を疑いなく実践し、境涯革命をした人が数多くいることは否めない事実です。信・行・学の実践にも浅深があるのは確かなようです。貴殿がおっしゃるよう「ボロを出してしまうんじゃないか」と恐れているのではなく、浅はかな私の信心は大聖人の仏法、池田先生の大聖人の仏法を基盤にした思想・哲学からみるとひよこのさんぽであろうということです。

>どうして「イラク戦争」を支持するような「公明党」が生まれたのでしょう。それを支持するような「創価学会」になったのでしょう?その結果 「大聖人の仏法」に泥を塗るようなことになったのでしょう?

この歯軋りするような問題は、批判はしても加瀬みきのせいにするわけにはいきません。畢竟私たち学会員の打ち出しを待って行動するといった、組織依存の体質に、一つ原因があると思います。なぜ公明党は新決議を支持したのかなぜ・なぜ・と思いながら何もできなかった姿がひとつ。先生のつくられた公明党が悪いことをするはずがないという支持者の心情が二つめ、政教分離で平和思想=大聖人仏法の平和思想を党が吸収できないという体制、神崎代表とSGI会長が会うだけで大問題にする世論が三つめ、一番は怒りを忘れた、怒りを表現できなかった私(たち)の弱さでしょう。付け加えればアメリカの言った戦争の大義「イラクの大量 破壊兵器」デマ(現時点で敢えて言います)に踊らされた公明党執行部の心根。
 この問いは、よろしければ継続してアレクセイさんのご意見を伺いたいです。


人間としての「弱さ」(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)03時04分18秒


 AOI さま
> あれは、なっちから賢ちゃんへのメッセージなのです。
> AOIはいたこのおばばにすぎません。
> 「RE:・・・」って、機種依存文字?「RE:ゥゥゥ」になってしまいました。

この文脈から推しますに、この奇妙な「障害」は、「霊的」な現象ではないかと存じます。つまり「RE」というのは「返信」の「RE」ではなく、あの世から帰ってきたの「RE」、霊魂(REIKON)の「RE」ではございませんでしょうか……。


 アーニャ
> もちろん、断然、『ソフィの選択』よ!
> レベル、じゃあないわね……そう、ステージが違うわ。
> テニスとサッカーで相撲はとれないもの(笑)。

まあ、私の「想定」は、「逃げ」の余地を与えないように、徹底して「即物的」に作られているからな。小学生にドストエフスキーをあたえても無駄 になってしまうということだ(笑)。

> ナチスの強制収容所に関わる話だから、アリョーシャも観た方がいいと思うわよ。

『ソフィの選択』は、賢ちゃんも観たんだろ。彼はそこから何も学ばなかったのかな? 一緒に行った彼女の方に気が取られて映画に身が入らなかったとか、もっぱら心理ホラーとして楽しんでしまったとか?(笑)

ま、ともあれ『ソフィの選択』は、ぜひ見よう。


 ホランド
というわけで、近いうちに『ソフィの選択』を観よう。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


人間としての「弱さ」(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)03時03分27秒


 賢ちゃん (つづき)

どうして、そんなつまらない意地を張る? 「無知」を認めることは恥ではないが、その見苦しい意地の張り方は、十分に恥だぞ。

君の事だから、自分が「戦争(殺し合い)」を支持したという切っ掛けをすっかり忘れて、さも自分が「殺すか、殺さないか」の二者択一を迫られ、それでも「殺さない」方を選んでいるつもりになっているのかも知れないが、事実はその逆だ。
君は「戦争(殺し合い)」を支持したという段階で、すでに「殺す」方を選んでるんだよ。ただ、その自覚が無さそうだから、私やAOIさんは「君は自分の選択の意味がわかっているのか?」と問うているんだよ。

いいかい、「殺してはならない」「殺さない」という選択をしたのは、「戦争を容認してはいけない。戦争には断固反対する」と声をあげた私やAOIさんであって、「戦争(殺し合い)」を支持した君ではないんだ。そのことを忘れてはいけない。
君は「戦争(殺し合い)」を支持した責任において、「最悪の場合」をも引き受けなければならない義務を負ったんだよ。

だから君は「決して人殺しをしないヒーロー」なんかではない。勘違いしてもらっては困る。君の「戦争」支持が意味するのは、君が「殺してもよい」という主張をしたということだ。ただ「自分の手だけは汚したくない」というものすごく身勝手な注文を、後になってつけた、というだけのことだ。

もしかすると君は、自分を『エクソシスト』の「カラス神父」に擬しているんじゃないか? そして「悪魔」から「殺せ」「殺せ」と、これでもかこれでもかの「イメージ攻撃(=殺人への誘惑)」を受けていると。……だとしたら、とんだ思い違いだぞ。君は遠の昔に「殺す」ことを支持している人間なんだ。ただ、それを都合よく忘れている人間なんだ。
君がそんな具合に、自分の「殺人容認という選択」を忘れて、筋違いにも自分を「絶対に人殺しをしない、勇気ある男」と勘違いしているから、私は「事実」を知らしめてやろうとしているわけだ。

つまり、君は「カラス神父」なんかじゃない。君は「ベラスコ」だよ。そう『ヘルハウス(地獄の家)』の「吼える巨人」。だが、その実体は、「劣等感」に苛まれて、筋違いに人を怨んで死んだ、ひねこびた「小人」……それが、ベラスコの正体だ。

君は「巨人」なんかじゃない。君は「ヒーロー」なんかじゃない。君は、自分につまらない「意地」のために、愛すべき「なっち」が辱めれれても良いと言った男なんだぞ。……自分の本当の姿を見るんだ。そこからしか、あるべき自分との和解の道はない。

反省は何度やっても恥ではない。だが、恥ずべきことを恥じないのは、たった一度でも恥なんだ。そこのところをよく考えるんだ。





( 以下は「人間としての「弱さ」(7)」につづく)


人間としての「弱さ」(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)03時02分34秒


 賢ちゃん
> これで良いんだな!?

> 1.女神を見(半)殺しにする。なぶり(半)殺しにすることを容認する。
> 2.女神が強姦され弄ばれるのを、何度でも見守ります。

ちゃんと最後まで読んでるか? ほかにもたくさん質問があったはずだぞ。「有耶無耶」にしないと言ったんじゃないのか? この程度の約束も守れないんじゃ、君の「絶対に殺さない」なんて言葉、信じろという方が無理だろう? 逐一、反論してもらわなくては困るな。

ともあれ「開きなおり」というのは「思考を放棄する(投げ出す)」ということだから、これも「現実逃避」の一種だということを知っておくべきだろうな。

> これで良いんだな!?

勘違いしてないか? この二つの回答を選んだのは、「君」なんだぞ。つまり、

> これで良いんだな!?

と問うのは、私の方だ。……そうやって自分の「選択」を、人に強いられたかのように「言い訳」するのは、そろそろやめた方がいいぞ。見苦しいだけだ。

いいか。君は、アメリカによる「イラク攻撃」を支持したんだ。それを自分で選んだんだ。
で、私やAOIさんは「イラクの人の立場になって考えてみろ。戦争とは、人が殺し殺されする事なんだぞ。君は、それを容認するのか?(私たちは人殺しはしたくないから、戦争に反対するんだ)」と言ったら君は、脳天気にも「私は人殺しはしたくないから、戦争には行かない。逃げる。逃げられなきゃ自殺する」なんてことを言うから、「じゃあ、人質を取られたらどうするんだ」って話になったんじゃないか。

つまり、君が選んだのは、「最悪の場合」『女神を見(半)殺しにする。なぶり(半)殺しにすることを容認』したり『女神が強姦され弄ばれるのを、何度でも見守』ることになってもいいから、「戦争を支持する」「戦争には反対しない」ということだったんだ。わかるか? 憶えているか?

つまり、君はその「無知な頭」と「怠惰な生き方」を守るためなら、「女神を犠牲にしてもいい」と言ってるんだ。言い換えれば、君が「女神」さまに捧げていると自称している「父親のような愛」とは、その程度のものだということだ。つまり「嘘っぱち」だということだよ。
だが、本当に、

> これで良いんだな!?

なにも私は、彼女を「父親のような愛」で慈しめと言ってるんじゃない。しかし、か弱い女の子に悲惨な眼を見させることが万が一にもないように、君も現実を直視して、戦争をやめさせる努力を、ちょっとくらいしても良いんじゃないか、と言ってるんだ。もともと君に派手な運動なんて期待してはいない。君ができるところからすればいい。だが、それをするためには、まずその気にならなければならないんだ。

結局、君は、自分の(戦時下での最悪な場合も想定できないという)「無知」を認めることができず、幼稚くさい「意地」の張り方をして、自分の大切に思っている人を、心の中で「売り飛ばす」にいたったというわけだ。





( 以下は「人間としての「弱さ」(6)」につづく)


人間としての「弱さ」(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)03時01分21秒


 ino さま
> すたれきって、軍部に魂を売った宗門、戦後その宗門を守ったのは二代、三代会長でした。創価学会の出現は、日蓮仏法を民衆のものにしました。初代会長を師として大聖人仏法を実践した人々がいました。二代会長を師と仰ぎ75万世帯の広布を共戦した人々がいました。三代会長を師と仰ぎ広布に励む人々が世界にいます。創価学会の出現がなかったら日蓮大聖人の御遺命である「広宣流布」は夢物語で終わったのではないでしょうか。その指揮をとったのが三代会長です。そこに集った人々は師弟の信心をしました。これはおかしいこと、もしくは間違ったこととお思いですか。

では、お尋ねしましょう。貴方さまがここに書かれていること「これがすべて」ならば、どうして「イラク戦争」を支持するような「公明党」が生まれたのでしょう? それを支持するような「創価学会」になったのでしょう? その結果 「大聖人の仏法」に泥を塗るようなことになったのでしょう?

貴方さまは、少なくともこの「大聖人の仏法」と「池田大作」氏を、信じているのでございましょう? 「信じている」とは「絶対に間違っていない」と考えている、ということでございましょう? ならばなぜ、徹して「疑う」ことができないのでございます? 何を恐れるのでございますか? 絶対に間違いのない相手ならば、それを信じて、どんどん自分の疑問をぶつけていけば良いではございませんか? 相手は絶対に正しいのですから、貴方さまの疑問をその都度、適格に解いてくれることでございましょう。そうであれば、貴方さまとしては、単に「信じている」だけではなく「理解が深まる」ことになり、万々歳なのではございませんか? ……なのになぜ、徹底して「疑えない」のでございます? それはおかしゅうございましょう? 貴方さまは「信じている」「信じている」と言いながら、じつは心のどこかで「疑っている」のではございませんか? 「もしも、徹底して追求したら」……大聖人の仏法や池田氏が「ボロを出してしまうんじゃないか」と。

私は、大西巨人を「師」と仰いでおりますし、年齢的には親子ほども離れておりますが、直接お会いした折りでも、手紙においても、疑問に思ったことは率直にぶつけて、教えを乞いましたよ。「どうだ、反論できまい!」というくらいの勢いで疑問をぶつけましたが、それは失礼なことではなく、「師弟」の信頼関係があればこそできることなのだと、私はそう自負しておりました。また大西はそんな私に、ある時、マイナーなPR誌に書いた「知的な甘えどころ」というエッセイのコピーを送ってくれました(たぶん、これはまだ、単行本未収録でしょう) 。そして、そこには「昨今の若者には、信頼をおいて全力でぶつかっていける大人がいなくなってしまって、可哀想だ。私も若い時はそういう大人を求め、そういう人と出会ってきたけれど、私も歳をとったのだから、若者がぶつかっていける対象でありたいと思う」という主旨のことが書かれていたのでございます。……私の考える「師弟」とは、こういうものでございます。弟子は師匠を信じて全力でぶつかってゆき、師匠はそれを全力で受け止めてやる。そうした全力の切磋琢磨の中にしか、本当の「師弟関係」はないものと存じます。

「師匠礼讃」「弟子礼讃」も結構ですが、それは所詮「第三者」に向けてのアピールでしかなく、「師弟」間の問題ではございません。

繰り返して申しましょう。「信じている」からこそ「疑える」のでございます。「力量 を認めている」からこそ「全力をぶつけることができる」のでございます。貴方さまの「信仰」は、「師匠」は、それが躊躇われるほど、ひ弱なものなのでございましょうか?

> 個人の信仰の姿勢が一番大事だとのご意見、わかりました。
> 質問させていただきますが、園主様を煽ったのはどのようなお方でしたか?
> よろしければ教えて下さい。

質問の意味がわかりかねます。もうすこし具体的に書いて下さいまし。





( 以下は「人間としての「弱さ」(5)」につづく)


人間としての「弱さ」(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)03時00分14秒


辺見は、まるでチョムスキーには「豊かな内面が欠如しており」あたかも「瞋恚の暗い炎」だけを原動力として世界と戦っている、かのような印象をあたえる書き方をしておりますが、これは裏を返せば「心を開いてもらえなかった」「理解を示してもらえなかった」という「辺見自身の気持ちの形象化」に過ぎません。『内面 を投影しない話を、それがどんなに驚くべき事実を語っているものでも、聞く私はつまらないと感じている』と書いているとおり、辺見は、チョムスキーの「話を聞きに行った」のではなく、チョムスキーという「人間に会いに行った」のでございましょう。つまり「内容」ではなく「ニュアンス(雰囲気)」を見せてもらいに行ったのでございますね。これは非常に「日本文学」的に自然な態度だと申せましょう。ですが、長らく世界を転戦しており、「文学ごっこ」に時間を割いている隙などない(その間にも、彼の友人は世界のどこかで虐殺されています)チョムスキーとしては、「話を聞きたい」と言ってきたこの日本人の望みが、じつは「話の中味」などには興味がなく、ただ憧れの有名人にあって「君も頑張りたまえ」と握手のひとつもしてもらいに来たファンと何ら変わらなかったという事実を、その態度に見抜き、苛立ったのでございましょう。

チョムスキーとて人間ですから「私を評価して欲しい」「私を理解して欲しい」「私に弱いところがあったって、人間なんだから許して欲しい」という「欲望=甘え」はございましょう。しかし、彼がこれまで経験してきた「修羅場」、失ってきた「友」のことを思えば、そんなあまったれを「とても表に出せはしない」と考えるのは、当然の心理でございましょう。「私個人のことなんか、どうでもいい。問題は今われわれの目の前にある、この悲惨な現実をどうするかだ。私がどう考えるか、君がどう考えるか、そんなことは問題じゃない。その現実をどうにかするつもりがあるのかないのか、それが問題なんだよ」……チョムスキーは、そう言いたかったのでございましょう。

こうしたチョムスキーの「内面」が読み取れなかったのは、やはり辺見の「弱さ」ゆえとしか申せません。
「やるのか、やらないのか。君の言い訳なんか聞きたくないし、興味もない。出来ないのなら無理にやれとも言わないから、私の邪魔をしないでくれ」……チョムスキーは「内面 」を語りたがる人間の「被評価願望」を知悉していたのでございましょう。

「私はこんなに悩んでいる」「こんなに苦しんでいる」「でも、挫けずに頑張っている」……そこに語られているのは、「救うべき弱者」でもなければ「打倒すべき敵」でもございません。彼が興味を持っているのは徹頭徹尾「私」「私」「私」……であり、「救うべき弱者」「打倒すべき敵」「打開されるべき状況」などは、すべて「私の舞台(背景)」になってしまっているでございます。

もちろん、私は辺見庸の「善意」や「怒り」を寸毫も疑うところではございません。しかし、彼の「嘆き節」に見られる「弱さ」は、チョムスキーへの「恣意的な評価」として結果 したとおり、彼を「過ち」に導きかねない危険性を孕んでおります。端的に申しますと、彼は「誉めてくれ、同情してくれる相手」に弱い。そして、必ずや敵はその弱点を突いて、辺見を篭絡しようとするであろうことは、眼に見えているということなのでございます。





( 以下は「人間としての「弱さ」(4)」につづく)


人間としての「弱さ」(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)02時59分12秒


チョムスキーが、辺見の何に苛立っていたのかが、私にはわかるような気がいたします。それは「私を理解して下さい」という「理解・評価を求める雰囲気」、「甘え」と言い換えても良うございましょう。

辺見は、自分の「弱さ」を十分に自覚しておらず、『陰影』や『澱み』や『内面 』の「表面化(表現の多さ)」が「内面の豊かさ」であると、思い違いをしております。
辺見のエッセイ集『永遠の不服従のために』は、「あとがき」に『歴史が激しく麻痺する現場に立ち会い、私はいちいち呆然とし、狼狽し、憤りもし、それをあえてそのまま文章にした。いきりたつあまり冷静な根源の問いをしばしば忘れもしたのである。本書にはだから端麗な構成などない。アジ演説めくものあり、詩文のようなものあり、掌編小説のようなものもあり、どうにも全体に不揃いなのである。』と書いているとおりで、いきなり小説めいた文章が出てきて、私も驚かされました。そして、そのとき私は、正直、「なんだこれ?」と思ったのでございます。
もちろんそれは、このどうしようもない世界の現実や、自分の欺瞞的な内面 を、文芸的に描いた「心象風景」であり、特に的外れではないのでございますが、なぜこんなものを書く(書いて披露する)必要があるんだろうかと、私はその「動機」に疑問に感じたのでございます。

つまり、辺見に見られる「内面吐露」は、チョムスキーの「禁欲主義」とは、対極にあるものなのでございます。辺見は『それがなぜかはわからない。』と書いておりますが、それはそうでございます。同じ「抵抗者」といっても、人間の方向性が180度違っているのですから、理解できるわけなどないのでございます。

引用部からもハッキリと読み取れますとおり、辺見は明らかに、読者がチョムスキーに「悪印象」を持つように「表現」しております。ただし、たぶんこれは、故意にチョムスキーを貶めようとしたのではなく、辺見の「実感」を彼の『文芸的レトリック』(例えば『瞋恚の暗い炎のようなものがときに眼の奥に見えた気がする。』)を駆使して語れば、このような「主観的評価」にしかなりえなかった、ということなのでございましょう。

そして、これこそがチョムスキーの嫌悪する「誤魔化し」であり「自己正当化」なのでございます。





( 以下は「人間としての「弱さ」(3)」につづく)


人間としての「弱さ」(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)02時58分18秒

みなさま、私、やっと「チョムスキー・辺見庸 対談」を読むことができました。と申しますか、これは「対談」ではなく、チョムスキーへの「インタビュー」と呼ぶベき内容でございますね。なにしろ、辺見が一方的に質問をして、それにチョムスキーがそれに答えるという形式なのでございますから。
先に辺見のエッセイ集『永遠の不服従のために』(毎日新聞社)で、辺見の側から見たこのインタビューの雰囲気を知っておりましたから、その意味でもたいへん面 白く読むことができました。

感想を書かせていただきましょう。まず先日『永遠の不服従のために』を読んで感じたのは、辺見が意外に「ウエット」な人間で、正義感があって真面 目に怒ってはいるんだけれども、しばしば「嘆き節」に流れる傾向があり、その点で「弱さ」をもっている、ということでございました。その辺見が、このインタビューでのチョムスキーの印象を、つぎのように記しております。

『彼の語り口はある意味で驚くほどメタファーに乏しかった。文芸的レトリックも皆無といっていいほどだ。もっぱら乾いた事実の積み重ねでもって、マスメディアの虚偽、左右の知識人の偽善と惰弱をくちをきわめてなじるのであった。修辞を極端なほど排したその語法は、おそらく十分に意識的なのだろう。その分だけ信頼でき、また、その分だけとりつく島もない。私は嫌われていると思いつつ、同時に、眼前の人物に畏怖の念を感じていた。こんな男、正直、見たことがなかった。』
『容赦がないといえばない、それが正解といえばそうでもあるのだけれども、陰影も澱みもなく、単色の語句だけで輪をひろげていく方法に、私はなにかが欠けているように思えてしかたがなかった。
 三十分ほどで私は心づいた。ああ、この人は内面を(他のインタビューでもあらかたそうであったが、私に対しても)語らないつもりなのだな。無意識にそうしているのではなく、意識的に、あるいは方法的にそうしているのだな、と。それがなぜかはわからない。わからないけれど、しかし、思い知らされることがいくつかあった。内面 を投影しない話を、それがどんなに驚くべき事実を語っているものでも、聞く私はつまらないと感じていること。もうひとつ。内面 を投影しない話というのは、個の内面を綿々と引きずり重ねた話を、往々、委細構わず力でなぎ倒してしまうということ。』
『チョムスキー氏は串田(※ 孫一)さんのように恬淡としてはいなかった。瞋恚の暗い炎のようなものがときに眼の奥に見えた気がする。やっかいな人だなと私は思った。好きにはなれないかも知れないと感じつつ、(※ 石川淳の)「マルスの歌」ほどの良心でお茶をにごすか、いや、それを強引に突破するのか、ここが思案のしどころだと私は心中つぶやいていた。』
                     (「チョムスキー」より)

 


( 以下は「人間としての「弱さ」(2)」につづく)


それが「甘え」 投稿者:園主  投稿日: 4月19日(土)02時55分32秒

 賢ちゃん
私が長いのを書いてる間に、またぞろ「逃げ口上」が書き込まれていたので、先にコメントしておこう。

>>もちろん、ここで言う「病」とは、君が自己の「甘ったれ」の正当化につかっている「鬱」のことなんかじゃない。

> ふ〜ん…私の「鬱」をそんな風に思ってたんだ。
> へぇ〜…なるほどね。よくわかったよ。
> 君が「鬱病」について、何も知らないってことがね。

どうして私が、「鬱」の本人より「鬱」を知っていなきゃならないんだ?

「鬱の苦しさ」を「わかってくれ」「理解してくれ」「同情してくれ」……これが「甘え」じゃないか。「鬱」を言い訳につかってるってことじゃないか。君は当人なんだから、知ってて当然。私は知らなくて当然。それをさも知っていなければならないように言うのは、君が「甘え」ている証拠だよ。


http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


(無題) 投稿者:賢ちゃん  投稿日: 4月18日(金)22時21分02秒

>もちろん、ここで言う「病」とは、君が自己の「甘ったれ」の正当化につかっている「鬱」のことなんかじゃない。

ふ〜ん…私の「鬱」をそんな風に思ってたんだ。
へぇ〜…なるほどね。よくわかったよ。
君が「鬱病」について、何も知らないってことがね。

>もちろん、君は事ここにいたっても、そういう「誤解」を期待してるんだろうね。最低だな。これじゃ、彼女も殺され甲斐がないよ。

君の方こそ、最低だね。
私の書いたことから、勝手にそんな妄想を紡いで、
決め付けるんだから、いやはや大したもんだよ。

>なぜ、「結論」が、こんなに「短い」んだと思う? それは「それ以外」には一切触れたくないからだ。

それも君の妄想。
単に沢山かくのが面倒くさいというのと、
どうせ何を書いたって、君の批判の対象になるだけだから、
沢山の文章を書いても不毛なだけなんだよ!

この文章も、君は「逃避」とか批判するんだろ?え?
馬鹿馬鹿しい。
君の想像力の逞しさには、感心するよ。まったく。

じゃ、もうここの掲示板には、何も書かないでおくさ。
逃避と云いたきゃ、云えば良い。
これは、本当に逃避なんだから。
じゃあ。これで。
さようなら。


Re.杜子春の夢(3) 投稿者:ino  投稿日: 4月18日(金)21時56分59秒

園主様

個人の信仰の姿勢が一番大事だとのご意見、わかりました。
質問させていただきますが、園主様を煽ったのはどのようなお方でしたか?
よろしければ教えて下さい。


Re.杜子春の夢(2) 投稿者:ino  投稿日: 4月18日(金)21時53分05秒

>われわれの師匠はご本仏たる日蓮大聖人以外にはいないのでございます。

 すたれきって、軍部に魂を売った宗門、戦後その宗門を守ったのは二代、三代会長でした。創価学会の出現は、日蓮仏法を民衆のものにしました。初代会長を師として大聖人仏法を実践した人々がいました。二代会長を師と仰ぎ75万世帯の広布を共戦した人々がいました。三代会長を師と仰ぎ広布に励む人々が世界にいます。創価学会の出現がなかったら日蓮大聖人の御遺命である「広宣流布」は夢物語で終わったのではないでしょうか。その指揮をとったのが三代会長です。そこに集った人々は師弟の信心をしました。これはおかしいこと、もしくは間違ったこととお思いですか。 


これで良いんだな!? 投稿者:賢ちゃん  投稿日: 4月18日(金)21時10分35秒

1.女神を見(半)殺しにする。なぶり(半)殺しにすることを容認する。
2.女神が強姦され弄ばれるのを、何度でも見守ります。


アリョーシャの誤解☆ 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月18日(金)11時59分27秒

>> メリル・ストリープ主演の『ソフィの選択』

>タイトルから、何となく「一人の少女の青春の旅立ち」みたいな印象をもっていたのでございますが、そうでございますか、そんなに怖いのでございますか。それならば是非いちど観てみたいものでございます(< 激辛カレーに挑む心持ち)。(>ハムちゃま)

>今度のは、かなりキているだろう? これで「折れない」人間はいないよ。口先で「折れない」と言うだけの人間ならいてもね。
>さて、『ソフィの選択』とどっちがコワいだろうか?

もちろん、断然、『ソフィの選択』よ!
レベル、じゃあないわね……そう、ステージが違うわ。
テニスとサッカーで相撲はとれないもの(笑)。

ナチスの強制収容所に関わる話だから、アリョーシャも観た方がいいと思うわよ。
今なら、ビデオレンタルやなんかでも、戦争関係モノが充実してないかしらね?

それにしても、これを「元彼女」とのデートで劇場鑑賞した賢ちゃんって……☆
隣に「ラブラブ・ハリウッド・フィルム」でも掛かってる劇場、なかったの?
あー、当時はシネコンじゃなかったわよねえ……ご愁傷さま。(>賢ちゃん)

ちなみに、Keenさまはクラウス兄さまと一緒に『プラトーン』とか『ミッション』とか観に行ってたそうよ。さすがはご兄妹。
それに、当時、秘かにKeenさまにアタックしてた、某「革マル系」青年が電話かけて来て、『プラトーン』観に行きませんかって誘われたらしいんだけど、「もう観た」ってあっさり断ったとか……(笑)。
そういう誘い方する殿方もいるわけよねー、人間、イロイロ。

今、WOWOWで『ぼくの神様』やってるんで、連想したの(デフォーさまっ♪)。
これからKeenさまと出かけるんで、しっかりビデオ録画中。
ああ、『シャドー・オブ・ザ・バンパイア』観たいのに〜☆
WOWOWにも、リクエストしたのに〜!!!

にゃあ〜☆


機種障害? 投稿者:AOI  投稿日: 4月18日(金)09時54分16秒

☆園主さま

>>との園主さまのお言葉。
>> 成る程。
>> 了解しました!(笑)

>せっかく杉澤さまが乗って下さってるんですから、これにもちゃんと突っ込まな
きゃダメじゃございませんか(厳重注意)。

だって、何を了解されたのか、ゼンゼンわからんちんだったんですもの。
それに、私も若い男性にやさしんですもん。。

>あの程度で、恨んでもらっては困ります。

あれは、なっちから賢ちゃんへのメッセージなのです。
AOIはいたこのおばばにすぎません。
「RE:・・・」って、機種依存文字?「RE:ゥゥゥ」になってしまいました。

それから、何故か最近貼り付けると字の間があいてしまいます。なぜなんだろう?今日は何故か、直接書き込むことができなくて、貼り付けますが、どうなるかな?

☆影姫さま

>あてどなく彷徨っていた自分が思い出されます。
もっともわたしはあの主人公より遥かにカッコいいですが。( ̄ー ̄)・・・

おお!ヤチェックはなかなかの美青年。
ヤチェックよりはるかに?・・・う〜む。
園主さまと影姫さま邂逅のその夜のことが気になったり・・・妄想( ̄ー ̄)・・・


>ふふ・・・さすがAOI様・・・その通りでございます。しかしちょいと修正させて
いただくならば、わたしが萌えるのは絞首刑という「こと」ではなく刑という「言
葉」なのです。

分るような気がしますわ(ドキドキ)
他に萌える言葉、あります?(興味津々)

>・・・やはりMでいらっしゃるAOI様ならここいら辺のニュアンスもわかってもらえ
るかと思います。

あ〜れ〜〜!!危ない方へひっぱられてしまいそう〜・・・(苦)。

☆アーニャさま

>メリル・ストリープ主演の『ソフィの選択』
>AOIさまならご存じかしら。

記憶の断片を繋げてみるととても哀しい映画だった記憶が。
ただ、何故か定かに思い出せなくて。
その後に見た「フランス軍中尉の女」のメリル・ストリープの壊れていく女により印象が強いような・・・。


Re.「過去・現在・未来(7)その6 投稿者:ino  投稿日: 4月17日(木)23時08分48秒

(前回に続いて)

「思想」「宗教」を辞典(新明解国語辞典:三省堂)で調べました。
《思想》その人の生活(行動)を規定し、統一する所の人生観、社会観、政治観などの総合されたもの。
《宗教》心の空洞を医(いや)すものとして、必要な時、常に頼れる絶対者を求める、根源的、精神的な営み。またその必要性を求めることの意義を説く教え。
(私はしっくり来ないので、「自身の向上を目指して、信仰の対象を信じる、根源的、精神的な営み。またその必要性を説く教え」と読み替えます。)

 こうしてみると、宗教(信仰)と思想は分離できないと思います。例えば純粋意識の本質に関する学である、フッサールの現象学で人間をとらえようとする、それと日蓮仏法で人間をとらえようとすることは矛盾するのか。
 大聖人は人間を色心(物体と精神)不二と説かれているので、純粋意識に重点を置いたフッサールの考えは部分観といえるでしょう。
 このように考えていくと、池田SGI会長を思想に於いて超えると思うという人が出てくるかもしれません。その人を思想の師匠と呼ぶこともあることでしょう。しかし、思想で幸せになれるとは思えないのです。
 したがって私は、人生の師匠であると私が決めた、日蓮仏法をベースにした思想・哲学をもった池田大作氏を師匠であると結論します。

PS.こうして、自分の思いを自分の言葉で語ると、いかに勉強をしてこなかったかがよく分かりました。哲学しかり、思想しかり。浅はかですが、思考のチャンスを与えてくださったアレクセイさんに感謝します。
(完)

 


マントラ 投稿者:ino  投稿日: 4月17日(木)22時35分24秒

ホランドさま

コメントありがとうございます。
僕の体験は南無妙法蓮華経をとなえて、歓喜したことです。


杜子春の夢(9) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時32分13秒


 賢ちゃん (つづき)

悲鳴があがった。


はっと気がつくと、君は暗闇の中にいた。ひどく寝汗をかいている。どうやらひどい悪夢にうなされたらしい。
ここはどこだろう? ……周囲を見回すと、そこが見知らぬ廃屋の一室であることがわかった。
昨夜、君は、追っ手から逃れ、ほうほうの態でこの廃屋に隠れ潜んだのであった。閉ざされた窓の隙間から薄い光が差し込んでいる。どうやら夜は明けたらしい。
また悲鳴が聞こえた。君は、いま悲鳴によって目を醒ましたのを思い出した。

君が隠れ潜んでいた場所から、窓越しに通りを覗いてみると、通りの真ん中に5人の人影があった。一人の大柄な男が自動小銃を腰だめに構えて立ち、その前に4人の女が膝まづいて、泣いている。耳を澄ませてみると、どうやら命乞いをしているようだが、男は冷酷な笑みを浮かべて、それを面 白そうに見おろしている。
その時、君はその4人の女の中に、君の家族の一人と、君が女神と崇める女性が含まれていることに気がついた。
男はいきなり断言した。
「だめだ。お前たちには死んでもらう。全員、例外なくだ。俺の仕事を見たお前らを、生かしておくわけにはいかない。そんなことをしたら、俺が仲間に殺されちまうからな。ついてなかったとあきらめろ」

君は「概視感」に捕らわれた。このセリフは、この光景は、どこかで……。
君の手の中には拳銃があった、弾は一発しか残っていなかった。



さて、この「想定」を非現実的なまでに「残酷だ」と思うのなら、ぜひ、もう一度、私の旧稿茨冠の輝き―― 映画『日本鬼子 リーベンクイズ』の14人を読んでもらおう。戦場では「強姦」など日常茶飯事だということがわかるだろう。

君の回答を待っている。ただし、今度はそれでも『折れません。』ではなく「女神を見(半)殺しにする。なぶり(半)殺しにすることを容認する」と正確に答えてもらいたい。『拳銃を使わずに、相手に突っ込んでいきます。』ではなく「女神が強姦され弄ばれるのを、何度でも見守ります」と答えてもらいたい。それが「君の選んだこと」なら、誤魔化しなしで、そう明記していただこう。


 アーニャ
> メリル・ストリープ主演の『ソフィの選択』って、アリョーシャのシミュレーションよりもっとコワい映画があったわね〜☆

今度のは、かなりキているだろう? これで「折れない」人間はいないよ。口先で「折れない」と言うだけの人間ならいてもね。
さて、『ソフィの選択』とどっちがコワいだろうか?


 ホランド
> でもね、賢ちゃんが「アメリカの攻撃もしかたない」と言ったイラクで、いま起こっていることは、こんなもんじゃないと思いますよ。なにしろ「シュミレーション」じゃなくて「現実」なんだから。・・・『気分を重く』するだけじゃ済まないもの。

そうだ。これでもまだ「最悪の想定」なんかじゃない。このくらいのシチュエーションなら、西村寿行が「エンターティンメント」として、飽きるほど繰り返して描いているはずだ。その種の「通 俗バイオレンスもの」には興味がないので、読んだことはないけれど、寿行先生ならいったい何点くらいつけてくれるだろうな? まあ、この「紋切り型」では、あまり良い点はもらえないとは思うが。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


杜子春の夢(8) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時31分20秒


 賢ちゃん (つづき)

【想定2-2】
(前半省略)
残ったのは、君の女家族と君の女神の二人だ。
男はペースを乱すことなく手慣れた様子で、三人目の眉間に自動小銃を突きつけた。君の女神だった。

君は、拳銃を手にしていた。弾は一発しか込められていなかった。

君は、目をつぶり、自分でも訳のわからない叫び声を発しながら、男の方へと突進した。
男は、反射的に自動小銃を君の方へ向けると、正確に君の右腿を一発で射抜いた。君は三人の手前にもんどりうって倒れふした。男は、すばやく君の右手首をふみつけると、君がまだ握っていた拳銃をとりあげた。そして、その拳銃をあらためると「まだ一発残っているな」といぶかしげに独りごちた。
「Kちゃん? Kちゃんなのね!」
君の女神が、驚きの声をあげた。
「なんだ、おまえらの知り合いか」
そして君と女神とを見比べた後、男は君に「お前の女か?」と問うた。
君は「違う! 彼女は僕の……」
女神だという言葉を呑み込んだ。「父親のような愛で慈しんでいる」相手だという説明が出来なかった。
「まあいい。どっちにしろ、せっかくの救世主さまも、拳銃の使い方を知らなくては、ものの役にはたたなかったようだな。ついてないお姫様だぜ。……だが、せっかくの弾をむだにするのもなんだから、俺がこいつを有効利用してやろう。おまえは、そこでゆっくりと見物してろ」
男はそういうと、自動小銃で、君の左腿を射抜いた。これで君は完全に動きを封じられてしまった。
男は、君から奪った拳銃で、君の女家族を撃ち殺した。あっけない最後だった。
「さて、せっかく彼氏も登場したことだし、こんな可愛いお嬢さんをこのまま殺すのも、もったいない。彼氏は身動きも取れない、ものの役にたたない身体だから、これからは俺がお前を可愛がってやろう」
男はそう言うと、おもむろにズボンのジッパーをさげて、君の女神の前に性器を突きつけた。
「さあ舐めろ」
「い、嫌です!」
女神は顔を背けて言った。
「そうかい。じゃあ、こういうことになる」
男はそういうと、自動小銃で君の右の手のひらを撃ち抜いた。悲鳴をあげて苦悶する君。
「やめて! お願いです、やめて。……なんでも言うことは聞きますから、彼を撃ったりしないで」
「そうそう。最初から素直にしてれば、彼も痛い思いをしなくて済んだんだ。しっかりご奉仕しろ」

男が、女神の口のなかに精を放った。女神は噎せて咳き込みながらも必死で言った。
「これで許して下さい」
「誰を?」男は冷酷に問うた。
女神は一瞬の躊躇の後、けなげにも、
「彼を……。彼を助けてあげてください」
男はニヤリと微笑むと
「いい心掛けだ。おまえもいい女に惚れられたもんだな」
そう言うと。再び女神に向き直り
「おまえが犠牲になるということだな。わかった。じゃあ、さっさと裸になれ」
女神の顔が凍りついた。
「まだ、……許してはくれないんですか?」
「当たり前だろう。おまえが犠牲になるんだろうが? さあ、裸になって、こっちにケツをつきだして、犬みたいに四つん這いになれ。俺の顔が見えなきゃ、こいつとやってるつもりになれるだろう。さあ、嫌なことはすべて忘れて、せいぜい楽しもうぜ」
女神は男の指示にしたがい、のろのろと服を脱いだ。声を殺して泣きながら、下着を脱ぎ捨てた。だが、男に背中をむけて四つん這いになる時には、ついに堪え切れず声をあげて泣いた。
「可哀想になあ。俺が慰めてやるぜ。その鳴き声を、べつの鳴き声に変えてやるからな」
男はそういうと、後ろから女神の腰を抱え込んだ。そして君の方を振り向くと言った。
「ついてねえよなあ。お前も男なら、拳銃の使い方くらい知っておくべきだったよな」

だが、そういう問題ではなかったことを、三人のうちで、君ひとりだけは知っていた。
男が、ずいと腰を進めた。

悲鳴があがった。





( 以下は「杜子春の夢(9)」につづく)


杜子春の夢(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時29分17秒


 賢ちゃん (つづき)

女たちが泣き崩れるのを待ち、憲兵隊長は声をあげた、
「お前たちの言うことに、耳を傾ける気はない。……ただし、ここにはお前たちの救世主となるであろう人物が控えている。彼が、お前たちの罪の肩代わりをして、意にそわぬ 戦争に行ってくれるそうだ。……いや、そう言っては気が早すぎるな。彼はまだ迷っている。君らを助けて戦場へ行き、敵兵を殺すことを選ぶべきか、君らを見殺しにして戦闘から逃げ続けることを選ぶべきかと。」
それを聞くと、女たちは口々に「助けて下さい! お願いですから」と涙ながらに必死に訴えた。
その後、憲兵隊長はさらに言った。
「そうそう彼の事を紹介しておこう。君らもよくご存じのKくんだ」
女たちが一瞬押し黙った。徴兵を忌避して逃亡生活を送っているはずの君が、まさかこんなところに登場するとは思わなかったからだ。……そして彼女たちは「希望」をもった。よもや君が彼女たちを「見殺し」になどするはずがないと思ったからだ。二人は君の名前を呼びながら、火がついたように激しく助命を訴えた。
それが一段落すると、憲兵隊長は落ち着いた口調で説明を開始した。
「これで君たちの意志は、彼に充分伝わったと思う。彼が折れて戦争に行くと言えば、そこでこの処刑は終りだ。だが、彼が折れなければ、この処刑は次のような段取りで、漸次進行していくことになる。まず私が処刑開始の号令を発する。それから30秒以内に、彼がストップをかけなけれれば、まず君たちは左腕を失うことになる。そしてさらに……」
憲兵隊長は、淡々と処刑の段取りを語り聞かせた。目隠しされた女たちの顔から、さらに血の気が退いていくのが、君の位 置からもハッキリと見て取れた。
「……ということで、最悪の場合はそういうことになる。だが、そうなった場合は、優しい彼が一生君たちの面 倒をみてくれるだろう。どっちにしろ、彼が君たちの命を救ったことに変わりはないんだよ。そうだよな、Kくん」
その時、一声高く、君の女神が叫んだ!
「そんなのイヤ! それなら私をひと思いに殺してよ! 殺してよ、そんなになってまで生きていたくない。殺された方がいいよ……。Kちゃん、助けて! お願いだから助けて! 私を見殺しになんかしないで!」
憲兵隊長は冷ややかに言った。
「私も心からそれを願うよ。……では、説明も済んだことだし、処刑に移ろうか。いいね、いつでも遠慮なくストップをかけてくれよ。すべては君しだいだ。」
憲兵隊長は号令を発し、最初のカウントダウンが始まった。
君は再び顔を伏せ、目を固くつむって「絶対に折れない、絶対に折れない、絶対に折れない……」と呪文のように繰り返した。
だが君の耳には、二人の女のだんだんと引き攣って高くなる嘆願の声が、正確に届いている。君に耳をふざぐ自由はない。
そして、最初の銃声が轟いた。
君がはっとして顔をあげると、二人の女の左肩が、真っ赤に血に染まっていた。射撃手は正確に腕の付け根の関節を射抜き、関節を打ち砕いてみせたのだ。だらりと垂れ下がった二人の左腕は、もう二度とその用を果 たすことはない。
君の女神が、それでも力なく言った。
「お願い助けて……。Kちゃん、お願いだから、助けて……」
すでに次のカウントダウンは始まっている。





( 以下は「杜子春の夢(8)」につづく)


杜子春の夢(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時28分06秒


 賢ちゃん (つづき)

さて、そろそろお楽しみの「想定」に移ろう。本当は、あんまり「えげつない」ことは書きたくなかったんだが、「想像力の欠片もない」君には、すべてを書いてやらないかぎり何も伝わらないようだから、君のために、再び君の「女神」さまを「シュミレーションの舞台」に召還することにしよう。

【想定1-2】
(前半省略)
この時、君は、後ろ手錠をされ、両脇を屈強な憲兵に抱え込まれており、身動きの取れない状態だった。二人を救おうと思えば、君は徴兵に応じるしかなかった。
もちろん、徴兵に応じてから「自殺」するとか、戦場で敵対して応戦せず、一方的に殺されるなどということも許されない。なぜならば、それは「国家への反逆」だからだ。そんなことをすれば、また家族や女神に類が及ぶだろう。憲兵は面 子にかけて、君を「皇軍兵士」に仕立てようとしている。君を屈服させようとしている。そのためには手段を選ばないのだ。

憲兵隊長が「三人目」と言った。

憲兵隊長が君をちらりと見やった。君は顔を伏せ、目を固くつむり「絶対に折れない、絶対に折れない、絶対に折れない……」と呪文のように繰り返していた。
憲兵隊長は「待て」と言って、射撃手にライフルを下ろさせた。そして、薄笑いを浮かべながらも、妙に優し気な声でこう言った。
「君には心底感服したよ。君のその覚悟に免じて、彼女たちの命だけは助けてやろう。
しかし、このままでは私の立場というものもあるのでね。ここからの処刑は、こんな形式で進めたいと思う。まず私が、処刑の開始を合図する。そして30秒たったら、自動的に射撃手があの女たちの左腕を射抜く。もちろん命にかかわるような負傷は負わせないが、腕が利かなくなるという覚悟はしてもらおう。さて、さらに30秒経つと今度は、右腕だ。さらに30秒後は、左足。さらに30秒後は、右足。……ここまでくると、可哀想に彼女らは一生寝たきりということだ。だが、これでお終いじゃない。
次はライフルをつかわない。もっと繊細な作業に移る。まず両手両足の利かなくなった彼女たちを、診療台に横たえる。それから刑の続行だ。先程と同じく、私の合図の30秒後に、まず左目を潰す。当然30秒後は右目だ。その次はそうだな、声帯を切り取ろうか? それとも鼓膜をやぶって内耳を切り刻んでやろうか? まあ、そのあたりの順序はどうでもよろしい。なんといっても仕上げは、きれいなお顔の「硫酸焼き」だ。とくにあの丸顔の可愛い娘などは、さぞやショックなことだろうな。だが両目を潰してからでは自分で顔を確認できないから、片目は最後に残しておくことにするか。……もちろん、最初に約束したとおり、彼女たちの命は取らないよ。私は約束を守る男だ。
さて、もちろん私はこんなことを、可哀想な彼女たち相手に、すき好んでやるわけではない。だが、君が折れてくれないのなら、これも職務上やむを得ない。だから、君にはぜひ折れてほしいな。君が「兵隊に行きます」とひとこと言ってくれたら、彼女たちも救われるし、私も救われる。どこでストップをかけるかは、君しだいということだ。そうだ、」
憲兵隊長は何か思いついた様子を示すと、部下に女たちの猿ぐつわをはずすよう指示をした。
もちろん二人の女は、自分たちが処刑の場に立たされていることを知っているから、口々に助命嘆願の悲痛な声をあげた。
「助けて下さい! 私は何もしてません! スパイなんて、そんなこと絶対にしていません! お願いです、助けて下さい! まだ死にたくない! 死にたくないよおー……」





( 以下は「杜子春の夢(7)」につづく)


杜子春の夢(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時26分01秒


 賢ちゃん (つづき)

> 例え「非国民」と罵られようと、
> 自分の都合しか考えないと云われようとも、
> 私は、兵隊にはなりません。なりたくなんてありません。
> 私はそういう人だから。

これもまた「不適切なカッコつけ」だな。「父親のような愛」で愛するとか言ってた「なっち」を「見殺し」にし、「蛆のたかる生ゴミ」に変えることを選んだ君が、よくもまあこの期におよんで、こんな気取ったセリフを吐けたものだ。きっと全世界の「父親」が「おまえが『父親』だの『愛』だのを語るな。脳天気野郎!」と罵ることだろう。当然の報いだ。

> 例え「非国民」と罵られようと、

「非国民」は蔑称だが、内実は「外道」や「卑怯者」を指しはしない。「非国民」とは、「反体制者」であり「戦う者」に与えられる呼び名だ。したがって逃げ回ることしかしない君には不適切だし「もったいない肩書き」だよ。……つまり、君は「非国民」なんかじゃない。単なる「体制順応型の卑怯者」だ。君みたいな「根性なし」が、本当に体制に逆らえると、誰が信じる? 「なっち」だって信じないさ。もちろん、君の家族だって信じない。……笑わせるな。君にそんなことができるほど、戦時下権力がお優しい存在なら、筋金入りの「思想犯」が「転向」することなんて、金輪際ありえないんだよ。
君はどう罵られようと、「父親のような愛で愛する」とか宣った女性を「見殺し」にし、その現実からも「逃避」しようという、たんなる「卑怯者」だ。否定できるかどうか尋ねたい。これも質問だ。逃げずに答えるんだ。

> 自分の都合しか考えないと云われようとも、

この『と云われようとも』が誤魔化しだ。これだと、さも事実は違うみたいに聞こえるからな。だが、どう言われようと、君はその行動の事実として『自分の都合しか考えない』人間だ。もう一度書いてやろう。君は「父親のような愛で愛する」とか宣った女性を「見殺し」にし、その現実からも「逃避」しようという、たんなる「卑怯者」だ。
「女神」さまがニッコリ笑っている写真を見ながら、彼女に向かって、自分は「卑怯者」ではないと誓ってみろ。……それでも、彼女はニッコリ笑うことを止めないだろう。なぜならそれは、彼女が「女神」だからではなく、どんなクソ野郎であろうとも、「ファン」相手になら、ニッコリ微笑んでみせることを商売とする、アイドル(偶像)だからだ。

> 私は、兵隊にはなりません。なりたくなんてありません。
> 私はそういう人だから。

兵隊になりたくないのは、誰でも同じだよ。君が特別に『そういう人だから』ではない。君のように『「父親のような愛で愛する」とか宣った女性を「見殺し」にし、その現実からも「逃避」しようという、たんなる「卑怯者」』でも、その一身を虐げられた人のために捧げるような立派な人でも、「兵隊になりたくない」のは同じなんだ。君みたいな「意気地なし」が、自分を何か特別 なものででもあるかのように言うのは、お笑いぐさもいいところだ。
「病、膏肓に到る」というのは、こういうことを言う。もちろん、ここで言う「病」とは、君が自己の「甘ったれ」の正当化につかっている「鬱」のことなんかじゃない。君の「甘ったれ」という、その度し難い「病」のことを言ってるんだ。





( 以下は「杜子春の夢(6)」につづく)


杜子春の夢(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時25分02秒


 賢ちゃん
> 妙に凝ったシュミレーションで、
> 気分を重くしてくれてありがとう。
> 嬉しくて泣けてくるね。ホント。

あの程度で喜んでもらえるのなら、小説家ほど楽な商売もないな。君はいままで、よっぽど程度の低い小説ばかり読んできたんじゃないか? あの程度で『気分を重く』なるなんて、ホラーファンの名が泣くというものだろう? 私がいくら頑張っても、J・ケッチャムには遠く及ばないだろうが、そこはホラーファンの君なんだから、「女神」さまをケッチャム流に料理したら、いったいどういうことになるのか、そのくらいは想像して欲しいものだ。どこまで想像しようが、所詮それは「現実」ではないんだからね。

さて、君がお楽しみの「想定」に移る前に、君の書いたことの「分析」を済ませておこう。

> で、結論。

> 1)折れません。
> 2)拳銃を使わずに、相手に突っ込んでいきます。

> 例え「非国民」と罵られようと、
> 自分の都合しか考えないと云われようとも、
> 私は、兵隊にはなりません。なりたくなんてありません。
> 私はそういう人だから。

ここには、いかにも君らしい「現実逃避」と「自己正当化」が、露骨に表れている。
なぜ、「結論」が、こんなに「短い」んだと思う? それは「それ以外」には一切触れたくないからだ。君の言語空間(あるいは思考空間)は、それほど「貧困化」しているということさ。あれにもこれにも触れられない。あちらからもこちらからも逃げ回った結果 が、この「貧しい言葉」だ。

君が、何を「避けている」かを教えてやろう。
【想定1】に対する、君の回答。

> 1)折れません。

いかにも強がって見せているが、ここに隠蔽されているのは「なっちを見殺しにします。どうぞ、お好きなようになさってください」ということだ。君は、自身言うところに「父親のような愛」をもって、彼女が惨殺されるのを「許可」するということだ。
『折れません。』……カッコイイ言い方だよなあ、まるで「正義のヒーロー」のセリフと聞き違えてしまいそうだ。もちろん、君は事ここにいたっても、そういう「誤解」を期待してるんだろうね。最低だな。これじゃ、彼女も殺され甲斐がないよ。

次は【想定2】に対する、君の回答。

> 2)拳銃を使わずに、相手に突っ込んでいきます。

これも君らしい「誤魔化し」であり「自己正当化」だ。だが「想定」にハッキリ書いておいたはずだぞ、『もはや「待て!」と声をかける隙もなければ、もちろん駆け寄る隙などない。二人を助けようと思えば、今の君にできるのは、この一発の銃弾で、そのプロの殺人者を身動きのできない状態にするしかない。(中略)君が拳銃をつかっても確実に、二人を救えるという保障はない。だが、何もしなければ、二人は確実に殺される。何もしなければ、それは君が、二人を見殺しにするということだ。』と。

つまり君は『相手に突っ込んで』いっても、二人が救えないということを百も承知している。なのになぜ、そんな「無益なこと」をするのかと言えば、それはその行動が「二人」のためではなく、「自分だけ」のために必要なことだからだ。「いちおう、やることはやったんだ」と自分を「慰めるため」に、君は実際には何の意味もない行動に出る。つまり、事ここに到っても、君は「自己の正当化」しか考えていない。もはや「殺すの、殺さないのの話」ではない。
せめて二人の「見殺し」を決めたのなら、それを「自己の責任において直視しよう。その上で、二人を見殺しにしたという十字架を背負おう」とも考えない。君の行動原理は、すべて「自己正当化」のため「責任逃れ」のための「誤魔化し(有耶無耶)」だ。見事なまでに、それは「一貫」していて、疑いを挟む余地などどこにもない。……あるかい? あるなら是非教えてもらいたいものだ。これも質問のひとつと受け取ってくれ。





( 以下は「杜子春の夢(5)」につづく)


杜子春の夢(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時24分02秒


 ino さま(つづく)

> では>何故煽るのか、この点はアレクセイさんが、具体的にどのような点を指しておられるのか、推測で書きますが、SGI会長の側近や、いわゆる最高幹部、地方副会長クラスにも、SGI会長の指導を、自らの心で受け止めないドグマとして末端会員に押しつける(ドグマゆえに、賢い会員はその押し付けを屁とも思わないということは十分ありえます)即ち、煽ることはあるでしょう。しかし納得がなければただの扇動です。ドグマとして煽るのは官僚です。
> 末端会員はそれら官僚と化した幹部に扇動されるほど馬鹿ではないと思います。今は全国衛生中継でSGI会長のスピーチに直接ふれて、我々末端会員は直接スピーチから自らの吸収しますので尚更です。

これは、何度も多くの人によって指摘なされている、「学会員特有の責任転嫁」でございます。すなわち「一部の者」この場合は『SGI会長の側近や、いわゆる最高幹部、地方副会長クラス』を「悪の根源」とすることで、自らの周辺、すなわち『我々末端会員』は「ぜんぜん悪くない」とする「手前味噌な」「甘えた」発想でございますね。

お尋ねしますが、創価学会は「末端会員」から「池田SGI会長」まで、「切れ目のない階層構造」をもった組織でございますが、貴方はいったいどこまでが「無垢な信徒」で、どこからが「悪人」だというのでございましょうか?
また、貴方さまのご意見ですと、都合良く「池田SGI会長」だけを「唯一の例外」として、「肩書きが上に進むほど」信心が歪んでいるかのようなおっしゃり方ですが、これが意味するのは、

 (1)創価学会という組織は、役職を持つと、信心が歪むように出来ている

ということなのか、あるいは、

 (2)創価学会という組織は、信心の歪んだ者ほど、幹部になりやすい

ということなのでしょうか?
貴方さまは、

> 末端会員はそれら官僚と化した幹部に扇動されるほど馬鹿ではないと思います。今は全国衛星中継でSGI会長のスピーチに直接ふれて、我々末端会員は直接スピーチから自らの吸収しますので尚更です。

とおっしゃりますが、誰よりも「池田SGI会長」のスピーチに『直接ふれ』る機会が多いのは、貴方さまが批判なさっている「池田SGI会長」周辺の最高幹部であることを忘れてはなりません。「末端会員」が衛星放送を介して「間接的」にしか「池田SGI会長」のスピーチに触れられませんが、彼らは最高幹部は「池田SGI会長」の謦咳に、直接せっする機会を数多くもっているのでございます。
したがって、ここでの貴方さまのご主張は、そのまま、

「池田SGI会長」に身近に接すれば接するほど、信心が歪みやすい

と言っているのも同然なのでございますよ。そして、貴方さまのこうした「幹部はダメだ。末端の会員こそが正しい」という主張は、まさに「池田SGI会長」の「口まね」に過ぎません。誉められ煽てられれば、それをそのまま「鵜呑み」にしてしまうという「無思考(自己批評性の欠除)」の態度、すなわちこれこそが「盲信」なのでございます。

大聖人の仏法が、そんなに「甘い」ものでないことは、貴方さまもご承知のはずでございます。よろしゅうございますか、貴方さまにも見られるそうした「自己への甘やかし」が、ほとんどすべての創価学会員に蔓延している現状だからこそ、ちょっと「肩書き」がつくと、すぐに信心が歪んでしまうのでございます。「自己を厳しく律する習慣が、創価学会員にはない」からこそ、すぐに「自堕落な自己肯定へと流されてしまう」のでございますよ。ダメなのは「幹部」ではございません。ダメなのは、「幹部」のダメさに「象徴」される、創価学会という組織そのものなのでございますよ。「自己批判」もできない(自浄能力がない)ような「組織」が腐れていくのは、「必然」であり「自業自得」であり「ものの道理」なのでございます。





( 以下は「杜子春の夢(4)」につづく)


杜子春の夢(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時22分49秒


 ino さま
> これは、大聖人御在世と同じように、広宣流布という目的のためには師弟不二の信心が不可欠という思想に基づくものであり「大聖人の時代にかえれ」という戸田二代会長の思想にも通 じます。しつこくなりますが「広宣流布」の実現へ向かう情熱は、時代が変わっても生き続けることが妥当だという点で、先の「御義口伝」の一節は、三代会長を師とすることの文証であると考えます。

そうは申せません。それは「手前味噌」というものでございます。たしかに『御義口伝』の一節は、「師」を持ち、それと「師弟不二」「異体同心」の信仰をすることが、この大聖人の仏法の要諦だということを示しております。しかし、前にも申しましたとおり、その「師」を「信徒団体の指導者に限る」とは、どこにも書いておりません。『御義口伝』を素直に拝すれば、われわれの「師匠」は、ご本仏たる日蓮大聖人以外にはいないのでございます。つまり、べつに現存の人物の中から師匠を選ぶ必要はないのでございます。考えてもみてくださいまし。貴方さまは池田氏が亡くなられたら、その段階でまた「新しい師匠」を探すとでもおっしゃるのでしょうか? 「師匠」とは、そんなものではございますまい?

それを、「池田大作」氏にも「当て嵌めることが可能だ」とする貴方さまの「解釈」は、「結論」を先に決めておいた上で、テキストを「自分に都合良く解釈する」というものに他なりません。こういう「手前味噌な手法」をとるからこそ、他宗に見られるように大聖人の同じご文証から、それぞれに「手前味噌な解釈」が数限りなく出てくるのでございます。
つまり、貴方さまの解釈の仕方では、「日蓮宗」諸派のリーダーのそれぞれが、それぞれに、現在の大聖人信徒の「師匠」たりえる、ということなるのでございます。そしてこのような、ところにまで目が届かないというのは、とりもなおさず貴方さまが、「この信心」によって「視野狭窄」に陥っているという証しなのでございます。





( 以下は「杜子春の夢(3)」につづく)


杜子春の夢(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月17日(木)22時20分45秒

みなさま、本日はリンク集に新しいサイトを加えさせていただきました。INFORMATIONでも画集をご紹介いたしました、幻想派画人 梅木英治の新作発表サイト『夢の澪』でございます。
なにかと「重い現実」に直面することの多い昨今ではございますが、そうしたものと拮抗しうるのは、たぶん人の「想像力」だけでございましょう。言い換えれば「夢見る力」でございます。それは決して「想像力」を閉ざし、内にたて籠る「逃避」と同じではございません。今ひととき、疲れた頭を梅木英治のゆたかなイマジネーションの世界に遊ばせ、その「夢の澪」を追って下さいまし。





 影姫青夜 さま
> ふふ・・・さすがAOI様・・・その通りでございます。しかしちょいと修正させていただくならば、わたしが萌えるのは絞首刑という「こと」ではなく刑という「言葉」なのです。

つまり、影姫さまは「言葉責め」に弱いと言うか、それを喜ぶタイプなのでございますね。私、それはなかなかに得意でございますよ(笑)。


 ハムちゃま さま
> ☆アーニャちゃま>『ソフィの選択』この前黒猫館住人全員で観まちタヨ!!!
> 内容は・・・怖すぎて思い出したくありまちぇん!!!ヾ(;△;)ノ

タイトルから、何となく「一人の少女の青春の旅立ち」みたいな印象をもっていたのでございますが、そうでございますか、そんなに怖いのでございますか。それならば是非いちど観てみたいものでございます(< 激辛カレーに挑む心持ち)。


 AOI さま
> ストイックっていうこと???(声:なっち)

あの程度で、恨んでもらっては困ります。ホランドくんも申しておりましたとおり、現実はもっと過酷で悲惨でございますからね。それは、この後にお示しする、新たな「想定」にも明らかなことでございましょう。
現実とは、賢ちゃんが考えるほど「甘いもの」ではございませんし、それはおのずと「なっち」をも例外にはしないということでございます。
……賢ちゃんが、いま体験しているのは「杜子春の夢」なのでございます。





( 以下は「杜子春の夢(2)」につづく)


『ソフィの選択』は有名だったのね 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月17日(木)21時43分14秒

>「ダメ、いま、降りちゃ」

猫十字社『黒のもんもん組』第35話に、ネタとして使われてたわ。
黒猫館の皆さまならご存じかと。

☆ホランドくん

Keenさまによると、アレは、アリョーシャからのリクエストだったそうよ。

それでは皆さま、お休みなさい。
にゃあ〜♪


RE:ゥゥゥ 投稿者:AOI@いたこ  投稿日: 4月17日(木)09時00分05秒

必ず、賢ちゃんが助けてくれると思っていたのに・・・(涙)。
頭が吹っ飛ばされて、脳みそが飛び散って・・・こんな無残な姿で死ぬなんて・・・(恨)。
弾丸は込められていたはず・・・どうして引き金を引いてくれなかったの?

ストイックっていうこと???(声:なっち)


ソフィの選択 投稿者:ハムちゃま  投稿日: 4月17日(木)01時50分54秒

はむは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

☆アーニャちゃま>『ソフィの選択』この前黒猫館住人全員で観まちタヨ!!!
内容は・・・怖すぎて思い出したくありまちぇん!!!ヾ(;△;)ノ

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


浦島太郎(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月17日(木)00時01分09秒


 野茶坊 さま
 はじめまして! ようこそおいで下さいました!
 ご挨拶がおくれましたが、ボクはこのサイトで、園主さまの助手をつとめます「ホランド」と申します。以後よろしくお願いいたします!

 えっと、創価学会からは三人目のお客さまですね。ボクは無宗教ですが、偏見はないつもりですので、信仰の事も、それ以外の事も、いろいろ教えて下さいね。この掲示板は、なんでもありですから。

 でも、せっかく「宗教」の話をするんだったら、そろそろ「キリスト教」の人や、「イスラム教」の人や、「ユダヤ教」の人や、「仏教」の他の宗派の人、「ヒンズー教」の人だとか、「アレフ(旧オウム真理教)」の人だとか、「幸福の科学」の人だとか、いろんな人の意見を聞きたいなあー。そういう人が集まって、ただ自分の宗教の宣伝合戦をするんじゃなくて、「宗派の看板」を下ろして、それぞれに信仰をもった人間として、真摯な姿勢で、「人間のあるべき生き方」とか「世界平和」とか「共存の道」とか「信仰者のあり方」とかを語り合えれば、とっても素晴らしいと思うんですが。

 もちろん、宗教の話ばっかりだとつまらないから、「小説」の話だとか「フィギュア」の話だとか「音楽」の話だとか、いろいろ全部したいんですけどね(笑)。


 賢ちゃん
> 妙に凝ったシュミレーションで、
> 気分を重くしてくれてありがとう。
> 嬉しくて泣けてくるね。ホント。

 でもね、賢ちゃんが「アメリカの攻撃もしかたない」と言ったイラクで、いま起こっていることは、こんなもんじゃないと思いますよ。なにしろ「シュミレーション」じゃなくて「現実」なんだから。・・・『気分を重く』するだけじゃ済まないもの。


 アーニャ
> むかーし、確か、真行寺君枝さんが出てたCMに、こんなのがなかったかしら?

 ボク、知らないんだけど、またまたレトロ(これも死語?)っぽいネタだね(笑)。

> ♪あーいしあーう、二人のたーめーに〜♪(『闘将ダイモス』EDテーマ曲より/笑)

 また、Keenさまの悪影響・・・(-_-;)。


 園主 さま
 みなさん、ご存じないかも知れませんが、とんでもない執筆量ですね。まるで、ここんところの借りを返すかのよう。『奔流のごとく』と言うよりも、やっぱり「怒濤のごとく」かな(笑)。




 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


浦島太郎(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月16日(水)23時58分28秒


 AOI さま
> エンケンの昔ファンのinoさまにもおすすめ!

 ボクも『カレーライス』が気に入りましたよ! 予想してたのとは違って、ちょっと「薄暗い凄み」のある作品っていうのかな。でも、聞き込んでいるうちに、何となく馴染んできました。露骨じゃないけど、やっぱりメッセージ性がありますよね。

> 園主さまが「夢よ叫べ」を気に入られたのは、おそらく

>> その「怒り」と「憎悪」を腹の底に秘めて、終わることのない「世界への抵抗戦」のエネルギー源にしなければならない。

> と言われていることと無縁ではないのではと。

 それとやっぱり、単純に「叫び」系だから?(笑)

> 殺す以外に愛するものを守る方法がなかったら、たとえ、殺人者となって、十字架を背負っても、相手を殺してでも止める。咄嗟にそうするでしょう。
> そうありたい。そう思っています。私も。
> 愛するものを守れなかったと悔いて生きるよりも。

 これとは、すこし違いますが、ボクたちは実際に自分の手を汚していなくても、どこかで「人殺し」をやってるんではないでしょうか。

 たとえば、今回の「イラク戦争」なんか、日本はアメリカを支援したんですから、ボクたちの税金で、何人かのイラク人が殺されているも同然なんですよね。また、そんな戦争が無くたって、以前 AOIさまが問題提起しておられた「おまけフィギュアの塗装」でもそうです。この件については正確なところはわかりませんけど、いずれにしろボクたちの豊かな生活が、東南アジアの安い労働力に「搾取的」なかたちで支えられているというのは、否定できない事実ですから。

 なにも「カインとアベル」にまで遡らなくても、いま生きているボクたちは、多かれ少なかれ「他人の血で購った生」を生きているんだ、生かせてもらってるんだと思います。だから、日々、断食僧のような生活をしろとは言わないし、したから「罪」を免れられるとは思わないけど、ボクらが日々当たり前に生きることが、多くの人や生き物、物の犠牲のうえに成り立っているということを忘れてはならないと思うんです。そのことへの「感謝」を決して忘れてはいけない。だから「自分の手だけは、汚れていない」なんて考えは、大きな間違いだと、ボクは思います。


 ユウ さま
> アッ・・・こんなこと言っちゃった!影姫様ごめんなさい!

> ダダッ!!(逃走)

 ボク、思うんですがー、これって影姫さまから「お仕置き」をうけるための、故意の「失言」であり、捕まるため(挑発のため)の「逃走」なんじゃないでしょうか・・・(-_-;)。


 杉澤鷹里 さま
>  まあ、本当に「非闘争的な小市民」が「花園」を訪れたりはしません(笑)。

 園主さまの挑発に乗っちゃって、後悔なさってませんか?(笑)
 でも、園主さまは若い男の子が好きですから、とっても大切にしてくれると思いますよー( ̄ー ̄)。

> ☆ホランドさま
>>では、Keenさまのどういうところを、そこまで慕われているのか、その説明をぜひお願いします(笑)。

>  えっ。なんでだろう? ……うーん、うーん。困ったなあ。すごい難問です。しばらく、お時間をください(笑)

> ☆Keen姉さん
>>「Keen姉(姐)さん論」もいずれ書いてくれるってこと?楽しみにしてるわね♪

>  うーん、うーん。

 どうしてKeenさまに関しては『うーん、うーん。』なのかな(興味津々)。
 時間はさしあげますけど、必ず明確なご回答をお願いいたします!





( 以下は「浦島太郎(4)」につづく)


浦島太郎(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月16日(水)23時57分37秒


 楽古堂主人 さま
> 『天酒房 楽古堂』の解体

 発展的解消というのは了解しましたが、正直ちょっと残念です。ボクとしては楽古堂さまに独自のサイトを立ち上げて欲しかったです。どうしてって言われると困るんですが、ひとまず全体を見渡せるものとしてあった方が、楽古堂さまを評価する上では便利かなという気がするんです。楽古堂さまによって語られる対象(批評対象)のファンは、それで充分なんでしょうけど、楽古堂さまご本人を評価する場合、「全集」的なものが無いというのは、好ましいことではないと感じられるんですね。
 というのも、2年前の1月22日の『京極夏彦百珍(40の設問)』以来、楽古堂さまのたくさんの文章に触れてきた結果 、最近ではボクの興味は「この作品がどう評価されるか?」ではなく、「楽古堂さまなら、どう評価するか?」という方向に移ってきたんです。つまり「作品」主体ではなく「批評家」主体。なぜなら、もともとつまんない作品は俎上にあがらない可能性が高いんだから、誉められる可能性は極度に高い。なら問題は、その「誉め方」。「どこに着目し」「どのように誉めるか」ということなんですね。つまり、これは自ずと読むべきポイントが「評者の、物の見方・考え方」という側面 に移るということです。このように、楽古堂さまの評論をたくさん読んだボクがたち到った現在位 置は「楽古堂主人をどう読むか?」という地点だったのですが、楽古堂さまの文章をまとめて読めないこれからの読者は、たぶん自分の「好きな(嫌いな)作品」が「誉められて(否定されて)いるか」で、楽古堂さまの「批評」を評価してしまう傾向が強くなってしまうと思うんですよね。で、そうなると、楽古堂さま自身に関する客観評価というのは、自ずと遠のいてしまうように思うんです。楽古堂さまご自身は「私個人の評価など、どうでもいい」ということなのかも知れませんが、長らく楽古堂さまの批評とつきあってきた者としては、そうなってしまうのは、とても残念なことのように思えるんです。

 でも、これからもボクたちのおつき合いは続きますよね。ホントに今後ともよろしくお願いいたします!


 Keen さま
> 舞い散る桜の花の下で……とか?フフフ♪

 もう〜〜〜〜〜!!!

 それから、また園主さまに「おかしなお菓子」を送ったそうですね。園主さまが電話ごしに、水木しげるさんのマネをして『オイチイ、オイチイ』って言ってましたよ!

(自注:京極夏彦さんが師と仰ぐ、妖怪博士 水木しげるさんは、京極さんの『狂骨の夢』の刊行にあたって、次のような、どこかオカチナ推薦文を寄せました。――『京極夏彦くんは、大の妖怪愛好家だった。氏が事もあろうにT妖怪小説Uなる新ジャンルを開発してバリバリとやっている。読んでみると、どれもこれもオモチロクてたまらない。この第三作「狂骨の夢」も思った通 りオモチロクてたまらないものだ。全日本妖怪ファン必読の書である。』)

 『どれもこれも』って、それまで出てたのは2冊だけだろ! ・・・なんてツッコミは野暮でしょう(^-^;)。





( 以下は「浦島太郎(3)」につづく)


浦島太郎(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月16日(水)23時56分23秒

 みなさん、こんばんは! そろそろ書き込みをしなくっちゃと思ってた矢先に、園主さまの急な復帰と怒濤の書き込み。あれよあれよと見守っている間に「♪ もといた家も村もなく 道にゆき合う人々は 顔も知らない者ばかり」・・・というのは大袈裟ですが、9日間も経ってしまいました。たぶん、この書き込みは長くなるだろうから、アップした時には10日経ってるんじゃないかと・・・(^-^;)。





 ino さま
> 私の考えでは、「信じる」という心の状態に至るには、信じるに値する体験が不可欠であろう、ということです。少なくとも私の経験ではそうです。

 そうでしょうね。でも、問題はその経験の「信じるに足る」という「量」と「質」の問題なんだと思います。例えば良くある話で「拝んだら癌が消えた」とか。これで信じる人もいれば、信じない人もいます。例えば、園主さまは後者でしょう(笑)。だって園主さまは「癌が消えたという体験くらい、どんな宗教にも見られる話だ」って言ってましたからね。つまり園主さまに言わせれば、「癌が消えた」という現象は、

 (1) どんな宗教にでも力のある証し
 (2) 宗教に関係なく消える場合もあるから、つまり「偶然」

のいずれかだということになります。
 例えば、inoさまの「体験」がどういうものなのかは存じ上げませんが、もしinoさまとまったく同じ体験をしたために他の宗教を信じている人がいたら、inoさまはその宗教も信じるのでしょうか? 言い変えれば、inoさまが最初に出会った宗教が、創価学会ではなくそっちの方だったら、inoさんはその「体験」でその宗教を信じちゃうということになるんじゃないでしょうか?

 もちろん「信じる」というのは、そうした「体験」がすべてじゃないんですが、他の要素(組織・教義・信者の質など)だって、よっぽどおかしな宗教でない限りは、それなりに整っていると思うんですよね。ですから、野茶坊さまもおっしゃってたとおり、「体験」による「確信」というのも、必ずしも当てにならない部分があるんだと思います。
 「信じる」ということは、信仰の基本中の基本なんでしょうが、じつはそこがいちばん難しいところ(難所)なんじゃないかと、ボクは思います。


 影姫青夜 さま
> なるほど。確かにあの主人公は東京時代のわたしに一脈通じるものがあり
> ますね。神保町(古本屋)→池袋(リブロ内ぽえむぱろうる&夕飯の吉野
> 家)→新宿(自分のアパートのある小田急線に乗り換え)というルートを
> あてどなく彷徨っていた自分が思い出されます。
> もっともわたしはあの主人公より遥かにカッコいいですが。( ̄ー ̄)・・・

 園主さまといい、影姫さまといい・・・(-_-;)。

 ふつう『神保町(古本屋)→池袋(リブロ内ぽえむぱろうる&夕飯の吉野家)→新宿(自分のアパートのある小田急線に乗り換え)というルート』を彷徨っている人を「カッコイイ」とは言わないと思いますけど・・・。もちろん、影姫さまが普通 だなんて、これっぽっちも思ってませんが・・・。





( 以下は「浦島太郎(2)」につづく)


そういえば 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月16日(水)23時39分10秒

メリル・ストリープ主演の『ソフィの選択』って、アリョーシャのシミュレーションよりもっとコワい映画があったわね〜☆
AOIさまならご存じかしら。

にゃあ〜☆


Re.「過去・現在・未来(7)その5 投稿者:ino  投稿日: 4月16日(水)23時23分00秒

私にとって、比較対象となるのは竹中労氏です。では竹中労氏の思想を知り、激しく共感するのに何故師とは呼ばないのか。
 池田大作、竹中労このお二人に共通するのは、革命ということです。池田SGI会長の人間革命から広宣流布という総体革命への思想。竹中労氏の場合は、ルン・プロと左翼思想から蔑まれる窮民に一味同心する、その場所から革命を始める思想。こう比較してみると、共に社会の底辺で、懸命に生きる庶民に優れて温かい視線を投げかけているのが解ります。
 では同じなのかと問うと、より庶民を主体にしているのは前者です。庶民その人の革命から始まる(新・人間革命6巻が参考になります)のですから。
 私にとっては師匠は池田大作氏、竹中労氏は魅せられたる思想家です。
 幸い私の場合は、このようになりましたが、逆の場合も考えられます。例えば文学上の比較で池田大作氏より優位 だと思えたA氏の文学があるとする。そこでは人生の師匠は池田大作氏だが、文学の師匠はA氏である。となるでしょう。
 この文学を別の言葉で置き換えてみましょう。

 人生の師匠は池田大作氏だ。
(  ア   )上の師匠は(   イ    )氏だ。・・・イは池田氏以外

 この(ア)に入れると矛盾が出てくるのは「仏法」「宗教」でしょう。「仏教学」は学問
ですから矛盾は無いでしょう。
 では次の言葉はどうでしょう。「哲学」「思想」。
 池田氏は仏教哲学、仏教思想の実践家であるわけですから「仏教哲学」「仏教思想」は矛盾が生じます。「仏教学」なら矛盾は生まれないでしょう。
 残るは思想です。
 最後にこのことを書きたいと思います。
(続く)


Re.「過去・現在・未来(7)その4 投稿者:ino  投稿日: 4月16日(水)20時44分02秒

生きる目的を得ることや、難をどう乗り越えるかといった生きる方法・技術(生き方です)なども、信心即生活ですから、信仰と師匠の指導(アドバイス)に負うところが大です。世界観・生命観等についても同様です。
 但し、そのような人間としてのベースの上に専門性が成り立つという意味において(統合された上で)、専門性においてはその専門の師を持つことは当然否定されるものではありません。人間精神のフィールドは多岐・多様に渡るのですから、池田SGI会長を人生の師と仰ぐ会員が、彼の職業などの専門分野で池田SGI会長以外の師を持つことは矛盾したことではありません。
 さて、本題に入りますが(ここまでずいぶんかかりましたが)思想においてはどうか。(アレクセイさんにとっての大西巨人)私にとっての竹中労、その思想は池田SGI会長の思想とどう関わっていくのか。
 アレクセイさんの心の中の大西巨人氏がどのように置かれているかについてはほとんど知りませんのでコメントは致しません。
 アレクセイさんの4月3日の「過去・現在・未来(7)」の
>「師の選択」において「桜梅桃李」が無いというのは、やはり疑ってしかるべき状況なのでございます。
 というご意見に、私の意見を述べたいと思います。
(続く)


賢ちゃんへ 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月16日(水)16時51分31秒

「ダメ、いま、降りちゃ」

むかーし、確か、真行寺君枝さんが出てたCMに、こんなのがなかったかしら?

賢ちゃん、アリョーシャが徹夜したことはわかるでしょ?
私はどっちにも肩入れしないけど、賢ちゃんも、泣くなら本気で泣いてね。
時間かかってもいいから。

肉球スタンプ、(あっちに)ぺた。(こっちに)ぺた。
♪あーいしあーう、二人のたーめーに〜♪(『闘将ダイモス』EDテーマ曲より/笑)

にゃあ〜♪


「刑」への想い。 投稿者:影姫青夜  投稿日: 4月15日(火)23時55分03秒

「月光書影閲覧室」もう皆様に見せられる段階まで作業が進んでいますが
わたしとしてはやはり一応完成した段階で公開したいと思いますので、も
う少しおまちください。

☆AOI様>>ヤチェックが影姫様にみえてきました。
なるほど。確かにあの主人公は東京時代のわたしに一脈通じるものがあり
ますね。神保町(古本屋)→池袋(リブロ内ぽえむぱろうる&夕飯の吉野
家)→新宿(自分のアパートのある小田急線に乗り換え)というルートを
あてどなく彷徨っていた自分が思い出されます。
もっともわたしはあの主人公より遥かにカッコいいですが。( ̄ー ̄)・・・

>、影姫さまが10回もご覧になったのは、どこに惹かれてのことことなので
しょうか?最後の絞首刑になるところ?もしかして、これはMの影姫さまを限りなく
エクスタシーに誘うのでしょうか?

ふふ・・・さすがAOI様・・・その通りでございます。しかしちょいと修正させてい
ただくならば、わたしが萌えるのは絞首刑という「こと」ではなく刑という「言葉」
なのです。現代思想のクリシェ(決り文句)に「シニフィアン」と「シニフィエ」と
ゆう言葉がありますがそれを思い出してください。

さて「刑」は断じて「罰」などという俗な言葉に置き換えられてはなりません。
「刑」という言葉にはわたしをエクスタシーに誘うなにかがあるのです。ましてや「
処刑」・・・・となるともはやむせかえるような官能美に溢れた言葉ではありません
か?・・・やはりMでいらっしゃるAOI様ならここいら辺のニュアンスもわかってもら
えるかと思います。

某評論家が『家畜人ヤプー』を評して「この小説はマゾヒズムというより、ある傾向を
帯びた特殊な用語へのフェチシズムが強く感じられる」と言っていましたが、わたし
の場合もそれに近いでしょう。

それでは皆様ごきげんよう。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


…… 投稿者:賢ちゃん  投稿日: 4月15日(火)22時22分12秒

妙に凝ったシュミレーションで、
気分を重くしてくれてありがとう。
嬉しくて泣けてくるね。ホント。

で、結論。

1)折れません。
2)拳銃を使わずに、相手に突っ込んでいきます。

例え「非国民」と罵られようと、
自分の都合しか考えないと云われようとも、
私は、兵隊にはなりません。なりたくなんてありません。
私はそういう人だから。


Re.「過去・現在・未来(7)その3 投稿者:ino  投稿日: 4月15日(火)21時00分16秒

 これは、大聖人御在世と同じように、広宣流布という目的のためには師弟不二の信心が不可欠という思想に基づくものであり「大聖人の時代にかえれ」という戸田二代会長の思想にも通 じます。しつこくなりますが「広宣流布」の実現へ向かう情熱は、時代が変わっても生き続けることが妥当だという点で、先の「御義口伝」の一節は、三代会長を師とすることの文証であると考えます。
 では>何故煽るのか、この点はアレクセイさんが、具体的にどのような点を指しておられるのか、推測で書きますが、SGI会長の側近や、いわゆる最高幹部、地方副会長クラスにも、SGI会長の指導を、自らの心で受け止めないドグマとして末端会員に押しつける(ドグマゆえに、賢い会員はその押し付けを屁とも思わないということは十分ありえます)即ち、煽ることはあるでしょう。しかし納得がなければただの扇動です。ドグマとして煽るのは官僚です。
 末端会員はそれら官僚と化した幹部に扇動されるほど馬鹿ではないと思います。今は全国衛生中継でSGI会長のスピーチに直接ふれて、我々末端会員は直接スピーチから自らの吸収しますので尚更です。
(続く)


砂糖と海 投稿者:ino  投稿日: 4月15日(火)20時34分56秒

野茶坊さま

>情け容赦なく砂糖を取り立てる役人をとっちめ

となれば、美しき島。その心を腹にすえた、○○た様ではありませんか?


賢ちゃん用 特製シュミレーション(9) 投稿者:園主  投稿日: 4月15日(火)06時29分15秒

 賢ちゃん (つづき)

もうひとつの『愛する者が殺されそうになっていたら、相手を殺してでも止める』か止めないか、についても具体的なシチュエーションを示しておこう。

【想定2】
君が隠れ潜んでいた場所から通りを覗いてみると、通りの真ん中に5人の人影があった。一人の大柄な男が自動小銃を腰だめに構えて立ち、その前に4人の女が膝まづいて、泣いている。耳を澄ませてみると、どうやら命乞いをしているようだが、男は冷酷な笑みを浮かべて、それを面 白そうに見おろしている。
その時、君はその4人の女の中に、君の家族の一人と、君が女神と崇める女性が含まれていることに気がついた。
男はいきなり断言した。
「だめだ。お前たちには死んでもらう。全員、例外なくだ。俺の仕事を見たお前らを、生かしておくわけにはいかない。そんなことをしたら、俺が仲間に殺されちまうからな。ついてなかったとあきらめろ」
男はそう言うと、なんの躊躇いもなく右端の女の頭を撃ち抜いた。女は脳漿をぶちまけて、仰向けに倒れた。横の三人は硬直したようになって、悲鳴すらあげられない様子だ。男は馴れた様子で、次の女も平然と撃ち殺した。
残ったのは、君の女家族と君の女神の二人だ。
男はペースを乱すことなく手慣れた様子で、三人目の眉間に自動小銃を突きつけた。君の女神だった。

君は、拳銃を手にしていた。弾は一発しか込められていなかった。

もはや「待て!」と声をかける隙もなければ、もちろん駆け寄る隙などない。二人を助けようと思えば、今の君にできるのは、この一発の銃弾で、そのプロの殺人者を身動きのできない状態にするしかない。半端な傷を負わせるに止まれば、男は君を撃ち殺して、その後、確実に残りの女二人を始末するだろう。男は、殺しのプロだ。迷いはない。慈悲もない。もちろん君には援軍もない。自分一人でやるしか、二人の女を救い出すすべはない。君が何もしなければ、二人は確実に殺されるだろう。神に祈っても無益なことだ。君が拳銃をつかっても確実に、二人を救えるという保障はない。だが、何もしなければ、二人は確実に殺される。何もしなければ、それは君が、二人を見殺しにするということだ。

さあ、君ならどうする?

私なら「男を撃ち殺してでも」二人を助けるだろう。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


賢ちゃん用 特製シュミレーション(8) 投稿者:園主  投稿日: 4月15日(火)06時28分26秒

 賢ちゃん (つづき)

君は、軍隊に入るよう拷問を受けた。しかし、君はそれを拒否しつづけた。そこで憲兵は方針を変えた。

ある日、君は中庭に引き出された。そこは処刑場だった。
殺されるのかと思ったが、そうではなかった。中庭の端の白壁のまえに十本ほどの某杭が立っており、そこに4人の女が縛りつけられていた。彼女たちは目隠しをされていたが、その顔を見て君は驚いた。4人のうち2人の顔に見覚えがあったからだ。それは、君の女家族と、君が女神とまでいって崇めていた女性だった。
憲兵は、この4人を「スパイ」だと説明した。そして、これから「処刑する」と。
君は「そんなことはありえない」あの二人については、絶対にそんなことはありえない、と言った。
それを聞いて、憲兵隊長は、
「徴兵逃れの非国民の言うことになど、誰が耳を貸すものか。貴様が正式な皇軍兵士だというのならばともかく」
君は、憲兵隊長が暗に「徴兵」に応じろと要求しているのがわかった。兵隊になって戦場へ行き、敵兵を殺して、祖国への忠誠の証を立てるつもりがあるのなら、おまえの意見に耳を貸さないでもない……そう言っているのが、はっきりとわかった。だが、君は躊躇した「俺はぜったい人殺しはしないと誓ったんだ。ここで折れて戦場に行くわけにはいかない」と。
「一人目、撃て!」憲兵隊長が号令を発した。
ライフルの轟音が中庭に響き渡り、次の瞬間、右端の女が朱に染まって、ぐったりとくずおれた。
女は射殺された。処刑というのは、単なる脅しではなかった。本気だったのだ。
憲兵隊長は驚愕する君を見やると、にやりと笑い「二人目」と言い、一瞬の間をおいて「撃て!」と言った。

……残された二人は、君の女家族と君の女神。三人目は、女神だった。

この時、君は、後ろ手錠をされ、両脇を屈強な憲兵に抱え込まれており、身動きの取れない状態だった。二人を救おうと思えば、君は徴兵に応じるしかなかった。
もちろん、徴兵に応じてから「自殺」するとか、戦場で敵対して応戦せず、一方的に殺されるなどということも許されない。なぜならば、それは「国家への反逆」だからだ。そんなことをすれば、また家族や女神に類が及ぶだろう。憲兵は面 子にかけて、君を「皇軍兵士」に仕立てようとしている。君を屈服させようとしている。そのためには手段を選ばないのだ。

憲兵隊長が「三人目」と言った。

さて、君はここで、二人を救うために折れるのか、それとも折れずに二人を見殺しにするのか?





( 以下は「賢ちゃん用 特製シュミレーション(9)」につづく)


賢ちゃん用 特製シュミレーション(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月15日(火)06時27分39秒

 賢ちゃん (つづき)

ほかのすべてにも反論してもらわなければならないが、ひとまず「有耶無耶」にされないために、最後に具体的に問うておこう。まずは「家族や女神さまが人質に取られてでも、君は戦争にいかないのか?」という質問の、馬鹿馬鹿しいまで具体的なシチュエーション説明だ。

【想定1】
君は「徴兵忌避」のために逃亡生活をしていた。君はある友人の家の納屋に匿われていた。ある日、その家の主人である友人が、君にこう伝えた。
「君の家族は、君が徴兵逃れをしたことで、近隣の人から非国民呼ばわりされ、ずいぶん酷い目にあっているらしい。食糧も満足に売ってもらえないようで、あのままでは栄養失調でみんな倒れてしまうかも知れない。憲兵も、君のような人間を許しては示しがつかないからと、やっきになって君を探しているよ。うちの家内も、何で君を匿うんだ『巻き添えになったらどうするのよ』って、僕を責めるんだ」と愚痴をもらした。
君は心苦しかった。できれば迷惑をかけないよう、この家から出ていきたかった。だが、それは不可能だった。君の手配写 真は辻々に貼り出され、テレビでも連日「指名手配者」として顔が出ている。家族を戦場に送りだし、あるいは戦死させた人たちは、自分ひとりだけ助かろうとして逃げ隠れしている君を「非国民」として心の底から憎み、頼まれなくても見つけだして、憲兵につきだしてやろうと、あちこちで目を光らせている。つまり、この家を出ることは、すなわち憲兵に捕まるということだ。

だが、やがて君は捕まってしまう。君の交友関係を調べれば、君の隠れ家を探しだすことは、それほど困難なことではなかった。当然、君を匿っていた友人も見せしめのために、ひどい拷問をうけて、廃人のようにされてしまった。
君が収容されている監獄に、君を匿った友人の妻が面会に来て、君を詰って言った。
「貴方は自分さえ助かれば、ほかの者がどんなに迷惑を受けても平気なの!」
君は抗弁する。
「僕は自分の命が惜しいんじゃない。戦争に行けば、人を殺さなくてはならなくなる。それが我慢できないから、こうして逃げ回ってきたんだ」
「つまり貴方は自分の都合のために、周囲の人間を犠牲にしても良いと考えているわけね」
「そうじゃない。そうじゃないが、ほかに方法がなかった」
「自分が戦場へ行って、自分の手を汚すのと、他人が貴方のために犠牲になるのとでは、貴方は他人の犠牲の方を選ぶわけね。……なんて身勝手な男。主人はもう死んだも同然だわ。そして主人を殺したのは、貴方よ。貴方は、自分の手で人を殺すのは嫌だけど、誰か他の人が自分のために人を殺すことは我慢できる人なのよ。自分さえ良ければ、それで良い人なのよ」
君に返す言葉はなかった。





( 以下は「賢ちゃん用 特製シュミレーション(8)」につづく)


賢ちゃん用 特製シュミレーション(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月15日(火)06時26分51秒

 賢ちゃん (つづき)

>> なぜあんなことをやったのか、その理由をしっかり説明して「反省」してもらいたいな。

> 答えは単純です。
> あなたが、私のサイトを見ていると勘違いしたからです。
> だから、自分のサイトの日記に反論を書いたのです。

答は『単純』なんじゃない。いつもどおり「不十分」なだけだ。

私の言う『あんなこと』とは、単に「私が見ていない掲示板に批判を書いた」というだけのことじゃない。私が書いたのは、

> (3)『某所』『呼称した方』などと、誰の何に反論しているのかも明白にせず「有耶無耶」のうちに他人を批判するのは、「非論理的」「でたらめ」を云々する以前に、まず「卑怯」であり「未練がましい」。反論を書いたのなら(こっそり書いたわけではない、と言うのなら)通 知くらいしてしかるべきである。

ということだ。つまり君は、前半の『『某所』『呼称した方』などと、誰の何に反論しているのかも明白にせず「有耶無耶」のうちに他人を批判するのは、「非論理的」「でたらめ」を云々する以前に、まず「卑怯」であり「未練がましい」。』については、まったく申し開きをしていない。
いつだってこんな調子だから、君の『(3)に付いては、こちらの落度であったことは認めます。すみません。』なんて謝罪の言葉は、全然あてにならないと言うんだ。

そして、こういう「無返答」で済ませようという態度を「有耶無耶のうちに誤魔化す」と言うんだ。……が、まあ、君のことだ、自分が「認めて謝罪した」内容を、無責任にも、もうすっかり忘れていたくせに、ひとつ前の文章を読み返すことすらしなかったんだろうな。君の反省とは、いつでもその程度だ。だから同じことをくりかえす。いつでも自分を「甘やかす」から、本質的に「反省」なんてしたことがないんだよ。

だから、これも君の「これまでのパターン」から合理的に推測したことだが、私へのこの二回の反論も、およそ思いつきを書き並べただけで、「推敲」なんかしてはいないだろう? 関連する過去の自分の文章や、まして私の文章など、ろくすっぽ「読み返し」てもいないだろう? もちろん、そういう最低限の努力をしていてすら、こんなものなら、それはそれで驚きだけれど……。

だが、「有耶無耶」にしないと断言し、「反論」を書くと約束した以上、私に批判された自分の文章を、しっかり「読み返し」てもらわなければならない。そして、私の指摘が正しいのか間違っているのか「考えて」から「理路整然と意見を書いて」もらわないといけない。ただ「そうは思わない」とか「認めない」とかいうだけの「単なる否認」を、世間では「反論」とは呼ばないんだ。「論」の体裁をなさない、「論理的説明」のない意見を、「反論」とは言わないんだよ。

そのつもりで、「反論」の名に値するものを書けるよう、必要な努力は、自己の責任において果 たしてくれ。





( 以下は「賢ちゃん用 特製シュミレーション(7)」につづく)


賢ちゃん用 特製シュミレーション(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月15日(火)06時25分57秒

 賢ちゃん (つづき)

>> 今の君みたいに「力も無い癖に威張るやつ」が嫌いなんだ。

> あなたの言う「力」って何なんですか?

まだわからないだろうから説明する。そして、やんわりと暗示的に角の立たないように書いたのでは、君には理解できないだろうから、「仕方なく」ハッキリと書いてやろう。

君に「欠けている力」「不足している力」とは、「現実を直視する意志力」「ものを考える思考力」「ものを理解する理解力」「ものごとを正確に表現する表現力(言語能力・文章力など)」「負うべき責任を担うための胆力(勇気・責任感など)」などだ。

これらに欠けるから、自分の情けない現状を自分で直視できないし、人に指摘されても素直に認められないし反省もしない。反論をしても頓珍漢だし、そもそも何を批判され、何を問われているのかも理解できな